2009年7月15日 (水)

総選挙2009(1)

 先回の総選挙は2005年で、
その頃は新潟県上越市へ
転勤中の身であり、住所を移していたから
県立高田高校での投票になった。

 上越は前島密の地元で
近代郵政の父が地元の上越では
どうなのかと思っていたが、
郵政民営化を正義?の旗印にした
自民の圧勝だった。


 郵政民営化になって、
郵便物の転送届出が
ネット上で行うことが
可能になったりして、
官のままならままならなかった
様々なことが、民間なりの
スピードでイノベーションされてきている。

 西川さんの問題は
なにも今に始まった
ことじゃなく、メガバンクの
頭取で在らせられた頃から
公的資金投入で我々の
血税を毟り取った側にいた
訳で、最初から適任だった
はずが無い。

 西川さんを評して、
「他の誰も引き受け手がないから
貧乏くじを引いた」とかうんぬんかんぬん。
 西川さんほどの人が、
貧乏くじなど引くものか。
 血税でマイナスを帳消しに
してもらうのになんの躊躇も無い
人が、進んで貧乏くじなど引くものか。

 ゆうちょ銀行の潤沢な資産で、
 米国資本と丁々発止やりたいように
やりたい欲望にかられているから、
西川さんにとってみれば
かんぽの宿問題など取るに
足らない話で、こんなもので
幕引きなど考えられる訳が無かった。
 
 間違っても西川氏は、
郵政民営化の功労者でも
なければ日本有数の
経営者でもない。
 行員時代のやり残しを、
国民の財産でやろうと
しているだけのペテン師。

 いま、地方分権と言って騒がしい。

 筆者は地方暮らしの経験から、
以前より地方の「施しを受ける心」を
指弾してきた。
 要は中央から無手勝流に
施しを受けることのみに心血を
注ぎ、ありがたみもなにもかもなく、
福祉を軽んじ、身の丈に合わない
道路や箱物ばかりを
作ってきたのが地方ではないのか。
 大阪は箱物行政が最も惨い都市で
あった訳で、3セクにその実態を
放り投げても破綻がひきもきらない。
 国や地域には過去と言う歴史が
あるのだから、大阪の現知事は、
過去を総懺悔し、総括をし、
それから地方分権に話を移すべきだ。
 そうでなければ首都圏生活者からの
賛同や理解を得ることは難しい。

 郵政民営化になって、
地方での郵便事業にサービスの
低下が見られたのは、
身の丈に応じたサービス提供で
あるに他ならない。

 押し並べて公平や平均化なんてものは、
官僚機構が残してきた負の遺産に
過ぎない。
 人が生活していくうえで
魅力に乏しい地域のものに、
見た目上の格差や行政サービスの
格差を「郵政民営化」と言う
分かりやすいやり方で
突然露見させた価値は大きい。
 郵政民営化の肝は、
ここにあったのかと思える。

 地方分権とは言うけれど、
それを実行するロジックを持ち合わせた
人間を首長として選んでいるのかどうか
はなはだ疑問に感じてしまう。
 東国原などというのは愚の骨頂で、
地方分権は無理だろうから
中央から施すと言う旧来型の
思考に変換しちゃった。

 また、首長の下の地方公務員に、
そんなものを考えたり行う能力が
あるかどうか、またトレーニングされて
いるかどうかも疑問だ。

 地方は、なぜ首都圏と
呼ばれるエリアに人が集まるのかを
よく考えなくていけない。

 前回のエントリーで、
伊賀上野を書いたけれど、
べつに全ての地方を否定的に
感じているわけじゃない。

 この道路は俺たちが作った。
 このトンネルもだ。

 そう胸を張れるなら、
道路だって箱物だってアリだ。

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2009年3月30日 (月)

2008年度の終わりに

 先日、と言っても数週間前のこと、
三菱総研のチーフエコノミスト後藤康雄さんの
セミナーへ行ってきました。

 筆者の勤務しているところが、
海外事業協力協会の会員で、
そこが主催していて会員なら無料のセミナーだった。

 2009年度は悪いぞ悪いぞと
散々っぱら言われている中で、
敢えて言えばダメを押して頂くために
行った様な、そんなものだった。

 冒頭から後藤さんは、
最近外れてばかりで、でかいことは
言えないが・・・のような前置きを
しながらも、数値に基づいたマクロ経済の
分析をしっかりと二時間程度
説いてくださりました。

 内容としては経済成長率が
2020年頃までマイナスから1%台の
低調さで推移していくこと。

 アメリカ発の経済危機からの脱却は
その真因であった不動産価格の安定が
不可欠であり、そして不動産バブルが
成熟するまで要した年数と同じだけの
期間を必要となるであろうこと。
 
 それが4年だから、2007年度に
バブル崩壊で問題になったところを
起算点にすると2011年までには
アメリカの不動産価格は
安定する見込みらしい。

 兎にも角にも2009年度は
経済成長率がマイナス4%以上の見込み。

 日本は戦後、ほぼ2%台の成長率で、
それでもなお800兆を越す借金が
あるのだから相当きつい。
 政府はどこが政権取っても、きつい。

 国債の日銀引き受けとか、
30兆あまりの色々な施策を打っていくにせよ、
まだまだ2011年への道のりは長い。

 アメリカを抜きにして日本の事が
考えられるのかと言うと、
アメリカならまだマシで、
アメリカが衰退していくなら
日本にとって都合のよくない
国が今後台頭するであろうから、
今後も一蓮托生でやっていくしか
方法が無い。
 これは筆者が数点質問したところで、
後藤さんが愚問に答えてくれた。

 今思うと、二年前の年度に転職を
考えたのは、筆者が以前属していた陣営が
先が見えないながらも行け行けドンドン
やっていたからに他ならない。

 数年前から賢い人は、そう遠くない将来、
ものづくりの曲がり角が来ることを
予想していながらも、
今のうちに実績を作るしか
仕方が無いという刹那に
憤懣やるかたなしの有様であったのだ。

 πが大きければ大きいほど
その反動は緩やかに巨大な
円弧を描いていくわけで、
ただ誰もが予測できなかった
国内での危機がこの2日先には
白日の元に4年もの間
晒され続けて行く。

 後藤さんの話を聞きながら
思ったのは、我々ものづくりを
志す側も、もう少し経済へ目を
向けていくべきだと言うこと。

 感情論で言った者勝ちみたいな
ところが、今の日本には多過ぎる。

 数値を大切にすべきところは
して行かなければならないし、
理屈じゃない部分でのものづくり
スピリットも時には蛮勇で
必要とされるときがあるという事だ。

 少し前まで、
「勝ち組、負け組み」騒いでいたけれど、
今はみんな同じような場所に立っていて、
そのチェーンは切っても切れないような
ところで皆が皆、蠢いている。

 本当は、そう言ったシンクタンクの人が、
「数年先までダメなのが目に見えているから
地力をつけることや技術開発に励まれてみては」と
言ったようなことをものづくり側に提言しても
良いんじゃないかと思う。

 でもやっぱり1年1年が勝負の実業界に
甘言は通用しない訳で、もしかして大物の
経営者が上のようなことを思っていても
恐らく立場上言い出すことなど出来はしない。

 水を扱っているところなら、
あとは海外で勝負するしかないかも知れない。
 市場は巨大で隙間狙いでも
日本の市場の数十倍の規模があるにはある。
 考え方によってはそちらのほうが
シンプルで良いのかも知れない。

 そんなことを考えていますたい。
(なぜ博多弁)

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レース界 チンピラ

 3月も後半までは東京の本社で過ごし、
二十日過ぎに出張部屋へ入りました。
 鈴鹿市にあるサーキットに程近く、
毎日ここのパーキングゲートの脇を走って
職場へ通っています。

 おそらくフォーミュラ1が来るようになってから
町の様子もだいぶ変わったのだろうから、
すでに15年を経過し、その頃新しかった
ものもすでに古くなってる。

 石垣池公園のそばに住んでいるけれど、
肝心の公園は犬の散歩が禁止。
 近畿では多い光景だけれど、
きっと飼い主のモラルが酷くて
こういう結果になったのだろう。
 と言うことが容易に想像つく。

 4月18日のオープンに向けて、
鈴鹿サーキットも工事だけは
進んでいる。


 日本のモータースポーツも、
文化となる前に既に終わりに
近づいてしまっているようだ。

 一言で言えば、庶民が
手を出すには効率が悪すぎる。
 
 そして日本には欧州のような
貴族もいなければ、
欧米のような安定感ある成金もいない。

 日本では、人の金をむしりとったり、
掠め取ったりしない限り、
犯罪に近いようなことも含めて
易々と出来るようなタフさが無いと
長年モータースポーツに
関わることなど出来はしない。
 
 あとは効率が良さそうなときに
メーカーが熱心になるだけであって、
それも長続きしない。

 夢や可能性から最も
と言っていいくらい離れてしまい、
最低最悪なスポーツに
なりつつある。
 だからマニアックな若者を
除き、若者からも敬遠されがち。

 あとやっぱり問題なのは、
実際にやっている側の人の
趣味性が高いから、
ビジネスとして真面目に
踏み込もうとすると、
誰もが躊躇してしまう。
 
 つまりそれは趣味の延長なんだと。

 ガキんちょのヒロイズムとか
やっている側の自己実現に
数億の金を出すほど、
日本のビジネスマンは甘くない。

 それで最後には、
勝手にやってろってなる。

 日本のまともな側からは
全く相手にされなくなってしまったのが
モータースポーツやレース界の人々
なんだと思うと悲しい。

 でも日本のレース界の人たちは、
ほとほと皮算用が好きなんだなぁと
感心してしまう。

 やっぱり趣味の延長じゃないと
やりきれない世界だ。
 

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2009年3月 2日 (月)

リアル 自動車絶望工場の夢と希望

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 筆者のブログで相変わらず
検索ワードランキング1位の、
鎌田慧さんの著述「自動車絶望工場」。

 労働実態と言うより、
いま「働かせないぞ」と言う
意味で絶望工場になっちゃった。

 先週は鈴鹿某所へ打ち合わせに
行っていたのですが、
本田技研鈴鹿製作所の前では
労働者切りを反対する、組合関係者の
デモが行われていました。

 南コースの音らしい、
レースカーのエキゾーストノートが
サーキットの周辺に響く中。

 いま鈴鹿サーキットは、スタンドや
ピット改修の真っ最中。
 計画が決まったのは二、三年は
前の話だろうから、ホンダがフォーミュラ1を
止めて二度と出ないらしいことも、
HRCで一時代を築いた後に社長に
なったレース屋の福井さん辞任も、
基本的には無関係に工事は
進んで行く。

 でも、「主のいなくなった館」の
ようで、鈴鹿サーキットも泪で曇りがち。

 

 アメリカの自動車メーカーが、
どんな経営危機に陥っても
労働者のクビを切らない。
 
 これは自動車の夢と希望かな と。
 理屈抜きに。

 
 自動車産業によって立国された
アメリカの最初で最後の希望、自動車。
 アメリカの自動車メーカーの
労働者がバタバタクビ切りに
合うようじゃ、まさに世界の終わりかも
知れない。
 そう言う意味では、経営効率とか
度外視して雇用継続するアメリカの
自動車メーカーは、通常では量りきれない
ロマンに彩られていると言える。
 アメリカらしくない。アメリカらしい。

 土建国家日本では、差し詰め
土建屋(ゼネコン)さんがその位置に
あったのか知らないが、
雇用の環境や条件が違うから、
アメリカの自動車とは同義にならない。
 違う会社(下請けさん)が現場で
儲かろうが、潰れようが徹底放置
徹底無視な姿勢がゼネコン。
 夢も無いし、尊敬も無い。
 階層区分の歴然としたゼネコンと
下請けの関係に雇用継続性なんて
誰が考えると言うのだろう。
 むしろ、
絶望的なのは、この業界では。

 
 日本の自動車メーカー
云々と言うより、やっぱり社会全体に
夢とか希望と言う陳腐化されたものが
生きていく土壌が無くなりつつある。

 いつもの訳知り顔のジャーナリストが、
上記のようなアメリカの
自動車メーカーの姿勢を
批判したりするけれど、
そんなん放っておいたらいいのにね
と思ってしまう。
 向こうにだって考えがあるんだから と。

 何も考えないで、クビ切りを
する人のほうが、自動車と言う
機械に負けてるんじゃないかとか。


 

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2009年1月26日 (月)

レースの町、鈴鹿。

 実は出張が明け、
年明けの本社に戻って勤務を数日
すごした後、次のJOBが
直ぐに決まった。

 今度もと言うか、
また三重県で、四日市の
隣町、鈴鹿市が今度の舞台。

 いまの世相から言って、
こうして直ぐに社会から
必要とされるのは
本当にありがたい話だ。と思う。

 少しの間、横浜にいそしむ
心積もりだったけれど、
上記のように次の舞台が
早々に決まった。

 なんだか少し落ち着かないなぁ
と言う精神状態などから、
この週末にかけてエントリー
していたスキーの大会は
キャンセルしました。
 全然練習も出来ていないし。
 今シーズンは、まだ蔵王での
はちゃめちゃな初滑りだけです。

 先週、鈴鹿に行ったけれど、
サーキットの近辺は何もかもが
変わっていた。
 初めて訪れたのが、高2の頃だから
かれこれ20数年前になる。

 あの頃は、サーキットの周辺には
殆ど何も無く、平田町の駅周辺に
ほんの少しお店があったくらい。
 駐車場も、サーキットのグランドスタンド
前のところにでも、
サーキットランド入り口ゲートの直ぐ脇にでも
クルマは置けた。ノスタルジー。

 今年はフォーミュラ1が
戻ってくるので、先週前を
通ったときも盛んに改修を
行っていた。

 筆者のお客さんのところは、
サーキットのすぐ北側にある。

 フォーミュラ1の時は、
もう仕事も済んでいるんだろうけど、
8H耐久の時は凄い混雑で
仕事にならないかも、そんな
ことを考えながら仕事ついでに
出張部屋を探していた。

 ある程度は予測できたが、
有期雇用の契約打ち切りなどで、
部屋はどんどん空きが出てきている
様子。中部地方の落込みは激しい。
(賃料はまだ下がっていないけど・・・)

 こうして旅打ちの博徒の様に
出張に次ぐ出張の暮らしは、
あと10歳も若ければなんの
気にもならない。
 人は「大変でしょう」と言う
けれど、たぶん「大変だ」とか
「苦しい」「そんなものは出来ない」と言う
マインドは、どんどん自分の行く先を
狭めてしまう。
 有期雇用の人達の一部も、
余りにも仕事を選んでい過ぎる
現状が指摘され、
「やっぱりな」と言う心象を
社会に与えてしまった。
 
 「オレはこれしか出来ない」
と言う、言える事は、実は
楽なんだと思う。

 企業がグローバル化を
進めていく中では、
昨日迄は技術系、今日からは人事
なんて言う配置や起用は
ごく当たり前にある。

 実はレースや競技と言う
ものを好んでするマインドには
理由がある。

 レースと言うのは、
もちろん競争相手がいることで
成立するものが殆どなのだけれど、
レースの本質は自分との
競争に他ならない。
 自分との競争に
勝つと言うことは、
Excuseを虱潰しに
していくことだ。
 
 自分の気持ちに素直で
自分に嘘をつかない。
 言葉にすると陳腐で
どうしようもない作業に
思えるようだが、
これは案外いちばんしんどい。

 最初の目標や志が
低くてもいい。
ただ一度それを
やり遂げると、
借り物で無い価値観や
自分だけの言葉を
発することが出来る。
 安易に迎合しなくなるし、
座標軸もぶれずに進める
ことが出来るだろう。

 長い長い2009年も、
ひと月目を過ぎようとしている。

 ララには申し訳ない
けれど、旅に付いて来て
もらうやに。(三重弁)

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2009年1月11日 (日)

横浜たそがれへ戻ってきました社会派

 2


 三重県での業務がひとまず終了したので、
横浜の自宅へ戻ってきました。

 1年間と言う期間を長期出張と言う形で過ごし、
三重の部屋にはそれなりの荷物があって、
最初マイカーで済んだ部屋入りも、
結局荷物出しは業者さん頼みになりました。

 横浜は、三重に比べて暖かいなぁと。
 三重は昨年の12月26日に雪が降って、
鈴鹿山脈や滋賀県境の山々の頂は
白くなっています。

 これから少しずつ、横浜での暮らしを
充実させて行こうと思っていますが、
もうあまりモノを増やすのはよして行こうと
考えているわけでして。

 業務執行については、
新年明けて、来年度に向かっていく訳ですが、
来年度の下期まで、まず回復の見通しは
社会全体として立たないであろうと。
(今の政府のスピード感では・・・)
 
 個人的に思うのは、
これだけ人を切り捨てていく中で、
この先景気が回復し、投資が活発化しよう
と言う段になっても、先に雇用を
なんとかしないとね、と言う感情論が
地域でも優先してしまうような気がします。

 派遣・有期雇用は元来から高リスク

 派遣と言うか、全体的な有期雇用の形態で
雇われている側は、この金融危機に乗じて
契約解除が大々的に行われているのだと言う認識は
改めたほうが良いと考える。

 12月で雇用期間満了だから契約解除に
なった訳であり、「便乗」それのみと言うことで
有期雇用の本来の意味合いを、
他の因子と摩り替えるのはどうか、と言う
気がしている。

 あと、会社の寮を契約満了に伴って
退寮後、住む所が無いって言うのは
「貯蓄」が全くないってことなのでしょうか。
 給与がたいそう安いからと言うのは、
余り理由にならない。
 給料が安かったら安いなりの生活をし、
月2、3万の貯金をすることが不可能とは
考えにくい。要は飲んで食って遊んでしまった。

 派遣と言う有期雇用の労働形態は、
正規雇用者に比べれは生活のリスクは
高い訳であって、むしろその働き方の
あり様は個人商店主に近いなと自分などは
考えている。
 ゆえ、そのリスクと引き換えに
正規雇用者とは違ったメンタリティーも
保証されているかどうか分からないが、
そうした働き方を新しいものだとして
少し前のマスコミも随分と肯定的に
報道もし、ドラマの主人公に据えたりも
していた。

 あの「年越し派遣村」に
集ったうちの何人かは徴集が
かかったプロの左派陣営の
茶番であったにせよ、
リアルな人達は少し情けない、
「大人」とはちょっと呼べない
呼びにくい。

 社会に背を向けて、
敢えて派遣の道、有期雇用の
道を選んだのならば、
最後に人の情けや彼らの
大嫌いなお上の施しを受ける様は
男一匹見るに忍びない。

 あと親は居ないのか
と言う話。
 親兄弟その他、世話になる、
厄介になるというのは無理なんだろうか。

 東京なら山谷、大阪なら釜ヶ崎、
そのどちらもが報道するには不向きで
馴染まないけど、結局つまるところは
日比谷公園だってそんなに変わらない。

 自己責任原則とかじゃなく、
そこに居るのはその人の自由なんだと言うこと。

 反面として、ああいう風には
なりたくないと言う作用が
通常の人には働く。

 だからマスコミの乱稚気な報道も
全く社会の害悪と言う訳では無いかも知れない。 

 でも「経済難民」とか
言葉を飾るのはやめたほうがいい。 

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2008年9月30日 (火)

会社員的に、上期(第二四半期)が終わろうとしています

 明日から10月1日です。
 
 思えば昨年のその日は、
転職して初出社の日でした。

 その後1年間の試用期間的な
ものを経て、明日から
「名前のある馬」的な日々が
始まります。
 いや、なんか真っ当で適切な
比喩表現ではないですね。
 アメリカの「名前のない馬」が
好きなんで。つい。

 1年間の試用期間的な
雇用は長いなと正直
思いましたが、
でも途中で辞めて行く
同じようにキャリア採用で
入った同年代の人が多いこと・・・

 生え抜きのプロパーに
出来ないことを期待されている訳ですから、
やっぱりここは異端で行くしかないなと。
 まぁでも極力摩擦は避けていくと。

 本論に入る前に消耗しないようにと。
 まぁ色々考えている訳で。

 エコロジカリークリーンを
コンセプトに、社会貢献していきます。
 マズローが唱えたものの先にある、
自己超越を目指していきます。
 
 かけがえのない地球のために。

 

 しかし麻生さんの施政方針演説・・・
 泣けてくるね。
 みすみす下野を前提に、
小沢さんに話しかけているかのよう。
 
 中山さんも、すでに死に体の
日教組を祭り上げてしまうかのような
醜態。寝た子を起こすなんとやら。

 むかし愛国党の赤尾敏さんなんかが
盛んに「撲滅日教組!」なんてやっていたから、
自分たちのように特定のセクトに
属していない輩でも、日教組が
いったいぜんたいなんなのか、
大体は分かっていた。
 
 今の中学生に「日教組」なんて
聞いてみても何も知らないと思う。

 学生運動崩れの先生方が、
よく分からないカタカナ言葉の
羅列でアジっていたけど、
その実、酒飲み会と大して
変わらない内容で、
自分などは仲間と結託して
カシオのインクリボン式
ワープロを買って、
ビラを刷り、全校に
日教組教諭の悪行を
ばら撒いて糾弾していたものだ。

 別にそれが功を奏した
訳じゃないが、特に都市部での
「日教組」なんて完全に
死に体で弱体化していた。

 ゆとり教育なんてものを
推進している時点で終わっている。
「日教組」は理想を捨て
私欲に走ったのである。

 自分たちが教育出来得ない
未履修分を、生徒もちの費用で
塾へ外注化したということだ。

 それで、本来なら
こんな役立たずの組合は
支持母体を早々に失って
壊滅寸前の打撃を被るべき
ところを、そうならなかった。

 何故って親方日の丸ですから。
 すごい矛盾。
 税金でサボタージュ。
 最悪でしょう。

 基本的には組合活動の範囲で
いくら狼藉を働いたところで
クビになんかならない。
 公務員の暴走に他ならない。

 つまり、革新野党は
日教組からの支持は厚いが、
しかしその実その暴走を
許してきたのは、政権与党である
自公だったということ。

 根幹となる責任の所在を
論旨ずらしで野党へ振るなど、
とんでもない所業ではないか。 

 「日教組」は確かに惨い。
 聖職なんてものとは
かけ離れた組織でもある。

 しかしそんなことは
とうのむかしに分かっていたこと。

 長年、公務員制度改革に取り組まなかったのは
政権与党の緩手ではないのか。
 

 そんな「ゾンビみたいな日教組」の
名前を公共電波で復活させた
中山某。それだけで失職に値するでしょう。

 てな具合でまた脱線しました。

 選挙に行きましょう。

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2008年6月14日 (土)

蟹工船やロスジェネと、浅尾大輔

 このあいだテレビを見ていたら、
全労連オルグ・国公一般書記次長で(元?)
雑誌ロスジェネ編集長の浅尾大輔が
出演していた。
 この人は文士なのだと言う。

 最近は左翼も新左翼も、右傾化の
波に押されて全くと言ってよいほど
目立たなくダサい存在で、
浅尾某のことも、筆者は知らなかった。

 浅尾某は、世間の評価によると、
「現況の非正規雇用のありかた」について
舌鋒鋭く批判しているのだと言う。
 国公一般の労組専従らしかったので、
多くの恵まれない、公務員の中で
働く非正規雇用者を見てきたのだと
自負している。

 笑っちまいます。そして、

 ちょっと待てと言いたい。

 浅尾某が支援している対象者は、
ホワイトカラーや大企業で働くことに
固執したり、自己実現だかなんだか
知らないが、自分の好きな仕事に限定して、
職探しをしていまいかと。

 自分の能力や、来歴を顧みずに、 
無理、無茶な望みを持ってはいまいかと。

 職種さえ選ばなければ、
正規雇用の道は幾らでもある。
 
 その会社は大きなビルではない
かも知れない。
(そりゃ大きなビルに出社して、
夕暮れ時に大きなビルから出てきたほうが
格好がいい)
 いわゆる3K職場かも知れない。
 汚い作業着での業務執行を
強いられるかもしれない。
 搾取の色合いが濃い、
職場なのかもしれない。

 給料、福利厚生はそこそこだとか・・・

 だが、そこからしかスタートがきれない
身の上なのならば、
その場所から自己変革を試みて
日々挑戦の日々をおくれば良いのだ。

 朝日新聞含めこの新左翼のばか者どもは、
呪いのすべを若者に吹き込んでいるだけだ。
 まったく生産性がない。
 そもそも生産性の低さから、
アカの理論と国は崩壊した。
 その矛盾に気づけないのは、
もう愚の骨頂としか言いようがない。
 汗まみれ、泥まみれになって働き、
早朝と深夜に研鑽を積むものを尻目に、
集会だの交渉だのに執心ならば、
一生涯呪い節の無限ループから
抜け出ることなど出来はしまい。

 
 小林多喜二や日本共産党に対して
頭にくることは、自分らは綺麗な
服装で人前に出てきて、
労働者の親玉みたいに
振舞うことだ。
 人民服とまでは言わないが、
作業着でおおっぴらに
振舞えば良いではないか。

 小林多喜二の、想像の世界でしかない
蟹工船が売れていると言う。

 今のアカの手先どもは、
自分を危険の及ばない場所に
おいて交渉だのしているだけ。
 労働者の側にいても、
その実は労働者ではないから、
まったくこの手の人種を
信用することは出来ないな。

 交渉なんて甘っちょろいもの。
 すべて実現されなけば
意味がないとされる、
実業の世界で、交渉なんて
甘美なものは賞賛に値しない。

 小林は拷問死で自己完結した分、
まだ救われている。
 転向しなかったわけだ。

 
 蟹工船が流行っているとか、
新左翼陣営のアジに過ぎない。
 もうそれくらいしか、戦うすべが
無いと言うことでもある。
 これだけモノがあふれ、
豊かになった国に住むのだから、
現在ある労働の不幸を持って来ても
少数派でリアリティーがない。
 大衆に訴えかけるネタが
現在どこにも見当たらないから、
「蟹工船」なんて遺構を引っ張り出して
不幸な身の上ごっこを仕掛けているのだ。
 

 非正規雇用者たちよ、
今の職場に不満がありあり
と充ちてきたら、
 
 服は汚れ、体を濡らし、
穴を掘れ。山を削れ。
 水を貯め、流せ。
 火を燃やせ。
 魂を打ち込めて働け。
 口汚いジジイどもに
罵られ、殴られ、脅されても
けっして諦めないで行け。
 
 お前たちが不満なのは、
せいぜいが、その立場だけだ。
 だから周辺が騒がしいだけで、
真剣で真摯な活動自体と、
その広まりが見えてこない。
 
 本当に不満があって、
怒り心頭しているとは思えない。

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2008年4月11日 (金)

「アンフェアなロジック」と言う記事

 タイトルは、宋 文洲さんのメルマガから、
引用しています。

 記事の内容を要約すると、
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
変わり者の友人が多いと言う
宋さんが言うには、

変わり者であれば、
なんでもいいと思いませんが、
皆と違うだけの理由で相手
を非難したり、仲間から排除したりする
思考パターンは、自分にとっても他人
にとってもよくないと思います。


たまたまの事情や
タイミングによって、
その時に行うことが他と違うことが、
どこの誰にもよくあります。
判断基準も示さず、
「他にそういう人がいないから」という
ロジックはアンフェアだと思います。

・・・するのは○○だけだ」という
批判方法は明らかに基準を示さない、
幼い群集心理を利用した乱暴な方法です。
このロジックで議論に勝てるならば、
その議論は本質について行われてない証拠です。
このロジックに納得するなら
ば、人生も社会も羅針盤を失うでしょう。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
 そして最後に、

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
世界に一人しかいない個人、
一つしか存在しない国。
多くの共通項を持ちなが
らも我々は皆、偶然の産物であり、
特殊な存在であります。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

 これはもう、中国人宋さんの
日本社会への警鐘に他ならない
のだけど、
「他と違うことは悪だ」
「異質なものは排除」とする
伝統的な日本思想に対する
アンチテーゼ。

 上のことを同じように考える日本人は、
筆者を含め大勢いるが、
全体主義や一党独裁国家と
称される中国人の側の宋さんに
正論をのべられてしまうのが
日本の現実なのかも知れない。

 まぁ至珠の言説に、国は関係ないけど。

 良いものは良い
 正しいものは正しい と

その場の雰囲気に流されずに
していくことの難しさを「KY」って
言葉が表している。

 KYって言葉は、実は現代言葉で
一番惨いのかも知れない。

 本当は、そこでしか言えないような
内容の話を敢えてしてみて袋叩きに
あっても、KYなんて言う軽い言葉で
流されてしまうと勇気だって
しぼんでしまう。

 しかもアンフェアな側に
従属しなくてはならない
屈辱に耐えなくてはならない。

 いまKYから続き、連綿と新しい言葉が
出てき始めている。

 よくよく分析すると、
KYと発する側には、
言われたくない言葉、
聞きたくない言葉の
羅列に対する
都合の悪さがあって、それで
出てくる場合が多いんじゃないかと
感じている。

 流すんじゃないよと言いたい。

 言う方だって、命を削っているんだぜ と。

 とまぁそんな局面が多い現代、
筆者はKYな人を応援してやまない。

 筆者は、アンフェアなロジックには
フェアで正面突破を図ろうと もがくし、
空気なんか読まないよ、
お前ら相手になんか と、
思う人間です。

 

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2007年5月19日 (土)

日本の、これから  止められますか 「地方の衰退」

 022
「日本の、これから」を観ている。

 インフルエンザに罹り、先週は会社を休んでしまいました。

 地方生活が性に合わないのか、尼崎の煙突ガス爆弾を食らったからか、
単にいろいろあって消耗しているか分からないが。
 うえの事を踏まえて、怪しい雑菌が居そうな場所への出入りも控えていたのだが・・・
 生まれて初めて、「インフルエンザ」なるものに感染してしまいました。

 さて「日本の、これから」を観ている話。

 いろいろ地方の人が言っている。
 地方の人、ではなく、地方に就職し、若しくは
そこで経済活動を送っている人々。

 地方の人と端的に表現すれば、両親とも
その来歴のひとつは東北の名もない街にある。

 母親は、東京の企業務めだった父親の関係で
東京生まれ、戦中の疎開で父親の遠縁がある
東北の或る地で幼少から高校時代までを過ごした。

 父親の場合もだいたい似たようなもの。

 すでに東京に出て50年を経過しようとしいる。

 その間、いわゆるイナカへ「帰ろうと思わなかった?」と
問い質したことはないが。
 たぶん無かったろうと思う。

 一人の人間が一生を終えるには、余りにも「魅力も何も無い」。
 両親はそんなことを思っていたのかも知れない。

 極力実家に頼らず、独立独歩生きてきた両親は誇りだ。

 翻って「地方の人」、地方に残留した人はどうだろう?

 全てとは言わないが、筆者が新潟で見てきた印象を表出すると、
地方色の色濃いエリアに行けば行くほど、依存心が強い。

 何に対してかと言えば、親・国・地域・会社すべてのものに対してだ。
 どうしてか言うと、そのようなモデルが過去あって、
その成功体験にいまだに酔いしれているから。

 止められますか 「地方の衰退」??

 無理だと思う。止まらないと思う。

 どこのエリアに行ったって、東京という都会から来た人間への
風は時々おかしな具合の方向から吹く時がある。
 「余所者」「旅の人」etc・・

 でも筆者はその度こう思ってきた。
 余所者の会社に勤めてなにを言うかと。
 あなた達が勤めている会社は、企業立地でやって来た
都会者が興した会社が殆どだろうと。
 そして、余所者の力を借りずに運営すれば良いのではないか と。

 時々おかしな風を吹かす、そんな心無い人々にいちいち反応するもの
どうかと思って来たが、偽装された優しさは罪だ。

 「東京に居る、東京での納税者の殆どは地方出身者だ!」
 地方に残留している人は言う。
 そうした人間を生産した地方に、感謝の念を持てと言いたいのだろうか。

 筆者が考えるに、それはひとつのヒントたりうる。

 シンガポールのように、優れた人材輩出が特筆すべき県や地方も
あって良いのである。
 シンガポールでは、日本で言う小学校5年の頃にはその子どもの
その時の能力如何ですでに将来の進むべき道が決まってしまうらしい。
 物凄く厳しい競争社会。

 大切なのは人材教育だろう。資質を磨きこむ教育なのだ。
 日本はシンガポールの中身を真似る必要は無い。
 
 そうした優れた人材を輩出し続ける或る地方へは、
再び企業がやってくる。

 インフラ整備やハコ物行政などのハード重視路線は、
そうした人材育成たるソフトを軽視してきた大人のおもちゃだ。
 隠れ蓑だ。
 ハコがあれば人が来ると、タカをくくっている。
 もうそんな時代は終わった。
 プロパティマネジメントとともに、そこに居る、住む人々に
魅力があって素敵でなければ誰も寄り付こうとなどしないのだ。

 現在の地方は、教育の現場からして荒れている。
 母子家庭率や早期離婚率は、人口からして東京の比ではない。

 大人がしっかりしなければいけない。

 もう欲望のままに生きる動物のようなことは止めよう。

 大阪も相変わらず、動物が引き起こしたかのような、
欲望におもむくままの犯罪が多い。

 最近では深夜営業の、ステーキハウスでの事件があった。
 大阪を面白おかしく揶揄するサイトすらある。
 あまり東京では見られない傾向かと思う。
 
 大阪も、近畿も本当にすごい。
 物凄い数の不良債権ハコ物を、切り売りしたり放棄したりしている。

 別に、学校でやっていた従来の教育なんてそこそこでいいから、
知育・体育そして忘れ去られた「徳育」を重視していかなければ、
地方は死んでいく。
 

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2007年4月15日 (日)

THE RAPE MACHINE

 わたしは彼に、「あたらしいものが痛がっている」「もう少し優しくできないか?」と言った。

 彼は無視した。

 次の機会、「痛がっているのに優しく出来ないのは、もはやそれは陵辱ではないか?」と問い質した。

 すると彼は、「陵辱でもなんでもいい。要は上手く行けばいい。上手く行かなかった場合、あんたは責任取れるのか?」と、のたまった。

 見れば、彼の周囲にある、形あるものが、すべて壊れていく。死んでいく。

 彼は続けて言った。Once Upon a Time in Americaのジェームス・ウッズのように誇らしげに。
 「それがインクルージングだ」と。

 「あんたの言っていることはFUCKだ」と、わたしは断言した。

 すると、本当は英語に明るくない彼は、「それはなんと言う略語だ?」と聞き直してきた。

 わたしは"オレ"になり、「Fundamental underconstruction critical  kickbackと言う意味の略語だ」と、訳の分からない単語の羅列を繰り出した。

 その言葉に、彼はさも理解したかのように、ズレ落ちそうな眼鏡を調え、またRAPE MACHINEの顔に戻って、何食わぬ様子で工作の算段を考えているかのようだった。

 オレはそいつを眺めながら、「お前は史上最低の、母ちゃんともやっちまうような糞ったれ野郎だよ、ヴォケが」と、昔馴染みのスラングを繰り返し呪文のように唱えていた。

 

 
 

 

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2007年4月 1日 (日)

大切なことに、なかなか気づかない仕組み

 「おはようございます」から始まり、「お疲れ様でした」「お先に失礼します」で終わる日本の会社の日常的な光景。これが日常的な感覚ではなくなり、各企業がこぞって『マナーアップ運動』と称して社内外での社員の立ち居振る舞いに注視し、時に監視するかのような組織が出来上がってしまう、心とお金の無駄。
 そのようなプロジェクトには、それなりの、会社からのオーソライズが必要だ。でなければ、誰も言うことなんか聞きはしまい。だから大層な組織が新たに必要になってしまう。そこまで日本の良き企業文化は失墜してしまった。
 Japan coolは瀕死の状態なのである。

 そんな疑問に一石を投じたのがまたもやソフトブレーン元会長、現職マネージメント・アドバイザー宋 文洲 氏。
 嫌な顧客と嫌な人間

 今の世の中、いや日本の企業では、宋さんのような言説を持つものが「嫌な人間」とされてしまう側面もある。

 社会には「人をつくる会社」と呼ばれる企業がある。

 そこへ「人をつくる会社」っていったいどんなものだろうとの期待から集うものだって少なくなく存在する。
 新卒も、キャリア採用者も。

 もともと中にいる人たちは、そう言うことで集う人たちの期待に応えるべきだろうと筆者は考えている。
 
 そこで「がっかり」して、辞めていった人が他所で内情を喧伝してしまうリスク。
 能力のある人間は、見切りをつけるのも迅速だ。

 大切なものを守ると言う基本、この事の本当の意味。
 宋さんの記事を読みながら、深く考えてみたい。

 

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2007年2月26日 (月)

雪の降る町を-今年の小雪に思う

 宋さんは、地球温暖化の象徴として、北京の小雪ぶりとモータリゼイションについて記されていた。

 日本は本当に「環境先進国」なのでしょうか

 
 雪が降らないで困る人も、大勢いるにはいると思うが、マスコミも知識人もここぞとばかりに騒ぎすぎではないだろうか。

 新潟地方、昨年は31年ぶりの記録的な大雪、一昨年はおよそ15年ぶりの大雪。筆者が暮らしていた上越は『一斉雪下ろし』が20年ぶりに行われたが、マイナーな土地ゆえ、県外の誰からも注目されずにそれは終わった。

 長い長い人と地方の歴史から見れば、小雪だった年なんて幾らだってあったはず。

 事実昨年の上越・東頸城地方の大雪のように初雪が即根雪になったこと自体が10年ぶりの珍事だったらしい。

 地球温暖化はこの数十年で始まった事などではない。

 地球温暖化が注視されるようになったのは、
 人間が豊かさと平和に幸福を覚え始めたこの数十年の間に概念として芽生えがあったからにすぎぬ。

 
 ところで、新潟、特に上越・東頸城や中越地方の人々は、雪が順調に降らないと不安な心持になるようだ。

 「冬に当然あるもの(大雪)が無いと落ち着かない」「後々大雪になって混乱しないだろうか?」
 「除雪業者やスキー場が可愛そう」・・・

 雪を、何故、大量に除かさなくてはならないのか?河川敷の処理場にダンプの行列が出来るほど。
 もうこれはクルマ社会の為に他ならない。

 雪はいつかは消える。GWの頃になれば、峰峯の雪渓を除けば大概は解けて無くなる。

 でも、クルマ社会の秩序を保持することがいつの頃からか命題になった地方では、数億から数百億の税金を使って、その「いつか放っておけば消えて無くなるもの」に、まさしく命を懸けてしまう。

 冬になれば閉ざされることが必至の元々企業立地に適さない場所へ、国や地方が必死になって働きかけた。
 結果多くの誘致が成功し企業が進出してきた。通勤者の足を確保する為の、その為の道路行政が除雪対策なのだ。

 宋さん流の思考なら、その時の住宅事情にも配慮すべきだった。企業が不動産部を開設し、事業場の側へ団地群を造成するなどした後は、通勤用のバスを運行させるべく地方や民間の路線バス運行会社へ働きかけるべきだった。当然に根付いた一人一台マイカー通勤や、その為の大量の道路除雪=税金の霧消霧散も起こらずに済んだかも知れない。
 ただ、元来、地方の雇用確保に基づいた企業誘致であったから、土着の者どもを移住させてまで団地群を建設することに強い説得性が在ったかどうかは疑問が残る。

 筆者は思う。この世界に10年先のことを予測し、計画性を持って事業を行う経営者や政治家など存在しないことを。その無計画さゆえ「問題」が顕在化する前に事業に着手したものは先行者として成功を収めることができるだろうし、そこに続くなにものかがあるからこそビジネスが生まれてきた。
 その様な不幸の連鎖を、無限のスパイラルを、人々は上からしか見ることができない。
 真横から見えるものは過去の出来事だけなのだ。

 上段にある、筆者が暮らしていた地方の問題を、筆者自身嫌気がさして指摘をすることはあるにはある。

 だけれども、誰がその無策や無計画性を咎めることが出来るのだろう。

 今年は除雪費用の残高がかなりのものになっているはず。何故って昨年の国からの除雪支援金分を乗せて予算を組んでいるに違いないから。

 それらを公共の福祉に使えばいい。直接的な施策に用いたり、他の予算へ組み換えするのもいい。

 でも、元々霧消霧散になるはずだったお金。これからどうしていくかを考える、「考え方を考える機関」などを新設してみたらどうだろうかと筆者は提案したい。

 何故か、いつの頃か、何事も直接的になってきてしまった。直接的に利益にならないものを拒む風潮がそこかしこを闊歩している。人事評価がそうなっているから、とか、世の中全体色々あるにはあると思うが。

 分けて考えることが出来ないほど、皆が多忙で欲望ばかりが先行しているのならばだ。
 「考え方を考える機関」と言うような、昔のエリート(官僚)が無償でやっていたような行為が必要なのではと考える。

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2006年8月29日 (火)

あえて儒教で言う性善説を持ち出さなければ理性を維持できない人々

 中国での故事を読むと、豪族同士の争いが起きたとき、首領同士の争い事では必ずどちらかの一族郎党が根絶やしにされるまで争いが続いたと言います。日本の歴史に有るような、「淀のお方」が後日の因果に繋がるかのような事態は中国での歴史には無かったと推察されるに易い。

 なるほど毛が行った文革時インテリ層の徹底的な根絶やし然り、チベットでの民族浄化根絶やし政策然りで、現在もその思想は脈々と受け継がれ好まれているように感ぜられます。

 近代国家の体制に有りながらも時々そうして自国民にすらクリアラスンスを取ることによって人口増加抑制を図ってきたといえば聞こえは良いのですが、多くの日本人にとって中華の「根絶やし」理論は気味が悪く到底理解できるものではありません。

 中国人である宋氏靖國へ慰霊へ向かう人々の心情を慮る理性や知識があるはずなどないと考えるのが小生のスタンスですがいかがでしょうか?

 すなわち古よりの中華の考え方に習えば、戦争で過ちを犯したとされる先祖の子弟である我々は同じように犯罪者見做しとするのが「根絶やし」を好む中国人のやり方であり考え方なのです。

 犯罪者の子弟は犯罪者に育つのであり、犯罪者の霊魂は未来永劫犯罪者のまま祀られることも無く蔑みを受けなくてはなりません。それが中華のやり方であり考え方です。現代は国家間各々の力が強大になり、さすがの中華様も春秋戦国時代のようには外国に向けて「根絶やし」推進政策をすることは出来なくなりました。しかし国家の代表者である小泉首相を攻撃することによって屈服感を得られるものならば、ターゲットは日本国民も含まれており、それすなわち「根絶やし類似の関係」と呼べそうなものでそれなりに中共幹部は溜飲をさげていたのだと考えられます。

 8月15日に北京にいましたから引用しますが、
引用始まり・・・・・
 
 「『死後平等』なら、凶悪犯罪を犯した死刑囚の霊を祀ることは許すのか」。


・・・・・・・・引用終わり

 と言う 宋氏の中華的友人からの質問があり、宋氏はその質問を答えるには窮したとあります。

 宋氏の日本での活躍を知るものにとって、その知識の無さには唖然といたしました。
 ITと言うか、インターネットに国境はないのでしょうが、少なくともその国がもつ固有の文化や伝統は真摯に学ぶべき姿勢が必要だと思います。そんなものを学ばなくても起業し上場も出来てしまうのだからよいのではないかと感じたか知らんが、宋氏の一連の「靖國」を冒涜した上で蔑み、軽々しく取り上げ論じる中学生並みの文章が許されるわけではない。一体全体この人は大東亜戦争で無くなった多くの人々を真剣に慰霊する気持ちがあるのだろうか疑問に感じてしまった。最近とても宋氏のおかげで憤りを感じている。
 

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2006年8月28日 (月)

可哀想な中国人、宋 文洲氏の記事

宋氏の記事はここしばらくずっと論点ずらしだろう。耳障りの良い、日本人が好みそうな一般的美談をアンチテーゼとして披露しているだけだ。宋氏がこの問題を論ずるにはいささか日本に対しての理解が不足し、靖國神社に関する知識も稚拙に過ぎる。この人は国費留学で北大にて学び、意気揚々と帰国の途につくはずが天安門事件で叶わず残留、そのまま起業したと言うインテリ層難民だ。
 そのようないわくありあり、日本に対してのある一定の感謝の念を感じずにはいられない経歴を持つ身でありながら、是非はとまれ日本固有の文化や伝統を冒涜して何が楽しいのだろう?小泉首相の8.15参拝と件の美談が結びつく思考背景が理解できない。また精神やまごころの問題とビジネスを直結させてしまうところなど、常人の理解範疇を超えている。拙輩は一国の首相が外圧によって出入り禁止となる場所が自国内に存在するのなら、そのような国はもはや独立国家の体を為さないと考えていた。ゆえ、この騒ぎで靖國への出入不自由が普遍的にならずに済み胸を撫で下ろしているところだった。中共は小泉首相が志を曲げればまんまと「首相が出入り出来ない場所へ国民が往来するのはいかがなものか」とのコメントを後日出す予定であったに違いない。今回の靖國参拝はそれが回避できただけでも評価できる。また宋氏が言うように日中間でのビジネスが今後膨らむようなことも無いであろう。中国はすでに「終わった」。投資した分を回収できたら、モノづくり企業はアジア西南進をはじめるに相違ない。多くのマスコミは広告料を差し出す企業のために時間稼ぎの為の世論操作をしているに過ぎないのだ。宋さん、世界中への恥晒しにならぬよう北京五輪までに民度が向上すればよいですね。むしろ日本で暮らす中国人の役目はそこにあるように思う。ところで宋氏の記事に付くコメントの類が物すごい偏執狂どもの巣窟になっていて興味深い。すこし穿って読めば、その大部分が日本共産党や赤旗の論評そのものではないか。驚くことに190件ものコメントが付されている。
 中国人が靖国神社に行きました
 「遊就館」の見聞などは小学生の社会見学にも劣るレベルで見るに耐えないものだ。自身の影響力を自覚されているのならば、もう少し冷静なスタンスで学んでから記事にして欲しいものだ。
 筆者は靖國に関して、「今のままでなにが問題なのだろう?」と考えている。結局は黒船なのではないだろうか?外圧に屈した時にのみ、国の在りようが大きく変化してきた日本ではあるが、「靖國問題」など取るに足らない、問題以下の時事ネタだろう。一般的大手マスコミや首相攻撃の先鋒であった経済同友会が、ビジネスでの利益が全てに優先すると言うのは物凄く下種なことであって、これでは売春婦を使って情報職能の自衛隊員や大使館員を延々抱き込もうとした中共の屑どもとなんら変わりはない。
 日本人らしさはむしろ、その後恥を悟り自ら命を絶ち、露見せしめた行為であり、そのことこそが国を大事に思う心そのものなのではないだろうか。宋氏は上の事件については不思議とスルーのスタンスなのだ。納得がいかない。
 

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2006年5月22日 (月)

職業ドライバー

バス運転手に暴行、親族も加勢

2006年5月19日
京都府警は15日、親族の交通トラブルを巡り、京都市交通局のバス運転手に対して暴行を加えたとして、36歳の男を傷害と公務執行妨害の容疑で逮捕した。男は容疑を大筋で認めているという。

京都府警・下鴨署によると、事件が起きたのは14日の午後5時40分ごろ。京都市左京区下鴨松ノ木町付近の府道で、クルマの進路を巡って京都市交通局に所属する48歳の男性バス運転手と京都市内に住む男性の間でトラブルとなった。

男性は親族に加勢を求め、これに応じた36歳の男が現場に駆けつけ、停車中のバスに乗り込んで運転手をいきなり突き飛ばすなどの暴行を加えた。運転手は胸部を打撲する軽傷を負ったため、警察に通報。同署では「バスの運行を妨げた」として傷害と公務執行妨害の容疑で逮捕した。

警察の調べに対し、男は「話を聞いてカッとなってしまった」などと供述。暴行を加えたことは大筋で認めているという。


《石田真一》

 京都市交通局ってのがなんとも・・・知っている人は知っているけれど、今でも同和問題が惨い団体の一つ。同和が惨いからって、万が一運転手が同和枠採用だからとして、公然で他人を殴打するようなことがあればしょっ引かれるのがオチだから皆も気をつけよう。
 
 バス運転手の過重労働が結構あちこちで取り沙汰されている。でも世間の風はそれら「下層」と呼ばれる業界の人には冷たい。誰か物書きが「下層社会」とか「多層構造」などとネーミングするとマスコミが取り上げて、大衆もそれに同調する。基本的には同調している人々は、自分たちが「下層社会」にないから同調するのであるが、何をもって下層とするのかなどの明確な線引きはない。新自由主義の影響なのか知れないが、「下層社会」などと今更ネーミングすることに何の意味があるのだろうか?
 新自由主義政策について森永卓郎氏が興味深い記事を書いている。
 「富の再分配」の対極にある新自由主義のままなら、ブログなんて暢気に更新している時じゃないのかも知れない。
筆者の地元横浜でも、中田市長が大鉈を振るって廃止、実質廃止の路線が増えた。横浜市営バス
 官が民を圧迫しちゃいけないとかで神奈川中央交通へ移管した路線もあるが、概ね組合の口封じだと考えられる。

 中田市長も民主党出身ではあるが、郵政民営化を肯定し、民主党公認候補の応援で「私は郵政民営化に賛成です」と野党向きの応援にはならないコメントで物議を醸した。
 
 政府と新自由主義で儲けた人たちが、勝ち組だけの護送船団方式を敷いているのが現状ではないだろうか。それで船に乗り遅れた人はなかなか乗せてもらえない。
 「皆が額に汗して稼ぐ時代は終わった。これからは、一部の有能な人材が付加価値を創造していく時代になる。庶民は、そのスタッフとして働き、分け前にあずかるだけだ。新しい時代の付加価値創造の担い手に重税を課してはならない。そんなことをすれば、有能な人たちは海外に逃避してしまう。有能な人は金持ちだ。だから、できるだけ金持ちを税制面で優遇し、そのツケを庶民に回さなければならない」 森永さんは新自由主義をこう評している。ニュースステーションの時より分かりやすい。都会にいると平均的で、なかなか進行中の新自由主義を感じるところってないんじゃないかな。でも筆者のように故あってひとたび地方で暮らすようになると、その歪みはそこかしこに感じることが出来る。日本人の大金持ちが少ないこともあって、日本海側で大きく金を動かしているのは朝鮮籍の事業主だと言うケースが非常に多い。日本人の金持ちより更に税制で優遇されているのだから当たり前と言えば当たり前なのだが。上越高田の繁華街で女将を張っている女性の多くも、その朝鮮籍の事業主がパトロンであったりする場合がこれも非常に多く、地方に来ても、「日本人の男、情けねーな」と感じてしまう。そう言うちょっとお気に入りのお店の女将(ママ)の境遇にがっかりしたり興味を引かれることは最近有るけど、民団と総連が手を組んだとか必死なマスコミにはうんざりな感じがしている悲哀の転職者なのだ。


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2005年9月17日 (土)

総選挙の印象

 しばらくぶりのエントリーになります。
 しばらくエントリーをしないうちに、社会では様々な事象が起きました。

 いや、なにも起こらなかった。少なくとも選挙では。

 ブログへエントリーしない間も、ガ島通信とnikkeibp.jpのここ
だけは読むことを欠かさないでいた。ガ島さんに釣られたコメンター、お疲れ様。

 特にnikkeibp.jpの長田さんの記事は清冽で、救済もあり好感がもてる。
 『大人な癒し系』とネーミングする人はいるだろうか。
 
 総選挙の結果を踏まえて感じた印象は、
 国民は実は変化を望んではいないのではないか?ということだ。

 勝ち組、負け組み、弱者、強者。定義が曖昧で、なんと寂しい言葉であろうか。
 この言葉を好んで用いる方々にわたしは問いたい。
 『そのボーダーラインはどこに?』と。
 選挙の公示前後、社民党の代表が演説でうえの言葉を何度も
用いているのが心に残った。
 

 国で定義つけられた、弱者や被差別者の取り扱いについて米国と日本で大きな
差異はいったいなんだ?という議論があった。
 日本では特措法を制定し三十数余年、金銭的な補助に重点を置いて
対象であるとされたものへの救済に務めて来た歴史がある。
 三十数余年経過の結果として、身の回りの生活・生育環境が
格段に向上したこととの引き換えに、むしろ転居が可能であるなら
混在やクリアランスが活発に行われたであろうに多くの住民はそこへ
留まった。

 三十数余年と言えば、既得権益が蔓延するに充分な時間である。
 行政の救済が皮肉にも封印作用と化してしまったのだ。
 
 米国と言えば、そうした金銭を用いた封じ込めは少数派で、
その代わりと言うべきではなかろうが、
 広く社会に進出できるため、教育環境の充実に重点を置き、
自力での救済から周囲との文字通りの同和や自浄に
作用できるようにしてきた歴史がある。

 種まきを省き、最初から実のありようを与えた日本。
 体制側からの『弱者』の決め付けは、自己申告制で
あったことも関係し曖昧で根拠も希薄なものだった。
 
 今は国民の側に近い、政治家からもそんな
決め付けが後を絶たない。うえの社民党の例もそうだろう。
 そこそこの満足、中流意識の定義でさえ曖昧な世の中だから、
実は弱者とは考えていないものへの社民や日共からの
働きかけは現在機能していないと言って差し支えない。

 今回の選挙は、自民の差別論、区別論の長けたものの
戦略がピタリと当てはまった結果との印象が拭い切れない。

 『マズロー的階層の最底辺の思想』というものがある。
 
 エイブラハム・マズローの『五段階欲求説』
 「生存の欲求」「安全の欲求」「帰属の欲求」そして
「尊厳の欲求」「自己実現の欲求」。

 前回の選挙では確か「拉致疑惑」「不審船」「国防のありかた」
などが「安全の欲求」「帰属の欲求」に合致していて、
その部分が争点になっていたようだ。
 うえの二つの欲求は、人間の信念に大きく左右され、
定義付けも難しい問題であるから、これを選挙での票に
反映させたとしたら票が割れることは易々と想像がつく。
  
 「尊厳の欲求」「自己実現の欲求」は、崇高で高邁すぎて
最近の選挙で問われたことはない。強いて挙げるならば、
靖国論争や天皇制維持問題などがそれに当たるだろうか。
 いずれにせよ選挙期間中詳細に語られるべき話題には
現在の日本ではあたらない。

 自民は、「生存の欲求」をを除き、ほかはすべてスルーし、
国民の「取りあえず生活できているし、問題ない」と言う
浮動票の獲得に成功した。

 一見保守的な企業に見えても、大手の多くの労組は民主系の
議員を総員応援形式で行っていた。(筆者のところは三人立て三人とも通った)
 少しでも生活の向上と、現況からの変化を望むなら革新系の政党を
応援することはなんらの問題もなく、労組としては正当なアプローチであろう。

 労組のオーダーに応えるという意味での
give&givenに、民主の姿勢にも曇りはない。

 「サバイバル」「生き残り」と言う言葉をマスコミは好んで
流布し続けている。ほんとうは崇高な理念を持っている大衆も
つい同調して、寂しい「生き残り」をかけたくなってしまう。

 マズローの五段階欲求説は、「生存の欲求」が最下層であり、
下から順に上がっていくとされる。
 「サバイバル」「生き残り」を賭けた郵政民営化反対派議員は、
自民が「生存欲求を煽り」単純明快で最下層レベルの選挙に
献上されたメタフォアであり、そのメタフォアと「強者のメタ」との
戦いを煽ったのがマスコミだろう。
 
 様々な最下層「生存の欲求」のみに焦点を当て、
郵政族議員や郵政事業に関連する職員30万人の
「生き残り」にも掛けて得票を得た自民の戦いは
タクティシャンの勝利だったと言える。

 それでは自民へ得票したもののすべてが、
高邁な理想を捨てて「生存の欲求」と言う動物的な
本能で投票所に行ったのかと言うとそうではないだろう。

 「安全の欲求」「帰属の欲求」そして
「尊厳の欲求」「自己実現の欲求」を論じ、
政争の論点にしたいのならば、各政党から国民への
トレーニングが必要である。
 ツールとしてネットを用いるのならば有効ではないか。

 しかしながら「生存の欲求」のみを語る政党が
トップにある日本とは、まだまだ平和な発展途上国ではないか。


 
 
  

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