2008年11月 3日 (月)

クルーザーレースは、ちょっとハイソ

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 昨日は、予定通り計画通り5:00には起きて
琵琶湖へ行って来ました。

 

 レースは琵琶湖セーリングクルーザー協会、
(略してBSCAビスカ)が主催する、
オータムレガッタと言う草レースです。

 30ftオーバーのクルーザーが
沢山出ており、三連休と言うことも
あってクルーも大勢集まったようでした。
(自分が乗った艇は4名)

 メルゲス24は純粋なレース艇
なので、キャビンやなにかもなく、
はっきり言ってそれなりの風が
吹けばクルーザーに負ける訳がないな、
と考えていた。

 結果は、下りでジェネカーの
威力を発揮して他艇をごぼう抜き。
 一時トップに立つものの、
レースは水物。
 ゴール地点の変更(コース短縮)があり、
気づいた時には賢い他の艇が
新たなゴールマークへ
向かっている時でした・・・

負けレースと分かり
最後、フィニッシュの時は
スキッパーを交代させて
下さりました。

 全体的に微風域の
レースで、神経が磨り減る
じりじりしたレースとなりましたが、
まぁ仕事の間隙を縫って
こんな遊びが出来るんだから
万歳三唱ですわ。
 


 しかしまぁ考えてみれば、
琵琶湖は近畿圏でも指折りの
プレイスポットと言うこともあり、
金持ちと思しき方がうようよ。

 ああいう場所って、
 外車がほとんどなんだよね。

 自分にはレーザーの
ほうが、合っているような感じです。

 ただ、冬は滅多なことで
沈(Capsize)しないクルーザーは
水の中に入らなくて済むので、
体には優しいな、と思いました。

 冬はスキー選手になるので、
どこかで頭を切り替えなくては
いけませんが・・・
 


 

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2008年8月 4日 (月)

ヨットマン(仮)の憂鬱

 三重県は河芸、鳥羽、そして琵琶湖にも
行ってレーザーを探してきましたが、
取り扱ってなかったり、譲れるような
艇が無かったり・・・

 あっても、そこの管理置き場に
保管するのが条件で、そう言うとこは
艇はタダかタダ同然、保管料が少し高め。

 筆者が真鶴の岩港に、
ヤンマーFX24というボートを
置いていた時は、陸置きで
2万円/1フィートだった。
(年々値上がってて、最後は3万くらい)
 だから毎年最低でも60万弱はかかる訳で、
ディンギーのシングルハンド艇を
ロケットと呼ばれるラックに
葉山や逗子で12,3万払って置くのよりかは
だいぶ維持費がかかる。
 さらにボートは上げ下ろしにも、
幾らかの費用がかかる。

 港は基本的に漁師のもの。
 日本の海を取り巻く権利関係は、
入会(いりあい)権のあった江戸時代に
さかのぼって、殆ど進歩していない。
 漁師はお上に鑑札代を払っている。
 だからお上から許可を受けた、
海は漁師のもの らしい。

 

 ディンギーは、艤装からして
乗る人が出来てしまう範囲なので、
はっきり言って、売った後の
ショップに旨みは少ない。

 マリンショップやハーバーが、
30フィート楽々オーバーの
ボートやセーリングクルーザーを
扱いたがるのは、そりゃそっちのほうが
儲かるから。
 保管料と内燃機、ペラ等のメンテナンス。
 係留艇なら喫水部の防錆・防貝塗装。
 年に何回か乗る程度の人が殆ど。
 でも横浜ベイサイドマリーナなら、維持費で
中古の程度良いメルセデスSが買えてしまう。

 日本の海岸線は、走ってみれば
よく分かるけど、単調でつまらない。
 
 景勝地では岩がボコボコしていて、
気持ちよく走ることなんて出来はしない。

 それで最後は結局釣りに流れていく。
 釣りぐらいしかすることがない。

 のんびり派以外は、ウェイクボードなどに
挑戦している。でもこれだってそんなに
楽しい感じがするものでもない。

 やるなら、潮っ気のない湖でやったほうが
気持ちがいい。

 

 ディンギーはまだ少し可能性がある。

 三重に居るうちは津において、
横浜に帰ったら自宅に保管、
カートップで持ち込む。
 
 年に保管料だけで12,3万円も払うのは
気が引ける。

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2008年7月13日 (日)

怨念のヨットマン

 現在レーザー級と言う、
一人乗りのヨット(ディンギー)を
探している。 

  
 水泳でレーザーレーサーと言う、
日本なら富山のゴールドウインが
製造しているらしい水着の話ではない。

 三重県内や、ヤフオク、
神奈川でも探してはいるが、
「フリートの仲間」や「置き場」の
関係性が壁のように感じられて、
なかなか近づけない。

 パフォーマンスセイルクラフトジャパン(PSJ)と言う
ところがハル(船体)を作っていて、
ここで新艇を買えばなんてことないけど・・・
 少しだけ高い・・・ほんの少しだけ。
 でも、新艇買って、津の堤防に
置いてしまったほうが、なんだか
すっきり行きそうな気がしている。

 レーザー級のビルダーは、国内に1社だけと言う
決まりがあって、日本だと上記のPSJが該当。
 筆者の地元に程近い神奈川は綾瀬にある工場が
そのアジテーションポイントのようです。(略してアジト)
 PSJの社長が、現在日本でも最強かつ北京にも
選手を送り出すレーザー逗葉フリート(船団やチームの意)
の創設者との情報を頂きました。
 飯島洋一選手のことはよく知りませんが、
日本の税金を使ってチンタオに乗り込んでいるんだから、
日本のために恥じない成績を期待。
 国際ランキングなど考えずに、
緑藻で満杯のコースにて優勝を狙って欲しい。
 
 はっきり言って「自分のために」とか、
「自分が納得できれば」なんて温くて
甘ちょろいメンタリティーの選手は、
どの競技でも五輪なんか出なくていい。
 五輪は多くのアマチュアヨットマンの
延長線上にあるものではない と。
 それぐらいの気概で臨んで欲しい。
 

 ところで、この一人乗りのヨットは、
シングルハンダーやキャットリグと
言って、一人乗りだから、もう一人二人と、
クルーを探す必要は無いから、
ある意味ではそこのところが気楽といえば気楽。

 社会人になって、同好の士、
しかも同じ艇に乗る人間を探すのは
とても大変なことらしい。
 たとえば新艇で数百万する、五輪で
再三再四にわかに注目されてる470級だって、
それがジャパンや企業から提供される
船だからこそ成立するクルーとスキッパーの
ヒエラルキーであって、
これをアマチュアが全て自前で
しかも全てを折半でなんてやっていたら
二人組みのチームを組むことは難しい。
 そんなことが容易に理解できる。
 
 船関係。
 置き場代がとにかくかかる。
 筆者が30代前半に、真鶴の岩港へ
24フィートのディーゼル船を陸置係留していた時
だって、数年後結局手放した理由は
係留費用の何年間かでもう1隻の新艇が
手に入ってしまう莫大な支出と、
そこから手に入る何ものかを
考えてみてのことだった。


 ゆえに何百人もの関係者を必要とする
「アメリカスカップ」とその挑戦艇決定戦は、
「海のF1」とか、男の史上最強の贅沢とまで
言われているのである。
 いや、最近は男だけの贅沢ではないみたい。
 
 レーザー級と言うのは、一人乗りで
構造もシンプルな分、その体力や
タクティクスなどがもろに出てしまうクラス。
 ゆえ、日本人のように道具を器用に
使いこなすと言われる人種には
有利なクラスではない。

 国内限定ならば、ヤマハのシーホッパー
を含むクラスが国体シングルハンダー級として
認知されている。

 とまぁかくかくしかじか・・・

 レーザー級にしろ、
なんにしろ、競技ヨットの世界は
学生の頃に始めた人が、レース
成績上位者の大多数を占める。
 ディンギーなんて貧乏人が
乗るもの、なんて言っては見ても、
筆者のように学生時代に触れる機会すら
無かったような門外漢には、
その場所に行けることが
贅沢だったんじゃないか、と
問いかけたい心境あり。

 ヨット含むセーリング競技はマイナー。

 で、やっぱりマイナーなのには
それなりの理由がある。
(それでも始めようと思うけど)
 やっぱり乗っている人が、
割合変人が多い。
 人格者の人が少ない分、
普通の人も凄い目立つ。
 それぐらい、変人の人が
多い感じがする。
 
 一人乗りのヨットなんて、
競技スキーと同じように、
その人が自分で考えて
色々戦略を練ったりトレーニング
すれば余程楽しいはずなのに、
みんなでいじりあっている。
 置き場の関係とか、それで
利益を得ようとか、そんな絡みも
有るんだろうけど。

 個人競技なんて、
「他からとやかく言われるのは嫌」で
「出来るだけ放置の方針で」って
奴の集まりのはず。
 無理して「ごっこ」を
しかけるから、それに馴染めない
「個人競技者」は離れていく。

 だいたい自分も選手なのに、
他の初心の人なんか面倒見るのは
御免こうむりたいのが、選手の心情。

 小松一憲さんと言う、長年
日本選手の面倒を見てきた
1流のヨットマンが単独で
トレーニングをしていた背景が
純粋で「らしい」スピリッツを
感じさせる。

 なんでも、江ノ島と館山の
往復を単独で繰り返していたとか。
(フィン級ヨットで)
 海上で操艇を教えてもらったのは、
たったの1回だったとか。
 
 そこに置き場やフリートの
しがらみは概念として存在しない。

 ただ純粋に楽しめばいい。
 
 そういう風に考えている。
 先輩面して、いろいろ
言ってくるおっさんどもは
完全無視、徹底放置。

 

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2007年11月14日 (水)

ムーンリバー

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 今夜は弟のお誘いで、会社の仲間も誘って
ベースボールマスターズリーグ、
東京ドリームス対大阪ロマンスの試合を観に
東京ドームまで足を運びました。
 プロモーターと同級生と言う弟が
用意した席は、ベンチ裏の1列目と言う
なかなか素晴らしい席でした。
 兄も家族で来てたので、少し驚きましたよ。

 昨日は三重県四日市へ。
 11月から群馬の話は無くなって、
12月から来年6月末まで四日市に
飛ぶこととなりました。
 まぁ幸さんの住む京都とも意外と
近いようだし、これを機会に
京都でのイベントはフォローして
いくこととします。(何故か断言)
 晴れて「華麗なるギャツビー」のように
ストーカーチックに幸さんを追い掛け回したい
ものです。
 
四日市行きは出張扱いなので、手当てなんかも
しっかり貰えるし、時々は帰ってきて
山さに分け入ったり、中華街や
煤けたガス灯なんかも見てまわれるでしょう。

 ところで「幸さんハイ」のテンション高めの
幸さんですが、なんと風邪を召されていたようです。

 あそこはいつも女らしいエントリーでいいですね。
 
 月の話って言うと、
窓辺に座ってギターを弾きながら
「ムーンリバー」を唄うヘップバーンが最高。
 そうティファニーで朝食を。
 ジョージ・ペパードが真面目そうな
作家志望の男を演じているのもグー。
 景品かなんかの指輪をティファニーへ
持ち込んで名前を入れてもらうところなんて
なかなか喜びも悲しみも幾歳月ですよね。

 おっと手が黄色くなったって、
幸さん。

 面白い。

 最近お酒を飲んではいますが、
グレープフルーツジュースとは
縁が遠くなっていますので、
幸さんハイを見習って
健康コンシャスに行きたいなと。

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2005年12月 4日 (日)

忘れられない名前ミスター早稲田「吉田 靖」

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姉歯事件と言ったらどうかということですが、面倒くさいので一律「姉歯事件」で。この事件を考えるときに、この手の本の反動なり影響が見られたのではないかとすぐに頭をよぎってしまった。
 分譲マンションであるなら、引渡の前に内覧会が開かれる。事件で言うところ「ヒューザー」のような売主、ディベロッパーがその物件、つまりその部屋のオーナー向きに行うのである。内覧会で不備がなければ、手付けが本契約に移行され地上権や抵当権の設定の運びとなるのだ。筆者は大京という会社の内覧会で案内人のバイトをしたことがある。某資格を行使して案内人の役をこなしたのだが、あまりよい印象は残っていない。
 その頃はすでに「内覧会に挑むバイブル本」が社会にばら撒かれていて、脚立・懐中電灯・ビー球は言うに及ばず、「マイチェック」用の付箋まで持参するつわものがいたほどだ。内覧会が催される時期は、工事が終了しすでに仕上がった状態である。だからいくらつわものの仮オーナーが内覧会で指摘を挙げても自身が購入する専用部に限られ、共用部や設備の根幹部分、また今回事件になっている「構造」などはすでに検証のしようがない状態になっている。筆者は姉歯事件の関係者に対して肯定の立場を取るものでは決してないが、少しだけ書籍などによって理論武装した客たちを欺くのなら、姉歯事件関係者の取った欺瞞は至極短絡的な目に見えない部分(構造体そのもの)でのローコスト化=間引きはアプローチとして易々と解することができた。
 筆者は結論だけ述べるが、「官のマンション以外は買うな」と言う事だけ申し述べておく。民間マンションの販売者は、購入者のリスクとは裏腹に債務や資産状況も考慮されず誰にでも販売できる権利が付与される。つまり文句の言いようのない会社からなど、いくら安いからと言って「買うな」と言うことだ。姉歯事件関連のマンション購入者には「残念な結果」としか言いようがない非常に不快極まりない事件が起きた。


 不快極まりない事件のことはさておき、最近なつかしい名前を聞いた。その方は地元が一緒で、中学の時に教生で教わった縁がある。小、中学と一緒で、氏が大学四年時に筆者は中学二年のサッカー部員であった。
 その方の名前は「吉田 靖」さんと言い、現在JFAのナショナルトレーニングセンターコーチであり、U18日本代表の監督でもある。時々ユース世代のコーチをしていたのは耳にしていたけど、ようやく初監督の大任が回ってきたのかと、選手時さしたる実績もないままコーチをし、選手からも「あの人誰?」と言われていたのではないかと考えると、大熊清氏同様ナショナルトレセンの公正な人事には少々驚かされる。
 筆者が記憶をたどる範囲で「吉田靖」氏のことを書こう。選手時代たいした実績もないままと書いたのは、まず氏がフル代表の経験がないこと、Jリーグ発足時にはすでに引退をしていたことなどが失礼を承知で書いた理由である。実は氏のサッカー経歴は少なくなく挫折に彩られていた。
 高校三年時に、選手権予選の決勝で国学院久我山高校に在籍していた氏は本郷高校に惜敗。本郷はその年全国三位の結果を収める。本郷の主力にも氏と小中同じくサッカーに熱中したチームメイトがいた。氏は教生の時に語ってくれたが、その時の挫折感が大学の四年間にも生かされていたと述懐していた。
 その後早稲田に進学し、栄光のメキシコメンバー宮本監督、「わが青春のサッカー」で有名な堀江ゼミの堀江先生などに師事した。高三でアジアユース代表、大学一年からはユニバーシアード代表で日の丸を付けて戦ってきたのである。氏の年代には現在も影響力のある名プレーヤー多く存在していた。その代表格と言えば、京都商業から国士舘大学へ入学し、その後日産や代表でセンターフォワードとして活躍した柱谷氏であろう。
 思えば氏の応援に駆けつけた西が丘サッカー場で常に早稲田に立ちはだかっていたのが当時の国士舘であり、越田・風間・鈴木淳・柱谷・佐野と言ったキラ星のごときスターであろう。リーグでもインカレでもこの年常に国士舘に勝てず、二位に甘んじていたのが早稲田であった。いっぽう早稲田にも氏の対面でウイングを張る「関塚隆」さんと言う方がいた。現在川崎フロンターレの監督である。本田から前出の宮本監督の関係であろうか鹿島アントラーズでもコーチを務めていた。氏は悔しい大学時代を過ごし、その後原博美選手や当時の監督であった横山謙三氏など早稲田OBが多く存在するとされていた三菱重工業サッカー部に入部した。
 三度ほど当時の日本リーグに出かけたが、正直吉田靖氏の働きやすいシステムを当時の三菱は取っていなかった。氏は100m11秒3程度の俊足ウインガーで鳴らした選手であったが、当時の三菱は原、尾崎の二枚看板で単純な縦に早いサッカーをしていたのだ。純粋すぎるほどのウインガーであった氏が活躍できる土壌は当時の日本にはなかった。むしろ一発勝負の国際トーナメントなどで氏のようなタイプは活躍できる。マラハリムカップでの氏の活躍はアジアに轟いていた快走だった。
 氏の名前が聞こえなくなったと時を同じくして、筆者のサッカー熱も失われたいった。それから10年ほど経ったある日、Jが開幕してほどなく、氏の名前が浦和レッドダイモンズのコーチングスタッフの欄にあったときは嬉しかった。「絶対に醒めた人間になるなよ」と氏が贈ってくれた言葉を今でも時々思い出す。
 氏は今でもサッカーと真正面から向き合っている。真正面から向かい合う。いまこれをすることがいかに大変か。氏がなしえることが出来なかった、ワールドユース選手権の出場を監督して勝ち取ることが出来るよう心から願う。その大会は2007カナダであるが、氏は大学四年時にユニバーシアードメキシコ大会に出場しているから北中米には縁があるようだ。「ヤッコ」スマイルをまた見せて欲しい。

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2005年2月21日 (月)

トーマス・スタンガッシンガーのための記憶の中の94リレハンメル

1 92年はアルベールビルで冬季オリンピックゲームが開催された。夏季五輪の陰になりがちな冬季五輪の同年開催を取りやめ、96年のアトランタ五輪とのはざ間の二年後に開催された珍しいケースの五輪が1994年開催のリレハンメルだった。丁度キング・オブ・スキー荻原健次の絶頂期であり彼の力を持ってノルディック複合の二連覇を成し遂げた未曾有の出来事もこの短い周期に行われた五輪の賜物だった。丁度スキーを覚えたて、ゲレンデに通い始めの時期だったので深夜熱心に観戦していたのを記憶している。アルベールビルは、まだ稀代のオールラウンダーのツルブリッゲンが現役だったし、冬季五輪の華オリンピック男子スラロームはフィン・クリスチャン・ヤッゲ(NOR)がトンバとの死闘を制して一躍「YAMAHA」のSLプロトを世界一のスキーへと導き日本製スキーで初の金メダリストに輝いた。その二年後の五輪なのだから、当時どんな態勢からでも神技に近いリカバリーを用いてワールドカップスラロームでもラップに次ぐラップで勝利を重ねてきた天才肌のスラローマーアルベルト・トンバが金メダル以外のものを望んでいるとは到底思えなかった。その頃はジャイアント・スラローム(リーゼンSL)になど全く興味はなかったが、そのトンバが出る最初の種目なので違う意味で注目していた。何故ならその頃心酔しきっていたスタンガッシンガー(AUT)のスラローム種目でのライバルはトンバ以外に考えられなかった。ライバルを観察するかのような眼でリーゼンをオレは観ていた。その日、いや五輪期間中のトンバは絶望的なほど滑走に力がなかった。ワクシングが失敗だったのかと思えるほど緩斜面はのろかった。結局スーパーGで勝利を収めて勢いにも乗っていたドイツ人のマルクス・バスマイヤーがリーゼンでは勝った。確か第一シードにも入っていない17番スタートぐらいからの捲くり勝ちだったと記憶している。ドイツ人は他にも良いレーサーが沢山いた。トンバのいない間になんとなくチャンピオンになったアルミン・ビットナーや渋いエッジングでしぶとく結果を残すペーター・ロートなどなど。でもオレはドイツチームが着用しているワンピースのデザインが気に食わなかった。ゼブラ模様のシマウマスタイルで格好が悪く白黒のツートンと言うのが縁起からして悪いような感じがした。
ところでスタンガッシンガーとトンバの因縁はその年のW杯キッツビューエル(AUT)から伏線としてはあった。この時のスタンガッシンガーは生涯で最高の滑りと言えるような素晴らしいスラロームをした。オレンジ色のテクニカと赤いフィッシャーSLが最も映えた大会であったように思う。この時のスラロームは今でも時々ビデオで観ていたりする。スタート前にハウス内で二回ストックをコンコンと叩き合わせる仕草がなんともいえない陶酔感をもたらす。そのリレハンメル男子スラロームだが、岩谷高峰さんが「もの凄いタイム差ですよー」と叫ぶもなにもトンバは一回目で昨晩の夜遊びが響いたか、スタート付近とゴール前付近で大きな失敗をやらかした。この日のトンバの一本目もまった精彩を欠いていて、見るに忍びないがたついたエッジングでなんとかゴールしたような有様だった。翻ってスタンガッシンガーは二番スタートからそのトンバに1.93程のタイム差をつけ楽々ラップ。誰もがスタンガッシンガーの勝利を、オリンピックチャンピオンの座を疑いもしないタイム差だった。運命の二本目。トンバは下位に沈んでいた。10番手よりもかなり下だったと思う。見た目が明らかに違っていた。スキーが下へ下へと落下する理想の滑り。滑ると言うより旗門の最短距離を落っこちてくるかのような鬼神のような滑り。この時点でトンバがTOP。これで他のレーサーがペースを崩されたのか、ラップのスタンガッシンガーまでの有力選手の殆どは、メダルコレクターのオーモット(NOR)含め全滅の失敗スラローム。結局15人で実質争われる形の二本目、最終走者のスタンガッシンガーの前の選手は誰もトンバのタイムを上回れない。異常なともよくあるパターンとも言えるドラマ仕立ての筋書きの準備は出来た。スタンガッシンガーは二本目ゆっくり出て行った。まるで石岡拓也のスタートと同じような緩慢さだった。解説の岩谷さんがその状態を見て「ここからは攻めなければ勝てません」と何度も繰り返した。観ている心酔者のオレもかなり焦った。中間計時では0.4くらいまでトンバに追い上げられていたような気がする。おい大丈夫か?と思えるほどスタンガッシンガーは味わい深い切れのターン弧を描きつつも口をもごもごさせながら死にそうなほど最後は必死の顔で降りてきた。0.02ほど逃げ切って勝った。岩谷さんが「勝った」「凄い勝負だ!」と連発。トンバの執念は潰えた。ここの辺りからトンバのスキー人生は大きく下降線に向かって行ったと思う。スタンガッシンガーはその後マテリアルがフィッシャーからサロモンに変わり、m10の長い板から168cmほどのショートカービングスラロームに変節を遂げてもピステでけじめがつくまでレーサーを辞めようとはしなかった。一回りほど年齢が違うマリオ・マットが出てきた辺りから引退を考えるようになり、その後静かにスキーを置いた。鳶色の瞳が印象的なジェントルなレーサートーマス・スタンガッシンガー、彼の事を決して忘れまい。記録については記憶が不確かなので誰かコメント入れてください。レーサーよろしく

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