吉田靖監督「悔しさがないと選手は成長しない」
【コルカタ(インド)12日共同】サッカーのアジア・ユース選手権(19歳以下)最終日は12日、当地で行われ、日本は決勝で北朝鮮に延長を終えて1-1からのPK戦で3-5で敗れ、初優勝を逃した。6度目の決勝進出も頂点には届かなかった。
日本は前半4分に先制を許したが、同34分に柏木(広島)が同点ゴール。後半、延長は両チームとも得点がなかった。PK戦では日本の1番手、梅崎(大分)が失敗。北朝鮮は5人全員が成功した。
3位決定戦は韓国が2-0でヨルダンを下した。日本など今大会の4位までは来年6月30日にカナダで開幕するU-20(20歳以下)ワールドカップ(W杯)に出場する。
(了)
[ 共同通信社 2006年11月13日 1:23 ]
吉田靖監督率いる日本ユース代表は、2007カナダでのU-20W杯の出場を手にしたのち、アジアユースチャンピオンの座を目指したが惜しくも準優勝に終わった。吉田靖氏のことは筆者の以前のエントリーを参照してください。
筆者もテレビ放映などでその姿を確認したが、24年前と殆ど変わらない。試合後のインタビューで声を聞いたが、試合後であるから声はかすれているし多少うわずった話し方だが、24年前は「シャイなお兄ちゃん」のような感じで淡々と話していたように思う。
今大会でのユース代表については他のブロガーに任せることにして、もう少し吉田靖氏の現役時代について語ってみたい。
筆者が氏をよく観ていたのは氏が学生時代、終盤でのキャリアの頃である。
早稲田で主将を張り、学生選抜でも主将に選ばれていたりもした。思うに生まれながらのリーダー資質であったように筆者の目には映っていた。
当時は日韓定期戦の前座で学生代表同士のマッチも見られたのだが、韓国学生選抜代表はなにぶん強かった。恐らく当時の森JAPANが10回戦って3回勝てればマシだと言うくらい強かった。もちろん当時「花郎(ファラン)」と呼ばれていた韓国国家代表はもっと圧倒的に強かった。高麗大学対早稲田の定期戦も西が丘に観に行ったが、この時の高麗大も強かった。当時の早稲田には服部さんと言う屈強なセンターフォワードがいたが、この時は子ども扱いされていたのを筆者は記憶している。さて吉田靖氏のプレースタイルに話を戻そう。
身長が174cm程度の氏であったが、関東のリーグでは「ヘディンガー」と呼ばれ敵DFから恐れられていた。実際見事なヘディングで春季対抗戦では得点を重ねていたと思う。日頃の鍛錬から得た抜群の身体能力で、リーグの屈強DF陣を出し抜く様は見ていて痛快であった。得点にこそならなかったが、秋のリーグ戦日体大戦でゴールネットを揺らしたヘディングは迫力満点だった。がらがらの西が丘が更に一瞬静寂に包まれるほどサッカー通を唸らせるヘディングなのだった。
こう書くとゴリゴリタイプのプレーヤーのように感じられるが、氏の真骨頂は右サイドを駆け上がっていく様である。11秒前半の俊足を生かし、ああまでセオリー通りに突破しセンタリングを重ねるウイングは当時の日本リーグを探しても希少な存在であった。足技にも優れ、当時完全なるマンツーマンディフェンスである中を、小刻みなステッピングワークでボールキープして見せたりもした。ドリブルはアウトサイドで押し出し、インサイドで切り返す吸い付くドリブルが印象的だった。また研究熱心さでは他の学生プレーヤーの追随を許さない存在であったと言えよう。
氏が、当時アマチュアリズムを提唱して懲りない岡野俊一郎氏を批判していたのを思い出す。
その議論は確かこんな話から始まったのだと記憶している。
当時の代表選手が名誉こそ得られてもギャランティーは小遣い銭程度であり、経済的な意味で言えば「持ち出し」レベルの手弁当で戦っていた。それがゆえ代表を辞退する選手も数多く存在し、代表は決して日本で最良のメンバーで組まれていたものではない。その原因を作っていたのがアマチュアリズムの権化岡野俊一郎氏であり、岡野氏が協会の要職にあるうちは日本は強くなれないだろう と氏はこぼすように語っていたのである。
吉田靖氏が監督を務める現ユース代表選手の多くはProfessionalである。氏も同じようにアジアユースで戦ったが、ステートアマや年齢を少なめに鯖読みして出場してくるアジア勢にすら歯が立たなかった。
いま吉田靖氏の周辺からサッカー界を見てみると、色々なことが着々と実現されてきたと感じられる。
人の考え方が変化するのは当然であるが、骨子・中身を支えて来たのは当時辛酸を舐めていた氏の世代であるかも知れない。氏とチームメイトであった関塚隆氏含め、現在爆発中だ。
来年カナダに行こうか。きっと気候は爽やかでいい具合だろう。
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