2007年11月11日 (日)

リックの店 カフェアメリカン

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 今日はシングルカスクのウイスキーを買いに行きました。

 よくお酒の事を詳しく無い人が、
シングルモルトと同じように言うようですが、
シングルカスクとは一つの樽から取れる
いわば原酒のようなものです。
 だから度数も価格も大概高めで、
でもウイスキー好きにはたまらないものなので
発売後すぐに売切れてしまうのが特徴です。
 詳しくはwikiでも読んでください。

 それで、灯台下暗しってことで、ありましたよ。
 なんと近所のヨーカドーに・・・
 バルヴェニー蒸留所の15年物が、
その価値を知らされずにひっそりと
陳列台の片隅に、まるで筆者の出番を
待っているかのように。

 しかも価格がサントリーの
Webサイトにあるのの約2/3くらい。

 まぁなんていうか、酒屋が勝手に
プレミア付けてさ、それでいかに
儲けているのか分かるってものです。
 特に焼酎なんかが最近は標的に
されてるのが目に付きますね。
 こんちくしょう てやんでぇ。

 焼酎はそんなストーリーのおかげで
嫌いになりました。
 焼酎はもう安いのでいいです。
 てか焼酎って居酒屋の延長みたいで
家で飲むのはちょっとなーと
思います。(個人的な偏見)
 やっぱりお酒飲むなら、
ハンフリー・ボガードみたいに
粋に行きたいものです。

 画像の一枚目にあるように、
カスクナンバーとボトルナンバーのほかに、
ボトリングの日と、樽詰めした日まで
書かれているのがシングルカスクウイスキーの
特徴です。ちなみに筆者のは149番でした。
 原酒なので、樽の香りがほのかに
漂ったりして気分がいいです。
 家でひとりで飲るのには、
ちょうど良いウイスキーだと思います。

 シングルモルトはなんやかや
言ってもブレンダーの癖が出てしまうので、
本来自然の産物たるモルトウイスキーの
良さを味わうならシングルカスクに
しておきなさいってことです。

 画像一枚目にあるのは、
六本木にあるCaskのOPEN記念か
なんかで貰ったのだと思います。
 これもウン万しちゃいそうな
勢いのお酒かも知れません。
 セコい趣味ですが、ミニチュアボトルを
集めていた親父さんの趣味を引き継いで
筆者も飲まないで取ってありますがなにか?

 これから近所のお肉屋さんの
地元名物焼豚とサラダで
一杯飲ります。
(ぜんぜんボギーじゃないじゃん)

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2006年9月 6日 (水)

香港映画 インファナル・アフェア

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 ここ最近宋さんのところのコメント欄にいちいち反応していた筆者でしたが、もうキリがないので、やめて、中華人民共和国香港特別行政区の映画についてでもと。
 

タイトルにある「インファナル・アフェア」は、特命での潜入捜査官(トニー・レオン)と、マフィアから警察への逆潜入を使命に組織で生きる男(アンディ・ラウ)の死闘と無常観を描くフィルム・ノワールです。三部作のこの映画、第二部での回想シーン中心の構成はゴッド・ファーザーを思わせるものもあります。筆者はトニー・レオンの笑顔が男惚れするほど好きなので、個人的に第三部がお奨めかと思います。ストーリーは各作品とも独立していると考えられますが、やはり1作目から観たい映画です。
 この映画に対しての評価は賛否両論様々ですが、筆者は香港映画独特とも言っていい疾走感と静寂がよく表現されている佳作だと評価します。また香港映画俳優陣の層の薄さから、配役に何度も観たことのある顔が並んでいるのですが、どれをとってもその演技は秀逸ではまり役と言って差し支えないでしょう。

 トニー・レオンは「恋する惑星」の演技が印象的であるが故、軽い二枚目といった感が強いと思われる方も居られる様ですが、「シクロ」や「ブエノスアイレス」などの小作品では屈折した背景を持つ男を重厚に演じておりますし、「2046」ではキムラタクヤを端役へ追い込むほど(演技下手だから仕方ないが)の圧倒的存在感でチャン・ツィイーと競演しておりました。

 香港映画界は古くより観光資源としての映画制作に力を入れ、数々の名作をリリースしております。
 筆者が香港映画の好きなところを上げますと、「湿度とチープさ、監督の映画愛が画面に映える」と言ったところでしょうか。しかし、残念ながら昨今は本国から表現の規制などをあからさまに強化されているとも伝えられ、映画界のみならず返還が香港在住の華人に幸福をもたらしているのか疑問に思うところがあります。
 97年以前にも様々な議論があったのですが、いわゆる中共は本国人と、台湾や香港の華人を差別するよう本国人側に悪意の刷り込みを行っているようですね。とまぁ話はずれましたが。

 映画の良し悪しはやはり女優にかかっていると言って間違いないでしょう。今作品でもケリー・チャンが感情を抑えた演技でヒロインを演じ好評を博しております。

 TBSのドラマで「輪舞曲」と言うのがあったのですが、このドラマは少しと言うかかなりの構成部分がインファナル・アフェアと重複していると見たのですがいかがだったでしょうか。

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2006年5月28日 (日)

ADIEUL'AMI さらば友よ

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 1968年にフランスで製作されたこの映画。フレンチ・フィルムノワールの中にあって、アメリカ人のブロンソンが際立って活躍していることが目を引く。筆者がこの映画に引かれる理由の一つに「シトローエンDS」の度々登場するところを挙げられるが、やはりなんと言ってもアラン・ドロンの格好よさ抜きにこの映画は語れない。
 この頃の映画界ではごく普通に「名誉と栄光のためでなく」「アルジェの戦い」などで、フランスが虚しい悪玉、後に独立を勝ち取るアルジェリアは善玉と言う風情の映画がリリースされていた。さらば・・・ではマルセイユに帰還する外人部隊・・・と言うシーンが冒頭にあり、酒場でポーカー博打に興じるなど退廃的な様子を描こうとしているフランス人側の意図が読み取れ興味深い。つまりこの戦争は負け戦でしかも罪悪だったと。
 ブロンソン演じる歴戦の戦争屋フランツ・プロップの台詞が「俺は金を多く払ってくれるほうに付くぜ。国籍なんて関係ねー」とうそぶくところにアルジェリアの泥沼戦争と化した様相をうまく物語ってくれている。
 フランスは日本の敗戦を機に、解放直前のヴェトナムへ再進駐し顰蹙を買った。昔のフランスは強欲でお洒落じゃなかった。基本的には、第一次インドシナ戦争でも精鋭外人部隊の派遣が中心で、フランス人は金は出すけど戦争は苦手なのか と思わなくもない。この映画でもプロップがドロン扮するディノ・バランに「俺だったらそんな勿体無いことはしねーよ。”ああそいつだったら知ってるよ。ディエンビエンフーでゴルフをやった”とかなんとか」プロップもインドシナ戦争へ派遣されたことを示唆するくだりがある。ディエンビエンフーとはなんぞや?と調べてみれば、この戦争で最大の激戦地であったことが分かり、ゴルフをやったなんてブラフだなと、脚本家の意図を理解することが出来る。ワンス・アンド・フォーエバー(2002)の中では、ヴェトナムで勇者とされる指揮官のボー・グエン・ザップ将軍をハル・ムーア中佐が調べる様子が描かれている。ワンス・・・の中で筆者が唯一共感できるシーンであり、トンネル戦線と言う恐るべき戦術を多用した偉大な指揮官だ。ひょっとしたらボーは、旧軍が沖縄や硫黄島で用いた戦術を知っていたのかも知れないなぁと咄嗟に思いつくが、これは調べてみなければ分からない。
 さらば友よ では、マルセイユからパリへ舞台が移り変わる。ディノ・バランの犯罪を伝える電光掲示板を見上げるパリっ子の誰もが皆、黒いサングラスを装着していて印象深い。演出が陳腐だとか、史上最高のB級シネマだとか評価は散々なところもあるが、筆者はそうは思わない。人情家で憎めないベルナール・フレッソンの刑事役もなかなかよい。
 
 

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2006年5月24日 (水)

The Great Gatsbyの勲章 

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モンテネグロ独立へ・国民投票で賛成55.5%
 【ポドゴリツァ(セルビア・モンテネグロ)=桜庭薫】セルビア・モンテネグロのモンテネグロ共和国の独立を問う国民投票の投票委員会は23日、独立賛成票が55.5%と独立条件の55%をわずかに上回ったとの暫定最終結果を発表した。旧ユーゴスラビア連邦が約60年の歴史に幕を閉じる。独立のたびに紛争危機に直面してきた旧ユーゴの悪循環を断てるかが問われる。

 野党連合は前日、投票の再集計を求める声明を出した。独立を主導してきたジュカノビッチ共和国首相は野党の動きに対し「モンテネグロの民主主義に影を投じている」と語り、独立に後戻りはないとの考えを強調した。一方、セルビア共和国のタディッチ大統領は23日、モンテネグロの投票結果を受け入れると表明した。 (07:02) NIKKEI NET

 セルビア・モンテネグロからモンテネグロ共和国が独立する手続きが済んだ。1918年のサンジェルマン条約での「大ユーゴ主義」に一つの大きな区切りをつけることになる。ボスニアやコソボの紛争のことも頭をよぎり、宗教や言語、人種の入り混じったこの地域独特の世俗も相まって筆者も注目していた。 
 古くは「ネレトバの戦い」、最近では「エネミーライン」などの映画によっても描かれている、長く険しい苦難に翻弄された民族の歴史。筆者が『モンテネグロ』の名前を耳にするとき思い出すのは、サッカーでもなく戦争映画でもない。
 映画『華麗なるギャツビー』の中で、ロバート・レッドフォード扮するギャツビーが、作品の語り部となるサム・ウオーターストン扮するニック・キャラウェイに自身の戦功を自画自賛するシーンがあり記憶から離れない。
 かつての恋人であり今も愛して止まないデイジーと富豪であるその夫トム・ブキャナンは、ギャツビーが功なり遂げるために連合国軍将校として第一次世界大戦で欧州を転戦しているさなか、幸せな家庭を築いていた。ギャツビーがかすかに友情を感じるニックに対して、絶望的心境の吐露が「欧州の小国モンテネグロからも勲章をもらったんだよ(どうだい大したものだろう?)」と言う一節だったのである。映画の舞台はローリングトゥエンティの最中ではあるが、筆者がこの映画を名画座で見た16歳の頃「モンテネグロ」は世界地図には載っていなかった。
 映画を見てしばらく後、ギャツビーが最期に殺害されるのをモンテネグロの消滅と言う事実が暗示しているかのように感じもしたが、これは若者の穿ちなのか。こうして切ないロマンチシズムあふれる映画と共に思い出されるのが「欧州の小国モンテネグロ」の存在なのだ。サンダンス(明日に向かって撃て から)でレッドフォードに見出されたブラッド・ピットにも、このような役柄を演じて欲しいものと希望する。

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2006年5月23日 (火)

映画検定とロードショー

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2006年5月16日
6月に、キネマ旬報社、キネマ旬報映画総合研究所主催の第1回「映画検定」試験が行われる。自称ではなく、自他ともに認める映画通になれるチャンス!

合格するためには映画に関する蓄積された知識が必要だ。あと残り1カ月でどれだけ詰め込めるかはわからないが、試験勉強のフリ?をして、これを機に往年の名作から最新作まで観まくろう。

「レンタルショップに行く時間がない」「せっかくDVDを借りても延滞することが多くて……」という人なら、オンラインレンタルDVDや映像配信サービスの利用がオススメだ。とはいえ、やっぱり映画は大きなスクリーンで観たいなら、ユニークな映画館や特集上映に足を運んでみるのもいいだろう。

忙しくても、映画を楽しむ方法はいろいろありそうだ。

文=荻島央江


 キネ旬は映画配給会社でもないし劇場でもない。どんな利権を模索しているのか、単なる映画好きの格付けをしたいのか真意は上の記事からは不明だ。しかし記事を書いた人はよりニュートラルなスタンスだから、「DVDを借りて見まくろう!」となっている。劇場に足を運んでと言うフォローもついているが。
 「ロードショー」  なんて甘美な響きなのだろう。むかしたった数本のフィルムでロードをし、都であり中心である有楽町から地方都市へ降りていった。映画の流れる空間は人生そのもののようだ。自己都合でリピートは利かないし、決められた時間に始まりそして終幕を迎える。観るものにある程度の緊張を強い、開放感も日常の出来事の延長線上には無い。筆者はユビキタスネットワーク社会を構築する側の人間だが、この対極としてロードショーはいつまでも残っていて欲しい制度だ。映画検定も受けてみようと思う。


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2006年5月22日 (月)

はなれ瞽女おりん

 瞽女(ごぜ)とは、集団で三味線を弾き、瞽女唄などを唄いながら瞽女宿を目指して旅をする、盲目の女旅芸人のことである。異性との交わりを禁じた瞽女の戒律を破ったために、一座からはずされて一人で門付をする者を「はなれ瞽女」という。
若狭の片田舎に生まれ、三歳で盲目になった柿崎りんは、越後、高田の瞽女屋敷に引き取られ芸を仕込まれるが、ある祭りの夜、若い衆に手込めにされ、掟に従い、はなれ瞽女となった。
とある阿弥陀堂で村の男に襲われるおりんを助けてくれた男は、下駄職人を装うが、実はシベリア出兵を拒否した脱走兵だった。おりんは、彼を兄のように慕って一緒に旅を続ける。
大正中期、第一次大戦が終わり、シベリア出兵、米騒動という不況が世の中をおおった時代を背景に、この世にありながら、どこか遠い世界から差し込む光のような存在瞽女おりんとは…。

 篠田正浩監督と妻そして女優岩下志麻とのカップリングで映画化された。
 最近転勤先の高田で瞽女(ごぜ)研究なんかを始めている。好むと好まざるとにかかわらず のcatfrogさんからi INSPIREされて、せっかく高田の住人なんだからと言うことで始めた。同和やハンセン病者と違うところは「共生」出来ているかどうかってところだ。法制化された保護って、不必要な人にも惜しみなく注がれるものだから方向性は違っても同じように歪みが生じてしまう。しかしそんなものを研究するオレって転勤者の悲哀が滲み出ているな。うひゃ

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2005年2月12日 (土)

映画の話

img001 「パッチギ」と言う日本映画が公開中である。井筒和幸監督の傑作と見る向きが大半であるが、事実関係を整理したうえで感想を述べたいと思う。
 
 :プロデュース側に在日本朝鮮人総聯合会のものが含まれている
 :井筒監督がメガホンを振った、東方見聞録の撮影中事故死した
 スタントマンは在日朝鮮人だということ
 :この不幸な事故の因果か井筒監督はうえの団体と懇意になったとされる向きあり
 :物語は60年代後半の京都が舞台で、監督本人の地元奈良に近い環境であり、
 京都にある朝鮮高級学校と県立高校の生徒・その周囲の親兄弟他が物語の
 中核をなすということ。
 :うえの東方見聞録(92年クランクアップ)は未公開映画であり、その後
 事故の影響か井筒監督が隠匿生活を送っていたこと
 :井筒監督自身の思想は「拉致家族会」に対して否定的であること
 :イムジンガンの背景はいまだ交戦状態で休戦中の南北国家間の問題であるということ
 :北朝鮮や在日朝鮮人を語る上ではこの上なく逆風の時代であるということ


 まだまだ書きたい事はやまほどありますが、以上のような事情を踏まえて鑑賞に参りました。内容は躍動感のある若者の活劇が主体で、なかに在日高生女性と県立高生男性の恋愛を絡めてドメスティックながらもラストまで突き進んで行きます。やけに牧歌的な映像が鼻につきますが、井筒さんの感性なのだから見る側に選択の余地はありません。ラストは明らかに「アメグラ」の模倣ですがこれも観る者の感性をバカにしているのか最後まで見せすぎです。すべてを過去あったこととするのは難しいフィクション映画ですが、在日朝鮮人のイメージはこれでもかの焼き直しですから苦笑いをせざる得ませんでした。いわく「強制連行」手法は畑仕事の最中トラックに乗せられ着いたところが異国の日本だったとか、住まいの貧乏臭さ云々。これには総連関係者からはクレームがつかなかったか?と疑問符を打ってしまいます。私自身は恵まれた環境に育ってきた訳ではありませんので、形を変えた、「貧しさもまたよし」と礼賛するような井筒さんの感性には否定的です。強いて言えばかの時代、「貧しかったのは彼らだけだったか?」とこれも同和問題に深く興味を持ち活動もしてきた身にとってはなにやら一過性の特定化された在日朝鮮人のイメージに井筒さんの作為か感性の貧弱さに同情さえ覚える始末でした。またこの貧しさから脱したい一心でかつての自分らの祖は祖国日本のため身を粉にし働いて来たのでありますから、この部分は国籍を問わずに共感できるノスタルジーでありましょう。
 内容自体は人の良心に訴えかける作品でありかつての日教組推薦映画に近いものがあると思います。自身がもう少し若ければこのように捻れた感想を持つ事はなかったのですが。それと同時に「拉致事件の真偽」を北朝鮮自らが告白した事、事件には総連ならびに極右の在日朝鮮人の加担が明らかになったことを抜きにしては語れず、今の日本の若者を取り巻く隣国への感情が修復不能なほどまでに激変してしまったことをなんら考慮していない部分も見受けられ、このことがこの良作への評価を分かつと言う残念な結果に終わってしまいました。
 作品に登場する人々は市井の方々であり、極右の朝鮮人も総連の関係者も登場しませんが公開の時期が時期だったよね、何故に今なのか?またイムジンガンの唄が歌われた背景は68年の日本にも現代の日本にもない荒涼とした大陸の風が吹く焦土と化した朝鮮半島であります。現代の日本人が持つメンタリティーでは到底理解できない唄です。理解できず訳知り顔で歌うフォークグループはとっくに廃れてしまいました。肉声で語る、自分の感性でこの映画をどんどん語ってください。同和の問題もそうですが、実像を理解せずに「差別」を語るなかれ。実像を掴んだ時「騙された」と喚いても、その時あなたは既に魂を見失っています。
 他愛のない無悪なエンターテイメント映画です。ただ日本の若者を見下すか、期待しているのか不明な井筒さんの思想は分かりにくいと思います。

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