2009年4月21日 (火)

1,000円は、ありがたい

 会社の健康診断で帰郷。

 先週は土曜日の夜に鈴鹿から横浜へ
帰りました。

 土曜日の夜は物流の
貨物車もまばらで、
1,000円の恩恵を被りつつ
帰宅しました。

 なかなか暖かくならない
昨今、こんな時は
地球温暖化と騒ぐ
環境ビジネスを食い物にする
輩もマスコミには登場してこないものだ。

 それにしても土曜の夜は
冷え冷えとしていた。

 月曜の夜に鈴鹿へ戻るのに、
また東名を使ったけれど、
新しい年度が始まって、
すこし貨物車の交通量が
減ったように感じた。

 たまたまそう言うタイミング
だったのだろうけど。
 90km/hで右車線をノロノロ
走るトラックを強引にパッシング
することが数回程度。

 昨年度末は数十回じゃきかない
レベルだったから、だいぶん
ストレスが目減したのだった。

 でも後ろを確認しないで
右車線に切れ込んでくる
トラックは相変わらず。

 白ナンバーだろうが、
緑だろうが、大手の物流会社だろうが
そんなものは基本的に
無法な所作を身に着けた
雲助まがいのトラック運転手には
関係が無い。


 乗用車だけ恩恵を
享受できる、土日の夜が
長距離移動には良い。

 前にも書いたけど、
トラックにもその恩恵を
与えたら、陸上輸送がますます
増えて、道路が必要だよって
議論になりかねない。

 それだけは避けたい。


 
 前段で書いた、
漢字能力検定協会の大久保浩氏。

 この方は、レース界では
「JIM GAINER」の人そのもので
通るのだという話。
(ホントはJIM CENTERの人だけど)
 件の童夢HP、F20シェイクダウンに
「JIM GAINERの大久保」との記述が
あり、なるほどなと。

 90年代の後半頃から
手始めにフェラーリのカップレースに
(金だけ馬鹿みたいにかかる金持ちの草レース)
出て、その後レーサーとしては遅くて
仕方がないので、
(レース用語で言うウンコ)
レースチームの運営と、時々の
スポーツ走行くらいで止めておいて
いたようだ。

 レースや自動車が好きなのは
分かるのだけれど、
好きなものに食い物にされ、最後は
大恥かいたって感じの風評が
レース界にはありあり。

 

 同義的にも、ああやって
テレビで謝罪に及んだのも、
それが公益法人であるからに
他ならないわけで。

 個人経営から初めて、
いま儲けに儲けて
好きなレースにその金を
投入しても誰も何も
嫉妬はすれど文句なんか
言える様な筋合いじゃないわけでして。

 あと、やっぱり
オヤジの後にのほほん
とくっついて、
美味しいところを持って行く
手法が男として情けが無いと、
個人的には思う。

 京都老舗呉服屋の若旦はんみたい。
 

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2009年1月26日 (月)

レースの町、鈴鹿。

 実は出張が明け、
年明けの本社に戻って勤務を数日
すごした後、次のJOBが
直ぐに決まった。

 今度もと言うか、
また三重県で、四日市の
隣町、鈴鹿市が今度の舞台。

 いまの世相から言って、
こうして直ぐに社会から
必要とされるのは
本当にありがたい話だ。と思う。

 少しの間、横浜にいそしむ
心積もりだったけれど、
上記のように次の舞台が
早々に決まった。

 なんだか少し落ち着かないなぁ
と言う精神状態などから、
この週末にかけてエントリー
していたスキーの大会は
キャンセルしました。
 全然練習も出来ていないし。
 今シーズンは、まだ蔵王での
はちゃめちゃな初滑りだけです。

 先週、鈴鹿に行ったけれど、
サーキットの近辺は何もかもが
変わっていた。
 初めて訪れたのが、高2の頃だから
かれこれ20数年前になる。

 あの頃は、サーキットの周辺には
殆ど何も無く、平田町の駅周辺に
ほんの少しお店があったくらい。
 駐車場も、サーキットのグランドスタンド
前のところにでも、
サーキットランド入り口ゲートの直ぐ脇にでも
クルマは置けた。ノスタルジー。

 今年はフォーミュラ1が
戻ってくるので、先週前を
通ったときも盛んに改修を
行っていた。

 筆者のお客さんのところは、
サーキットのすぐ北側にある。

 フォーミュラ1の時は、
もう仕事も済んでいるんだろうけど、
8H耐久の時は凄い混雑で
仕事にならないかも、そんな
ことを考えながら仕事ついでに
出張部屋を探していた。

 ある程度は予測できたが、
有期雇用の契約打ち切りなどで、
部屋はどんどん空きが出てきている
様子。中部地方の落込みは激しい。
(賃料はまだ下がっていないけど・・・)

 こうして旅打ちの博徒の様に
出張に次ぐ出張の暮らしは、
あと10歳も若ければなんの
気にもならない。
 人は「大変でしょう」と言う
けれど、たぶん「大変だ」とか
「苦しい」「そんなものは出来ない」と言う
マインドは、どんどん自分の行く先を
狭めてしまう。
 有期雇用の人達の一部も、
余りにも仕事を選んでい過ぎる
現状が指摘され、
「やっぱりな」と言う心象を
社会に与えてしまった。
 
 「オレはこれしか出来ない」
と言う、言える事は、実は
楽なんだと思う。

 企業がグローバル化を
進めていく中では、
昨日迄は技術系、今日からは人事
なんて言う配置や起用は
ごく当たり前にある。

 実はレースや競技と言う
ものを好んでするマインドには
理由がある。

 レースと言うのは、
もちろん競争相手がいることで
成立するものが殆どなのだけれど、
レースの本質は自分との
競争に他ならない。
 自分との競争に
勝つと言うことは、
Excuseを虱潰しに
していくことだ。
 
 自分の気持ちに素直で
自分に嘘をつかない。
 言葉にすると陳腐で
どうしようもない作業に
思えるようだが、
これは案外いちばんしんどい。

 最初の目標や志が
低くてもいい。
ただ一度それを
やり遂げると、
借り物で無い価値観や
自分だけの言葉を
発することが出来る。
 安易に迎合しなくなるし、
座標軸もぶれずに進める
ことが出来るだろう。

 長い長い2009年も、
ひと月目を過ぎようとしている。

 ララには申し訳ない
けれど、旅に付いて来て
もらうやに。(三重弁)

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2008年8月 4日 (月)

ヨットマン(仮)の憂鬱

 三重県は河芸、鳥羽、そして琵琶湖にも
行ってレーザーを探してきましたが、
取り扱ってなかったり、譲れるような
艇が無かったり・・・

 あっても、そこの管理置き場に
保管するのが条件で、そう言うとこは
艇はタダかタダ同然、保管料が少し高め。

 筆者が真鶴の岩港に、
ヤンマーFX24というボートを
置いていた時は、陸置きで
2万円/1フィートだった。
(年々値上がってて、最後は3万くらい)
 だから毎年最低でも60万弱はかかる訳で、
ディンギーのシングルハンド艇を
ロケットと呼ばれるラックに
葉山や逗子で12,3万払って置くのよりかは
だいぶ維持費がかかる。
 さらにボートは上げ下ろしにも、
幾らかの費用がかかる。

 港は基本的に漁師のもの。
 日本の海を取り巻く権利関係は、
入会(いりあい)権のあった江戸時代に
さかのぼって、殆ど進歩していない。
 漁師はお上に鑑札代を払っている。
 だからお上から許可を受けた、
海は漁師のもの らしい。

 

 ディンギーは、艤装からして
乗る人が出来てしまう範囲なので、
はっきり言って、売った後の
ショップに旨みは少ない。

 マリンショップやハーバーが、
30フィート楽々オーバーの
ボートやセーリングクルーザーを
扱いたがるのは、そりゃそっちのほうが
儲かるから。
 保管料と内燃機、ペラ等のメンテナンス。
 係留艇なら喫水部の防錆・防貝塗装。
 年に何回か乗る程度の人が殆ど。
 でも横浜ベイサイドマリーナなら、維持費で
中古の程度良いメルセデスSが買えてしまう。

 日本の海岸線は、走ってみれば
よく分かるけど、単調でつまらない。
 
 景勝地では岩がボコボコしていて、
気持ちよく走ることなんて出来はしない。

 それで最後は結局釣りに流れていく。
 釣りぐらいしかすることがない。

 のんびり派以外は、ウェイクボードなどに
挑戦している。でもこれだってそんなに
楽しい感じがするものでもない。

 やるなら、潮っ気のない湖でやったほうが
気持ちがいい。

 

 ディンギーはまだ少し可能性がある。

 三重に居るうちは津において、
横浜に帰ったら自宅に保管、
カートップで持ち込む。
 
 年に保管料だけで12,3万円も払うのは
気が引ける。

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2008年8月 2日 (土)

蜘蛛の糸を、身にまとい

 道や公園を、ララと
一緒に歩いていると、
必ずと言ってよいほど
蜘蛛の糸の洗礼を受ける。

 新潟は上越にいたときも
そのようなことは度々有った。

 湿気がすごいから、
道の真ん中を歩いていても、
そこには蜘蛛の歩道橋が
かかっていたりする。

 ここ三重県は菰野エリアも、
例外なく蜘蛛の巣がそこかしこに
発達している。
 
 頭とか顔に、蜘蛛の糸が
からまって気持ちの良い人って
いないよね。
 いつもいつも「うわ゛わーーー」って感じ。

 この蜘蛛の糸にからかわれ始めると、
田舎に来たな~と思うし、
都会への郷愁に襲われる。

 そんなに蚊がいないのが、
せめてもの救いだ。

 ただ、コガネムシやら毛虫、
カミキリムシ、セミ、蛾、かとんぼ、
ありんこ、筆者が住む、マンションの
廊下にある外灯めがけて、
夜には集まってくる。

 最近は近所からの苦情で、
この外灯は外してしまったみたい。

 都会のそれのように、
ブラックライトの外灯に
変えればいいのに。
 そう単純に思うけれど、 
田舎の人は、
そう言うのがあることを知らない。

 あと、基本的に涼しくなれば
虫たちも居なくなるだろうから、
外灯の問題は、
いずれ時間が解決してくれる。

 地方都市に住むと、
こういう「時間が解決」みたいのが
非常に多い。

 これは基本的理念が
変化を望んでおらず、
ゆえ、50年以上も長きに渡って
保守政党の一党体制を支持してきた。

 民衆のマインドがあるからこそだ。

 でも、既に役人が散在して、
使って無くなってしまったお金や、
どうしようもない少子化問題、
暮らしやすくなろうと、或いはしようとする
積極性に欠けることは問題だ。

 それなりの施政で満足することに
慣れきり、どうしようもない状態でも
変化を望もうとする強い心は生まれてこない。

 なぜかなと。
 たぶんそれを成すには、
すごい摩擦が生じて疲れるから。

 ものすごい数の言い訳と、
虫たちの累々たる死骸。

 印象的。
 

 

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2008年6月14日 (土)

蟹工船やロスジェネと、浅尾大輔

 このあいだテレビを見ていたら、
全労連オルグ・国公一般書記次長で(元?)
雑誌ロスジェネ編集長の浅尾大輔が
出演していた。
 この人は文士なのだと言う。

 最近は左翼も新左翼も、右傾化の
波に押されて全くと言ってよいほど
目立たなくダサい存在で、
浅尾某のことも、筆者は知らなかった。

 浅尾某は、世間の評価によると、
「現況の非正規雇用のありかた」について
舌鋒鋭く批判しているのだと言う。
 国公一般の労組専従らしかったので、
多くの恵まれない、公務員の中で
働く非正規雇用者を見てきたのだと
自負している。

 笑っちまいます。そして、

 ちょっと待てと言いたい。

 浅尾某が支援している対象者は、
ホワイトカラーや大企業で働くことに
固執したり、自己実現だかなんだか
知らないが、自分の好きな仕事に限定して、
職探しをしていまいかと。

 自分の能力や、来歴を顧みずに、 
無理、無茶な望みを持ってはいまいかと。

 職種さえ選ばなければ、
正規雇用の道は幾らでもある。
 
 その会社は大きなビルではない
かも知れない。
(そりゃ大きなビルに出社して、
夕暮れ時に大きなビルから出てきたほうが
格好がいい)
 いわゆる3K職場かも知れない。
 汚い作業着での業務執行を
強いられるかもしれない。
 搾取の色合いが濃い、
職場なのかもしれない。

 給料、福利厚生はそこそこだとか・・・

 だが、そこからしかスタートがきれない
身の上なのならば、
その場所から自己変革を試みて
日々挑戦の日々をおくれば良いのだ。

 朝日新聞含めこの新左翼のばか者どもは、
呪いのすべを若者に吹き込んでいるだけだ。
 まったく生産性がない。
 そもそも生産性の低さから、
アカの理論と国は崩壊した。
 その矛盾に気づけないのは、
もう愚の骨頂としか言いようがない。
 汗まみれ、泥まみれになって働き、
早朝と深夜に研鑽を積むものを尻目に、
集会だの交渉だのに執心ならば、
一生涯呪い節の無限ループから
抜け出ることなど出来はしまい。

 
 小林多喜二や日本共産党に対して
頭にくることは、自分らは綺麗な
服装で人前に出てきて、
労働者の親玉みたいに
振舞うことだ。
 人民服とまでは言わないが、
作業着でおおっぴらに
振舞えば良いではないか。

 小林多喜二の、想像の世界でしかない
蟹工船が売れていると言う。

 今のアカの手先どもは、
自分を危険の及ばない場所に
おいて交渉だのしているだけ。
 労働者の側にいても、
その実は労働者ではないから、
まったくこの手の人種を
信用することは出来ないな。

 交渉なんて甘っちょろいもの。
 すべて実現されなけば
意味がないとされる、
実業の世界で、交渉なんて
甘美なものは賞賛に値しない。

 小林は拷問死で自己完結した分、
まだ救われている。
 転向しなかったわけだ。

 
 蟹工船が流行っているとか、
新左翼陣営のアジに過ぎない。
 もうそれくらいしか、戦うすべが
無いと言うことでもある。
 これだけモノがあふれ、
豊かになった国に住むのだから、
現在ある労働の不幸を持って来ても
少数派でリアリティーがない。
 大衆に訴えかけるネタが
現在どこにも見当たらないから、
「蟹工船」なんて遺構を引っ張り出して
不幸な身の上ごっこを仕掛けているのだ。
 

 非正規雇用者たちよ、
今の職場に不満がありあり
と充ちてきたら、
 
 服は汚れ、体を濡らし、
穴を掘れ。山を削れ。
 水を貯め、流せ。
 火を燃やせ。
 魂を打ち込めて働け。
 口汚いジジイどもに
罵られ、殴られ、脅されても
けっして諦めないで行け。
 
 お前たちが不満なのは、
せいぜいが、その立場だけだ。
 だから周辺が騒がしいだけで、
真剣で真摯な活動自体と、
その広まりが見えてこない。
 
 本当に不満があって、
怒り心頭しているとは思えない。

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2008年5月30日 (金)

本牧ベイカーズストリート

 今週末は、4週間ぶりに横浜へ帰ります。
 こうして出張地や、転勤地で長々と
過ごすことも慣れました。
 慣れたのと、だからそれが良いのか
とでは意味が異なるけど。

 やっぱり仕事以外の知り合いが
いないのはきついなと感じる。
 仕事がきっかけでもいいから、
気の許せそうな損得・利益等抜きの
関係を築けそうな人も、今はいない。

 それでこの間、こちら三重の
エリアではじめて床屋に行きました。
 「ひろたこういちのカットハウス」とか
そんな名前の店だったのですが、
ここは広田民郎さんと言う
モータージャーナリストの実家だった
ようでした。
 あと、店長さんが、自分が車高調を
組んでもらった店の同級生だったりして、
クルマの話を床屋談義でしてました。
 だからどうしたってことも無いけど、
こちらで初めて地元の人と長いこと
話した気になりました。
 ここへは通いたいと思いましたね。

 会社からは、「もっと会社に来なさい」
(出張なんだから、どんどん帰着していいよ)って
内容の話を頂いているのですが、
いかんせん、ララを乗せて東名を
行ったり来たりするのも疲れるので、
一ヶ月に一回くらいかなー。
 あと、東名は事故多いしね。

 往復約800kmですが、
週末の短い間にやるのは
骨の折れることですバイ。

 バイクなんかも置きっぱだし、

本当は沢木竜一みたいに
本牧ふ頭をかっ飛んで、
マリンタワーの見える
どこかにバイクを置いて
タバコでもふかしてやりたい。
 やっぱり、横浜はバイクで
疾走したい街だよな。
 何の気なしに、プラっと
出かけて、そこいらにバイク置いて
気になったところ、店に
分け入って行く。
 
 バッテリー上がりで走れないけど。

 

 ルミオンを注文したものの、
いまいち心躍るようなクルマではないし、
仕方がないんだけど、ちょっと後悔
している。
 予定通り計画通り、ゴルフGTI程度に
しておけば・・・
 

 外車って、日本全国どこの
ディーラーに持って行っても
相手してくれる訳じゃないし、
前にメルセデスベンツの300TE
4MATICに乗っていたときは、
新潟で高い金払って、某店で
メンテしてもらってた。

 横浜にいた時は、
世田谷のはずれにある
溝畑さんというベンツの修理やさんで
面倒見てもらってた。
 ここは、もう安くなった同等品の
部品でメンテしてくれるので、
プアリルボーイな筆者には
頼もしい存在だったのです。

 当たり前なんだけど、
ベンツは重たく出来ていて、
それで乗用車のベースで
言ったらそりゃ国産なんか
全く比較にならないほど
剛性感がある。
 音も、乗ってると
とても静かだし。

 シトローエンは・・・
さんざん乗ったけど、
味わい深い車種は、
完全に趣味の世界に
入っていて実用向きじゃない。
 カローラが一台あって、
それでシトローエンの
CX-turboとかDSあたりの
を乗っているなら良いかな。
 とにかく一台足クルマがないと
正直しんどい。
 あと、クルマがないと
やっていけない車社会の
街なんかには、それに乗って
出張だの転勤だのは出来やしない。

 まぁ今は仕方がないけど、
次は絶対に趣味のクルマを
一台買おうと思っている。
 今乗ってる、CF4アコードを
いじり倒す手もあるけど。
 
 そんな具合で、クルマしか
楽しみがない、田舎の青年みたいな
生活を送っている日々です。↓

 まぁあと、最近ホントに
事件が多いですよね。
 常軌を逸脱してバラバラに
してしまうやつ。
 よくそんなことが出来るよな と。
 

 

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2008年5月26日 (月)

ブラインドコーナー

 幸さんハイの幸さんですが、
最近はめっきりエントリーの
数も減り、いろいろと心配されて
いる方もいるのだと思います。
 まぁそうは言っても、
ああして逆転ゴールを
かます、涼しげな浴衣姿で
溜飲を下げた方が大多数かと
筆者は推察するのですが、
いかがでしょうか。

 しかし、せっかくなので、
流行のサンダルではなく、
下駄か草履にしてほしかったぞ。と。
 清坂亭でサンダルは、
ちょっとさびしい。
 赤い鼻緒でいって
欲しかったね。と。
 他が隙なしだっただけに。

 


 話し変わって、
 5/23、先週の金曜、
およそ9ヶ月ぶりに、筆者に
多くの影響を与えた方と、
久方ぶりに再会した。

 わざわざ筆者が出張地の
四日市まで来てくださり、
感謝の念が絶えない
夜となりました。

 仕事の話もいろいろ
したにはしたのですが、
いわく「早く嫁さんもらえ」と、
「四日市の女とこっちで暮らせ」
などと言うアドバイスを
いつもながらに頂戴しました。
 
 新潟にいた時は、
「新潟の女と~」で、
尼崎にいた時は、
「兵庫(関西)の女と~」と、
筆者の転勤地や出張地の
主語が違うだけで、
まぁとにかく早く、
結婚せえやと言うことでした。

 お互いが電車の時間を
ある程度気にしながらの
飲食だったので、この方と
飲るペースにしては、
非常に穏やかな感じの
会合でした。

 いろいろあるにはせよ、
早いとこ奥さんになる人を
みつけて仲良くならなければ
いけないのは毎度毎度の
課題なんですが、
どうにも旅の街では
上手い具合に口説けないのも
事実。

 流れ者気取って見たところで、
そりゃ岡林信康の唄みたいに
「現場終わったその日のうちに
俺もいないさこの町に」と、
うそぶくのは格好良いけど、
それじゃあ、あんまりだし。

 とにかく、この方をはじめ、
親以外に心配とご面倒を
方々にかけているのは
事実な様なので、
今後は一日でも早く
社会性を帯びて、
年齢不詳のあぶない
ことをする人と言う
定評も返上したいと
思うのであります。

 会社での、メンタルヘルスの
テスト結果が返ってきました。

 内容的には、
これまさに「オレの事」で、
どう言う傾向でこういう
結果になったのか、
それはテストを考えた人のみぞ
知る由と言いたいところなのだが、
テスト内容から推察するに、
同じような設問に同じように
答えていくと、そうなるんだろうなぁ
と言う感じがしたのでした。

 つまり、同じような設問に
同じように律儀に答えると言う
ことは、それだけ外せない
何かがあり、偏執でもあり、
律儀に答えると言うことは、
それだけマメで完璧主義者
なのだと、このテストでは
決め付けたいらしい。

 完璧主義者の傾向あり、
と結果が出てみても
別に驚きはしなかったけど。

 ただ、
「仕事も家事も必要最小限にとどめる」
ことをお奨めされたって、
そりゃ困りますよ。
 オレだってそうしたいしさ。
 むしろ、会社が催す
メンヘルのテストにしちゃ
至極公明正大なような
気もしないでもないけど。

 必要最小限にとどめて、
それが高効率で素晴らしい
成果を挙げるのなら、
べつに問題はないんだろうけど。

 無駄な動きもして
みたいじゃないですか。

 むしろ、無駄な動きを
忙しいさなかに
出来るのが、生活に潤いを
もたらすものだとも思うし。

 まぁ限度問題なんだろうけど。

 社会性帯びたいね。
 是非とも。

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2008年5月19日 (月)

ルシファーの話②

 なぜ今ルシファーなのかと言うと、
楠みちはるさんが連載している、
劇画「湾岸ミッドナイト」の中で、
これら一連のルシファー話が、
言及されているから。
 つい触発されてしまいました。

 悪魔のZと言うクルマが、
このルシファーをモチーフに
描かれていて、その考え方の
向きが興味深い。

 神に逆らって天国を
追放された堕天使ルシファーは、
東の空にたったひとり輝く
と言う、くだりがいい。

 楠木みちはるさんは、
かつて「あいつとララバイ」と言う
ラブコメ風のバイク漫画を
連載していて、この時期に
多感な高校時代を過ごした
筆者は、無駄に熱中していた。

 筆者が出身地の東京を
離れ、横浜に居を構えた理由も、
「あいつとララバイ」の舞台が
横浜の西部であったからに
他ならないし、
「lullaby」と言うHNも相当期間
使っていて、犬の名前も
「ララ」だったりする訳です。

 目に見えないもの、
いいえ見たままそれが全て
って言うのは、なんとも
即物的でやりきれない。

 見たものから、咄嗟に
想起できるようなイマジネーションを
いつまでも保持していたいものだ。

 


 

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2008年4月 7日 (月)

桜 葉桜 初鰹

 とかなんとか、小林旭ソングを
口ずさみながら横浜へ
帰ってきました。happy02

 トラックの人達は、
相変わらず140の車線に
100km/hくらいで切込んでくる。
 あまり記憶は定かではないが、
むかしはこんなにマナー悪かったかなとか
考えながら、四日市から約三時間無停車の旅。

 筆者の誕生日と言うことで、実家から
親父様が遊びに来て居られました。
 一緒にご飯を食べて、・・・
それだけなんですが。

 筆者が仮住まいの、御在所岳麓の桜は、
ようやく満開を迎えるところ。
 寒いからか、花見見物の人も
酒宴の一行も見かけない。
 それが何故なのかは、
本当のところは知る由もないけど。

 上越の高田公園に咲く
夜桜は、それはもう見事で、
待ちわびた春を祝うかのように
皆集い酔いしれる。
 都会の花見とは、実感の
こもり方が違う。
 雪に埋もれていた木々から
奇跡のように花が開いていくのだ。
 官憲も大目に見て、公共のエリアでの
飲食もOKと言うことになっている。
 

 途中、浜名湖沿いの道では、
葉桜から花びらが舞い散っていました。
 桜は散り際が美しい。

 横浜の桜は、すっかり葉桜で、
後はもう散り逝くのみ。
 何年かぶりに横浜の桜が
見れたのだから、まぁ良いかと。

 この4年間、転勤が続いていた。
 それも一般的な地方都市とは
かけ離れた規模の小都市への
転勤もあり、「旅の人」と揶揄されながら。

 今は、長期出張。
 色々あるにはあるが、片道切符じゃ
ないぶん全然気持ちが違う。
 文字通り「旅の人」でオーケー。
 地域社会に貢献しようとか、
大それたことも考えずに、
ただ出会った方々の気持ちを、
大切にして過ごそうね と。
 
 
 ここ5年ほどで、社会構造は
大きく変わっていった。
 速度が全く違っている。
 付加価値アリのものは、
全部が鮮度命の生ものばかり。

 でも、いろいろ先回りして、
策を打とうと、小癪(笑)な手を
使おうとする人がいるけど、
そんなん無理だよと。
 そんなに先のことが予測つく
ようなお人なら、あんさん
こんなところにおりゃしまへんやろ
と。

 混沌とし、速度を増していく世の中で、
いかに対応できるか、それも、
新しい価値を創出していくような
やり方で。
 常に準備しておけよ、と。

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2008年1月12日 (土)

HAPPY&BLUE

 幸さんはケイト・モスばりのヘアチェンジを目論んで、
髪をお切りになったそうです。
 本人いわく「微妙」ヘアチェンジらしいのですが、
そのお姿を是非見たかったなと、悔恨。
(悔恨って、そんな大げさな・・・)

 手帳はどんなでしょうか。
 筆者の出張地三重県では、
よく「手帳は高橋」のCFが流れています。
 今年は薄いBlueの表装になっている
のを買い求めました。 Image091
 もちろん「高橋」のです。うひゃ
 一緒にペン先の細いぺんてるハイブリッドの青も
買います。いつもの通り、進歩なし。

 幸さんは、HAPPYなオーラをまとい、
HAPPYを引き寄せる
と、書かれておりますが、
まぁなんと愛くるしい言葉なんでしょうか。

 考えるに、筆者の場合は男なので、
HAPPYなことがあっても人前では
下を向いてニヤニヤしていることのほうが
多いですね。
 あとまぁ男女問わず、HAPPY人でない人から
思わぬ攻撃を受けることもあるので、
HAPPYな時ほど慎ましやかに
気をつけて行動するようにします。
 それで、都会の雑踏に紛れ込んだときや、
夜眠る前にHAPPYなことを思い浮かべて
ニヤニヤしながら眠りにつく。
 これは最強最高なんじゃないでしょうか。
 こうゆうときは、お酒なんかで希釈せずに、
目一杯幸福に浸るのがお洒落ってものです。
 お酒なんかに紛らわされたら、
もったいないじゃないですか。
 
 基本、他人は人の不幸が好きですからね。
 まったく少しばかり嫌な世の中です。

 
 筆者の前に所属していたところが、
90年の長きに渡って貫いてきたポリシーを
捨てるそうです。
 ドメスティックに言及すると、分社やなにかの
組織名が長くなりそうなので少し気の毒に
思いました。
 人は進んで不幸を望んでいるわけではないのに、
不幸な身の上の人もいる。
 ならばHAPPYな人が、余力のあるうちに
そのHAPPYを伝道してまわれば良いのです。
 思うのではなく、行為をしてまわる
ことが大切です。
 そういう事が出来る人は、
自然と特別な存在になれるし、
身にまとっているものも、
単なるHAPPYではなく、
一歩進んだ「充足」になれるのでは
ないでしょうか。
 人様の価値観・尺度とは関係なく、
充ち足りるを知る。
 
 幸さんのにプラスして、
笑いながらHAPPYなことばを口にする。
 
 辛い時ほど笑っておけ と。
 座右の銘だったりします。
 
 
 
 

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2007年11月26日 (月)

体に揺れが、残っていた

 滑走を繰り返していた

 操船をしていた

 昼間、体を揺さぶって

 寝台に入ると

 まだ体が揺れている

 毎年、毎度のことだが

 気持ちが良い

 

 しなければならないとか

 特に理由があるようには思えない

 しかし、少したって

 冷静に考えてみると

 あの時はそうしなければ

 ならなかったのだ

 

 人間は生まれながらに孤独だ

 人間とは、救いようがない

 と、フランス人がそう言った


 そこからはじまる

 ありがとう

 こんにちは

 さようなら

 またあした

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2007年10月26日 (金)

挨拶代わりのハットトリック

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 この一週間は、群馬の地方都市へ
行った以外は平穏に過ごしていました。

 時々通勤でグリーン車に乗ったりしながら。

 ところで我らが幸さんのブログ、
「神農幸 切りすぎた前髪」の中で
帽子に関するエントリーがありました。
 
 稀代の帽子好きである筆者には
見過ごせない内容です。
 合点承知の助ってなもんで
筆者もエントリーします。

 まぁアレです。
(なにがアレなんだか・・・)
 帽子を被ったりするのは、
変身願望が強いってことらしいです。
 
 幸さんは女優さんなので
日常でも帽子を被る心理は少し理解できます。

 筆者の場合は、照れ隠しだったり
する訳なんですが、どうしたことか、
帽子を被ると余計目立っちゃうのが
現代なので、幸さんの帽子もきっと
目立つ訳ですよ ええ。
だいたい今時帽子を被っているなんて
次元大介か銭形警部くらいですからね。

 それで帽子好きな人間は、
そんなことは気づいているのだけど、
でも帽子を被らずにはいられないんです。

 

 なぜかと言うと、もうとにかく
自分じゃない自分でいたい とか、
そんな事って誰にでもあると思うのです。

 現代に帽子を嗜好するのは、
 ちょっと形を変えた、コスプレです。

 筆者は高校生くらいから、
中折れのストローハットを、夏は
好んで着用してました。
 マドラスチェックのジャケットを
羽織って、サングラスをTシャツの
襟口からたらせば、まんま遊び人(プ)

 で少ししたら、映画「アンタッチャブル」で
アンディ・ガルシア
イカした(表現古いっつーの)中折れのソフトを
被っていたので、筆者も真似てみて
成人式はまんまエリオット・ネス配下の捜査官。
 コートはレザー、靴は編み上げ(笑)

 そんな具合で帽子では
色々と遊んでいましたね。
(悪い?)

 ハタチ代はプライベートなら日常的に
帽子を被っていました。
 
 それだけ自意識過剰だったってことと、
あとは悟られたくない と思っていたんだと思う。

 そう、なんでか悟られたくない。

 自分が何ものでもないものとの認識と、
周囲との壁を常に意識していたかな。

 すごい矛盾なんですが。

 幸さんは、また帽子を買うのかな。
 
 競馬よりも、「さて私は帽子を買うでしょうか???」
とかなんとかやって胴元になったほうが
儲かるんじゃないかとか。

 もう無くさないでくださいね。
 
 
 

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2007年10月18日 (木)

何はさておき マイケル中村

Image024
 すこし時間がありましたので、
広島の原爆ドームへ行きました。

 外国人が多く観光に来ておりました。
 アングロサクソン系の人、
いわゆる特定アジアの国々の人。

 たぶん日本人より、
多かったような気がします。

 アメリカ人なら、
原爆の惨いありさまを
目の当たりにして、
どう思うのか?
訊ねてみたい衝動にかられました。

 自分は日本人なんだな と。

ところで、
日本ハムが二年連続の
日本選手権出場を決めました。
 札幌に本拠を移し、
成功しているのは素晴らしい
事だと思います。

 特になにが良いかと言うと、
OZと日本の二重国籍をもつ
マイケル中村の力投に尽きる。

 その次は、渋い打撃で
鳴らした淡口コーチか。

 東京出身者の多くも
日ハムの隆盛を祝福しています。

 日本選手権でもがんばって欲しいな。

 信ーじてましたー
 ヒルマン

 

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2007年10月17日 (水)

酒とタバコとスイングの日

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 まぁ久しぶりに飛行機に乗って、
広島に出張です。
 携帯2台、パソコン1台、
でも携帯はブリーフケースに
1台は入れたままなのに
問題は無かったようです。
 色々あるのでしょうが、
日本のセキュリティー対策は、
性善説に立脚しているので、
はっきり言って悪意満々の
テロリストには役に立たないものばかりです。
 なにか、「やってまっせー」と
デモをしているだけなんだよなぁ・・・

 うちのララ(柴犬♂4歳)は、
実家の親父さんに頼んで、
金曜の晩か土曜の朝に
横浜に帰るようにしていますが。

 ララは家の中じゃおしっこや
うんちなどをしない奴なのです。

 この月火も福島県いわき市にある
自社の施設へ出張で出ていたのですが、
二日間放置で、たぶん風呂場で
用を足していたのだと思いますが、
部屋の中には形跡はありませんでした。
 そんな、基本的には世話の
かからない良い奴なんです。

 しかし、用足しとかそんなものは
どうでも良いとして、そんな放置プレーが
彼自身気の毒でなりません。

 最近は寒くなったので、
筆者の部屋に招きいれると、
ベッドに飛び乗ってそのまま
寝込みます。

 帰ってきたとき、ベッドの上が
毛だらけになっていたので、
筆者不在の折には
ベッドを守っていてくれたのでしょう。

 話は突然変わり、我らが神農幸さんも、
かつて犬を飼われていたことが判明しました。

 あと、昔住んでた自宅に
ネズミが出ていたとかなんとか・・・

 ネズミは東京特別区の
西はずれで少年時代を過ごしたり、
混沌とした蒲田にハタチのころ
住んでいたときも見たことがありませんでしたので、
ちょっと神農さんのエントリーにびっくりしました。

 びっくりしていろいろ想像しただけで、
べつに嫌な感じはしないから
それはそれでいいのです。

 最近の行動原則は、
・くよくよするな
・迷ったらシンプルに考える
・オレは間違っていない
・謝らない

 疲れて血迷いそうな人も
真似て見てください。

 
 

 

 

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2007年10月 8日 (月)

That's flat Flat out 

Image015

 今日は、横浜ベイサイドマリーナのアウトレットに、
カッターシャツを買いに行きました。

 カッターシャツだけのつもりが、
結局スーツの採寸も、してしまいました。
 筆者の着倒れ人生はまだまだ
終わりを知らないようです・・・

 襟と袖口が違う生地を使用している
シャツが、そのシャツ屋さんには割合多かったのですが、
それが表にくるやつではなくて、
袖をひっくり返したり、
ネクタイを外したりするとわかる(襟の裏生地)
タイプの「さり気あり」のものをチョイス。

 混雑が予測できたので、
今回はバイクで行きました。
 あとはエコ気分もありますが。 

 天の配剤、三連休と言うことで、
とてもとても混んでいました。
 クルマで行っていたら、
ストレスの溜まる
いやな買い物になっていたのでしょう。

 バイクは、今日は珍しく
乗れていました。
 気持ちよく走ることが出来ましたね。

 自然と伏せの体勢をとって、
それでも少し抑え目ですが、
8分目くらいはスロットルを開けて
にやけていましたよ。

 ところで、ようやくと言うか、
今更というか、返還後の沖縄に核兵器を持ち込む、と言う
密約文書が見つかったそうです。

 10月7日3時0分配信 時事通信


 【ワシントン6日時事】1972年の沖縄返還後に米軍が核兵器を再び持ち込むことを認めた日米間の密約締結を示す公文書が6日までに発見された。この問題を担当した当時のキッシンジャー大統領補佐官がニクソン大統領あてに書いたメモなどで、核密約を明示した交渉当事者の公文書が発見されたのは初めて。密約の存在について否定を続ける日本政府に対して決定的な証拠が突き付けられた格好だ。
 見つかったのは、最近機密指定を解除された69年11月12、13日付のメモなど。日本大学の信夫隆司教授(日米外交史)が今年8月に米国立公文書館で発見した。
 佐藤栄作首相の密使として派遣された若泉敬氏(当時京都産業大学教授、故人)が94年に出版した「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文芸春秋刊)によると、69年11月19日からの日米首脳会談を前に、若泉氏と同補佐官は沖縄から撤去される米国の核兵器を再び持ち込むための方策と摩擦になっていた繊維問題について交渉を続けていた。両日のメモは若泉氏との話し合いを踏まえた大統領への報告になっている。
 メモの表題は「沖縄返還後の米国の核持ち込みと繊維問題に関する日本との秘密交渉」。この中で、キッシンジャー補佐官は首脳会談の進め方を記した日米間の「申し合わせ」について、「沖縄への核兵器持ち込みに関する秘密の日米合意に伴う佐藤首相とあなた(大統領)の台本となるべきゲームプランだ」と説明している。密約を意味する「共同声明の秘密議事録」という表現も使用された。

 なにがゲームプランなんだよ、と。
 件のキッシンジャーはとんでもなく
ふざけた野郎です。

 先般の教科書問題やなにかに
大きく影響するものではありませんが、
沖縄の方々は普通に怒っていいのでは
ないでしょうか。

 沖縄民衆がどうこうと言うより、
沖縄の行政や首長側が国の懐柔にまんまと
乗せられて駆け引きに応じたりするのが
問題だ。
 そんなものを民衆の側も応援や支持などせず、
いちど、きちっとカタをつけてしまったほうが
良いのではないかと思ってしまう。

 話は変わって、
来週は三重のほうへ、
再来週は広島、
明けてjobの準備が済んだら、
群馬のとある都市へ長期ロード。

 群馬のほうは、むかし
遊井亮子と橋爪功で、NHK「冬の蛍」
と言うドラマを観てから、
どんなもんなんだろうかと
興味を持っていました。
(遊びに行くんじゃないのですが)

 望むところですが、
場所も人もいろいろ入れ替わりで
なんだかスパルタンです。

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2007年10月 1日 (月)

車内の距離感

 302
転勤生活の4年間ほど、堅気のサラリーマンの割りに
毎日の電車通勤生活を免れてきた筆者。

 不便さに仕方がなく、ってのが理由の一番だが、
毎日のマイカー通勤は、自己所有の車両の走行距離が
あれよあれよと伸びまくるし、電車通勤のほうが
あらゆる人々との距離が縮まるので
自分としてはなんだか電車通勤にホッとしていた。

 ただ今朝は地震で止まった?らしい東海道線の影響で、
神奈川から東京へ向かう列車はいつもより混んでいたみたい。

 一番あせったのがメトロの駅が古いつくりだからか、
前の電車を下りた乗客が、階段と改札の渋滞で
まだホームにあぶれていて、筆者の乗る次の列車の
乗客とホーム上でつば競り合いが始まってしまったこと。
 今まで通勤でメトロを使ったことが無かったので、
この現象は少し驚きました。
 だいぶん涼しくなったから、まぁ良かったような
ものの、真夏の朝だったら気狂い沙汰なんだろうな・・・と。

 そんな初出勤でした。
 
 ただ、筆者の職制上、毎日本社へ通う生活とは
すぐにもおさらばで、各地をロードすることが
早々に決まって、と言うより、受け入れ先は手薬煉ひいて
待っていたようです。

 東証1部上場の、時々朝日や読売新聞の
1面の右上に広告を出している会社です。

 色々在るでしょうが、日本、そして世界とアジアの発展のため、
Ecological cleanを合言葉に頑張ります。
 

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2007年9月29日 (土)

UNFORGIVEN 許されざるもの

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しかしよ、なんだってはっつぁんはそこまで銀の字を追い詰めたんだい?

 いやいや寅造よ、はちの野郎はそこまで銀の腕を見込んでたってことじゃないのかい。

 だけどよ、そこまで見込んだ挙句、結局破門にしてだよ、
それでもって片腕叩っ切るたぁどういう了見だい?
ちゃんと説明するなりしてもらわねーと、おいらのような
門外漢には合点がいかねーってもんよ。

 寅、この野郎黙って聞いてりゃ好き勝手なこと言いやがって。
 銀の野郎が啖呵きってはちんところを離れようとしたんだぜ。
 しかもはちが仕込んだ盗人の技量をそのまま上州に持ち込もうってんだ、
うぶな上州の商人はたまったものじゃねーってのよ。

 じゃなにかい?ここ大江戸八百八町じゃ義賊だって褒められてもだよ、
上州の空っ風んなかじゃ、義理も人情もねぇ極悪人ってことかい?
 冗談じゃないよまったくえーおい!


 いいか聞け 寅
 上州と江戸の、大棚の位を考えて見ろってんだい、このうすらとんかち。

 はちの野郎はな、せいぜいにたような身の上の上州商人からだよ、
たとえ一時の不埒な考えでも、そんあ世知辛い押し込みを許せなかったんだよ、
銀の心が許せなかったのよ。わかるかい?
このおたんこなすびのすっとこどっこいがってんだ! 


 ああそう言われてみりゃそうかもしれねぇ。
 上州っていえゃ、米俸禄なんざ望めない、やせこけた地べたに、
かかぁ殿下が名の知れた国じゃねーかい。
 しかしよ、銀の野郎はどうして江戸から上州に渡ろうなんて
そんな風に考えたんだろうね。

 おう、そりゃよ寅、ものごと簡単に考えすぎなんでぇ。
 とっとと上州の場を荒らしてだよ、越後あたりの
百姓家に小金もってとんずらすりゃ一生安泰ってモンよ。
 銀の野郎はそう考えたにちげーねーってことよ。

  実はよ、そう仕向けるようにけしかけたのは、
他でもねぇ、俺なんだがよ。

 誰だって後先考えずに好き勝手な事言えちまうってのは、
なんだか便利なようで罪深いものなんじゃねーかって、
少なくともだよ、そう言う風に仕向けるか、仕向けるような
素振りの奴はだよ、墓場まで持ってきやがれって、
そう言うことなんじゃねーのかい。

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2007年9月26日 (水)

海の公園に行きました

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今日はララを連れて、近くの海の公園に行きました。

 この公園(海公)は、ウインドが快適に出来るように
色々と着々と整備されてきていて、
横浜に住む筆者には心休まる場所です。

 筆者がウインドを始めたのは、今から
かれこれ15年前の頃で、はっきりいって
その頃、ウインドはマイナー過ぎました。
 近くに住む、ウェイブをしている
お姉さんがいたのですが、
完全に体育会系の乗りで、
ちょっと怖いくらいにのめり込んで
いたのが印象的でした。

 最初、友人氏と二人で、
高円寺にあるホキパと言う店に
行って色々教わったりしながら
本栖湖や海公で遊んでいました。

 三浦海岸などにも行って遊びましたかね。

 そうこうしてるうちに、友人氏が
大阪に転勤になったり、
筆者がスキー競技を始めたりして、
ウインドは縁遠くなっちゃいました。

 筆者が横浜に移り住んだ後、
最初に頭に浮かんだのは、
海公の存在でした。

 その後、大阪-名古屋と
転勤生活を終えて東京に
戻ってきた友人氏と海公や
彩湖(荒川)で遊んだのが4年くらい
前だから、またリグの類も腐っているのが
あって、今日はウオッチオンリーでした。

 ウインドは、最近「Life 天国で君に逢えたら 」
おかげか、にわかにブームになっているようですが、
いかんせん道具は高いし、クルマはだいたい
大きなものが必要だし、身の回りの制約が
非常に大きいから、
そうは言っても静かなブームのような
気がします。
 
 艇庫なんかもありますが、そんなに
安いものでもないし、
始めるにはそれなりの覚悟が必要かなと・・・

 かと言って、いまさらスクール生と言うのも
なんだかガラじゃないようだし。

 そんなこんなですが、また
道具を揃えたり、整備したりしながら
細々と楽しもうかと。

 肩と頬の間を抜ける風が、
なんとも言えないんだなぁ、

これが。

 バイクともスキーとも違う風なんだよね。
 
 今日は風がほとんど吹いていなくて、
ほんとうにのんびりウインドするなら
いい日でした。

 でも、なんで今になっても
ウインドにこだわるかって、
よく考えると、
友人氏と一緒に高円寺のホキパ
行った時のことを
覚えているからなんだろうな。
 
 店の隣の駐車場で、
セールの張りかたなんかを
田辺氏に教わったりとか。

 

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2007年9月25日 (火)

New Kid In Town.

007
 
この三連休は、玄関や玄関前のスロープに
タイルを貼ったり、ペンキを塗ったりしていた。

 道具とネタは、近所のDIYで。
 仕上がりは良好。
 ご近所さんが通るたんびに、
「!??!」感嘆と質問の声をあげて過ぎていく。

 いわく「綺麗ね」とか「どこで覚えたの?プロみたいだよ」と・・・

 なんていうか、あまり同調してると
「家にもやって」とか、疲れる話になりそうなので、
そこそこ話につきあうだけなんですが。

 ところで、こんなことをやっている間に、
柴犬♂4歳の体に異変が。

 なんかアレルギーにかかったみたいで、
体のあちこちに舐め倒したあとの傷が出来ていた。

 考えてみれば、彼は福島県の会津若松で生まれ、
マタギ犬だった親元を生後4ヶ月チョイで離れ、
筆者のいる横浜へ。
 彼の到着を、今か今かと日通のデポで
待ちわびたのが、つい昨日のようだ。
 トラックに揺られ、小さなケージに入れられた彼は、
うんちとおしっこを、しっかりその中でしていた。
 「甘えん坊だから」と言うマタギのおじさんは、
殊更に夜啼きを心配していたが、
初日の夜だけは思う存分啼きはらし、
次の夜からは、
まるで雪が降ったかのごとく、
ペットシーツを噛み千切って暴れまわった。

 その後、筆者転勤の関係で、半年余り後、
1歳にもならず上越は高田へ。
 瞽女(ごぜ)衆とじゃれ合うような環境に。

 高田は本州でも1番勢いよく雪が降るところで、
毎日の散歩では、冬は降雪量と言うより道路に撒く
消雪の水に参ってしまった。
 ただ、1年中通してそれほど暑い日が続くわけではないので、
彼にとってはなかなか良い環境ではなかったかと思う。
 また怪しいアレルギー性物質なんかも、都会のそれとは
桁外れに少ないようにも思った。
 ここで彼は三年間、青春時代を過ごす。
 (気の毒に童貞のままですが)

 その後、プラズマと怪しいネオンの工都、尼崎へ。
 ここはまぁ近所で火薬も作ってるし、
住金なんかもあるし、ヘンな匂いもするし、
人種も民族も多様だった。
 
 彼には少しずつ異変を感じていたのだが、
軟膏とステロイドを時々、それくらいで
収まっていた。

 そんな関西は阪神工業地帯の最中にあった
暮らしを早めに切り上げるべく、
地元東京で職を得た筆者。
 思い起こせば東京で面接のたびに、
日帰りに近いペースで、
名神-東名-面接-東名-名神と、
彼をクルマの後部の
スペースに置いて走り回った。
 
 それで筆者の地元に帰ってきたら、
まぁ今年はラニーニャだから
いつまでたっても暑いし、
それに我が家は長いこと空家同然になっていたから、
家の中に怪しい物質がいつにまにやら
はびこってしまっていたのか。
 結果、デリケートな彼は皮膚をおかしく
してしまったようだ。
 
 幸いうちの近所には、大して金持ちが
住んでいる様な場所でもないのに獣医があちら
こちらで開業しており、歩いていける場所に
三、四件の病院がある。
 
 彼らへの報酬は高額極まりないのだが、
今度からは保険にでも入ることとして、
明日連れて行ってあげようと思う。
 すまない。
 長い休みも今週でおしまい。
 早寝早起きの習慣を。


町中で囁かれている噂話はどれもこれもフレンドリー
誰もがみんな、お前さんに期待しているよ
町中のどんな奴も、お前さんのことを知っているように見える
古い友人達でさえお前さんを新参者として扱っているんだ

町に新参者がやってくる
どんな奴でもおまえを温かく迎えてくれているんだぜ
彼らをがっかりさせるんじゃねーよ!


町中の噂話は、まだお前のことだけだよ
お前が何をしてようと、そんなことはおかまいなしさ

お前が通り過ぎた後は、みんなでお前の噂話をしてる

新しい誰かがこの町にやって来るまで
誰もお前のことを忘れたりしないよん


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2007年9月14日 (金)

雨一滴で

 少しの間、紛れも無い秋雨が続いて、
横浜もだいぶ涼しくなりました。

 クルマがあって、中くらいのバイクがあって、
それでも駅までの通勤と近所の買い物用に、
原チャが必要と前から感じていました。
(ガレージを工夫する必要が・・・)

 なんせ横浜は坂が多い。
 それでも筆者なんかは、
町内会で一番ってくらい
歩き回っているほうだと思う。

 で、近所の自転車屋さんチックな
店でJOGカゴつきを購入しました。
 なんと言っても原チャはJOGです。
 むかしホンダが「打倒JOG№1」って
ことで、DJ-1(いまDio)って原チャを
作ったのですが、
とうとうヤマハJOGの牙城は崩せず
じまいでした・・・

 他、郵便物も筆者の家へ届くようになり、
ようやく戻ってきたんだなぁと実感しています。

 一人身で家を買ったのは少々無謀かとも
思いましたが、こうして日がな自宅で
のんびりしていると、なにか新しい発想も
生まれてくるってモノです。

 あと安倍ちんが辞めちゃいましたね。
 色々山本一太が朝生で言っていたけど、
ぜんぶ、うそぴょんでした。
 筆者が端的に思うのは、
あれだけ閣僚だの、省庁、官僚機構の
狼藉が発覚すれば、誰が政権を握っていても、
その度に挽回するのは不可能ってことだよね。

 まぁそれだけ自民党の力が落ちたってことなんだよね。

 むかし田中角栄以降、海軍出の金丸のおっちゃんが捕縛されて
以来、自民党は同じようなことを繰り返しているよ。

 福田の倅なんかではなくて、政界の爆弾男中川元政調会長あたりに
頑張ってもらいたいよね。どうせ自民はもうだめなんだからさ。

 しかしまぁ、お金って惨いよなと。

 そりゃ誰だって金はあったほうがいい。
 筆者だってお金が無いときはイライラするし、
不安にもなる。

 じゃ、あったから全て解決するかって言うと
そんなことは無いんだよね。

 どうしてかって言うと、
お金の使い方にも、その人の
価値が出てしまうものだから。

 一番大切なのは、
充足できる術を知っているかどうか。

 なんて言うか、
見た目良さそうな女の子がいたとしても、
「お金=楽しい」ってしか感じられないのが、
なんか多いよね。

 まぁ男がダメなんだけど。
 甘やかせているから、
そう言うのが育っちゃう。

 さておき。

 週末は母校の学祭にでも
顔を出そうかなと。画策中。

 

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2007年9月 2日 (日)

さらば哀愁の尼崎、横浜へ帰る

 格安で引越しを請け負って頂いた割りに、
手際よく、さっさと片付いてしまった。

 最近になく、珍しいミスをしてしまったのだけれど、
帰りに着ていく服の類も、誤って引っ越しの荷物と
一緒に送ってしまった。
 

 荷物の無い、がらんとした部屋で、
パソコンだけをつないでブログを書いている。

 これから愛犬のララを乗せてクルマで横浜まで
帰るのだが。(彼は昼寝中)
 半年余りの滞在でしたが、最後に尼崎の暗部を見たかのような
出来事が。

 筆者の周囲500mにはルンペンの棲家がある。
 この引っ越しのタイミングで着倒れ気味の筆者の
洋服を、たいそうな量ごみにして捨てたのだけど、
夜中に出して、朝散歩に出かけようとして
ごみ置き場を覗いたら・・・

 なんと夜中のうちにルンペンが持って行っちゃったみたい。

 究極のリユースというかエコというべきか。


 神戸には何回か行ったけど、結局、京都などは
川床遊びにちょろっとでかけたくらい。
(遊び賃はちょろっとじゃ済まなかったけど)
 大の字が点々に見えてしまう場所にお住まいの
京都の人に案内してもらたったのだけど、
京都の遊びは高くつくなぁと思った。

 まぁ身の丈に合ってないってことなんだろうけど。

 あと、むかし新撰組が血の雨を降らし暴れまわったからか、
東京の人間は余りよく思われていないみたいだ。
(筆者の風体さておき、すげー思い込み)

 大阪はどうにも性に合わなかった。
 大阪の人に言わせると、
「神戸は気取ってて、京都ははんなりでテンポが合わない」らしい。
 筆者は大阪だけはダメだった。

 食い倒れって言うのは嘘だと思う。

 鉄板だとか、粉ものみたいに即興でできてしまう
料理ばかりで、ラーメンだとか、カレーのように
長いことダシ取ったり煮込んだりするのは不味い。
 と言うより店舗の数が少ない。

 そんな原価がかからないモノばかりを
客に出して、挙句「食い倒れ」と称しボッタくる。
 商人としての手法はそれで正解だけど。

 効率重視でそこいらじゅうの木を切ったのか、
或いは焼け野原の戦後に植樹をしなかったのか、
その理由は分からないが。
 大阪にはまともな並木道が見当たらない。
 あっても官の施設の周りとかそんなくらい。

 大阪はちょっとさびしい。


 緑多き横浜へ帰って、海の公園やなんかで
久々にウインドしたりして遊ぼうと思います。

 その前に荷解きだとか、家のレイアウトを
考えたり、やることは沢山ありますが。

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2007年8月31日 (金)

最近の筆者

 最近、スポーツナビ+と言うサイトでブログを書いています。

 主にサッカーのことについて書いていますが、ときどきトンチンカンなコメントを残していく人が居り疲れます。

 しかし、1日に10,000ほどの人が覗いていく日もあり、
 (記事の善し悪しによるんでしょうが)

 ネットでのサッカー談義は成熟しているんだと、
改めて感じました。

 ただ、サッカーをやった事の無い人ほど、人の記事から案を引用しているようで、
「おいおいそれはマナー違反だろう」と感じることもしばしば。

 10月1日から、次へ行くことになりました。

 引越しは9月2日で、短い関西でしたがそれなりに楽しめました。

 引っ越し屋さんの都合で引越しの予定を進めていったら、
ものすごく低価格な金額での依頼が可能になりました。
 大変ありがたいことです。

 

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2007年8月16日 (木)

at last

 突然ですが、いま勤めてる会社を退職します。

 大台の一歩手前は、一つの大きな節目だな。

 毎年毎年、なにかいろいろ、

 新しく始めたり、なにか起こったりして。

 一年、過ぎるのが早い。 そんな感覚とは
全くの無縁でいる。
 今年もまた、長い長い一年。年度と言うべきか。


 明日、道草しながら、横浜にゆっくり帰ります。

 転進は少し先の話なので、退職の日まで含め、
ゆっくりゆっくり考え方を固めていこうと考えています。

 何故か最近、時々、自分が死ぬときの事を考えます。
 目を閉じて、その先が無いって言うのは怖いなぁ と。

 ほんの少し前のむかし、自分の死なんて全くリアルに
感じたことなんてありませんでした。

 人は、誰かの死に関して、その死に行く人の
瞬間の気持ちは知る術が無い。
 誰も、死に関する本当の知識は無いのかも知れないなと。

 それで、宗教と言う概念が発生したのかも知れないが。

 別にカルトなんかに入信しなくても、
うえのような話を、説いてくれる人は居ないだろうか。

 涼しい、横浜市立図書館で、これらの文献漁りで過ごすのも
良いのかも知れませんね。

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2007年4月 1日 (日)

ひと月が経ちました

 故あって、兵庫県尼崎に住むようになりおよそひと月。前任地の上越は、三日も廻れば大概の地域にあるものを確認できました。

 阪神エリアはそれなりに広い。首都圏に比べれば全くの地方で、人口も比較的まばらではあるけど。

 なんば、梅田とのぞいて来たけれど、どうにもピンと来なかった。
 ピンと来なかったなんて極めて感覚的な言葉だから、要は「どうでもいい」とか「いい加減」さが街全体から漂ってきていて、残念ながら大阪が抱える苦悩が代表する都市には充満していたということかも知れない。

 ハタチの頃に、関西大に通う友人を訪ねて大阪にはちょくちょく来ていたが、その頃はいかがわしさがそこかしこに漂う反面、関西全体が持つエネルギーを感じることが出来た。だが今のところそれはもう無い。

 「いい加減」に首長を選んできたツケが、物真似で箱物を作ってきた債務が、街全体に重くのしかかっている。

 神戸は違った。感じが全然違う。同じ関西圏とは思えないほど、あか抜けている。
 神戸と言っても、三宮、元町、北野くらいしかまだ覗いてはいないけど。

 横浜もそうなのですが、西宮から神戸は、山があって港があるのは良い。
 丘や山の上が成功者の住むところで、ごくごく当然に単純明快。

 外国人居留地と言う租界を大切に保存していて、そこに三井郵船や大丸系のお店が入っていたりする。
 道路も、ところどころに中央ではないところに分離帯があって、車道本線と建物沿いの側道に分かれていたりしていて欧州風なところがある。これも横浜の旧い1号線に似ている。

 古くから、異国の地のものを受け入れてきた歴史があるから、東京生まれ育ちの筆者が赴いても全く違和感が無い。神戸なら、長く住んでも良いなと思いました。

 ただ、20年ぶりに北野の異人館辺りを散策したのですが、余りにも店舗やレストランが進出してきて驚きました。そこへ大型の観光バスが乗りつける光景。これも横浜の山手辺りに似ていますが、少々期待とは裏腹な感じがしました。

 さりげなく、さりげありってところが、センスなんだろうなと、遠いところに住むようになって改めて感じた次第です。
 でも尼崎も良いですよ。三和市場とか、とても良い感じの商店街があって。

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2007年1月23日 (火)

新潟の汚い金と地方再生

 新潟、とりわけ上越で暮らしていて、どうにも我慢ならないことがある。

 それは、商店や飲食店・ショッピングモールなどで買い物や飲食をした場合にお釣りとして手渡される紙幣のことだ。
 
 大概がしわくちゃで使い古され、汚いことこの上ない。
 財布を持たないものが何重にも折り重ねて所持したり、
元来紙幣などを大切に扱わない百姓のしわざか定かではないが、渡される紙幣はどれも絶望的なほど、文字通り『汚い金』なのだ。

 少し高額な商品を購入したり、土地柄高望みは出来はしないが、高級と呼ばれる店での飲食後の行為も全く同様なのだから本当にがっかりしてしまう。
 
 最近は黙ってそれら汚い金を受け取るようになったが、来て間もない当初は折損気味のその紙幣を交換願ったりもしてみた。

  上と同じような心持で同じ行為に及んだ時、東京の殆どの名前のある店では顧客用にいわゆる『ピン札』の用意をしてお釣りを手渡す。なんだか心地よい。
このお店にまた来てみようかと単純に思考してしまう。ミキモトで現金支払をして、そのお釣りがピン札だったら、またプレゼントを渡す相手を探さなくてはならない。

 そんなこと、本当に些細な心遣いなのかも知れない。
 
 言ってみれば、そんな些細な事にこだわる筆者が異常なのであって、「異邦の人」とこちらの人々は奇異なものを見たかのような感情を抱くかも知れない。

 しかし、筆者は思う。都会にある『店と客』の触れ合い。些細な心遣い。
 
 その一例がお釣りのピン札なのだ。
 それら、『人に心地よさをもたらす行為』が新潟を代表する都市には微塵も感じることが出来ないのだ。

 そのことについて問い質したりするとこちらの人々は、自己正当化が日常にある分、言い訳をはじめる始末だ。
 
 『商売っ気』があると逆に客足が遠のく、とか、うんぬんかんぬんうんぬんかんぬん・・・

 ただ汚い紙幣の釣りを渡されて、『心地よいと思う』と言う話をしているだけなのに。

 選択肢、肢の数が少ないことを良いことに怠惰に陥っているだけなのに。

 
 「地方再生」だ、などと、「お金」それも多くは血税が元の「お金」をかける前に、そこへ棲む人々の意識が変わらなければいけない。

 
 自己正当化における言い訳と、諦めばかりじゃ地方再生なんてありえない話だ。


 
 

 

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2006年12月31日 (日)

Bright lights big city.

 今日はメニエルで苦しみもがく筆者を慮ってか、職場の上司との面談がかつての勤務地品川であった。

 屠場職員の手により掘られたと言う、港南口への狭い地下通路も今は昔。駅ビルやそれに続くインターシティなどのビル群にとって変わられた。むかし芝浦屠場と呼ばれていた東京食肉市場センターは健在だが何か?

 年末の空いた電車に乗るのもなんだかなと考え、東京出身者のみが経験することを許された、渋滞の無い首都圏の道路を堪能することにし。クルマで品川に向かう。

 筆者の住む石神井から、環状線を使わずに三茶の手前辺りまで出る。今川から富士見が丘、芦花公園、むかし青学の工学部があった前を通り千歳船橋あたりまで。農大の脇を抜け路面電車が走っていた旧道あたりを抜け上馬の交差点を右折。あとはガラ空きの環七を馬込まで。山王口を左にずれて池上通りへ。

 筆者が品川や大森へ行くルートはいつもこんな感じだった。

 クルマをラーメン二郎品川の裏辺りにとめて、東京の女の子がウヨウヨしている品川駅へ向かった。

 果たして目映い品川のコンコース。女の子が履いている今年流行のブーツは上越では見ないパターンだ。
 
 やっぱり上越に多くを望んではいけないと、筆者は今更ながらに感じたのだった。

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2006年12月11日 (月)

ほんとうに「太陽のない街」

 ここ上越は高田に転勤をその由として移り住んで、すでに3年近くの月日が経とうとしている。

 こちらにきて率直に思うことは、「自然豊かで四季の彩が美しい」なんて言葉はまやかしかおためごかしだったと言うこと。

 そうでも言わなければ、都会からわざわざ辺鄙な地方へ遊びに来るようなことを人々はしないだろうし、観光資源を糧にして待ちわびているものに残されていることは野垂れ死ぬことだけだ。

 こんなことは言わずにいたい、書かずにいられたらな、としばらく思っていた。

 回転性めまいが発症してからの自分は、なにやら堰を切ったように鬱積したなにものかを吐き出すような下種野郎に成り下がってしまった。

 ここしばらくずっと観測所の記録を見るようにしている。

 神奈川県横浜測候所12月の観測記録には6日間の晴れマークがある。
 その大概は6時間ほどだが、最長では9時間と言う快晴の日があった。
 しかし高田測候所の記録にある晴れ間は2日間ほどで、しかも1日の日照が2~3時間という短さだ。呼び方として適切ではないが、こちらに住むものとして敢えて言えば「裏日本」と言う表現がまことにしっくりくる。

 共同印刷争議に敗北した労働者出身のプロレタリア作家徳永直は、小石川にある千川どぶ沿いに住む印刷職工の棲家を美しい比喩として「太陽のない街」と表現したが、ここ裏日本高田はほんとうに「太陽がない街」なのだ。

 「自然豊かで四季の彩が美しい」のではなく、未開発な山々が無残に放置され、冬は閉ざされ働くところや逃げ場も失ってしまい、これからの「夢や希望」も無残に摘み取られてしまう。

 何人かの若者と接しても、ここへ残存する、残存しなければならないと育てられてきたものどものから出てくる言葉はあきらめと呪いの悔恨譜のみだ。

 誰が悪いのか?余りにも無策で自己完結消費社会を築いた先人たちに決まっている。

 彼らは残すことを知らなかった。

 筆者も留まる気持ちがあった。しかし体が言うことを聞かない。
 先週の4日月曜、数ヶ月ぶりに激しい回転性めまい発作に襲われた。

 全てがこの天候のせいだとは思わないが、冬の期間高気圧に覆われ晴れ間オンリーの太平洋側で過ごしてきたやつがれポンコツの身にはあまりにも過酷な二回の冬、そして三回目の積雪期を迎える。

 文化レベルもほんとうに残酷なほど低い。特に若年層のレベルは目を覆うばかりの深刻さだ。

 教育を施す側も諦めてしまっている。なぜって留まる優秀なものへの受け皿が些少に過ぎるから。

 余所者に、来ては去っていくものに具申されることを拒んできた街。
 そんなものに「街を荒らされたくはない」と彼らは言う。
 違うんだ。ただ考えることを、進化することを放棄してきただけだ。

 自ら欲しないものに太陽など、陽の光など照らされるものか。

 

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2006年11月13日 (月)

横浜ベイサイドストーリー 「たったひとつの恋」

Hng
Futou2
 
「たったひとつの恋」という放映中のドラマのことを書いたのですが、王道ラブストーリー+クラシック&モダン横浜が舞台と言うこともあり、話題の最中アクセス数が少し増えました(笑)

 ドラマ自体の視聴率は?それほど高い訳ではないようですが、ロケ地などはいつもの天王洲・品川辺りから脱却しているせいもあって話題になっているようです。
 

 エンディングでは大さん橋(おおさんばし)の屋上テラスがきれいに映し出されており、引きのカメラワークも絶妙だなと思ったのですが皆さんはどう思いましたか。また登場人物に問題が起きると、必ずって言って良いほどこの場所へ集合するみたいです。
 

 筆者はかつて交際していた女性と、まだ竣工前で仮運用中の大さん橋に行ったことがあるのですが、
屋上がまさかウッドデッキ、いやボードウォークになっているとは思わなかった。
  港 まで の Boardwalk 潮風に吹かれりゃ少しせつない Memory 蘇ってくる ♪柳ジョージだなこりゃ。
 プランナーからしてなんて言うか、こういう古い、いや古臭いアイテムを引っ張り出すところに全ての横浜好きの懐古趣味が見え隠れしていて興味深い。

 
 「日下公人さんの横浜いい話」


 横浜にグランドホテルという古いホテルがある。あるとき、そこに昔からいる人と雑談をしていると、戦時中の思い出を話してくれた。 (ニューグランドのこと)

 昭和20年4月になると、神風特攻隊がぞくぞくと出陣してゆく。横浜のグランドホテルに1泊してから、九州へと飛んで行く。

 九州から飛び立つともう死ぬんだという19歳前後の少年たちが泊まったとき、グランドホテルの人たちは心を込めて晩御飯を作った。当時、あまり食べ物がないときにも、これから死に行く若者のために、一生懸命ごちそうを作った。

 「まだほかに何か望みがありますか、できることならいたしますよ」とグランドホテルの人が隊員に聞くと、18、19歳の少年たちは、「白い絹のマフラーを首に巻いて死にたい」と言ったそうだ。

 戦争末期のそのころには、日本海軍はそういうものを兵士に配る余力がなかった。でも彼らは、白いマフラーを首に巻いて死にたい。

 横浜には、明治以来の生糸商人がいる。そこでグランドホテルの人たちが手分けして聞いて歩くと、「そういうことでしたら、うちのとっておきの絹布を出します」と言ってくれた人がいて、10人か20人かの少年たちみんなにマフラーを配ることができたそうだ。

 それを巻いて、少年たちは喜んで九州へと飛び立って行った。覚悟した死をなるべく飾りたいのは、自然な気持ちである。だから、軍人の服装はきらびやかなのだ・・・・・(終わり)

 なぜ東京のホテルじゃないのか?と言うと帝都は3月の大空襲で壊滅状態であったからだろう。

 しかし横浜で良かったのではないか?馬車道の老舗か京急高架下の商店かは定かではないが、死にゆく少年に絹のマフラーを送ったホテルマンの話など、ニューグランド以外には聞いた事が無い。

 昨日筆者が現住の新潟上越地方では「雪起こし」と言う雷鳴とともに雪が降った。朝からの出来事。

 こんな過酷な自然環境に住む人々に、同じような他人への慮り(おもんぱかり)を望んでもせんがない話だ。

 早く横浜に帰りたい。
 

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2006年11月11日 (土)

横浜への想い 「たったひとつの恋」

 Yamate
日本テレビ系列で、土曜21時に放映されている「たったひとつの恋」

 毎週、横浜の景観が楽しみで観ている。

 筆者が、実家のある東京から横浜郊外に家を買い求め暮らそうと思ったきっかけは、1983年までさかのぼる。

 この年、「男ルネッサンスマガジン」とサブタイトルが付けられたその名もボガード出版から「ボガード」と言う雑誌が創刊された。
 記憶が定かではないが、一年少々で廃刊になったからほとんどの衆目に記憶されないままその短い役目を終えた。

 当時の筆者は、中学生でありながら、日本なら生島治郎氏、海外のものではレイモンド・チャンドラーに心酔しその著作を読み漁っていた。

チャンドラーのものでは、「真珠は困りもの」に特にインスパイアされた早熟な中学生だった。

 そんな筆者が件の「ボガード」誌を読んだのも、自然な流れのような気がしたし、今でも そうだな と思っている。

 その雑誌には、横浜の街に愛着を持つ方のコラムが掲載されており、そのコラムにあった「アンバーに輝く街」と言うフレーズは今でも忘れられないものとして筆者の記憶にとどまる。

 その後も中学三年の卒業遠足が、竹芝から東海汽船の客船をチャーターし横浜港へ向かい、新港埠頭から中華街、山下や山手界隈を散策するものだったりし、その頃から横浜の街には、ある種の畏敬の念を抱いていたと言って過言ではない。
 
 テーブルマナーの実習は「氷川丸」の船内レストランだった。
 どの先生が計画した卒業遠足なのか分からないが、センス抜群だったと言えるだろう。

 それからも、自動二輪車の免許を取った後は、好んで本牧や本来通行止めの新港埠頭から分け入って赤レンガの三菱倉庫群のあたりを走ったりしていた。
 
 お腹が空いたら中華街の南門辺りにバイクを止めて、小龍包子などを買い求めて空腹を満たしたりして多感な少年時代を過ごしていたのである。

 「たったひとつの恋」では、フライトジャケットを好んで着用するダウンタウンボーイと、元町のジュエリーショップのお嬢様と言う、アップタウンガールとの「Boy meets girl」が描かれている。

 お嬢様の住まいは山手の洋館ではなく、MM21の高層マンションと言う設定が世相を反映しており自然と泣けてくる。(/_;)

 
 このドラマはその筋で高名な脚本家の手によるものだが、割合横浜の街の持つ落ち着きに相応なテンポと、疾走感や青春の焦燥がよく描かれていて好感が持てる出来栄えだ。

 地方の人々には、MM21周辺こそ現代の横浜の象徴であるようだが、どっこい主人公の実家がある付近の人々だって懸命に生きているんだぜ!と、オールド横浜のファンである筆者には胸のすくような古典的「Boy meets girl」モノがこのドラマだ。

 実際行って見れば分かるが、元町や山手、もう少し足を伸ばして本牧や根岸となると桜木町や横浜の駅からも遠く不便な街に、ここに愛着ある人以外は近づけない。

 ヒロインの実家が元町にある老舗ジュエリーショップであるところが「ブランド」として描かれており、そのフレーズが繰り返し地元民である登場人物達から発せられる。
 デパートやロードサイドに出しているようなショップじゃダメなんだ。

 不便だけれども、高速の高架下パーキングにクルマを預け歩いていく。
 
 元町と協賛している駐車場は1時間待ちだから。

 ゆっくりとぶらつき、目に付いたお店には高そうでもなんでも臆せず入ってウオッチする。
 
 段々夕刻が近づいてくると、ガス灯を模した明かりが燈りだす。
 
 「中華街に行こうか?それともピア(昔からの)のほうでちょっと引っかける?」

 それとなくこんな会話が聞こえてくる横浜の街が好きだ。

 

 

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2006年10月21日 (土)

またいつかの巡礼

 10月12日から会社を休んでいる。右前庭障害によるものだが、会社からもしばらく休むように申し付けられ甘えさせてもらったのだ。休みは22日まで頂戴した。またリセットしてやり直すだけだと感じている。メニエール独特の発作は、それまで健康に過ごして来た者の鋭意を削ぐに充分な破壊力を持っていた。

 部屋でのんびり過ごしていると思えばいきなり起き出して志賀高原までバイクを走らせたり、お気に入りの宿泊施設がある蔵王などに車を走らせた。それなりに空間を移動させて、絶対に自身を認識してくれはしないであろう現住所付近の地方を離れ、自身に降りかかった少々の恥辱と、諦めに満ち溢れた街を振り返ったりしていた。

 志賀高原にある渋峠では、久々に長兄と三男の兄弟と落ち合った。白銀に染まる季節には数回訪れていた同地だが、秋が深まる志賀高原に訪れるのは初めてのことだった。峠山頂付近には、ドライブのクルマとツーリングのバイクで渋滞気味であった。意外なほど喧騒の山を下り、木島平にある馬曲温泉へ行くことにした。この辺りに土地勘のある恩師から奨められていた温泉場なのだった。日曜日のその日、果たして温泉場では村をあげてのお祭りの日だった。閑散とした地方にありがちな寂れた公共浴場を想像していたが、この日は勝手が違っていた。無料開放しており、出店や、野豚の丸焼きを振舞ってくれたり、ほのぼのとした賑やかさがそこにはあった。
 古くからの、どうってことない営みの中にある晴れの日。地元の方たちが、甲斐甲斐しく、訪れる者たちをもてなしていた。筆者の住む上越地方に、こうした訪れるものを厚くもてなす風潮の希薄なことが、返す返すも残念でならなかった。
 温泉につかり、馳走をいただき、東京へ日帰りで帰る兄弟に合わせて15:00頃現地解散した。

 そしてそこから1時間半ほどの、いまいましく懐の浅い現住地へ筆者も舞い戻ったのだった。この諦めに満ち満ちている街で寛容な人々は、大変に苦労している。大概が諦め深く過ごしている中で、孤軍奮闘を強いられるからだ。
 上述した風潮などからこの街では飲食店に限らず、商店などに行くと少なくなく不快な気持ちにさせられることが多い。そしてその対応を巡っての問題点に、当事者サイドは少なからず自覚があり、だが改善をしようとはしない心持に決して未来を感じることは出来ない。

 二日間の宿泊で蔵王に行って来た。これはまた別の機会に書こうと思う。
 休みの間、志水辰夫さんの小説を読んでいた。シミタツ節と呼ばれる言葉の数々が胸に突き刺さる。

 「行きずりの街」を読んでいた。と言っても一回目は3、4時間ほどで読みきってしまった。解説の北上さんも書いているように、クライムノベルでありながら恋愛小説でもある。
 

 

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2006年10月 3日 (火)

Damage

 Cranebell
今日は糸魚川の病院で「めまい外来」があったので、仕事を休み、行って来た。

 富山の、めまい分野では高名な先生が様々な検査結果をもとに診察をしてくれて、
あっけないほどの時間で終了した。

 メニエルかどうかまだはっきりしないというか、そう易々と診断できないのか分からないが、
「右前庭障害」と言うことだった。

 先生が「そのうち安定してくるでしょう」と、当たり前だが他人事のように言ってくれて、
少し不安な気持ちが和らいだかな。
 あとこの間検査をしてくれたチャーミングな先生は今日は逢えなかった。

 自分でこうなってしまった事をいろいろ整理して誘因を探すと、いや探さなくても出てくることが沢山ある。
 多分もうずっとDamageを背負ってきているよね と。

 こう言ってしまうとすべてが終わりでみもふたも無い様だが、こちらの生活は潤いが少なくてとってもとっても辛い。家庭でもあって、それで流れが変えられるような事象があれば多少は話が違ってくるとは思うけど、一人でいて、特に冬の天候の過酷さは救済の余地が無いことは明白だ。冬の間、太平洋側がほぼ毎日のように晴天が続いているとき、こちらは決まって大雪が降ったり曇り空がずっと続いたりする。それで地元の人は当然だとするDNAがあるから「我慢」をすることが出来るのかもしれない。でも筆者のように、言ってみれば30数年人生の全てを太平洋側で過ごしてきた身には「我慢」をすることも、「あきらめる」ことも出来やしない。それで、いわく無駄なパワーを使ってしまう。

 いろいろこちらでHappyになれるように、文化や風習を学んできた。それでも核心に触れようとすると拒絶される。核心がどうなのかわからなくても、その周囲が遠ざける。このあいだとどめを刺された。

 ずうっと考えて、悩んで、でも人の気持ちはその文化や風習の前では無力だ。
 それで病気になって、まるで自爆みたいで馬鹿だなと。

 そういう救いようの無い病気と、最低な気持ちのまま過ごしている。

 それで先生が察したのか、「メニエル」で検索してこのブログを読んでいたのか知る由も無いが、
ワイパックスと言う、なんだか不安感を軽減する薬を処方してくれました。
 いやこれって「抑うつ」の薬なんじゃないですか?

 今のところ軽い発作が時々起きるだけなのでまぁ安静気味に過ごしてれば直りそうな感じはしている。
 でもひどい発作は本当につらい。

 また冬が来る。ブログの記事も今年の冬はずっと書けないでいた。
 今から少しずつ流れを変えていきたい。

 第一弾としてストレス解消、画像のペンダントを買いました。ほんとうにきれいな音色で鳴く鈴です。
 レナード・カムホートのcranebellです。
 
 

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2006年7月14日 (金)

ものを欲しがらない生活なんて

 件のnikkeibpに「ものを欲しがらない生活」が前後編ともエントリーされました。

 記事を読んだ感想ですが、「精神論者イラネ」

 なぜこのような記事を書く人間を、あたかも信憑性あるかのように紹介するのか不思議です。

 世の中にはあなたの知らないことが沢山あって、あなたの知らない間に企業努力も相当なところにある。

 このようなお気楽ボケのエディターだか環境利権のおこぼれ拾いだかの人を、
筆者の職場で引きずりまわしたいと思います。

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2006年6月11日 (日)

「日本の、これから」を視聴して(視聴料未払い)

Nihonnokorekara


 W杯が衛星で放送されているさなか、NHK総合では「日本の、これから」米軍基地 の回が放送されていた。
この時期に流す意図がいまいち掴めず、しかも画像にもあるように昨年の8月15日「じっくり話そうアジアの中の日本」の回と同じ”市民”の顔が散見され、なんだかなって感じが一般市民並みのオレにはしたのだ。
 沖縄の方が大勢出演されていた。この方たちの意見を聞きながら、「なぜ新崎先生のような方を呼ばないのかな」と言う疑問がふつふつと沸いてきたものだ。新崎先生の著述に現代日本と沖縄という名著がある。ページ数も少なく、事実に基づいた主張が簡潔に記され沖縄問題とあえてネーミングすれば入門書に値するものだ。
 この中でも当然のように、W・J・シーボルトから国務長官への「マーシャル書簡」についての記述がなされている。天皇は保身のため、ちゃっかり沖縄を米国へ差し出していた。と言った内容で天皇を糾弾しているのが興味深い。(新崎先生は国立大の教授)憲法第4条施行のどさくさなのか、国民や沖縄県民を愚弄した行為なのかは不明だが、人間天皇はシーボルト向きに私感を述べて国事行為そのものに関与していることは明々白々なのである。オレは右翼でもなければ左翼でももちろんない。しかし米軍基地の問題は、占領時の天皇の私的な約束事が天皇制維持、国体護持に大きく関与しており、そのことを議論に挟みつつ番組を作り上げる気がないのなら茶番に終わってしまうだろうなと考えていた。結局茶番に終わり、なぜ沖縄は本土復帰なったのか?と言う議論もなかった。出演していた新左翼の陣営は明らかにイノセントに過ぎた。本当はそれは天皇が決めたこと。だからタブーなのだ、そのようなことはNHKの討論には馴染まないのだろうか。
 件の書簡の取り扱いを、右翼や右翼もどきの人間は「米帝憎し」の論調でそこまで天皇を追い詰めた背景を語る。だからこそ沖縄出身である新崎先生の事実に基づいた冷静な言質は傑出しているのだ。840円と安価であもあるので是非読んでみてはいかがだろうか。沖縄から本土へ来た方々の苦難の歴史や、芸能に秀でた人々が生まれる土壌についても言及している。


書簡の内容は以下のとおり。

 主題 「琉球諸島の将来にかんする日本の天皇の見解 」 国務長官殿 在ワシントン

 拝啓  天皇のアドバイザーの寺崎英成氏が同氏自身の要請で当事務所を訪れたさいの同氏との会話の要旨を内容とする1947年9月20日付のマッカーサー元帥あての自明の覚書のコピーを同封する光栄を有します。

 米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること、疑いもなく私利に大きくもとづいている希望が注目されましょう。また天皇は、長期租借による、これら諸島の米国軍事占領の継続をめざしています。その見解によれば、日本国民はそれによって米国が下心がないことを納得し、軍事目的のための米国による占領を歓迎するだろうということです。                                  敬具     合衆国対日政治顧問 代表部顧問                   W・J・シーボルト

東京  1947年9月22日


前記書簡に添付された総司令部外交部作成の「マッカーサー元帥のための覚書」(1947年9月20日)

「琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解」を主題とする在東京・合衆国対日政治顧問からの1947年9月22日付通信第1293号への同封文書  コピー  連合国最高司令官総司令部外交部       1947年9月20日

 マッカーサー元帥のための覚書  天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来にかんする天皇の考えを私に伝える目的で、時日を約束して訪問した。

 寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。天皇の見解では、そのような占領は、米国に役たち、また、日本に保護をあたえることになる。天皇は、そのような措置は、ロシアの脅威ばかりでなく、占領終結後に、右翼および左翼勢力が増大して、ロシアが日本に内政干渉する根拠に利用できるような〃事件〃をひきおこすことをもおそれている日本国民のあいだで広く賛同を得るだろうと思っている。

 さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の島じま)にたいする米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借-25年ないし50年あるいはそれ以上-の擬制にもどづくべきであると考えている。天皇によると、このような占領方法は、米国が琉球諸島にたいして永続的野心をもたないことを日本国民に納得させまた、これにより他の諸国、とくにソ連と中国が同様な権利を要求するのを阻止するだろう。

 手続きについては、寺崎氏は、(沖縄および他の琉球諸島の)「軍事基地権」の取得は、連合国の対日平和条約の一部をなすよりも、むしろ、米国と日本の二国間条約によるべきだと、考えていた。寺崎氏によれは、前者の方法は、押しつけられた講話という感じがあまり強すぎて、将来、日本国民の同情的な理解をあやうくする可能性がある。              W・J・シーボルト      

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2006年5月22日 (月)

仕出し弁当や給食なんて

<栄養失調児>校長見かねて、こっそり牛乳飲ます

 家で与えられる食事はコンビニエンスストアの期限切れのおにぎり、菓子パン――。栄養失調が疑われる児童に、校長がこっそり牛乳を飲ませている小学校がある。校長は「家庭のしつけまで学校が引き受けるのはどうかと思うが、(劣悪な食事の)限度を超えている」と嘆く。食育基本法が昨年夏施行され、国は朝食を取らない小学生をなくそうと呼びかけるが、法の理念とかけ離れた現実に学校現場から悲鳴が上がっている。
政府は食育基本法に基づき今年3月、食育推進基本計画をスタートさせた。そこでは「朝食を欠く国民の割合の減少」を目標に掲げ、10年度までに朝食を取らない小学生をゼロにするとの数値目標を盛り込んだ。
 都教委の昨年の調査で「朝食を必ず取る」と答えた小学生は79.7%、中学生は70.2%。逆に「食べない」「食べないことが多い」という小学生は5.1%、中学生は11%だった。【高山純二】
(毎日新聞) - 5月22日3時7分更新

 筆者は小学生の頃の給食を完食した記憶が無い。理由は単純、不味かったからで、戦中派の教諭がまだ多かったその時代、戦中の食糧事情を用いられて随分と責められたものだった。終戦記念日や東京大空襲があった日には「すいとん」なんかを出されて無理やり奨められたことが今でも忘れられない。
 給食を作っていたおばちゃんたちもが戦中派の多い時代、給食ではなくきっと餌を作るような感覚で調理をしていたのかも知れない。だから本当に不味かったし、不味いものを無理して食べなくてはならない労苦を筆者は放棄していた。 親が愛情を注いで作ったものなら、子どもはきっと美味しいと言って食べるはずだ。食育基本法は結構だけれど、上の記事の問題ならば親子関係基本法のほうが先なんではないだろうか?
 

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2005年2月13日 (日)

ウインドプロファイラ 夜空に星があるかのように

3


 一昨昨日より降り続いていた雪がようやくやんだ高田。
 スキー場に東京より通い慣れていた身にも連日の降雪はかなり堪えるものだ。雪は放っておけば降り積もり、クルマが唯一の交通手段である地方都市では除雪が文化の一つとして根付いている。文化とは無意識のうちに育まれるものなのか分からないが、雪と上手に付き合えるような街づくり家作りがそこかしこに見られ、夏の間には分からなかった機能が雪月下にさらされる。
 暮らし慣れなければ、意志薄弱のものは容易く貶されていく。雪原に埋もれてしまった石の欠片をもはや誰も探そうとはしない。春が来る頃には川の底へとさらに堕ちて行ってしまうのだろうか。

 明日はスキーに出かけようと思う。朝起きて具合を見計らって出かけようと考えている。今夜は冷え込んで路面も凍結の度合いを増しているからきっと明日は晴れるだろう。

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