横浜へ帰ります 陽はまた昇る
三重県鈴鹿市でのJOBが
終わり、明日か明後日には
横浜へ帰れることになりました。
考えてみると、ここ6,7年は
横浜と地方を行ったり来たり
行ったきり。
2003年には新潟県妙高市(旧新井市)の
事業場へ転勤、ここで4年弱。
ここでの転勤生活は、とても
辛いものでした。
それがゆえ、その後の社会人生活や
会社の中での一企業人としての
考え方に大きな影響を与えた。
大抵のものには驚かないぞ と。
その後、兵庫県尼崎市で6ヶ月。
これも転勤。転勤は会社の言いなり、
横浜に住居を持つ身にとって
完全な二重生活。余禄もない。
最後は経済的な理由が一番大きく
転職を志し、東京に本社がある会社へ移る。
2007年の11月から三重県の四日市、
2009年の1月まで滞在。
2009年の3月から現在の11月初旬まで
三重県鈴鹿市で出張勤務。
出張であるが故、手当てが厚い。
ほんとうにありがたい。
感謝しきりだ。
結局のところ、言葉よりそう言った
経済的側面でのサポートが
働く側のモチベーションを向上させる。
現在の会社は、穏健で、
とても仕事がしやすい。
これと言って大きな不満も無い。
人が大切だと言って、
そのように接してくれる。
言うまでも無く、
筆者はそれらの人たちに
発掘されたのだ。
転職をしたのが2007年だから、
先を見越して動いたのは正解だった。
サブプライムの関係で、
ここまで景気が落ち込むとは
思わなかったが、転職を志す時には
すでに、ものづくりの側は飽和状態近し
の兆しは目に見えていた。
アクセスログで、このブログを
以前勤務していた企業の何人かも
読んでくれているみたいだ。
問題提起をしたり、
以前は人が耳障りに感じることも
構わず書いてきたし、言ってきた。
もちろん解決の糸口に
なることもだ。
耳障りに感じることと言うのは
大概が的を射ていて、
ならばそれを足がかりに
革新を試みれば良いはずなのだ。
でも人は動くこともせず、
ただその耳障りさを、または
それらを発信するものを
黙殺したり、貶めたり、
あと少しで終わるであろう
経済活動期間での安寧さを
求めたがる。
歳相応な対応なら
分かるけれど、
なに大物ぶってんだってくらい
似たような年代で権威付けに
躍起になっているような輩が
徘徊していた。
それらすべてに見切りをつけ
正解だったと思う。
汗で体はぐっしょり濡れていくけれど
心までは濡れない。
沈まぬ太陽にあらず、
陽はまた昇る。
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