2006年11月13日 (月)

吉田靖監督「悔しさがないと選手は成長しない」

 【コルカタ(インド)12日共同】サッカーのアジア・ユース選手権(19歳以下)最終日は12日、当地で行われ、日本は決勝で北朝鮮に延長を終えて1-1からのPK戦で3-5で敗れ、初優勝を逃した。6度目の決勝進出も頂点には届かなかった。
 日本は前半4分に先制を許したが、同34分に柏木(広島)が同点ゴール。後半、延長は両チームとも得点がなかった。PK戦では日本の1番手、梅崎(大分)が失敗。北朝鮮は5人全員が成功した。
 3位決定戦は韓国が2-0でヨルダンを下した。日本など今大会の4位までは来年6月30日にカナダで開幕するU-20(20歳以下)ワールドカップ(W杯)に出場する。
(了)

[ 共同通信社 2006年11月13日 1:23 ]

 吉田靖監督率いる日本ユース代表は、2007カナダでのU-20W杯の出場を手にしたのち、アジアユースチャンピオンの座を目指したが惜しくも準優勝に終わった。吉田靖氏のことは筆者の以前のエントリーを参照してください。

 筆者もテレビ放映などでその姿を確認したが、24年前と殆ど変わらない。試合後のインタビューで声を聞いたが、試合後であるから声はかすれているし多少うわずった話し方だが、24年前は「シャイなお兄ちゃん」のような感じで淡々と話していたように思う。
 
 今大会でのユース代表については他のブロガーに任せることにして、もう少し吉田靖氏の現役時代について語ってみたい。

 筆者が氏をよく観ていたのは氏が学生時代、終盤でのキャリアの頃である。
 
 早稲田で主将を張り、学生選抜でも主将に選ばれていたりもした。思うに生まれながらのリーダー資質であったように筆者の目には映っていた。
 当時は日韓定期戦の前座で学生代表同士のマッチも見られたのだが、韓国学生選抜代表はなにぶん強かった。恐らく当時の森JAPANが10回戦って3回勝てればマシだと言うくらい強かった。もちろん当時「花郎(ファラン)」と呼ばれていた韓国国家代表はもっと圧倒的に強かった。高麗大学対早稲田の定期戦も西が丘に観に行ったが、この時の高麗大も強かった。当時の早稲田には服部さんと言う屈強なセンターフォワードがいたが、この時は子ども扱いされていたのを筆者は記憶している。さて吉田靖氏のプレースタイルに話を戻そう。

 身長が174cm程度の氏であったが、関東のリーグでは「ヘディンガー」と呼ばれ敵DFから恐れられていた。実際見事なヘディングで春季対抗戦では得点を重ねていたと思う。日頃の鍛錬から得た抜群の身体能力で、リーグの屈強DF陣を出し抜く様は見ていて痛快であった。得点にこそならなかったが、秋のリーグ戦日体大戦でゴールネットを揺らしたヘディングは迫力満点だった。がらがらの西が丘が更に一瞬静寂に包まれるほどサッカー通を唸らせるヘディングなのだった。
 こう書くとゴリゴリタイプのプレーヤーのように感じられるが、氏の真骨頂は右サイドを駆け上がっていく様である。11秒前半の俊足を生かし、ああまでセオリー通りに突破しセンタリングを重ねるウイングは当時の日本リーグを探しても希少な存在であった。足技にも優れ、当時完全なるマンツーマンディフェンスである中を、小刻みなステッピングワークでボールキープして見せたりもした。ドリブルはアウトサイドで押し出し、インサイドで切り返す吸い付くドリブルが印象的だった。また研究熱心さでは他の学生プレーヤーの追随を許さない存在であったと言えよう。

 氏が、当時アマチュアリズムを提唱して懲りない岡野俊一郎氏を批判していたのを思い出す。
 その議論は確かこんな話から始まったのだと記憶している。

 当時の代表選手が名誉こそ得られてもギャランティーは小遣い銭程度であり、経済的な意味で言えば「持ち出し」レベルの手弁当で戦っていた。それがゆえ代表を辞退する選手も数多く存在し、代表は決して日本で最良のメンバーで組まれていたものではない。その原因を作っていたのがアマチュアリズムの権化岡野俊一郎氏であり、岡野氏が協会の要職にあるうちは日本は強くなれないだろう と氏はこぼすように語っていたのである。

 吉田靖氏が監督を務める現ユース代表選手の多くはProfessionalである。氏も同じようにアジアユースで戦ったが、ステートアマや年齢を少なめに鯖読みして出場してくるアジア勢にすら歯が立たなかった。
 
 いま吉田靖氏の周辺からサッカー界を見てみると、色々なことが着々と実現されてきたと感じられる。
 人の考え方が変化するのは当然であるが、骨子・中身を支えて来たのは当時辛酸を舐めていた氏の世代であるかも知れない。氏とチームメイトであった関塚隆氏含め、現在爆発中だ。

 来年カナダに行こうか。きっと気候は爽やかでいい具合だろう。
 

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2006年7月17日 (月)

中田の引退特番を見て

中田のことを叩く典型的日本人とか、礼賛する欧米型日本人とか・・・不毛だよね。日本の代表なんだから。サッカーって何気ない仕草や試合展開の中でのメンタリティーはその民族性が際立って色濃く出るもの。連続的即興性のスポーツだから。考えて立ち止まるゆとりはないから「日本人らしさ」は消せないし否定できるものでもない。「メンバーの日本人らしさ」でチームが成功する方向性を中田も模索すべきだった。
 番組見ての感想は、ああ言う演出だから仕方ないがちょっと多弁に過ぎる。「敗軍の将、多くを語らず」は欧米の騎士道にも日本の武士道にも共通するものだと思う。中田がチームの中心、将であったと言う自負があるのならあんな番組出るべきではなかった。最後までプレゼン上手、ビジネス上手だったな。日本の中だけでは。
 クライフを悪く言うチームメイトっているのか?ってことだよね。クライフは新しい価値観をサッカーに持ち込んで、それは消え去ることない功績となっている。チームメイト達は同じ時期に、幸運にも同じフィールドで過ごす事ができて、自分にとって申し分ない実績を残すことができた。そんなクライフを悪く言うわけがない。だって幸せなんだから。扱いはクライフには及ばないが、その頃一緒だった選手は今でもクライフとともに語られる。
 中田は少なくとも日本代表に幸せをもたらさなかった。それだけは確かだろう。

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2006年7月13日 (木)

サッカーと人種差別  世界を知らず 人間を知らず サッカーを知らず

 7月10日のエントリー ジダンの最後 あまりにも悲しいを書いた後、少しずつ真相が明らかになって来た。多くの、世の中を知る、サッカーを知る人々からは早くから人種差別の問題と語られていたようだ。

 筆者が6月28日のエントリー 自由の国 フランスの勝利で書いた、かつてのフランスチームでの出来事が、解決済みの出来事が、他国では根強くあったと言うことだ。

 そのような思想の選手が優勝国にいる事はFIFAの後退を物語っていた。
 ブラッターの狼狽振りが情けない。


 筆者はサッカーが好きで、今まで様々なことを熱心に見聞してきた。
 
 数日間、日本のネット上で様々な取るに足らない「ジダン退場」に関する議論がされていた。

 大概が本当にレベルが低い、議論だった。

 筆者は思う。

 なぜジダンのプレーを見て、彼の正当性に即刻気づくことができないのだろうかと。
  

 そう言うサッカーを取り巻く色々の事情をもっと知るべきだろう。

 大会のはじめにジダンが行った行為、代表に復帰して最後に伝えたかったことの数々。
 そしてジダンほどの選手が行為に及んだことの意味を。

 
 ルールを犯したほうが悪いと、心から思う日本人が多いのなら悲しい。
 
 堀江も村上も同じような思想信条で喝采を浴び、退場させられたんだ。


 ルールを破り、ジダンは退場になったが、
空前の世界スポーツであるサッカーの中で、

 自由・平等・博愛はその上にあるものだ。

 日本人の狭量な了見で語られるべきものではない。
 

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2006年7月10日 (月)

ジダンの最後 あまりにも悲しい

 現行のルールでペナルティーキック戦があるのから
なんともコメントしようがないが、やはり決勝戦くらいは
引き分け再試合でやって欲しいなと思う。

 ジダンはなにか人種差別的な発言でも受けたのだろうか?
 試合展開でイラついたとか、そう言うのではないと思う。

 イタリアもいい試合をしたけど。

 これでジダンが最後なのは本当に悲しい

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リベリーは、闘将ジレスの化身なのか

 いよいよ決勝なのだが、ココログは相変わらず管理画面へのアクセスすら適わぬほど重い。

 死ぬほど重い。

 流血でお騒がせ、北フランス随一の貧民街出身、レジスタンス映画の渋い脇役みたいな面相。

 今大会は最もフランス人プレーヤーらしいリベリーに尽きる。

 リベリー レアル・マドリーからの誘いを蹴って、

 フランスで輝き続けて欲しいな。

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2006年7月 5日 (水)

PK戦狙いのドイツを、イタリアが撃破

 ドイツの試合運びはいつも通りで変化がなく、最後までペナルティキック戦以外での勝利を望むイタリアに、
正確無比なシュートを最後は決められ惨めな敗戦だった。決勝点となる一点目のゴールでのペナルティエリア、あれだけの密集でドイツ選手はペナルティキック戦の夢を見ていたのか全くの棒立ち状態だった。
 

 筆者はドイツのようなチームが勝ち抜くなら、もう一度48時間後に再試合のルールを再適用するべきだと考えていた。

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2006年7月 4日 (火)

オランダサッカーに出会った日(2)

 クーバーさんは「パーソナリティー」という、当時のサッカー界では極めて斬新な表現を使ってテクニックを表現していた。

 配布された冊子の中にも「世界のパーソナリティー」と言う文言が有り、サッカーでいかにパーソナリティーが重要なことなのか解説していたのである。以下

 『個性的なテクニックをもち、創造性に富んだサッカーをする選手が姿を消した結果、「トップレベルのプロの試合を 見ても、ボールキープしていて、敵に囲まれると、どうしようもなくなる選手がほとんどである。攻撃的なテクニックを 身につけないでいるので、相手をかわして、プレーのできるスペースを作り出すすべが、ないからである。」ことを嘆く 著者は、現在のコーチが体力トレーニングと体力にまかせての守備的戦術をとっていることを批判している。そして、 「いまのサッカー選手たちの技術(スキル)は限られている。その一方で、体力と体格はどんどん良くなっている。 大部分の選手たちは、90分間動き続けて、直接マークしている相手に仕事をさせない、というだけの能力で 評価されている。 こういう選手たちにとって、本当に必要なのは、技術トレーニングである。つまり、 自分がボールを得たとき、相手にきびしくマークされても、お手上げにならないように、そして仕方なく 近くにいる味方にパスしてしまうことのないように(パスをもらった選手も同じように、どうしようもないのだ) 、自分自身で何かができる能力を身につけさせることである。」と述べている。』

 どうにもドイツサッカー流が蔓延して垂れ流されていた状況の日本で、「パーソナリティー」と言う響きは多感な筆者の胸にも響いたものだった。当時何かと言えばやれ「組織プレー」だの「フォーメーションプレー」だなどと称して酷く緩慢な練習が流行っており、何の疑いも無くどの選手も取り組んでいた。
 何かと言えば「ゲルマン魂」という曖昧な表現を使っていたけれど、当時のドイツチーム(西)の主流はいかに屈強なメンバーを揃えて押し込みサッカーをするかに尽きており、シュワイゼンベックだとかブリーゲルなど訳の分からない選手がそこいらじゅう闊歩していた。シュスターと言う素晴らしい才能は花開かず、その悪循環は今も続いていると言って過言ではない。

 二宮寛や岡野俊一郎などという人々は、純血日本人が50年経っても手に入れることが出来ないフィジカルを無視して奥寺をドイツへ送り込んだ。たまたま日本人離れした屈強さを奥寺が保持していて、まずまずの成功を収めたのを良いことに増々ドイツ流を推し進めるのだった。

 なんと言うか、松浦や前田秀樹などと言うボール扱いも不自由な選手が主力を張っていて、読売の中では肉体派の松木のとっつぁんが代表に入るとテクニシャンに見えたから不思議だった。

 オフトが監督に就任するまで、ドイツサッカーの真似事にピリオドを打つまで日本サッカーに明るい未来は見えなかったのである。

                                               つづく

 有名なサッカー選手が引退しても、日本のサッカーは続いて行く。
 中田は高卒直後からプロ生活を全うできて幸せなサッカー人生だったでしょう。
 

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2006年7月 3日 (月)

オランダサッカーに出会った日(1)

 タイトルからしてオールドな話題が始まりそうですがその通りで。

 デッドマール・クラマーが東京五輪の特別コーチとして招聘された後メキシコまで、そしてメキシコ以降さしたる実績も無いまま日本サッカーは妄信的にクラマーを神として崇め奉った。

 特に岡野俊一郎と長沼専務理事の入れ込みようは半端じゃなく、教育読本には必ずクラマーの短パン姿が躍っていた。つまり協会サッカーは三菱ダイヤモンドサッカーからしてブンデスリーガを頻繁に流すように差し向け、80年代まで多くのコーチや選手を送ったことからも明白なように「ドイツサッカー」に毒されていたのだった。

 そんな状況に当時XEROXスーパーサッカーと共に貴重な国際経験の場を代表に提供していたKIRINが一石を投じた。一説には古河閥の川淵が絡んでいたとの情報もあった。今でこそあんなだが、当時信用薄かったテクニシャンタイプの選手を82年スペインの予選で香港ガバメントスタジアムに登場させたのは川淵だった。
 金田・横山・木村・戸塚などなどの選手に脚光を浴びせた。

 実は新興派や実力派チームはドイツ妄信から解き放たれて、新たにオランダ流サッカーをいち早く取り入れようとしていた。ヤマハはヨハン・マリウス・オフトをコーチとして81年から招き低迷から脱出。自由奔放なサッカーのさきがけ、読売クラブはフラン・ファン・バルコムヘッドコーチを70年代から早くも起用していたのである。

 そのバルコム氏の協力の下、晴れてキリンサッカークリニックは84年の三月東京国立西が丘サッカー場で開催されたのだ。

 講師は後に、日本のサッカー教育者に多くの影響をもたらすクーバーメソッドのウィル・クーバー。

 筆者は当時東京の高校生で春休み中だった。

 指導者対象のクリニックだったが幸運にも何故かそこに筆者は居た。ずうずうしく潜り込んだのだが、今となっては貴重な体験だったと述懐する。
 

 当時の筆者はカテゴライズされたサッカーに興味は無かったが、クーバー氏がいかに凄い指導者であることは新聞の記事で後日知ったのだった。西が丘でのクリニック後、池袋の西武スポーツ館野外広場での帝京サッカー部向きの指導も見に行ったりした。今考えると、当時は本当に世界のサッカー情報が貧弱でそれだけ貪欲だった。

 83年にケビン・キーガンがニューキャッスル・Uに移籍し(当時チャンピオンシップ・二部リーグ)、KIRINがジャパンカップと称して開催していた大会に招いた関係で、クリニックの冊子表紙は黄色いユニフォームを着たキーガンだった。

 だから筆者はクーバー氏をイギリス人だと思い込んでいた。

 クリニックに現れたクーバー氏は、しかし、おじいちゃんであった。

 こんなおじいちゃんにボール蹴れるのか?と馬鹿にしていた。

 出たちは紺色か黒か記憶は定かでないが、オールド風のジャージ上下。
 足元はパトリックの非常に良質なカーフ皮革を用いたアップシューズ&素足。
 はっきり言ってお洒落だった。しかし見掛け倒しだろうと単純に思っていた・・・・

 最初適当に高校のサッカー部で監督をしているおっちゃんと組まされ、対面で蹴りあった。
 当時の筆者は現役だったから、知らない高校のサッカー部の先生の足前は物足りなく、先生がミスをしたりすると、わざとボールを後逸したりしてふて腐れていたりしていた。

 少しの時間の後、クーバーさんの実演?実技が始まった。
 いわゆるクーバー流ボールコントロールと言う奴だ。

 始まってすぐに筆者は驚いた。

 年齢からしても信じられないほど俊敏に動いていたからだ。いやそれよりむしろ驚いたのは、その
緩急をつけたドリブルのステッピングワークが絶妙だった。

 いろいろクーバーメソッドについて後から他の人の解説を読むと、足技重視みたいな書き方をされているが、実は違う。クーバーさんの真髄は、緩急とボールコントール時における上半身の使い方だと思う。
 またヘディングの教え方も独特だった。いきなりDF役を付けて、競らせながらヘディングをさせる。
 
 クーバーさんも疲れたのか、当時早稲田の宮本征勝監督が派遣したコーチが実演をしてくれた。
 少し頭が禿げ上がって(失礼)年齢不詳だったが、クーバーさんの指示を忠実に再現する様は
アマチュアでトップレベルにあった選手のそれだった。

 帝京の古沼先生も自転車で来ていたが、遠くから見ていてOBのコーチにやらせていた。
 あと他の先生たちはお世辞にも満足なボールコントロールが出来ないようなレベルだった。
 それを考えれば当時の筆者の先生は国体プレーヤー上がりだったのでなんぼかマシだったのだろう。

 クーバーさんの主張は、

 オランダではプレッシングを早くにエッセンスとして取り入れたが、プレッシングを受けるのは、その選手にテクニックが不足しているからだ 

 ということだった。


 状況に応じたワンタッチプレーなどを指導者陣がミスすると、厳しく叱っていた。

                                                  準決勝まで 2へつづく

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2006年6月29日 (木)

オシムの代表選出構想、中心はルマン松井

 Daisuke


 【グラーツ(オーストリア)28日=須田雅弘、円賀貴子通信員】次期日本代表監督への就任が決定的なイビチャ・オシム氏(65)が、サンケイスポーツに新生ジャパン構想を激白。中盤の軸としてドイツW杯メンバーから落選したMF松井大輔(25)に期待をかけていることを明かした。フランスリーグ・ルマンで活躍する世界基準の逸材は4年後の南アフリカW杯では絶頂期の29歳で、MF中田英寿や中村俊輔に代わりキングに君臨する可能性も十分。オシム魔術の切り札は『世界のMATSUI』だ。

 筆者もドイツ大会での活躍を期待していたが、選出かなわず涙を呑んだ松井。
 オシムから相応な評価を得ていることを知り溜飲をさげたファンも多いことだろう。

 彼のような選手を選ばないコーチは本当にどうかしている。
 彼を中心選手に据えて戦って試す価値をジッコは放棄して敗戦した。

 何度も言うがオシムはサッカーを知っている男だ。
 

 サッカーの持つ魔力と松井が織り成すファンタジーに魅せられない男は
サッカーが本当に好きな奴とは到底思えない。


 ■松井大輔(まつい・だいすけ)
1981(昭和56)年5月11日、京都府生まれ、25歳。鹿児島実高3年時に高校選手権準優勝。00年京都に入団し優秀新人賞獲得。04年8月にルマン(当時2部)に移籍し1部昇格に貢献。A代表デビューは03年6月のコンフェデ杯・コロンビア戦。J1通算72試合7得点。フランス1部通算33試合3得点。A代表通算4試合1得点。1メートル75、64キロ。


  今シーズン、フランスリーグ1(アン)38試合中33試合に出場。

 この辺りの今シーズン実績が中田や半病人の高原・稲本とは違う。

 20代半ばで大会を経験できなかったのは本当に残念だった。

 

 
 昔から、岡野俊一郎、長沼専務理事の時代からそうだが協会は選手の芽をつぶしてしまう。

 筆者もそう思うが、現在ユース代表監督の吉田靖氏が早大生の頃同じように
嘆いていたのを忘れることが出来ない。

 松井大輔 待望だった日本の宝石を応援していこう。

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2006年6月28日 (水)

フィジカル強化はジーコも通ってきた道

 Zico

 ジッコが退任会見で言及していたことは、選手個々の「体力不足」と言うこと。前出のエントリー通りだ。

 筆者が今よりサッカー好きだった25年ほど前の「サッカーダイジェスト」誌にあった記事を思い出していた。
 
 ジッコは、ジュベニールかジュニオールの時代からか忘れてしまったが、10代の早い時期から
フラメンゴ一筋で過ごし、キャリアの後期でセリエAの中堅ウディネーゼに請われて移籍した。

 フラメンゴ時代の少年期は、ジッコの愛称からも分かるように、彼自身才能の塊ではあったが
いかんせん「痩せっぽちのへなちょこ野郎」。

 そうした磨かれざる宝石の時代、
フラメンゴでプロフェッショナルのキャリアをスタートをするまでジッコはスポーツ医学の粋を集めた
人造人間工場に入れられた。

 来る日も来る日もフィジカルトレーニングに明け暮れたのだと言う。
 彼の生活は全てがフラメンゴ負担だったから、当然に強制的労苦の側面もあったと推察できる。
 
 
 ブラジルは中盤より前目のプレーヤーの華麗なテクニックばかりが語られるが、実はそれほどの攻撃陣を防御する技術と屈強な体力を保持したブラジル人DFも素晴らしいプレーヤーが数多いのは自然の摂理だ。
 

 実は華麗な攻撃陣と裏腹に、南米のディフェンダーはゴリゴリのヘディンガーやボディアタッカーが多い。

 日産に在籍したオスカールは、彼たった一人の頭脳とフィジカルで日産ディフェンスを完璧にしていた。印象すら抱かせる。

 
 その彼らを吹き飛ばすほどの「フィジカル」をジッコは少年期に着々身に着けていた。
 と同時に、柔らかさやしなやかさと言うブラジル人特有のテクニックを喪失しなかった点が、このトレーニングの日々の過酷さを物語っているように思う。

 カズは「痩せっぽち」の時代はステップも軽やかに左サイドを駆け抜けたが、セリエAジェノバでの体験が響いたのか、トレーニングに励む余り軽さが徐々に失われていった。彼自身の向上心が結果的に特徴を損なうなんて皮肉で切ない話だ。

  会見で、直接の体験者であるジッコが言う「フィジカルの大切さ」は胸にしみる。
  
 
 ブラジルから、ジェンティーレやタルデリに代表されるハードマーカー揃いのセリエに渡った時も少年期の日々が糧になり、かのリーグで慣れるのにも大した時間を要さなかった現実もある。

 ジッコが個々の事例に言及しなかったのは、「可能性の喪失」を語りたく無かったのだと思う。

 プロフェッショナルフットボーラーとはなんなのか?
 
 少年がどの時点でプロと遊びとの区別をつける必要性があるのか?


 解任会見はJFAトレセンに集う指導者への重要な問いかけだった。

 15年も日本に貢献したジッコだから、本当は「可能性の喪失」にも少しは触れて良かったと思うが。

 

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自由の国 フランスの勝利

  Jidane


 バルテズと頭をなであうジダン 

 2006年6月27日21:00キックオフ

 ○フランス3―1スペイン●

 試合の終盤には、デストロイヤープジョルを子ども扱いでなんなくかわしたジダンのゴールでダメ押し。

 老獪と言う表現が適切かどうか意見の割れるところだが、今ドイツ大会でのフランスは経験豊富なメンバーを中心に安定した戦いを見せている。若手との世代交代云々、とやかく言うマスコミや周囲の雑音を振り払うかのように現在世界最高のDFと筆者が目すリリアン・テュラムの活躍もめざましい。

 移民と移民二世のフランスチーム万歳。自由・平等・博愛はすばらしい。

 もともとフランスチームはベテランが元気に活躍するチーム。スペインでもメキシコでもフランス大会でもチームに渇を入れていたのは30オーバーのベテラン選手。

 ロシュトー、シス、ジャンジニ、プラティニ、ジレスなどなどがいたスペインの頃に比べると「ラテンの情熱」は薄れたようだが、今は地の果てアフリカやカリブから自由の国フランスへ渡ってきた移民の子孫が自由への渇望をfieldで表現していて頼もしい。

 スペイン大会でのトレゾール。フランス大会でのテュラム。黒人であるがゆえ監督から正当な評価を受けられなかった。西ドイツ戦でトレゾールはPKキッカーに選ばれず、白人ボッシが外して敗戦。
 テュラムはクロアチア戦の2ゴール後に当時のジャケ監督から詫びられた。「不当な差別をしてすまなかった。今は君を最高のプレーヤーとして尊敬している」と。

 日本チームはきっと、傷の舐め合いをしてしまう。同年代の男が集まると日本のコミュニティーでは必ずそうなる。

 日本チームにもいつの時代にもベテラン選手はいたほうが良いと考える。基本的に単一民族国家だから戦いを経験していない。そう言うところなのだから尚のことベテラン選手の経験は必要だと思う。

 

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2006年6月27日 (火)

日本流のサッカーとは?

 日本代表が2006年ドイツ大会において、グループリーグで惜しくもなんともなく、
あっけなく敗れ去って少しの時間が経ちました。

 日曜朝のテレビなどを見ていたら、素人のコメンテーターが「日本流のサッカーじゃ世界で通用しない」
 「ジッコがブラジル流を日本人にあてはめたけど、上手く行かなかった」などなど、
敗戦を流派に起因するものとしていて辟易とした。

 筆者がサッカーを始めた24,5年前、入門書などには「南米スタイル」「ヨーロッパスタイル」、
その中にも個人技でのドリブル突破を戦略に用いる「ブラジル型」、ロングパスを多用して
大型のFWを生かし、ボディーチェックも激しい「イングランド型」、守備重視の布陣と
オフサイドトラップを多用しひたすらカウンターアタックを繰り出す「カテナチオのイタリア」。
 ざっと思い出すだけでも、どのタイプの入門書にも判で押したように似たような記述があった。

 ~スタイルなどと呼ばれるものの多くは、長いシーズンを通してチャンピオンの栄光を勝ち取るため、
クラブチームの監督が苦難の末編み出したものが多い。
 オランダのミケルスがクライフを擁してバルセロナで具現化した「トータルフットボール」、
弱小だったミランを世界一に導いた「ゾーンディフェンス」と「プレッシングサッカー」。
 カテナチオという徹頭徹尾守備重視の布陣を編み出したのも戦前のセリエでの出来事である。

 日本のクラブチームでこのような現象が起こり始めるのは、加茂周が率いた横浜(AS)フリューゲルスの
「ゾーンプレス」まで待たなければならない。当時在籍していた、ブラジル人カルロス・エドゥアルド・マランゴン(エドゥー)の経験豊富な知識があって初めて機能したものだが、それまでなんの戦略も公言できなかった日本人指導者に大きな影響を与えた。

 サッカーの世界では、時代は常に流れているものだと感じることが出来る。

 イングランドスタイルは80年代に入って、世界の舞台では全く相手にされない代物に落ちぶれてしまった。
 82年のスペイン大会2次リーグでの惨敗は、見ていても気の毒になるほど工夫の見られない酷いチームのありようで、グレン・ホドルのような才能がむざむざ見捨てられるイングランド暗黒時代の只中だった。

 ブラジルも国内リーグのレベル低下が選手の流出から顕著になりつつあり、同じように80年代はさしたる成績を残すことはクラブでも代表でもかなわない現実があった。

 しかし両チームとも90年代に入り急速に回復の道を突き進んだ。注意深く見てきている人には直ぐに分かることだが、イングランドは中盤に優れた人材を育成、ブラジルはストライカーの養成に躍起になるなど、それまで人材が不足しがちだった所を重点的に鍛え上げ成功するに到ったのだ。
 
 筆者は今の時代、~流や ~スタイルはチームの成績に大きく影響をもたらしているとは思わない。

 セリエやプレミアで見れば分かるように、少し前のASローマや現在のチェルシーは圧倒的な戦力を擁して
 ただゴリ押しサッカーをし、そして勝ち抜いている。それらの行為がサッカーの進歩の妨げになっているとする風潮や、単に見ていてつまらないと言った意見もあることは事実だ。
 しかしサッカーは言うまでも無く巨大なビジネスに成長し、その中では「勝たなければ意味が無い」とされている。圧倒的な戦力を巨額のマネーで整備する手法に、誰が正面から異を唱えることができようか。

 これを代表チームに当てはめれば、個人の能力に長けた内国人を育成し起用するか、縁故のある外国人に帰化を奨めて代表に取り入れると言うことになる。サッカーとは局面局面では個人競技以外のなにものでもない。あえて誤解を承知で書けば、個人能力に秀でた選手の多いチームと、翻って戦術理論に長けた個人能力はそこそこのチームが対戦すれば100戦して100戦とも前者に軍配があがるように思う。現行のルールは個人能力に秀でたものが浮かばれる仕組みになってきているから余計だ。

 日本ではモータースポーツも、いやありとあらゆるスポーツが日本ではそうであるが、選手の背景にドラマ性やカリスマ性を持たせて盛り上げる仕組みづくりが横行している。サッカーで惨敗を喫しても、その個人が批判されるのではなく他の要因があるのならそちらへ感情的に流れてしまう。これではジッコも可哀想で浮かばれない。

 オシムは「他の国の流派を取り入れるのではなく、日本流で行くべきだ」とコメントしたらしい。
 でもそれは何か、翻訳が正しく出来ているのかな?と疑問を感じてしまう。

 本当に勝利を目指すものなら流派にこだわりなど持ってはいけない。
 すべて後から人々は「~~流」と呼称してきた。
 そこには「勝利」と言う前提があるから、勝つ前から流派を名乗ろうなんてちゃんちゃらおかしい。


 本当は、ありとあらゆる面が今回の本戦リーグを勝ち抜いたチームに比べ不足しているところを、
ジッコは日本人の心情を慮り「体力の不足とした」。体力の不足とは個人能力に他ならない訳で、
その部分に目を背けて選手を責めない姿勢は間違っているだろう。

 広告で選手を使いまわしたい希望やなにかがあるのか知れないが、
マスコミの報道姿勢と広告屋の介入には虫唾が走る。

 勝てないのに「良いチームだった」。もうずっとそんな扱いに慣れきってしまって、
本気で勝ちに行こうとしない協会の姿勢にもずっとうんざりしている。
 

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2006年6月24日 (土)

落日のジョカトーレ

 
 

 今朝は三時半には目覚めて、ローテンションなままブラジル戦を見ていた。

 巻に、ブラジル相手に得点する能力などないことはサッカーを知っている人にはわかりきっている話だ。
 フレンドリーマッチしか経験のないFWが通用する。そんなに甘い訳がない。
 
 玉田はスターター向きなのか、一汗二汗かいて、ようやく足元に球が落ち着くようになり、得点をする気配は感じていた。ブラジルは得点を重ねたけれど鈍重で、完全に手抜きのゲーム運び。死に体の日本に本気のコンタクトなど必要なかった。

 代表に選出される選手の個々の能力について、差が大きくあるとは筆者は思っていない。
 中田が最後まで声を枯らして叫んで同調を求めていたのは、それら同じような資質を持つ選手に対して、
ワールドカップ本戦に出場するフットボーラーのありようであったように思う。
 条件も環境も整っているのだから、あとは練習量や日常の体の手入れを完全にすること。
 誰も五体満足で試合に挑んでいる選手などいない。どこかを傷めていて当たり前だし、
調子がよいときに、よいプレーを披露できるのはこれも当たり前のことなのだ。
 調子が悪い時にも一人前のプレーをする。真のプロフェッショナルとはそう言うものだ。

 


 やはりカズのような選手はなかなか出てこないものだ。

 的確なスコアラー。

 貧乏なブラジル時代、12時間も、未舗装路のガタガタな道路をボロボロの移動バスで、
着いた先のグラウンドはわずかな豆電球ほどの照明でのナイターゲームであったと言う。
 それでもプロであるが故、最高のプレーをいつでも求められた。
 貧乏な日本人プレーヤーカズ。ロクに食うものもなかったのか、ブラジル時代の
カズは欠食児童のように貧相な体でヒラリヒラリとDFを軽やかなステップでかわしたものだ。
 
 得点をしなければ生きていけない。それがブラジルのFWなのだ。
 
 日本人は日系社会を築き、成功者を輩出してきた。ただでさえ貧民層の多いブラジルの
サッカーファンだ。多くの嫉妬、先進国への羨望、ニューカマーのカズが簡単に受け入れられる
土壌などある訳がなかった。

 FWカズはナチュラルな存在だ。貧乏であったからこそ、大きな成功を望み、
世界一のサッカー大国であるからこそシュートでの失敗など許されなかった。
 失敗は失業と貧困に即直結し、試合後即日解雇など当たり前にあるのがブラジル流なのである。

 狂ったようにボールを追い、凍てついた大地の狙撃手のようにゴールを冷徹に決める。

 そんな選手を輩出する環境は残念ながら日本にはない。広告屋のあぶく銭と、マスコミの下心に
占領された日本に、世界屈指のストライカーを製造する環境など調えられる訳がないのだ。

 富豪になりつつあるカズが今でもFWであり続けられる理由は、ブラジルが第二生誕地であったから
 これに他ならない。

 ブラジルがどれだけ貧乏か、多くの日本人は知らない。

 アルゼンチンの英雄マラドーナのサインを見たことがあるなら、
 彼が自分の名前すら怪しい文盲であることに気づくことだろう。 Kazu


 日本人は皆同じような環境で貧しさもそこそこに生活している。
 その点からして理解できると思うが、

 日本でしか活躍したことのないFWに期待するのは間違っている。


 英才学校をJFAは作った。FW候補に教えるのは技術よりもむしろ日本人離れした
メンタリティーだろう。ゴールをしなければ、し続けなければ生きていけない。

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2006年6月22日 (木)

ア・ア・ア・アルサメンディー!

 むかし80年代後半、アントニオ・アルサメンディーとフランチェスコリ、
新たにゴールの詩人ことルベン・ソサを加えたウルグアイ代表の
カウンターは一撃必殺で見事と言う他無かった。

 アルゼンチンにどんなに攻められようが、カウンター一発で相手を絶望の
淵に追いやったのを何度も目撃している。
 ウルグアイのクラブチームもトヨタカップで何度も目撃していてるが、
100m11秒台のウインガーとセンターフォワードだけが攻撃を担当して、
残り30分で1-0の展開なら失点するような気配すら感じさせないサッカーをしていた。

 ジッコは自分が本格派のゲームメーカーだったから、その所作を日本にも
期待しているようでイライラしてくる。そのような攻撃の組み立て方を
唯一日本らしいと言えばそれまでだが、ゆっくりした攻撃から得点の機会を
作れるチームでも最期はゴールネットを揺らさなければ意味が無い。
 思い起こせばジッコのブラジル代表は永らくFWとGKの人材に泣いていた。
 バチスタやセルジーニョ、エデルと言った選手がいたけれど、得点の
期待をされ実際得点していたのはジッコ他三人のMFだったように記憶している。

 サッカーにボールポゼッションなど本来全く意味が無い。
 陣取りゲームでもなく、一度に4.5点入るラグビーでもなく、サッカーはたった1得点のみが
ゴールの報酬に与えられるだけだから。

 本格派のゲーム運びはもう止めにして、徹底的にカウンター狙いに徹した方が
ブラジル戦での可能性は増すだろう。ただこの場合は得点機に絶対にミスをしない、
誤解なきように書けばシュートを枠外に外す事の無いFWが必要だ。

 筆者の経験だが、ゴールを決める時はボールに集中しているだけで、
実はゴールの方向などは朧気ながらの残像しかない。優れた得点者は、
自らがどのポジションにあろうともゴールの位置方向を把握しているものだ。

 それを支えるものはゴール感覚と呼ばれる曖昧なものと練習量、
そして勇気だと考える。

 長い長いシーズンでは柳沢のような考え方の偏ったFWも必要だが、
短期間のタイトルマッチでははっきり言って不要だ。

 むかしのゲームなどを筆者も録画ビデオでよく見る方だが、
「スペースがあるな」「スピードがないな」「激しさも今に比べれば少ない」
「審判の判定が攻撃者に不利」

 色々な現代サッカーとの差を感じるが、カウンターアタックのスピードは
今昔大差ないんだよね。

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2006年6月18日 (日)

集中なんて言ってんじゃないよ

 悪態つくのもほどほどにしたいけど、松木のとっつぁんもトウシロアナも ジッコも

 「集中 集中」うるさい。


 お前らは金をもらってプレーしているプロじゃないのか?

 前の晩オールナイトフジで寝不足の中学生プレーヤーか?

 荒法師福西落ちで大丈夫か?

 柳沢を替えろ。巻でも玉田でも大黒でもいいから。

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2006年6月17日 (土)

日本代表の周りがバカだから駄目なんだ

 明日のクロアチア戦も非常に苦しい戦いになることは明々白々で、戦力分析をしてみれば日本の側にアドバンテージのあるところは一つも無いことに気づかされる。

 筆者のクロアチアチーム観は前出の記事にも書いたとおりだ。
 クロアチア選手は、驚天動地のテクニシャンで大スターだったボバンからして玄人好みのする渋いゲームメークをする男だったし、プロシネツキなどは風貌からして渋すぎた。
 シュケルも98年の大会でゴールデンブーツを取るまで、ある小国のストライカーの一人であったに過ぎない。

 そして今回のクロアチアにも9 ダド・プルショなどと言う、一度は4部のアマチュアリーグプレーヤーにまで身をやつし、20代の後半でようやく活躍する場を与えられた苦労人がいたりし、それらのプロフィールもクロアチアが旧ユーゴであることなどを考慮すれば決して珍しい境遇などではないことに驚かされる。内戦を繰り返す故国を離れて、多くのプロを目指す若者が、異国の言葉も通じず明日の寝食すらも保障されない劣悪なプレー環境で足技を磨いてきたのだ。

 優劣を論じる気など無いが、日本人などとは全く異なるメンタリティーでクロアチアの選手は故国のため戦うのだろう。


 日本は代表の周りがバカだからいけない。Jビレッジと言うトレーニングセンターで、地元の高校生チーム相手に「調整は順調」だなどと記事を垂れ流すサッカーなどプレーした経験も無いサッカーオタクな記者。金子や馳などと言うライターは、多少の批判を交えるも、希望論ばかりが目に付く。筆者は今回のメンバーと対戦国を並べてみて、三戦全敗が妥当な結果だろうと感じている。
 ただ何度も書くけれど、サッカーは冷徹なほどのロースコアゲームであるから、勝てないまでも0-0のドローはあるかも知れないし、1-0の最少得点差での勝利がまったく考えられないかと言えばそうではないとも前にコメントしている。
 この場合、相手のミスを期待しない場合は日本の側がノーミスで過ごさなくてはならないのだ。

 圧倒的に強かった80年代初頭の韓国代表を、ニューデリーにおいて岡田武史のミドル一発で葬り去った代表は「クールに燃えて」ノーミスで凌ぎきり 見事な試合運びを見せてくれたものだ。

 カズこと三浦知良は「日本に"守る"文化はない」と言明している。確かにイタリアのカテナチオと比較したらそうなのだろう。しかしあの日のオーストラリア戦は、どうしても守るべき試合だったのでは?との感を禁じえない。

 

 同じプロと言っても、日本人はプロと名さえつけばとりあえず先進国での豊かな生活は出来る。しかし自国のマイナーなリーグを背景に持つ今回の出場国の多くの選手は、自国に留まるのならば圧倒的な活躍でナンバーワン選手になるしか豊かな生活は望めない。サッカーに生活の糧を求めるのならば、他は異国に活躍の場を求める以外方法は無い。

 いまJリーグのあり方は曲がり角に来ている。本当に強い代表を育てたいのならば、二十歳そこそこの国内選手に400万円以上のギャラなど与えてはいけない。今は多くの若者がサッカー選手を志すけれど、最終到達地点がJリーグであってはならないのだ。

 

 中村がセルチックに残留するらしい。3億円以上の年俸が手に入ると言う。中村に3億の価値が本当にあるのかどうか全く不明だが、少なくともあの程度のプレーでも「先進国で豊かな日本」が背景にあれば3億は引き出せると言うことだ。しかし勘違いするなと言いたい。

 中村は、多くのサッカーファンと関係者を魅了した風間八宏にはプレーヤとしての実力ではまだまだ全然勝ててはいない。


 風間は大学生時に代表でこの上なく切れ味鋭いプレーをしていた。当時最強の韓国代表と戦っても、風間だけは見劣りしないテクニックと戦術眼を保持し、サッカーファンと関係者に夢を与え魅了。茨城県リーグのジョイフル本田と言うスーパーマーケットのチームから、最低限の後ろ盾で挑戦し実力のみでドイツプロ生活を5年間も送ったのである。

 周りがバカだから3億円も手に入るだけで、中村にも中田にも本当は億など払う実力価値など無いのだ。ただ付加価値はあるだろうと、リモコンを買ったらプラズマテレビがもれなく付いてくる、それぐらいのお得感を欧州のサッカービジネス関係者は感じているのかもしれない。

 つまりはそう言う事だ。 人数と麓が広がり、チョイスする側には有利になっただけで、優れた実力ある選手の絶対数は今も昔も大して変わりはないということ。

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信用できない男、川口   フィリップ・トゥルシエールの慧眼

-オーストラリア戦を振り返って。

「同点にされるまで日本が試合をコントロールしていたが、GK川口のちょっとしたミスから失点した。もっとチームを引っ張るリーダー、『引き分けでいい』と言える選手が必要だった」

-敗因は精神面の弱さか。

「もう一度試合を見ればわかるが、ハート(の強さ)は見せた。ただ、運がなかった。運というのは難しいもので、どっちに転ぶかわからない。川口のミスも、直前にいいセーブをしたから、自信を持ちすぎて前に飛び出したのかもしれない」

 以上が前監督のコメントなのだが、当の本人川口は、
「終わったことは仕方がない。(自分自身は)前半に流れというか、フィーリングを引き寄せることができていた。(後半に入って)相手も疲れていたし、点が取れる雰囲気もあって行けるんじゃないかと思った。同点にされても大丈夫と思っていたけれど、こちらが考えていた以上に、みんなが下を向いてしまった。
(クロアチア戦に向けて)技術が変わることはないが、プレーの精度や気持ちを切り替えることが大事だと思う」

 などと語っている。その後、勝てる流れを断ち切った自身のミスを振り返ることなく、

、「次は立て直す」と述べている。


 ものすごい違和感を覚えた。

 これはなんなのか?と言うところがジッコが推進してきた「メンバー固定」の功罪なのだ。

 ふつう監督から「次は違うGKで行く」という展望が聞こえてきてもよさそうなものだ。
 サラリーマンなら10億の仕事を失注したかのような致命的なミスで、このような場合多くは「次」はない。

 代表は、ロングスローからの守備の入り方も数多くの時間を割いてトレーニングしてきたのだと言う。
 ところが川口のあのミスだ。

 オーストラリアの枠に飛んだシュートも、よく見れば当たりはいいがGK正面に近いものが多く、「ファインセーブ」などと呼べるような代物ではない。川口は勝手に覚醒し、自爆したのだ。自身の調子に過信して。

 調子のよい時こそ堅く行く。これこそがありとあらゆるプロと呼ばれるものの鉄則ではないだろうか?
 川口はGKのイメージとは程遠く口数が多い。

 トゥルシエールは川口のことが根本的に嫌いで、信用できない男として正GKを外した。GKはチームでたった一人だからこそ最も人間力が問われるポジションである。試合後の饒舌からして川口のことが嫌いになり、自身のミスに言及しない姿勢も含め、信用できない男として筆者の目にも映った。
 


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2006年6月13日 (火)

松井の呪い

2006年6月12日 初戦 日本1-3オーストラリア

 負けた。敗れた。堪えきれずに負けた。なんだかね。あのゴール。
 なぜジッコは小野なんかを使ったのだろう。小笠のほうがまだマシ。
 なんであの時間帯でノロい小野を使うんだろう。

 オレはどう考えても玉田だろうと考えていた。
 ヘロヘロの巨漢OZディフェンスを崩すのは、松井亡き後の玉田しかいないだろうと考えていた。

 なぜスピードに頼らず、のろい小野なんかを使ったのだろう。
 確かに玉田を使っても、球が足元に落ち着かない恐れはあるだろう。
 何故ってあの時間ロクでもない質のパスばかりMFから出ていたから。
 
 唯一荒法師福西のみ冷静にゲームを見ていた。

 しかしあの時間、松井がいないのならば玉田しかいなかったのではないだろうか?
 玉田・大黒なんじゃないのかい?

 しかも日本のディフェンス陣も最後は巨漢FWのアタックがボディブローのように利いて、全く足が動いていなかった。最終的には決定力の差。いつもと同じじゃないか?ケイヒルが決めているのだから、福西決めんかい!
 俊輔も山なりのへなちょこパスばかり。中田は全く切れなし。駒野は最後のボケボケディフェンスでいいとこ帳消し。

 やっぱり松井なんじゃないか?ゴールの匂いのする選手が必要だったんじゃないか?
 俊輔へっぽこパス。柳沢相も変わらず逃げ腰の無効なラストパス。

 岡田さん。あんたが監督やれ。ジッコなんかよりまだマシ。川淵。そんな感想はいらん。トウシロアンちゃんでも分かるよお前さんの言っていることは。

  岡田さん。サッカーの魔力を解く。冷徹なロースコアゲームの持つ可能性。今回の代表は好きな選手が殆どおらず、荒法師福西が欧州勢をなぎ倒す様が楽しみなだけだ。福西だけじゃないか?ポジションの役割として通用していたのは。クロアチア戦も見るけど、全然期待できないな。
 岡田さん「急にシュートは上手くならない」「試合的に打つ手がなかった」「小野?敵に無効果」
 小野はスターターだろうさ。何故小野?何故松井落選なんだよ。

 岡田さん。本音は「クロアチアに4-0で勝たない限り勝ち抜きの望みはない」

 2006ドイツ ただ行っただけ。

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2005年12月 9日 (金)

トヨタカップの思い出いろいろ

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先日サッカーのことを書きましたが、縁とは不思議で味なもので、巡りめぐって世界クラブ選手権第五位決定戦のチケットを手に入れることが出来ました。カテ1の7番ゲートと言う、筆者が一番好きな向かって右ゴールライン延長線上の良い席であったのが喜びを増大させた。組み合わせ的にカズこと三浦知良選手の姿が見れそうな気がしており、個人的には一回戦でシドニーが負けてしまうことを願っている。(笑)

 さてトヨタカップについて筆者の思い出を書こう。一番の思い出は雪の中アナウンサーが絶叫した第八回ペニャロール対FCポルトの試合だろう。「マジェール、マジェールマジェーーール」と何度アナウンサーが絶叫したことだろう。勘の良い読者ならお気づきのことと思うが、筆者この試合国立には行っていない(大笑)しかしペニャロールは第三回でその強さを生で観戦しており、ポルトガルのチームなどかつて「モザンビークの黒豹」と称されたエウゼビオが所属したベンフィカ・リスボン超特急(爆)しか知らない若き筆者にとってその勝負にかけた執念たるや雪の中に相まって身震いを起こすほどだった。
 またその後の印象に残る試合も歴史上で言ったらマイナーな部類に入る、コロコロ負ける対レッドスターベオグラードの一戦です。レッドスターはセルビアモテネグロやスロベニアに分断してしまった国家のチームですが、かつてはいびつな統一ユーゴのチームで人種のるつぼであったのが今となっては興味深く、なんとかビッチと言うような名前が多いことからしてセルビア系のチームだと推測できる。はっきり言って昔のユーゴのイメージと言ったら、セルビアの一青年のオーストリア皇太子の暗殺事件からWW1が勃発したり、バルカンの火薬庫と呼び習わされたりあまり有難いものではなかった。また多感な少年であった筆者は「戦争映画」が好きで、ユーゴ・パルチザンの死闘ネレトバの戦いを描いたその名も「ネレトバの戦い」などのことも熟知していた。チトーと言う人間のことも詳しく知っていた。ついでに言うとパルチザン・ベオグラードと言うレッドスターと同じフランチャイズで人気を二分するチームもある。ところで前出の「ネレトバの戦い」には、王様と私や荒野の7人で主演したつるっぱげ俳優ユル・ブリンナーが出演している。しかし小学生の頃からその残虐非道性と荒唐無稽なストーリーで魅了するマカロニウエスタン(イタリア製西部劇)の大ファンであった筆者にはもう一人の主演「フランコ・ネロ」のほうが印象深かった。ネロと言えばジャンゴシリーズがつとに有名で、棺桶にマシンガンを格納して、ありそうでなさそうなアメリカの西部を無頼に渡り歩く様が何ともいえず格好よかった。他にジュリーアーノ・ジェンマもおり、荒野の1ドル銀貨、星空の用心棒などがとても好きだった。収録期間が短期であったのか、掛け持ちで撮影していたせいなのか不明だが、ジェンマは一時目尻の下辺りに傷を負ったままで出演していた。さてレッドスターだが名前からしてナショナリズム爆発のチーム名である。同チームのOBには82年のスペインワールドカップでその才能の片鱗を見せ付けたウラジミール・ペトロビッチという選手がいた。その天才の系譜は妖精ストイコビッチに引き継がれたと言って過言ではないだろう。ペトロビッチはその後アーセナルでも活躍し、中国の大連実徳や母国セルビアモテネグロなどの監督も歴任している。サッカーを語る上でどうしても忘れてはならない存在(東映やくざ映画で言えば池部良のような存在)が旧ユーゴスラビアであり、セルビアモテネグロやクロアチアと言った玄人好みのする渋めサッカーをするチームなのである。
 サッカーの話題とはかなりそれてしまいましたが、そうしてトヨタカップを語れば様々なことが思い浮かばれるまさに玉手箱のような存在がトヨタカップなのです。
 

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