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2009年5月21日 (木)

レース界と三毒の焔 漢字検定大久保浩逮捕

 先週末に横浜へ帰り、
東京本社で月、火と過ごしているうち、
件の漢字検定協会の前理事と前副理事が
官憲に挙げられました。

 「利休にたずねよ」の文中に
三毒についての記述があり、
人の世の無常を感じていました。

 仏教の世界では、
「むさぼり」「いかり」「おろか」と言うのを
三毒と呼んでいて、
秀吉はむさぼり、三成はいかり、と
看破しているのが面白い。

 大久保容疑者は、「むさぼり」。
 ただこの愚鈍な二世を、
前述の戦国武将と並び称すのは
いかにも気が引ける。

 戦国武将が幾多の武功や
知略で世にはばかったとすれば、
大久保のそれは「無手勝流」
そのものではないか。

 逮捕となる前の兆しは、
色々あったのだろう。

 レンタルだと言い張っているらしい
クルーザーは、昨年中に係留場所を
変えて追求を免れようとしてみたり、
レース界への関与も見た目上は
縮小するかのように経理操作を
していたみたいだ。
 いちばん癪にさわるのは、
業突く張りの親父が、
新たにパスポートの更新発行を
していたとの報道。
 いわゆるテレビドラマに
あるような高飛びって奴ですな。
 まぁ下劣なオツムのようだから、
こんな幼稚な逃亡劇を企てようとも
考えたし、筆者も大嫌いな
お上を少し甘く見ていたのだろう。

 大久保浩容疑者は、
お金の使い方を見れば
その人の人となりが分かると言うものだが、
下品で野卑な男に相違ない。
 
 しかし、後から後から
操作や取材の効果もあって、
出て来る出て来る狼藉の数々。

 筆者が一番情け無いのは、
日本のレース界を支えてきた
雄である「童夢」が、たとえ間接的にであれ
名前が挙がってくると言うことだ。

 童夢の林社長と言えば、
「俺様の宝石さ」で有名な
まさに情熱の塊、
故浮谷東次郎氏(トージ)の
「カラス」をバックヤードで作って
日本のレース界に車両の
モディファイやエアロダイナミクスと言う
概念を初めて持ち込んだ伝説的な
人物である。

 オールドファンにとっては、
FLキング「走れオトキト」の堀さんか
「カラス」「マクランサ」の林さんかと言う
くらいの信奉者も多く居た訳で、
犯罪の匂いがぷんぷんするような
公益法人の放蕩息子に構って
いくばくかの資金調達をしていたかのような
類推を容易に想起させる今回の
事象は全く情けないとしか
言いようが無い。

 筆者はトージの著述の
熱心な読者だったから、
林社長のことも色々興味津々だった。

 ところが、大久保浩容疑者の
ことを軸に色々思い出すと、
件のクルーザー係留の場所を
一緒に探してあげたり、
亀より遅い速度で一向に
話が前に進まない
新型車両「F20」のシェイクダウンに
呼んでみたり、
はたまた先斗町や祇園で
大久保浩容疑者が取締役を
する「JIM GAINER」のルマン参戦に
いったい幾ら必要かなどと、
本来なら寄付行為に使うべき
現ナマの話をしてみたりと、
言ってみれば「トンデモ」な
朋友関係だったとは恐れ入谷の鬼子母神。

 トウちゃん情けなくて
涙が出てくらぁ・・・

 そりゃぁね、トージの走って居た頃と
今じゃモータリゼイションの背景も
黎明期のモータースポーツじゃ
比較になりませんがね。

 でもだからと言って、
純粋に自動車レースが好きな
連中の思いを踏みにじって
どっちらけにしても
良いはずが無い。

 希少なレースファンの
期待権を裏切って良い
はずなど童夢には一つも無い。

 とにかく情けない。

 金をどこから引っ張ってくるのか?
と言うのは、多くの無産者階級が
巣食うレース界にとって重要なテーマで
あることは充分承知しているが、
「グレーを白に変える」には
より多くの清廉さが必要なんである。

 童夢は、作業着を白に変えて
一から出直しを図っていくべきだろう。

 三毒の塊のようなレース界で、
真の「夢売り」はこれから出てくるのだろうか。

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2009年5月11日 (月)

利休にたずねよ

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 遅ればせながら、山本兼一氏の
著書「利休にたずねよ」を読んでいる。

 この本は、筆者が時々購入していた
「歴史街道」と言う雑誌の中で連載されていたもので、
書店で平積みにされていたのを
見たときは既に直木賞をとっていた。

 出版元のPHP研究所とは、
幸之助翁が創設した。
 縁とは不思議なものだと思う。

 この著書は、利休と言う
茶人が、美と言うものを
司って、時の権力者である
太閤関白秀吉といかに
戦ったかを記していて
まことに興味深い。

 金や権力、すべてを
手にしながらも、
利休と言う美の施政者には
ついぞ敵わないと判断した
秀吉は、利休に理不尽な
咎を含めて腹を切らせます。

 秀吉の忠臣、石田三成も
利休には怒りを覚えていて、
その心の動きが詳細に
記されています。

 家康は、美を意のままに
操り、歴戦の勇者を茶で
打ち負かす利休に
「余の軍師にならぬか」と
誘う。

 この本の言わんとしている
本当の意味は愚鈍な筆者には
理解することは難しい。

 ただ、日本人の美意識には
金を出しても買えないもの、
だがそれでは手に入れられないから、
他のものに譲るくらいなら
金子は幾らでも積むと言った
具合の矛盾が描かれています。

 そして宣教師などを登場させ、
やはり「理解不能な東国の不思議」
として茶道や茶の道具などについて
語らせている。
 
 人間とは、自分に備えのないものを
ついつい欲してしまう。

 秀吉は、関白となり天下統一をし、
世の全てを欲しいままにして
いろいろのもの手に入れ蹂躙した。

 ただ、美のみぞ手に入れられなかった。
 少なくとも利休を茶頭にした時点で、
秀吉は利休を隷属させることに
成功したと思われた。

 ただ服属しただけならば、
利休もあまたの茶坊主と
同じように語られて終いだったか
も分からない。

 利休の行いは、いわば
「上のものを上手く使え」と言う
会社員的なハウツー本にも
よく載るようなものとも言える。

 しかし、命を賭けているか、
また命と引き換えになるほど
あるものを追求しているか、
この辺りが現代の我々の
思考とは大きく異なる。

 利休が生きた時代は
合戦もそこかしこで行われ、
七哲と呼ばれた高弟の多くは
勇猛な武将であったから、
死は割合身近に実感できたのか
も知れない。

 この本の中にある、
道理を知っているから
無理無駄な動きがなく、
流れるように美しい
作法が生まれる・・・

 そんなようなことが
真似できたら良いと
思う人間に、
利休は「独創であれ」と説く。

 この本は物凄く深い。

  

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2009年5月 7日 (木)

なかなか暖かくならないですね 

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 連休は南紀の帰りに
奈良の東大寺などに寄りつつ
静かに鈴鹿へ戻りました。

 帰りは阪和自動車道から
西名阪、名阪国道経由で、
松原あたりのクチャクチャした
ところから少しだけ渋滞しました。

 奈良はなんだかよく
分かりませんが、駐車場が
空いていなくて困りました。
 基本的に奈良公園付近に
観光客が集中するようで、
駐車場へ入れるのに2時間
ほどかかり、親に車の運転を
任せてその間にチャチャっと
大仏殿や二月堂などを見てきました。

 鎌倉にも大仏はありますが、
奈良のはデカイです。
 役人の側が作るものは
いつの時代もデカイんですね。
 鎌倉の大仏は、
言ってみれば武士団と言う
民間に実質的な政権が
降りて来てからのものなので、
比較になりません。

 そんなこんなで
連休を過ごしましたが、
鈴鹿に戻ってからは
天気が優れずに、
雨ばかりの日が続きました。

 よってどこにも出かけず、
ほとんど目立った動きはせずに
過ごしました。

 琵琶湖もまだ
水温が低く、ちょっと
元気を出さないと
ディンギーは厳しいです。

 色々と良くなるように、
そういう風な思い込みも
重要なファクターだなと。

 熊野那智大社や
奈良での祈りから
感じました。

 

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2009年5月 5日 (火)

美しいお馬鹿さん

 The Great Gatsby の中で、
ギャツビー氏が死ぬまで恋焦がれた
デイジーの台詞です。

 デイジーは自分の娘を、
「美しいお馬鹿さんに育てるわ」
「女はそのほうが幸せなんだもの」と
自嘲気味にギャツビーへ語ります。

 なんでも知らない振りして
生きて行けるのが幸せなのか
どうなのか。

 最近、違法行為だとか、
脱法行為だとか。
 法すれすれでも、
いちおう問題なければOK
と言うような風潮が目に付きます。

 知らないと言うことは、
善意無過失に相当するか
どうかとか。

 筆者が思うに、
後々のコメントで
「法は犯していない」と言う
コメントが出てきた時点で、
当人は事前に知り得べき
なにものかを確信していたのでは
ないのかなと思ってしまう。
 つまり誤魔化しなんじゃないかと。

 自分や他人を一緒くたに
誤魔化してしまうのは、
やっぱり最低最悪。

 最低最悪なものに
常に介在するものが、
お金や権力への欲望と言うこと。
 そう言った、
「法ギリギリのところ」へ
近寄ったり、片棒を担いだり
するものも、行為者としての
差異は無いに等しい。

 今の時代と言うのは、
目には目を、とか
無礼打ちとか、
一揆や果し合い、
なんてものは存在しない
世の中なので、
「法には触れていない」と言う
正義がある限り、
どこまでもすれすれまで
突き進んでしまう。

 日本で法定されたものとは、
人間が守るべき
ほぼ最低限のレベルにあるもので、
「法は犯していない」とコメントする
局面で胸を張って言うべきものではないはず。

 


 

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2009年5月 4日 (月)

どこにでもある社会正義について

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 長期出張や転勤生活で、
もう長い間、地方での生活が
続いている。

 以前、東京生まれ東京育ちの
人から、
「東京以外はどこも地方だ」と
少し乱暴な言葉を聞いた。
(筆者も東京生まれ育ちだが・・・)
 地方と言う言葉の中には、
侮蔑の意味合いが滲み出ていたから、
乱暴な言葉のように感じたのだ。

 地方が侮蔑の対象かどうかは別にして、
社会正義は随分と疲弊している
ように感じてしまうことがよくある。

 ほんとうによく見かけるのが、
交差点脇にある店舗やコンビニを
活用してのショートカット。
 公道でもなんでもない
ところを、しかも渋滞らしい
渋滞もない地方道であるにも
関わらず、私有地を横切って
右左折を繰り返す車。

 また、無余地駐車でない
ことを良いことに、自分の家の前の
公道へ青空駐車する人々。

 休日に知人宅へ遊びに
来たからと、
全く関係のない未契約な
駐車場へ身勝手にクルマを
止める人々。

 散歩はリードつきで、の
掲示看板を無視して
犬を放して公園で遊ぶ人たち。
 うんちも放置。
 
 無人野菜売り場からの
かっぱらい(窃盗)。

 大麻の自家栽培及び吸引。

 ごみの違法廃棄。

 うんぬんかんぬん・・・
基本的に他愛ないことが
ものすごく気になる。

 筆者が育った東京北西部や
現住の横浜市ではあまり
見かけない光景が、
彼の地では繰り返される。

 人に見られていると言う
感覚が希薄だから、
地方では成立してしまう。

 よく「地方の人は素朴だから」と
聞くけれど、本当にそうか?
ただそれだけかと疑問に感じる。

 もちろん、社会背景が
都会のそれと同じような
ところに居る人々は、
モラルに関しても
同じようなものだと思う。

 東京のような都会だと、
上記のような暮らしぶりが
大勢を占めると
社会生活が機能しなくなる。
 また多くの人間の視線が
あるから、基本的には
成し得にくい。
 東京は、そう言う事から
すると息苦しいし、
みな少し短気だし、
地方から来たニューカマーは
暮らすのをしんどく思うかも知れない。

 視線が多いせいで、
男性女性ともに洗練されていく。
 これは良い事だ。

 郷に入れば郷に従え
と言う言葉があるけれど、
あまりよろしくない慣習に
従うことはない。

 それは地方だろうが
東京だろうが同じこと。

 地方の若者に
上のような話をする。
 ネットや高度情報化社会で
自分たちが置かれている立場を
彼らは認識しているから、
上の年代がしていることを
恥ずかしく思っているような
場合が多いのだ。

 地方で目に見えての違法行為は、
官憲の絶対数が少ないから、
見逃されている場合が多い。
 官憲も、そう言う事実を
よいことに、諦めているか
黙認してしまっていることもある。

 だから最近意外に大きな
事件や事故は地方に
多発している傾向がある。

 業務執行などで
地方に暮らしていて、
顕在化してからでは遅いと
思うことが色々ある。
 
 耳障りなことの羅列。

 でも、書かずにいられない。

 

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2009年5月 1日 (金)

南紀田辺リゾート

 5月連休と言うことで、
またまた両親を伴って
和歌山は田辺へ来ました。

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 もちろんララも一緒ですが。

 基点は出張地の鈴鹿で、
紀勢道を走り、大阪側からではなく
三重を抜けて和歌山へ入りました。

 道中、父親と替わり番こで
クルマを走らせ、ほとんど
クルマの中に居ましたが、
時々は降りて名所旧跡めぐり。

 着いたところはなかなか
ゆっくりできそうなところでした。

 明日また一泊し、
3日にはいったん鈴鹿へ
帰りますが。

 5月連休は1,000円の
ありがたみで道が込みそうなので、
横浜への帰郷はやめようと
思っています。
 琵琶湖へ行って
レーザーを出すか、
鈴鹿で洗濯をしているか、
すこしのんびりしていようと
考えています。

 1,000円のありがたみは、
この不況で萎みがちな感じです。

 マスコミが煽るかもしれませんが、
それは局に広告料が入らないと
まずいので、無理矢理にでも
世論操作していると言って
差し支えないでしょう。

 実際、人では少なめです。
 29日に鈴鹿へやってきた
両親も、東京から主だった
渋滞は無かったと言っていました。

 一部マスコミと芸能界、
もう少しギャラの面を下げて
一から出直したほうが
世の中全体の為になりそうです。

 自分たちの生活を
護るために、ウソの情報を
垂れ流すのは良くないと思います。

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