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2009年7月22日 (水)

Dead on money.藤原和博と大久保浩の金は全能か

 筆者のブログに大久保浩容疑者での
検索で来る人が多いので色々調べてました。

 すると、筆者の知り合いの数名も
卒業した、杉並区立和田中前校長の
藤原和博氏との関係を表記する
ブログエントリーを発見。

 以下、和田中の夜スペ(夜間塾)裁判での
原告側意見陳述より【2009年7月9日】
 引用開始-

 和田中では夜スペ以外に漢字能力検定コースを行っているが、漢字能力検定協会は文部科学省(生涯学習政策局生涯学習推進課)所管の公益法人でありながら、巨額の利益を得、大久保前理事長や長男の浩前副理事長、親族らに多額の役員報酬などが支払われていた。

 和田中前校長藤原和博氏は漢字能力検定協会が企画した学習ソフトであるニンテンドーDS漢検公式ソフト『200万人の漢検』、改定版『250万人の漢検』の監修者であり、藤原氏が授業でDSの使用を勧めているのは自分の利益のためであるということがわかる。
 さらに藤原氏は「小学生には一人一台の学習用DSを持たせる」と提唱しているので、ニンテンドーからのリベートは大きいであろう

 -以上 引用終わり

 筆者が端的に感じたのは、
類は友を呼ぶ、と言うことと
どちらも既にお辞めになった
立場で提訴や起訴を受けているな、
と言うこと。

 任天堂とは京都にあるそれに
違いなく、またしても京都コネクションの
奥ゆかしさを感じた次第です。

 お二人ともリクルート出身で、
繫げるものは元々あったにしても、
その商魂や金への執着心、
結果的に罷免されたり
裁判沙汰になったりし
共通項が多い。

 藤原氏を提訴している側は、
「新しい歴史教科書をつくる会」に
批判的な杉並に巣食う人々の
側なので、多少斜めに見なくて
いけないが、
やはり公教育をビジネスと
捉えるやり方は、
公教育の現場で長年を
過ごした側からの信任を
得られることが出来なかったようだ。

 この藤原氏は、和田中校長の
職を辞した後、
大阪府知事に請われて
特別顧問に就任している。

 同じ時期同顧問に就任した
蔭山氏も、前述の抜粋に
あるよう、ニンテンドーDSソフトの
監修者である。

唐突だが、
世の中には色々な
考えの人がいて、
教科書をつくるにも色々な
考えがあって正常と考える。
 だから、杉並憎しの陣営と
同じように、藤原某を闇雲に
批判するのは差し控えたい。

 ただ、金欠の大阪府で思うように
ビジネスが出来るかどうか
大いに疑問が残るけれど、
よくもまぁ似たような面々が
集まったものだなぁとの
印象は拭い去れない。

 今の時代は、公教育の
荒廃が叫ばれているらしく
(子どもがいないんで実態を判断できない)
国や地域からも割合と
予算がつき易いような
状況にある。
 荒廃を認識・容認している側は
自らの立場を危ぶみ、
ふつう、いや以前なら考えられない
公教育の場への私塾の参入が
安易に受け容れられた。

 漢検も藤原某も、
言って見れば目のつけどころが
シャープだね。と。

 ただ、このような面々は
人よりも欲の皮の突っ張った
貪りに長けていて、
三毒に犯されているから、
ちょうど良い頃合と言う
ものを兆しとして感ずることが出来ない。

 だから、平気で人々の気持ちを
ないがしろにして豪奢な
遊びに走るし、すこし
景気が上向いて、豪奢さが
平均的に希薄される時まで
己の欲を抑制し待つことも出来ない。

 金儲けのセンスがあって、
その金自体、使い道さえ
間違っていなければ
その金(money)は
全く正しいものなのかも知れないな

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2009年7月21日 (火)

友としての名を呼べ

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 先週末の金曜日、
社で職業訓練の機会があり、
それに併せて海の日絡みの
三連休って事で、一ヶ月ぶりに
横浜へ帰郷しました。

 金曜日に研修が終わったあと、
東京の南に位置する蒲田で、
ふた月ぶりに友人と飲み交わす。

 蒲田は筆者が19歳から
24歳まで暮らした街です。
 
 住んでいる時は、
その猥雑とした雰囲気が
地元の石神井と言う良環境の
住宅街とはかけ離れていて
好きになれませんでした。

 少し経って、離れてみてから
その街の良さは伝わるものです。

 世話になった人の居る、
恩ある街って事ですね。

 ただ、横浜市の住民になって以降、
どうしても途中下車と言う感覚で
不便さを感じずにはいられず、
縁遠いと言えばその通りの
街になっていました。
 実際、夜の京浜東北線は
蒲田止まりの電車をやり過ごしたり、
沿線沿いの猥雑さそのままの
人々が車内の雰囲気を
悪くしたりと、特別な用事でも
なければ乗りたくない電車の一つです。

 山の手線も、ある地域、ある時間帯を
境に乗りたくない電車になりますね。

 今は友の勤め先が蒲田の
環八側にあって、横浜と蒲田の
持ち回りで、今回は蒲田の番でした。

 くいだおれ横丁にある
鳥屋さんで飲み始めました。

 ほんとうはその友、
人工透析をしている
正真正銘の一級身障。

 かれこれ10年ほど前に、
それまで行っていた
東洋医学・食餌療法を諦め、
透析を始めたのでした。

 それ以前は、有楽町・渋谷付近の
飲み屋と言う飲み屋を二人で荒らしまくり、
出入り禁止・自主規制の店を
たくさんこしらえていた。

 彼が一級~になった時、
言って見れば一つの時代が
終わったような、そんな気がした。

 彼は、呑めない体になりつつも
平気の平左で俺よりも速いペースで
飲み、そして
「あと10年持つか持たないか」なんて
ことをうそぶいたりする。

 「ふざけたこと言ってんじゃねーよ」
 「その間に医学も進歩していくし法改正もあるだろうよ」
なんてことを、俺は彼に返したりする。

 数十年後の、年老いた自分の姿が
克明に脳裏に浮かんでは消え、
自分がこの世からいなくなる瞬間、
人がこの世に生を受け、死に、
自分がこの世にはもう無いと言う
その意味を考える。
 10年前には全く考えなかった、
現実的な自分の死を、
今では老いた両親とともに
居ると、時々考える。

 俺は彼に、
友としての名を呼び、
そして人生は余りにも短いが、
まだまだ長い旅路は続いていく、
飲み代は嵩むが、
全然酔いの足りない不憫な
二人に乾杯していた。
 

 

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2009年7月15日 (水)

総選挙2009(1)

 先回の総選挙は2005年で、
その頃は新潟県上越市へ
転勤中の身であり、住所を移していたから
県立高田高校での投票になった。

 上越は前島密の地元で
近代郵政の父が地元の上越では
どうなのかと思っていたが、
郵政民営化を正義?の旗印にした
自民の圧勝だった。


 郵政民営化になって、
郵便物の転送届出が
ネット上で行うことが
可能になったりして、
官のままならままならなかった
様々なことが、民間なりの
スピードでイノベーションされてきている。

 西川さんの問題は
なにも今に始まった
ことじゃなく、メガバンクの
頭取で在らせられた頃から
公的資金投入で我々の
血税を毟り取った側にいた
訳で、最初から適任だった
はずが無い。

 西川さんを評して、
「他の誰も引き受け手がないから
貧乏くじを引いた」とかうんぬんかんぬん。
 西川さんほどの人が、
貧乏くじなど引くものか。
 血税でマイナスを帳消しに
してもらうのになんの躊躇も無い
人が、進んで貧乏くじなど引くものか。

 ゆうちょ銀行の潤沢な資産で、
 米国資本と丁々発止やりたいように
やりたい欲望にかられているから、
西川さんにとってみれば
かんぽの宿問題など取るに
足らない話で、こんなもので
幕引きなど考えられる訳が無かった。
 
 間違っても西川氏は、
郵政民営化の功労者でも
なければ日本有数の
経営者でもない。
 行員時代のやり残しを、
国民の財産でやろうと
しているだけのペテン師。

 いま、地方分権と言って騒がしい。

 筆者は地方暮らしの経験から、
以前より地方の「施しを受ける心」を
指弾してきた。
 要は中央から無手勝流に
施しを受けることのみに心血を
注ぎ、ありがたみもなにもかもなく、
福祉を軽んじ、身の丈に合わない
道路や箱物ばかりを
作ってきたのが地方ではないのか。
 大阪は箱物行政が最も惨い都市で
あった訳で、3セクにその実態を
放り投げても破綻がひきもきらない。
 国や地域には過去と言う歴史が
あるのだから、大阪の現知事は、
過去を総懺悔し、総括をし、
それから地方分権に話を移すべきだ。
 そうでなければ首都圏生活者からの
賛同や理解を得ることは難しい。

 郵政民営化になって、
地方での郵便事業にサービスの
低下が見られたのは、
身の丈に応じたサービス提供で
あるに他ならない。

 押し並べて公平や平均化なんてものは、
官僚機構が残してきた負の遺産に
過ぎない。
 人が生活していくうえで
魅力に乏しい地域のものに、
見た目上の格差や行政サービスの
格差を「郵政民営化」と言う
分かりやすいやり方で
突然露見させた価値は大きい。
 郵政民営化の肝は、
ここにあったのかと思える。

 地方分権とは言うけれど、
それを実行するロジックを持ち合わせた
人間を首長として選んでいるのかどうか
はなはだ疑問に感じてしまう。
 東国原などというのは愚の骨頂で、
地方分権は無理だろうから
中央から施すと言う旧来型の
思考に変換しちゃった。

 また、首長の下の地方公務員に、
そんなものを考えたり行う能力が
あるかどうか、またトレーニングされて
いるかどうかも疑問だ。

 地方は、なぜ首都圏と
呼ばれるエリアに人が集まるのかを
よく考えなくていけない。

 前回のエントリーで、
伊賀上野を書いたけれど、
べつに全ての地方を否定的に
感じているわけじゃない。

 この道路は俺たちが作った。
 このトンネルもだ。

 そう胸を張れるなら、
道路だって箱物だってアリだ。

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2009年7月13日 (月)

ボーイ、伊賀上野へ行く

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 週末ははっきりしない天気で、
仕事を早上がりして伊賀へ向かいました。

 163号線で、伊賀上野へ。

 伊賀上野はそのむかし
約20年前に仲村トオルさん主演の
NHKドラマ「夢紀行」で叙情あふれた
地方都市として描かれていたのが
印象的で、いちどゆっくり
訪れてみたいと思っていました。

 我が愛機CB1300ボルドールは
快調に山道を走り、バイクの
醍醐味であるヒラリングを堪能した。

 向かった先は上野公園と言う、
上野の城址で、ここには
昭和10年に復興された
伊賀上野産業城と言ういかめしい
名前の模擬天主がそびえている。

 写真の五枚目にある
天守台の下には、飛礫(つぶて)と
呼ばれる石ころがおびただしいほど
転がっていて、西方から豊家(豊臣方)の
軍勢が攻めてきたら、
高石垣から投げ込む算段であったという。

 築城普請の名手であった
藤堂高虎による石垣は、
日ノ本一と呼ばれるものらしい。
 ただ、30mほどの高さの高石垣には、
柵もなく、行く手を阻むフェンスも無いから、
へりぎわまで行って下を覗くと
かなり怖い思いをする。
 自治が行き届いているのか、
飛び込む人は居ないのか、
すこし良からぬ事が脳裏を走った。

 伊賀上野は、彦根と並び
西片からの防備に関する要衝で、
城山からは案の定、西側の様子が
よく分かる。

 地方都市には違いないが、
誇るべきものがある街は
筆者のようなMetsから見ても
やはり魅力的に写る。

 地方で住むなら、
どちらかと言えば
門前町より城下町のほうが良い。
 ただなんとなくそう感じてしまう。


 上野城址を出て、
次に向かったのは
偶然看板を見つけた
鍵屋の辻である。

 荒木又右エ門が加勢した
仇討ち事件の有った場所である。

 村上弘明さんなんかの
主演でドラマ化されたりしている。

 太秦の映画村のような
風情は残されては居ないけど、
鍵屋の辻の、辻の感じは
どんよりとした曇り空の下で
なおいっそう不気味な雰囲気を
漂わせていた。

 ここで恩讐にかられた
いにしえ人が、斬り合いをして
どちらかが果てた。

 間違いなくこの場所で、
何人かの男が死んでいるのだな、
そんなことを何とはなしに
考えていました。


 帰りは夕闇が迫っていたので、
峠超えは避けて名阪国道で
帰途につきました。

 覆面パトに気づいて
2○0km/hへのチャレンジは
止めておきました。

 名阪国道は、覆面が多いですね。

 伊賀の忍者さながら、
とつぜん豹変しますから
皆様も追い越しをかけるときは
くれぐれもお気をつけください。

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2009年7月 8日 (水)

東男に京女


あの日のときめきを今はもう忘れたね

悲しがらないで 僕がついてるから

やさしい退屈に ウンザリする前に

買い物に行こう 花に水やる For your smile

 とまぁいきなし林田健司の
花に水やるラブソングから出だし快調なんですが・・・

 神農幸(じんの さち)さんが、
6月5日以降ぱたりとご自身へのブログエントリーが
途絶えましたので、そのエントリーへ
「タレントブログにしては放置しすぎだねthink」と
何のヒネリもないコメントをしたところでした。
 筆者自身といたしましても、
他のファンの方がエントリーを心待ちに
していますぜお嬢さん、と言う意味での
ファン心理の代弁だったわけですよ。
 にわかに、試球式後に
野球選手から交際を申し込まれたとかね、
そんな「あってはならない」事が信憑性を
帯びてきたとか、気がきじゃないってもんです。

 するとあろうことか、即刻
図ったように新規エントリーが
発せられたではありませんか。

 うむむむむ・・・

 まぁあれです(何があれ?)

 神農幸さんの実物は見た事が
ないんですがね。

前段の所作一つをとっても、 
いとしい人じゃないですか。

 昨日は、おけいはんのイベント
そのもの京阪エリアに出没されていたようですが、
しがない技術者の小職が、
そこを抜け出てイベントへ
遊びに行くことも望み叶わず。

 一年毎七夕の約束事があるとは言え、
それ以前に筆者が幸さんの
エントリーを初めて書いたのは
かれこれ二年前の2007年9月であり、
未だ対面出来ずじまい。

 まるで、離れ離れで
生涯を過ごしていたらしい
「おつう」と「宮本武蔵」のようです。
 おつうは現れなかった・・・みたく

 ものすごい我執かな。coldsweats01

 

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2009年7月 4日 (土)

その名はCB

  Cb1300sb
   

 

 

 筆者が現住の鈴鹿市周辺は、
空梅雨のごとく少雨で、
業務執行とその間隙を縫って
教習所へ通い、
めでたく卒検も無事通り
晴れて大型自動二輪の免許を
取得しました。

 CB1300Super-BOL D’ORを、
近所のバイクショップ
HONDAドリーム鈴鹿で購入。

 最後までKawasakiのZZR1400と
悩みましたが、やはり世界のHONDA、
地元鈴鹿と言うことで、
CBにしました。

 画像の通りの、青色っぽい
感じのCBです。

 いろいろありますが、
長いこと大事にしてあげたいな
と思っています。

 世間では毎日のように
嫌な事件、ふざけたオヤジども、
様々な問題や事象が
垣間見れ、その度に
憤怒の河を渡るのも
どうかと思い、バイクや
レーザー(ディンギー)で
楽しい生活を送りたいと画策しています。 

 あとは神奈川の試験場
二俣川へ免許の申請に行き、
納車をして頂くということで。

 鈴鹿は当たり前と言えば
当たり前の感じがしますけど、
バイク屋さんが多いですね。

 生きていく中で、
縁は異なもの味なもの、と
改めて思う今日この頃ですわ。

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