2009年4月 6日 (月)

春に生まれ

 春眠暁をおぼえず、の故事に
あるように、春はついつい寝過ごしがち。

 この世に生を受けた
この日々は、出張地の
鈴鹿で過ごしています。

 振り返れば、あのとき
こうしていたら、
こうなっていたら今の自分は
ないなと、考えてしまう。

 前よりも、今の自分のほうが
幸せだから、その大概が
「あの時そうなってなくて良かった」
ということが殆ど。

 例えば、悪気は無いけど・・・
「あの時あの女とくっついてなくて良かった」
とか。
 その女性と懇ろになっていたら、
いまの地点に自分はいなかったんだろうなと、
そう考えるとホッとする自分が居る。

 男女ともに一緒になって
成長していけるのが、やっぱり
理想かなと。
 お互いがブレーキになったり、
枷になったりするのは
瞬間に自己陶酔はできるかも
知れないけれど、長い目で
見るとお互いか片方が
結果的に不幸になるパターンが多い。

 男女の関係だけではなくて、
これは人間同士の付き合いの
基本なのかも知れないなと。

 当たりのよい甘言や
印象を残す人から、
人は離れづらい。

 居心地が良い場所は、
人に何も残さない。
 
 誰だって、アカの他人の
おまはんには粗を指摘する
ことなんてしたくはないだろう。

 でも、本来自分が視線を逸らしがちな
ところに本質は見え隠れしている。

 人に苦言を呈されて、逃げずに
 苦手なところを克服したりするのが
人生の副題と言うか醍醐味なんじゃないかと。

 しかしまぁ、今年度は
まさしく荒波の中でのスタートだね。

 鈍感か、そう言ったものに
今まで無影響な人々にも、
この低調さはやがて行き渡る。

 今自分が住むこの世界の
背景を感じ表現し生きて行くことが
できるかどうか。
 
 その成否でこの先の
有る無しが決まるんじゃないかとか。
 

 
 
 

 
 

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2009年1月26日 (月)

レースの町、鈴鹿。

 実は出張が明け、
年明けの本社に戻って勤務を数日
すごした後、次のJOBが
直ぐに決まった。

 今度もと言うか、
また三重県で、四日市の
隣町、鈴鹿市が今度の舞台。

 いまの世相から言って、
こうして直ぐに社会から
必要とされるのは
本当にありがたい話だ。と思う。

 少しの間、横浜にいそしむ
心積もりだったけれど、
上記のように次の舞台が
早々に決まった。

 なんだか少し落ち着かないなぁ
と言う精神状態などから、
この週末にかけてエントリー
していたスキーの大会は
キャンセルしました。
 全然練習も出来ていないし。
 今シーズンは、まだ蔵王での
はちゃめちゃな初滑りだけです。

 先週、鈴鹿に行ったけれど、
サーキットの近辺は何もかもが
変わっていた。
 初めて訪れたのが、高2の頃だから
かれこれ20数年前になる。

 あの頃は、サーキットの周辺には
殆ど何も無く、平田町の駅周辺に
ほんの少しお店があったくらい。
 駐車場も、サーキットのグランドスタンド
前のところにでも、
サーキットランド入り口ゲートの直ぐ脇にでも
クルマは置けた。ノスタルジー。

 今年はフォーミュラ1が
戻ってくるので、先週前を
通ったときも盛んに改修を
行っていた。

 筆者のお客さんのところは、
サーキットのすぐ北側にある。

 フォーミュラ1の時は、
もう仕事も済んでいるんだろうけど、
8H耐久の時は凄い混雑で
仕事にならないかも、そんな
ことを考えながら仕事ついでに
出張部屋を探していた。

 ある程度は予測できたが、
有期雇用の契約打ち切りなどで、
部屋はどんどん空きが出てきている
様子。中部地方の落込みは激しい。
(賃料はまだ下がっていないけど・・・)

 こうして旅打ちの博徒の様に
出張に次ぐ出張の暮らしは、
あと10歳も若ければなんの
気にもならない。
 人は「大変でしょう」と言う
けれど、たぶん「大変だ」とか
「苦しい」「そんなものは出来ない」と言う
マインドは、どんどん自分の行く先を
狭めてしまう。
 有期雇用の人達の一部も、
余りにも仕事を選んでい過ぎる
現状が指摘され、
「やっぱりな」と言う心象を
社会に与えてしまった。
 
 「オレはこれしか出来ない」
と言う、言える事は、実は
楽なんだと思う。

 企業がグローバル化を
進めていく中では、
昨日迄は技術系、今日からは人事
なんて言う配置や起用は
ごく当たり前にある。

 実はレースや競技と言う
ものを好んでするマインドには
理由がある。

 レースと言うのは、
もちろん競争相手がいることで
成立するものが殆どなのだけれど、
レースの本質は自分との
競争に他ならない。
 自分との競争に
勝つと言うことは、
Excuseを虱潰しに
していくことだ。
 
 自分の気持ちに素直で
自分に嘘をつかない。
 言葉にすると陳腐で
どうしようもない作業に
思えるようだが、
これは案外いちばんしんどい。

 最初の目標や志が
低くてもいい。
ただ一度それを
やり遂げると、
借り物で無い価値観や
自分だけの言葉を
発することが出来る。
 安易に迎合しなくなるし、
座標軸もぶれずに進める
ことが出来るだろう。

 長い長い2009年も、
ひと月目を過ぎようとしている。

 ララには申し訳ない
けれど、旅に付いて来て
もらうやに。(三重弁)

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2008年8月 4日 (月)

ヨットマン(仮)の憂鬱

 三重県は河芸、鳥羽、そして琵琶湖にも
行ってレーザーを探してきましたが、
取り扱ってなかったり、譲れるような
艇が無かったり・・・

 あっても、そこの管理置き場に
保管するのが条件で、そう言うとこは
艇はタダかタダ同然、保管料が少し高め。

 筆者が真鶴の岩港に、
ヤンマーFX24というボートを
置いていた時は、陸置きで
2万円/1フィートだった。
(年々値上がってて、最後は3万くらい)
 だから毎年最低でも60万弱はかかる訳で、
ディンギーのシングルハンド艇を
ロケットと呼ばれるラックに
葉山や逗子で12,3万払って置くのよりかは
だいぶ維持費がかかる。
 さらにボートは上げ下ろしにも、
幾らかの費用がかかる。

 港は基本的に漁師のもの。
 日本の海を取り巻く権利関係は、
入会(いりあい)権のあった江戸時代に
さかのぼって、殆ど進歩していない。
 漁師はお上に鑑札代を払っている。
 だからお上から許可を受けた、
海は漁師のもの らしい。

 

 ディンギーは、艤装からして
乗る人が出来てしまう範囲なので、
はっきり言って、売った後の
ショップに旨みは少ない。

 マリンショップやハーバーが、
30フィート楽々オーバーの
ボートやセーリングクルーザーを
扱いたがるのは、そりゃそっちのほうが
儲かるから。
 保管料と内燃機、ペラ等のメンテナンス。
 係留艇なら喫水部の防錆・防貝塗装。
 年に何回か乗る程度の人が殆ど。
 でも横浜ベイサイドマリーナなら、維持費で
中古の程度良いメルセデスSが買えてしまう。

 日本の海岸線は、走ってみれば
よく分かるけど、単調でつまらない。
 
 景勝地では岩がボコボコしていて、
気持ちよく走ることなんて出来はしない。

 それで最後は結局釣りに流れていく。
 釣りぐらいしかすることがない。

 のんびり派以外は、ウェイクボードなどに
挑戦している。でもこれだってそんなに
楽しい感じがするものでもない。

 やるなら、潮っ気のない湖でやったほうが
気持ちがいい。

 

 ディンギーはまだ少し可能性がある。

 三重に居るうちは津において、
横浜に帰ったら自宅に保管、
カートップで持ち込む。
 
 年に保管料だけで12,3万円も払うのは
気が引ける。

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2008年6月 4日 (水)

それ、それ、駅前のモアーズで買っただろ?

 横浜に帰り、そして四日市に出張です。
 土曜の仕事を終えて、PM11:00頃に
東名阪四日市IC→伊勢湾岸道
→東名豊田→横浜町田→保土ヶ谷バイパス
うんぬんかんぬんうんぬんかんぬん・・・
 AM2:00過ぎには自宅前に着きました。
 ご近所迷惑ですが、マニュアル車
なりのブリッピングをかましつつ入庫。
 
 ふえーー疲れた。
 途中道を譲ったのは、たぶん玄人の
34Z、1台のみ。こちらはCF4アコード。
 ほとんどこの方と150くらいで抜けてきた。
 たぶん最速ペースだったと思う。
 一度尼崎から4時間半で横浜と言うのは
あったけど、VOXYでそんなことするのは
まったく筋道が合っていると思えない。

 日曜日はルミオンの納車だった。
 なんやかや350くらいの高い
クルマに仕上がっていたけど、
VOXYの下取りがあるので、そんな
感じでも無かった。
 当たり前だけど、ルミオンは遅い。
 刺激なんかも全く無く、
それなりに走っていさえすれば良い、
そんなクルマ。
 
 その前に、横浜駅付近で、
筆者親友氏と約半年振りに会う。
 京料理なんかをランチコースで
頂く。やっぱり幸さんの地元である
京の都の風情は、オフ時には
欠かせない。
 そんなことを知る由も無い
親友氏と、酒抜きでしゃべりまくる。

 でもなにを話したか、あんまし
覚えていない。
 言説に責任持たないでもいい、
気の置けない親友氏が相手だったか、
好きに話していると、何も考えないで
結果なにも覚えていない。
 ただ、あいつの顔だけが
思い浮かんでくる。

 夕方、ルミオンを取りに行って、
少し乗り回す。
 うへ って感じ。
 仕方ない。


 夜は、遊びに来てた両親と、
焼肉を食べに行きました。
 自分が親友氏と会っている間は、
お小遣いをあげて、家の片付けなんかを
お願いしちゃっていた
トンデモな坊っちゃんです。

 こうして書くだけでも
地元に戻ればそれなりに
予定があったり、行くとこ
あったりするのですが、
出張地だと外出=飲み会。
 なんて言うか最悪でしょう。
 健康に悪いこと請け合い。

 いやいや、最近思っているのは
ホタルでも観にいこう。
 そう考えている。

 もうあまり何も考えないで、
とりあえずHAPPYな生活を
追求しよう。

 愛するものと、
そうではない他の人は違う。

 そうではない、他の人の
なにかを考えたり、
巻き込まれたりすることはやめよう。

 自分はつくづく人に甘い。
 愛し愛される人以外に、
甘くするのはよして行こうと、
最近つくづく考えるようになった。
 
 情けは人の為ならず 
巡り巡って己が(自分の)為
 って言葉があるけど、
自分の解釈は少し違う。

 情けをかけて、それで
酔いしれてんじゃねーぞ
馬鹿野郎  と。
 情けをかけるほど、
お前はそんなに上等な
もんか。
 
 はい、
まず自分の幸せを考えて
行きます。

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2008年5月30日 (金)

本牧ベイカーズストリート

 今週末は、4週間ぶりに横浜へ帰ります。
 こうして出張地や、転勤地で長々と
過ごすことも慣れました。
 慣れたのと、だからそれが良いのか
とでは意味が異なるけど。

 やっぱり仕事以外の知り合いが
いないのはきついなと感じる。
 仕事がきっかけでもいいから、
気の許せそうな損得・利益等抜きの
関係を築けそうな人も、今はいない。

 それでこの間、こちら三重の
エリアではじめて床屋に行きました。
 「ひろたこういちのカットハウス」とか
そんな名前の店だったのですが、
ここは広田民郎さんと言う
モータージャーナリストの実家だった
ようでした。
 あと、店長さんが、自分が車高調を
組んでもらった店の同級生だったりして、
クルマの話を床屋談義でしてました。
 だからどうしたってことも無いけど、
こちらで初めて地元の人と長いこと
話した気になりました。
 ここへは通いたいと思いましたね。

 会社からは、「もっと会社に来なさい」
(出張なんだから、どんどん帰着していいよ)って
内容の話を頂いているのですが、
いかんせん、ララを乗せて東名を
行ったり来たりするのも疲れるので、
一ヶ月に一回くらいかなー。
 あと、東名は事故多いしね。

 往復約800kmですが、
週末の短い間にやるのは
骨の折れることですバイ。

 バイクなんかも置きっぱだし、

本当は沢木竜一みたいに
本牧ふ頭をかっ飛んで、
マリンタワーの見える
どこかにバイクを置いて
タバコでもふかしてやりたい。
 やっぱり、横浜はバイクで
疾走したい街だよな。
 何の気なしに、プラっと
出かけて、そこいらにバイク置いて
気になったところ、店に
分け入って行く。
 
 バッテリー上がりで走れないけど。

 

 ルミオンを注文したものの、
いまいち心躍るようなクルマではないし、
仕方がないんだけど、ちょっと後悔
している。
 予定通り計画通り、ゴルフGTI程度に
しておけば・・・
 

 外車って、日本全国どこの
ディーラーに持って行っても
相手してくれる訳じゃないし、
前にメルセデスベンツの300TE
4MATICに乗っていたときは、
新潟で高い金払って、某店で
メンテしてもらってた。

 横浜にいた時は、
世田谷のはずれにある
溝畑さんというベンツの修理やさんで
面倒見てもらってた。
 ここは、もう安くなった同等品の
部品でメンテしてくれるので、
プアリルボーイな筆者には
頼もしい存在だったのです。

 当たり前なんだけど、
ベンツは重たく出来ていて、
それで乗用車のベースで
言ったらそりゃ国産なんか
全く比較にならないほど
剛性感がある。
 音も、乗ってると
とても静かだし。

 シトローエンは・・・
さんざん乗ったけど、
味わい深い車種は、
完全に趣味の世界に
入っていて実用向きじゃない。
 カローラが一台あって、
それでシトローエンの
CX-turboとかDSあたりの
を乗っているなら良いかな。
 とにかく一台足クルマがないと
正直しんどい。
 あと、クルマがないと
やっていけない車社会の
街なんかには、それに乗って
出張だの転勤だのは出来やしない。

 まぁ今は仕方がないけど、
次は絶対に趣味のクルマを
一台買おうと思っている。
 今乗ってる、CF4アコードを
いじり倒す手もあるけど。
 
 そんな具合で、クルマしか
楽しみがない、田舎の青年みたいな
生活を送っている日々です。↓

 まぁあと、最近ホントに
事件が多いですよね。
 常軌を逸脱してバラバラに
してしまうやつ。
 よくそんなことが出来るよな と。
 

 

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2008年5月26日 (月)

ブラインドコーナー

 幸さんハイの幸さんですが、
最近はめっきりエントリーの
数も減り、いろいろと心配されて
いる方もいるのだと思います。
 まぁそうは言っても、
ああして逆転ゴールを
かます、涼しげな浴衣姿で
溜飲を下げた方が大多数かと
筆者は推察するのですが、
いかがでしょうか。

 しかし、せっかくなので、
流行のサンダルではなく、
下駄か草履にしてほしかったぞ。と。
 清坂亭でサンダルは、
ちょっとさびしい。
 赤い鼻緒でいって
欲しかったね。と。
 他が隙なしだっただけに。

 


 話し変わって、
 5/23、先週の金曜、
およそ9ヶ月ぶりに、筆者に
多くの影響を与えた方と、
久方ぶりに再会した。

 わざわざ筆者が出張地の
四日市まで来てくださり、
感謝の念が絶えない
夜となりました。

 仕事の話もいろいろ
したにはしたのですが、
いわく「早く嫁さんもらえ」と、
「四日市の女とこっちで暮らせ」
などと言うアドバイスを
いつもながらに頂戴しました。
 
 新潟にいた時は、
「新潟の女と~」で、
尼崎にいた時は、
「兵庫(関西)の女と~」と、
筆者の転勤地や出張地の
主語が違うだけで、
まぁとにかく早く、
結婚せえやと言うことでした。

 お互いが電車の時間を
ある程度気にしながらの
飲食だったので、この方と
飲るペースにしては、
非常に穏やかな感じの
会合でした。

 いろいろあるにはせよ、
早いとこ奥さんになる人を
みつけて仲良くならなければ
いけないのは毎度毎度の
課題なんですが、
どうにも旅の街では
上手い具合に口説けないのも
事実。

 流れ者気取って見たところで、
そりゃ岡林信康の唄みたいに
「現場終わったその日のうちに
俺もいないさこの町に」と、
うそぶくのは格好良いけど、
それじゃあ、あんまりだし。

 とにかく、この方をはじめ、
親以外に心配とご面倒を
方々にかけているのは
事実な様なので、
今後は一日でも早く
社会性を帯びて、
年齢不詳のあぶない
ことをする人と言う
定評も返上したいと
思うのであります。

 会社での、メンタルヘルスの
テスト結果が返ってきました。

 内容的には、
これまさに「オレの事」で、
どう言う傾向でこういう
結果になったのか、
それはテストを考えた人のみぞ
知る由と言いたいところなのだが、
テスト内容から推察するに、
同じような設問に同じように
答えていくと、そうなるんだろうなぁ
と言う感じがしたのでした。

 つまり、同じような設問に
同じように律儀に答えると言う
ことは、それだけ外せない
何かがあり、偏執でもあり、
律儀に答えると言うことは、
それだけマメで完璧主義者
なのだと、このテストでは
決め付けたいらしい。

 完璧主義者の傾向あり、
と結果が出てみても
別に驚きはしなかったけど。

 ただ、
「仕事も家事も必要最小限にとどめる」
ことをお奨めされたって、
そりゃ困りますよ。
 オレだってそうしたいしさ。
 むしろ、会社が催す
メンヘルのテストにしちゃ
至極公明正大なような
気もしないでもないけど。

 必要最小限にとどめて、
それが高効率で素晴らしい
成果を挙げるのなら、
べつに問題はないんだろうけど。

 無駄な動きもして
みたいじゃないですか。

 むしろ、無駄な動きを
忙しいさなかに
出来るのが、生活に潤いを
もたらすものだとも思うし。

 まぁ限度問題なんだろうけど。

 社会性帯びたいね。
 是非とも。

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2008年1月24日 (木)

弁当忘れても 傘忘れるな

 ええ そのままなんですが。
 そのまま幸さんへ伝えておいて
くださいまし。
 
 新潟にいた時は、ぴたりと
あてはまる言葉だった。
 いきなり降ってくる雨や雪。
 傘だけじゃなく、できれば長靴も。
 
 たまに降ればうれしいというか
風流なようにも感じられますが、
実際雪害の地方から帰還した
筆者にとって、あの辛さは忘れられない。
 大雪だとか、暴風雪って天気予報で
流れれば、わざわざ東京からスキーに行こうとか
思わないし。
 でもそこに住んでいると、暴風雪からも
大雪からも逃げようがない。
 ただ黙って春を待ち望むのみ。
 だってイエティと呼ばれた筆者でさえ、
プチ引きこもりになり、おいおい今更かよ
ってな具合でPS2を買って生まれて初めて
テレビゲームの類をしていたくらい。
 今はテレビゲームなんてやろうと
まったく思わないから、よほどひつまぶし、
いやもとい、暇つぶしの手段に困って
いたし天気が悪くて外に出る気も
どこにも行く気が起きなかったということ。

 

 横浜へ二週間ぶりに帰ってきた筆者。
 懐かしい方々お世話になった方からの年賀状。
 やっと読めました。

 都会のそれで、ヘンなものを貰ってしまい
現在のどが痛い状態です。
 風邪かなと。

 皮肉にも昨日の夜、撮りダメしていた
映画「アビエーター」を見ていました。
 強迫性障害の主人公ハワード・ヒューズが
細菌汚染を極端に嫌う描写がなんとも迫真。
 これくらい気をつけていれば、風邪なんかを
貰う羽目にはならなかったぞと。


 それにしても横浜関内のランチは最高。
 
 四日市では周囲に食べ物やさんが
あるにはあるけど貧相で、
仕方なくコンビニのあまり美味しくない、
いやはっきり言えば紙を食べているような
虚しさにかられるものを食べていた。

 そこへ洋食屋さんの宝庫、
関内でランチを食べているのだから、
雲泥の差、若しくは天国と地獄。

 グラタンなんかが、今の時期最高に
美味しい。時間があったらじっくり焼いた
焦げ目の少し多いのを毎日でも
食べていたいくらい。
 
 洋食屋のランチ。
 メインの料理と、オレンジ色した
ケチャップ味のスパゲッティー。
 マカロニサラダか、ポテトサラダの
乗ったレタス&キャベツの野菜類。
 ライス、皿盛り。
 これをナイフとフォークでいただく。
 汁物は味噌汁でもスープでも
なんでもいいが、今の時期なら
豆がいっぱいのミネストローネなんかが
最高にうれしい。

 外食系和食は・・・
 はっきりいって、高級ぶっていながら
偽装なんかに手を染める輩がいるし、
気取るんじゃねーと言いたい。
 うんちく垂れの寿司屋とか、
食い方に注文つける
ラーメン屋も大嫌いです。

 食い物でガタガタ言うのは
男じゃねーと。
 結論は洋食屋さんのランチって
ことになりました。

 

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2008年1月12日 (土)

HAPPY&BLUE

 幸さんはケイト・モスばりのヘアチェンジを目論んで、
髪をお切りになったそうです。
 本人いわく「微妙」ヘアチェンジらしいのですが、
そのお姿を是非見たかったなと、悔恨。
(悔恨って、そんな大げさな・・・)

 手帳はどんなでしょうか。
 筆者の出張地三重県では、
よく「手帳は高橋」のCFが流れています。
 今年は薄いBlueの表装になっている
のを買い求めました。 Image091
 もちろん「高橋」のです。うひゃ
 一緒にペン先の細いぺんてるハイブリッドの青も
買います。いつもの通り、進歩なし。

 幸さんは、HAPPYなオーラをまとい、
HAPPYを引き寄せる
と、書かれておりますが、
まぁなんと愛くるしい言葉なんでしょうか。

 考えるに、筆者の場合は男なので、
HAPPYなことがあっても人前では
下を向いてニヤニヤしていることのほうが
多いですね。
 あとまぁ男女問わず、HAPPY人でない人から
思わぬ攻撃を受けることもあるので、
HAPPYな時ほど慎ましやかに
気をつけて行動するようにします。
 それで、都会の雑踏に紛れ込んだときや、
夜眠る前にHAPPYなことを思い浮かべて
ニヤニヤしながら眠りにつく。
 これは最強最高なんじゃないでしょうか。
 こうゆうときは、お酒なんかで希釈せずに、
目一杯幸福に浸るのがお洒落ってものです。
 お酒なんかに紛らわされたら、
もったいないじゃないですか。
 
 基本、他人は人の不幸が好きですからね。
 まったく少しばかり嫌な世の中です。

 
 筆者の前に所属していたところが、
90年の長きに渡って貫いてきたポリシーを
捨てるそうです。
 ドメスティックに言及すると、分社やなにかの
組織名が長くなりそうなので少し気の毒に
思いました。
 人は進んで不幸を望んでいるわけではないのに、
不幸な身の上の人もいる。
 ならばHAPPYな人が、余力のあるうちに
そのHAPPYを伝道してまわれば良いのです。
 思うのではなく、行為をしてまわる
ことが大切です。
 そういう事が出来る人は、
自然と特別な存在になれるし、
身にまとっているものも、
単なるHAPPYではなく、
一歩進んだ「充足」になれるのでは
ないでしょうか。
 人様の価値観・尺度とは関係なく、
充ち足りるを知る。
 
 幸さんのにプラスして、
笑いながらHAPPYなことばを口にする。
 
 辛い時ほど笑っておけ と。
 座右の銘だったりします。
 
 
 
 

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2007年10月19日 (金)

耳の痛い話。

 
 広島から戻ってきました。

 帰りはANAのボーイング777-200と言う
機体で羽田に到着しました。

 広島を離陸してから、
何事も無かったかのように
めずらしく機内で夢うつつの
状態でいたのです。
 機内サービスもスルーです。

 ところが起きてからが
悪かった。
 航空性中耳炎にかかって
しまったようで、何度耳抜きしても
耳の奥がぷちぷち言って
痛くて仕方がありませんでした。
 到着ロビーを歩いても、
音が具合良く聴こえずに・・・

 羽田まで親父さんに
迎いに来てもらい、
いまエントリーを書いている
くらいだから、まぁ大したことは
ないと思います。

 雨雲の影響か、
機体が何度か上がったり
下がったりしたのかも知れません。

 航空機での移動は、
その場所から突然いなくなるので、
おセンチな筆者には苦手です。

 いろいろ。離れるときも、修羅でもない限り
ゆっくり離れたいものですね。

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2007年5月29日 (火)

或る日、突然Racing

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 週末、所用にて横浜に帰っていました。
 実家の親が整理してくれて、もう15年近く放ってあった写真入りの
袋の中に、Racingの写真を見つけたのだった。

 センチメンタルな心情に
 ついかられて

 オレはデジカメで
 その写真を記録した

 今、職場や、むかしの自分を知らない人に、
「ロードレースをかじってました」と言っても
誰も信用してくれないのが悲しい。

 どんな奴でも一度くらいは
 cheap thrillに命を賭けてしまうのさ♪

 どんなにつまらなそうな顔をしていても
 「熱狂」が何かは充分理解しているつもり

 学校に通う友人たちを尻目に
 オレはサーキットに通って

 そこで何ものかを学んだ

 難しいこと
 簡単なこと

 あきらめられるもの
 あきらめてはいけないもの

 愛するもの
 愛さずにはいられないもの

 夢
 煙草

 寒い日に焼けた
 オイルのにおい

 息づかい

 体躯は自分の子どものように
華奢な若者

 でも それが20年前のオレ

 どうしたら速く走れるか

 軽量化で、減量に励んでいたオレ

 マドンナの宝石にあらず

 俺様の宝石さ 
 

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2007年5月 8日 (火)

メニエルさんとフラッシュバック登場

 今朝方、実に一ヶ月ぶりのひどいひどい発作が起き、仕事を休んでしまいました。
 
 ちょうど家に飾ってある、榎木孝明さんのベイブリッジを描いたリトグラフの中心に釘を打ち付けて、それがグルグルと廻るような感覚の症状でした。
 目を閉じていようがあけていようが、そのような状態が続くので、なにも出やしない嘔吐感が絶え間なく
襲ってきます。

 発作がひとたび起こったときのめまいの具合は、段々と酷くなってきているように思います。

 発症初期の頃は、メリスロンなどを服用しておとなしくしていると二時間ほどで収まったのですが、
今回のは発作が起きて、まずいイソバイドを生で飲んでも一日朦朧とした状態のひどい有様でした。

 体が資本だと誰からも言われますが、突然の不幸はなんの前触れもなくやってきます。

 頭はどうにもこうにも劣等でおりますから、体だけはなんとか健康を保全して行きたいものです。

 このあいだ、「五年間まったく良いことがないよ」と、うそぶく人と話をしていたのですが、
えー、それって贅沢な感覚だよなと思いました。
 なにをもって良しとするかは、その人個人の来歴に多く関わってきている問題だから、
他人の目をして幸せかどうかなんて、一概に測れるものではないなと、
あらためて感じた次第です。

 こちら関西地方では、クボタ・アスベスト問題の一件で訴訟沙汰になっていることが大きく報道されていますが、首都圏エリアでの扱いはどうなのでしょうか?

 「尼崎」は、その昔からぜんそく公害などの事件があった場所ですが、筆者も扁桃炎に二回ほどなり、
また今回のようなアスベスト問題が大きく報じられ、街としてはこれから再生に向かう途上にあるのに
出端をくじかれた格好になってしまいました。

 

 

 

 

 

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2007年1月 8日 (月)

Hazard breaker

 5日の晩、とうとう東京を経った。ああ谷原の高架を抜け新座のランプへ。

 0:00丁度、例によってETC深夜割引適用にあわせて、暗い上越高田ICを降りた。

 帰ってきて早いとこ初滑りを済ませたかったのだが、毎日相変わらず天気が悪い。

 その割りに小雪なのだ。筆者の灼熱の魂が雪を焦がすかのように、今年雪にはなかなかならない。
 ざまあ見さらせ。

 そんなこんなでスキーにはまだ行っていない。およそ選手らしくない。

 今シーズンは回転性めまいもあるし、ガーラ湯沢ゴンドラのニュースを見ても、なんだかな?って感じです。

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2007年1月 5日 (金)

愛すれど心悲しく

 昨日、今日と国立病院機構東京医療センター耳鼻咽喉科へ受診と検査へ。糸魚川総合病院のめまい外来医である富山大教授には気が引けたのだが、メニエルらしい?発作の苦しさ回避には変えられず、紹介状を書いてもらい東京医療センターへ転院する決意を固めたのだった。

 なんでもこの病院、戦前は海軍病院だったとか、現在は慶応医局の派遣医が多いとか色んな話がある。場所は駒大や日体大の側にあり、広大な敷地面積の施設が地図上では目に付くエリアでもある。

 上越に来てからも、好んで労災病院や県立総合病院を利用してきた筆者であったが、ここの規模はやはり東京ならではなのである。めまい担当の医師も、腕自慢の女医先生。いまや女医と言う表現もジェンダーなんたらに反するのかな?めまい、平衡機能の分野では確かな実績と経験に裏打ちされた、はっきりとした表現がなんとも言えず筆者の胸を打ったのだった。

 全然関係ないが、都会はこうして働く女性たちによって守られている。しかも一生懸命に働いている。多くのぐうたらな上越の女性陣にも感じてもらいたい。『新潟に杉と男は育たない』とは言うが、新潟、特に上越の女性陣のだらしなさもたいがいだよねと、筆者は都会の働く女性陣を見てその思いを強くせざるを得ない。
 上の言葉の意趣返しで『新潟に米と女がなぜ育つ』と言う言葉があるらしいが、それはまったく全然違うよ、女も男も大して育っていないぜ、と憎まれ口でも叩いていようぜ。

 2月14日駒沢に今一度MRIの検査を受けに行きます。 

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2007年1月 3日 (水)

星の下 路の上

 大晦日、元旦と実家でのんべんだらりと過ごしていた。タイトルにある佐野もっちゃんのツアーDVDを空港のコーヒースタンドで見ながらね。二日は最近毎年行っている、別格本山塩船観音寺に初詣。青梅付近にある。

 ここで筆者は変わり行く多摩を体験した。モノレールが走っているなんて全く知らなかったのだからまさに田舎モン丸出し。なんでも鉄道不毛の地に念願だった、しかも洒落た感じのモノレールなもんだから好評らしい。

 詣でを終え、帰りは小五で社会科見学のお世話になった日産自動車武蔵村山工場跡地群へ出没した、巨大なショッピングモールへ顔を出していく予定であったが、少し離れた新青梅街道からもその異常なまでの盛況振りが見て取れ遠慮しておいた。おおめ  と打ち込んで、何故か青梅と変換できない。何故なのだろう?

 その夜は石神井の名店、龍(ロン)で友人と新年会だった。帰り、石神井公園の中を歩いたが、どこもかしこも上越高田の街中よりも明るくてびっくりした。昔は公園内も随分暗く感じたものだが、上越の街中はそれよりも暗い。何でも昔から住む人々が、『照明公害』などと手前勝手にネーミングして街の照度を低く抑えるのに躍起だとかなんとか。こんな無神経さでは、新しい何ものかが生まれる余地などある訳が無いのさ

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2006年9月24日 (日)

メニエル病になっちゃった?

 9月12日に客先のプロセスで働いていました。そこはクリーンルームと言う場所で、筆者はその環境を構築することを生業にしている。気圧の影響なのか、プロセスに配置されているマシンの影響なのかは分からないが、今までに全く体験したことのない激しいめまいに襲われた。一連の仕事は短納期で、激務と呼んでいいであろう内容の業務をそれまでに行ってきて現場にいる。それまでの疲れなのか、上述した環境の問題なのか、1時間ほどめまいは続いた。発作と呼ばれるものが収まったので、筆者は客先のプロセスを離れて本来の職場である妙高市のある場所へと車を走らせた。何かの突発的な体調変異であろうが如くめまいは治まっていた。しかし、そこからがいけなかった。車で客先のプロセスのある糸魚川市まで北陸道で向かう途中、先ほどのめまいを軽くしのぐほどの症状を感じたのだった。車の運転も危険極まりなかったが、なんとか糸魚川市に着いた。客先とパートナーへ連絡し、病院へ向かわせてもらうことにした。

 病院に着きしばらくすると発作は治まっていた。

 責任者としてその現場にいた立場上、どうしても休むことはできないな・・・そんな気持ちと、またいつあの恐怖の発作が起こるのか少しの不安を抱えていながらも数日をやり過ごした。パートナーのおかげもあり、納期も品質もまずまず納得できるものが現場では着々と構築されていった。

 9月15日 朝4時に目が覚めた。激しいめまいを寝ながらに感じた。目を閉じてもぐるぐる。左右の動揺が激しい。その日はダメだった。6時頃なんとか寝台から這い出て、着替えて出かける準備をしても発作は治まらなかった。方々へ連絡した。先日処方されたメリスロンとトラベルミンをがぶ飲みし、意識を失うかのように床に伏せた。

 夕方近くにどうしても戻らなければならなかったので、職場の人に自宅まで迎えに来てもらい、車で糸魚川まで連れてってもらう。20時頃まで現場で過ごし、その日は糸魚川泊。考えてみれば最初からそうしておけばよかった。北陸道のトンネルが連続する区間に暮らす筆者に、毎日の出張通勤で通るトンネルの気圧変化がもたらす耳への負担などその時は回避する術も知識も自覚もなかった。

 また数日。数回の軽いめまいを感じながらも、やれることはやり、出来る物は出来た。あとは図書関係をまとめれば一段落である。客先も評価をしてくれた。

 9月22日  糸魚川総合病院で平行機能検査。この日も朝からダメだった。午前中は会社に行って、旅費関係の清算などをしようと考えていたが無理だった。午後からの検査に電車で向かおうかとも一瞬考えたが、こちらのダイヤは都会の暮らしに慣れた身には余計に体に悪い。苦悶の表情を浮かべつつ運転して行くことにした。少しでも頭が揺れると激しいめまいが加速するので、なるべく頭を動かさない様に車線変更も行わず、生まれて初めて制限速度を維持したまま高速道路を走っていった。

 病院に着き、車を降りて歩き出したがまっすぐ歩くことが出来ない。ふらふらしていた。時々同様な患者の人が東海道線のホームから落っこちるのかな・・・そんなことを考えながら2階の耳鼻科へ。
 先生は「これからする検査はめまいのある時にすると物凄く苦しいけど、遠くから来たのでやりましょう」と仰り、軽めの検査から始まった。検査を担当した先生は物凄いチャーミングな人で、具合が悪くなければもっと積極的に口説いていたと思う。検査中嘔吐がおさまらず、一回吐いた。こんな人の前で吐いちゃったよ・・・違う意味で涙が出てきた。電気眼振図検査と言うやつだったのだけど、左耳の鼓膜に温風を封入したときが一番凄く動揺した。検査担当の先生がチャーミングだったのが唯一の救い。帰るのも大変ですよね?とかなんとか聞いてきたので、「その時は先生のうちに泊めてもらうよ」と返したが、「高いですよ・・保険きかないですから(はーと)」と微笑みながら返す先生に返す余力はもう残されていなかった。たぶん具合がよく頭がスッキリしていれば「いいんだよ。そん時は一生かけて償うから」とかなんとか言っていたかも知れない。

 帰るに帰れないめまいが続いている中、MRIを撮ってその日は終了。またトラベルミンを飲んで、車の中で二時間ほど寝て帰宅した。車の運転はやっぱりダメだった。

 昨日、今日と休んでゆっくりしているけれど、まだ軽い発作が時々出る。10月3日はめまい外来がある。

 あの先生に菓心亭かまだの生シューでも買っていこうかと考えているが、明日から職場に戻って仕事が出来るのか凄い不安感がある。風邪でもなんでもそうだけど、基本的に他人は人の痛みに無関心で冷たい。
 メニエルなどの疾患は外傷がない分、痛々しさがない。なんか物凄い弱気になっている。

 弱っていて自分語りをしてしまった。

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