2009年11月 2日 (月)

横浜へ帰ります 陽はまた昇る

 三重県鈴鹿市でのJOBが
終わり、明日か明後日には
横浜へ帰れることになりました。

 考えてみると、ここ6,7年は
横浜と地方を行ったり来たり
行ったきり。

 2003年には新潟県妙高市(旧新井市)の
事業場へ転勤、ここで4年弱。
 ここでの転勤生活は、とても
辛いものでした。
 それがゆえ、その後の社会人生活や
会社の中での一企業人としての
考え方に大きな影響を与えた。
 大抵のものには驚かないぞ と。
 
 その後、兵庫県尼崎市で6ヶ月。
 これも転勤。転勤は会社の言いなり、
横浜に住居を持つ身にとって
完全な二重生活。余禄もない。
 最後は経済的な理由が一番大きく
転職を志し、東京に本社がある会社へ移る。

 2007年の11月から三重県の四日市、
2009年の1月まで滞在。
 2009年の3月から現在の11月初旬まで
三重県鈴鹿市で出張勤務。
 出張であるが故、手当てが厚い。
 ほんとうにありがたい。
 感謝しきりだ。
 結局のところ、言葉よりそう言った
経済的側面でのサポートが
働く側のモチベーションを向上させる。

 現在の会社は、穏健で、
とても仕事がしやすい。
 これと言って大きな不満も無い。
 人が大切だと言って、
そのように接してくれる。
 言うまでも無く、
筆者はそれらの人たちに
発掘されたのだ。

 転職をしたのが2007年だから、
先を見越して動いたのは正解だった。
 サブプライムの関係で、
ここまで景気が落ち込むとは
思わなかったが、転職を志す時には
すでに、ものづくりの側は飽和状態近し
の兆しは目に見えていた。

 アクセスログで、このブログを
以前勤務していた企業の何人かも
読んでくれているみたいだ。

 問題提起をしたり、
以前は人が耳障りに感じることも
構わず書いてきたし、言ってきた。
 もちろん解決の糸口に
なることもだ。

 耳障りに感じることと言うのは
大概が的を射ていて、
ならばそれを足がかりに
革新を試みれば良いはずなのだ。

 でも人は動くこともせず、
ただその耳障りさを、または
それらを発信するものを
黙殺したり、貶めたり、
あと少しで終わるであろう
経済活動期間での安寧さを
求めたがる。

 歳相応な対応なら
分かるけれど、
なに大物ぶってんだってくらい
似たような年代で権威付けに
躍起になっているような輩が
徘徊していた。

 それらすべてに見切りをつけ
正解だったと思う。

 汗で体はぐっしょり濡れていくけれど
心までは濡れない。

 沈まぬ太陽にあらず、
陽はまた昇る。
 

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2009年4月13日 (月)

TEQUILA SUNRISE

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 鈴鹿の出張部屋で暮らし始めて
二週間になりますが、最近
気づいたことがあります。

 周囲に本田技研やその関係会社が
多いからだろうけど、
ブラジリアンの人を結構ふつうに
見かけます。
 日系の人なのか、
様々な工場の名札に漢字の
苗字?のようなものを
つけて、近所のイオンなんかで
よくたむろっています。

 むかしは都会に多かった
外国人労働者も、
最近は暮らし易さと
その労働需要の種類により、
自動車産業の盛んな町に
やたら多く住んでいるのが
現状のようです。

 あと、自分が住んでいる部屋の
周囲が、最近になって
井戸汲みポンプで
ボコボコやっていて、
畑だと思っていたところが
なんと、稲作の田んぼでした。
 蛙の鳴き声がすげーんだろう
なと思っていたら、
最近の暖かさで蛙殿の
鳴き声がすごいのなんのって・・・

 静かな夕暮れ時には
西コースのクルマの音が
聞こえますが、最近は
蛙の方がすげーや。

 それと、20年越しの
アレでアルトサックスを始めました。

 テキーラサンライズと言う、
B級映画があって、
まぁ20年位前にサントラが
結構流行りました。
 その中で、
デイビット・サンボーンが
「ジョアンのうた」と言う
のをやってまして、
これが格好良いんだね。

 まぁそんなこんなで、
20年越しってのと、
今年はなにを始めようか と
思っていたので、
アルトを始めるギリギリかなと。

 毎年新しいものを
最低ひとつ始めるのが
人生の羅針盤になっていますからね。

 練習は近所の公園で、
ロングトーンなどから始めています。

 夜、散歩の人なんかが
前を通ると、練習をやめて
通り過ぎるのを待っていますが・・・
 
 部屋はやっぱり気がひけます。

 横浜の家に帰ったら
近所にカラオケの
シダックスがあるので、
そこでしようかと。

 サクソフォンはリコーダーと
同じような運指なので
とてもつっつきやすいです。
 いやとっつきやすいです。
 あと吹奏楽とかクラシックに
縁が無い筆者でも、
反逆のアルトなら
親しめるような気がしました。

 それで、楽器も
ヤマハ初のジャズ用ってことで。
 バイク時代から、この
三連音叉は外せないアイテムです。

 まぁ暇を見つけて
音符の読み方も
も一度勉強してですね、
やってみるべしってとこです。

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2009年4月 6日 (月)

春に生まれ

 春眠暁をおぼえず、の故事に
あるように、春はついつい寝過ごしがち。

 この世に生を受けた
この日々は、出張地の
鈴鹿で過ごしています。

 振り返れば、あのとき
こうしていたら、
こうなっていたら今の自分は
ないなと、考えてしまう。

 前よりも、今の自分のほうが
幸せだから、その大概が
「あの時そうなってなくて良かった」
ということが殆ど。

 例えば、悪気は無いけど・・・
「あの時あの女とくっついてなくて良かった」
とか。
 その女性と懇ろになっていたら、
いまの地点に自分はいなかったんだろうなと、
そう考えるとホッとする自分が居る。

 男女ともに一緒になって
成長していけるのが、やっぱり
理想かなと。
 お互いがブレーキになったり、
枷になったりするのは
瞬間に自己陶酔はできるかも
知れないけれど、長い目で
見るとお互いか片方が
結果的に不幸になるパターンが多い。

 男女の関係だけではなくて、
これは人間同士の付き合いの
基本なのかも知れないなと。

 当たりのよい甘言や
印象を残す人から、
人は離れづらい。

 居心地が良い場所は、
人に何も残さない。
 
 誰だって、アカの他人の
おまはんには粗を指摘する
ことなんてしたくはないだろう。

 でも、本来自分が視線を逸らしがちな
ところに本質は見え隠れしている。

 人に苦言を呈されて、逃げずに
 苦手なところを克服したりするのが
人生の副題と言うか醍醐味なんじゃないかと。

 しかしまぁ、今年度は
まさしく荒波の中でのスタートだね。

 鈍感か、そう言ったものに
今まで無影響な人々にも、
この低調さはやがて行き渡る。

 今自分が住むこの世界の
背景を感じ表現し生きて行くことが
できるかどうか。
 
 その成否でこの先の
有る無しが決まるんじゃないかとか。
 

 
 
 

 
 

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2009年3月30日 (月)

レース界 チンピラ

 3月も後半までは東京の本社で過ごし、
二十日過ぎに出張部屋へ入りました。
 鈴鹿市にあるサーキットに程近く、
毎日ここのパーキングゲートの脇を走って
職場へ通っています。

 おそらくフォーミュラ1が来るようになってから
町の様子もだいぶ変わったのだろうから、
すでに15年を経過し、その頃新しかった
ものもすでに古くなってる。

 石垣池公園のそばに住んでいるけれど、
肝心の公園は犬の散歩が禁止。
 近畿では多い光景だけれど、
きっと飼い主のモラルが酷くて
こういう結果になったのだろう。
 と言うことが容易に想像つく。

 4月18日のオープンに向けて、
鈴鹿サーキットも工事だけは
進んでいる。


 日本のモータースポーツも、
文化となる前に既に終わりに
近づいてしまっているようだ。

 一言で言えば、庶民が
手を出すには効率が悪すぎる。
 
 そして日本には欧州のような
貴族もいなければ、
欧米のような安定感ある成金もいない。

 日本では、人の金をむしりとったり、
掠め取ったりしない限り、
犯罪に近いようなことも含めて
易々と出来るようなタフさが無いと
長年モータースポーツに
関わることなど出来はしない。
 
 あとは効率が良さそうなときに
メーカーが熱心になるだけであって、
それも長続きしない。

 夢や可能性から最も
と言っていいくらい離れてしまい、
最低最悪なスポーツに
なりつつある。
 だからマニアックな若者を
除き、若者からも敬遠されがち。

 あとやっぱり問題なのは、
実際にやっている側の人の
趣味性が高いから、
ビジネスとして真面目に
踏み込もうとすると、
誰もが躊躇してしまう。
 
 つまりそれは趣味の延長なんだと。

 ガキんちょのヒロイズムとか
やっている側の自己実現に
数億の金を出すほど、
日本のビジネスマンは甘くない。

 それで最後には、
勝手にやってろってなる。

 日本のまともな側からは
全く相手にされなくなってしまったのが
モータースポーツやレース界の人々
なんだと思うと悲しい。

 でも日本のレース界の人たちは、
ほとほと皮算用が好きなんだなぁと
感心してしまう。

 やっぱり趣味の延長じゃないと
やりきれない世界だ。
 

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2009年3月 2日 (月)

リアル 自動車絶望工場の夢と希望

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 筆者のブログで相変わらず
検索ワードランキング1位の、
鎌田慧さんの著述「自動車絶望工場」。

 労働実態と言うより、
いま「働かせないぞ」と言う
意味で絶望工場になっちゃった。

 先週は鈴鹿某所へ打ち合わせに
行っていたのですが、
本田技研鈴鹿製作所の前では
労働者切りを反対する、組合関係者の
デモが行われていました。

 南コースの音らしい、
レースカーのエキゾーストノートが
サーキットの周辺に響く中。

 いま鈴鹿サーキットは、スタンドや
ピット改修の真っ最中。
 計画が決まったのは二、三年は
前の話だろうから、ホンダがフォーミュラ1を
止めて二度と出ないらしいことも、
HRCで一時代を築いた後に社長に
なったレース屋の福井さん辞任も、
基本的には無関係に工事は
進んで行く。

 でも、「主のいなくなった館」の
ようで、鈴鹿サーキットも泪で曇りがち。

 

 アメリカの自動車メーカーが、
どんな経営危機に陥っても
労働者のクビを切らない。
 
 これは自動車の夢と希望かな と。
 理屈抜きに。

 
 自動車産業によって立国された
アメリカの最初で最後の希望、自動車。
 アメリカの自動車メーカーの
労働者がバタバタクビ切りに
合うようじゃ、まさに世界の終わりかも
知れない。
 そう言う意味では、経営効率とか
度外視して雇用継続するアメリカの
自動車メーカーは、通常では量りきれない
ロマンに彩られていると言える。
 アメリカらしくない。アメリカらしい。

 土建国家日本では、差し詰め
土建屋(ゼネコン)さんがその位置に
あったのか知らないが、
雇用の環境や条件が違うから、
アメリカの自動車とは同義にならない。
 違う会社(下請けさん)が現場で
儲かろうが、潰れようが徹底放置
徹底無視な姿勢がゼネコン。
 夢も無いし、尊敬も無い。
 階層区分の歴然としたゼネコンと
下請けの関係に雇用継続性なんて
誰が考えると言うのだろう。
 むしろ、
絶望的なのは、この業界では。

 
 日本の自動車メーカー
云々と言うより、やっぱり社会全体に
夢とか希望と言う陳腐化されたものが
生きていく土壌が無くなりつつある。

 いつもの訳知り顔のジャーナリストが、
上記のようなアメリカの
自動車メーカーの姿勢を
批判したりするけれど、
そんなん放っておいたらいいのにね
と思ってしまう。
 向こうにだって考えがあるんだから と。

 何も考えないで、クビ切りを
する人のほうが、自動車と言う
機械に負けてるんじゃないかとか。


 

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2009年1月29日 (木)

甲賀

 今日、いや正確には昨日
滋賀県は甲賀に行っていました。

 仕事の関係で、最近ちょこちょこと
出かけています。
 「こうか」って読むのが正しいみたいです。

 帰り、1号線を亀山まで
上って(道は下り)行ったのですが、
土本宿、関宿と宿場町が
在って、オレはいったいこれから
どこへ進んでいくんだろう、とか
ぼんやり考えてしまいましたよ。

 滋賀の辺りを走っていると、
やっぱり京に向かっているのが
上りって感覚がぴったりする。

 むかし江戸の庶民は
東海道を上って
運良く一生に一度
お伊勢参りが出来たかどうか。
 京の都にも、一度行けるか
どうかと言う一生。

 現代は、ものすごいスピードで
何もかもが過ぎて行って、
価値観も心模様も移ろいやすい
けれど、それが果たして
人の一生で幸運と呼べる
ものなのかどうかとか。

 古くから人の往来が
あった地域を往くと、
そんなことばかりを考えてしまう。

 ゆっくりと、歩ききれない。

 

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2009年1月26日 (月)

レースの町、鈴鹿。

 実は出張が明け、
年明けの本社に戻って勤務を数日
すごした後、次のJOBが
直ぐに決まった。

 今度もと言うか、
また三重県で、四日市の
隣町、鈴鹿市が今度の舞台。

 いまの世相から言って、
こうして直ぐに社会から
必要とされるのは
本当にありがたい話だ。と思う。

 少しの間、横浜にいそしむ
心積もりだったけれど、
上記のように次の舞台が
早々に決まった。

 なんだか少し落ち着かないなぁ
と言う精神状態などから、
この週末にかけてエントリー
していたスキーの大会は
キャンセルしました。
 全然練習も出来ていないし。
 今シーズンは、まだ蔵王での
はちゃめちゃな初滑りだけです。

 先週、鈴鹿に行ったけれど、
サーキットの近辺は何もかもが
変わっていた。
 初めて訪れたのが、高2の頃だから
かれこれ20数年前になる。

 あの頃は、サーキットの周辺には
殆ど何も無く、平田町の駅周辺に
ほんの少しお店があったくらい。
 駐車場も、サーキットのグランドスタンド
前のところにでも、
サーキットランド入り口ゲートの直ぐ脇にでも
クルマは置けた。ノスタルジー。

 今年はフォーミュラ1が
戻ってくるので、先週前を
通ったときも盛んに改修を
行っていた。

 筆者のお客さんのところは、
サーキットのすぐ北側にある。

 フォーミュラ1の時は、
もう仕事も済んでいるんだろうけど、
8H耐久の時は凄い混雑で
仕事にならないかも、そんな
ことを考えながら仕事ついでに
出張部屋を探していた。

 ある程度は予測できたが、
有期雇用の契約打ち切りなどで、
部屋はどんどん空きが出てきている
様子。中部地方の落込みは激しい。
(賃料はまだ下がっていないけど・・・)

 こうして旅打ちの博徒の様に
出張に次ぐ出張の暮らしは、
あと10歳も若ければなんの
気にもならない。
 人は「大変でしょう」と言う
けれど、たぶん「大変だ」とか
「苦しい」「そんなものは出来ない」と言う
マインドは、どんどん自分の行く先を
狭めてしまう。
 有期雇用の人達の一部も、
余りにも仕事を選んでい過ぎる
現状が指摘され、
「やっぱりな」と言う心象を
社会に与えてしまった。
 
 「オレはこれしか出来ない」
と言う、言える事は、実は
楽なんだと思う。

 企業がグローバル化を
進めていく中では、
昨日迄は技術系、今日からは人事
なんて言う配置や起用は
ごく当たり前にある。

 実はレースや競技と言う
ものを好んでするマインドには
理由がある。

 レースと言うのは、
もちろん競争相手がいることで
成立するものが殆どなのだけれど、
レースの本質は自分との
競争に他ならない。
 自分との競争に
勝つと言うことは、
Excuseを虱潰しに
していくことだ。
 
 自分の気持ちに素直で
自分に嘘をつかない。
 言葉にすると陳腐で
どうしようもない作業に
思えるようだが、
これは案外いちばんしんどい。

 最初の目標や志が
低くてもいい。
ただ一度それを
やり遂げると、
借り物で無い価値観や
自分だけの言葉を
発することが出来る。
 安易に迎合しなくなるし、
座標軸もぶれずに進める
ことが出来るだろう。

 長い長い2009年も、
ひと月目を過ぎようとしている。

 ララには申し訳ない
けれど、旅に付いて来て
もらうやに。(三重弁)

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2009年1月11日 (日)

横浜たそがれへ戻ってきました社会派

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 三重県での業務がひとまず終了したので、
横浜の自宅へ戻ってきました。

 1年間と言う期間を長期出張と言う形で過ごし、
三重の部屋にはそれなりの荷物があって、
最初マイカーで済んだ部屋入りも、
結局荷物出しは業者さん頼みになりました。

 横浜は、三重に比べて暖かいなぁと。
 三重は昨年の12月26日に雪が降って、
鈴鹿山脈や滋賀県境の山々の頂は
白くなっています。

 これから少しずつ、横浜での暮らしを
充実させて行こうと思っていますが、
もうあまりモノを増やすのはよして行こうと
考えているわけでして。

 業務執行については、
新年明けて、来年度に向かっていく訳ですが、
来年度の下期まで、まず回復の見通しは
社会全体として立たないであろうと。
(今の政府のスピード感では・・・)
 
 個人的に思うのは、
これだけ人を切り捨てていく中で、
この先景気が回復し、投資が活発化しよう
と言う段になっても、先に雇用を
なんとかしないとね、と言う感情論が
地域でも優先してしまうような気がします。

 派遣・有期雇用は元来から高リスク

 派遣と言うか、全体的な有期雇用の形態で
雇われている側は、この金融危機に乗じて
契約解除が大々的に行われているのだと言う認識は
改めたほうが良いと考える。

 12月で雇用期間満了だから契約解除に
なった訳であり、「便乗」それのみと言うことで
有期雇用の本来の意味合いを、
他の因子と摩り替えるのはどうか、と言う
気がしている。

 あと、会社の寮を契約満了に伴って
退寮後、住む所が無いって言うのは
「貯蓄」が全くないってことなのでしょうか。
 給与がたいそう安いからと言うのは、
余り理由にならない。
 給料が安かったら安いなりの生活をし、
月2、3万の貯金をすることが不可能とは
考えにくい。要は飲んで食って遊んでしまった。

 派遣と言う有期雇用の労働形態は、
正規雇用者に比べれは生活のリスクは
高い訳であって、むしろその働き方の
あり様は個人商店主に近いなと自分などは
考えている。
 ゆえ、そのリスクと引き換えに
正規雇用者とは違ったメンタリティーも
保証されているかどうか分からないが、
そうした働き方を新しいものだとして
少し前のマスコミも随分と肯定的に
報道もし、ドラマの主人公に据えたりも
していた。

 あの「年越し派遣村」に
集ったうちの何人かは徴集が
かかったプロの左派陣営の
茶番であったにせよ、
リアルな人達は少し情けない、
「大人」とはちょっと呼べない
呼びにくい。

 社会に背を向けて、
敢えて派遣の道、有期雇用の
道を選んだのならば、
最後に人の情けや彼らの
大嫌いなお上の施しを受ける様は
男一匹見るに忍びない。

 あと親は居ないのか
と言う話。
 親兄弟その他、世話になる、
厄介になるというのは無理なんだろうか。

 東京なら山谷、大阪なら釜ヶ崎、
そのどちらもが報道するには不向きで
馴染まないけど、結局つまるところは
日比谷公園だってそんなに変わらない。

 自己責任原則とかじゃなく、
そこに居るのはその人の自由なんだと言うこと。

 反面として、ああいう風には
なりたくないと言う作用が
通常の人には働く。

 だからマスコミの乱稚気な報道も
全く社会の害悪と言う訳では無いかも知れない。 

 でも「経済難民」とか
言葉を飾るのはやめたほうがいい。 

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2008年11月 3日 (月)

クルーザーレースは、ちょっとハイソ

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 昨日は、予定通り計画通り5:00には起きて
琵琶湖へ行って来ました。

 

 レースは琵琶湖セーリングクルーザー協会、
(略してBSCAビスカ)が主催する、
オータムレガッタと言う草レースです。

 30ftオーバーのクルーザーが
沢山出ており、三連休と言うことも
あってクルーも大勢集まったようでした。
(自分が乗った艇は4名)

 メルゲス24は純粋なレース艇
なので、キャビンやなにかもなく、
はっきり言ってそれなりの風が
吹けばクルーザーに負ける訳がないな、
と考えていた。

 結果は、下りでジェネカーの
威力を発揮して他艇をごぼう抜き。
 一時トップに立つものの、
レースは水物。
 ゴール地点の変更(コース短縮)があり、
気づいた時には賢い他の艇が
新たなゴールマークへ
向かっている時でした・・・

負けレースと分かり
最後、フィニッシュの時は
スキッパーを交代させて
下さりました。

 全体的に微風域の
レースで、神経が磨り減る
じりじりしたレースとなりましたが、
まぁ仕事の間隙を縫って
こんな遊びが出来るんだから
万歳三唱ですわ。
 


 しかしまぁ考えてみれば、
琵琶湖は近畿圏でも指折りの
プレイスポットと言うこともあり、
金持ちと思しき方がうようよ。

 ああいう場所って、
 外車がほとんどなんだよね。

 自分にはレーザーの
ほうが、合っているような感じです。

 ただ、冬は滅多なことで
沈(Capsize)しないクルーザーは
水の中に入らなくて済むので、
体には優しいな、と思いました。

 冬はスキー選手になるので、
どこかで頭を切り替えなくては
いけませんが・・・
 


 

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2008年11月 1日 (土)

初レガッタ

 明日は琵琶湖のワニ浜と言うところで
セーリングクルーザーのレースがあります。

 乗艇するのはメルゲス24と言う船で、
同じレーザー彦根Fのメンバーの方から
お誘いを受けました。
 クルーとしてレースデビューです。

 自艇のレーザー193841ではなく、
メルゲス24だったと言うのは、
考えてみればラッキー。

 あまりプレッシャーが
かからないレースと言うことなので、
明日早起きして出かけます。

 メルゲス24は、
レーシングキールボートであり、
ジェネカーですっ飛んでいく
速い船です。

 今日こちら北勢エリアでも
木枯らしと思しき風が吹いていました。
 明日はそんなに吹かないで欲しいぞ と。

 この連休は、仕事の都合で
明日だけのお休みです。

 暦どおり休めませんが、
絶対に趣味は捨てねーぞっと。

 趣味を楽しめないこと。
 それを仕事の所為には
したくない。
 「趣味が仕事」「仕事が趣味」なんて奴、
アマチュアだと思いますし。

 明日に備えて、早寝しますわ。
 lullabyいらずって事で。

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2008年10月 4日 (土)

しばらく帰っていない時は

 9/12に横浜へ帰ってから、しばらく
横浜の自宅へも行っていない。

 10/6と12,13日は業務の関係と用事があるので
帰りますが。
 新潟へ転勤してた四年は、
人に貸していた。
 家賃収入もあって、
人が住んでいたほうが
家が傷まなくて良いとか、
そんなことを言われたけど。

 あれは全くのでたらめだ。

 やっぱり、人は自分のものと
思えばこそ、ものを大切にする。
 
 家に帰って、
ひとしきり隠れたところも
見たけど、想像以上に
傷みがあって落胆した。

 

 3週間くらいたって、
自宅に帰ると、
玄関を開ける。

 あって良かったと思う。
 ものなんだけど、
居てくれて良かったなと
考えてしまう。

 人というのは、
自分の望まない
境遇に身を置くのが
常なのかも知れない。

 そういう風に思うのも、
自分にまだ、ちんけな自負心が
あったり、なにものかを
実現できると信じているからだろう。

 充足しきるのは
ほんの一瞬で、
そこからまた新しい何かを
始めていく。

 キリがないのだけれど、
充足して、時が経つのが
平気になってしまうのは
それが老いなのかも
知れないなと、最近よく思う。

 明日は天気がどうあれ
琵琶湖に行ってみます。

 国道306が通行止め。
 なんか解除になったみたいです。
 鞍掛トンネルのとこで、
土砂崩れがあったんだと思うけど。

 冬にはまた通行止め。
 滋賀との県境は
雪に閉ざされる。

 休みの日の306号は、
鞍掛峠の道に入ると
ほとんど車が走っていない。
 筆者のように、ディンギーに
乗るためなどと特別な
事情がない限り、
使う人もいないのかも。

 道路って不思議だ。
 
 1日の経済効果が、
2,3万なら、やっぱり
トンネルなんて作るものじゃない。
 
 

 

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2008年8月 4日 (月)

ヨットマン(仮)の憂鬱

 三重県は河芸、鳥羽、そして琵琶湖にも
行ってレーザーを探してきましたが、
取り扱ってなかったり、譲れるような
艇が無かったり・・・

 あっても、そこの管理置き場に
保管するのが条件で、そう言うとこは
艇はタダかタダ同然、保管料が少し高め。

 筆者が真鶴の岩港に、
ヤンマーFX24というボートを
置いていた時は、陸置きで
2万円/1フィートだった。
(年々値上がってて、最後は3万くらい)
 だから毎年最低でも60万弱はかかる訳で、
ディンギーのシングルハンド艇を
ロケットと呼ばれるラックに
葉山や逗子で12,3万払って置くのよりかは
だいぶ維持費がかかる。
 さらにボートは上げ下ろしにも、
幾らかの費用がかかる。

 港は基本的に漁師のもの。
 日本の海を取り巻く権利関係は、
入会(いりあい)権のあった江戸時代に
さかのぼって、殆ど進歩していない。
 漁師はお上に鑑札代を払っている。
 だからお上から許可を受けた、
海は漁師のもの らしい。

 

 ディンギーは、艤装からして
乗る人が出来てしまう範囲なので、
はっきり言って、売った後の
ショップに旨みは少ない。

 マリンショップやハーバーが、
30フィート楽々オーバーの
ボートやセーリングクルーザーを
扱いたがるのは、そりゃそっちのほうが
儲かるから。
 保管料と内燃機、ペラ等のメンテナンス。
 係留艇なら喫水部の防錆・防貝塗装。
 年に何回か乗る程度の人が殆ど。
 でも横浜ベイサイドマリーナなら、維持費で
中古の程度良いメルセデスSが買えてしまう。

 日本の海岸線は、走ってみれば
よく分かるけど、単調でつまらない。
 
 景勝地では岩がボコボコしていて、
気持ちよく走ることなんて出来はしない。

 それで最後は結局釣りに流れていく。
 釣りぐらいしかすることがない。

 のんびり派以外は、ウェイクボードなどに
挑戦している。でもこれだってそんなに
楽しい感じがするものでもない。

 やるなら、潮っ気のない湖でやったほうが
気持ちがいい。

 

 ディンギーはまだ少し可能性がある。

 三重に居るうちは津において、
横浜に帰ったら自宅に保管、
カートップで持ち込む。
 
 年に保管料だけで12,3万円も払うのは
気が引ける。

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2008年8月 2日 (土)

蜘蛛の糸を、身にまとい

 道や公園を、ララと
一緒に歩いていると、
必ずと言ってよいほど
蜘蛛の糸の洗礼を受ける。

 新潟は上越にいたときも
そのようなことは度々有った。

 湿気がすごいから、
道の真ん中を歩いていても、
そこには蜘蛛の歩道橋が
かかっていたりする。

 ここ三重県は菰野エリアも、
例外なく蜘蛛の巣がそこかしこに
発達している。
 
 頭とか顔に、蜘蛛の糸が
からまって気持ちの良い人って
いないよね。
 いつもいつも「うわ゛わーーー」って感じ。

 この蜘蛛の糸にからかわれ始めると、
田舎に来たな~と思うし、
都会への郷愁に襲われる。

 そんなに蚊がいないのが、
せめてもの救いだ。

 ただ、コガネムシやら毛虫、
カミキリムシ、セミ、蛾、かとんぼ、
ありんこ、筆者が住む、マンションの
廊下にある外灯めがけて、
夜には集まってくる。

 最近は近所からの苦情で、
この外灯は外してしまったみたい。

 都会のそれのように、
ブラックライトの外灯に
変えればいいのに。
 そう単純に思うけれど、 
田舎の人は、
そう言うのがあることを知らない。

 あと、基本的に涼しくなれば
虫たちも居なくなるだろうから、
外灯の問題は、
いずれ時間が解決してくれる。

 地方都市に住むと、
こういう「時間が解決」みたいのが
非常に多い。

 これは基本的理念が
変化を望んでおらず、
ゆえ、50年以上も長きに渡って
保守政党の一党体制を支持してきた。

 民衆のマインドがあるからこそだ。

 でも、既に役人が散在して、
使って無くなってしまったお金や、
どうしようもない少子化問題、
暮らしやすくなろうと、或いはしようとする
積極性に欠けることは問題だ。

 それなりの施政で満足することに
慣れきり、どうしようもない状態でも
変化を望もうとする強い心は生まれてこない。

 なぜかなと。
 たぶんそれを成すには、
すごい摩擦が生じて疲れるから。

 ものすごい数の言い訳と、
虫たちの累々たる死骸。

 印象的。
 

 

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2008年6月 4日 (水)

それ、それ、駅前のモアーズで買っただろ?

 横浜に帰り、そして四日市に出張です。
 土曜の仕事を終えて、PM11:00頃に
東名阪四日市IC→伊勢湾岸道
→東名豊田→横浜町田→保土ヶ谷バイパス
うんぬんかんぬんうんぬんかんぬん・・・
 AM2:00過ぎには自宅前に着きました。
 ご近所迷惑ですが、マニュアル車
なりのブリッピングをかましつつ入庫。
 
 ふえーー疲れた。
 途中道を譲ったのは、たぶん玄人の
34Z、1台のみ。こちらはCF4アコード。
 ほとんどこの方と150くらいで抜けてきた。
 たぶん最速ペースだったと思う。
 一度尼崎から4時間半で横浜と言うのは
あったけど、VOXYでそんなことするのは
まったく筋道が合っていると思えない。

 日曜日はルミオンの納車だった。
 なんやかや350くらいの高い
クルマに仕上がっていたけど、
VOXYの下取りがあるので、そんな
感じでも無かった。
 当たり前だけど、ルミオンは遅い。
 刺激なんかも全く無く、
それなりに走っていさえすれば良い、
そんなクルマ。
 
 その前に、横浜駅付近で、
筆者親友氏と約半年振りに会う。
 京料理なんかをランチコースで
頂く。やっぱり幸さんの地元である
京の都の風情は、オフ時には
欠かせない。
 そんなことを知る由も無い
親友氏と、酒抜きでしゃべりまくる。

 でもなにを話したか、あんまし
覚えていない。
 言説に責任持たないでもいい、
気の置けない親友氏が相手だったか、
好きに話していると、何も考えないで
結果なにも覚えていない。
 ただ、あいつの顔だけが
思い浮かんでくる。

 夕方、ルミオンを取りに行って、
少し乗り回す。
 うへ って感じ。
 仕方ない。


 夜は、遊びに来てた両親と、
焼肉を食べに行きました。
 自分が親友氏と会っている間は、
お小遣いをあげて、家の片付けなんかを
お願いしちゃっていた
トンデモな坊っちゃんです。

 こうして書くだけでも
地元に戻ればそれなりに
予定があったり、行くとこ
あったりするのですが、
出張地だと外出=飲み会。
 なんて言うか最悪でしょう。
 健康に悪いこと請け合い。

 いやいや、最近思っているのは
ホタルでも観にいこう。
 そう考えている。

 もうあまり何も考えないで、
とりあえずHAPPYな生活を
追求しよう。

 愛するものと、
そうではない他の人は違う。

 そうではない、他の人の
なにかを考えたり、
巻き込まれたりすることはやめよう。

 自分はつくづく人に甘い。
 愛し愛される人以外に、
甘くするのはよして行こうと、
最近つくづく考えるようになった。
 
 情けは人の為ならず 
巡り巡って己が(自分の)為
 って言葉があるけど、
自分の解釈は少し違う。

 情けをかけて、それで
酔いしれてんじゃねーぞ
馬鹿野郎  と。
 情けをかけるほど、
お前はそんなに上等な
もんか。
 
 はい、
まず自分の幸せを考えて
行きます。

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2008年5月30日 (金)

本牧ベイカーズストリート

 今週末は、4週間ぶりに横浜へ帰ります。
 こうして出張地や、転勤地で長々と
過ごすことも慣れました。
 慣れたのと、だからそれが良いのか
とでは意味が異なるけど。

 やっぱり仕事以外の知り合いが
いないのはきついなと感じる。
 仕事がきっかけでもいいから、
気の許せそうな損得・利益等抜きの
関係を築けそうな人も、今はいない。

 それでこの間、こちら三重の
エリアではじめて床屋に行きました。
 「ひろたこういちのカットハウス」とか
そんな名前の店だったのですが、
ここは広田民郎さんと言う
モータージャーナリストの実家だった
ようでした。
 あと、店長さんが、自分が車高調を
組んでもらった店の同級生だったりして、
クルマの話を床屋談義でしてました。
 だからどうしたってことも無いけど、
こちらで初めて地元の人と長いこと
話した気になりました。
 ここへは通いたいと思いましたね。

 会社からは、「もっと会社に来なさい」
(出張なんだから、どんどん帰着していいよ)って
内容の話を頂いているのですが、
いかんせん、ララを乗せて東名を
行ったり来たりするのも疲れるので、
一ヶ月に一回くらいかなー。
 あと、東名は事故多いしね。

 往復約800kmですが、
週末の短い間にやるのは
骨の折れることですバイ。

 バイクなんかも置きっぱだし、

本当は沢木竜一みたいに
本牧ふ頭をかっ飛んで、
マリンタワーの見える
どこかにバイクを置いて
タバコでもふかしてやりたい。
 やっぱり、横浜はバイクで
疾走したい街だよな。
 何の気なしに、プラっと
出かけて、そこいらにバイク置いて
気になったところ、店に
分け入って行く。
 
 バッテリー上がりで走れないけど。

 

 ルミオンを注文したものの、
いまいち心躍るようなクルマではないし、
仕方がないんだけど、ちょっと後悔
している。
 予定通り計画通り、ゴルフGTI程度に
しておけば・・・
 

 外車って、日本全国どこの
ディーラーに持って行っても
相手してくれる訳じゃないし、
前にメルセデスベンツの300TE
4MATICに乗っていたときは、
新潟で高い金払って、某店で
メンテしてもらってた。

 横浜にいた時は、
世田谷のはずれにある
溝畑さんというベンツの修理やさんで
面倒見てもらってた。
 ここは、もう安くなった同等品の
部品でメンテしてくれるので、
プアリルボーイな筆者には
頼もしい存在だったのです。

 当たり前なんだけど、
ベンツは重たく出来ていて、
それで乗用車のベースで
言ったらそりゃ国産なんか
全く比較にならないほど
剛性感がある。
 音も、乗ってると
とても静かだし。

 シトローエンは・・・
さんざん乗ったけど、
味わい深い車種は、
完全に趣味の世界に
入っていて実用向きじゃない。
 カローラが一台あって、
それでシトローエンの
CX-turboとかDSあたりの
を乗っているなら良いかな。
 とにかく一台足クルマがないと
正直しんどい。
 あと、クルマがないと
やっていけない車社会の
街なんかには、それに乗って
出張だの転勤だのは出来やしない。

 まぁ今は仕方がないけど、
次は絶対に趣味のクルマを
一台買おうと思っている。
 今乗ってる、CF4アコードを
いじり倒す手もあるけど。
 
 そんな具合で、クルマしか
楽しみがない、田舎の青年みたいな
生活を送っている日々です。↓

 まぁあと、最近ホントに
事件が多いですよね。
 常軌を逸脱してバラバラに
してしまうやつ。
 よくそんなことが出来るよな と。
 

 

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2008年5月26日 (月)

ブラインドコーナー

 幸さんハイの幸さんですが、
最近はめっきりエントリーの
数も減り、いろいろと心配されて
いる方もいるのだと思います。
 まぁそうは言っても、
ああして逆転ゴールを
かます、涼しげな浴衣姿で
溜飲を下げた方が大多数かと
筆者は推察するのですが、
いかがでしょうか。

 しかし、せっかくなので、
流行のサンダルではなく、
下駄か草履にしてほしかったぞ。と。
 清坂亭でサンダルは、
ちょっとさびしい。
 赤い鼻緒でいって
欲しかったね。と。
 他が隙なしだっただけに。

 


 話し変わって、
 5/23、先週の金曜、
およそ9ヶ月ぶりに、筆者に
多くの影響を与えた方と、
久方ぶりに再会した。

 わざわざ筆者が出張地の
四日市まで来てくださり、
感謝の念が絶えない
夜となりました。

 仕事の話もいろいろ
したにはしたのですが、
いわく「早く嫁さんもらえ」と、
「四日市の女とこっちで暮らせ」
などと言うアドバイスを
いつもながらに頂戴しました。
 
 新潟にいた時は、
「新潟の女と~」で、
尼崎にいた時は、
「兵庫(関西)の女と~」と、
筆者の転勤地や出張地の
主語が違うだけで、
まぁとにかく早く、
結婚せえやと言うことでした。

 お互いが電車の時間を
ある程度気にしながらの
飲食だったので、この方と
飲るペースにしては、
非常に穏やかな感じの
会合でした。

 いろいろあるにはせよ、
早いとこ奥さんになる人を
みつけて仲良くならなければ
いけないのは毎度毎度の
課題なんですが、
どうにも旅の街では
上手い具合に口説けないのも
事実。

 流れ者気取って見たところで、
そりゃ岡林信康の唄みたいに
「現場終わったその日のうちに
俺もいないさこの町に」と、
うそぶくのは格好良いけど、
それじゃあ、あんまりだし。

 とにかく、この方をはじめ、
親以外に心配とご面倒を
方々にかけているのは
事実な様なので、
今後は一日でも早く
社会性を帯びて、
年齢不詳のあぶない
ことをする人と言う
定評も返上したいと
思うのであります。

 会社での、メンタルヘルスの
テスト結果が返ってきました。

 内容的には、
これまさに「オレの事」で、
どう言う傾向でこういう
結果になったのか、
それはテストを考えた人のみぞ
知る由と言いたいところなのだが、
テスト内容から推察するに、
同じような設問に同じように
答えていくと、そうなるんだろうなぁ
と言う感じがしたのでした。

 つまり、同じような設問に
同じように律儀に答えると言う
ことは、それだけ外せない
何かがあり、偏執でもあり、
律儀に答えると言うことは、
それだけマメで完璧主義者
なのだと、このテストでは
決め付けたいらしい。

 完璧主義者の傾向あり、
と結果が出てみても
別に驚きはしなかったけど。

 ただ、
「仕事も家事も必要最小限にとどめる」
ことをお奨めされたって、
そりゃ困りますよ。
 オレだってそうしたいしさ。
 むしろ、会社が催す
メンヘルのテストにしちゃ
至極公明正大なような
気もしないでもないけど。

 必要最小限にとどめて、
それが高効率で素晴らしい
成果を挙げるのなら、
べつに問題はないんだろうけど。

 無駄な動きもして
みたいじゃないですか。

 むしろ、無駄な動きを
忙しいさなかに
出来るのが、生活に潤いを
もたらすものだとも思うし。

 まぁ限度問題なんだろうけど。

 社会性帯びたいね。
 是非とも。

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2008年5月 4日 (日)

雨の中の帰郷

 昨夜、2日の晩、10時頃に横浜へ向かって
クルマを発進させる。
 
 事前の渋滞予測は全く問題ない
範囲で、大したことのないような
予測しかされていなかった。

 走り出してみると、伊勢湾岸道の
終点豊田から、浜松の先まで渋滞していた。

 静岡を過ぎた頃から本降りになって、
御殿場の山道はけっこうビビリながら
それでもアクセルを抜かずに、
全てのクルマを追い越して帰ってきた。
 いつもならとってもうざい、
大型のトラック達も、昨夜の雨では
機先をそがれ、おとなしく左側を走っていた。

 筆者の最近のアシ車は、CF4アコードの
SIR-Tと言う、MT5速のクルマで、
それにタナベの車高調を組んでいる。
 なんて言うか、このクルマのパフォーマンスを
出し切って走れるのならば、このクルマ
以上の性能はどの場面でも必要ないんじゃないか、
と思えるほど、低速も高速の伸びも、そしてコーナーでの
粘りもなかなか素晴らしい。
 
 そして、やっぱり、タイヤは少し高くても、
いいやつを選んで履いたほうがいい。
 雨の日に飛ばすと、実感する。

 16年型のVOXYは、最近になって
新車のフィールダーに乗り換えるため、
ディーラーに預けてしまった。
 スキークルマがフィールダーで、
高速の足がアコードと言う、
二台体勢でしばらくは行こうと、
そう考えている。

 まだ911なんかには、
乗れそうにないな、と
色々感じ入っている。

 最後の最後、保土ヶ谷バイパスでは
ハイドロプレーニングが続発していて、
クラウンのアスリートで飛ばしていたらしい
オジさんが中央のコンクリートウォールへ
激突し、停車状態だった。
 当然右車線を走っており、その
先頭だった筆者は真っ先にその
黒い停止物体を察知して、
左の車線へ除けたが、
筆者のアコードを必死で追いかける
アリストは、回避虚しく、その
クラウンと接触してしまっていた。
 クラウンが事故って、おそらく直ぐの
出来事で、クラウンの運転手もまだ
車内にいる様子だった。

 保土ヶ谷バイパスは、一般国道並みの
整備状況だから、その轍はなかなか酷く、
雨の日には、120km/h以上での走行は
大変危険だ。

 クルマでもなんでもそうだが、
自分の腕と相談しながら、
段々と限界を高めていく。

 これが基本。

 10時過ぎに四日市を出て、着いたのは
3時近かった。
 
 今朝起きたら昼の12時で、
しばらくぶりのマイベッドに安心して、
バカみたいに熟睡してしまったようです。

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2008年4月14日 (月)

鈴鹿おろし と言う

伊吹おろしの次は、
鈴鹿おろしの風。
西の方角から
烈しく吹き荒れます。
こう毎日、風に曝されると
旅暮らしなんだねとしみじみ。
クルマで職場に通ってるせいもあるけど、
行き帰り目にするものにも
代わり映えなくて、
なかなか鮮度を保つのが
難しい。
 何回目かの地方暮らしだけど、
改めて、オフ時の過ごし方が
大切だと言うことを実感しています。
 自分的には紛らわしで、いや親しい友人が皆無だから
結果的にそうなんだけど、
酒なんかを一人で飲み歩いて、
店側と自分、
どちらもが感情移入しづらい場所に居るのも
気が引けてしまう。
 昨日の日曜日はたまたま休みで、
鈴鹿サーキットにでも行こうかと考えて
いました。
 自分の好きな場所が、
近いんだけど行けない。
 行けば色々感じることがあって、
行きたいのだけど、行けない。
 旅暮らしで、ここにいること自体が、
移動する行動力を無意識
のうちに制限してしまうのかな。
 名古屋の街とか、どうなんだろうと考えている。
 でもやっぱり人なんだろうなと。

 胸躍るのは、気に入ってくれた人、
気に入った人のいる場所。

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2008年4月 7日 (月)

桜 葉桜 初鰹

 とかなんとか、小林旭ソングを
口ずさみながら横浜へ
帰ってきました。happy02

 トラックの人達は、
相変わらず140の車線に
100km/hくらいで切込んでくる。
 あまり記憶は定かではないが、
むかしはこんなにマナー悪かったかなとか
考えながら、四日市から約三時間無停車の旅。

 筆者の誕生日と言うことで、実家から
親父様が遊びに来て居られました。
 一緒にご飯を食べて、・・・
それだけなんですが。

 筆者が仮住まいの、御在所岳麓の桜は、
ようやく満開を迎えるところ。
 寒いからか、花見見物の人も
酒宴の一行も見かけない。
 それが何故なのかは、
本当のところは知る由もないけど。

 上越の高田公園に咲く
夜桜は、それはもう見事で、
待ちわびた春を祝うかのように
皆集い酔いしれる。
 都会の花見とは、実感の
こもり方が違う。
 雪に埋もれていた木々から
奇跡のように花が開いていくのだ。
 官憲も大目に見て、公共のエリアでの
飲食もOKと言うことになっている。
 

 途中、浜名湖沿いの道では、
葉桜から花びらが舞い散っていました。
 桜は散り際が美しい。

 横浜の桜は、すっかり葉桜で、
後はもう散り逝くのみ。
 何年かぶりに横浜の桜が
見れたのだから、まぁ良いかと。

 この4年間、転勤が続いていた。
 それも一般的な地方都市とは
かけ離れた規模の小都市への
転勤もあり、「旅の人」と揶揄されながら。

 今は、長期出張。
 色々あるにはあるが、片道切符じゃ
ないぶん全然気持ちが違う。
 文字通り「旅の人」でオーケー。
 地域社会に貢献しようとか、
大それたことも考えずに、
ただ出会った方々の気持ちを、
大切にして過ごそうね と。
 
 
 ここ5年ほどで、社会構造は
大きく変わっていった。
 速度が全く違っている。
 付加価値アリのものは、
全部が鮮度命の生ものばかり。

 でも、いろいろ先回りして、
策を打とうと、小癪(笑)な手を
使おうとする人がいるけど、
そんなん無理だよと。
 そんなに先のことが予測つく
ようなお人なら、あんさん
こんなところにおりゃしまへんやろ
と。

 混沌とし、速度を増していく世の中で、
いかに対応できるか、それも、
新しい価値を創出していくような
やり方で。
 常に準備しておけよ、と。

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2008年1月21日 (月)

今しかない ここしかない オレしかない

 今週は、横浜で技術系の講習が
今日から三日間あり、あと本社での
所用などを含め横浜の自宅に戻っています。

 昨日は寄り道して岐阜のめいほうと言う
スキー場で滑って、そのまま140km/hの
マイペースで帰ってきました。
 幸さんは雪を待ち望んでいるようですが、
東京では降らず、が御殿場辺りは結構な
降りでした。

 あと、毎シーズン出てる大会が、
新潟は上越国際で今週末の二連戦。
 なんか疲れているのでダメな感じですが。
 いちおうと言うか選手のたしなみで
準備はちゃんとしておこうと。

 昨日の帰りしな、携帯電話が壊れました。
 バックライトの故障みたいです。
 これはディスプレイが表示されないので、
携帯がまったく使い物にならない状態に
なりました。

 今日代替機に変えてもらいましたが、
データーのコピーが出来ないので、
いったいぜんたい誰に連絡しようと
思ってもアドレスが分かりません。

 ダメですね・・・
 買ってから半年とか、
そんな短期間で壊れるほうも
壊れるほうだが、いちばん頭にきたのは
そう言った端末に頼ってしまう思想を
帯びていた自分自身。

 昔だったら、逐一アドレスなんかを
その名もアドレス帖に書いていたものだけど。

 パソコンの検索サイトもそう。
 なんだか便利さにかまけて、
本格的に書籍を買い込んでのめり込むとか、
そう言うことをしないで疑似体験とか。

 現地・現場主義でいかなくちゃならないな。
 
 ありとあらゆる端末は、基本的には
足しになっていない。
 必要不可欠かというと、効率重視の
仕事をこなす向きには便利だけど。
 
 でも効率重視だとか、普遍的なところに
落ち着いてしまっている時点で
付加価値がない。

 もう一度、アタマの中を明瞭にすべき。
 
 目指すところは千載一遇。

 
 関内で受講していますが、
やっぱり横浜はいいですね。

 昼休みにフラっとすると、
お好みの洋食屋にぶち当たったり。
 今日はメンチカツランチでした。
 
 
 

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2007年12月25日 (火)

サンタクロースも早起きは辛い

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 メリークリスマス

 早くからみんな盛り上がり過ぎだって。
 
 イブの夜が明けて、朝の挨拶が
メリークリスマス。(だったよね)

 昨夜は、今朝3時起きだってことで、
9時には寝てしまいました。
 プレゼント配達のローテーションが
あるとか、べつにそういうのではなく、
朝早くから筆者の到着を待ちわびている人が、
産業界には居るってこと。
 まさに映画を地でいく世界だねっと
きたもんだ。
 

 日本の産業界の悪いところなんでしょうが、
この年末の差し迫った時期になると、
それまでの平穏を破るような
忙しさを求める人がいて困ります。
 「年内」「年度末」って言うと、
必ずイレギュラーな仕事をしようと
思考する計画立ての苦手な人が
いるんです。
 

 計画通り予定通り日々を過ごしていれば、
イブの晩に明日のことを考えつつ
早寝しなくても済んだものを・・・

 幸さんは、紀伊国屋スーパーかどうか
分かりませんが、
日本のクリスマス世相を
ウオッチしていたようです。
 幸さんと言えば、
サンタの次に赤の似合う人として
有名なんですが、
 サンタは男の役目なので、
これから先の人生も、筆者はプレゼントを
運び続けなくてはなりません。
 いえ、特定少数が対象となります。

 クリスマスと家族を同時に
考えると、筆者のところは
男三人兄弟なので、
どちらか言えば殺伐系だったかなと。
 えー、ツリーの飾り付けでケンカ、
ケーキの大きさでケンカ、
プレゼントの類でケンカ、
まぁ仕方がないって言えば
仕方がないのですが。

 クリスマスは、恋人と過ごすよりも、
プレ大掃除などをしながら
家族と過ごしたほうがよいのでは、と
筆者は考えます。
 
 クリスマスにしていることの大概は、
とくにクリスマスの時期にクリスマス料金で
しなければならない意義が薄いので、
それならば毎週がクリスマスってことで
準備万端でいつもいて、
恋人の不平不満を抑制したほうが
効果的なのではないでしょうか。

 話し変わって幸さんが言うように、
足を伸ばしてゆっくりと
温泉につかりたいですね。
 近くに湯の山温泉があるので、
その気になればって事なのですが。

 日本人は温泉へ入るために
仕事をしていると、
区切りのたびに温泉つきの宴会で
盛り上がる日本人を見て、
外国人は思ったそうです。

 幸さんの話を要約すると、
家族温泉でクリスマス、これ最強
ってことになるのかも。
 
 年内の仕事はもう少しで
終わるので、年末三日ほど
両親とララを連れて軽井沢に行きます。
 泊まるところは、
ちょっと高級ってのがポイントです。
(神農幸 風)

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2007年12月22日 (土)

イブの夜だぜ

 幸さんは早めのクリスマス
プレゼントを頂いてご機嫌な様子です。

 

 プレゼントしたいと思うし、
プレゼントするし。

 このような女性が身近にいて、
しかも色恋ない感情しかないのなら、
軽々と易々と渡しやすいのが
クリスマスプレゼントってものですよね。

 渡せなかったり、
届かなかったりする
プレゼントのほうが、
だいたい後を引いて、
後日忘れられないものに
なったりする。
 ああ、そういえば
そんなものを渡そうとした
ことがあったな と、
賑わう街のショーウインドウを
眺めて思ったり。
 
 案外、達成できなさそうな
「夢」「希望」といった類の
累々たる屍骸を道連れにして
歩んでいく人生も
捨てたもんじゃないなと。

 ただ、幸さんの書いていることは
まずもってもっとな事で、
誰だって家族以外の誰かから
クリスマスプレゼントを貰える
機会があれば嬉しいに決まっています。

 どんどん渡してください。
 貰ってください。

 ある意味では、貰えない身の上の
筆者が地方都市でひっそりとしているのも、
天の配剤と言えば、そんな大層なものでも
ないが言えなくもないなと。
 あげることもないから、
クリスマス資金は
来年にそのままスライドかな。
 とか なんとか。
 

 タイトルの、
「(ひでえな) イブの夜だぜ」は
映画ヘッドライト
主演のジャン・ギャバンが、
そのみすぼらしい安宿のベッドに
身を投じた時に思わず
口走った台詞です。

 まぁここでは、
フランソワーズ・アルヌール扮する
その安宿のメイド、
クロチルドとの出会いが
あるのですが。

 最初この映画を観たのは、
NHKの映画劇場で、
高一くらいだったかな・・・

 その時は、
いったい何がいいのか
さっぱり分からなかった。

 リンク先にもあるように、
内容は極めて不純な、
はっきり言えば不倫もの
なんです。
 
 まぁ色々あるのですが、
最後にクロチルドは死んでしまう
んですよ。

 いったい彼女の人生は
幸せだったのかな?と、
疑問符が108個ほど
飛び散る結末。

 この物哀しい、
救いようのないFinが
フランス映画の醍醐味らしいことを
知ったのは、それから少し後のことだった。

 不純な大人が、
その一瞬、純粋に
燃え上がる。

 人と言うか、
大人は、見たくもない
汚いもの見せられて、
或いは見に行って、
胸に手を当ててみて、
きれいかきたないか
問われれば、まぁ
汚いんじゃないかとか。

 そのようなものを
全部ひっくるめて面倒見るのが、
フランス映画の良いところ。

 クロが死んだ後に、ジャン扮するトラック運転手が、
あたかも弔い火でも上げるかのように、
その安宿を訪れます。
 そこでFinです。

 この三連休は、
しっかりと仕事が入っているので、
少しそんな古い映画を
思い出しました。

 冷たい雨。

 ジャン・ギャバンも
極々当たり前に貫禄の
演技をしていますが、
この映画の肝は、やはり
フランソワーズ・アルヌールが
演じたクロチルドに尽きますね。

 映画は女優でキマります。
 
 
 
 

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2007年12月18日 (火)

下駄履きの魔術師

 幸さんは、怒濤の忘年会シーズン突入だそうです。
 振袖ですよ。幸さん。
 しかも赤い。
 幸さんは細いので、和装では
忍ぶ川のお志乃さんって感じの
イメージです。
 三浦哲郎さんの名作で、
映画では栗原小巻さんが演じました。
 どちらもふくよかな和装美人って感じでは
ないのが良いです。
 いや個人的な好みです。すいません。
 
 
 筆者も和装好きの母親に、ハタチくらいの時
サンシャインシティーにある、きものやまとで
塩沢紬を買わされた経験がある。
 いや、買ってくれるのかと、
甘い幻想を抱いていたら、なんか保険の
解約金かなんかで支払われていた らしい。
 大して和服なんて興味なかったが、
それから数年間、正月と言えば
和服を着ていた。
 珍しいトンビなんかも持っている。
 下駄も凄いぞ。

 とかなんとか、とかく出費が
嵩むのは和装の真髄です。
 最近は、転勤なんかで落ち着かず
和服着るのも控えてました。しかしながら、
やはり浅草の新春歌舞伎を
観に行くのなら和服に限る。
 トンビのマント感覚が最高。
 もうそれをまとった瞬間、
江戸川乱歩の悪役か、
金色夜叉のお宮、貫一。
 「このバイタが~」と蹴飛ばす貫一。
 でもその後、二人は仲直りしたんだよね。
 親の言いなりで嫁ぐなんて、
お宮も気の毒っちゃ~気の毒。
 でも再会して仲直りできて良かった。
 和服は一見すると寒そうですが、
織りが非常に繊細なので風を通さないんですよ。
 だから見た目以上に温かい。
 いえ寒かったら正月に着ないけど。
 
 
 筆者は四日市へ出張というのが幸いしたのか、
それとも不幸な身分に落ちぶれたのか、
「怒濤の」とまではいかず、そこはかとない
雰囲気に包まれつつ、時々忘年会、
時々部屋でパスタを茹でたり、
グラタンを焼いたりして年末を過ごしています。
 ララの散歩も当然の如くルーチンです。

 新潟-尼崎と続いた連戦のさなかに
知り合った友が、今度の連休の間隙を縫って
酒を飲もうと誘ってきました。
 二人だからな。これは忘年会と
言えるのだろうか・・・
 まぁどうゆうの。
 あまり人数多めの酒宴は実際好きじゃない。
 なんて言うか話題が定まらないし。
 いやいつでも話題の中心にいれば、
それはそれで良いんじゃないかって
言う人もいるけど。
 ただそれって酒の量が増えるんですよ。
 ネタを魔術師のように繰り出す
筆者のような男は、ともすると
酒宴で反感や嫉妬(ウソ)をかこうことも
しばしば。
 だから自分から進んで窮地に陥るような
大勢での酒宴は避けていきたいですね。
 いや文字通り大人しくしていれば
いいんじゃないかと思うのですが。
 オレのハートがNOと言う。

 最初、尼崎と四日市の中間地点っぽい
祇園あたりに繰り出そうと思ったのですが、
舞妓さんに見とれて目が泳ぐのも
なんだか筆者のキャラそのままで
善良な京都市民に申し訳が立つまい、
のぉ坂本どん。

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2007年12月16日 (日)

ワイパックス片手のジェットマシン

名も無い港に
桃の花は咲けど
旅の町には
安らぎはないさ

四日市で生活を始め、
やはり横浜や
東京のことをよく
考えます。
幸さんはボロ市に
行って、寒さと喧騒を
満喫したみたいです。
筆者も出店したかったです。 例えば横浜に、何の気無しに居たのなら、
サッカーを観に行ったかも知れないし、
実家の武蔵関ボロ市に
行っていたかも知れない。

って考えるだけで、
泣けてくらぁ。

で、酒でも飲んでなきゃ、
やってられないぜ

と思うのですが、
ところがどっこい、
心に風が吹く。
吹いてくるのは、
スリルか愛か。

PHP出版の歴史街道、
坂井三郎と零戦、などを
大人しく読んでいます。

地方にも方々行っていますが、
名古屋のベッドタウンと化した
ここ四日市や菰野も、その陰影が
年々濃くなっているのだろうな。
町の活力ってなんだろうなって
考えるとき、
それはそこへ住む人々の、
燃える闘魂とたゆまぬ努力に外ならないと。
筆者は、考えます。

地方へロードに出かけるたび、
自分は地元の人々の代打なんだと意識します。

地方たる地元に燃える闘魂とたゆまぬ努力が
常に根付いていて、
優秀な人材がいるのならば、
筆者のような愚鈍で
地方の悪口ばかり
言っている人間の、
出る幕なんてないんです。
四日市も他のエリアのご多分に漏れず、
やる気満々で仕事に当たっている、
じもてぃーは非常に
稀だと。

こんなことをぐちゃぐちゃ考えずに、
筆者は幸さんと幸せな国を
創る道筋を考えて行きたいぞっと。

早くスキーに行って、
リフト上でぼんやり
木立でも眺めたいなと。

今日は、初めて携帯からエントリーです。

二重生活なので、部屋に光は引きません。

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2007年11月19日 (月)

冬こそ獣は走る

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 先週金曜日は、富山から帰ってきた
友人氏と目黒でシャウト。
 もう一人の友人氏が合流したのは、
終電間際で残念な心模様だった。
 二軒目に入った、ロンドンパブは、
ロンドンパブと名売っているだけあって、
大使館関係者と思しきフォリナーがいたりし、
そこかしこで英語が飛び交っていた。
 ただ筆者はJapanese onlyなので
あまり意味がないし、分からないし、
しかもロンドンよりも値段は高いし、
ビールも冷えすぎていた。
 あまりよろしくない。

 土曜、日曜と涼しさが増した
このアジアの地でおとなしく過ごす。

 今日、明日と四日市なのですが、
企業立地の建設ラッシュで宿が都合つかず、
津まで来ている。

 津と言うと、徳川家康の一番子分だった
藤堂高虎
開いた町であり、しかしその後は官軍に与し、そのことから県庁所在地があったりしている。

 新潟もそうだけれど、官軍に与した不届きな藩が
あったところが県庁所在地になったりして、
なんだか中心でもなんでもないような
ところにあって不便なような感じがする。
 感じがするだけだ。

 北方謙三氏のクライムノヴェルでもある
エントリーのタイトルですが、
幸さんも書いている?ように、
バイクは冬のほうが気分が良い。
 なぜかと言うと、空気が澄んでいて
澱みがないし、空気を切り裂いているようで
本当に気分が良い。
 ただ調子こいていると、よく風邪を引く。
 しかし風邪を引いている状態で
ゴホゴホほどほどに言わせながら
不健康に振舞うのも、
なんだかバイク乗りらしいといえば、
らしいとも言えなくもない。

 タイトルの小説では、
ルノー5(サンク)ターボと言う、
RR(リアエンジン-リアドライブ)の
グループBラリーカーを操る無茶な
若者が主人公でした。
 しかし筆者はシトローエンをこよなく
愛していたので、CX25GTIターボと言う
クルマをイギリスから運んでもらって
乗ったりしていました。
 このCXターボは竹村さんと言う
少なくとも関東ではシトローエン血中濃度が
一番高いところから購入したのです。
 しかし贔屓目に見てもよくこわれました。
 今だったら「フランス人の休みは長い」とか
NAVIの編集長ばりの台詞を吐けるかも
ですが、あの頃の筆者はラテンの情熱よろしく
まだ若かった。
 でもあの手のクルマはもう二度と
現れない。シトローエンの中の人の
天才が情熱を注いだ名車CXターボ。
 竹村さんのところにも無い。
 

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