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2009年4月21日 (火)

1,000円は、ありがたい

 会社の健康診断で帰郷。

 先週は土曜日の夜に鈴鹿から横浜へ
帰りました。

 土曜日の夜は物流の
貨物車もまばらで、
1,000円の恩恵を被りつつ
帰宅しました。

 なかなか暖かくならない
昨今、こんな時は
地球温暖化と騒ぐ
環境ビジネスを食い物にする
輩もマスコミには登場してこないものだ。

 それにしても土曜の夜は
冷え冷えとしていた。

 月曜の夜に鈴鹿へ戻るのに、
また東名を使ったけれど、
新しい年度が始まって、
すこし貨物車の交通量が
減ったように感じた。

 たまたまそう言うタイミング
だったのだろうけど。
 90km/hで右車線をノロノロ
走るトラックを強引にパッシング
することが数回程度。

 昨年度末は数十回じゃきかない
レベルだったから、だいぶん
ストレスが目減したのだった。

 でも後ろを確認しないで
右車線に切れ込んでくる
トラックは相変わらず。

 白ナンバーだろうが、
緑だろうが、大手の物流会社だろうが
そんなものは基本的に
無法な所作を身に着けた
雲助まがいのトラック運転手には
関係が無い。


 乗用車だけ恩恵を
享受できる、土日の夜が
長距離移動には良い。

 前にも書いたけど、
トラックにもその恩恵を
与えたら、陸上輸送がますます
増えて、道路が必要だよって
議論になりかねない。

 それだけは避けたい。


 
 前段で書いた、
漢字能力検定協会の大久保浩氏。

 この方は、レース界では
「JIM GAINER」の人そのもので
通るのだという話。
(ホントはJIM CENTERの人だけど)
 件の童夢HP、F20シェイクダウンに
「JIM GAINERの大久保」との記述が
あり、なるほどなと。

 90年代の後半頃から
手始めにフェラーリのカップレースに
(金だけ馬鹿みたいにかかる金持ちの草レース)
出て、その後レーサーとしては遅くて
仕方がないので、
(レース用語で言うウンコ)
レースチームの運営と、時々の
スポーツ走行くらいで止めておいて
いたようだ。

 レースや自動車が好きなのは
分かるのだけれど、
好きなものに食い物にされ、最後は
大恥かいたって感じの風評が
レース界にはありあり。

 

 同義的にも、ああやって
テレビで謝罪に及んだのも、
それが公益法人であるからに
他ならないわけで。

 個人経営から初めて、
いま儲けに儲けて
好きなレースにその金を
投入しても誰も何も
嫉妬はすれど文句なんか
言える様な筋合いじゃないわけでして。

 あと、やっぱり
オヤジの後にのほほん
とくっついて、
美味しいところを持って行く
手法が男として情けが無いと、
個人的には思う。

 京都老舗呉服屋の若旦はんみたい。
 

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2009年4月16日 (木)

漢字能力検定協会とレース界

 税金や年金を平気の平左で納めない、
そんな輩が筆者の住む世間を闊歩して
辟易としていたところでした。

 そこへ来て、今度は件の事案が明るみに
なり、問題化していました。

 結局4/15夕刻、公益法人であるはずの財団が、
やくざまがいのその有り様を指摘され、
大久保父子は逃げ場を失ったか理事の職を辞しました。

 

 童夢の林社長が、
「僕たちの近くにあるGrayishな世界」
の中で、副理事職だった大久保浩氏のことを
ずいぶんと庇っていたのが印象的でした。

 京都人特有の身びいきとも取れるし、
レース界にわんさと(童夢にだけと言う意味でなく)
お金を落してくれるパトロンが消えたのが
誠に残念で仕方がないとも取れる。

 ただ、大久保某については、
無限創始者の本田博俊氏と
同列で括るほどの人物とは思えないが、
「二代目やジュニア」と言う意味では
異論を唱えようがない。


 JIM GAINER(事務から金をぶん取る)と言うチームがあって、
ここは筆者の出張先の鈴鹿にガレージなんかも
ある。(オフは荒れ放題だけど)
 まず最近10年の話、スーパーGTと言うカテゴリーの
レースがあり、ここのフェラーリを製作したのが
コンストラクターの童夢社でした。
 JIMの田中慶治氏と言うのは、
童夢林社長が豪奢な遊びに執心な
今と比較すると、まさに行き倒れしそうだった
頃に製作した「マクランサ」で出走していた
らしいから、かれこれ半世紀を迎える
実懇の仲。

 日本のレース界と言うのは狭小で
裾野も同じようなものだから、
「昔からやってるのがエライ」。
 結果、レース界の全世界感的な意義や
モータースポーツへの寄与の度合いからすると
殆ど無意味な活動振りでも
「大物になれちゃう」。
マイナーな盛上がりの世界では、ありがちな話。
 この酷くマイナーで趣味の世界では、
殆どの人が
「モータースポーツへの寄与」なんて
ものを、発展なんてものも望んじゃいない。

 要はどれだけ効率よく
「世の中からお金をぶん取る(Gain)」のか
と言うのと、
時々ある局面で「自己の正当性」が
論じられば良いのである。
 正しいかどうか別にして、
明日の生き死にを考えなくても
よく、京都で言うなら先斗町で
飲み食いできさえすれば
それで満足なのだ。

 かくかくしかじか、
ややこしいが、
「(事務センター)JIM CENTER」と言う
ステッカーをこさえて
「JIM GAINER」チームの
サポートに執心だったのが
前段からの大久保浩氏であったのだ。

 その金が、戦前からの財閥で
金の使い道に困った
大倉喜七郎氏のごとくの振る舞いで
レースに打って出るならまだしもなのだが。
 公益法人と言う、目的を達成すれば
その役目を終えて解散する前提で
非課税なのを良いことに、
その立場を最大限に悪用して
レースへ金を垂れ流すとは。

 昔からレースカーの
スポンサーといえば、
パチンコ屋、サラ金が最大手で
そのどちらもが世間ではよろしくない
とされる陣営ばかり。
 レース界なんて元暴走族の
集まりだよ、そんな風説のまま。
 結局今回も、公益法人の
皮をかぶったカルト教団みたいな
輩から恵んでもらっていただけの話。

 もっとまともなスポンサーは
つかないのかね。
 中の人が謙虚で慎ましやか
じゃないと無理なんでしょうが。
 
 林社長は、件の公益法人が
問題視されるのは、要約すると
天下りを受け入れなくて、お上が
頭に来たからとコメントしている。
 
筆者のようにレース界では門外漢で
金持ちのスノッブにも興味ない人間からすると、
天下りを受け入れられない理由は、
行き過ぎた私物化が存在したから
と言うことだろう。

 
 レースと言うのは、
自分の金でやれば良いのだと思う。
 走ったり、作ったり色々だけど。

 遅すぎたアプローチだけれど、
童夢社は、実業であげた利益を
趣味のレースへ転換すると言う、
新たな手法で林氏個人の夢を実現してきた。
 
 その林氏が老いぼれたのか、
情けないが、公益法人の本来の
あり方を民法典などで学び
それからコメントすべきだった。

 「天下りを受け入れなくて、お上が
頭に来たから」なんてものは
単なる感情論に過ぎず、
法治国家、全世界を否定しているとしか
思えない。
 
 強いて言えば、
「出る杭は打たれる」のであって、
戦前生まれらしい翁に
若造がどうこう言うものでも
ないだろうに。
 つまりは調子に乗って
「やり過ぎた」と言う、
堀江や村上と同列に
語られるべき事象なのである。

 林氏は、
「日本自動車レース工業会」の
会長と言う立場で居られるらしいが、
或る意味では公人ともされる方が
件のようなコメントをしているようでは、
「まとも」な陣営からのサポートなど
これから先に増大することなど望めないし、
ましてや「モータスポーツの発展」なども
有り得べからず話だと言えよう。
 子供や孫には何も残さない、
よく居る爺と同じと言うことだ。
 
 ところで、「JIM GAINER」は
この週末に開催されるクラシックな
イベント「鈴鹿2&4」にもエントリーしている。

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税金 年金を納める 社会契約

 我々、会社員と言う人種の大概は、
黙ってても国や地方へ税金も年金も
自動的に納める仕組みの中に組み込まれている。
 
 給与賞与と言う、お金の源泉から
徴収するから、源泉徴収と呼ばれている。
 本当に良く出来た仕組みだと思う。

 せっかく汗水たらして働いて、
筆者の場合、控除の項目が少ないから
賞与なんかだと本当にドバーって引かれる。
 年間だと、軽の新車が変えそうなくらいの勢い。

 いい加減にしろと言いたくもなるけど、
これが人間としての社会契約なんだと思う。

 税金も年金も、収入なりに納める。
 それが可能なのに、恣意的に納めない連中。

 誰だって、一度手にしたお金を
大嫌いなお上に献上したくなんか無い。
 でもそれによってのみ、社会生活へ
参加することが認められているのが
多くの法治国家の有り様だから、
税金・年金未納、特に悪意と過失を持って
未納の人々は、ほぼ人間じゃないと言えよう。
 若しくは不適格な人間と言うことで、
このような輩は人を批判したり、
一人前に幸せを享受することに資さない。

 最近はお上のほうも一生懸命だから、
差し押さえや強制執行を割合容易に行うようで
それは良い事だと思う。

 一番ひどいのは、自営業者が
従業員から源泉徴収分差し引いておきながら、
脱税するパターン。これ最悪。

 まさしく、人でなし以外の何者でもないだろう。

 税金、年金を納めない輩は、人間じゃない。
 納められない特段の事情が無い限り。

 また多くの会社員は、
被源泉徴収人である自分たちが
社会の多くを形成していることに
誇りをもって生きていこう。

 いま、国民年金の納付率が
65%を切ったのだと言う。

 納付者が、その場の感情論で
未納に踏み切った人でなしを
養っていく矛盾。

 感情論で社会全体を
混乱に陥れるマスコミ。

 もらえるか分からないから
払わないと、易々口にする愚かさ。

 酷い人が増え続けて、
嫌な世の中になったものだと思う。

 

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2009年4月13日 (月)

TEQUILA SUNRISE

 Saxophones_wall_02l


 鈴鹿の出張部屋で暮らし始めて
二週間になりますが、最近
気づいたことがあります。

 周囲に本田技研やその関係会社が
多いからだろうけど、
ブラジリアンの人を結構ふつうに
見かけます。
 日系の人なのか、
様々な工場の名札に漢字の
苗字?のようなものを
つけて、近所のイオンなんかで
よくたむろっています。

 むかしは都会に多かった
外国人労働者も、
最近は暮らし易さと
その労働需要の種類により、
自動車産業の盛んな町に
やたら多く住んでいるのが
現状のようです。

 あと、自分が住んでいる部屋の
周囲が、最近になって
井戸汲みポンプで
ボコボコやっていて、
畑だと思っていたところが
なんと、稲作の田んぼでした。
 蛙の鳴き声がすげーんだろう
なと思っていたら、
最近の暖かさで蛙殿の
鳴き声がすごいのなんのって・・・

 静かな夕暮れ時には
西コースのクルマの音が
聞こえますが、最近は
蛙の方がすげーや。

 それと、20年越しの
アレでアルトサックスを始めました。

 テキーラサンライズと言う、
B級映画があって、
まぁ20年位前にサントラが
結構流行りました。
 その中で、
デイビット・サンボーンが
「ジョアンのうた」と言う
のをやってまして、
これが格好良いんだね。

 まぁそんなこんなで、
20年越しってのと、
今年はなにを始めようか と
思っていたので、
アルトを始めるギリギリかなと。

 毎年新しいものを
最低ひとつ始めるのが
人生の羅針盤になっていますからね。

 練習は近所の公園で、
ロングトーンなどから始めています。

 夜、散歩の人なんかが
前を通ると、練習をやめて
通り過ぎるのを待っていますが・・・
 
 部屋はやっぱり気がひけます。

 横浜の家に帰ったら
近所にカラオケの
シダックスがあるので、
そこでしようかと。

 サクソフォンはリコーダーと
同じような運指なので
とてもつっつきやすいです。
 いやとっつきやすいです。
 あと吹奏楽とかクラシックに
縁が無い筆者でも、
反逆のアルトなら
親しめるような気がしました。

 それで、楽器も
ヤマハ初のジャズ用ってことで。
 バイク時代から、この
三連音叉は外せないアイテムです。

 まぁ暇を見つけて
音符の読み方も
も一度勉強してですね、
やってみるべしってとこです。

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2009年4月 6日 (月)

春に生まれ

 春眠暁をおぼえず、の故事に
あるように、春はついつい寝過ごしがち。

 この世に生を受けた
この日々は、出張地の
鈴鹿で過ごしています。

 振り返れば、あのとき
こうしていたら、
こうなっていたら今の自分は
ないなと、考えてしまう。

 前よりも、今の自分のほうが
幸せだから、その大概が
「あの時そうなってなくて良かった」
ということが殆ど。

 例えば、悪気は無いけど・・・
「あの時あの女とくっついてなくて良かった」
とか。
 その女性と懇ろになっていたら、
いまの地点に自分はいなかったんだろうなと、
そう考えるとホッとする自分が居る。

 男女ともに一緒になって
成長していけるのが、やっぱり
理想かなと。
 お互いがブレーキになったり、
枷になったりするのは
瞬間に自己陶酔はできるかも
知れないけれど、長い目で
見るとお互いか片方が
結果的に不幸になるパターンが多い。

 男女の関係だけではなくて、
これは人間同士の付き合いの
基本なのかも知れないなと。

 当たりのよい甘言や
印象を残す人から、
人は離れづらい。

 居心地が良い場所は、
人に何も残さない。
 
 誰だって、アカの他人の
おまはんには粗を指摘する
ことなんてしたくはないだろう。

 でも、本来自分が視線を逸らしがちな
ところに本質は見え隠れしている。

 人に苦言を呈されて、逃げずに
 苦手なところを克服したりするのが
人生の副題と言うか醍醐味なんじゃないかと。

 しかしまぁ、今年度は
まさしく荒波の中でのスタートだね。

 鈍感か、そう言ったものに
今まで無影響な人々にも、
この低調さはやがて行き渡る。

 今自分が住むこの世界の
背景を感じ表現し生きて行くことが
できるかどうか。
 
 その成否でこの先の
有る無しが決まるんじゃないかとか。
 

 
 
 

 
 

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