「或る光栄」を始めるにあたって

 ノンカテゴリーの、主義主張も希薄なブログを始めます
 
 人は制約がなければ無意義になる下賎な生き物なのか?
 或いは生かされることと生き抜くことの違いを表現していきたいと思います

 まずは谷川雁さんの、或る光栄


 おれは村を知り 道を知り
 
 灰色の時を知った
 
 明るくもなく 暗くもない

 ふりつむ雪の宵のような光のなかで

 おのれを断罪し 処刑することを知った

 焔のなかに炎を構成する

 もえない一本の糸があるように

 おれはさまざまな心をあつめて

 自ら終わろうとする本能のまわりで焚いた

 世のありとある色彩と

 みおぼえのある瞳がみんな

 苦悩の色に燃え上がったとき

 おれは長い腕を垂れた

 無明の時のしるしを

 額に流しながら おれはあるきだす

 歩いてゆくおれに

 なにか奇妙な光栄が

 つきまといでもするというのか  ....

 最後の、詩の三行がなんともいえない。生を欲するものの苦悩が感じられます。それでもなお人は贖うことに執着せざるを得ないのか とか

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2009年12月15日 (火)

お客様は神様です 特例会見に思う

宮内庁の「1カ月ルール」の慣例を守らない特例となった天皇陛下と中国の習近平国家副主席の会見。陛下の「政治利用」を否定し、今回の会見を「天皇陛下の国事行為」と主張した民主党の小沢一郎幹事長の発言がさらに波紋を広げている。

 静岡福祉大学の高橋紘教授(現代史皇室研究)は「外国要人との会見は、憲法が定める天皇陛下の国事行為に含まれていない。小沢幹事長の発言は『入り口論』から問題」と指摘。「内閣の助言と承認で行われるなら、勝手に何でもできてしまう」と批判した。また「天皇陛下のお体が優れないなら、優位性の低い行事はお休みになればいい」との発言に対しては、「順番付けを行うもので、まさしく政治利用だ」と話している。

 一方、法政大の永井憲一名誉教授(憲法学)は「憲法7条には外国の大使、公使を接受することが国事行為として明記されており、外国の要人との会見を内閣が要請し天皇陛下が認めたならば問題はない。宮内庁長官が1カ月ルールという内規から『いけない』と言うのももっともだが、その上位にある憲法上の問題はなく、内閣の判断を尊重すべきだ」と話している。

毎日新聞 2009年12月15日 東京夕刊

宮内庁が陛下との会見は一カ月前までに申請するよう求めていることについては「三十日ルールって、だれがつくったのか。宮内庁の役人がつくったから金科玉条で絶対なんて、そんなばかな話があるか」と批判した。

民主党、小沢一郎幹事長 十四日午後の記者会見


 世の中いろいろあるにはある。
 ただ、自身の勤務先もそうだし、
ほかの多くの企業だって、
いま中国へ仕事を取りに行っている。
 日本にとっても、世界の多くの企業に
とっても巨大な市場だ。

 やっぱり日本という小さな国、
価値観だけで新聞記事を書いている
記者は、なんだかとっても馬鹿っぽい。

 そのような政府批判や小沢さんの批判を
している側は、天皇を盾にして、
ことさらに忌み嫌い、
中国を批判しているようにしか
感じられない。

 戦後、神国日本の理想の
国体護持は成らなかった訳ですし、
自身や他の多くの若者も
心の拠り所は他にある訳ですから、
こんな面倒な話になるのなら
いっそのこと天皇制廃止論なんて
ものも出て来て不思議じゃない。

 テレビに出て来て、
櫻井よし子さんあたりと
丁々発止やっている
反日感情丸出しの人が
中国にたくさんいる訳じゃない。
 あんなもの人口比率では
ごく少数で、まさしくプロ市民。

 いま揺れに揺れている
沖縄の基地問題に、
昭和天皇の発言が大きく関与して
いたのも事実だ。
 それは許されていて、
今回のようなことは
まかりならんとは、
どうにもこうにも納得がいかない。

 「一ヶ月ルール」の問題は、
法的な問題ではなく、
宮内庁と天皇の感情面での
やりとりが取り上げられたに
過ぎない。
 あと、それだけに留まらず
「内規」が憲法下の如く
語る役人体質は言語道断最低最悪。

 宮内庁にとっての客が
偶像「現人神」の天皇であって、
我々の側にとっての客は
中国であってなぜ悪いのか。

 国内の景気が非常に悪いのだから、
中国と仲良くして活路を見出して行こう、
そういう発想がごく自然なありようだと
考える。
 「亡国政権」だとか言ってる
外務省の木っ端役人は、
気楽で仕方がない。

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涙のモーターウェイ


 
月も星も 街燈の光さえ
週末だけは 俺のシグナル
午前零時のストリート・ヒーロー
モノクロの街は 粋なハリケーン
 
涙 見せる夜を かりたてて
深夜の街は モーターウェイ
 
都会の光に とりこになった
あの娘が待つ 深夜のステーション
くちびるにメロディ ジェラシーはトランクに
あの娘と最後の モーターウェイ
 
HURRY UP, HURRY UP, BABY
HURRY UP, HURRY UP, BABY
月も踊れよ この恋に
時を止めて このモーターウェイ
 
涙 見せる夜を かりたてて
深夜の街は モーターウェイ
 
憂鬱な明日を 占うよりも
とぼけた奇跡をじっと待つよりも
ロマンスを手に入れた 夜をころがせ
スクラップに なっちまう前に
 
HURRY UP, HURRY UP, BABY
HURRY UP, HURRY UP, BABY
月も踊れよ この恋に
時を止めて このモーターウェイ
 
HURRY UP, HURRY UP, BABY
HURRY UP, HURRY UP, BABY
HURRY UP, HURRY UP, BABY
時を止めて このモーターウェイ
HURRY UP, HURRY UP, BABY
HURRY UP, HURRY UP, BABY
HURRY UP, HURRY UP, BABY
時を止めて このモーターウェイ
 

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2009年12月13日 (日)

燃える闘魂

013


 また一ヶ月ほどブログエントリーを
サボっていました。

 11月から本社へ戻って
業務執行しています。

 それでようやく少し、
メトロポリタンの生活に
慣れてきたところです。

 もう昨日のことになりますが、
昨年末に蔵王へ行って
以来、まじめにスキーへ
行ってきました。

 深夜発で体力的には
きついスキー行でしたし、
他に雪が無い分、
今回これも久方ぶりに
訪れた丸沼高原に
お客さんが集中したので、
それなりにスキーでした。

 画像を見ても、
腰も膝も入っていないし、
雪がところどころ無い
ゲレンデコンディションなので
新しい板で滑るのもはばかられ
スキーは5年前のお古、
そんな感じで目線も近いし
ダメダメな滑りでした。

 最近よく思うのは、
やっぱり燃えて生きる、
これが非常に重要だなと
言うこと。
 青い炎でも、真っ赤に燃える
炎でも燃えて生きる。
 これが基本。

 最近は意味も無く
「燃える闘魂」と
頭の中で思い浮かべています。

 猪木さんと言うより、
土光さんかな。

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2009年11月 8日 (日)

夜の16号線

 5日から本社での勤務が始まり、
またぞろ電車に乗って
通勤サラリーマン生活。

 電車は、不景気だろうが
なんだろうが、基本的に
乗車率もさして変わらないまま、
運行されていく。

 でも朝の時間のグリーン車は
最近利用率が落ちたのか
座って行ける様になりました。

 

 昨夜はZZRを引っ張り出して
横横道路を失踪、いや疾走。

 ZZR1100は、もう一台の
CB1300SBに比べると
やっぱりフロントの剛性が
少し足りないような気がする。

 コーナーではスッと倒れるけど、
バンク角の調整が?
 そんな感じで、CB基準でZZRの
癖を感じながら走る。

 出来立ての馬堀海岸まで
いかずにクラシックな衣笠で降り、
夜道に目を慣らしながら
イエローライトな16号線を走る。

 0時も過ぎているので、
クルマもまばら。
 この時間は賃走車の天下。

 タクシーがかっ飛んでいる。

 横須賀辺り、 
16号線のトンネルを幾つか
超えたところで、ヤクザっぽい
クラウンが横道から入ってきた。

 関わりたくないので、
信号が青になった瞬間、
スッと前に出ると
ゼロクラもぴったり加速で
付いてくる。
 こっちはゆっくり気味とはいえ、
ZZRに付いてくるんだから
相当踏んでいるに違いない。

 おいおいなんだい?
 煽ってくるのかい?

 そう思ってたら、
なんとこの方々ヤクザではなく
取締り中の警官。

 ゼロクラは覆面車両でした。

 うーーーーーと鳴らされ、
赤色灯もピカピカ。うひゃ。

 まぁ今回はすんなりと
脇に寄りました。

 威嚇行為はまずいじゃないですか。

 誰だってそんないかつい
車両でぴったりこられたら、
脅迫観念でアクセル開けますよ。
 

 そんな問答をしましたよ。
 
 警官さんも、切符切る
つもりで止めたのではないのが
なんとなく分かったので、
話がひと段落ついたとこで
今回はすんなり免許証を提示。

 16号の追浜駅までは40km/hが
制限速度だと。
 で、自分は何キロ出してたか
聞かれたので、シチハチじゃないですかと。

 車載記録には69キロと出てました。


 いやはや、覆面車に
止められたのが、これで6回。

 でも不当な取締りを追及し、
切符は切られたことが無い。

 今回のも少し狙いを
定めていた感じ。

 だってタクシーはお構いなしで
先に走って行ってんだから。


 警官さん方も、
バイクが好きなのか
ゼロクラの加速を試したか
暇なのか分からないが、
ちょっと心臓に悪いんで
そう言う取り締まりは
やめてくらはい。

 その日は朝比奈と言う
ところの山道を、帰りに
5往復くらいして帰途に
付きました。

 高速ではそれ風の
車両の脇では減速する
癖が付いていますが、
一般道、夜中の16号線で
ゼロクラの覆面が出没するとか・・・

 夜の道では色々ありますね。

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2009年11月 2日 (月)

横浜へ帰ります 陽はまた昇る

 三重県鈴鹿市でのJOBが
終わり、明日か明後日には
横浜へ帰れることになりました。

 考えてみると、ここ6,7年は
横浜と地方を行ったり来たり
行ったきり。

 2003年には新潟県妙高市(旧新井市)の
事業場へ転勤、ここで4年弱。
 ここでの転勤生活は、とても
辛いものでした。
 それがゆえ、その後の社会人生活や
会社の中での一企業人としての
考え方に大きな影響を与えた。
 大抵のものには驚かないぞ と。
 
 その後、兵庫県尼崎市で6ヶ月。
 これも転勤。転勤は会社の言いなり、
横浜に住居を持つ身にとって
完全な二重生活。余禄もない。
 最後は経済的な理由が一番大きく
転職を志し、東京に本社がある会社へ移る。

 2007年の11月から三重県の四日市、
2009年の1月まで滞在。
 2009年の3月から現在の11月初旬まで
三重県鈴鹿市で出張勤務。
 出張であるが故、手当てが厚い。
 ほんとうにありがたい。
 感謝しきりだ。
 結局のところ、言葉よりそう言った
経済的側面でのサポートが
働く側のモチベーションを向上させる。

 現在の会社は、穏健で、
とても仕事がしやすい。
 これと言って大きな不満も無い。
 人が大切だと言って、
そのように接してくれる。
 言うまでも無く、
筆者はそれらの人たちに
発掘されたのだ。

 転職をしたのが2007年だから、
先を見越して動いたのは正解だった。
 サブプライムの関係で、
ここまで景気が落ち込むとは
思わなかったが、転職を志す時には
すでに、ものづくりの側は飽和状態近し
の兆しは目に見えていた。

 アクセスログで、このブログを
以前勤務していた企業の何人かも
読んでくれているみたいだ。

 問題提起をしたり、
以前は人が耳障りに感じることも
構わず書いてきたし、言ってきた。
 もちろん解決の糸口に
なることもだ。

 耳障りに感じることと言うのは
大概が的を射ていて、
ならばそれを足がかりに
革新を試みれば良いはずなのだ。

 でも人は動くこともせず、
ただその耳障りさを、または
それらを発信するものを
黙殺したり、貶めたり、
あと少しで終わるであろう
経済活動期間での安寧さを
求めたがる。

 歳相応な対応なら
分かるけれど、
なに大物ぶってんだってくらい
似たような年代で権威付けに
躍起になっているような輩が
徘徊していた。

 それらすべてに見切りをつけ
正解だったと思う。

 汗で体はぐっしょり濡れていくけれど
心までは濡れない。

 沈まぬ太陽にあらず、
陽はまた昇る。
 

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2009年10月26日 (月)

びわ湖選手権

Laser


レーザー級のデビュー戦、
びわ湖選手権に出場してきました。
 
 筆者が所属する彦根フリートが
主催だったのですが、選手として
出場しました。結果は・・・
 まぁ惨憺たる結果。
 当然とも言えるビリ。
 時間切れでDNF。

 今年は4回くらいちょろっと
乗っただけで大した練習も
してなかった。
 昨日は5時間ほど琵琶湖の
海面にいて、そんなに
長い間海面で揺られていたのも
初めて。
 レース形式の練習も殆ど
していないので、どこがマークだか
最初は分からず、人の後ろを
たらたらと回航。
 300℃設定とかボードに
出てもちんぷんかんぷん。

 その割りに案外乗れたかなと。
 あと三回くらい実戦経験すれば
なんとか格好は付くかなと。

 しかし微風域で腕の差が
モロに出てしまった。
 それとやっぱりタクティクス。

 上とか下とか、疲れてくると
振れる風とともに分からなく
なってくる。

 悔しい悔しい。
 体はめちゃくちゃ疲れて
心も折れそうだったけど悔しい。

 思い通りにいかない
ならないモノを相手に
一日中狭いデッキの上で過ごす。

 またもや自分の小ささに
気づかされました。
 
 とにかく練習だなと。
 気づいたころには
琵琶湖は水温低下で
そろそろシーズン終了。

 最近は、マゾでもないけど
自分の思うとおりにならないものに
心惹かれる日常です。

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2009年10月19日 (月)

世界最速と呼ばれたZZR1100

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Zzr1100_001

 

 


 約一ヶ月ぶりのエントリーと言うことで、
巷では死亡説まで流れていた筆者。

 実際のところ、現在のJOBが大詰めを
迎えていたのと、画像のZZRを弄くって
いたのでブログを書いたりする気に
なれませんでした。

 ZZR1100は落札者が圧倒的不利と
言われるヤフオクにて出品者から購入。

 世界には隼やZZR1400と言った
最新の最速マシンがあるけれど、
二台とも自分に合う気がしなかった。

 
 こいつ、なにしろ16年前の車両なので、
もう一台所有しているCB1300SC54の
08モデルと比較すると乗りにくさが
際立っている。
 いま、ブレーキなどの制動関係と
タイヤを整備したとこで一応様子見です。

 JOBのほうはひとまず完了の目処がたち、
実は先週も横浜の自宅へ帰り、
東京本社へ出社していました。

 11月からはしばらく、
横浜-東京の暮らしが続くのだと
思われる。

 バイクに乗っていると、
季節の移り変わりそのものや、
その日その日の湿度や匂いまでも
敏感に感じることが出来る。

 あと、自分の歳とか、
夕方近くになると眼がしょぼついて
クルマのライトが滲んだり(爆)

 ZZR1100は、メーターが320km/hまで
刻んであって、川崎重工業が300オーバーを
身近にしたエポックメイキングなバイクだ。

 でもだからと言って、よほどの
条件が揃わない限り、300km/hを
目指そうなんて全く思わない。

 怖さがある。

 高速でバイクに乗っていると、
クルマやトラックと言った
強大な力の前に、自分は
弱い側にいる人間だなと意識する。

 人生の縮図だ。

 そうやって弱い自分を
意識しつつ、勇気を振り絞って
前へ進めて行けたらいいな とか。
 

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2009年9月18日 (金)

シルバーなの?プラチナなの?

 週はじめに、PP&Mのことを書いたら、
マリーさんが17日に亡くなられたとの
訃報が入って参りました。
 何の因果かはたまた奇妙な偶然か
分かりませんが、なにか通ずるものが
あったのかも知れません。
 ご冥福をお祈りいたします。

 ところで世は9月の大型連休ってことで
浮かれ気分な感じがしています。

 筆者の出張地鈴鹿は、その後の
グランプリ開催を間近に控え、
街路や公園での草刈や剪定が
毎日のように行われています。

 先週もモンツァでのグランプリを
テレビで観ていましたが、
自動車レースではグランプリ以外
観るべきところが少ないなと、
改めて感じた次第です。
 やっぱりスピード感が全然違う。

 国内で国際格式のレースも
あるにはありますけれど、
所詮極東の一国で開かれている
マイナーカテゴリー。
 遊びだったり興行だったりする訳で。

 言われてみれば確かに、
おいおいそんなに肩肘張るなよ。
 観ているこっちが疲れるじゃないか。
 所詮遊びのレースだろ。って
そんなアドバイスのひとつも
日本でだけ走っているレーサーには
必要かも知れない。

 

 筆者のほうは、今のJOBが
追い込みなので休みはあんましない。

 高速込むんだろうなぁ、と
思うとまぁ仕事でも良いかなとも感じられる。

 あとやっぱり、出張地で一人きりなので
基本的にどこへ行くのか、目的を
定めない限りはどこへも行けやしない。

 冷たい雨の一節のように

 こんな気持ちのままじゃ
どこへも行けやしない♪

 倉田まり子さんのが一番おすすめ。

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2009年9月14日 (月)

500マイルも離れて

 001


 

 


 古びた駅のホームに一人 
君の見送りもないまま

 500マイル離れた見知らぬ街へ 
僕は出てゆく 
500マイルも列車にゆられ 
窓の外には 流れ去っていく故郷
小さなカバン片手にさげて 
僕は出てゆく 500マイルも

君が一人で淋しいときは 
風の音に耳をすませば 君は聞くだろう 
遥か彼方の 僕の口笛を 

500マイルも 500マイルも離れた
見知らぬ街へ 僕は出てゆく 500マイルも

              ピーター・ポール&マリー(PPM) 


 うー歌声喫茶風、若しくは反戦ヒッピーの集会。
 中学の英語授業で、学生運動をかじっていたらしい
先生が教えてくれた歌でもある。
 これよりも「花はどこへ行った」のほうが良い。
 ベトナムの反戦歌になっていたらしいけど、
募集、徴兵された兵は、列車に乗って赴任地になど行かない。
 募集員が入り口に立つバスに乗って、黒と白を分けて
練兵場へいくのが常道。なんかちょっと背景が
こじつけで、こう言うのいらつきます。

 バスの唄なら、

 秋の 風が吹いて 街はコスモス色
 あなたからの便り 風に聞くの
 落ち葉積もる道は 夏の想いで道
 今日も 私一人 バスを(バスを)待つの(待つの)

 冬がくる前に もう一度あの人と
   めぐり会いたい
 冬がくる前に もう一度あの人と
   めぐり会いたい


 紙風船の「冬がくるまえに」のほうが
感じがいい。

 今夏は「我が名はバイク乗り」で
疾走する生活を送っており、
信号無視のクルマにぶつかりそうになりながらも
その間隙を縫ってレーザーも乗りに行っています。

 体がガタガタ言っていますが、
楽しいですね。

 画像のクルマは、東名で無敵のCF4アコード。

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2009年9月13日 (日)

泣きたい夜もある

作曲:伊勢正三
作詞:伊勢正三

ほんの短い夏

都会に星屑を  ちりばめた
街の灯も   いつかはにじむ時を
恐れていたよ
今夜の「おやすみ」は
いつもとは違うみたい
君は振り向かずに 人波に消えてく

ほんの短い夏 ささいなこと
分かり合えなくて
こんなになるはずじゃ ないのにどうして
いつものように 送ってとは言わないの

どこかに意地悪な
もう一人の 君がいて
ほんとの気持ちだけを 隠してしまうよ
最後の地下鉄が 街の下くぐり抜けて
君が僕の時計 遅らせたと知った

ほんの5分だけの 君の願い
ずっと気付かずに
君が言葉には 出来なかったこと
僕は知らずに 季節は過ぎてゆくよ

ほんの短い夏
風を少し 冷たく感じた
こんなに好きなのは 分かってるくせに
いつものように 送ってとは言わないの

にじんだ夜を ひとり抱きしめたままで


 ドラマ「泣きたい夜もある」の主題歌
 そして筆者の十八番(オハコ)

 伊勢正三さんの楽曲は、
昨日悲別で、でも流れてた
わたしの誕生日に22本のローソクを立て とか。
 これも十八番。

 あとグレン・フライのトゥルー・ラヴ(TRUE LOVE)
ロイ・オービソンのOhプリティーウーマン、オンリー・ザ・ロンリー
エディー・マネー「テイク・ミー・ホーム・トゥナイト」
ビーマイリルベイベー~♪これは中でロネッツがハモってたり

カモンベイベライトマイファイヤー♪のハートに火をつけてなどなど(ウソ)
十八番を列挙

 筆者は、ロニー・ジェームス・ディオや沢田研二の声に
よく似ていると言われる。

 プロコル・ハルム「青い影」
 内藤やすこ「六本木ララバイ」
 ジャンスマ「同じ星」
 これなどはシチュエーションによっては泣ける

 映画「8月のクリスマス」は佳作だ。

 
 父親が突如として肺がん切除で手術を受けたのが8月31日。

 筆者は出張生活なので、余りたいしたことも出来ずに
実弟がよく面倒を見ていてくれた。

 術後に集中治療室へ見舞ったときはさすがに泣けた。
  

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2009年8月24日 (月)

パールロード、16兆の運用損

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 昨日は暑いさなか、鳥羽方面まで
足を伸ばし、パールロードと言う
ワインディングロードを愛機CB1300で
走り抜けてきました。

 ちょうど鈴鹿ではポッカ1000km
改め700kmを改造の箱車で走ろうと言う
国内マイナーなイベントがありました。

 自分がやっているレーザー級のヨットや
スキー競技などに比べると、
鈴鹿で昨日やっていたそれは
世界に直結していない分遊びとか
マイナーローカルな競技と目されても
仕方が無いと思えるし、世間も
さして注視していないから、
どうやらサーキットよりプールや
遊園地のほうが賑わっていたらしい
鈴鹿の彼の地でした。

 終わった日本の自動車レースには
目もくれず、昨日はパールロードへ
向けて発進したのですが、
やはり遅い車に行く手を阻まれる
パターンでそれなりの感じで
楽しむまでのレベルでした。

 

 ところで話題の年金積立金。
年金積立金管理運用独立行政法人
と言う特殊法人がまさに運用しているようですが、
2007年と2008年の両年で、
なんと16兆円もの運用損をおこしているから
びっくりしましたよ。

 今までの累積運用差益は、
約-2兆ほどなんで、
まぁ今まではそれなりに
儲けてはいたようですが・・・

 しかし、2年で16兆もの損を
ブッこいて、しかも2007年には
すでに6兆弱の損をしていたのだから、
昨年度はもう少し考えて
運用すべきだっただろうとは、
誰しもが考え得ることなんだろう。

 ちなみに筆者の場合、
厚生年金で毎月46,000円ほど
収めている。いや源泉徴収ですが・・・
 住民税は48,000円ほど、
源泉徴収で総額約160,000円ほど
黙って持っていかれるのには泣ける。

 上段の特殊法人は、そうした
会社員の間違いの無い源泉から
金を集めて、なにをしているのかと
思いきや、2年で16兆も大損
ぶっこいちゃってるよ。

 いったいぜんたい
何を考えているのやら。

 やっぱり源泉徴収ってのは、
まったくありがたみを持って
迎えられていない。

 青色なんかだと、わざわざ
芸能人なんかを広告屋に呼ばせて
「確定申告、ちゃんとやりましょう!」とか
なんとか毎年やっているけれど、
しがない会社員の銭を、お上の
作った特上の仕組み「源泉徴収」では
そんなことしなくたって
会社がしっかりと代わりを
果たしてくれるからありがたい。
 
 16兆の損を2年で被っても、
基本的に件の法人の中の人は
責任など取りはしないし、
そのうえに立つ厚生労働省も、
まったく関係の無い官僚機構の
よく出来た仕組みの中で胡坐を
かいて行くのだろう。

 そしてやがて退官だよと。

 心情的には、少なくとも
「あんまりだ」と思う人が多いだろう
ことは容易に想像がつくけれど、
件の法人の中の人がテレビで
謝罪会見と銘を打って出てくることも無い。

 基本に立ち返ると
話は簡単で、責任を取らない人、
責任を持たない人、または
組織には、国家の大切な
お金を扱う(運用する)ような
業務を委託してはいけないと言う
ことだ。

 このような組織が、国家の
三年分ほどの予算にあたる
金額を一手に扱っているのだから、
随分と気楽な省庁でその下の
特殊法人もこの体たらくだ。

 「お前なにやってんだー!!」とか、
中で言う人はいないんだろうね。

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2009年8月19日 (水)

帰れない二人

思ったよりも 夜露は冷たく
二人の声もふるえていました
「僕は君を」と言いかけた時
街の灯が消えました
もう星は帰ろうとしてる
帰れない二人を残して

街は静かに眠り続けて
口ぐせの様な夢を見ている
結んだ手と手のぬくもりだけが
とてもたしかに見えたのに
もう夢は急がされている
帰れない二人を残して

もう星は帰ろうとしてる
帰れない二人を残して

井上陽水/忌野清志郎


 8月に入ってもしばらくは
雨が続き、仕事にも影響するし、
嫌な雰囲気が鈴鹿を覆っていた。

 少しのあいだの休みには、
帰郷の途上である大地が崩落し、
道を失っていた。

 帰ることはあきらめて、
実弟と袋井で落ち合い、
寸又峡までバイクを走らす。

 夏休みで途中の道は
混雑していたから高速では
最高速チャレンジを止め、
せいぜいが180km/hの少し
回ったところ、リミッターが
カットされているのを確認したまで。

 前日にクシタニ名古屋で、
レザーメッシュのライディングジャケットを
購入した。
 数々の栄光に彩られたクシタニの
ウェアは、やはり素晴らしい。
 むかし若いときは、高くて
手の届かなかったものを
恩讐の大人買いでやり過ごす。

 寸又峡は行き止まりの場所にある。

 夏休み中でも人波まばらで、
温泉にもゆっくり浸かる事が出来た。

 でも夏の往復400kmツーリングは
かなり堪えた。

 その後、テクニカルスポーツで
フルチタンのエキゾーストを購入。

 出張現地に工具を持ち込んでいたから、
自分で足りない工具をまた少し買い足して、
自分で脱着、組んで装着。

 バイクは自分で触るに限る。

 もう体のあちらこちらが痛い。

 懲りるほど物分りがよければ
バイクになんか乗らないって!
 
 そんな好きなフレーズがある。

 確かにクルマがあれば
事足りることが多い。

 10代はクルマがないからこそ
一生懸命だったけど、
今は違う。
 だから、わざわざ乗り出すって
感じに成らざるを得ない。

 バイクに乗ると、
それが可能かどうかは別にして、
「絶対に負けない、負けるわけがない」って
気になってしまう。

 あと、「今しかない、ここしかない」とか。

 純粋自己表現文学。
 そう純文学に近い。

 バイクはバックギアがない
 だから好き

 むかし富樫ヨーコさんが
そんな当たり前のことを言っていた。

 今このフレーズの意味が
だいぶ分かるようになった。

 歳なのかなとも思うし、
まだまだ全然と思う。

 剥き出しの意思と現実、
その葛藤こそが生きていくと
言うことなんだと思う。

 人それぞれに。

 この夏休みは、バイクに関わる
様々なものを大人買いしてしまった。

 お金があればなんでも出来ると言う
人がいるけれど、
それが人の金だとすると、当てにする
となると全く話が違ってくる。

 自分で稼げるようになって、
いろいろ出来るようになれば、
それは社会の豊かさや自身の
成長にほぼ比例しているものであって
喜びと言う感情が生まれるのだと思う。

 けど、人の金を当てにして
上手く引き出すことに成功し、
よしんば何ものかを成し遂げても、
そこに快感はあるか知らないが、
果たして人の金で成し遂げた
ものに喜びはあるのだろうか。

 ましてそれが、自分の夢に
関わることなら、そんなものは
到底受け入れようが無く
陰惨たる感情にやがては
支配されてしまうのだと考える。

 夢と実業は、
すべからく一対なんだなと、
最近はぼんやりと思うようになった。

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2009年7月22日 (水)

Dead on money.藤原和博と大久保浩の金は全能か

 筆者のブログに大久保浩容疑者での
検索で来る人が多いので色々調べてました。

 すると、筆者の知り合いの数名も
卒業した、杉並区立和田中前校長の
藤原和博氏との関係を表記する
ブログエントリーを発見。

 以下、和田中の夜スペ(夜間塾)裁判での
原告側意見陳述より【2009年7月9日】
 引用開始-

 和田中では夜スペ以外に漢字能力検定コースを行っているが、漢字能力検定協会は文部科学省(生涯学習政策局生涯学習推進課)所管の公益法人でありながら、巨額の利益を得、大久保前理事長や長男の浩前副理事長、親族らに多額の役員報酬などが支払われていた。

 和田中前校長藤原和博氏は漢字能力検定協会が企画した学習ソフトであるニンテンドーDS漢検公式ソフト『200万人の漢検』、改定版『250万人の漢検』の監修者であり、藤原氏が授業でDSの使用を勧めているのは自分の利益のためであるということがわかる。
 さらに藤原氏は「小学生には一人一台の学習用DSを持たせる」と提唱しているので、ニンテンドーからのリベートは大きいであろう

 -以上 引用終わり

 筆者が端的に感じたのは、
類は友を呼ぶ、と言うことと
どちらも既にお辞めになった
立場で提訴や起訴を受けているな、
と言うこと。

 任天堂とは京都にあるそれに
違いなく、またしても京都コネクションの
奥ゆかしさを感じた次第です。

 お二人ともリクルート出身で、
繫げるものは元々あったにしても、
その商魂や金への執着心、
結果的に罷免されたり
裁判沙汰になったりし
共通項が多い。

 藤原氏を提訴している側は、
「新しい歴史教科書をつくる会」に
批判的な杉並に巣食う人々の
側なので、多少斜めに見なくて
いけないが、
やはり公教育をビジネスと
捉えるやり方は、
公教育の現場で長年を
過ごした側からの信任を
得られることが出来なかったようだ。

 この藤原氏は、和田中校長の
職を辞した後、
大阪府知事に請われて
特別顧問に就任している。

 同じ時期同顧問に就任した
蔭山氏も、前述の抜粋に
あるよう、ニンテンドーDSソフトの
監修者である。

唐突だが、
世の中には色々な
考えの人がいて、
教科書をつくるにも色々な
考えがあって正常と考える。
 だから、杉並憎しの陣営と
同じように、藤原某を闇雲に
批判するのは差し控えたい。

 ただ、金欠の大阪府で思うように
ビジネスが出来るかどうか
大いに疑問が残るけれど、
よくもまぁ似たような面々が
集まったものだなぁとの
印象は拭い去れない。

 今の時代は、公教育の
荒廃が叫ばれているらしく
(子どもがいないんで実態を判断できない)
国や地域からも割合と
予算がつき易いような
状況にある。
 荒廃を認識・容認している側は
自らの立場を危ぶみ、
ふつう、いや以前なら考えられない
公教育の場への私塾の参入が
安易に受け容れられた。

 漢検も藤原某も、
言って見れば目のつけどころが
シャープだね。と。

 ただ、このような面々は
人よりも欲の皮の突っ張った
貪りに長けていて、
三毒に犯されているから、
ちょうど良い頃合と言う
ものを兆しとして感ずることが出来ない。

 だから、平気で人々の気持ちを
ないがしろにして豪奢な
遊びに走るし、すこし
景気が上向いて、豪奢さが
平均的に希薄される時まで
己の欲を抑制し待つことも出来ない。

 金儲けのセンスがあって、
その金自体、使い道さえ
間違っていなければ
その金(money)は
全く正しいものなのかも知れないな

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2009年7月21日 (火)

友としての名を呼べ

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 先週末の金曜日、
社で職業訓練の機会があり、
それに併せて海の日絡みの
三連休って事で、一ヶ月ぶりに
横浜へ帰郷しました。

 金曜日に研修が終わったあと、
東京の南に位置する蒲田で、
ふた月ぶりに友人と飲み交わす。

 蒲田は筆者が19歳から
24歳まで暮らした街です。
 
 住んでいる時は、
その猥雑とした雰囲気が
地元の石神井と言う良環境の
住宅街とはかけ離れていて
好きになれませんでした。

 少し経って、離れてみてから
その街の良さは伝わるものです。

 世話になった人の居る、
恩ある街って事ですね。

 ただ、横浜市の住民になって以降、
どうしても途中下車と言う感覚で
不便さを感じずにはいられず、
縁遠いと言えばその通りの
街になっていました。
 実際、夜の京浜東北線は
蒲田止まりの電車をやり過ごしたり、
沿線沿いの猥雑さそのままの
人々が車内の雰囲気を
悪くしたりと、特別な用事でも
なければ乗りたくない電車の一つです。

 山の手線も、ある地域、ある時間帯を
境に乗りたくない電車になりますね。

 今は友の勤め先が蒲田の
環八側にあって、横浜と蒲田の
持ち回りで、今回は蒲田の番でした。

 くいだおれ横丁にある
鳥屋さんで飲み始めました。

 ほんとうはその友、
人工透析をしている
正真正銘の一級身障。

 かれこれ10年ほど前に、
それまで行っていた
東洋医学・食餌療法を諦め、
透析を始めたのでした。

 それ以前は、有楽町・渋谷付近の
飲み屋と言う飲み屋を二人で荒らしまくり、
出入り禁止・自主規制の店を
たくさんこしらえていた。

 彼が一級~になった時、
言って見れば一つの時代が
終わったような、そんな気がした。

 彼は、呑めない体になりつつも
平気の平左で俺よりも速いペースで
飲み、そして
「あと10年持つか持たないか」なんて
ことをうそぶいたりする。

 「ふざけたこと言ってんじゃねーよ」
 「その間に医学も進歩していくし法改正もあるだろうよ」
なんてことを、俺は彼に返したりする。

 数十年後の、年老いた自分の姿が
克明に脳裏に浮かんでは消え、
自分がこの世からいなくなる瞬間、
人がこの世に生を受け、死に、
自分がこの世にはもう無いと言う
その意味を考える。
 10年前には全く考えなかった、
現実的な自分の死を、
今では老いた両親とともに
居ると、時々考える。

 俺は彼に、
友としての名を呼び、
そして人生は余りにも短いが、
まだまだ長い旅路は続いていく、
飲み代は嵩むが、
全然酔いの足りない不憫な
二人に乾杯していた。
 

 

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2009年7月15日 (水)

総選挙2009(1)

 先回の総選挙は2005年で、
その頃は新潟県上越市へ
転勤中の身であり、住所を移していたから
県立高田高校での投票になった。

 上越は前島密の地元で
近代郵政の父が地元の上越では
どうなのかと思っていたが、
郵政民営化を正義?の旗印にした
自民の圧勝だった。


 郵政民営化になって、
郵便物の転送届出が
ネット上で行うことが
可能になったりして、
官のままならままならなかった
様々なことが、民間なりの
スピードでイノベーションされてきている。

 西川さんの問題は
なにも今に始まった
ことじゃなく、メガバンクの
頭取で在らせられた頃から
公的資金投入で我々の
血税を毟り取った側にいた
訳で、最初から適任だった
はずが無い。

 西川さんを評して、
「他の誰も引き受け手がないから
貧乏くじを引いた」とかうんぬんかんぬん。
 西川さんほどの人が、
貧乏くじなど引くものか。
 血税でマイナスを帳消しに
してもらうのになんの躊躇も無い
人が、進んで貧乏くじなど引くものか。

 ゆうちょ銀行の潤沢な資産で、
 米国資本と丁々発止やりたいように
やりたい欲望にかられているから、
西川さんにとってみれば
かんぽの宿問題など取るに
足らない話で、こんなもので
幕引きなど考えられる訳が無かった。
 
 間違っても西川氏は、
郵政民営化の功労者でも
なければ日本有数の
経営者でもない。
 行員時代のやり残しを、
国民の財産でやろうと
しているだけのペテン師。

 いま、地方分権と言って騒がしい。

 筆者は地方暮らしの経験から、
以前より地方の「施しを受ける心」を
指弾してきた。
 要は中央から無手勝流に
施しを受けることのみに心血を
注ぎ、ありがたみもなにもかもなく、
福祉を軽んじ、身の丈に合わない
道路や箱物ばかりを
作ってきたのが地方ではないのか。
 大阪は箱物行政が最も惨い都市で
あった訳で、3セクにその実態を
放り投げても破綻がひきもきらない。
 国や地域には過去と言う歴史が
あるのだから、大阪の現知事は、
過去を総懺悔し、総括をし、
それから地方分権に話を移すべきだ。
 そうでなければ首都圏生活者からの
賛同や理解を得ることは難しい。

 郵政民営化になって、
地方での郵便事業にサービスの
低下が見られたのは、
身の丈に応じたサービス提供で
あるに他ならない。

 押し並べて公平や平均化なんてものは、
官僚機構が残してきた負の遺産に
過ぎない。
 人が生活していくうえで
魅力に乏しい地域のものに、
見た目上の格差や行政サービスの
格差を「郵政民営化」と言う
分かりやすいやり方で
突然露見させた価値は大きい。
 郵政民営化の肝は、
ここにあったのかと思える。

 地方分権とは言うけれど、
それを実行するロジックを持ち合わせた
人間を首長として選んでいるのかどうか
はなはだ疑問に感じてしまう。
 東国原などというのは愚の骨頂で、
地方分権は無理だろうから
中央から施すと言う旧来型の
思考に変換しちゃった。

 また、首長の下の地方公務員に、
そんなものを考えたり行う能力が
あるかどうか、またトレーニングされて
いるかどうかも疑問だ。

 地方は、なぜ首都圏と
呼ばれるエリアに人が集まるのかを
よく考えなくていけない。

 前回のエントリーで、
伊賀上野を書いたけれど、
べつに全ての地方を否定的に
感じているわけじゃない。

 この道路は俺たちが作った。
 このトンネルもだ。

 そう胸を張れるなら、
道路だって箱物だってアリだ。

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2009年7月13日 (月)

ボーイ、伊賀上野へ行く

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 週末ははっきりしない天気で、
仕事を早上がりして伊賀へ向かいました。

 163号線で、伊賀上野へ。

 伊賀上野はそのむかし
約20年前に仲村トオルさん主演の
NHKドラマ「夢紀行」で叙情あふれた
地方都市として描かれていたのが
印象的で、いちどゆっくり
訪れてみたいと思っていました。

 我が愛機CB1300ボルドールは
快調に山道を走り、バイクの
醍醐味であるヒラリングを堪能した。

 向かった先は上野公園と言う、
上野の城址で、ここには
昭和10年に復興された
伊賀上野産業城と言ういかめしい
名前の模擬天主がそびえている。

 写真の五枚目にある
天守台の下には、飛礫(つぶて)と
呼ばれる石ころがおびただしいほど
転がっていて、西方から豊家(豊臣方)の
軍勢が攻めてきたら、
高石垣から投げ込む算段であったという。

 築城普請の名手であった
藤堂高虎による石垣は、
日ノ本一と呼ばれるものらしい。
 ただ、30mほどの高さの高石垣には、
柵もなく、行く手を阻むフェンスも無いから、
へりぎわまで行って下を覗くと
かなり怖い思いをする。
 自治が行き届いているのか、
飛び込む人は居ないのか、
すこし良からぬ事が脳裏を走った。

 伊賀上野は、彦根と並び
西片からの防備に関する要衝で、
城山からは案の定、西側の様子が
よく分かる。

 地方都市には違いないが、
誇るべきものがある街は
筆者のようなMetsから見ても
やはり魅力的に写る。

 地方で住むなら、
どちらかと言えば
門前町より城下町のほうが良い。
 ただなんとなくそう感じてしまう。


 上野城址を出て、
次に向かったのは
偶然看板を見つけた
鍵屋の辻である。

 荒木又右エ門が加勢した
仇討ち事件の有った場所である。

 村上弘明さんなんかの
主演でドラマ化されたりしている。

 太秦の映画村のような
風情は残されては居ないけど、
鍵屋の辻の、辻の感じは
どんよりとした曇り空の下で
なおいっそう不気味な雰囲気を
漂わせていた。

 ここで恩讐にかられた
いにしえ人が、斬り合いをして
どちらかが果てた。

 間違いなくこの場所で、
何人かの男が死んでいるのだな、
そんなことを何とはなしに
考えていました。


 帰りは夕闇が迫っていたので、
峠超えは避けて名阪国道で
帰途につきました。

 覆面パトに気づいて
2○0km/hへのチャレンジは
止めておきました。

 名阪国道は、覆面が多いですね。

 伊賀の忍者さながら、
とつぜん豹変しますから
皆様も追い越しをかけるときは
くれぐれもお気をつけください。

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2009年7月 8日 (水)

東男に京女


あの日のときめきを今はもう忘れたね

悲しがらないで 僕がついてるから

やさしい退屈に ウンザリする前に

買い物に行こう 花に水やる For your smile

 とまぁいきなし林田健司の
花に水やるラブソングから出だし快調なんですが・・・

 神農幸(じんの さち)さんが、
6月5日以降ぱたりとご自身へのブログエントリーが
途絶えましたので、そのエントリーへ
「タレントブログにしては放置しすぎだねthink」と
何のヒネリもないコメントをしたところでした。
 筆者自身といたしましても、
他のファンの方がエントリーを心待ちに
していますぜお嬢さん、と言う意味での
ファン心理の代弁だったわけですよ。
 にわかに、試球式後に
野球選手から交際を申し込まれたとかね、
そんな「あってはならない」事が信憑性を
帯びてきたとか、気がきじゃないってもんです。

 するとあろうことか、即刻
図ったように新規エントリーが
発せられたではありませんか。

 うむむむむ・・・

 まぁあれです(何があれ?)

 神農幸さんの実物は見た事が
ないんですがね。

前段の所作一つをとっても、 
いとしい人じゃないですか。

 昨日は、おけいはんのイベント
そのもの京阪エリアに出没されていたようですが、
しがない技術者の小職が、
そこを抜け出てイベントへ
遊びに行くことも望み叶わず。

 一年毎七夕の約束事があるとは言え、
それ以前に筆者が幸さんの
エントリーを初めて書いたのは
かれこれ二年前の2007年9月であり、
未だ対面出来ずじまい。

 まるで、離れ離れで
生涯を過ごしていたらしい
「おつう」と「宮本武蔵」のようです。
 おつうは現れなかった・・・みたく

 ものすごい我執かな。coldsweats01

 

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2009年7月 4日 (土)

その名はCB

  Cb1300sb
   

 

 

 筆者が現住の鈴鹿市周辺は、
空梅雨のごとく少雨で、
業務執行とその間隙を縫って
教習所へ通い、
めでたく卒検も無事通り
晴れて大型自動二輪の免許を
取得しました。

 CB1300Super-BOL D’ORを、
近所のバイクショップ
HONDAドリーム鈴鹿で購入。

 最後までKawasakiのZZR1400と
悩みましたが、やはり世界のHONDA、
地元鈴鹿と言うことで、
CBにしました。

 画像の通りの、青色っぽい
感じのCBです。

 いろいろありますが、
長いこと大事にしてあげたいな
と思っています。

 世間では毎日のように
嫌な事件、ふざけたオヤジども、
様々な問題や事象が
垣間見れ、その度に
憤怒の河を渡るのも
どうかと思い、バイクや
レーザー(ディンギー)で
楽しい生活を送りたいと画策しています。 

 あとは神奈川の試験場
二俣川へ免許の申請に行き、
納車をして頂くということで。

 鈴鹿は当たり前と言えば
当たり前の感じがしますけど、
バイク屋さんが多いですね。

 生きていく中で、
縁は異なもの味なもの、と
改めて思う今日この頃ですわ。

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2009年6月16日 (火)

雨のイマトラ

月イチ恒例の如く
週末横浜へ帰り、
明けて数日したら出張地へ移動。

東名では毎度毎度ラップの繰り返し。
尼崎在の時から、いつものこの道を、
何度繰り返し走って来たのだろう。

最近鈴鹿生活でしていること。
時間を見つけて、バイクの大型を取りに
教習所へ通っています。
それで今、何に乗ろうか思案中です。

我が名はキリン 、バイク乗り。

バイクには色々な思いがある。
高校出てからレースへチャレンジしていた自分。
今考えると、経験もなく、よくもまぁあんな無謀で危険なことを
していたものだ。

レーサーなら誰もが目指す鈴鹿で
いま自分は自分の仕事をしている。

輝きを放棄したら駄目だよね。
あくまでこだわるべきものを捨てる生など、
許容するには短すぎる。
むかし失っていたと思っていたものに、
ちょっとしたきっかけで再会する。
またそこから始めていけば、知らない自分とまた対峙できるさ。

突き抜けて行きたい。

その先が、予想通りではない闇夜でも。

血潮で明るく染めてやれ。

魂を焦がし、一直線に走り抜け。

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2009年5月21日 (木)

レース界と三毒の焔 漢字検定大久保浩逮捕

 先週末に横浜へ帰り、
東京本社で月、火と過ごしているうち、
件の漢字検定協会の前理事と前副理事が
官憲に挙げられました。

 「利休にたずねよ」の文中に
三毒についての記述があり、
人の世の無常を感じていました。

 仏教の世界では、
「むさぼり」「いかり」「おろか」と言うのを
三毒と呼んでいて、
秀吉はむさぼり、三成はいかり、と
看破しているのが面白い。

 大久保容疑者は、「むさぼり」。
 ただこの愚鈍な二世を、
前述の戦国武将と並び称すのは
いかにも気が引ける。

 戦国武将が幾多の武功や
知略で世にはばかったとすれば、
大久保のそれは「無手勝流」
そのものではないか。

 逮捕となる前の兆しは、
色々あったのだろう。

 レンタルだと言い張っているらしい
クルーザーは、昨年中に係留場所を
変えて追求を免れようとしてみたり、
レース界への関与も見た目上は
縮小するかのように経理操作を
していたみたいだ。
 いちばん癪にさわるのは、
業突く張りの親父が、
新たにパスポートの更新発行を
していたとの報道。
 いわゆるテレビドラマに
あるような高飛びって奴ですな。
 まぁ下劣なオツムのようだから、
こんな幼稚な逃亡劇を企てようとも
考えたし、筆者も大嫌いな
お上を少し甘く見ていたのだろう。

 大久保浩容疑者は、
お金の使い方を見れば
その人の人となりが分かると言うものだが、
下品で野卑な男に相違ない。
 
 しかし、後から後から
操作や取材の効果もあって、
出て来る出て来る狼藉の数々。

 筆者が一番情け無いのは、
日本のレース界を支えてきた
雄である「童夢」が、たとえ間接的にであれ
名前が挙がってくると言うことだ。

 童夢の林社長と言えば、
「俺様の宝石さ」で有名な
まさに情熱の塊、
故浮谷東次郎氏(トージ)の
「カラス」をバックヤードで作って
日本のレース界に車両の
モディファイやエアロダイナミクスと言う
概念を初めて持ち込んだ伝説的な
人物である。

 オールドファンにとっては、
FLキング「走れオトキト」の堀さんか
「カラス」「マクランサ」の林さんかと言う
くらいの信奉者も多く居た訳で、
犯罪の匂いがぷんぷんするような
公益法人の放蕩息子に構って
いくばくかの資金調達をしていたかのような
類推を容易に想起させる今回の
事象は全く情けないとしか
言いようが無い。

 筆者はトージの著述の
熱心な読者だったから、
林社長のことも色々興味津々だった。

 ところが、大久保浩容疑者の
ことを軸に色々思い出すと、
件のクルーザー係留の場所を
一緒に探してあげたり、
亀より遅い速度で一向に
話が前に進まない
新型車両「F20」のシェイクダウンに
呼んでみたり、
はたまた先斗町や祇園で
大久保浩容疑者が取締役を
する「JIM GAINER」のルマン参戦に
いったい幾ら必要かなどと、
本来なら寄付行為に使うべき
現ナマの話をしてみたりと、
言ってみれば「トンデモ」な
朋友関係だったとは恐れ入谷の鬼子母神。

 トウちゃん情けなくて
涙が出てくらぁ・・・

 そりゃぁね、トージの走って居た頃と
今じゃモータリゼイションの背景も
黎明期のモータースポーツじゃ
比較になりませんがね。

 でもだからと言って、
純粋に自動車レースが好きな
連中の思いを踏みにじって
どっちらけにしても
良いはずが無い。

 希少なレースファンの
期待権を裏切って良い
はずなど童夢には一つも無い。

 とにかく情けない。

 金をどこから引っ張ってくるのか?
と言うのは、多くの無産者階級が
巣食うレース界にとって重要なテーマで
あることは充分承知しているが、
「グレーを白に変える」には
より多くの清廉さが必要なんである。

 童夢は、作業着を白に変えて
一から出直しを図っていくべきだろう。

 三毒の塊のようなレース界で、
真の「夢売り」はこれから出てくるのだろうか。

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2009年5月11日 (月)

利休にたずねよ

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 遅ればせながら、山本兼一氏の
著書「利休にたずねよ」を読んでいる。

 この本は、筆者が時々購入していた
「歴史街道」と言う雑誌の中で連載されていたもので、
書店で平積みにされていたのを
見たときは既に直木賞をとっていた。

 出版元のPHP研究所とは、
幸之助翁が創設した。
 縁とは不思議なものだと思う。

 この著書は、利休と言う
茶人が、美と言うものを
司って、時の権力者である
太閤関白秀吉といかに
戦ったかを記していて
まことに興味深い。

 金や権力、すべてを
手にしながらも、
利休と言う美の施政者には
ついぞ敵わないと判断した
秀吉は、利休に理不尽な
咎を含めて腹を切らせます。

 秀吉の忠臣、石田三成も
利休には怒りを覚えていて、
その心の動きが詳細に
記されています。

 家康は、美を意のままに
操り、歴戦の勇者を茶で
打ち負かす利休に
「余の軍師にならぬか」と
誘う。

 この本の言わんとしている
本当の意味は愚鈍な筆者には
理解することは難しい。

 ただ、日本人の美意識には
金を出しても買えないもの、
だがそれでは手に入れられないから、
他のものに譲るくらいなら
金子は幾らでも積むと言った
具合の矛盾が描かれています。

 そして宣教師などを登場させ、
やはり「理解不能な東国の不思議」
として茶道や茶の道具などについて
語らせている。
 
 人間とは、自分に備えのないものを
ついつい欲してしまう。

 秀吉は、関白となり天下統一をし、
世の全てを欲しいままにして
いろいろのもの手に入れ蹂躙した。

 ただ、美のみぞ手に入れられなかった。
 少なくとも利休を茶頭にした時点で、
秀吉は利休を隷属させることに
成功したと思われた。

 ただ服属しただけならば、
利休もあまたの茶坊主と
同じように語られて終いだったか
も分からない。

 利休の行いは、いわば
「上のものを上手く使え」と言う
会社員的なハウツー本にも
よく載るようなものとも言える。

 しかし、命を賭けているか、
また命と引き換えになるほど
あるものを追求しているか、
この辺りが現代の我々の
思考とは大きく異なる。

 利休が生きた時代は
合戦もそこかしこで行われ、
七哲と呼ばれた高弟の多くは
勇猛な武将であったから、
死は割合身近に実感できたのか
も知れない。

 この本の中にある、
道理を知っているから
無理無駄な動きがなく、
流れるように美しい
作法が生まれる・・・

 そんなようなことが
真似できたら良いと
思う人間に、
利休は「独創であれ」と説く。

 この本は物凄く深い。

  

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2009年5月 7日 (木)

なかなか暖かくならないですね 

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 連休は南紀の帰りに
奈良の東大寺などに寄りつつ
静かに鈴鹿へ戻りました。

 帰りは阪和自動車道から
西名阪、名阪国道経由で、
松原あたりのクチャクチャした
ところから少しだけ渋滞しました。

 奈良はなんだかよく
分かりませんが、駐車場が
空いていなくて困りました。
 基本的に奈良公園付近に
観光客が集中するようで、
駐車場へ入れるのに2時間
ほどかかり、親に車の運転を
任せてその間にチャチャっと
大仏殿や二月堂などを見てきました。

 鎌倉にも大仏はありますが、
奈良のはデカイです。
 役人の側が作るものは
いつの時代もデカイんですね。
 鎌倉の大仏は、
言ってみれば武士団と言う
民間に実質的な政権が
降りて来てからのものなので、
比較になりません。

 そんなこんなで
連休を過ごしましたが、
鈴鹿に戻ってからは
天気が優れずに、
雨ばかりの日が続きました。

 よってどこにも出かけず、
ほとんど目立った動きはせずに
過ごしました。

 琵琶湖もまだ
水温が低く、ちょっと
元気を出さないと
ディンギーは厳しいです。

 色々と良くなるように、
そういう風な思い込みも
重要なファクターだなと。

 熊野那智大社や
奈良での祈りから
感じました。

 

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2009年5月 5日 (火)

美しいお馬鹿さん

 The Great Gatsby の中で、
ギャツビー氏が死ぬまで恋焦がれた
デイジーの台詞です。

 デイジーは自分の娘を、
「美しいお馬鹿さんに育てるわ」
「女はそのほうが幸せなんだもの」と
自嘲気味にギャツビーへ語ります。

 なんでも知らない振りして
生きて行けるのが幸せなのか
どうなのか。

 最近、違法行為だとか、
脱法行為だとか。
 法すれすれでも、
いちおう問題なければOK
と言うような風潮が目に付きます。

 知らないと言うことは、
善意無過失に相当するか
どうかとか。

 筆者が思うに、
後々のコメントで
「法は犯していない」と言う
コメントが出てきた時点で、
当人は事前に知り得べき
なにものかを確信していたのでは
ないのかなと思ってしまう。
 つまり誤魔化しなんじゃないかと。

 自分や他人を一緒くたに
誤魔化してしまうのは、
やっぱり最低最悪。

 最低最悪なものに
常に介在するものが、
お金や権力への欲望と言うこと。
 そう言った、
「法ギリギリのところ」へ
近寄ったり、片棒を担いだり
するものも、行為者としての
差異は無いに等しい。

 今の時代と言うのは、
目には目を、とか
無礼打ちとか、
一揆や果し合い、
なんてものは存在しない
世の中なので、
「法には触れていない」と言う
正義がある限り、
どこまでもすれすれまで
突き進んでしまう。

 日本で法定されたものとは、
人間が守るべき
ほぼ最低限のレベルにあるもので、
「法は犯していない」とコメントする
局面で胸を張って言うべきものではないはず。

 


 

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2009年5月 4日 (月)

どこにでもある社会正義について

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 長期出張や転勤生活で、
もう長い間、地方での生活が
続いている。

 以前、東京生まれ東京育ちの
人から、
「東京以外はどこも地方だ」と
少し乱暴な言葉を聞いた。
(筆者も東京生まれ育ちだが・・・)
 地方と言う言葉の中には、
侮蔑の意味合いが滲み出ていたから、
乱暴な言葉のように感じたのだ。

 地方が侮蔑の対象かどうかは別にして、
社会正義は随分と疲弊している
ように感じてしまうことがよくある。

 ほんとうによく見かけるのが、
交差点脇にある店舗やコンビニを
活用してのショートカット。
 公道でもなんでもない
ところを、しかも渋滞らしい
渋滞もない地方道であるにも
関わらず、私有地を横切って
右左折を繰り返す車。

 また、無余地駐車でない
ことを良いことに、自分の家の前の
公道へ青空駐車する人々。

 休日に知人宅へ遊びに
来たからと、
全く関係のない未契約な
駐車場へ身勝手にクルマを
止める人々。

 散歩はリードつきで、の
掲示看板を無視して
犬を放して公園で遊ぶ人たち。
 うんちも放置。
 
 無人野菜売り場からの
かっぱらい(窃盗)。

 大麻の自家栽培及び吸引。

 ごみの違法廃棄。

 うんぬんかんぬん・・・
基本的に他愛ないことが
ものすごく気になる。

 筆者が育った東京北西部や
現住の横浜市ではあまり
見かけない光景が、
彼の地では繰り返される。

 人に見られていると言う
感覚が希薄だから、
地方では成立してしまう。

 よく「地方の人は素朴だから」と
聞くけれど、本当にそうか?
ただそれだけかと疑問に感じる。

 もちろん、社会背景が
都会のそれと同じような
ところに居る人々は、
モラルに関しても
同じようなものだと思う。

 東京のような都会だと、
上記のような暮らしぶりが
大勢を占めると
社会生活が機能しなくなる。
 また多くの人間の視線が
あるから、基本的には
成し得にくい。
 東京は、そう言う事から
すると息苦しいし、
みな少し短気だし、
地方から来たニューカマーは
暮らすのをしんどく思うかも知れない。

 視線が多いせいで、
男性女性ともに洗練されていく。
 これは良い事だ。

 郷に入れば郷に従え
と言う言葉があるけれど、
あまりよろしくない慣習に
従うことはない。

 それは地方だろうが
東京だろうが同じこと。

 地方の若者に
上のような話をする。
 ネットや高度情報化社会で
自分たちが置かれている立場を
彼らは認識しているから、
上の年代がしていることを
恥ずかしく思っているような
場合が多いのだ。

 地方で目に見えての違法行為は、
官憲の絶対数が少ないから、
見逃されている場合が多い。
 官憲も、そう言う事実を
よいことに、諦めているか
黙認してしまっていることもある。

 だから最近意外に大きな
事件や事故は地方に
多発している傾向がある。

 業務執行などで
地方に暮らしていて、
顕在化してからでは遅いと
思うことが色々ある。
 
 耳障りなことの羅列。

 でも、書かずにいられない。

 

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2009年5月 1日 (金)

南紀田辺リゾート

 5月連休と言うことで、
またまた両親を伴って
和歌山は田辺へ来ました。

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 もちろんララも一緒ですが。

 基点は出張地の鈴鹿で、
紀勢道を走り、大阪側からではなく
三重を抜けて和歌山へ入りました。

 道中、父親と替わり番こで
クルマを走らせ、ほとんど
クルマの中に居ましたが、
時々は降りて名所旧跡めぐり。

 着いたところはなかなか
ゆっくりできそうなところでした。

 明日また一泊し、
3日にはいったん鈴鹿へ
帰りますが。

 5月連休は1,000円の
ありがたみで道が込みそうなので、
横浜への帰郷はやめようと
思っています。
 琵琶湖へ行って
レーザーを出すか、
鈴鹿で洗濯をしているか、
すこしのんびりしていようと
考えています。

 1,000円のありがたみは、
この不況で萎みがちな感じです。

 マスコミが煽るかもしれませんが、
それは局に広告料が入らないと
まずいので、無理矢理にでも
世論操作していると言って
差し支えないでしょう。

 実際、人では少なめです。
 29日に鈴鹿へやってきた
両親も、東京から主だった
渋滞は無かったと言っていました。

 一部マスコミと芸能界、
もう少しギャラの面を下げて
一から出直したほうが
世の中全体の為になりそうです。

 自分たちの生活を
護るために、ウソの情報を
垂れ流すのは良くないと思います。

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2009年4月21日 (火)

1,000円は、ありがたい

 会社の健康診断で帰郷。

 先週は土曜日の夜に鈴鹿から横浜へ
帰りました。

 土曜日の夜は物流の
貨物車もまばらで、
1,000円の恩恵を被りつつ
帰宅しました。

 なかなか暖かくならない
昨今、こんな時は
地球温暖化と騒ぐ
環境ビジネスを食い物にする
輩もマスコミには登場してこないものだ。

 それにしても土曜の夜は
冷え冷えとしていた。

 月曜の夜に鈴鹿へ戻るのに、
また東名を使ったけれど、
新しい年度が始まって、
すこし貨物車の交通量が
減ったように感じた。

 たまたまそう言うタイミング
だったのだろうけど。
 90km/hで右車線をノロノロ
走るトラックを強引にパッシング
することが数回程度。

 昨年度末は数十回じゃきかない
レベルだったから、だいぶん
ストレスが目減したのだった。

 でも後ろを確認しないで
右車線に切れ込んでくる
トラックは相変わらず。

 白ナンバーだろうが、
緑だろうが、大手の物流会社だろうが
そんなものは基本的に
無法な所作を身に着けた
雲助まがいのトラック運転手には
関係が無い。


 乗用車だけ恩恵を
享受できる、土日の夜が
長距離移動には良い。

 前にも書いたけど、
トラックにもその恩恵を
与えたら、陸上輸送がますます
増えて、道路が必要だよって
議論になりかねない。

 それだけは避けたい。


 
 前段で書いた、
漢字能力検定協会の大久保浩氏。

 この方は、レース界では
「JIM GAINER」の人そのもので
通るのだという話。
(ホントはJIM CENTERの人だけど)
 件の童夢HP、F20シェイクダウンに
「JIM GAINERの大久保」との記述が
あり、なるほどなと。

 90年代の後半頃から
手始めにフェラーリのカップレースに
(金だけ馬鹿みたいにかかる金持ちの草レース)
出て、その後レーサーとしては遅くて
仕方がないので、
(レース用語で言うウンコ)
レースチームの運営と、時々の
スポーツ走行くらいで止めておいて
いたようだ。

 レースや自動車が好きなのは
分かるのだけれど、
好きなものに食い物にされ、最後は
大恥かいたって感じの風評が
レース界にはありあり。

 

 同義的にも、ああやって
テレビで謝罪に及んだのも、
それが公益法人であるからに
他ならないわけで。

 個人経営から初めて、
いま儲けに儲けて
好きなレースにその金を
投入しても誰も何も
嫉妬はすれど文句なんか
言える様な筋合いじゃないわけでして。

 あと、やっぱり
オヤジの後にのほほん
とくっついて、
美味しいところを持って行く
手法が男として情けが無いと、
個人的には思う。

 京都老舗呉服屋の若旦はんみたい。
 

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2009年4月16日 (木)

漢字能力検定協会とレース界

 税金や年金を平気の平左で納めない、
そんな輩が筆者の住む世間を闊歩して
辟易としていたところでした。

 そこへ来て、今度は件の事案が明るみに
なり、問題化していました。

 結局4/15夕刻、公益法人であるはずの財団が、
やくざまがいのその有り様を指摘され、
大久保父子は逃げ場を失ったか理事の職を辞しました。

 

 童夢の林社長が、
「僕たちの近くにあるGrayishな世界」
の中で、副理事職だった大久保浩氏のことを
ずいぶんと庇っていたのが印象的でした。

 京都人特有の身びいきとも取れるし、
レース界にわんさと(童夢にだけと言う意味でなく)
お金を落してくれるパトロンが消えたのが
誠に残念で仕方がないとも取れる。

 ただ、大久保某については、
無限創始者の本田博俊氏と
同列で括るほどの人物とは思えないが、
「二代目やジュニア」と言う意味では
異論を唱えようがない。


 JIM GAINER(事務から金をぶん取る)と言うチームがあって、
ここは筆者の出張先の鈴鹿にガレージなんかも
ある。(オフは荒れ放題だけど)
 まず最近10年の話、スーパーGTと言うカテゴリーの
レースがあり、ここのフェラーリを製作したのが
コンストラクターの童夢社でした。
 JIMの田中慶治氏と言うのは、
童夢林社長が豪奢な遊びに執心な
今と比較すると、まさに行き倒れしそうだった
頃に製作した「マクランサ」で出走していた
らしいから、かれこれ半世紀を迎える
実懇の仲。

 日本のレース界と言うのは狭小で
裾野も同じようなものだから、
「昔からやってるのがエライ」。
 結果、レース界の全世界感的な意義や
モータースポーツへの寄与の度合いからすると
殆ど無意味な活動振りでも
「大物になれちゃう」。
マイナーな盛上がりの世界では、ありがちな話。
 この酷くマイナーで趣味の世界では、
殆どの人が
「モータースポーツへの寄与」なんて
ものを、発展なんてものも望んじゃいない。

 要はどれだけ効率よく
「世の中からお金をぶん取る(Gain)」のか
と言うのと、
時々ある局面で「自己の正当性」が
論じられば良いのである。
 正しいかどうか別にして、
明日の生き死にを考えなくても
よく、京都で言うなら先斗町で
飲み食いできさえすれば
それで満足なのだ。

 かくかくしかじか、
ややこしいが、
「(事務センター)JIM CENTER」と言う
ステッカーをこさえて
「JIM GAINER」チームの
サポートに執心だったのが
前段からの大久保浩氏であったのだ。

 その金が、戦前からの財閥で
金の使い道に困った
大倉喜七郎氏のごとくの振る舞いで
レースに打って出るならまだしもなのだが。
 公益法人と言う、目的を達成すれば
その役目を終えて解散する前提で
非課税なのを良いことに、
その立場を最大限に悪用して
レースへ金を垂れ流すとは。

 昔からレースカーの
スポンサーといえば、
パチンコ屋、サラ金が最大手で
そのどちらもが世間ではよろしくない
とされる陣営ばかり。
 レース界なんて元暴走族の
集まりだよ、そんな風説のまま。
 結局今回も、公益法人の
皮をかぶったカルト教団みたいな
輩から恵んでもらっていただけの話。

 もっとまともなスポンサーは
つかないのかね。
 中の人が謙虚で慎ましやか
じゃないと無理なんでしょうが。
 
 林社長は、件の公益法人が
問題視されるのは、要約すると
天下りを受け入れなくて、お上が
頭に来たからとコメントしている。
 
筆者のようにレース界では門外漢で
金持ちのスノッブにも興味ない人間からすると、
天下りを受け入れられない理由は、
行き過ぎた私物化が存在したから
と言うことだろう。

 
 レースと言うのは、
自分の金でやれば良いのだと思う。
 走ったり、作ったり色々だけど。

 遅すぎたアプローチだけれど、
童夢社は、実業であげた利益を
趣味のレースへ転換すると言う、
新たな手法で林氏個人の夢を実現してきた。
 
 その林氏が老いぼれたのか、
情けないが、公益法人の本来の
あり方を民法典などで学び
それからコメントすべきだった。

 「天下りを受け入れなくて、お上が
頭に来たから」なんてものは
単なる感情論に過ぎず、
法治国家、全世界を否定しているとしか
思えない。
 
 強いて言えば、
「出る杭は打たれる」のであって、
戦前生まれらしい翁に
若造がどうこう言うものでも
ないだろうに。
 つまりは調子に乗って
「やり過ぎた」と言う、
堀江や村上と同列に
語られるべき事象なのである。

 林氏は、
「日本自動車レース工業会」の
会長と言う立場で居られるらしいが、
或る意味では公人ともされる方が
件のようなコメントをしているようでは、
「まとも」な陣営からのサポートなど
これから先に増大することなど望めないし、
ましてや「モータスポーツの発展」なども
有り得べからず話だと言えよう。
 子供や孫には何も残さない、
よく居る爺と同じと言うことだ。
 
 ところで、「JIM GAINER」は
この週末に開催されるクラシックな
イベント「鈴鹿2&4」にもエントリーしている。

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税金 年金を納める 社会契約

 我々、会社員と言う人種の大概は、
黙ってても国や地方へ税金も年金も
自動的に納める仕組みの中に組み込まれている。
 
 給与賞与と言う、お金の源泉から
徴収するから、源泉徴収と呼ばれている。
 本当に良く出来た仕組みだと思う。

 せっかく汗水たらして働いて、
筆者の場合、控除の項目が少ないから
賞与なんかだと本当にドバーって引かれる。
 年間だと、軽の新車が変えそうなくらいの勢い。

 いい加減にしろと言いたくもなるけど、
これが人間としての社会契約なんだと思う。

 税金も年金も、収入なりに納める。
 それが可能なのに、恣意的に納めない連中。

 誰だって、一度手にしたお金を
大嫌いなお上に献上したくなんか無い。
 でもそれによってのみ、社会生活へ
参加することが認められているのが
多くの法治国家の有り様だから、
税金・年金未納、特に悪意と過失を持って
未納の人々は、ほぼ人間じゃないと言えよう。
 若しくは不適格な人間と言うことで、
このような輩は人を批判したり、
一人前に幸せを享受することに資さない。

 最近はお上のほうも一生懸命だから、
差し押さえや強制執行を割合容易に行うようで
それは良い事だと思う。

 一番ひどいのは、自営業者が
従業員から源泉徴収分差し引いておきながら、
脱税するパターン。これ最悪。

 まさしく、人でなし以外の何者でもないだろう。

 税金、年金を納めない輩は、人間じゃない。
 納められない特段の事情が無い限り。

 また多くの会社員は、
被源泉徴収人である自分たちが
社会の多くを形成していることに
誇りをもって生きていこう。

 いま、国民年金の納付率が
65%を切ったのだと言う。

 納付者が、その場の感情論で
未納に踏み切った人でなしを
養っていく矛盾。

 感情論で社会全体を
混乱に陥れるマスコミ。

 もらえるか分からないから
払わないと、易々口にする愚かさ。

 酷い人が増え続けて、
嫌な世の中になったものだと思う。

 

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2009年4月13日 (月)

TEQUILA SUNRISE

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 鈴鹿の出張部屋で暮らし始めて
二週間になりますが、最近
気づいたことがあります。

 周囲に本田技研やその関係会社が
多いからだろうけど、
ブラジリアンの人を結構ふつうに
見かけます。
 日系の人なのか、
様々な工場の名札に漢字の
苗字?のようなものを
つけて、近所のイオンなんかで
よくたむろっています。

 むかしは都会に多かった
外国人労働者も、
最近は暮らし易さと
その労働需要の種類により、
自動車産業の盛んな町に
やたら多く住んでいるのが
現状のようです。

 あと、自分が住んでいる部屋の
周囲が、最近になって
井戸汲みポンプで
ボコボコやっていて、
畑だと思っていたところが
なんと、稲作の田んぼでした。
 蛙の鳴き声がすげーんだろう
なと思っていたら、
最近の暖かさで蛙殿の
鳴き声がすごいのなんのって・・・

 静かな夕暮れ時には
西コースのクルマの音が
聞こえますが、最近は
蛙の方がすげーや。

 それと、20年越しの
アレでアルトサックスを始めました。

 テキーラサンライズと言う、
B級映画があって、
まぁ20年位前にサントラが
結構流行りました。
 その中で、
デイビット・サンボーンが
「ジョアンのうた」と言う
のをやってまして、
これが格好良いんだね。

 まぁそんなこんなで、
20年越しってのと、
今年はなにを始めようか と
思っていたので、
アルトを始めるギリギリかなと。

 毎年新しいものを
最低ひとつ始めるのが
人生の羅針盤になっていますからね。

 練習は近所の公園で、
ロングトーンなどから始めています。

 夜、散歩の人なんかが
前を通ると、練習をやめて
通り過ぎるのを待っていますが・・・
 
 部屋はやっぱり気がひけます。

 横浜の家に帰ったら
近所にカラオケの
シダックスがあるので、
そこでしようかと。

 サクソフォンはリコーダーと
同じような運指なので
とてもつっつきやすいです。
 いやとっつきやすいです。
 あと吹奏楽とかクラシックに
縁が無い筆者でも、
反逆のアルトなら
親しめるような気がしました。

 それで、楽器も
ヤマハ初のジャズ用ってことで。
 バイク時代から、この
三連音叉は外せないアイテムです。

 まぁ暇を見つけて
音符の読み方も
も一度勉強してですね、
やってみるべしってとこです。

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2009年4月 6日 (月)

春に生まれ

 春眠暁をおぼえず、の故事に
あるように、春はついつい寝過ごしがち。

 この世に生を受けた
この日々は、出張地の
鈴鹿で過ごしています。

 振り返れば、あのとき
こうしていたら、
こうなっていたら今の自分は
ないなと、考えてしまう。

 前よりも、今の自分のほうが
幸せだから、その大概が
「あの時そうなってなくて良かった」
ということが殆ど。

 例えば、悪気は無いけど・・・
「あの時あの女とくっついてなくて良かった」
とか。
 その女性と懇ろになっていたら、
いまの地点に自分はいなかったんだろうなと、
そう考えるとホッとする自分が居る。

 男女ともに一緒になって
成長していけるのが、やっぱり
理想かなと。
 お互いがブレーキになったり、
枷になったりするのは
瞬間に自己陶酔はできるかも
知れないけれど、長い目で
見るとお互いか片方が
結果的に不幸になるパターンが多い。

 男女の関係だけではなくて、
これは人間同士の付き合いの
基本なのかも知れないなと。

 当たりのよい甘言や
印象を残す人から、
人は離れづらい。

 居心地が良い場所は、
人に何も残さない。
 
 誰だって、アカの他人の
おまはんには粗を指摘する
ことなんてしたくはないだろう。

 でも、本来自分が視線を逸らしがちな
ところに本質は見え隠れしている。

 人に苦言を呈されて、逃げずに
 苦手なところを克服したりするのが
人生の副題と言うか醍醐味なんじゃないかと。

 しかしまぁ、今年度は
まさしく荒波の中でのスタートだね。

 鈍感か、そう言ったものに
今まで無影響な人々にも、
この低調さはやがて行き渡る。

 今自分が住むこの世界の
背景を感じ表現し生きて行くことが
できるかどうか。
 
 その成否でこの先の
有る無しが決まるんじゃないかとか。
 

 
 
 

 
 

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2009年3月30日 (月)

2008年度の終わりに

 先日、と言っても数週間前のこと、
三菱総研のチーフエコノミスト後藤康雄さんの
セミナーへ行ってきました。

 筆者の勤務しているところが、
海外事業協力協会の会員で、
そこが主催していて会員なら無料のセミナーだった。

 2009年度は悪いぞ悪いぞと
散々っぱら言われている中で、
敢えて言えばダメを押して頂くために
行った様な、そんなものだった。

 冒頭から後藤さんは、
最近外れてばかりで、でかいことは
言えないが・・・のような前置きを
しながらも、数値に基づいたマクロ経済の
分析をしっかりと二時間程度
説いてくださりました。

 内容としては経済成長率が
2020年頃までマイナスから1%台の
低調さで推移していくこと。

 アメリカ発の経済危機からの脱却は
その真因であった不動産価格の安定が
不可欠であり、そして不動産バブルが
成熟するまで要した年数と同じだけの
期間を必要となるであろうこと。
 
 それが4年だから、2007年度に
バブル崩壊で問題になったところを
起算点にすると2011年までには
アメリカの不動産価格は
安定する見込みらしい。

 兎にも角にも2009年度は
経済成長率がマイナス4%以上の見込み。

 日本は戦後、ほぼ2%台の成長率で、
それでもなお800兆を越す借金が
あるのだから相当きつい。
 政府はどこが政権取っても、きつい。

 国債の日銀引き受けとか、
30兆あまりの色々な施策を打っていくにせよ、
まだまだ2011年への道のりは長い。

 アメリカを抜きにして日本の事が
考えられるのかと言うと、
アメリカならまだマシで、
アメリカが衰退していくなら
日本にとって都合のよくない
国が今後台頭するであろうから、
今後も一蓮托生でやっていくしか
方法が無い。
 これは筆者が数点質問したところで、
後藤さんが愚問に答えてくれた。

 今思うと、二年前の年度に転職を
考えたのは、筆者が以前属していた陣営が
先が見えないながらも行け行けドンドン
やっていたからに他ならない。

 数年前から賢い人は、そう遠くない将来、
ものづくりの曲がり角が来ることを
予想していながらも、
今のうちに実績を作るしか
仕方が無いという刹那に
憤懣やるかたなしの有様であったのだ。

 πが大きければ大きいほど
その反動は緩やかに巨大な
円弧を描いていくわけで、
ただ誰もが予測できなかった
国内での危機がこの2日先には
白日の元に4年もの間
晒され続けて行く。

 後藤さんの話を聞きながら
思ったのは、我々ものづくりを
志す側も、もう少し経済へ目を
向けていくべきだと言うこと。

 感情論で言った者勝ちみたいな
ところが、今の日本には多過ぎる。

 数値を大切にすべきところは
して行かなければならないし、
理屈じゃない部分でのものづくり
スピリットも時には蛮勇で
必要とされるときがあるという事だ。

 少し前まで、
「勝ち組、負け組み」騒いでいたけれど、
今はみんな同じような場所に立っていて、
そのチェーンは切っても切れないような
ところで皆が皆、蠢いている。

 本当は、そう言ったシンクタンクの人が、
「数年先までダメなのが目に見えているから
地力をつけることや技術開発に励まれてみては」と
言ったようなことをものづくり側に提言しても
良いんじゃないかと思う。

 でもやっぱり1年1年が勝負の実業界に
甘言は通用しない訳で、もしかして大物の
経営者が上のようなことを思っていても
恐らく立場上言い出すことなど出来はしない。

 水を扱っているところなら、
あとは海外で勝負するしかないかも知れない。
 市場は巨大で隙間狙いでも
日本の市場の数十倍の規模があるにはある。
 考え方によってはそちらのほうが
シンプルで良いのかも知れない。

 そんなことを考えていますたい。
(なぜ博多弁)

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レース界 チンピラ

 3月も後半までは東京の本社で過ごし、
二十日過ぎに出張部屋へ入りました。
 鈴鹿市にあるサーキットに程近く、
毎日ここのパーキングゲートの脇を走って
職場へ通っています。

 おそらくフォーミュラ1が来るようになってから
町の様子もだいぶ変わったのだろうから、
すでに15年を経過し、その頃新しかった
ものもすでに古くなってる。

 石垣池公園のそばに住んでいるけれど、
肝心の公園は犬の散歩が禁止。
 近畿では多い光景だけれど、
きっと飼い主のモラルが酷くて
こういう結果になったのだろう。
 と言うことが容易に想像つく。

 4月18日のオープンに向けて、
鈴鹿サーキットも工事だけは
進んでいる。


 日本のモータースポーツも、
文化となる前に既に終わりに
近づいてしまっているようだ。

 一言で言えば、庶民が
手を出すには効率が悪すぎる。
 
 そして日本には欧州のような
貴族もいなければ、
欧米のような安定感ある成金もいない。

 日本では、人の金をむしりとったり、
掠め取ったりしない限り、
犯罪に近いようなことも含めて
易々と出来るようなタフさが無いと
長年モータースポーツに
関わることなど出来はしない。
 
 あとは効率が良さそうなときに
メーカーが熱心になるだけであって、
それも長続きしない。

 夢や可能性から最も
と言っていいくらい離れてしまい、
最低最悪なスポーツに
なりつつある。
 だからマニアックな若者を
除き、若者からも敬遠されがち。

 あとやっぱり問題なのは、
実際にやっている側の人の
趣味性が高いから、
ビジネスとして真面目に
踏み込もうとすると、
誰もが躊躇してしまう。
 
 つまりそれは趣味の延長なんだと。

 ガキんちょのヒロイズムとか
やっている側の自己実現に
数億の金を出すほど、
日本のビジネスマンは甘くない。

 それで最後には、
勝手にやってろってなる。

 日本のまともな側からは
全く相手にされなくなってしまったのが
モータースポーツやレース界の人々
なんだと思うと悲しい。

 でも日本のレース界の人たちは、
ほとほと皮算用が好きなんだなぁと
感心してしまう。

 やっぱり趣味の延長じゃないと
やりきれない世界だ。
 

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2009年3月 2日 (月)

リアル 自動車絶望工場の夢と希望

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 筆者のブログで相変わらず
検索ワードランキング1位の、
鎌田慧さんの著述「自動車絶望工場」。

 労働実態と言うより、
いま「働かせないぞ」と言う
意味で絶望工場になっちゃった。

 先週は鈴鹿某所へ打ち合わせに
行っていたのですが、
本田技研鈴鹿製作所の前では
労働者切りを反対する、組合関係者の
デモが行われていました。

 南コースの音らしい、
レースカーのエキゾーストノートが
サーキットの周辺に響く中。

 いま鈴鹿サーキットは、スタンドや
ピット改修の真っ最中。
 計画が決まったのは二、三年は
前の話だろうから、ホンダがフォーミュラ1を
止めて二度と出ないらしいことも、
HRCで一時代を築いた後に社長に
なったレース屋の福井さん辞任も、
基本的には無関係に工事は
進んで行く。

 でも、「主のいなくなった館」の
ようで、鈴鹿サーキットも泪で曇りがち。

 

 アメリカの自動車メーカーが、
どんな経営危機に陥っても
労働者のクビを切らない。
 
 これは自動車の夢と希望かな と。
 理屈抜きに。

 
 自動車産業によって立国された
アメリカの最初で最後の希望、自動車。
 アメリカの自動車メーカーの
労働者がバタバタクビ切りに
合うようじゃ、まさに世界の終わりかも
知れない。
 そう言う意味では、経営効率とか
度外視して雇用継続するアメリカの
自動車メーカーは、通常では量りきれない
ロマンに彩られていると言える。
 アメリカらしくない。アメリカらしい。

 土建国家日本では、差し詰め
土建屋(ゼネコン)さんがその位置に
あったのか知らないが、
雇用の環境や条件が違うから、
アメリカの自動車とは同義にならない。
 違う会社(下請けさん)が現場で
儲かろうが、潰れようが徹底放置
徹底無視な姿勢がゼネコン。
 夢も無いし、尊敬も無い。
 階層区分の歴然としたゼネコンと
下請けの関係に雇用継続性なんて
誰が考えると言うのだろう。
 むしろ、
絶望的なのは、この業界では。

 
 日本の自動車メーカー
云々と言うより、やっぱり社会全体に
夢とか希望と言う陳腐化されたものが
生きていく土壌が無くなりつつある。

 いつもの訳知り顔のジャーナリストが、
上記のようなアメリカの
自動車メーカーの姿勢を
批判したりするけれど、
そんなん放っておいたらいいのにね
と思ってしまう。
 向こうにだって考えがあるんだから と。

 何も考えないで、クビ切りを
する人のほうが、自動車と言う
機械に負けてるんじゃないかとか。


 

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欲望系と、ブランク

 とうとう二月は一回のエントリーも無く
終わってしまいました。
 終わらせたのですが。

 二月は、姫路に行ったり滋賀に行ったり
三重に行ったりし、でも大部分は
本社のある東京と横浜を行ったり来たり。

 未曾有の大危機と騒いでは見ても、
朝夕に、かったるいと思ったときに
利用するグリーン車は、朝はもう満席ですし、
電車も朝のラッシュは相変わらず。
 危機感が加速するのか、
停滞するのか鈍重な自分には
分からないが、実態的な危機を
味わうのは年度が替わった4月からに
なるのだと思う。

 筆者も危機感が抜けず、今年の冬は
楽しみを遠ざけた。
 スキーには、年末の蔵王以来
行っていない。ラディウス27の新型
スキーの感じも全然分かっていないし、
せっかく京都の店(カンダハー)で買った
のもはっきりいって無駄になってしまった。
 楽しみを遠ざけるのは、ストレスも
並大抵ではないし、辛い。
 ストイックなどとは思わないが、
どうも社会全体の感覚が暗くて
仕方が無いので、暢気にスキーへ
行って楽しむと言う感じでもないわ。

 筆者はこのブログでもずっと
綴ってきたけれど、
結局不必要なモノは売れない。
 飽和状態になりつつあるところへ、
似たような大した付加価値の無いものを
毎年投入しても、売れない。
 クルマもデジタル家電も。

 来年度のモノつくりは、
今までネガティブと言うより
地味にやってきたエネルギー系が
脚光を浴びることだろう。

 キーワードは「貯める」。

 
 話し変わって、信販系が惨い。
 カードの初期、無条件に繰越して、
金利や手数料で儲ける仕組みが
悪性の感冒のように流行している。

 横浜に帰ってきて、
皆も持っているし、よく
見かけるのでTSUTAYAの
Wカードなるものを作ったけど、
それがまさしくビンゴだった。
 初期条件が3,000円以上の
支払いは繰越で金利がつく仕組み。
 ファミマクレジット万歳。
 
 TSUTAYAって媒体を考えると、
お金をあまり持っていない
学生も、利用いや使用者に含まれる。
 もっと言えば、引退後の余生を
送るお年寄りも利用が結構
見込める。

 例えば10,000円の月利用額が
あって、翌月3,000円支払っても
残債は7,000円あるってことになる。
(TSUTAYAカードはあちらこちらでポイント付くし)
  それで、翌月も利用するだろうから、
毎月の支払額が3,000円以上
繰越のままだと、条件を変えない限り
一生手数料と金利を支払うってことになる。

 リボルビング払いを、いま色んな
呼び名で美化しようとして、
信販会社も必死だ。
 要はプー太郎をニートと呼んだり、
出戻りをバツイチ、いったい中身に
変化が起こるのだろうか。

 そう言った、悪意満々のカードを
バイトのニイチャンやネエチャンに
店頭で勧誘させる。
 「年会費無料ですよ」と。
 それで初期設定の条件なんて
説明しないし、大概の人は
カードの契約条項なんて読まないから、
最初の数ヶ月の金利で
年会費なんて挽回できてしまう。

 こう言う日常に潜む欺瞞に、
最近はやりきれない思いで
一杯の日々を送っている。
 
 そう言ういて欲しくない側に、
自分の大切だと思う人だったり
知り合いがいたりすると
余計やりきれなくなる。

 もう少し、善良な市民が
迷い道に入らないような、
期待権に沿ったような信販会社で
あって欲しいと思います。

 需要と供給とか色んな
筋が有るのかも知れないけれど、
事あるごとに税金で補填されているような
親玉がバックにいるクセに、
しらばっくれてんじゃねーぞと。

 

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2009年1月29日 (木)

甲賀

 今日、いや正確には昨日
滋賀県は甲賀に行っていました。

 仕事の関係で、最近ちょこちょこと
出かけています。
 「こうか」って読むのが正しいみたいです。

 帰り、1号線を亀山まで
上って(道は下り)行ったのですが、
土本宿、関宿と宿場町が
在って、オレはいったいこれから
どこへ進んでいくんだろう、とか
ぼんやり考えてしまいましたよ。

 滋賀の辺りを走っていると、
やっぱり京に向かっているのが
上りって感覚がぴったりする。

 むかし江戸の庶民は
東海道を上って
運良く一生に一度
お伊勢参りが出来たかどうか。
 京の都にも、一度行けるか
どうかと言う一生。

 現代は、ものすごいスピードで
何もかもが過ぎて行って、
価値観も心模様も移ろいやすい
けれど、それが果たして
人の一生で幸運と呼べる
ものなのかどうかとか。

 古くから人の往来が
あった地域を往くと、
そんなことばかりを考えてしまう。

 ゆっくりと、歩ききれない。

 

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2009年1月26日 (月)

レースの町、鈴鹿。

 実は出張が明け、
年明けの本社に戻って勤務を数日
すごした後、次のJOBが
直ぐに決まった。

 今度もと言うか、
また三重県で、四日市の
隣町、鈴鹿市が今度の舞台。

 いまの世相から言って、
こうして直ぐに社会から
必要とされるのは
本当にありがたい話だ。と思う。

 少しの間、横浜にいそしむ
心積もりだったけれど、
上記のように次の舞台が
早々に決まった。

 なんだか少し落ち着かないなぁ
と言う精神状態などから、
この週末にかけてエントリー
していたスキーの大会は
キャンセルしました。
 全然練習も出来ていないし。
 今シーズンは、まだ蔵王での
はちゃめちゃな初滑りだけです。

 先週、鈴鹿に行ったけれど、
サーキットの近辺は何もかもが
変わっていた。
 初めて訪れたのが、高2の頃だから
かれこれ20数年前になる。

 あの頃は、サーキットの周辺には
殆ど何も無く、平田町の駅周辺に
ほんの少しお店があったくらい。
 駐車場も、サーキットのグランドスタンド
前のところにでも、
サーキットランド入り口ゲートの直ぐ脇にでも
クルマは置けた。ノスタルジー。

 今年はフォーミュラ1が
戻ってくるので、先週前を
通ったときも盛んに改修を
行っていた。

 筆者のお客さんのところは、
サーキットのすぐ北側にある。

 フォーミュラ1の時は、
もう仕事も済んでいるんだろうけど、
8H耐久の時は凄い混雑で
仕事にならないかも、そんな
ことを考えながら仕事ついでに
出張部屋を探していた。

 ある程度は予測できたが、
有期雇用の契約打ち切りなどで、
部屋はどんどん空きが出てきている
様子。中部地方の落込みは激しい。
(賃料はまだ下がっていないけど・・・)

 こうして旅打ちの博徒の様に
出張に次ぐ出張の暮らしは、
あと10歳も若ければなんの
気にもならない。
 人は「大変でしょう」と言う
けれど、たぶん「大変だ」とか
「苦しい」「そんなものは出来ない」と言う
マインドは、どんどん自分の行く先を
狭めてしまう。
 有期雇用の人達の一部も、
余りにも仕事を選んでい過ぎる
現状が指摘され、
「やっぱりな」と言う心象を
社会に与えてしまった。
 
 「オレはこれしか出来ない」
と言う、言える事は、実は
楽なんだと思う。

 企業がグローバル化を
進めていく中では、
昨日迄は技術系、今日からは人事
なんて言う配置や起用は
ごく当たり前にある。

 実はレースや競技と言う
ものを好んでするマインドには
理由がある。

 レースと言うのは、
もちろん競争相手がいることで
成立するものが殆どなのだけれど、
レースの本質は自分との
競争に他ならない。
 自分との競争に
勝つと言うことは、
Excuseを虱潰しに
していくことだ。
 
 自分の気持ちに素直で
自分に嘘をつかない。
 言葉にすると陳腐で
どうしようもない作業に
思えるようだが、
これは案外いちばんしんどい。

 最初の目標や志が
低くてもいい。
ただ一度それを
やり遂げると、
借り物で無い価値観や
自分だけの言葉を
発することが出来る。
 安易に迎合しなくなるし、
座標軸もぶれずに進める
ことが出来るだろう。

 長い長い2009年も、
ひと月目を過ぎようとしている。

 ララには申し訳ない
けれど、旅に付いて来て
もらうやに。(三重弁)

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2009年1月21日 (水)

ダウンタウンボーイ プアリルボーイ

 今日は実弟に誘われて、
町屋にある正泰苑 本店と言う
店で焼肉を食べてきました。

 率直に言って、美味い。
 そしてこれは東京の良い
ところだが、値段は価値が高い。

 松坂でも神戸でも、
高くて美味い肉は幾らでも
あるが、そんなのはなんだか
当たり前で有り難味が薄い。

 この店は、評判が非常に
高いのだけれど、
「ああせえ こうせえ」と、
その食べ方までも強要するかのような
有名店とは違い、
「放っておいて」くれる、
少々くたびれ気味の都会人には
そんな無関心さが
なんとも言えず心地よい。

 店に入るには、
必ず事前の予約が必要で、
あれもこれもこれも美味しいから、
財布はちゃんと準備して
行った方が良い。

 荒川区町屋。
 都電が走る町。

 東京は深い。

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2009年1月11日 (日)

横浜たそがれへ戻ってきました社会派

 2


 三重県での業務がひとまず終了したので、
横浜の自宅へ戻ってきました。

 1年間と言う期間を長期出張と言う形で過ごし、
三重の部屋にはそれなりの荷物があって、
最初マイカーで済んだ部屋入りも、
結局荷物出しは業者さん頼みになりました。

 横浜は、三重に比べて暖かいなぁと。
 三重は昨年の12月26日に雪が降って、
鈴鹿山脈や滋賀県境の山々の頂は
白くなっています。

 これから少しずつ、横浜での暮らしを
充実させて行こうと思っていますが、
もうあまりモノを増やすのはよして行こうと
考えているわけでして。

 業務執行については、
新年明けて、来年度に向かっていく訳ですが、
来年度の下期まで、まず回復の見通しは
社会全体として立たないであろうと。
(今の政府のスピード感では・・・)
 
 個人的に思うのは、
これだけ人を切り捨てていく中で、
この先景気が回復し、投資が活発化しよう
と言う段になっても、先に雇用を
なんとかしないとね、と言う感情論が
地域でも優先してしまうような気がします。

 派遣・有期雇用は元来から高リスク

 派遣と言うか、全体的な有期雇用の形態で
雇われている側は、この金融危機に乗じて
契約解除が大々的に行われているのだと言う認識は
改めたほうが良いと考える。

 12月で雇用期間満了だから契約解除に
なった訳であり、「便乗」それのみと言うことで
有期雇用の本来の意味合いを、
他の因子と摩り替えるのはどうか、と言う
気がしている。

 あと、会社の寮を契約満了に伴って
退寮後、住む所が無いって言うのは
「貯蓄」が全くないってことなのでしょうか。
 給与がたいそう安いからと言うのは、
余り理由にならない。
 給料が安かったら安いなりの生活をし、
月2、3万の貯金をすることが不可能とは
考えにくい。要は飲んで食って遊んでしまった。

 派遣と言う有期雇用の労働形態は、
正規雇用者に比べれは生活のリスクは
高い訳であって、むしろその働き方の
あり様は個人商店主に近いなと自分などは
考えている。
 ゆえ、そのリスクと引き換えに
正規雇用者とは違ったメンタリティーも
保証されているかどうか分からないが、
そうした働き方を新しいものだとして
少し前のマスコミも随分と肯定的に
報道もし、ドラマの主人公に据えたりも
していた。

 あの「年越し派遣村」に
集ったうちの何人かは徴集が
かかったプロの左派陣営の
茶番であったにせよ、
リアルな人達は少し情けない、
「大人」とはちょっと呼べない
呼びにくい。

 社会に背を向けて、
敢えて派遣の道、有期雇用の
道を選んだのならば、
最後に人の情けや彼らの
大嫌いなお上の施しを受ける様は
男一匹見るに忍びない。

 あと親は居ないのか
と言う話。
 親兄弟その他、世話になる、
厄介になるというのは無理なんだろうか。

 東京なら山谷、大阪なら釜ヶ崎、
そのどちらもが報道するには不向きで
馴染まないけど、結局つまるところは
日比谷公園だってそんなに変わらない。

 自己責任原則とかじゃなく、
そこに居るのはその人の自由なんだと言うこと。

 反面として、ああいう風には
なりたくないと言う作用が
通常の人には働く。

 だからマスコミの乱稚気な報道も
全く社会の害悪と言う訳では無いかも知れない。 

 でも「経済難民」とか
言葉を飾るのはやめたほうがいい。 

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2009年1月 3日 (土)

上品と言う価値のあるもの

 3日の今日は昼近くまで
寝てました。すみません。

 起きて直ぐ、
具合が良さそうだったので、
東京特別区の北西部の
実家そばにある洋食屋へ
ランチに行きました。

 チキンソテーの
マスタードソース和えと言う
のを食べました。

 ここの洋食屋の旦那と
話すのが、ここ数年実家へ帰って
来た時の決まっての流儀になっており、
この日も接客の合間を縫って
旦那が色々と話してくれました。

 この昨今の不景気ネタについては、

 食べ物も、安けりゃ客が残る
って訳じゃなくて、高くても
その値段よりも価値のあるものを
間違いなく出す店は絶対に
客は途絶えないんですよ・・・

 ってな具合で、
職業人がなすべき事の
真理を突いていた。

 やっぱり最近の日本の
悪いのは、マスコミがやたらと
若くてお金を少し稼ぐと
それが最良の善だ みたいな
風潮でもてはやすから。
 皆訳もわからず憧れたりしてね。
 
 で、金の亡者みたいな
訳の分からない脱法や犯罪を
繰り返して、最後は途方も無い
額の保釈金や裁判費用を使って
争う、これが最近の主流。

 いちばん不味いのは、
これらは即席ラーメンのような
ものだから、理念が希薄なんだよね。
 最初は皆も即席の理念に従って
手伝いも悪事の片棒も担ぐんだけど、
そのうちついていけなくなるわけ。
 何でかと言うと、企業理念と言うのは
言ってみれば起業したときの
「青春の夢」であり、ひじょうに
高潔で清冽なものの筈だから。
 これが大した裏付けも無い
ものだと、物差しが「青春の夢」から
金のほうへ移行してしまうわけ。
 
 で、最悪の内部告発若しくは
外部告発で発覚するパターン化。

 筆者などは、10年と言う短い期間
では有ったけれど、
やっぱり幸之助翁の教義を真面目に
考えてきたから、
職業人ないしは経済活動者としては
幸運で有ったように思う。
 迷ったときは、も一度
企業の経営理念に立ち返って
みると言うことが出来ると言うこと。
 これが出来るのか出来ないのかは、
社会の中に常にある企業にとって
結果大きな違いとなる。

 やっぱり人間は弱いものだから、
足場がぐらついてしまうと、
その場その場での対応に終始してしまう。
 当事者である相手へ安易に迎合したり、
「金」とか「楽」「利潤の追求」に
走ってしまう。
 企業だろうが個人商店だろうが、
「儲け」がないと成り立たなくなるのは
当然として、儲けを追求するから
理念を曲げてブレまくっても
良いのか、と言う訳ではない。
 理念と儲けを両立できないのなら、
早晩その事業自体が成り立たなくなる。
 
 両立して初めて上品と言う。

 やっぱり物差しが「お金」だけってのは、
一時は様々なものを凌駕して
短期では勝ちを収めることが出来る
かも知れないけどね。でもね、
 日本人の美学ってのは複雑だから、
そう言うのは「下品」だろってなる訳ですよ。
 
 せっかくお金を掴んだんだから、
そのお金は、
上品に様々な価値あるものへ
再分配して、
下品さから脱却しないと
ダメですよと思うのですが。

 

 

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2009年1月 2日 (金)

入間の今

 007

008


 

 


 2日の今日は、
ここのところ毎年お参り
している青梅の塩船観音寺へ
初詣に出かけました。

 父親のクルマの後部座席に
乗って、まぁ正月くらいは
自分で運転しない日が
あっても良いかなと。
 あと、やはり具合が
本調子ではないし。

 塩船観音は、なんてことは無い
観音寺なんですが、
毎年こうして無事でいられるだけ、
ありがたいってもの。

 その後は入間市に
あるらしい、アウトレットへ
またまた出かけて
AVIREXの革ジャンなんぞを
購入しました。

 やっぱり入間といえば
むかしからブルーインパルスの
模範飛行なんかをする
ところですし、これは
フライトジャケットは
はずせないだろうなとか
なんとか、そんな思惑から
AVIREXの店も入間に
ある訳で、ついつい・・・

 しかし羊革でとても
軽く、縫製もしっかりしており
着ていく程に馴染んで
行くような、具合の良い
ものです。

 それにしても入間も
だいぶ変わったなと。
 むかしは小3で芋掘り遠足へ
来るような田舎だったけれど、
いまや完全に東京、首都圏の
サテライト。凄い、人とクルマ。

 夜はこいつを着込んで、
この6月に結婚した友人を
囲んで、地元の仲間と
飲みました。
 やはり調子が悪いので
あまり大げさには飲めませんでしたが。

 この友人は一生懸命
働く真面目な男で、
社会人になってからは
金のかかる健全な遊びを
随分と一緒にしました。

 筆者が未だに蔵王に
こだわって出かけるのも、
この友人と二人ででかけた蔵王が
何となく思い出されるからかも
知れないし とか。
 ウインドサーフィンを始めた頃は
結構真面目に西湖へ通って
対岸へ流されたりし、過ごしていた。

 その後は彼が先に大阪や
名古屋へ流され、その後
自分が新潟へ流され、
彼も富山へ来たりし、
二人して日本海同盟を結成して
高田や富山で時々は飲んで
遊んでいた。

 そんなことを思い出しながら、
最後はウーロン茶を啜っていた
筆者なのである。 

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2009年1月 1日 (木)

日に新た

 001


005

 


あけましておめでとうございます。

 昨年12月のエントリーは、
なんとたったの一つだった訳ですが、
年の瀬の大須に行って買い物したりと、
仕事を六日間し、週末はそれなりの
感じで過ごしていました。

 仕事関係が例によって
バタバタしていて落ち着き無く
年末を迎え、横浜に帰省後そのままの
勢いで30日、31日泊で予約していた
山形蔵王のリゾートへ出かけました。

 両親とララを連れて出かけ、
自分はスキーをちゃんと真面目に
滑らないと、大会への出場も
危ぶまれるコンディションだったのですが、
なんと胃腸炎感冒に罹ってしまってました。

 31日スキー場へ送ってもらい、
そろりとではなく、いつも通り
ガンガン滑り始めたのですが、
吐き気がしてきてペースダウン。
 時々ゲレンデの脇で吐きながら、
堪えながら滑っていたけど、
とうとうやばくなってサンライズ観光の
リフトハウスで休ませてもらいました。

 感冒すなわち風邪なのですが、
31日は2時間弱であがり、
その後は美味しいと評判の
年末年始特別ディナーも食べれずに
横になっていました。

 年末に風邪で寝込むなんて、
土光敏光さんみたいだな、
とかなんとか悦に入って(ウソ)
 
 だいぶくたびれていたんだろうなと。

 明けて正月は父親に
自分のクルマの運転を任せ、
佐野のアウトレットに寄って
何も買わずにラーメンだけ
途中で食べて東京の
実家に帰ってきました。
 
 具合が悪いと、
購買意欲、消費欲も
希薄になっていくのだなと。

 正月に具合が悪くなったのは、
ちょっと記憶に無いので、
とてもシュールな正月になりました。

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2008年12月 1日 (月)

ラスト クリスマスナイト

 あと数日で1988年が終わろうとしている。

 少年は、品川から芝浦へ向かう車の中にいた。

 すでに陽は暮れて、辺りは猥雑なネオンサインに
包まれ。

 少年は、15分経っても信号一つ通過できない、
都心から少し離れた場所での渋滞に
苛立ちを隠せないでいた。

 この少し先に、猥雑で混沌を極めた
クラブがあった。

 多分、今夜はその場所で、
催しが有るんだろうなと、
少年は渋滞の理由に見当をつけた。

 「田舎モンばっかりだろう」

 少年は東京の北西部に
生まれ育った。

 そんな田舎モンが、都会で
渋滞にハマる自分を尻目に、
我が物顔で街を蹂躙している。

 彼ら、彼女らは通り過ぎ行くだけの存在。

 どうか俺の邪魔だけはしないでくれ。

 少年は心からそう思っていた。
 
 ダットサンのステレオに、
新しいカセットを入れた。

 ロイ・オービソンの
「オンリー・ザ・ロンリー」だ。

 「お前はただ孤独なだけ、ただそれだけ」
ロイは、楽しそうに狂おしいほどに、
よく通る、高音を車中に響かせていた。

 JDサウザーがロイにリスペクトされて、
この後「ユア・オンリー・ロンリー」を
出したんだ。
 

 少年はロイの唄を聴きながら、
JDのことを思い出していた。


 もう我慢が出来なくなっていた。

 本当なら東京の北西部へ右折する
レーンを、少年は乱暴に
左へハンドルを切った。

 橋を渡った。

 船員宿泊所の脇を通り抜けて、
少年のダットサンは通行止の
ゲートをパスした。

 ガントリークレーンの操作員が、
少年のダットサンを指差していた。

 出きるだけ埠頭の先へ。

 
 カセットを変えた。

 フリートウッド・マックの
「アズ・ロング・アズ・ユー・フォロー」

 スティーヴィー・ニックスの
物憂い声が、いたたまれない。

 少年はダットサンを降りて
埠頭に立った。

 東京にも海がある。

 東京は、海に抱かれた街なんだ。

 遠くかすむ房総半島の灯りを
望みながら、

 少年は改めて東京を思った。

 少年は、自分の人生を考え始めていた。

 

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2008年11月 3日 (月)

クルーザーレースは、ちょっとハイソ

2008_002
2008_003
2008_014
2008_0077

 昨日は、予定通り計画通り5:00には起きて
琵琶湖へ行って来ました。

 

 レースは琵琶湖セーリングクルーザー協会、
(略してBSCAビスカ)が主催する、
オータムレガッタと言う草レースです。

 30ftオーバーのクルーザーが
沢山出ており、三連休と言うことも
あってクルーも大勢集まったようでした。
(自分が乗った艇は4名)

 メルゲス24は純粋なレース艇
なので、キャビンやなにかもなく、
はっきり言ってそれなりの風が
吹けばクルーザーに負ける訳がないな、
と考えていた。

 結果は、下りでジェネカーの
威力を発揮して他艇をごぼう抜き。
 一時トップに立つものの、
レースは水物。
 ゴール地点の変更(コース短縮)があり、
気づいた時には賢い他の艇が
新たなゴールマークへ
向かっている時でした・・・

負けレースと分かり
最後、フィニッシュの時は
スキッパーを交代させて
下さりました。

 全体的に微風域の
レースで、神経が磨り減る
じりじりしたレースとなりましたが、
まぁ仕事の間隙を縫って
こんな遊びが出来るんだから
万歳三唱ですわ。
 


 しかしまぁ考えてみれば、
琵琶湖は近畿圏でも指折りの
プレイスポットと言うこともあり、
金持ちと思しき方がうようよ。

 ああいう場所って、
 外車がほとんどなんだよね。

 自分にはレーザーの
ほうが、合っているような感じです。

 ただ、冬は滅多なことで
沈(Capsize)しないクルーザーは
水の中に入らなくて済むので、
体には優しいな、と思いました。

 冬はスキー選手になるので、
どこかで頭を切り替えなくては
いけませんが・・・
 


 

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2008年11月 1日 (土)

初レガッタ

 明日は琵琶湖のワニ浜と言うところで
セーリングクルーザーのレースがあります。

 乗艇するのはメルゲス24と言う船で、
同じレーザー彦根Fのメンバーの方から
お誘いを受けました。
 クルーとしてレースデビューです。

 自艇のレーザー193841ではなく、
メルゲス24だったと言うのは、
考えてみればラッキー。

 あまりプレッシャーが
かからないレースと言うことなので、
明日早起きして出かけます。

 メルゲス24は、
レーシングキールボートであり、
ジェネカーですっ飛んでいく
速い船です。

 今日こちら北勢エリアでも
木枯らしと思しき風が吹いていました。
 明日はそんなに吹かないで欲しいぞ と。

 この連休は、仕事の都合で
明日だけのお休みです。

 暦どおり休めませんが、
絶対に趣味は捨てねーぞっと。

 趣味を楽しめないこと。
 それを仕事の所為には
したくない。
 「趣味が仕事」「仕事が趣味」なんて奴、
アマチュアだと思いますし。

 明日に備えて、早寝しますわ。
 lullabyいらずって事で。

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2008年10月21日 (火)

休みの日

 このあいだの19日の
休みは、約一月ぶりに
レーザーに乗ってきました。
 なにやかや、彦根通いを
空けてしまいましたが、
この日は松原海岸で他の
方々と練習。
 
 場所はちょうど、
鳥人間コンテストの
スタート台の出来るとこです。

 そして帰りには京都に寄って、
スキーを予約してきました。

 京都市中京区河原町
二条上ル清水町と言う
ところにあるのですが、
ナビでも分かりづらい。

 なになに上ル
 なになに下ル

 多分御所を見て
 そう言うんでしょうが・・・

 ちょっと一方通行が多い
京都の街中で迷いました。

 今年からラディウス27mと言う
規格になったので、多分
板も大きく変わると思い、
久々のマテリアルチェンジです。
 エランの板にしました。


 先週は12,13日と
横浜の自宅でのんびり
過ごしていましたよ。
 母親が遊びに来て、
ちょうど誕生日でしたので、
赤い靴じゃないけど
リーガルのアウトレットで
靴を買ってあげました。
 いや、女性モノの靴は、
ああいう系統の店だと
安いですね。
 もうちょっと店を
選んであげれば良かったのですが、
普段履きということでしたので・・・

 いろいろ忙しい奴だな、
と言うご貴兄もいるには
いますが、
「大統領のように働き 王様のように遊ぶ」が
モットー(ぜんぜん最近は違いますが・・・)
 
 早く高速が無料になって、
ガソリンが昨年並みに戻れば
良いのですが。

 それだけでなく、上の
二つが実現されれば、
新幹線も旅客機も安くなるような、
そんな気がします。

 それにしても、
東名高速の90kmしか
出せない貨物輸送トラックの
右側追い越し車線で
安住するあの運転、
なんとかならないのでしょうか。

 90km/hしか出ない車両が
えんえん10kmも
80km/hの車両を追い越すのに
右側車線を占拠します。
 マナー悪すぎですし、
道交法違反でもあります。
 そもそも彼らは追い越し車線を
走ってはいけないはず。

 ララと一身同体でクルマで帰るしか
帰着の方法はないのですが、
毎回毎回東名高速を走るたびに、
この一部の最悪マナー
貨物輸送トラック群には
イライライライラします。
 ある意味彼らは愉快犯です。

 あと、上記に書いたように、
貨物列車による輸送手段が
廃れて来た理由が、運賃の
高騰なんでしょうが、
高速が無料になって、
列車の運行費用が安価に
ならない場合、さらなる
高速道路でのマナー低下が
加速するような気がして危惧しています。

 まぁこんなうすのろ間抜けは
考えないようにして、

 レーザーとかスキーのことを
休みの日は考えていたいですね。
 
 

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悲しみの兵士Les Hommes シルヴィ・バルタン

 Lullaby_003


 ララララララーー
 ラーララララー
 ララララララーー
 ラーララララー

 部屋の壁に貼ったビラをご覧なさい
 失うものなどもう何もない
 そんな男たちの中の一人の姿を

 パンの種を蒔いたつもりなのに
 石ころしか生えて来なかった
 
 彼らの祈りは虚しく
 その拳を握りしめたのだった
 
 そして夜明け共に
 馬に股がり銃を手にとり
 旅立ったのだった
 
 失うものなどもう何もない男たち
 街へ下りてきて、すべてを破壊し
 焼き払うだろう
 
 魂を怒りで満たした男たちは
 戦いの歌、自由の歌を知る

 男は故郷の石の下に眠っている
 しかし彼の名前や顔は
 すべての人々の記憶に刻まれているのだ

 土埃のなか両手をくみ横たわる
 志半ばで倒れた者たち
 
 最期の朝を迎える者たち
 
 その死は決して虚しいものではない
 彼らの名前は銃よりも力強く
 国境を越え生き語り継がれてゆく
 
 失うものなどもう何もない男たち
 街へ下りてきてすべてを破壊し
 焼き払うだろう
 心を怒りで満たした男たちは
 戦いの歌、自由の歌のために

 今日も昨日と、明日も今日と同じ事なのだ

 失うものなど もう何もない男たち
 街へ下りてきてすべてを破壊し
 焼き払うだろう
 怒りが彼らを奮い立たせ
 戦の歌を、自由の歌に変える
 今日も昨日のように 
 明日も今日と同じように

 ララララララーー
 ラーララララー
 ララララララーー
 ラーララララー

 1970年8月フランス


 最初のララララララーの
出だしがなんとも言えない、
フレンチポップス。
 筆者の犬の名前もララです。

 当時人気絶頂で、
ウルトラマンの怪獣の名前にも
パクられたバルタンさんが
この手の歌を演るのが
なんともフランスらしいといえば
らしい。

 フランスも、
インドシナやアルジェでは
結果的に散々な目に
あった訳でして。

 でもこういう歌が、
国民的歌手が歌うって現実。
 まぁフランス革命が
背景にあるんでしょうが。

 日本もアメちゃんの
手先になることは
しっかりと「真相はかうだ」の
番組総括くらいから始めて
それからでも遅くはなかったか
知らん。

 思想がない。
 

 日本人は、民間の
企業からして公務員の
模倣に走るから、
思想=悪 と決め付ける。

 それで思想無しの
独走を許してきたから、
いまこんな有様なんですが。

 公務員の側も、
皆が模倣する我々が正義、
政権与党も、
それを制御してきて俺様が正義。
 政治家の側は、主にそんな
正義と呼ばれるものを、
大衆真理を利用して世襲しようとする。
 公務員の側は、世襲は
あからさまには出来ないけれど、
あってはならない既得権益を
守り抜こうとする。

 いま、それは正義じゃないことが
ようやく明らかにされてきた。

 日本人は惨い。

 おカミ意識とか、
治安維持法の呪縛などからも
いまだに逃れられきれていない。

 ちょっとフレンチポップスを
聞きながら、そんなことを
考えてしまいました。

 写真は三重に長期出張中の
筆者が撮影した伊勢神宮。
 ここのご朱印は、しょぼい。

 

 


 

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2008年10月17日 (金)

絶えず過去へと流されながらも、逆巻く波に向かい滑走する

― SO WE BEAT ON BOATS
  AGAINST THE CURRENT,
   BORNE BACK CEASELESSLY
   INTO THE PAST ―

 ロングアイランド海峡のイーストエッグ
にある いとこの家へ、ニックは招かれた。
 その時、小さなボートでブキャナン邸へ
上陸するのだが、金持ちが乗る
セーリングクルーザーのブームに
自分の頭をぶつけて
中折れ帽子を海へと落してしまう。

 上の英文はフィッツジェラルドとゼルダの
墓碑銘にある「グレート・ギャツビー」の
1文だが、映画の冒頭シーンが
印象的でヨットの滑走としました。
 村上春樹は「舟」としたけど・・・

 『株屋は簿給で大変だろ 
なんか仕事を世話するよ』

 ニックはいとこのデイジーの夫、
トム・ブキャナンからそんなことを
言われる。

 時はローリングトゥエンティの
終わりからロストジェネレーション只中。
 映画の中でギャツビーが、
親の財産が無くなったのは
「大恐慌で何もかも失くしたよ」と、
嘘をついていたシーンを思い出すと、
原作とは少し時代背景が違うような具合。

 浅尾大輔がふざけた雑誌名
「ロスジェネ」を創刊したら、
2008年は本モノの時代みたいな背景に
なっちゃった。

 浅尾の思惑とは正反対だとは
思うけど。

 そんな具合で、
筆者は中学生の頃、
「株屋は簿給」なんだと
勝手に思っていた。

 ハタチくらいの時、
バブル華やかりしき頃、
文系のそれは、
割合多くがこぞって
証券だの銀行だの投資だのの
金融関係の企業へ
競って入社していたものだ。

 そもそも、その
実体のない証券なんてものを
信じてしまうのは、アホが
することだと勝手に考えていた。
 人が幾らそれで儲けようが、
そんなものは天の配剤で
いったら悪の部類に入る訳で、
そのようなことで肥え太るものは
死んだら地獄へ行くものと
切望して止まなかった。

 映画「さらば友よ」の中でも
フランスの保険会社の証券を
バランやプロップは薪代わりに
して金庫の中で燃やし続けている。
 「株券は足が付くから持ち運びできねー」
とかなんとかうそぶきながら。
 つまり信用できるのは
「現ナマ」だけだと。
 人も組織も基本的には
信用しねーぞ と。

 だいたいにしろ、
数年先の儲けを見越して
株購入を勧めるような
株屋は皆無だと思うし。
 そんな先見の明があるなら
恐らくそんな人は株屋なんか
しなくても生活できるはず。

 株屋も金融商品をさばく
輩も、正直言って
経済活動の上では信用できない。
 いや信用したことがない。
 
 それは、言ってみれば、変わらない
持論なのである。

 株屋もバンカーも、
自己資金のうちで
自己完結できる有望株への
投資とかね、それぐらいなら
今みたいな問題は起きていない。

 問題は、
人と世間からかき集めた金が
その他の回収見込みのない
人へ大量に流れて行って
しまってること。
 逆マルチ商法みたいなものだ。

 あとやっぱり
一番惨いのは、
そんな先のことも
覚束ないチンピラどもが、
自分たちで会社や個人の
価値を決めて金をばら撒き、
それに則って集めた人の金を
あちらこちらで流用していたこと。
 こいつらは実体の無いものでの
金儲けは得意で好きなようだが、
人を見る目は全くないようだ。
 

 実体がないものを、
金儲けに目がくらんで
簡単に妄信してしまう。

 サブプライム問題なんてものを
仕組みづくりから始めたような奴は
とんでもない悪人だろう。

 有望株へ投資して、投資先が
見る目の通り発展していく。
 それが正常で、バンカーの栄誉に他ならない。
 でも件の彼奴らは、人を見る目がないから
そんなまっとうな商売なんか出来はしない。

 目的が方法優先に摩り替わった
商売は、いつの世も最後には
大義名分を失って崩壊していく。

 それで自己完結できればいいのだが、
巨悪は善人を巻き添えにする。

 分を知る、足るを知る。

 起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半

 日本古来の美学を、
この巨悪どもに叩きつけてやれ。
 

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2008年10月 4日 (土)

しばらく帰っていない時は

 9/12に横浜へ帰ってから、しばらく
横浜の自宅へも行っていない。

 10/6と12,13日は業務の関係と用事があるので
帰りますが。
 新潟へ転勤してた四年は、
人に貸していた。
 家賃収入もあって、
人が住んでいたほうが
家が傷まなくて良いとか、
そんなことを言われたけど。

 あれは全くのでたらめだ。

 やっぱり、人は自分のものと
思えばこそ、ものを大切にする。
 
 家に帰って、
ひとしきり隠れたところも
見たけど、想像以上に
傷みがあって落胆した。

 

 3週間くらいたって、
自宅に帰ると、
玄関を開ける。

 あって良かったと思う。
 ものなんだけど、
居てくれて良かったなと
考えてしまう。

 人というのは、
自分の望まない
境遇に身を置くのが
常なのかも知れない。

 そういう風に思うのも、
自分にまだ、ちんけな自負心が
あったり、なにものかを
実現できると信じているからだろう。

 充足しきるのは
ほんの一瞬で、
そこからまた新しい何かを
始めていく。

 キリがないのだけれど、
充足して、時が経つのが
平気になってしまうのは
それが老いなのかも
知れないなと、最近よく思う。

 明日は天気がどうあれ
琵琶湖に行ってみます。

 国道306が通行止め。
 なんか解除になったみたいです。
 鞍掛トンネルのとこで、
土砂崩れがあったんだと思うけど。

 冬にはまた通行止め。
 滋賀との県境は
雪に閉ざされる。

 休みの日の306号は、
鞍掛峠の道に入ると
ほとんど車が走っていない。
 筆者のように、ディンギーに
乗るためなどと特別な
事情がない限り、
使う人もいないのかも。

 道路って不思議だ。
 
 1日の経済効果が、
2,3万なら、やっぱり
トンネルなんて作るものじゃない。
 
 

 

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2008年9月30日 (火)

会社員的に、上期(第二四半期)が終わろうとしています

 明日から10月1日です。
 
 思えば昨年のその日は、
転職して初出社の日でした。

 その後1年間の試用期間的な
ものを経て、明日から
「名前のある馬」的な日々が
始まります。
 いや、なんか真っ当で適切な
比喩表現ではないですね。
 アメリカの「名前のない馬」が
好きなんで。つい。

 1年間の試用期間的な
雇用は長いなと正直
思いましたが、
でも途中で辞めて行く
同じようにキャリア採用で
入った同年代の人が多いこと・・・

 生え抜きのプロパーに
出来ないことを期待されている訳ですから、
やっぱりここは異端で行くしかないなと。
 まぁでも極力摩擦は避けていくと。

 本論に入る前に消耗しないようにと。
 まぁ色々考えている訳で。

 エコロジカリークリーンを
コンセプトに、社会貢献していきます。
 マズローが唱えたものの先にある、
自己超越を目指していきます。
 
 かけがえのない地球のために。

 

 しかし麻生さんの施政方針演説・・・
 泣けてくるね。
 みすみす下野を前提に、
小沢さんに話しかけているかのよう。
 
 中山さんも、すでに死に体の
日教組を祭り上げてしまうかのような
醜態。寝た子を起こすなんとやら。

 むかし愛国党の赤尾敏さんなんかが
盛んに「撲滅日教組!」なんてやっていたから、
自分たちのように特定のセクトに
属していない輩でも、日教組が
いったいぜんたいなんなのか、
大体は分かっていた。
 
 今の中学生に「日教組」なんて
聞いてみても何も知らないと思う。

 学生運動崩れの先生方が、
よく分からないカタカナ言葉の
羅列でアジっていたけど、
その実、酒飲み会と大して
変わらない内容で、
自分などは仲間と結託して
カシオのインクリボン式
ワープロを買って、
ビラを刷り、全校に
日教組教諭の悪行を
ばら撒いて糾弾していたものだ。

 別にそれが功を奏した
訳じゃないが、特に都市部での
「日教組」なんて完全に
死に体で弱体化していた。

 ゆとり教育なんてものを
推進している時点で終わっている。
「日教組」は理想を捨て
私欲に走ったのである。

 自分たちが教育出来得ない
未履修分を、生徒もちの費用で
塾へ外注化したということだ。

 それで、本来なら
こんな役立たずの組合は
支持母体を早々に失って
壊滅寸前の打撃を被るべき
ところを、そうならなかった。

 何故って親方日の丸ですから。
 すごい矛盾。
 税金でサボタージュ。
 最悪でしょう。

 基本的には組合活動の範囲で
いくら狼藉を働いたところで
クビになんかならない。
 公務員の暴走に他ならない。

 つまり、革新野党は
日教組からの支持は厚いが、
しかしその実その暴走を
許してきたのは、政権与党である
自公だったということ。

 根幹となる責任の所在を
論旨ずらしで野党へ振るなど、
とんでもない所業ではないか。 

 「日教組」は確かに惨い。
 聖職なんてものとは
かけ離れた組織でもある。

 しかしそんなことは
とうのむかしに分かっていたこと。

 長年、公務員制度改革に取り組まなかったのは
政権与党の緩手ではないのか。
 

 そんな「ゾンビみたいな日教組」の
名前を公共電波で復活させた
中山某。それだけで失職に値するでしょう。

 てな具合でまた脱線しました。

 選挙に行きましょう。

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2008年9月23日 (火)

夜鷹の夢(Night hawk)

夜の闇にまぎれ
僕等 低空で飛び続けた
月は何も知らず
低く エンジンが響いてた

そこにどんな人が
暮らし 笑い合っているのしょう
そこでどんな夢が
生まれ 育まれていたのでしょう
地図に示された 名も読めない町
今夜も 正義を御旗に

生きとしいけるもの全て
焼き尽くす紅蓮の炎(ひ)が
真下に流れる
予定どうりに機首上げて
弾薬庫の蓋閉じて
勝利の旋回
何も 見ない 何も 聞かず
何も 何も 何も 何も

まるで祝うように
花火 ささやかに打ち上げてる
怒り 嘆き 悔やみ
そして 憎しみを受け止める
朝日より早く まぶしい光が
突然 ガラスを砕いて

生きとしいけるもの全て
同じ色 真紅の血が
胸から流れる
力なく握る操縦桿
振り向き叫んでみても
誰も答えない
月が 遠く 霞み 消える
母も 父も 友も 君も

生まれた国が違うなら
こんな砂漠の朝焼け
見ずに生きてゆく
暁の空に夜鷹が
はぐれてもう戻れない
流れ星になる
生きとしいけるもの全て
同じ色 真紅の血で
命を 育てる
どんな正義をかざしても
流れ出る真紅の血を
止められはしない
夢を 見てた 長い 夢を
長い 夢を 長い夢を

夜鷹の夢
作詞:Saiko Kawamura
作曲:D·A·I
编曲:Do As Infinity
And Seiji Kameda

 この楽曲は、湾岸戦争で
人殺ししていた米兵をモチーフにした唄らしいです。
 夜鷹って言うのは、江戸時代の
街娼のことじゃなくて、
ナイトホークって言う爆撃機のこと。

 反戦歌と言う向きも
ありますが、真面目に
聴かないと最初
「勝利の旋回~」しか
耳に残りません。

 あとアニメのOPで
使われたらしいですが、
そっちのほうはじぇんじぇん
知りません。

 この唄の残念なところは、
題名と、最後に「夢を見てた~」と
しているところ。これ最悪。
 伴ちゃんもダメダメだね。

 まぁこれは悪夢なんでしょうが。
 殺してる側が悪夢なら、
許されるものではない、免罪符に
なる訳じゃない。
 殺された側はなにも語れない、
ってことを忘れちゃならんですたい。
怒り心頭。

 UNFORGIVEN 許されざるもの
 
 人間は許されざれるものだよ って、
最初からそういう入り方したら
唄で贖罪を求めるなんてことは
出来ないはずですばい。
 しかも戦争に行って人殺した側が、
なにを言っているんですか あなたは。
怒り心頭。

 この間NHKでもやっていましたが、
兵士たちはどうやって戦わされていたか、
そんな番組。
 もうなんていうか 戦わされていたか って
くだりがNHKの意図を物語っている。

 ああいうのは、
人間の意思能力を
否定しているようでおかしい。
 人間は、やってはならない
ことを理性では自覚できるはずなんだよ。
 それがつまらん経済的な援助、
奨学金欲しさに魂売り渡すアメリカ人ども。
 もうこれ最悪。

 WW2とかVietnamの頃と
大きく違うのは、兵の数。
 今だったら、
兵役終わって、ほぼ無条件に
大学に通わせてもらえる とか。
 そういうなにか大きな見返りが
あるから戦争に行くわけで。
 別にアメリカ人に実態的な
生命の危機が及んでいる
訳じゃない。

 それで人殺してきて、
帰還して、
悪夢にうなされて、
アル中になって殺人だの
暴力に走るなんてのは、
最低最悪。
 で、NHKもそう言うの肯定して
反戦を煽るって手法。
 ちょっとおかしい。

 罪を憎んで人を憎まず
なんてのもちゃんちゃらおかしい。

 罪を犯すのは人に他ならない訳で。

 人を殺したら、それを一生背負っていくと
いうことを忘れてはいけない。

 アメリカのああいうやり方は
納得できない。
 忌避だって出来るわけだから、
何かと引き換えに戦争に行く
兵士の側だっておかしい。
 
 考え方としては、フランスの
外人部隊のほうが分かりやすい。
 戦争が職業だよ と。
 それを肯定するものでもないが。

 アメリカ人だって、つまらん援助を
断って、皆で逃げ切れば
兵の数が足りなくて大規模な
戦闘なんてできないんだよ。

 反戦歌とか反戦映画を、
侵略戦争に行った側の主観から
やるのはおかしい。

 Cイーストウッドも、
許されざるものやミリオンダラーベイビーまでは
良かったけど。
 硫黄島の映画はダメだった。
 
 両方とも、え なにが?  
そんな感想しかない。

 ちょっとそういう視点での
なにかが多くておかしいと思っていた。

 犯罪者の側から立って、
報道するようなのもおかしい。
 
 
 

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ファストカー(トレイシー・チャップマン)

あなたは速い車に乗ってる。

どこでもいいから
連れてってくれない?

どこだっていいわ

新しいなにかを始めて
失うものなんか なにもないんだから

でも なんとかなるわ
はっきりとは言えないけど

あなたは速い車に乗ってる

この町から出て行きたい

ずっとコンビニで働いていたから
お金なら少し持ってるわ

そんなに遠くじゃなくてもいい

国境を超えて、町に入って
二人でなにか仕事を見つけて

そこで生きる意味を見つけるの


あなた見たよね
あの年老いた父親には問題があったの

父親はお酒ばかり飲んでた
働くには年を取りすぎているとか言ってさ

ずっと 若いって言ってたけど全然

ママはそんな父を捨てて出ていったわ

父親は何も与えてくれない人

誰かが父を世話しなければならなくて
結局私は学校を辞めた


あなたは速い車に乗ってる
飛ぶような勢いで走るのよね

ねえ
今夜ここを出るか
それともこのままここで死んでいくのか
はっきりしょう

走ったよね
ものすごい速いスピードで
町の光が目の前に広がって

あなたの腕 肩越しに優しかった
私はあなたと一緒に居れば
生まれ変われる気がしてた


あなたは速い車に乗っている
楽しまないと


あなたはまだ無職のまま

私がマーケットのレジ打ちするわ

いつかうまくいったら
こんな暗いところから抜け出して
郊外に大きな家を買って住もう


あなたは速い車に乗ってる
私が借金払い終わったら
遅くまで飲むのはもう止めてよ

それよりも友達と会ったほうが良いわ
今より良くなって欲しいと思っている
二人ならきっと上手くいく

まだどこに行けばいいのか分からないけど
とりあえず走り続けよう

あなたは速い車に乗ってる
この場所を飛び立てるくらい速いのかな

今夜ここを出るか
それともこのままここで死んでいくのか
はっきりしよう


 

 いやめちゃめちゃ暗い唄です。
 高校生の時に初めて聴いて

 飲んだくれの父親と
母親は結婚して
私を産んだ
 
 で、私の男もだらしない
 速い車は持っているけど
私の金をあてにしてプ~太郎
 おまけに飲んだくれ

 あの頃はバブル華やかりしきころ
だったから、そんなでも無かったけど
今だったらもっと流行すると思うな。

 でも、この唄の中の
人たちを評してどうこう言うのは
どんなんよって感じ

 業務執行の関係で
地方ロードを繰り返してるけど、
結構似たようなのが
そこいらじゅうにあるよ って。

 暦どおり休んでいる人が、
格差社会とか言うな。
 それは幸せなことと思え。

 そんな矛盾をはらんでいるにも
関わらず、
自分を恵まれない陣営に
紛れ込ませて 嘆くのはよせ。


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2008年9月 1日 (月)

レーザー8/31 彦根

 20080831_002


 北勢から近江にかけて、
8/31には雨もやんで
具合のよさそうなコンディション。

 筆者の住む、三重県菰野の田舎から
国道306号で、滋賀県は彦根に向かう。
 シタ道、国道の峠越で約1時間ちょい。

 なかなかな峠道で、夜になると
攻めにくる若者やおじさんも沢山いる
ことを物語る、路面のブレーキ、ドリフト痕。

 筆者はおとなしく山を上がり下がり。
 冬には通行止めになるので、
その時は関が原経由になります。

 誰も出ていない浜ですが、
微風域なので一人で出ていきました。

 ここは、滋賀大経済や彦根工業の
艇庫もあります。
 練習休みだったり、遠征に行っていたりと、
本当に誰もいない浜。

 個人競技のマインドとしては、
誰もいないほうが、こう言うコソ練では
落ち着いたり落ち着かなかったり。

 一人で艤装していくんですが、
まだまだ慣れないや・・・

 セイル、マスト、ブーム、ブームバング
アウトホール、カニンガム、
ラダー、ティラー、ティラーEx、
センターボード等など。

 レーザーはシンプルですが、
ただのプレジャーボート乗りには
当然理解できない。
 やっぱり最初は、誰かに教わる。
 

 筆者はウインドをしていたのが、
だいぶ役に立った。

 アビームの練習。正面から風を受けて
艇を横に走らせる。ひたすら繰り返す。
 時々あっちゃこっちゃに振れる。
 真っ直ぐ走らせる練習を、ひたすら繰り返す。

 微風なんで、だいぶ落ち着いて
練習できた。
 ティラーの扱いも、感覚がつかめた。
 でも強風で波が高いと、
ヘルムがあって、また大変なんだと思う。

 レーザーセーリングは、何気に
全身運動。辛いけど気持ちがいい。

 デッキ上で動きがあるので、
膝まで隠れたパンツが具合よさそう。
 やっぱりハイキングパンツは
有ったほうがよさそう。

 色々なことを考えながら、着艇。

 一人でもなんとか船台のうえに。
 微風域ならでは。

 でも二人いたら、それに越したことは無い。

 シングルハンダーとは言うものの、
行動の基本は最低二人かなと。
 
 人として。

 上がってきて、フーフーしていたら、
フリートのキャプテンが登場してくれました。

 またここからヨット、セーリングの話。
 うちのキャプテンは理性的で、
少し気の短い筆者とはバランスが丁度良い。

 片づけして終了。

 来週からは、すこしハーバーも
活気付きそう。


 

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2008年8月25日 (月)

終わらない夏

Lullaby_034
Lullaby_033

003_2


 どーも。

 急に涼しくなりましたが、
またぶりかえしとかあるんでしょうかね。

 夏休み中に、パフォーマンスセイルクラフトジャパンへ
レーザーの新艇を受け取りに行きました。

 うちの母親へ、このブログを読んでいるらしい
弟君がそのことを話したらしく、
ごちゃごちゃ言われました。
 心外です。

 安住の地に滞在できない
身の上なので、新しいことを
始めでもしないと犯罪に走る恐れがあります。

 まぁそれは冗談だとして、
別に自分の金で、趣味に走って
ごちゃごちゃ言われるのは心外ですよ。
 本当に。

 そんな金が有るなら、
どこかもっと広い家に移れ とか
母親は親心で勝手なことを
言っていたけど、今だって
一人で住んでいる家だから
十二分に広いし、だいいち
生涯の伴侶も見つからないのに
何をかいわんや って感じです。

 それ以前に業務執行の都合で
横浜に住めないなんだから、
横浜に今よりも広い家を建てたって、
そりゃ無駄ってものです。

 こんな話は、
生活と言う うすのろ って
感じがして、嫌ですね。


 まぁつまらない話はおいてですね、

 パフォーマンスでは、逗葉Fの粟野選手に
セッティングを教わりました。
 ここで、はたと気付いたのは、
やっぱり新艇で良かったなと。

 どこか訳の分からない店で中古を買って、
そのブツの新品の状態や、いわゆる
スタンダードな状態などを知らずに
新しくスポーツを始めるのは不幸だ。
 これは持論ですが。

 新品で、しかも名選手の手による
セッティングは、なんにせよ、
古くなったり、上手く走れないなどの
状態に陥ったときの指標になる訳だ。
 元に戻って考える と言うか。
  
 これが中古で、セッティングも具合良くない
ブツなんかだと、どれを指標にしていいか
まったくもって混乱に陥るし、
だいいち、遅くて、速く走れないのの
言い訳になってしまう。
 個人競技だと、 
どんな場合であれ これが 最悪だ。

 言い訳って言うか、あきらめと言うか。

 やっぱり、個人競技の重要な
マインドとしては、あきらめたり
言い訳になりそうなネガを消していく。
 つまり他人との競争ではなくて、
自分とのレースに勝たなくてならない。

 用具、マテリアルの重要性は
スキーを続けているから承知している
けれど、板や艇と言った、
結果的に命を預けてるものには
信頼性の高いものを使用して
行きたいなと思う。

 船だと、自分だけのセールナンバーって
結構、重要だと思いますしね。

 昨日は、彦根Fの方々に
歓迎会を開いて頂きつつ、
進水式を行ってきました。

 涼しくなったことが原因か、
低気圧が停滞していて、
琵琶湖は地元の高校生が
「この季節ではごく稀」と言う
うねりと、6~8mの風。

 ビギナーな筆者は、
フリートのキャプテンに同乗して
もらって、琵琶湖 彦根エリアの
帆走を教えてもらいました。

 うねりと波がきつかったので、
ラダー操作が難しい。
 ティラーと言うハンドルのような
もので操作するのですが、とってもクイック。

 水は怖くなく、体力もなんとか
なりそうなので、少しずつ慣らしていきます。

 琵琶湖 彦根って海よりもすごい
感じの波が入ってきて、
平らな海面って感じではない。

 でもロケーションがなにより最高。

 風が強くて出れそうになくても、
画像にあるような草原のハーバーなので、
ものすごくリラックスできてしまいそうです。

 そんな感じで、
夏は終わらない。

 感傷的には、なりたくはないし、
そんなものはガラじゃない。

 新しいものに毎年ひとつ
チャレンジしていく。


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2008年8月12日 (火)

彦根にしました

 001
 
 10日に琵琶湖の付近をまわって、
艇を探しました。

 地元のレーザーフリートのキャプテンに
お世話になり、色々お話を伺いましたが、
なかなか現役レーサーの人が乗っている
具合のよさそうな艇の話は出てきませんでした。

 もう腹を決めて新艇に行くしか
ないかなと。

 翌日レーザーのビルダーへ
連絡してオーダー。

 全くの初心者なのに、
いきなりの新艇。
 うひゃ 俺らしい。
 真剣に、愛情注いで
取り組むっきゃない。

 フリート、保管庫なども
琵琶湖畔の彦根某所に決めて
三重まで峠超え1.5Hで帰りました。

 ほんとうに直ぐ近くに
井伊大老の居城であった
城が見えて、雰囲気最高。

 近江の人も言葉も
なんだか少しはんなりで良い。

 しかもキャプテンは自分が
かつてお世話になった
企業の側の人でした。
 考えてみれば、三重は中部で、
滋賀は関西。
(ひとくくりにするのもあれですが)
バックトゥザ関西って感じ。
 
 キャプテンは、実績ある方なのですが、
全く偉ぶらないところがなんとも素敵。


 あと彦ってつくのが良いです。

 自分の名前も○彦なんで、
縁を感じます。

 明日から日曜まで休みの
予定なんですが、
ちゃんと休めるか・・・不安視

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2008年8月 4日 (月)

ヨットマン(仮)の憂鬱

 三重県は河芸、鳥羽、そして琵琶湖にも
行ってレーザーを探してきましたが、
取り扱ってなかったり、譲れるような
艇が無かったり・・・

 あっても、そこの管理置き場に
保管するのが条件で、そう言うとこは
艇はタダかタダ同然、保管料が少し高め。

 筆者が真鶴の岩港に、
ヤンマーFX24というボートを
置いていた時は、陸置きで
2万円/1フィートだった。
(年々値上がってて、最後は3万くらい)
 だから毎年最低でも60万弱はかかる訳で、
ディンギーのシングルハンド艇を
ロケットと呼ばれるラックに
葉山や逗子で12,3万払って置くのよりかは
だいぶ維持費がかかる。
 さらにボートは上げ下ろしにも、
幾らかの費用がかかる。

 港は基本的に漁師のもの。
 日本の海を取り巻く権利関係は、
入会(いりあい)権のあった江戸時代に
さかのぼって、殆ど進歩していない。
 漁師はお上に鑑札代を払っている。
 だからお上から許可を受けた、
海は漁師のもの らしい。

 

 ディンギーは、艤装からして
乗る人が出来てしまう範囲なので、
はっきり言って、売った後の
ショップに旨みは少ない。

 マリンショップやハーバーが、
30フィート楽々オーバーの
ボートやセーリングクルーザーを
扱いたがるのは、そりゃそっちのほうが
儲かるから。
 保管料と内燃機、ペラ等のメンテナンス。
 係留艇なら喫水部の防錆・防貝塗装。
 年に何回か乗る程度の人が殆ど。
 でも横浜ベイサイドマリーナなら、維持費で
中古の程度良いメルセデスSが買えてしまう。

 日本の海岸線は、走ってみれば
よく分かるけど、単調でつまらない。
 
 景勝地では岩がボコボコしていて、
気持ちよく走ることなんて出来はしない。

 それで最後は結局釣りに流れていく。
 釣りぐらいしかすることがない。

 のんびり派以外は、ウェイクボードなどに
挑戦している。でもこれだってそんなに
楽しい感じがするものでもない。

 やるなら、潮っ気のない湖でやったほうが
気持ちがいい。

 

 ディンギーはまだ少し可能性がある。

 三重に居るうちは津において、
横浜に帰ったら自宅に保管、
カートップで持ち込む。
 
 年に保管料だけで12,3万円も払うのは
気が引ける。

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2008年8月 2日 (土)

蜘蛛の糸を、身にまとい

 道や公園を、ララと
一緒に歩いていると、
必ずと言ってよいほど
蜘蛛の糸の洗礼を受ける。

 新潟は上越にいたときも
そのようなことは度々有った。

 湿気がすごいから、
道の真ん中を歩いていても、
そこには蜘蛛の歩道橋が
かかっていたりする。

 ここ三重県は菰野エリアも、
例外なく蜘蛛の巣がそこかしこに
発達している。
 
 頭とか顔に、蜘蛛の糸が
からまって気持ちの良い人って
いないよね。
 いつもいつも「うわ゛わーーー」って感じ。

 この蜘蛛の糸にからかわれ始めると、
田舎に来たな~と思うし、
都会への郷愁に襲われる。

 そんなに蚊がいないのが、
せめてもの救いだ。

 ただ、コガネムシやら毛虫、
カミキリムシ、セミ、蛾、かとんぼ、
ありんこ、筆者が住む、マンションの
廊下にある外灯めがけて、
夜には集まってくる。

 最近は近所からの苦情で、
この外灯は外してしまったみたい。

 都会のそれのように、
ブラックライトの外灯に
変えればいいのに。
 そう単純に思うけれど、 
田舎の人は、
そう言うのがあることを知らない。

 あと、基本的に涼しくなれば
虫たちも居なくなるだろうから、
外灯の問題は、
いずれ時間が解決してくれる。

 地方都市に住むと、
こういう「時間が解決」みたいのが
非常に多い。

 これは基本的理念が
変化を望んでおらず、
ゆえ、50年以上も長きに渡って
保守政党の一党体制を支持してきた。

 民衆のマインドがあるからこそだ。

 でも、既に役人が散在して、
使って無くなってしまったお金や、
どうしようもない少子化問題、
暮らしやすくなろうと、或いはしようとする
積極性に欠けることは問題だ。

 それなりの施政で満足することに
慣れきり、どうしようもない状態でも
変化を望もうとする強い心は生まれてこない。

 なぜかなと。
 たぶんそれを成すには、
すごい摩擦が生じて疲れるから。

 ものすごい数の言い訳と、
虫たちの累々たる死骸。

 印象的。
 

 

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2008年7月21日 (月)

日光を見ずして、けっこーと言わず

 この連休は日光方面に行ってました。
 
 毎度おなじみ、両親とララと一緒に。

 ちょうど三重や東京・神奈川が
暑くなって仕方がない時期だったので、
丁度良い避暑になりました。

 最近は寺社仏閣に行っては
朱印記帳してもらっています。

 東照宮手前の寺院で厄払い。

 1時間近く。長くてとっても
ありがたい感じがしました。

 あとで写真を載せますんで。

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2008年7月13日 (日)

怨念のヨットマン

 現在レーザー級と言う、
一人乗りのヨット(ディンギー)を
探している。 

  
 水泳でレーザーレーサーと言う、
日本なら富山のゴールドウインが
製造しているらしい水着の話ではない。

 三重県内や、ヤフオク、
神奈川でも探してはいるが、
「フリートの仲間」や「置き場」の
関係性が壁のように感じられて、
なかなか近づけない。

 パフォーマンスセイルクラフトジャパン(PSJ)と言う
ところがハル(船体)を作っていて、
ここで新艇を買えばなんてことないけど・・・
 少しだけ高い・・・ほんの少しだけ。
 でも、新艇買って、津の堤防に
置いてしまったほうが、なんだか
すっきり行きそうな気がしている。

 レーザー級のビルダーは、国内に1社だけと言う
決まりがあって、日本だと上記のPSJが該当。
 筆者の地元に程近い神奈川は綾瀬にある工場が
そのアジテーションポイントのようです。(略してアジト)
 PSJの社長が、現在日本でも最強かつ北京にも
選手を送り出すレーザー逗葉フリート(船団やチームの意)
の創設者との情報を頂きました。
 飯島洋一選手のことはよく知りませんが、
日本の税金を使ってチンタオに乗り込んでいるんだから、
日本のために恥じない成績を期待。
 国際ランキングなど考えずに、
緑藻で満杯のコースにて優勝を狙って欲しい。
 
 はっきり言って「自分のために」とか、
「自分が納得できれば」なんて温くて
甘ちょろいメンタリティーの選手は、
どの競技でも五輪なんか出なくていい。
 五輪は多くのアマチュアヨットマンの
延長線上にあるものではない と。
 それぐらいの気概で臨んで欲しい。
 

 ところで、この一人乗りのヨットは、
シングルハンダーやキャットリグと
言って、一人乗りだから、もう一人二人と、
クルーを探す必要は無いから、
ある意味ではそこのところが気楽といえば気楽。

 社会人になって、同好の士、
しかも同じ艇に乗る人間を探すのは
とても大変なことらしい。
 たとえば新艇で数百万する、五輪で
再三再四にわかに注目されてる470級だって、
それがジャパンや企業から提供される
船だからこそ成立するクルーとスキッパーの
ヒエラルキーであって、
これをアマチュアが全て自前で
しかも全てを折半でなんてやっていたら
二人組みのチームを組むことは難しい。
 そんなことが容易に理解できる。
 
 船関係。
 置き場代がとにかくかかる。
 筆者が30代前半に、真鶴の岩港へ
24フィートのディーゼル船を陸置係留していた時
だって、数年後結局手放した理由は
係留費用の何年間かでもう1隻の新艇が
手に入ってしまう莫大な支出と、
そこから手に入る何ものかを
考えてみてのことだった。


 ゆえに何百人もの関係者を必要とする
「アメリカスカップ」とその挑戦艇決定戦は、
「海のF1」とか、男の史上最強の贅沢とまで
言われているのである。
 いや、最近は男だけの贅沢ではないみたい。
 
 レーザー級と言うのは、一人乗りで
構造もシンプルな分、その体力や
タクティクスなどがもろに出てしまうクラス。
 ゆえ、日本人のように道具を器用に
使いこなすと言われる人種には
有利なクラスではない。

 国内限定ならば、ヤマハのシーホッパー
を含むクラスが国体シングルハンダー級として
認知されている。

 とまぁかくかくしかじか・・・

 レーザー級にしろ、
なんにしろ、競技ヨットの世界は
学生の頃に始めた人が、レース
成績上位者の大多数を占める。
 ディンギーなんて貧乏人が
乗るもの、なんて言っては見ても、
筆者のように学生時代に触れる機会すら
無かったような門外漢には、
その場所に行けることが
贅沢だったんじゃないか、と
問いかけたい心境あり。

 ヨット含むセーリング競技はマイナー。

 で、やっぱりマイナーなのには
それなりの理由がある。
(それでも始めようと思うけど)
 やっぱり乗っている人が、
割合変人が多い。
 人格者の人が少ない分、
普通の人も凄い目立つ。
 それぐらい、変人の人が
多い感じがする。
 
 一人乗りのヨットなんて、
競技スキーと同じように、
その人が自分で考えて
色々戦略を練ったりトレーニング
すれば余程楽しいはずなのに、
みんなでいじりあっている。
 置き場の関係とか、それで
利益を得ようとか、そんな絡みも
有るんだろうけど。

 個人競技なんて、
「他からとやかく言われるのは嫌」で
「出来るだけ放置の方針で」って
奴の集まりのはず。
 無理して「ごっこ」を
しかけるから、それに馴染めない
「個人競技者」は離れていく。

 だいたい自分も選手なのに、
他の初心の人なんか面倒見るのは
御免こうむりたいのが、選手の心情。

 小松一憲さんと言う、長年
日本選手の面倒を見てきた
1流のヨットマンが単独で
トレーニングをしていた背景が
純粋で「らしい」スピリッツを
感じさせる。

 なんでも、江ノ島と館山の
往復を単独で繰り返していたとか。
(フィン級ヨットで)
 海上で操艇を教えてもらったのは、
たったの1回だったとか。
 
 そこに置き場やフリートの
しがらみは概念として存在しない。

 ただ純粋に楽しめばいい。
 
 そういう風に考えている。
 先輩面して、いろいろ
言ってくるおっさんどもは
完全無視、徹底放置。

 

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2008年7月 6日 (日)

三重エリア雑考

 しばらくぶりのエントリーに
なりますが、元気ですたい!

 タイトルの通りの雑考数点を、
気になったところから。

 ・駐車は頭から

 これはどこの地方都市に行っても
大概当てはまるのですが、
特に三重県北勢エリアでは顕著。

 駐車するときに、必ず頭からがデフォルト。
 それも雑に、斜めに、白線の真ん中とか
そんなことはお構いなし。
 
 それでバックで車出しするもんだから、
混んでいたり、狭い駐車スペースでは
訳の分からない駐車場渋滞必至。
 観光地に行って、県外ナンバー車が
理路整然に駐車していても、
それをあざ笑うかのように、
頭から突っ込み、しかも斜め、隣の車との
車間などアウトオブ眼中(古い!)
 とどめにはドアを隣近所にぶつけまくって
車から出入り。三重ナンバー史上最強!!!

 勘弁してくれー

 ・とんかつはミソ 汁は赤だし

 名古屋が近い北勢エリア。
 朝から晩まで赤だし。
 インスタントも赤だし多し。
 とんかつはミソのソース先がけがデフォルト。
 ふつうのとんかつソース、ウスターが
好きな人は、「ソース抜き」で注文しないとダメ。

 ・トンテキって知ってる?

 豚肉バラとかモモのぶつきり。
 にんにくとしょーゆのタレが決め手。

 ・女の子の背が低い

 よく分からない。混血渡来の人が少なくて、
縄文時代からの古くからの大和人が多く住む
土地柄からか。
 ふつうに140cm台の女性多し。

 ・菰野高校 甲子園出場

 筆者の現在の仮住まい、
三重県で朝明高校と1,2を争うと言われる
らしい低学力レベルの高校。
 ちなみに筆者と交流がある元先生は、
三重県下一と言われる四日市高校の
元校長先生。

 自分が仮に住んでいる町の高校が
甲子園に出るなんて、考えてみれば
滅多に無い確率。
 ただ、文武両道じゃないらしいので、
そこは残念。

 つづく

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2008年6月14日 (土)

蟹工船やロスジェネと、浅尾大輔

 このあいだテレビを見ていたら、
全労連オルグ・国公一般書記次長で(元?)
雑誌ロスジェネ編集長の浅尾大輔が
出演していた。
 この人は文士なのだと言う。

 最近は左翼も新左翼も、右傾化の
波に押されて全くと言ってよいほど
目立たなくダサい存在で、
浅尾某のことも、筆者は知らなかった。

 浅尾某は、世間の評価によると、
「現況の非正規雇用のありかた」について
舌鋒鋭く批判しているのだと言う。
 国公一般の労組専従らしかったので、
多くの恵まれない、公務員の中で
働く非正規雇用者を見てきたのだと
自負している。

 笑っちまいます。そして、

 ちょっと待てと言いたい。

 浅尾某が支援している対象者は、
ホワイトカラーや大企業で働くことに
固執したり、自己実現だかなんだか
知らないが、自分の好きな仕事に限定して、
職探しをしていまいかと。

 自分の能力や、来歴を顧みずに、 
無理、無茶な望みを持ってはいまいかと。

 職種さえ選ばなければ、
正規雇用の道は幾らでもある。
 
 その会社は大きなビルではない
かも知れない。
(そりゃ大きなビルに出社して、
夕暮れ時に大きなビルから出てきたほうが
格好がいい)
 いわゆる3K職場かも知れない。
 汚い作業着での業務執行を
強いられるかもしれない。
 搾取の色合いが濃い、
職場なのかもしれない。

 給料、福利厚生はそこそこだとか・・・

 だが、そこからしかスタートがきれない
身の上なのならば、
その場所から自己変革を試みて
日々挑戦の日々をおくれば良いのだ。

 朝日新聞含めこの新左翼のばか者どもは、
呪いのすべを若者に吹き込んでいるだけだ。
 まったく生産性がない。
 そもそも生産性の低さから、
アカの理論と国は崩壊した。
 その矛盾に気づけないのは、
もう愚の骨頂としか言いようがない。
 汗まみれ、泥まみれになって働き、
早朝と深夜に研鑽を積むものを尻目に、
集会だの交渉だのに執心ならば、
一生涯呪い節の無限ループから
抜け出ることなど出来はしまい。

 
 小林多喜二や日本共産党に対して
頭にくることは、自分らは綺麗な
服装で人前に出てきて、
労働者の親玉みたいに
振舞うことだ。
 人民服とまでは言わないが、
作業着でおおっぴらに
振舞えば良いではないか。

 小林多喜二の、想像の世界でしかない
蟹工船が売れていると言う。

 今のアカの手先どもは、
自分を危険の及ばない場所に
おいて交渉だのしているだけ。
 労働者の側にいても、
その実は労働者ではないから、
まったくこの手の人種を
信用することは出来ないな。

 交渉なんて甘っちょろいもの。
 すべて実現されなけば
意味がないとされる、
実業の世界で、交渉なんて
甘美なものは賞賛に値しない。

 小林は拷問死で自己完結した分、
まだ救われている。
 転向しなかったわけだ。

 
 蟹工船が流行っているとか、
新左翼陣営のアジに過ぎない。
 もうそれくらいしか、戦うすべが
無いと言うことでもある。
 これだけモノがあふれ、
豊かになった国に住むのだから、
現在ある労働の不幸を持って来ても
少数派でリアリティーがない。
 大衆に訴えかけるネタが
現在どこにも見当たらないから、
「蟹工船」なんて遺構を引っ張り出して
不幸な身の上ごっこを仕掛けているのだ。
 

 非正規雇用者たちよ、
今の職場に不満がありあり
と充ちてきたら、
 
 服は汚れ、体を濡らし、
穴を掘れ。山を削れ。
 水を貯め、流せ。
 火を燃やせ。
 魂を打ち込めて働け。
 口汚いジジイどもに
罵られ、殴られ、脅されても
けっして諦めないで行け。
 
 お前たちが不満なのは、
せいぜいが、その立場だけだ。
 だから周辺が騒がしいだけで、
真剣で真摯な活動自体と、
その広まりが見えてこない。
 
 本当に不満があって、
怒り心頭しているとは思えない。

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2008年6月11日 (水)

考えさせられる、絶望工場

 前々からこの記事には検索履歴が多かった。

 ここへ来てまた増えているので、
なんでかな?と考えるまでも無く、
関東自動車工業へ派遣されていた
ワーカーが起こした秋葉原での殺傷事件が
思い起こされた。

 自動車絶望工場・・・

 なんて凄い、
キャッチーな題名なんだろう。
 鎌田さんは、この部分は天才的だ。

 言うまでも無く、関東自動車工業は
トヨタの車両を製造している企業だ。
 カイゼンだの、かんばんだのが、
工場内をそこいらじゅう闊歩しているに
違いない。

 季節工ではなく、派遣形態。

 でも、事件を起こした男が言う
ところの「6月でクビ」のくだりを
考えると、本当に派遣なのかと言う
疑問も沸いてくる。

 もともと一人勝ちの構図を
作り出している時点で、
富む側と貧する側との格差が
どんどん開いて行く様な
ストーリー仕立てのトヨタ関係の話。

 企業の購買と納品メーカーとの
戦いを、正当にクローズアップしたような
記事が少しでもこの世に出たことが
有っただろうか。
 広告代の問題もあって、
マスコミ各社も二の足を
踏んでいる状態が、ここ
30年余続いている。

 正当だったら良いのに、と
何度思ったことだろう。
 実際は正当でないから、
記事になりにくい。
 全く世の中の仕組みとは
逆行する仕組みづくり。
 世の中のクリーン調達などの
流れとも相反する仕組み。

 工場のワーカーがどんな
仕打ちを工場の側から受けようが、
起こしてはならない事件であることを
前提に考える。

 言ってはなんだが、
工場での仕事は、きっと
非人道的なワークが日々年々
継続されて来たに違いない。

 だって今も絶望工場のままだから。

 有産者と無産者の縮図が
今の自動車工場や自動車産業と
言って差し支えない。

 モノ一つの値段が高いから、
このような構図は利権の塊のようで、
容易に格差が浮き彫りになってくる。

 底辺の側から見たことがない。
 筆者も。

 だから底辺と呼ばれる側からの視点や
ものの考え方は出来やしないが、
上流の側が何を考え、何をしているのかは
だいたい想像がつく。

 我慢できない何かを、
これら自動車工場のワーカーは
潜在的に持っている。
 そうやって安い賃金の労働力に
特化してこだわるリスクは、
本来なら自動車産業にはないはずなのだが、
絶望工場の時代と相変わらず、
続けてきている。

 労務管理の側も、
ほとんど人道的なケアなんて
出来ているはずがない。

 極めて断定的で、
推測じみたエントリーだけど、
自動車業界は、クルマを作らないで
殺人者を製造してしまった。

 クルマを作る前に人を作れと言いたい。

 これらの経営陣に松下幸之助翁の
ようになれとは言わないが、
少しばかり人材育成や人道的なケアを
精力的に行うべきと考える。

 あまり金儲けに執心だと、
人心の荒廃が著しくなる。
 
 単価の高い、今の自動車業界は、
ひどい。そう括ってもいい。
 

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2008年6月 4日 (水)

それ、それ、駅前のモアーズで買っただろ?

 横浜に帰り、そして四日市に出張です。
 土曜の仕事を終えて、PM11:00頃に
東名阪四日市IC→伊勢湾岸道
→東名豊田→横浜町田→保土ヶ谷バイパス
うんぬんかんぬんうんぬんかんぬん・・・
 AM2:00過ぎには自宅前に着きました。
 ご近所迷惑ですが、マニュアル車
なりのブリッピングをかましつつ入庫。
 
 ふえーー疲れた。
 途中道を譲ったのは、たぶん玄人の
34Z、1台のみ。こちらはCF4アコード。
 ほとんどこの方と150くらいで抜けてきた。
 たぶん最速ペースだったと思う。
 一度尼崎から4時間半で横浜と言うのは
あったけど、VOXYでそんなことするのは
まったく筋道が合っていると思えない。

 日曜日はルミオンの納車だった。
 なんやかや350くらいの高い
クルマに仕上がっていたけど、
VOXYの下取りがあるので、そんな
感じでも無かった。
 当たり前だけど、ルミオンは遅い。
 刺激なんかも全く無く、
それなりに走っていさえすれば良い、
そんなクルマ。
 
 その前に、横浜駅付近で、
筆者親友氏と約半年振りに会う。
 京料理なんかをランチコースで
頂く。やっぱり幸さんの地元である
京の都の風情は、オフ時には
欠かせない。
 そんなことを知る由も無い
親友氏と、酒抜きでしゃべりまくる。

 でもなにを話したか、あんまし
覚えていない。
 言説に責任持たないでもいい、
気の置けない親友氏が相手だったか、
好きに話していると、何も考えないで
結果なにも覚えていない。
 ただ、あいつの顔だけが
思い浮かんでくる。

 夕方、ルミオンを取りに行って、
少し乗り回す。
 うへ って感じ。
 仕方ない。


 夜は、遊びに来てた両親と、
焼肉を食べに行きました。
 自分が親友氏と会っている間は、
お小遣いをあげて、家の片付けなんかを
お願いしちゃっていた
トンデモな坊っちゃんです。

 こうして書くだけでも
地元に戻ればそれなりに
予定があったり、行くとこ
あったりするのですが、
出張地だと外出=飲み会。
 なんて言うか最悪でしょう。
 健康に悪いこと請け合い。

 いやいや、最近思っているのは
ホタルでも観にいこう。
 そう考えている。

 もうあまり何も考えないで、
とりあえずHAPPYな生活を
追求しよう。

 愛するものと、
そうではない他の人は違う。

 そうではない、他の人の
なにかを考えたり、
巻き込まれたりすることはやめよう。

 自分はつくづく人に甘い。
 愛し愛される人以外に、
甘くするのはよして行こうと、
最近つくづく考えるようになった。
 
 情けは人の為ならず 
巡り巡って己が(自分の)為
 って言葉があるけど、
自分の解釈は少し違う。

 情けをかけて、それで
酔いしれてんじゃねーぞ
馬鹿野郎  と。
 情けをかけるほど、
お前はそんなに上等な
もんか。
 
 はい、
まず自分の幸せを考えて
行きます。

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2008年5月30日 (金)

本牧ベイカーズストリート

 今週末は、4週間ぶりに横浜へ帰ります。
 こうして出張地や、転勤地で長々と
過ごすことも慣れました。
 慣れたのと、だからそれが良いのか
とでは意味が異なるけど。

 やっぱり仕事以外の知り合いが
いないのはきついなと感じる。
 仕事がきっかけでもいいから、
気の許せそうな損得・利益等抜きの
関係を築けそうな人も、今はいない。

 それでこの間、こちら三重の
エリアではじめて床屋に行きました。
 「ひろたこういちのカットハウス」とか
そんな名前の店だったのですが、
ここは広田民郎さんと言う
モータージャーナリストの実家だった
ようでした。
 あと、店長さんが、自分が車高調を
組んでもらった店の同級生だったりして、
クルマの話を床屋談義でしてました。
 だからどうしたってことも無いけど、
こちらで初めて地元の人と長いこと
話した気になりました。
 ここへは通いたいと思いましたね。

 会社からは、「もっと会社に来なさい」
(出張なんだから、どんどん帰着していいよ)って
内容の話を頂いているのですが、
いかんせん、ララを乗せて東名を
行ったり来たりするのも疲れるので、
一ヶ月に一回くらいかなー。
 あと、東名は事故多いしね。

 往復約800kmですが、
週末の短い間にやるのは
骨の折れることですバイ。

 バイクなんかも置きっぱだし、

本当は沢木竜一みたいに
本牧ふ頭をかっ飛んで、
マリンタワーの見える
どこかにバイクを置いて
タバコでもふかしてやりたい。
 やっぱり、横浜はバイクで
疾走したい街だよな。
 何の気なしに、プラっと
出かけて、そこいらにバイク置いて
気になったところ、店に
分け入って行く。
 
 バッテリー上がりで走れないけど。

 

 ルミオンを注文したものの、
いまいち心躍るようなクルマではないし、
仕方がないんだけど、ちょっと後悔
している。
 予定通り計画通り、ゴルフGTI程度に
しておけば・・・
 

 外車って、日本全国どこの
ディーラーに持って行っても
相手してくれる訳じゃないし、
前にメルセデスベンツの300TE
4MATICに乗っていたときは、
新潟で高い金払って、某店で
メンテしてもらってた。

 横浜にいた時は、
世田谷のはずれにある
溝畑さんというベンツの修理やさんで
面倒見てもらってた。
 ここは、もう安くなった同等品の
部品でメンテしてくれるので、
プアリルボーイな筆者には
頼もしい存在だったのです。

 当たり前なんだけど、
ベンツは重たく出来ていて、
それで乗用車のベースで
言ったらそりゃ国産なんか
全く比較にならないほど
剛性感がある。
 音も、乗ってると
とても静かだし。

 シトローエンは・・・
さんざん乗ったけど、
味わい深い車種は、
完全に趣味の世界に
入っていて実用向きじゃない。
 カローラが一台あって、
それでシトローエンの
CX-turboとかDSあたりの
を乗っているなら良いかな。
 とにかく一台足クルマがないと
正直しんどい。
 あと、クルマがないと
やっていけない車社会の
街なんかには、それに乗って
出張だの転勤だのは出来やしない。

 まぁ今は仕方がないけど、
次は絶対に趣味のクルマを
一台買おうと思っている。
 今乗ってる、CF4アコードを
いじり倒す手もあるけど。
 
 そんな具合で、クルマしか
楽しみがない、田舎の青年みたいな
生活を送っている日々です。↓

 まぁあと、最近ホントに
事件が多いですよね。
 常軌を逸脱してバラバラに
してしまうやつ。
 よくそんなことが出来るよな と。
 

 

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2008年5月26日 (月)

ブラインドコーナー

 幸さんハイの幸さんですが、
最近はめっきりエントリーの
数も減り、いろいろと心配されて
いる方もいるのだと思います。
 まぁそうは言っても、
ああして逆転ゴールを
かます、涼しげな浴衣姿で
溜飲を下げた方が大多数かと
筆者は推察するのですが、
いかがでしょうか。

 しかし、せっかくなので、
流行のサンダルではなく、
下駄か草履にしてほしかったぞ。と。
 清坂亭でサンダルは、
ちょっとさびしい。
 赤い鼻緒でいって
欲しかったね。と。
 他が隙なしだっただけに。

 


 話し変わって、
 5/23、先週の金曜、
およそ9ヶ月ぶりに、筆者に
多くの影響を与えた方と、
久方ぶりに再会した。

 わざわざ筆者が出張地の
四日市まで来てくださり、
感謝の念が絶えない
夜となりました。

 仕事の話もいろいろ
したにはしたのですが、
いわく「早く嫁さんもらえ」と、
「四日市の女とこっちで暮らせ」
などと言うアドバイスを
いつもながらに頂戴しました。
 
 新潟にいた時は、
「新潟の女と~」で、
尼崎にいた時は、
「兵庫(関西)の女と~」と、
筆者の転勤地や出張地の
主語が違うだけで、
まぁとにかく早く、
結婚せえやと言うことでした。

 お互いが電車の時間を
ある程度気にしながらの
飲食だったので、この方と
飲るペースにしては、
非常に穏やかな感じの
会合でした。

 いろいろあるにはせよ、
早いとこ奥さんになる人を
みつけて仲良くならなければ
いけないのは毎度毎度の
課題なんですが、
どうにも旅の街では
上手い具合に口説けないのも
事実。

 流れ者気取って見たところで、
そりゃ岡林信康の唄みたいに
「現場終わったその日のうちに
俺もいないさこの町に」と、
うそぶくのは格好良いけど、
それじゃあ、あんまりだし。

 とにかく、この方をはじめ、
親以外に心配とご面倒を
方々にかけているのは
事実な様なので、
今後は一日でも早く
社会性を帯びて、
年齢不詳のあぶない
ことをする人と言う
定評も返上したいと
思うのであります。

 会社での、メンタルヘルスの
テスト結果が返ってきました。

 内容的には、
これまさに「オレの事」で、
どう言う傾向でこういう
結果になったのか、
それはテストを考えた人のみぞ
知る由と言いたいところなのだが、
テスト内容から推察するに、
同じような設問に同じように
答えていくと、そうなるんだろうなぁ
と言う感じがしたのでした。

 つまり、同じような設問に
同じように律儀に答えると言う
ことは、それだけ外せない
何かがあり、偏執でもあり、
律儀に答えると言うことは、
それだけマメで完璧主義者
なのだと、このテストでは
決め付けたいらしい。

 完璧主義者の傾向あり、
と結果が出てみても
別に驚きはしなかったけど。

 ただ、
「仕事も家事も必要最小限にとどめる」
ことをお奨めされたって、
そりゃ困りますよ。
 オレだってそうしたいしさ。
 むしろ、会社が催す
メンヘルのテストにしちゃ
至極公明正大なような
気もしないでもないけど。

 必要最小限にとどめて、
それが高効率で素晴らしい
成果を挙げるのなら、
べつに問題はないんだろうけど。

 無駄な動きもして
みたいじゃないですか。

 むしろ、無駄な動きを
忙しいさなかに
出来るのが、生活に潤いを
もたらすものだとも思うし。

 まぁ限度問題なんだろうけど。

 社会性帯びたいね。
 是非とも。

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2008年5月19日 (月)

ルシファーの話②

 なぜ今ルシファーなのかと言うと、
楠みちはるさんが連載している、
劇画「湾岸ミッドナイト」の中で、
これら一連のルシファー話が、
言及されているから。
 つい触発されてしまいました。

 悪魔のZと言うクルマが、
このルシファーをモチーフに
描かれていて、その考え方の
向きが興味深い。

 神に逆らって天国を
追放された堕天使ルシファーは、
東の空にたったひとり輝く
と言う、くだりがいい。

 楠木みちはるさんは、
かつて「あいつとララバイ」と言う
ラブコメ風のバイク漫画を
連載していて、この時期に
多感な高校時代を過ごした
筆者は、無駄に熱中していた。

 筆者が出身地の東京を
離れ、横浜に居を構えた理由も、
「あいつとララバイ」の舞台が
横浜の西部であったからに
他ならないし、
「lullaby」と言うHNも相当期間
使っていて、犬の名前も
「ララ」だったりする訳です。

 目に見えないもの、
いいえ見たままそれが全て
って言うのは、なんとも
即物的でやりきれない。

 見たものから、咄嗟に
想起できるようなイマジネーションを
いつまでも保持していたいものだ。

 


 

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2008年5月15日 (木)

ルシファーの話①

 神話の解釈から

 ルシファーは神から人間に従属するように
言われたのに反発して戦いを挑 み、
破れて地獄に堕とされ、
悪魔たちの王になったと言われます。


 彼は実 は太陽の天使・ミカエルと
双子の兄弟である、
というのも信じる人の多い 話です。

 このルシファーは金星の象徴で
あることも知られています。
それ は夜が明けて朝になる時、
最後までそれに抵抗して
光を放っている星、
-明けの明星-であるからです。
その姿が神と戦う
ルシファーというイメージに似合っています。

しかし、このルシファーについては、
神に負けたからではなく自ら何かの
使命を持って地獄に行き、
その王になったのだという説もあります。
ここ に「金星の神が地獄へ行く」という
モチーフがあります。<


 筆者も、会議などのときに、
或る一方へ急激な流れを
みるときに「悪魔の声」を
挙げるほうなので、
ルシファーのことが
好きなのです。

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優れた商品

S7black_big

 以前勤めていた関係で、
なんとなく避けていましたが、
良い物を探していたら、
それが、写真のものでした。
 SDR-S7-K SDビデオカメラ
 
 とにかく軽い。
 携帯電話より軽い。
 デジカメなんかよりも
もちろん軽い。

 ちなみにクラブパナソニックの
Web限定販売前のモニター購入で、
40100円でした。
価格も安いのです。

 あとはNAND型フラッシュメモリー工場の
建設に携わるものとして、相反するものですが・・・
SDカードが安くなるのを願うばかり。

 搭載容量が40GBくらいで、
価格が12,000円くらいになってくれたら
良いのにな と。
 ちなみに、現状は国産のSDHC16GBですと、
カメラ本体と遜色ない価格です。

 これが始めてのデジタルビデオカメラ
なので、とりあえずどこにでも
持って行っています。

 

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2008年5月14日 (水)

技術という人生

 昔から機械いじりが好きで、
気がつけば工学を学びに
学校へ通い、そのまま業界に
なだれ込んでいった・・・

 と言うわけでは全く無くて、
気がつけば「技術」と言われる
世界にいる。

 「技術者か」と問われれば
「技術者では無い」と
答えるようにしているが、
まさしく技術を用いて糧を得ている
だけだから、忍者とか医者と
同じようなレベルで「技術者」などと
簡単に括られては堪ったものではない。

 技術が有るか無いか と、
技術者か、技術者ではないのと
では観念からしても意味が違う。

 脱皮のようなものを
繰り返し行える耐性がないと、
今は、技術を研鑽していくことは
難しい。
 ましてそれを営業品目に
挙げている会社のようなもの
ならば、何をかいわんやでは
ないでしょうか。

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2008年5月13日 (火)

「インディアン嘘つかない」

6日の晩に、地元横浜から
出張地の四日市へ戻りました。

 横浜にいる間は、
はっきり言えばどこにも
出かけないで、家の周囲を
散策するに留まりました。

 新しい車は、ルミオンを
試乗してみたら新型の
プラットフォームを使用している
せいもあって剛性感が
フィールダーより優れていたから、
無理を言ってルミオンに
注文し直してもらいました。

 ルミオンは評判が芳しく
無いようだけど、およそ20台以上の
クルマを乗り継いだ筆者の
経験からしても、なかなか良く出来た
面白味は少ないながらも
良いクルマなんじゃないかと思う。

 


 


 最近、色々な人に、「頑張り過ぎないように」
と、釘を刺されたので、
意識してペースを落とすように
することにしました。

 頑張っているとか、あまり
自分では意識してはいないのですが、
周りの人が息苦しくなるほど
気配を発散していて、
まるで「座頭市」みたいだ、
とも、ある先生から言われました。

 自分は盲目かもしれないけど、
周りの気配や兆しを感じることは
出来る。
 だから、余計に始末に終えないのだ。

 自分を抱えている、会社のことを
考えてみれば、ひょっとしたら
爆弾だったり、よく切れる刃物を
内包しているかのようで
恐れられているのか とも。

 こう考えると、忍ぶという
ことの意味がよく分かってきた。

 いや、今このエントリーを
書いている最中に。

 なるほど、心に刃かと。
 心に刃が乗っかっている。

 まったく相反するようだが、
忍ぶとはそういう意味だったのかと、
ひとしきり感心、そして
自分の向きが分かってきた。

 ただ、自分で下した判断は
後々に決して覆るようなことは
無いから、だからぎりぎりまで
忍ぶことが必要なのかも知れない。

 最近はいろいろ考えている。
 
 和親一致の精神とは、
和を持って貴し と言う言葉の
意味とは少し違うな とか。

 和親一致とは、10年間毎日のように
唱えてきた言葉。

 MS日本の竹内さんの
著書を、また少し読み始めた。

 人が数年掛けていろいろと
感じることがあって、
それを昇華させることに
制限は無いなと感じている。

 むかし、大田区の蒲田エリア
蓮沼にあるインディアンカレーの
旦那さんともいろいろ話した。

 出張地だと、こう言う指針だとかを
考えるきっかけになる話し相手が
いないのがきつい。

 仕事だけの結びつきってのは
案外脆いものでもある。
 
 人が抱えている機微は、
非常に微妙なものだから、
憎しみなどの激しい
感情の先に、尊敬や畏怖が
生まれてくるものだ。

 ほんとうはその場で冷静に
過ごして、すべてを見渡せる
能力があれば問題ないのだろうけど、
どこをどう転んでもそのような域に
達することが出来ない。

 相手方がすっかり忘れてしまった
ようなことでも、あとで振り返って
省みる。

 頑張るのを少し控えて、
そんなふうに考える時間が有っても
悪くはない。


 インディアンカレーを4年も食べていない。
 カレー好きに、わるい人間はいない。 

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2008年5月 5日 (月)

蛤御門の変

 Photo

 先日の京都見物では、
御所のそばに宿をとっていたので、
ララの散歩は京都御所内と無条件に
決まっていた。

 東京千代田区の皇居ほどではないが、
やはり広大な敷地がほどよい手入れの元に
保存されている。
 
 実際は活用の度合いが
非常に低いのだろうから、
遊休施設然としていて
活気は感じられない。

 京都も、軽井沢や原宿などと
同じように皇室にゆかりの深い
場所なんだった。

 至極あたり前っちゃー
当たり前なんだけど、老若男女、
日本人は皇室にゆかりのある
場所へこぞって出かけるものだ。

 
 2日目は、三千院、寂光院、知恩院、東福寺、
南禅寺その他などなどを廻った。

 知恩院は三門の上が開帳されていて、
狩野派の絵師が描いたとされる
龍の絵柄が見事であった。

 南禅寺は琵琶湖疎水が架かっていて、
よくテレビなどで見かけてはいたけど
実物は初見だった。
 今回は人出も多くて、時間も
無かったけど、なんてことない
平日の夕方近くにもう一度
来たいなと思いました。

 そんな具合で夕方の最後に
二条城を覗きに行ったのですが、
メーデーの会場になるらしく、
一般の人間は早々に蹴散らされて
しまいましたよ。

 東京のメーデーは代々木公園、
京都は二条城・・・

 微妙だ

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2008年5月 4日 (日)

京都守護職

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 週始めに京都を廻ってきました。

 両親に見物の前日四日市まで来てもらい、
狭い出張部屋へ雑魚寝してもらい、
翌朝親父殿の


新型Fit-RSへララを
載せ、3人+1匹で出発。

 新しいFitはエンジンが素晴らしく
スムーズで、時代変化を感じずには
いられない。

 開通間もない新名神で京都東ICまで
およそ一時間弱。あっという間に到着。

 新名神は新しい規格の道路だから、
東名や名神、東名阪なんかとは
比較にならないので、当然に走りやすい。

 初日は東山方面で、一番混んでいる
清水寺へ。偽者の観光用舞妓ルックに
身を包んだ素人がちらほら。

 有り難がって写真を一緒に
撮っている人も中にはいたけど、
昼日中こんな場所に舞妓はんが
いる訳がないから、あの人達は
偽者を承知で写真を撮ってもらったのだろうか・・・

 偽者舞妓も和装の貸し出しも、
良く見れば帯も無茶苦茶な着付け、
おまけに生地がウールと言う
なんとも言えない貧乏くささ。
 ちょうど夏日の京都で、
ウールの着物を着ている観光客は
暑くて仕方が無かっただろう。

 くるまで廻ったので、大体の
寺社仏閣は観て廻れました。

 三門を特別開帳している寺院が
あって、そこは有難い感じがした。

 でも23年ぶりに廻った京都の
街は、どこもかしこも有料な場所
ばかりで、その商魂にいささか
辟易してしまった。

 たかだか観光客平均30分たらずの
閲覧、観覧では、笑いが止まらないほど
なんだろう。

 一番情けなかったのが、
慈照寺銀閣。

 ここは銀閣自体の屋根葺きを
改装していて、足場で周囲を
丸囲みしていたもんだから、
筆者も怒り心頭。
 一応入り口には工事中なりと言う
仮設看板があったけど、
全く観れないならそうとはっきり
書いて欲しかった。
 あんな足場で囲まれて
埃まみれの工事現場然とした
銀閣など、誰が金出してまで
観たいものか。

 慈照寺は銀閣くらいしか
まともに見れるようなものが
他に無いんだから、
改装中は入場料500円を
100円に減じるなどの配慮が
必要なんじゃないかと思う。
(タダでも良いくらい)
 
 多くの外国人の方も来られており、
この光景は同じ日本人として
情けないやら恥ずかしいやら。
 これらの外国人の方々は、
この手の日本人をどう思うんだろうか。

 この事をもぎりのおじさんや、
京都観光案内所に話したら、
向こうは向こうの事情とやらで、
逆キレ+開き直りの抗弁を受けました。
 挙句、金を返して欲しいなら・・・云々の
看過出来ない失礼な意見も頂戴して
しまいました。

 ある一部分の京都と言う場所は、こういう
歴史プライドのマインドが発達していて、
それ自体は問題ないことなんだろうけど、
それがゆえ、同和の問題も非常に
悲惨な状態が続いている。

 建物の歴史を守ったり、
同和の歴史を守り抜くために
お金はそりゃ必要なんだろうけど、
ひとりの一般の観光客としては、
頭のネジを2000年巻きなおせ
と言ってやりたいよ。

 とかぶつぶつ

 夜は三人で、き○くと言う居酒屋さんに
行ったのだけど、ここもはんなりさんで、
いやはっきり言えば料理人の人数が
休み中ゆえか不足していて、
なかなか注文したものが揃わない。
 いい加減にしろと言って、勘定に
席を立ったら、その場で料理が
出来たと言われ、頭に来た
筆者はお土産に包めと命じて
ホテルに持って帰りました。

 そんな具合で一日目の
京都は、悪い印象のみが
残ってしまったのでした。


 

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雨の中の帰郷

 昨夜、2日の晩、10時頃に横浜へ向かって
クルマを発進させる。
 
 事前の渋滞予測は全く問題ない
範囲で、大したことのないような
予測しかされていなかった。

 走り出してみると、伊勢湾岸道の
終点豊田から、浜松の先まで渋滞していた。

 静岡を過ぎた頃から本降りになって、
御殿場の山道はけっこうビビリながら
それでもアクセルを抜かずに、
全てのクルマを追い越して帰ってきた。
 いつもならとってもうざい、
大型のトラック達も、昨夜の雨では
機先をそがれ、おとなしく左側を走っていた。

 筆者の最近のアシ車は、CF4アコードの
SIR-Tと言う、MT5速のクルマで、
それにタナベの車高調を組んでいる。
 なんて言うか、このクルマのパフォーマンスを
出し切って走れるのならば、このクルマ
以上の性能はどの場面でも必要ないんじゃないか、
と思えるほど、低速も高速の伸びも、そしてコーナーでの
粘りもなかなか素晴らしい。
 
 そして、やっぱり、タイヤは少し高くても、
いいやつを選んで履いたほうがいい。
 雨の日に飛ばすと、実感する。

 16年型のVOXYは、最近になって
新車のフィールダーに乗り換えるため、
ディーラーに預けてしまった。
 スキークルマがフィールダーで、
高速の足がアコードと言う、
二台体勢でしばらくは行こうと、
そう考えている。

 まだ911なんかには、
乗れそうにないな、と
色々感じ入っている。

 最後の最後、保土ヶ谷バイパスでは
ハイドロプレーニングが続発していて、
クラウンのアスリートで飛ばしていたらしい
オジさんが中央のコンクリートウォールへ
激突し、停車状態だった。
 当然右車線を走っており、その
先頭だった筆者は真っ先にその
黒い停止物体を察知して、
左の車線へ除けたが、
筆者のアコードを必死で追いかける
アリストは、回避虚しく、その
クラウンと接触してしまっていた。
 クラウンが事故って、おそらく直ぐの
出来事で、クラウンの運転手もまだ
車内にいる様子だった。

 保土ヶ谷バイパスは、一般国道並みの
整備状況だから、その轍はなかなか酷く、
雨の日には、120km/h以上での走行は
大変危険だ。

 クルマでもなんでもそうだが、
自分の腕と相談しながら、
段々と限界を高めていく。

 これが基本。

 10時過ぎに四日市を出て、着いたのは
3時近かった。
 
 今朝起きたら昼の12時で、
しばらくぶりのマイベッドに安心して、
バカみたいに熟睡してしまったようです。

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2008年4月24日 (木)

本当にこれで良いのか、と言うマインド

 なんのことはない、最近の
自分も、お金のためだから
ある程度は仕方がないなと、
あきらめとも開き直りとも
取られるような心境になって
しまうことがある。

 つくづく歳は取りたくねー、
社会性帯びるのは嫌だねーと、
へろへろなキモチになってしまう。

 童夢の林社長が、自身の
webで数々のコメントを残して
いるが、それはもう愛してやまない
世界への苦言を延々と述べられており、
それと同じようなスタンスで
自分が言説を繰り出したとしても
今は実力が不足していて、どうしようもない
壁を実感してしまう。

 林社長の存在を知ったのは、自分が
熱烈なTojiファンであったに他ならない。

 Tojiは、
マドンナの宝石にあらず 
俺様の宝石さ、と
叫んで、ビッグアップルで
ある時期を過ごした。

 俺様の宝石とはなんなのかと
考えてしまうけれど、
でもほんとうはそれが
なんなのか自分では分かっている。

 
 積極的に、何も考えずに、
リラックスと言うより脱力して、
人に対しても、
誰にでも優しく、
誰にでも平等に優しくない
と言うような生き方。
 如才ない人と、
呼称される生き方。

 

 それで自分は充足できるのか
ということ。


 愛していればこそ、感情を
ぶつけられると言うモノ。


 日本の経済は、あらためて
最近よく考えるけど、
おかしいよなーと。
 自分なんかは上流側の
人間じゃないんで、
まぁデリカシーなく書きますが、

 メリット=お金
 失敗=極悪
  
 今はこれしかない。

 だから休みと言う概念は
殊更に忌み嫌われて、
休みの概念がないものだから、
メリット=お金の
無限ループに延々と
引き込まれる。

 自分はだいたい、人間の
能力の限界を心得ている側だから、
そのような状態で優れた
ものが産み出される訳がないと
考えてしまう、

非効率主義の仇敵でもある。


 日本の経営陣が、そうした
疲弊した現場の実情をどこまで
理解しているかと言うと、
明日の戦略ももたず、
勝負はいつでも一年限りの
スタンスだから、現場のものは
そこそこ与えられて、そして
消費されていく。

 既得権益側の人間は、
そりゃもう目線を変えることが
出来ないから、
(餌を横取りされちゃうから)
少ない餌を、いや段々少なくなってくる
(構造的に、やがて飽和状態になる)
その少量の餌を奪い合って、
先を争って激しく闘う。

 自分は目先を変えたと言うより、
下放したけど。

 それで誰もが皆、
誰かが失敗するのを固唾を
飲んで見守っている。

 誰かが失敗すると、
極悪人に仕立て上げて、
上や下への大騒ぎ。
 生贄か貢物ってくらいに。

 今ではもう、失敗した人を
誰が一番先に探すのかとか、
恐ろしいほど末梢的な話にまで
乗れなければ社会人失格と
言い出す人もいる。

 日本自体、一時改革路線に転じて、
だいぶん活性を遂げたように
実感も出来たけど、
最近はまた保守への回帰が始まっている
ように思えてならないな。

 俺様の宝石確立には、
リテラシーを高めていく
マインドが必要なんではないかな

 ブレない心とともに。
 難しいけれど。

 

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2008年4月22日 (火)

一代の流儀

 Photo


 創造性が欠落しかけて
いるのか、書くことが
あまり無い。

 週末は横浜へ帰っていました。
 ちょっとトラブルがあって、
なんのために仕事をしているのか
よく分からなくなったり。

 気持ち的には、もう
どこにも行きたくはないけど、
それが自分の流儀だから、
またどこかへ出かけていく。

 その場限りの戦術。

 先を考えての戦略。

 先を考えると、
忍ぶ心が必要になってくる。
 忍ぶのは、やってみると
分かるけど、結構しんどい。

 即興的な天才JAZZプレーヤーに
憧れてしまう。

 でもそれはネタが尽きたときの 
恐怖感を知らないからだ。

 もっと怖いのは、即興的な
仕事をしていて、それが延々と
続いていくものだと思っている人々。
 
 10年先はこうありたい、
こうあるべきと考えているのと
なにも考えずに毎日の餌を
貪るのとではだいぶ違うんだよなぁ
と、体験している分よくわかる。
 
 女性が、
「結婚したらそう言うの関係なくなるから」とか
言って、即興ネタを繰り出さなかったり、
10年先のことを考えないで生きる必要が
ないかのように刹那な感情のみに
支配されている所作は

 全然、男女同権でもないし、
平等でもないよなと思っている。

 そういう逃げ口上をアリバイに
用意しているような女性は、
やはり全く理性的にも魅力的にも
映らない。

 今の女性に、自分の母親くらいの
世代の女性が求められてきた、
貞淑やなにかを求めても
しかたがないとは思うけれど、
なら、うえに書いてあるような
あるべきの話を捨てずに、
信念をもって欲しいものだと
感じずにはいられない。

 やっぱり甘やかされて、
いい男もいい女も育たない。

 ちやほやされる分、
女性のほうが問題が深刻だけれど、
楽しいとかお金とか、刹那に流されてしまう。

 最近は仕事のことばっかり
考えていたけど、
 ふと女性のことを見渡すと
そんなのばっかりが増えた。
 
 男が甘やかすからいけないのだけど。

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2008年4月14日 (月)

鈴鹿おろし と言う

伊吹おろしの次は、
鈴鹿おろしの風。
西の方角から
烈しく吹き荒れます。
こう毎日、風に曝されると
旅暮らしなんだねとしみじみ。
クルマで職場に通ってるせいもあるけど、
行き帰り目にするものにも
代わり映えなくて、
なかなか鮮度を保つのが
難しい。
 何回目かの地方暮らしだけど、
改めて、オフ時の過ごし方が
大切だと言うことを実感しています。
 自分的には紛らわしで、いや親しい友人が皆無だから
結果的にそうなんだけど、
酒なんかを一人で飲み歩いて、
店側と自分、
どちらもが感情移入しづらい場所に居るのも
気が引けてしまう。
 昨日の日曜日はたまたま休みで、
鈴鹿サーキットにでも行こうかと考えて
いました。
 自分の好きな場所が、
近いんだけど行けない。
 行けば色々感じることがあって、
行きたいのだけど、行けない。
 旅暮らしで、ここにいること自体が、
移動する行動力を無意識
のうちに制限してしまうのかな。
 名古屋の街とか、どうなんだろうと考えている。
 でもやっぱり人なんだろうなと。

 胸躍るのは、気に入ってくれた人、
気に入った人のいる場所。

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2008年4月12日 (土)

怖くて、やっていられない

2008/04/11-21:58 タイヤ直撃、
観光バスの8人死傷=トラック脱輪
-ボルトにさび・静岡県警
 
 11日午前11時10分ごろ、
静岡県牧之原市坂部の東名高速吉田インター付近で、
下り線を走行中の大型トラック(11トン)のタイヤが外れ、
中央分離帯を越えて上り線の観光バスに衝突した。
名阪近鉄バス(名古屋市中村区)の運転手関谷定男さん(57)
=岐阜県大垣市浅草=が死亡、
乗客男女7人も負傷した。
県警高速隊が状況を調べるとともに、
トラック運転手浜松市中区鴨江1、植木丈喜運転手(37)
=浜松市中区=らから事情を聴いている。
 負傷したのは愛知県稲沢市の50代から80代の男性1人、女性6人。
 -時事通信-

 タイヤの直撃からわずか20mの距離で、
安全運行を鑑みバスを停止させたと言う、
プロドライバー関谷さんの冥福をお祈りいたします。

 またか、と言う感じです。
 こうやって大事故になることは
確率から言うと少数で、弱小から
大手までこぞって脱輪を繰り返す
トラック・物流関係者。

 筆者も上信越道軽井沢付近の、
トンネルが連続する区間の
トンネル内右車線で、あやうく
トラックの脱輪タイヤに乗り上げそうに
なったことがある。
 東名のように混雑の激しい
道路なら、どこにも逃げ場が無くて
コンクリートウォールへ激突死
していたかも知れない。

 少し行った緊急停車帯で、
日通のトラックが往生していた。

 この間の、ガソリンが値上がって
しようがない騒動のときも、
こぞって物流会社の社長が
出てきてうそぶく。
「我々に死ねって言うのですか?」

 燃料代が高かろうが、
安い時であろうが、安全に関わる
全てのものをおろそかにしてはいけない。
 だから、燃料代が高いから、
安全を疎かにした、と言うのは
まったく合理的な理由とはいえない。
 
 特に物流のドライバーも、
会社自体も、載せているものが
人間ではない分、モラルの低下が
著しいなと感じる。
 追い越し車線への咄嗟の切り込みや、
断続的で意識的なノロノロ運転。
 
 「ここ何年も運賃が据え置きで、かなわない」

 過当競争なんだから当たり前!。
 安易に開業できるから仕方がない!。
 自分で自分の首を絞めるそのような背景から、
 貨物輸送の価値を自ら上げて
行くしかないのに、地方自治体の
知事みたいなコメントばかり繰り返す、
無能な貨物輸送経営陣。
 挙句、整備不良と言う、
プロの中にあっては許されない、
農村の軽トラと同じようなレベルで
車両を扱うレベルの低さ。

  どんどん叩き、自浄を
促さない限り、物流はいずれ
自滅してしまうだろう。

 もうとにかく、東名のトラックは
大概が最低のモラル。

 今回の事故についても、
猛烈に怒りを感じている。

 これからも問題のありそうな
物流会社や、トラック運転手へは
抗議を行っていきます。
 会社や当局への通報。
 SAでの問い質しなどなど。

 そうしなければ良くなっていかない。

 

 

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2008年4月11日 (金)

「アンフェアなロジック」と言う記事

 タイトルは、宋 文洲さんのメルマガから、
引用しています。

 記事の内容を要約すると、
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
変わり者の友人が多いと言う
宋さんが言うには、

変わり者であれば、
なんでもいいと思いませんが、
皆と違うだけの理由で相手
を非難したり、仲間から排除したりする
思考パターンは、自分にとっても他人
にとってもよくないと思います。


たまたまの事情や
タイミングによって、
その時に行うことが他と違うことが、
どこの誰にもよくあります。
判断基準も示さず、
「他にそういう人がいないから」という
ロジックはアンフェアだと思います。

・・・するのは○○だけだ」という
批判方法は明らかに基準を示さない、
幼い群集心理を利用した乱暴な方法です。
このロジックで議論に勝てるならば、
その議論は本質について行われてない証拠です。
このロジックに納得するなら
ば、人生も社会も羅針盤を失うでしょう。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
 そして最後に、

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
世界に一人しかいない個人、
一つしか存在しない国。
多くの共通項を持ちなが
らも我々は皆、偶然の産物であり、
特殊な存在であります。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

 これはもう、中国人宋さんの
日本社会への警鐘に他ならない
のだけど、
「他と違うことは悪だ」
「異質なものは排除」とする
伝統的な日本思想に対する
アンチテーゼ。

 上のことを同じように考える日本人は、
筆者を含め大勢いるが、
全体主義や一党独裁国家と
称される中国人の側の宋さんに
正論をのべられてしまうのが
日本の現実なのかも知れない。

 まぁ至珠の言説に、国は関係ないけど。

 良いものは良い
 正しいものは正しい と

その場の雰囲気に流されずに
していくことの難しさを「KY」って
言葉が表している。

 KYって言葉は、実は現代言葉で
一番惨いのかも知れない。

 本当は、そこでしか言えないような
内容の話を敢えてしてみて袋叩きに
あっても、KYなんて言う軽い言葉で
流されてしまうと勇気だって
しぼんでしまう。

 しかもアンフェアな側に
従属しなくてはならない
屈辱に耐えなくてはならない。

 いまKYから続き、連綿と新しい言葉が
出てき始めている。

 よくよく分析すると、
KYと発する側には、
言われたくない言葉、
聞きたくない言葉の
羅列に対する
都合の悪さがあって、それで
出てくる場合が多いんじゃないかと
感じている。

 流すんじゃないよと言いたい。

 言う方だって、命を削っているんだぜ と。

 とまぁそんな局面が多い現代、
筆者はKYな人を応援してやまない。

 筆者は、アンフェアなロジックには
フェアで正面突破を図ろうと もがくし、
空気なんか読まないよ、
お前ら相手になんか と、
思う人間です。

 

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2008年4月 9日 (水)

形見

  06284


少し前に、親父さんが
「形見だ」といって、くれたのが
デュポンのモンパルナス。

 タバコは体に良くないから、とか、
スキーの仲間の人たちからは、
「やめたら5秒速くなると言われたら、やめる?」
とか、色々言われているけど。

 誕生日の日に、石の換え方を
教えてもらいました。

 逆発想なんだけど、
喫煙OKの定食屋さんとか、
法人タクシーがこれからは
流行るんじゃないかと思う。

 環境&エコのところも
そうだけど、ビジネスが
裾野を広げれば広げるほど
拡大解釈がまかり通ってしまう。

 地球温暖化だって
今に始まったことじゃないし。
 統計を取り始め、データーが
蓄積されてきてはじめて
そう言う事が言われるように
なってきた。
 
 言いっ放しってのが
いちばん惨い。
 訳知り顔でマスコミに
出てくるおっちゃん達。

 タバコはよくないからと、
やめるのは個人の観念だけど、
環境問題の根本的な解決は
「燃焼」と言う概念を世の中から
無くすこと以外にない。

 それが出来るのかと言うこと。

 すごい。
 いや何がすごいって、
ライターの話から
ここまで飛躍する
考え方。

 誰もついてこれない。(爆) 

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2008年4月 8日 (火)

雨のホッケンハイムリンク

 昨日は22:00頃に横浜を出たのですが、
果たして夜の東名は、行けども行けども
雨あられ、時々雷光。
 もういい加減にせーやーーーって感じ。
 こんな雨の中、平均140で巡航することは
難しかったけど、とりあえず
キープライトで誰にも追いすがられることなく
逃げ切ってきた(誰から?)
 やはりヘリカルLSDの威力は
素晴らしい。
 定期便のトラックドライバーも、筆者の
クルマには呆れていることだろう。

 思うに、こんな雨の中を
走ったのは、17,8年前に
ハートランド岩手で開かれた、
モトクロス全日本選手権の帰り以来。
 観戦しに行っただけなんだけど、
この日はガッツ秀明の引退レースだった。

 タイトルは、むかし高校生の頃、
バイクで雨の中を爆走することを、
「雨のホッケンハイム、クリスチャン・サロンばりの走り」
とかなんとか言って仲間と悦に入っていたことを
思い出して。

 天気いいなーと思ってると、
悪天が続いたり、春はやはり不安定な
天候が続きますね。

 マイペでいきましょう。
 遅かったり速かったり、
変幻自在に。
 

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2008年4月 7日 (月)

桜 葉桜 初鰹

 とかなんとか、小林旭ソングを
口ずさみながら横浜へ
帰ってきました。happy02

 トラックの人達は、
相変わらず140の車線に
100km/hくらいで切込んでくる。
 あまり記憶は定かではないが、
むかしはこんなにマナー悪かったかなとか
考えながら、四日市から約三時間無停車の旅。

 筆者の誕生日と言うことで、実家から
親父様が遊びに来て居られました。
 一緒にご飯を食べて、・・・
それだけなんですが。

 筆者が仮住まいの、御在所岳麓の桜は、
ようやく満開を迎えるところ。
 寒いからか、花見見物の人も
酒宴の一行も見かけない。
 それが何故なのかは、
本当のところは知る由もないけど。

 上越の高田公園に咲く
夜桜は、それはもう見事で、
待ちわびた春を祝うかのように
皆集い酔いしれる。
 都会の花見とは、実感の
こもり方が違う。
 雪に埋もれていた木々から
奇跡のように花が開いていくのだ。
 官憲も大目に見て、公共のエリアでの
飲食もOKと言うことになっている。
 

 途中、浜名湖沿いの道では、
葉桜から花びらが舞い散っていました。
 桜は散り際が美しい。

 横浜の桜は、すっかり葉桜で、
後はもう散り逝くのみ。
 何年かぶりに横浜の桜が
見れたのだから、まぁ良いかと。

 この4年間、転勤が続いていた。
 それも一般的な地方都市とは
かけ離れた規模の小都市への
転勤もあり、「旅の人」と揶揄されながら。

 今は、長期出張。
 色々あるにはあるが、片道切符じゃ
ないぶん全然気持ちが違う。
 文字通り「旅の人」でオーケー。
 地域社会に貢献しようとか、
大それたことも考えずに、
ただ出会った方々の気持ちを、
大切にして過ごそうね と。
 
 
 ここ5年ほどで、社会構造は
大きく変わっていった。
 速度が全く違っている。
 付加価値アリのものは、
全部が鮮度命の生ものばかり。

 でも、いろいろ先回りして、
策を打とうと、小癪(笑)な手を
使おうとする人がいるけど、
そんなん無理だよと。
 そんなに先のことが予測つく
ようなお人なら、あんさん
こんなところにおりゃしまへんやろ
と。

 混沌とし、速度を増していく世の中で、
いかに対応できるか、それも、
新しい価値を創出していくような
やり方で。
 常に準備しておけよ、と。

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2008年3月31日 (月)

伊吹おろし と言う

29日の土曜の続き    今夜も嵐のような風が吹き荒れています。御在所の麓の町では桜もほんの蕾で、まだまだ寒さの厳しい朝夕が日課ですたい。(なぜ九州弁)このあいだ、ウインドストッパーをこちらのアウトレットで来冬用に買ったけど、いやーすげー活躍しとりますけん、ばってんそげなこつ。とっとっとーって意味不明。寒いづら、さみーぞなもし、しばれるべ、すんばれるない、思わず方言がバリバリ出てくるぜよ。なめとったらいかんぜよ。ふざけてはるわ、こん人。

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真珠は困りもの

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 いきなりレイモンド・チャンドラーの短編ですが。

 こちらに来て、行こう行こうと
思っていた場所にようやく昨日、
行って参りました。

 

 出張先の四日市から
クルマで1時間半ほどの
「ミキモト真珠島」です。

 ここは、高2のときに修学旅行で
訪れた場所で、およそ20年ぶりの
再訪となりました。

 何もかもが変わってたぜ・・・
とは言いませんが、パールショップは
すこし変わっていました。

 なにか、ようやく一つのものに
訣別できたような気がします。

 訣別しなくてはいけないものが
他に色々ありすぎて、
ひとつそうなったからと言って
解決した訳ではないけどね。

 あと、昨日クルマで走って
ほほぅと思っていましたが、
新名神使えば京都まで行くのと
伊勢・鳥羽方面行くのとで
四日市からだと変わりがないってこと。

 今年はGWに京都御所そばの
宿が取れたのでまたまた両親を
連れて出かける予定が既に立っています。

 思えば、20年前も伊勢・志摩・鳥羽のあとに
奈良へ行って、そのあと
京の都に血の雨を降らせたのだっけ・・・
いや降らせてない降らせてない。

 しかしアコヤ貝の真珠は美しい。
 8.25玉のペンダントトップを買いました。
 ピンク系の玉ひとつだけの、
とてもシンプルなTOPです。
 
 普段使いで黒蝶貝のペンダントを買いました。

 帰りには、夕暮れ時の夫婦岩へ。

 ひとり遊びだとは言え、
いつでも出足が遅いのです。

 昨日は雨だったので、
今度は晴れた日に
合歓の郷と言う
 御木本幸吉翁が心血注いで
開いたと言う真珠養殖の祖を
観に行きたいと思います。

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2008年3月14日 (金)

誕生ゆえの苦しみ よろこび

 もうすぐ生まれ月の四月になる。
 
 ここ日本では、学校も会社生活も区切りの
スタートとなるから、その少し前のこの時期には
自ずと自分の生まれ月と重ね合わせ、
なにか年度の総括じみたことをするような癖が
ついてしまった。

 総括とか言うとなにやら仰々しいが、
やっていることの多くはひたすら反省。

 あとは新しい何かが生まれるように、
どういう風に仕掛けたら良いか、
いろいろ施策を練ったりしている。

 毎年いろいろあるな と思っている。
 時間も歳を重ねるごとに、
一年が段々と長く感じるようになってきている。

 いろいろあるように仕向けているように
しか思えないのだが、
自分では至極平穏な暮らししか望んでいない。
 
 望んではいないのだけど、折り合いが悪く、
あきらめも悪いので、だいたい平穏さが
にじみ出る頃に「オレのハートがノーと言う」とか
なんとか若気のいったりきたりで、
遠回りになろうがどうだろうがお構いなしに
自分の道と信念を貫いてきたのだ。

 「信念」なんて、なんだか陳腐で、出来るだけ
使うのを避けてきたけど、自分を評して
そう言う方々が増えてきているので、
あえて使う。
 言ってみれば、それがどうしようもない
自分への評価なのだということだ。

 必ず勝つ。
 絶対に負けない。負けるわけがない。
 
 変えられない。変えられないさ。
 変える必要がない。

 いつもそうやって生きているので、
自分を変節に導いた人への恩は
一生忘れないでいる。

 次の一年は、いったいなにが
待っているのだろうか。
 
 第一印象が悪いので、そこは改善したい
と思っている。
 第一印象最悪だと、あとは良いようにしか
見えないから、得だよねって言う人もいる。

 

 新しい価値を創出していくのは、難しい。

 静かな川面に石を投げ、
さざなみを起こすものに
拒否反応を示す人は多い。

 人はなぜこの世に生まれた

 生まれたときは誰もが新しい

 生まれたときの苦しみと

 はかないよろこびを

 忘れない限り

 新しいものへ向かうことができる。

 

 その行き先を暗示するかのように、

 わたしも泣きながら生まれた。

 いまは泣くことは出来ないから

 無明を破って進んでいくのだ。

 

 


 

 

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2008年2月23日 (土)

自分の向きが分かる話

 四日市は毎日のように雪が舞っています。

 まるで雪国のようですが、
本当の雪国はクリスマスの頃に
降って以降、遅い春まで
根雪となって、生活に
影響を与えます。

 最近は自分の分を考えています。

 私は私です。
 仕事や世間を完全に
離れた、まったくの
プライベートの中での私。

 仕事では、私ではなく
自分。

 自分と言う意味の中では、
役者やのう、
と言われるべく
演じ切れれば良いのですが、
なかなか自我も捨てきれず
ついつい私が顔を出して
しまいます。

 自分の分、本分とは
いったい何なんだろうと。
 自分の役割を考えます。

 だから最近は、
役者を特別な職業と
思わなくなりました。
 

 誰もが皆、役者に
ならざるを得ないのが、
効率重視の世間の
慣わしです。

 4,5年前から
転勤や出張を繰り返していて、
「私」のほうは低調です。

 転勤や長期出張は、
その行為自体が分を
求められる事ですから、
私は軽んじられ、論じられることも
あまり無い。

 少し前は、うえに
あるようなことは
まったく意識したことなど
有りませんでした。

 なぜ今、考えるのだろうか と。
 
 とか何とか書いていますが、
基本的に鈍感なので、
誰がなにをしようと語ろうと、
何も感じない動じない
自分で行きたいと
心から思っています。

 私になったとき
ふと思いをめぐらすことは
あるかも知れませんが。

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君の魂 大事な魂―Sail on

Sail on little boy
Sail on little girl
天使達の声が聞こえてくる

秘密の呪文に願いかけて
夜明けが来る前にゆくぜ

君の魂大事な魂

ならずものたちに気づかれちゃいけない
本当のことがわかる日まで
泣かないで
目を閉じて 踊ろう


口ずさむメロディーは愛
抱きしめる花はデイジー
時よ 静かに流れてゆけ


そこに陽はまた昇り
月がまた巡り
この世界は何も
変わらない
変わらない

Sail on little boy
Sail on little girl
天使達の声が聞こえてくる
風の行く手に願いかけて


夜明けが来る前にゆくぜ


明日のことは
誰にもわからない
夜を越えてゆけ


夜明けが来る前にゆくぜ

口ずさむメロディーは愛
抱きしめる花はデイジー
時よ 静かに流れてゆけ


そこに陽はまた昇り
月がまた巡り
この世界はいつも新しい
新しい

Sail on little boy
Sail on little girl
天使達の声が聞こえてくる

いつかこの世界が変わるその日まで
繰り返す言葉は'I love you'


繰り返す言葉は'I love you


 佐野元春

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佐野元春

 夢を見た昨夜の事

 ブルーな夢 But it's all right

 電話して欲しい見知らぬ夜
 誰かの声が聞きたい

 冷たいニュース今朝の事
 テーブルの上にはチーズ&ワイン

 平和もない静けさもない
 笑いとばせるほど無邪気じゃない

 いつも本当に欲しいものが手に入れられない
 あいかわらず今夜も 口ずさむのさ
 99Blues

 誰もいない 地下鉄のプラットホーム
 かかえこまれそうな エモーシヨン
 彼女のBody 彼女のvoice
 去年の夏がなつかしい

 愛してる愛してる愛してる
 誰もがたやすく口にする
 すてきなビジネスのセクシャリティー
 街の子供達は眠れない
 
 いつも本当に欲しいものが
 手に入れられない
 あいかわらず今夜も 口ずさむのさ
 99Blues

 
 全てはMoney この街はFunny
 いつもなやませる
 大切なキャッシュカード クレジットカード
 永遠に夢は買えない

 得意気な顔した この街のリーダー
 シナリオのチェックに忙しい
 ユーモアもない 真実もない
 フェイクしたスマイルはとても淋しい
 フェイクしたスタイルはとても淋しい

 いつも本当に欲しいものが
 手に入れられない
 あいかわらず今夜も 口ずさむのさ
 99Blues
 

 
 この街のルール この国のルール
 家庭のルール 教室のルール
 一つの形じゃ踊れない
 このままじゃ なみだしてしまいそうさ


 夢を見た 昨夜の事
 ブルーな夢 But it's all right

 電話して欲しい見知らぬ夜 
 誰かの声が聞きたい

 いつも本当に欲しいものが手に入れられない
 あいかわらず今夜も 口ずさむのさ
 99Blues

 いつも本当に欲しいものが手に入れられない
 あいかわらず今夜も 口ずさむのさ
 99Blues


 佐野元春 99ブルース

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ノーバディ

 そうさ あれは遠い1967
 
 街を出た プアリトルボーイ
 古ぼけたトランクに
 夢だけを詰め込んで

 そうさ1マイルごとに
 胸にあふれた 君への思いも

 若過ぎた魂 止められなかったのさ

 uhn 西へ向かう
 長距離バスに一人揺られ

 心細さと
 見えない明日を

 抱きしめてた

 sha la la la
 まぶたを閉じれば

 sha la la la

 遥かなレストレスハート

 

 そうさ迷いながら歩き続けた

 いつもライクアローリングストーン

 そして心誘う 旅はまだ終わらない

 uhn 時は流れ 夢はいつか
 変わるけれど

 揺れる心 このせつなさ

 今も同じ

 sha la la la

 心迷わせる

 sha la la la

 お前はレストレスハート

 sha la la la

 さまよい続ける

 sha la la la

 今夜もレストレスハート


 ノーバディー: レストレスハート

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2008年2月 1日 (金)

バレンタイン-フィヨルドの少女

 少し前のことですが、1/26.27と
行ってまいりました、上越国際。
 南関マスターズ・・・

 00012

 参戦を始めたのは4年前に新潟へ
転勤になってからなので、
この間の3年間は、2連戦のさなか
わざわざ2時間かけて上越から
通っていました。
 今回はそうは行かず、ララを
実家の両親にまかせて
クラブの常宿へ世話になりました。

 まったく雪が2日間とも降りやがって、
筆者の嫌いなバーンコンディション。
 ちょっとラインを外れると、
新雪があっておっかないったら
ありゃしない。

 まぁでも、やはりスタート前の
緊張感はやめられないの一言。
 結果はどうあれ、主役は自分自身。
 人は誰のために生きることも、
誰かのために生きることも難しい。
 
 疲れた体を引きずって、
四日市に戻る。
 
 実は四日市に来てからほどなく、
身の上が恵まれない女の子に
お金を貸してしまったりしている。
 いや複数人、複数回じゃないんですが。

 なんか怪しい事件に巻き込まれるのは
こりごりなので、色恋とかではないけど。

 こんな行為に及んでしまうのは、
深い悔恨の思い出が
関係しているのかな と、
後になって気づいた。

 バレンタインにチョコレートをくれた女の子。
 友達と一緒で、なんだか必死だった。

 それでオレは、その子はとても
可愛くてふつーにモテるようなタイプの
女の子だったから、他に好きな女が
いるにも関わらずチョコを受け取って、
その場で付き合う約束までしてしまった。

 その後が最悪だった。
 いやオレが。オレの行為自体が、
人間として最悪レベル。

 詳しくは書かないが、結果的に
振ってしまい、とても傷つけてしまった。

 女はピリオドが打てる生き物だから と、
そう簡単に割り切ることは出来ない。

 その子はもう忘れているよ、そんなことは・・・
 人からも言われ、本にも色々書いてはいるが、
やっぱりそう言うのは人間として最低なんだと。
 手も握ってはいない。でも心を深く傷つけて
しまった。

 その子も恵まれない身の上だった。
 詳しくは書かないが。
 思い上がりでもなんでもないが、
親が貧乏だったりして選択肢が狭まる
生き様は恵まれない身の上としか
表現できないし、その子弟のせいでも
なんでもない。ただ せつない。
 能力が発揮できるか、
能力を発掘してくれる人が
身の回りにいるかいないか。
 チャンスは紙一重だ。
 身の上が災いして、
引っ込み思案気味の女の子に、
チャンスをモノにできない不幸を
誰が責められると言うのだろうか。

 そんなトラウマを抱えての
今回の行為だったが、たぶん
お金は返ってこない。
 べつにそれでいいと思っている。

 そのお金は、彼女が言う
出来すぎた人情モノののような
美談に使われなくても、
彼女がそれで服でも買って、
チャンスが広がるように
なればいいのさ と。

 
 四日市で、ふとしたきっかけで退官した
先生と知り合って、この話をしたら、
筆者の人となりを即座に見抜く
この慧眼の先生は泣いてしまっていた。
 仕事の相談にもちょこちょこ乗って
頂いたりしていた。
 それで少し流れが変わったり、
いいほうへ変えようと考えるように
なるきっかけを与えてくれたりした。

 ストレスが生まれそうな相談を持ちかける、
この先生はそんな馬鹿な男が好きみたいだ。

 この人はオレを前にして泣けるんだな。

 この歳で、もう新しい何かと出会うなんて
思いもよらなかったよ。
 あんたが居たとはな・・・

 先生はそう言った。

 

 この台詞を言われるのは、
生きてきて二回目だ。
 前に言われたのは、19歳の頃だった。
 
 オレは誰かのために生きようなんて
思わないが、誰かの心を動かせる、
馬鹿な男のままでいたい。

 

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2008年1月24日 (木)

弁当忘れても 傘忘れるな

 ええ そのままなんですが。
 そのまま幸さんへ伝えておいて
くださいまし。
 
 新潟にいた時は、ぴたりと
あてはまる言葉だった。
 いきなり降ってくる雨や雪。
 傘だけじゃなく、できれば長靴も。
 
 たまに降ればうれしいというか
風流なようにも感じられますが、
実際雪害の地方から帰還した
筆者にとって、あの辛さは忘れられない。
 大雪だとか、暴風雪って天気予報で
流れれば、わざわざ東京からスキーに行こうとか
思わないし。
 でもそこに住んでいると、暴風雪からも
大雪からも逃げようがない。
 ただ黙って春を待ち望むのみ。
 だってイエティと呼ばれた筆者でさえ、
プチ引きこもりになり、おいおい今更かよ
ってな具合でPS2を買って生まれて初めて
テレビゲームの類をしていたくらい。
 今はテレビゲームなんてやろうと
まったく思わないから、よほどひつまぶし、
いやもとい、暇つぶしの手段に困って
いたし天気が悪くて外に出る気も
どこにも行く気が起きなかったということ。

 

 横浜へ二週間ぶりに帰ってきた筆者。
 懐かしい方々お世話になった方からの年賀状。
 やっと読めました。

 都会のそれで、ヘンなものを貰ってしまい
現在のどが痛い状態です。
 風邪かなと。

 皮肉にも昨日の夜、撮りダメしていた
映画「アビエーター」を見ていました。
 強迫性障害の主人公ハワード・ヒューズが
細菌汚染を極端に嫌う描写がなんとも迫真。
 これくらい気をつけていれば、風邪なんかを
貰う羽目にはならなかったぞと。


 それにしても横浜関内のランチは最高。
 
 四日市では周囲に食べ物やさんが
あるにはあるけど貧相で、
仕方なくコンビニのあまり美味しくない、
いやはっきり言えば紙を食べているような
虚しさにかられるものを食べていた。

 そこへ洋食屋さんの宝庫、
関内でランチを食べているのだから、
雲泥の差、若しくは天国と地獄。

 グラタンなんかが、今の時期最高に
美味しい。時間があったらじっくり焼いた
焦げ目の少し多いのを毎日でも
食べていたいくらい。
 
 洋食屋のランチ。
 メインの料理と、オレンジ色した
ケチャップ味のスパゲッティー。
 マカロニサラダか、ポテトサラダの
乗ったレタス&キャベツの野菜類。
 ライス、皿盛り。
 これをナイフとフォークでいただく。
 汁物は味噌汁でもスープでも
なんでもいいが、今の時期なら
豆がいっぱいのミネストローネなんかが
最高にうれしい。

 外食系和食は・・・
 はっきりいって、高級ぶっていながら
偽装なんかに手を染める輩がいるし、
気取るんじゃねーと言いたい。
 うんちく垂れの寿司屋とか、
食い方に注文つける
ラーメン屋も大嫌いです。

 食い物でガタガタ言うのは
男じゃねーと。
 結論は洋食屋さんのランチって
ことになりました。

 

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2008年1月21日 (月)

今しかない ここしかない オレしかない

 今週は、横浜で技術系の講習が
今日から三日間あり、あと本社での
所用などを含め横浜の自宅に戻っています。

 昨日は寄り道して岐阜のめいほうと言う
スキー場で滑って、そのまま140km/hの
マイペースで帰ってきました。
 幸さんは雪を待ち望んでいるようですが、
東京では降らず、が御殿場辺りは結構な
降りでした。

 あと、毎シーズン出てる大会が、
新潟は上越国際で今週末の二連戦。
 なんか疲れているのでダメな感じですが。
 いちおうと言うか選手のたしなみで
準備はちゃんとしておこうと。

 昨日の帰りしな、携帯電話が壊れました。
 バックライトの故障みたいです。
 これはディスプレイが表示されないので、
携帯がまったく使い物にならない状態に
なりました。

 今日代替機に変えてもらいましたが、
データーのコピーが出来ないので、
いったいぜんたい誰に連絡しようと
思ってもアドレスが分かりません。

 ダメですね・・・
 買ってから半年とか、
そんな短期間で壊れるほうも
壊れるほうだが、いちばん頭にきたのは
そう言った端末に頼ってしまう思想を
帯びていた自分自身。

 昔だったら、逐一アドレスなんかを
その名もアドレス帖に書いていたものだけど。

 パソコンの検索サイトもそう。
 なんだか便利さにかまけて、
本格的に書籍を買い込んでのめり込むとか、
そう言うことをしないで疑似体験とか。

 現地・現場主義でいかなくちゃならないな。
 
 ありとあらゆる端末は、基本的には
足しになっていない。
 必要不可欠かというと、効率重視の
仕事をこなす向きには便利だけど。
 
 でも効率重視だとか、普遍的なところに
落ち着いてしまっている時点で
付加価値がない。

 もう一度、アタマの中を明瞭にすべき。
 
 目指すところは千載一遇。

 
 関内で受講していますが、
やっぱり横浜はいいですね。

 昼休みにフラっとすると、
お好みの洋食屋にぶち当たったり。
 今日はメンチカツランチでした。
 
 
 

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2008年1月12日 (土)

HAPPY&BLUE

 幸さんはケイト・モスばりのヘアチェンジを目論んで、
髪をお切りになったそうです。
 本人いわく「微妙」ヘアチェンジらしいのですが、
そのお姿を是非見たかったなと、悔恨。
(悔恨って、そんな大げさな・・・)

 手帳はどんなでしょうか。
 筆者の出張地三重県では、
よく「手帳は高橋」のCFが流れています。
 今年は薄いBlueの表装になっている
のを買い求めました。 Image091
 もちろん「高橋」のです。うひゃ
 一緒にペン先の細いぺんてるハイブリッドの青も
買います。いつもの通り、進歩なし。

 幸さんは、HAPPYなオーラをまとい、
HAPPYを引き寄せる
と、書かれておりますが、
まぁなんと愛くるしい言葉なんでしょうか。

 考えるに、筆者の場合は男なので、
HAPPYなことがあっても人前では
下を向いてニヤニヤしていることのほうが
多いですね。
 あとまぁ男女問わず、HAPPY人でない人から
思わぬ攻撃を受けることもあるので、
HAPPYな時ほど慎ましやかに
気をつけて行動するようにします。
 それで、都会の雑踏に紛れ込んだときや、
夜眠る前にHAPPYなことを思い浮かべて
ニヤニヤしながら眠りにつく。
 これは最強最高なんじゃないでしょうか。
 こうゆうときは、お酒なんかで希釈せずに、
目一杯幸福に浸るのがお洒落ってものです。
 お酒なんかに紛らわされたら、
もったいないじゃないですか。
 
 基本、他人は人の不幸が好きですからね。
 まったく少しばかり嫌な世の中です。

 
 筆者の前に所属していたところが、
90年の長きに渡って貫いてきたポリシーを
捨てるそうです。
 ドメスティックに言及すると、分社やなにかの
組織名が長くなりそうなので少し気の毒に
思いました。
 人は進んで不幸を望んでいるわけではないのに、
不幸な身の上の人もいる。
 ならばHAPPYな人が、余力のあるうちに
そのHAPPYを伝道してまわれば良いのです。
 思うのではなく、行為をしてまわる
ことが大切です。
 そういう事が出来る人は、
自然と特別な存在になれるし、
身にまとっているものも、
単なるHAPPYではなく、
一歩進んだ「充足」になれるのでは
ないでしょうか。
 人様の価値観・尺度とは関係なく、
充ち足りるを知る。
 
 幸さんのにプラスして、
笑いながらHAPPYなことばを口にする。
 
 辛い時ほど笑っておけ と。
 座右の銘だったりします。
 
 
 
 

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2008年1月 4日 (金)

無茶してたイエティ

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 競技クラブの合宿が、今日を含め
四日間ありながら、軟弱な筆者は
横浜の我が家でスキーなんかの
チューンナップなぞをしながら
久々の我が家生活を満喫してる。
 合宿は5日に行くことと。

 考えてみれば、筆者がスキーを
始めたのは人より遅く、それが
今までスキーにこだわる理由にも
なっているように思える。

 初めてスキーをしたのは、
25歳だったか。
 小川町のコージツで
K2の板とアルピナの
ブーツを買った。
 この頃はとにかく
用品が高かった。
 今から考えるとアホらしく
なるくらい商社が暴利を貪って
いたという事になる。初スキーは、
当時同行した兄弟の趣味で、
裏磐梯猫魔スキー場だった。
 その後も何度も訪れたが、
ここはとても寒く、雪も多め。
 最初のスキーは、リフトも
満足に降りられないほど散々な
結果だった。
 平らなバーンが、物凄い
急斜に感じられた。
 猫魔はゲレ食も貧弱で、
何時間も待たないと満足に
席にも着けない有様。
 なんだかスキーの楽しさを
知らずに挫折しそうだったのを
よく記憶してる。

 その後、苗場や猪苗代なんかにも
友人と行ったが、まったく上手く
滑れなかった。

 それからは一人ぼっちで
クルマを走らせて、よく滑りに行った。
 いわゆるコソ練って奴。
 とにかくありとあらゆるスキー場を
廻ったが、その当時にハマったのが
野麦峠スキー場と言う、固めの
バーンコンディションで有名な
ローカルスキー場だった。
 ただここは、縦に長いゲレンデで、
TOPとベースの標高差は1000m近くあった。
 ここでカッ飛びスキーを覚えた。
 テクニックもそれなりに
身についた。
 今でも緩斜面での小回りは苦手。
 それは野麦峠の急斜中回りの
クセが染み込んでいるから。
 ここには奈川倶楽部という
ペンションがあり、何回か
お世話になりました。
 ご飯がとても美味しいところです。

 またまたその後は、バックカントリーに
身を投じた。
 この頃のバックカントリーは、
山家(登山家)の独壇場だった。
 筆者のようにゲレンデから移行した
好きモノにはこの頃逢えなかった。
 好きもののボーダー君が山に
分け入って来たのは、そのずっと後。
 上越の巻機山、尾瀬の燧ガ岳(御池から)、
月山など日帰り可能な山々。
 訳も分からずソロで、今考えれば無謀にも
単独行での山行を好んだ。
 山用の用具も高かった。
 板はアルチブルムなどの軽い奴。
 金具はフリッチの山用。
(歩行時はかかとが上がる細工)
 ブーツはビブラムが打ち込んである
スカルパのプラスチック兼用ブーツ。
 山スキーの必須アスピリン、シール。
 その他、バカ高いゴアテックスのウエア。
 ザック、歩行用のアイゼン、
オプティマス8Rなど等・・・
3947726

 山家よりも山に慣れていない分、
いかめしい格好で山に入っていった。

 3月から4月、残雪期の山の中は、
さても静だった。
 自分の息遣いくらいしか、
音のない空間だった。
 この静寂は今でもよく
おぼえている。
 おぼえている と、
忘れない とでは意味が違うんだ。
 いつも腹が空いていて、
でも何も考えずに、ただ一本を
滑るためにピークを目指していた。
 
 二度目の巻機山のニセピーク付近で、
筆者は滑落しそうなほどの転倒をした。
 もう少し先に行っていたら、
雪庇を突き抜けてお陀仏だった。
 鼻を鋭く切った。寒さで麻痺していて、
あまり痛さは感じなかったけど。
 
 もうその頃はソロで、しかも殆どの
山スキーを移動も含め日帰りと言う、
今から考えればとんでもない強行を
していたことからして肉体に限界を感じていた。
 
 転倒したその日も、仕事終わりの前の晩に
石打で高速を降りて、清水の集落まで
当時の愛車シトローエンBX19を
走らせ、そのまま朝まで仮眠と言う
いつものスケジュール。
 
 転倒後は気も動転していたのか、
下りは何度もルートを誤った。
 とても疲れていた。
 もう途中で板を捨ててしまおうかと
何度も思った。
 暗くなるにつれて、遭難の二文字が
頭に浮かぶ。残雪期とは言え、
上越のこの辺りの雪はまだまだ
吹雪いたりしながらとんでもない
勢いで降り出した。
 山の4月上旬は、まだ真冬だった。

 なんとか下り、道路の頼りない街路灯が
見えてきた。
 道路の上、5m以上高い雪積もりの
中を街路灯を頼りに清水集落まで
戻った。随分と離れた場所に
下山したみたいだ。

 クルマのところまで戻ったら、
集落の人が心配して
待っていてくれた。
 朝出て行ったきり、戻らない
筆者を。
 時計は10:00近かった。

 そのとき筆者の顔を見て、
その集落の方がびっくりしていた。
 びっくりするほどの顔ですよ、
どうせ俺様は。

 腹が減って仕方が無かったので、
石打インターそばの洋食屋に
寄った。
 店に入ると、ウエイターも直ぐそばの
彼女の連れの男もその彼女も、
筆者の顔を見てブルっていた。

 さきほどの集落の人といい、
いったいぜんたいなんなんだ?

 疑問はレストルームに顔を洗いに
行ったとき分かりました。

 激しく切った鼻の頭に、
凝固した血がこびりついて
真っ黒になっていたのです。

 おまけに、顔は目の周りを
除き、雪焼けで皮が破れて
いました。

 集落の人にも、
この店の人々にも、
とんでもない恐怖心を
抱かせてしまいました。
 すいません。

 

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2008年1月 1日 (火)

訳ありのあうん

 2008年が明けました。

 朝生見ながら、少し
シュールな面持ちで
おめでとうございます。

 今年の目標は、
はっきりと最後まで
言わずとも、
語られなくとも、
色々なことが理解
出来る人になることです。

 一対の阿吽です。

 KYとか流行語で
言われるように
なったのは、

 本来日本人が持っていた
鋭敏さが薄れてしまった
からかとも思います。

 ああ なるほど
そう言うことだったのか、
とあとで気づいても
面白くないので、
すぐ分かる人間に
なりたいものです。

 今年もよろしく。

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2007年12月30日 (日)

2007年回想

 2007年の新年は、まだ横浜の家を
人に貸していた関係で、ひっそりと
東京の実家で過ごし、勤務地新潟は上越に
新年4日には帰ったのだった。

 それからほどなくして、
兵庫県は尼崎への転勤が決まった。
 何も隠すつもりはないが、
プラズマディスプレイを製造する、
工場建設の仕事だった。
 旨く行っていると思っている人が
少数ならば、しょっぱい思いをしている
人が残りを占めている。
 そんなことが日常的に感じられる場所だった。

 人から、耐えろ と言われたが、
もう3年の月日を、社内的には不毛の地、
上越で過ごしてきた。
 能力が無いとか、そう言う事なら
上越で少々お茶を濁して、それで
東京に帰る算段も有ったはず。 
 だから尼崎へ赴いた筆者に 耐えろ 
と言う言葉は、
「地獄へ堕ちろ」とか「死ね」と同義だった。
 少なくともその時はそう感じていた。

 それから、どんなに遠くに仕事で
赴くことがあっても、基点は東京本社で、
いつかは基点の場所へ帰ることが出来る
企業へ移ることを模索したのだった。
 自分の帰属する場所がどこなのか、
もう一度考える必要があったから。

 それで、8月退職し、1ヶ月のアイドリングの
後、新天地へ。
 新天地といっても、古参の方々も大勢いるわけで
いろいろ有りますです。
 でも前よりは幸せで、前のめりです。
 
 普通だったら移籍できないような
環境に移籍できて、筆者は発掘されたんだと
思う。発掘した人はエライ。

 今年は、空間移動がとても多い年でした。
 重たい荷物を文字通り背負いながら。

 いま、軽井沢に両親と来ていて、
万平なんかに泊まっています。

 遅い初滑りでしたが、軽井沢プリンスと言う
通い慣れない場所で済ましました。

 なぜか全然体が動かないなぁ、
と思いながら飛ばすのですが、
軽井沢の雪は、降雪機の雪と
新雪のミックスで結構難しい
コンディションになりました。

  明日帰ります。
 フランスベーカリーのパンは
美味しいですね。

 新年5日までは横浜や、
群馬県と日光の境あたりを
うろちょろし、また四日市へ
赴きます。

 今年は途中から、
神農幸さんを
応援していたと言うか、
闇雲にトラバを打っていました。
 考えてみれば、尼崎転勤で
おけいはんを知らなかったら、
一生知る由もないとは大げさかも
ですが、興味を持つことも
無かったのかな と。
 あったことも無いし、
話をしたことも無いのですが、
なにかを託すってHAPPYだなと。

 なにを託していたのでしょうか。

 答えは来年には出るかも知れないし、
墓場まで持っていく羽目になるのかも
知れない。

 ひとつだけはっきりしていることは、
おけいはんこと神農幸さんに、
救われたことがあると言うこと。
 

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2007年12月25日 (火)

サンタクロースも早起きは辛い

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 メリークリスマス

 早くからみんな盛り上がり過ぎだって。
 
 イブの夜が明けて、朝の挨拶が
メリークリスマス。(だったよね)

 昨夜は、今朝3時起きだってことで、
9時には寝てしまいました。
 プレゼント配達のローテーションが
あるとか、べつにそういうのではなく、
朝早くから筆者の到着を待ちわびている人が、
産業界には居るってこと。
 まさに映画を地でいく世界だねっと
きたもんだ。
 

 日本の産業界の悪いところなんでしょうが、
この年末の差し迫った時期になると、
それまでの平穏を破るような
忙しさを求める人がいて困ります。
 「年内」「年度末」って言うと、
必ずイレギュラーな仕事をしようと
思考する計画立ての苦手な人が
いるんです。
 

 計画通り予定通り日々を過ごしていれば、
イブの晩に明日のことを考えつつ
早寝しなくても済んだものを・・・

 幸さんは、紀伊国屋スーパーかどうか
分かりませんが、
日本のクリスマス世相を
ウオッチしていたようです。
 幸さんと言えば、
サンタの次に赤の似合う人として
有名なんですが、
 サンタは男の役目なので、
これから先の人生も、筆者はプレゼントを
運び続けなくてはなりません。
 いえ、特定少数が対象となります。

 クリスマスと家族を同時に
考えると、筆者のところは
男三人兄弟なので、
どちらか言えば殺伐系だったかなと。
 えー、ツリーの飾り付けでケンカ、
ケーキの大きさでケンカ、
プレゼントの類でケンカ、
まぁ仕方がないって言えば
仕方がないのですが。

 クリスマスは、恋人と過ごすよりも、
プレ大掃除などをしながら
家族と過ごしたほうがよいのでは、と
筆者は考えます。
 
 クリスマスにしていることの大概は、
とくにクリスマスの時期にクリスマス料金で
しなければならない意義が薄いので、
それならば毎週がクリスマスってことで
準備万端でいつもいて、
恋人の不平不満を抑制したほうが
効果的なのではないでしょうか。

 話し変わって幸さんが言うように、
足を伸ばしてゆっくりと
温泉につかりたいですね。
 近くに湯の山温泉があるので、
その気になればって事なのですが。

 日本人は温泉へ入るために
仕事をしていると、
区切りのたびに温泉つきの宴会で
盛り上がる日本人を見て、
外国人は思ったそうです。

 幸さんの話を要約すると、
家族温泉でクリスマス、これ最強
ってことになるのかも。
 
 年内の仕事はもう少しで
終わるので、年末三日ほど
両親とララを連れて軽井沢に行きます。
 泊まるところは、
ちょっと高級ってのがポイントです。
(神農幸 風)

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2007年12月22日 (土)

イブの夜だぜ

 幸さんは早めのクリスマス
プレゼントを頂いてご機嫌な様子です。

 

 プレゼントしたいと思うし、
プレゼントするし。

 このような女性が身近にいて、
しかも色恋ない感情しかないのなら、
軽々と易々と渡しやすいのが
クリスマスプレゼントってものですよね。

 渡せなかったり、
届かなかったりする
プレゼントのほうが、
だいたい後を引いて、
後日忘れられないものに
なったりする。
 ああ、そういえば
そんなものを渡そうとした
ことがあったな と、
賑わう街のショーウインドウを
眺めて思ったり。
 
 案外、達成できなさそうな
「夢」「希望」といった類の
累々たる屍骸を道連れにして
歩んでいく人生も
捨てたもんじゃないなと。

 ただ、幸さんの書いていることは
まずもってもっとな事で、
誰だって家族以外の誰かから
クリスマスプレゼントを貰える
機会があれば嬉しいに決まっています。

 どんどん渡してください。
 貰ってください。

 ある意味では、貰えない身の上の
筆者が地方都市でひっそりとしているのも、
天の配剤と言えば、そんな大層なものでも
ないが言えなくもないなと。
 あげることもないから、
クリスマス資金は
来年にそのままスライドかな。
 とか なんとか。
 

 タイトルの、
「(ひでえな) イブの夜だぜ」は
映画ヘッドライト
主演のジャン・ギャバンが、
そのみすぼらしい安宿のベッドに
身を投じた時に思わず
口走った台詞です。

 まぁここでは、
フランソワーズ・アルヌール扮する
その安宿のメイド、
クロチルドとの出会いが
あるのですが。

 最初この映画を観たのは、
NHKの映画劇場で、
高一くらいだったかな・・・

 その時は、
いったい何がいいのか
さっぱり分からなかった。

 リンク先にもあるように、
内容は極めて不純な、
はっきり言えば不倫もの
なんです。
 
 まぁ色々あるのですが、
最後にクロチルドは死んでしまう
んですよ。

 いったい彼女の人生は
幸せだったのかな?と、
疑問符が108個ほど
飛び散る結末。

 この物哀しい、
救いようのないFinが
フランス映画の醍醐味らしいことを
知ったのは、それから少し後のことだった。

 不純な大人が、
その一瞬、純粋に
燃え上がる。

 人と言うか、
大人は、見たくもない
汚いもの見せられて、
或いは見に行って、
胸に手を当ててみて、
きれいかきたないか
問われれば、まぁ
汚いんじゃないかとか。

 そのようなものを
全部ひっくるめて面倒見るのが、
フランス映画の良いところ。

 クロが死んだ後に、ジャン扮するトラック運転手が、
あたかも弔い火でも上げるかのように、
その安宿を訪れます。
 そこでFinです。

 この三連休は、
しっかりと仕事が入っているので、
少しそんな古い映画を
思い出しました。

 冷たい雨。

 ジャン・ギャバンも
極々当たり前に貫禄の
演技をしていますが、
この映画の肝は、やはり
フランソワーズ・アルヌールが
演じたクロチルドに尽きますね。

 映画は女優でキマります。
 
 
 
 

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2007年12月18日 (火)

下駄履きの魔術師

 幸さんは、怒濤の忘年会シーズン突入だそうです。
 振袖ですよ。幸さん。
 しかも赤い。
 幸さんは細いので、和装では
忍ぶ川のお志乃さんって感じの
イメージです。
 三浦哲郎さんの名作で、
映画では栗原小巻さんが演じました。
 どちらもふくよかな和装美人って感じでは
ないのが良いです。
 いや個人的な好みです。すいません。
 
 
 筆者も和装好きの母親に、ハタチくらいの時
サンシャインシティーにある、きものやまとで
塩沢紬を買わされた経験がある。
 いや、買ってくれるのかと、
甘い幻想を抱いていたら、なんか保険の
解約金かなんかで支払われていた らしい。
 大して和服なんて興味なかったが、
それから数年間、正月と言えば
和服を着ていた。
 珍しいトンビなんかも持っている。
 下駄も凄いぞ。

 とかなんとか、とかく出費が
嵩むのは和装の真髄です。
 最近は、転勤なんかで落ち着かず
和服着るのも控えてました。しかしながら、
やはり浅草の新春歌舞伎を
観に行くのなら和服に限る。
 トンビのマント感覚が最高。
 もうそれをまとった瞬間、
江戸川乱歩の悪役か、
金色夜叉のお宮、貫一。
 「このバイタが~」と蹴飛ばす貫一。
 でもその後、二人は仲直りしたんだよね。
 親の言いなりで嫁ぐなんて、
お宮も気の毒っちゃ~気の毒。
 でも再会して仲直りできて良かった。
 和服は一見すると寒そうですが、
織りが非常に繊細なので風を通さないんですよ。
 だから見た目以上に温かい。
 いえ寒かったら正月に着ないけど。
 
 
 筆者は四日市へ出張というのが幸いしたのか、
それとも不幸な身分に落ちぶれたのか、
「怒濤の」とまではいかず、そこはかとない
雰囲気に包まれつつ、時々忘年会、
時々部屋でパスタを茹でたり、
グラタンを焼いたりして年末を過ごしています。
 ララの散歩も当然の如くルーチンです。

 新潟-尼崎と続いた連戦のさなかに
知り合った友が、今度の連休の間隙を縫って
酒を飲もうと誘ってきました。
 二人だからな。これは忘年会と
言えるのだろうか・・・
 まぁどうゆうの。
 あまり人数多めの酒宴は実際好きじゃない。
 なんて言うか話題が定まらないし。
 いやいつでも話題の中心にいれば、
それはそれで良いんじゃないかって
言う人もいるけど。
 ただそれって酒の量が増えるんですよ。
 ネタを魔術師のように繰り出す
筆者のような男は、ともすると
酒宴で反感や嫉妬(ウソ)をかこうことも
しばしば。
 だから自分から進んで窮地に陥るような
大勢での酒宴は避けていきたいですね。
 いや文字通り大人しくしていれば
いいんじゃないかと思うのですが。
 オレのハートがNOと言う。

 最初、尼崎と四日市の中間地点っぽい
祇園あたりに繰り出そうと思ったのですが、
舞妓さんに見とれて目が泳ぐのも
なんだか筆者のキャラそのままで
善良な京都市民に申し訳が立つまい、
のぉ坂本どん。

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2007年12月16日 (日)

ワイパックス片手のジェットマシン

名も無い港に
桃の花は咲けど
旅の町には
安らぎはないさ

四日市で生活を始め、
やはり横浜や
東京のことをよく
考えます。
幸さんはボロ市に
行って、寒さと喧騒を
満喫したみたいです。
筆者も出店したかったです。 例えば横浜に、何の気無しに居たのなら、
サッカーを観に行ったかも知れないし、
実家の武蔵関ボロ市に
行っていたかも知れない。

って考えるだけで、
泣けてくらぁ。

で、酒でも飲んでなきゃ、
やってられないぜ

と思うのですが、
ところがどっこい、
心に風が吹く。
吹いてくるのは、
スリルか愛か。

PHP出版の歴史街道、
坂井三郎と零戦、などを
大人しく読んでいます。

地方にも方々行っていますが、
名古屋のベッドタウンと化した
ここ四日市や菰野も、その陰影が
年々濃くなっているのだろうな。
町の活力ってなんだろうなって
考えるとき、
それはそこへ住む人々の、
燃える闘魂とたゆまぬ努力に外ならないと。
筆者は、考えます。

地方へロードに出かけるたび、
自分は地元の人々の代打なんだと意識します。

地方たる地元に燃える闘魂とたゆまぬ努力が
常に根付いていて、
優秀な人材がいるのならば、
筆者のような愚鈍で
地方の悪口ばかり
言っている人間の、
出る幕なんてないんです。
四日市も他のエリアのご多分に漏れず、
やる気満々で仕事に当たっている、
じもてぃーは非常に
稀だと。

こんなことをぐちゃぐちゃ考えずに、
筆者は幸さんと幸せな国を
創る道筋を考えて行きたいぞっと。

早くスキーに行って、
リフト上でぼんやり
木立でも眺めたいなと。

今日は、初めて携帯からエントリーです。

二重生活なので、部屋に光は引きません。

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2007年12月11日 (火)

汚れた顔の天使

 いままで特に意識してはいませんでしたが、
考えてみると筆者の今年に入ってからの
動きを見ると公害ロードの旅。

 1月頃から尼崎へ。
 そしてまた年をまたいで
四日市へと移動しました。

 筆者の仕事は、それら公害を
無くすために行っている側面のものも
あるのだから、必然といえばそう言えるし、
皮肉といえばあまりにも皮肉な結果だ。

 あまり深く考えて、
相当因果関係説をたどる旅路に
悩むよりも、新しい何かを
見つけるように最大限の努力を
払っている今日この頃。

 筆者の仮住まいの場所は、
御在所の山々がすぐ近くに
あり、たいへん空気のよいところです。

 ただ、町で凍えんばかりの雨の夜は、
山では雪が降りしきっているのでしょう。

 四日市。寒いです。

 寒いところの常ですが、
エアコンがガス焚きです。
 上越は灯油焚きでした。

 エアコン燃料の液化石油ガスは、
原油を精製するときに発生する
副産物です。
 ですから、いいように値段が
上がっています。
 
 寒いから、欲望を満たすため
人間は物質を燃やして
寒さをしのぎます。
 CO2をガンガン出します。
 
 自分とはいったい何なのだろう
と考えるとき、人間とは
許されざるものだと常に意識しています。

 電気だけ使っているただの
エアコンのほうがクリーンなの
でしょうが、寒冷地エアコンの多くは
地下燃料を追い焚きに用います。

 そう言った燃料の使い方を
抑えるためにも、
冬は暖かい格好で過ごしたほうが、
やはり良いと思います。
 お洒落は先取りです。
 春暦、三月になったら、
 いつまでもコートを着ていないで、
いち早く足を出してスカートを
ひらひらさせて街に繰り出す。
 ふらふらっと、おびき出される男。
 
 

 

 

 

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2007年12月 9日 (日)

ここに幸あり

 昨日の夜は、東京名残惜しみで
日本橋にある、おでん屋さんの
「お多幸」に行って会社の仲間とたらふく食べ、
少しだけ飲んできました。
 深酒はせず、帰りしなは
コーヒーショップでチョコタルトと
ブレンドを注文。
 

 お多幸は、そのつゆの色が
関西の人がよく言う「まっくろ」で
ここまで黒いのも珍しいってくらい
黒く、しかし味がとことん沁みていて
美味しいです。
 ここの豆腐のおでんは特に
絶品です。新橋や銀座にもあり、
新橋では友人諸氏と忘年会をした
記憶あり。
 
 お多幸は、なんとなく幸さんつながりですが、
特に狙ったとか、そう言うのではなく偶然か
神の思し召しで自然と足が向いていた、
と言うことでしょう。
 おでんを食べるには、
寒さに不足はない季節ですし。

 さてさて筆者のお稽古事のはなし。

 なんて言うか、数はそんなに多くないけど。
 裕福でもない家庭で、よく行かせて
くれた母に感謝しております。

 水泳。吉祥寺の藤村女子にある
温水プールで。教室が終わったあと、
となりにある洋食屋さんのバンビで
食べるハンバーグが美味しくて
忘れられない。
 ここの先生方は、いま考えると、OGの
東京女子体育大や日本女子体育大の
学生さんたちで構成されていて、
まぁスパルタでした。
 よくひっぱたかれました。
 
 書道。近所のおばはんの家。
 えらい厳しい先生でした。
 正座を崩すとひっぱたかれたり。

 むかしはよくひっぱたく先生が
多かったですよね。

 剣道。近所の警察。
 精神統一を学びました。
 あと、いざとなったら気合かなと。
 対外試合もありましたね。

 絵画。近所の、まだ売れていない
画家のアパートで。
 ここは筆者以外には女の子ばかりの教室で、
なんかダメになりそうな感じでした。

 絵画以外は、級とか段とかあって、
それが苦手でした。
 子ども心に、
「その進級の基準はどこにあんねん?」と
猜疑心の塊になったり・・・
 「おれのどこが気に食わんねん?」と。

 珠算。むかし流行っていたんですよね。
 割合、学校の延長みたいな感じでした。
 まぁこれの進級は、白黒はっきりした
試験だったので、けっこう自分の指先に
自信が持てなくなったりしました。

 だいたいそれらは、小五くらいまで
続いていたのかな。
 ちょっと記憶が曖昧です。

 その後、少年野球や空気銃遊び、
サッカーやバイクを覚えた頃には
完全に忘却の彼方へって感じで
消えて無くなったかのようでした。

 ただ、近所の石神井公園なんかに
よく自主的に絵を書きには行きました。
 それで、近所の画学生にいろいろ
教えてもらったり(石神井には芸大の寮がある)
当時下火になりつつあった学生運動の
セクト間対立か内ゲバか知らないけど、
迫力ある殴り合いを見たりしました。

 あと石神井公園では、近所の
東映さんの撮影をよくしていました。
 刑事ドラマだったり、ロボコンだったり。
 ロビンちゃんの島田歌穂が、あとで
歌い手さんになって登場してきたときは
たまげました。
 
 話それましたが、絵描きはもてるんだなー
と、その時から感じていました。
 なぜかと言うと、その近所の売れない系の
画家さんの汚いアパートに、けっこう頻繁に
女性が入れ替わり立ち換わり出入りしているのを
少年は見過ごさなかった。
 まぁそれは本当の彼女だったのかも
知れないし、モデルのバイトだったのかも
知れないけど。

 そんな具合です。
 役に立っているのかどうかと
言われると、役に立っているほうだなと。

 明日から四日市へしばらく行って来ます。

 筆者の住むところは、山の麓なので
夜はとても暗くなります。
 まず暗闇に目を慣らすところから
始めないといけません。
 夜遊びなどからの必要性ではなく、
散歩です。

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2007年12月 6日 (木)

この道はいつか来た道 二度と通らぬ過去の道

 Image032
026

 今夜は帰りに1年に一回有るか無いかの
渋滞に巻き込まれました。
 静岡辺りで情報が入り、
鮎沢で鮎ちゃんコロッケを食べながら
時間潰してもダメ。
 写真は早くもストリートに
降りてきた新型のR。
 分かりにくいので、
モーターショーのNブース出口側アクセスで
ようやく写せた写真も一緒に。
(入り口側からだと無理そうなので機転を利かし)
 
 海老名で、無茶な幅寄せ&割り込みを繰り返す
トラックが、何の拍子か炎上です。
 右側1車線のみの走行です。

 ほんとうになんとかならないでしょうか。
 秦野中井の先から横浜町田手前のところまで
通過するのに二時間ちょい。

 こちらが140km/hで走行しているのに、
90km/hで追い越し車線に切り込んでくる
モラルもダンディズムもないトラックドライバーたち。
 そりゃ図体でかけりゃさ、本人の度胸と関係無しに
突っ込んでもいけるさ。大抵の普通車は待ちますから。
 大抵は・・・
 しかし、筆者は時々は絶対に絶対に譲らないので、
サイドミラーがアルミパネルにこすりそうになります。
 そこで片手ハンドルで、中指立てて、
横に並んだトラックに勢い良く向けます。(中指)
 なんと品性下劣。
 そうするとやはり車内での急激なアクションに
びっくりしたのか、銃でも向けられたかと
思ってトラックは側道にはみでんばかりに
離れていきます。
 Its killing daddy coolなのさ。
 人に殺意を抱かせるようなことを
するな、トラックドライバー。
 お前も仕事、こちとらも仕事。

 でも疲れるので、本当はそんなことは
したくありません。
 いやしかし、彼らに、男を張るんだ高倉健。
 そんな具合で唐獅子牡丹です。

 幸さん、幼少期のエピソードを披露。 手がとっても きれいです。

 このような手をした人に後ろ指
刺されないように、
至極まっとうな生き方をしていくつもりです。
 
 筆者のお稽古事エピソードは、また次回。

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2007年12月 4日 (火)

夜の青梅街道トバシテタラ

 Image032


 今夜もまた、例によって例のごとく
四日市で宿がとれず
県庁脇の津のホテル。

 写すものがないので、
筆者の持ち物なぞ いやっほーい。

 とりあえずホテルに匂い
ブン撒いておけってことで、
GIVENCHYのultramarine、
Windsurfなぞ、いつも持参。
 他、時々お香炊いたりしている。
次の人、すまん。
 
 ゼノール 最強 肩が凝って、いけない世情。
 もうなんていうか肩に力が入りすぎ。
 もう少しリラックスすればって感じです。

 出張は大概私服なので、
銀関係のアクセをジャラジャラ。
 ジャラジャラでもないか。

 COACHのキーホルダー。
 写真立てのタイプ。
 
 時計 オメガ 
 ムーブメントが新しいタイプのもので
向こう5年間はオーバーホールが
必要ないってやつ。
 ROLEXは権威的で・・・
 いいんです自分はB級で。
と言い聞かせている。

 夜の青梅街道 とばしてたら

 いきなり あのこの姿が見えた

 どこへ行くとも 聞かないまま

 ぼくのクルマは 走り始めた

 青梅街道 uh

 
 杉真理&レッド・ストライプスさんの
楽曲です。

 夜のドライブに行きたくなる
クルマに乗り換えたいな と思う
今日この頃。
 いや思っているだけです。
 このあいだモーターショーで見た、
 シトローエンのC4 byLOEBとか、良かったなぁ。
 と思っているだけです。

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2007年12月 3日 (月)

吾亦紅 灰色の世の中の赤い薔薇

 まだ東京にいたのですか?
 と言うのは、毎度毎度の
外に出れば出くわす、筆者の七人の敵たち。

 四日市での住まいも決まり、
明日辺りから本格的にと
行きたいところだったのですが、
年内は他の仕事もあり
東京と行ったり来たりって感じです。

 住まいは四日市と書いたのですが、
正確には三重郡菰野町と言う
湯の山温泉のそば。
 訳あり。ララも一緒でやむなく・・・

 別に湯の山温泉の芸者とよろしく
やろうとか、大店の婿はんを狙っているとか
そう言う訳ではないですよ。

 このあいだ行ったときは、
吾亦紅が野原にあった。
 谷川さんの詩にもある、われもこう。

 似つかわしくなく、バラ科の背の高い花。

 われもこう。

 われもまたあかい色した花なり。

 われもこうは、自分が薔薇の仲間だと
知っているのだろうか。

 自分がなにものか分からずに、
ただ夢中になってやれるほうが
幸せだよな と。

 蛙よ  勇ましく鳴くときがきた

 頭蓋の窪地に緑の野砲をひっぱりあげろ

 てな具合に。


 

 

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2007年12月 1日 (土)

フォークの神様 

 BS2を見ていたら、なんとエンヤトットで
最近は有名な岡林信康さんが野音で
36年ぶりと言うliveをやっていました。
 
 以下、岡林ソングのイメージ

 山谷のドヤを、朝5時に出るオレ

 泪橋交差点を右に折れ、
上野の現場に向かう

 今日はキャスティングの
クルマに乗っていたら間に合いそうに
なく、オレは徒歩で上野へ

 途中、炊き出しの雑炊を馳走になる

 朝市で、軍手と軍足を50円で買う

 日光街道をずっと歩いていく

 昨日は注入剤のちょろまかしが
原因で、高架下の現場が
潰れちまった

 監督の馬鹿野郎

 ちょろまかした金で
てめーの家を建てようなんて
虫がよすぎらぁ

 土建屋は熊とかなんとか言ったっけ

 ドヤにある新聞に、そう書いてあった

 宿じゃないからドヤ
 おれたちゃ人間なんだが
 宿に住めないドヤ住まい
 一泊20年据え置きの500円

 やっと現場が見えてきた

 今日は埋まった山ちゃんを
見つけなくちゃいけない

 部落出身の山ちゃん
 出身は京城
 
 ドヤには色んな人間がいる
 みんな仲間だ

 ああ歩き過ぎてつかれた

 そのまま列車に乗って
 田舎へ帰りたい

 でも帰るところがねーのよ
 痛いところだ

 くよくよしないで
 脇目振らずに働くさ

 がんばりゃそのうち
 いいこともあるだろうよ

 そんな明日を信じて

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神様も道に迷うことがある

007

幸さんは、上野動物園に行って
ハシビロコウと言う、動かない鳥を
見に行っていたそうです。
 しかし上野動物園のハシビロコウは、
元来動くことで有名な鳥らしいので、
個体としての面白味はやや削がれた
のではないでしょうか。

 ただ、大概の男なら
幸さんを肩車して、上野動物園を
回ってみたいのだろうなと。
 言うことを聞かない場合は、
キリンのいる池に放り投げちゃうぞ とか。

 筆者は、上野動物園はもとより、
御徒町辺りを母親に連れられて
年末頃に遊びに行くような少年時代を
過ごしました。
 昇龍と言う、餃子が美味しいお店があって、
そこでご飯を食べて、ビリー・ジョエルなんかの
レコードを買ったり、中田商店で
フィールドコートを買ってもらったりと。
 そんな年の瀬を何年か過ごしました。
 幸さんには、そんな少女時代のエピソードの
一つも披露していただきたいものです。

 今日は、仕事帰りに日本橋の三越本店に
寄って、トレンチコートを買い求めてきました。
 またかよって感じです。
 6年前に買って、これで二着目です。
 トレンチコートと言うと、バーバリーを思い浮かべる人が
多いようですが、筆者はボギーのモノクロ写真にある、
アクアスキュータムのほうをチョイスします。
 いえ、しました。
 バーバリーは、ライナーが重たいのか
どうか分かりませんが、これは塹壕のある
西部戦線には適さないぞっ と思ったので、
軽めで玉虫色も良い感じで出ている
アクアスキュータムを皆様には
お奨めします。
 ヤワな見解で申し訳ないのですが、
マッキントッシュのゴム引きも、
バーバリーの定番トレンチも
アングロサクソン向きで、日本人には
合わないです。重過ぎます。

 いやまぁ、なんていうかひねくれものなんですよね。
 反権威と言うか。
 アクアだって英国王室御用達なんですが、
バーバリーに比べれば日本での知名度は低いし。
 でも品質と価格は遜色ないどころか、
アクアのほうがトレンチコートをよく知っている
つくりをしているように思います。
 
 そんな具合で、10年ほど前に
新宿の三越で買ったバーブアーの
ハットをかぶったりして、悦にいっていました。
 すみません。

 

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2007年11月27日 (火)

新聞を読む人がとても気になる

 朝、通勤時の電車の中の風景。
 どこからともなくまた、聞こえてくる。
 がさがさ、がさつそうな音。

 こいつら本当にうるせーなぁと、
筆者はこめかみのあたりをひくひく
させてたりすることも。
 グリーン車の中なら尚更響き渡る。
 
 新聞を読む男。
 バイアスのかかった、
二番絞り、三番絞りの情報を読む。

 広告には、その新聞を読めば
デキル人になれるとか、
育ちが違うんだとか色々。
 罪なコピーだよなと、端的に感じてしまう。
 でもリテラシー無視の道化コピーだよなと、
新聞社の中の人のセンスもうちわもない
思想にしばしば呆れてしまう。
 

 読者層は勘違いしているのか、
周りが静けさを取り戻した車内で、
またがさがさ、やっている。
 それで誰かを出し抜いた気でいるなら、
読者数から言っても通勤電車№1なのだから、
なんにもならない。

 紙の媒体ってどうなんだろうかと。
 特に、新聞のように1日で価値を
失うようなものって。
 もう栄光の時代は過ぎている。 

 本当は新聞に書いてあることは、
固有の業界では既に常識になっているような
ことが殆どで、確定させるツールだったり、
権威付けに用いられたりもする。
 とりあえずマスコミ発表したから、
話が消えることもないだろうとかうんぬんかんぬん・・・

 この間は、社主が新自由主義の権化だからか、
小沢さんを貶めるために好き勝手に嘘八百を
並べたてていた新聞社もあった。
 広告収入が生命線で、読者の事を何とも思わない、
その新聞社の思想が明白になっただけだ。 

 そんなものを、朝の静かな通勤電車の中で、
がさがさ読みに行くわけだ。

 一回、耳の具合が悪くなってからと言うもの
余計にノイズに対して敏感になってしまった。
 ノイズや匂い。

 
 それを差し引いても、新聞を折り込んだり
めくったりする音は、合成音となって
不快に車内に響き渡る。
 
 それはでも何故だか正義の風景らしいから、
誰も咎めようとはしないし、
女性が一張羅のシルクのブラウスに、
インクでもって印字されちゃっても、
新聞を読む男はどこ吹く風、
女性は鏡のあるどこかや同僚に、
奇妙な明朝体印字の模様を指摘されて
ようやく気づくことになったりする。
 不幸だ。残酷物語。

 新聞に何が書いてあるか。
 安心 没個性 一括りの階層主義
 目標や尊敬にもされそうにない道徳心。

 ひとりでも新聞を読まない人が
増えたらいい。
 少しだけ電車の中もすっきりする。

 また半年余り、電車通勤生活とも
さらばだ。ユダヤだとシャローム。

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2007年11月26日 (月)

体に揺れが、残っていた

 滑走を繰り返していた

 操船をしていた

 昼間、体を揺さぶって

 寝台に入ると

 まだ体が揺れている

 毎年、毎度のことだが

 気持ちが良い

 

 しなければならないとか

 特に理由があるようには思えない

 しかし、少したって

 冷静に考えてみると

 あの時はそうしなければ

 ならなかったのだ

 

 人間は生まれながらに孤独だ

 人間とは、救いようがない

 と、フランス人がそう言った


 そこからはじまる

 ありがとう

 こんにちは

 さようなら

 またあした

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2007年11月19日 (月)

冬こそ獣は走る

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 先週金曜日は、富山から帰ってきた
友人氏と目黒でシャウト。
 もう一人の友人氏が合流したのは、
終電間際で残念な心模様だった。
 二軒目に入った、ロンドンパブは、
ロンドンパブと名売っているだけあって、
大使館関係者と思しきフォリナーがいたりし、
そこかしこで英語が飛び交っていた。
 ただ筆者はJapanese onlyなので
あまり意味がないし、分からないし、
しかもロンドンよりも値段は高いし、
ビールも冷えすぎていた。
 あまりよろしくない。

 土曜、日曜と涼しさが増した
このアジアの地でおとなしく過ごす。

 今日、明日と四日市なのですが、
企業立地の建設ラッシュで宿が都合つかず、
津まで来ている。

 津と言うと、徳川家康の一番子分だった
藤堂高虎
開いた町であり、しかしその後は官軍に与し、そのことから県庁所在地があったりしている。

 新潟もそうだけれど、官軍に与した不届きな藩が
あったところが県庁所在地になったりして、
なんだか中心でもなんでもないような
ところにあって不便なような感じがする。
 感じがするだけだ。

 北方謙三氏のクライムノヴェルでもある
エントリーのタイトルですが、
幸さんも書いている?ように、
バイクは冬のほうが気分が良い。
 なぜかと言うと、空気が澄んでいて
澱みがないし、空気を切り裂いているようで
本当に気分が良い。
 ただ調子こいていると、よく風邪を引く。
 しかし風邪を引いている状態で
ゴホゴホほどほどに言わせながら
不健康に振舞うのも、
なんだかバイク乗りらしいといえば、
らしいとも言えなくもない。

 タイトルの小説では、
ルノー5(サンク)ターボと言う、
RR(リアエンジン-リアドライブ)の
グループBラリーカーを操る無茶な
若者が主人公でした。
 しかし筆者はシトローエンをこよなく
愛していたので、CX25GTIターボと言う
クルマをイギリスから運んでもらって
乗ったりしていました。
 このCXターボは竹村さんと言う
少なくとも関東ではシトローエン血中濃度が
一番高いところから購入したのです。
 しかし贔屓目に見てもよくこわれました。
 今だったら「フランス人の休みは長い」とか
NAVIの編集長ばりの台詞を吐けるかも
ですが、あの頃の筆者はラテンの情熱よろしく
まだ若かった。
 でもあの手のクルマはもう二度と
現れない。シトローエンの中の人の
天才が情熱を注いだ名車CXターボ。
 竹村さんのところにも無い。
 

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2007年11月14日 (水)

ムーンリバー

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 今夜は弟のお誘いで、会社の仲間も誘って
ベースボールマスターズリーグ、
東京ドリームス対大阪ロマンスの試合を観に
東京ドームまで足を運びました。
 プロモーターと同級生と言う弟が
用意した席は、ベンチ裏の1列目と言う
なかなか素晴らしい席でした。
 兄も家族で来てたので、少し驚きましたよ。

 昨日は三重県四日市へ。
 11月から群馬の話は無くなって、
12月から来年6月末まで四日市に
飛ぶこととなりました。
 まぁ幸さんの住む京都とも意外と
近いようだし、これを機会に
京都でのイベントはフォローして
いくこととします。(何故か断言)
 晴れて「華麗なるギャツビー」のように
ストーカーチックに幸さんを追い掛け回したい
ものです。
 
四日市行きは出張扱いなので、手当てなんかも
しっかり貰えるし、時々は帰ってきて
山さに分け入ったり、中華街や
煤けたガス灯なんかも見てまわれるでしょう。

 ところで「幸さんハイ」のテンション高めの
幸さんですが、なんと風邪を召されていたようです。

 あそこはいつも女らしいエントリーでいいですね。
 
 月の話って言うと、
窓辺に座ってギターを弾きながら
「ムーンリバー」を唄うヘップバーンが最高。
 そうティファニーで朝食を。
 ジョージ・ペパードが真面目そうな
作家志望の男を演じているのもグー。
 景品かなんかの指輪をティファニーへ
持ち込んで名前を入れてもらうところなんて
なかなか喜びも悲しみも幾歳月ですよね。

 おっと手が黄色くなったって、
幸さん。

 面白い。

 最近お酒を飲んではいますが、
グレープフルーツジュースとは
縁が遠くなっていますので、
幸さんハイを見習って
健康コンシャスに行きたいなと。

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2007年11月11日 (日)

リックの店 カフェアメリカン

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 今日はシングルカスクのウイスキーを買いに行きました。

 よくお酒の事を詳しく無い人が、
シングルモルトと同じように言うようですが、
シングルカスクとは一つの樽から取れる
いわば原酒のようなものです。
 だから度数も価格も大概高めで、
でもウイスキー好きにはたまらないものなので
発売後すぐに売切れてしまうのが特徴です。
 詳しくはwikiでも読んでください。

 それで、灯台下暗しってことで、ありましたよ。
 なんと近所のヨーカドーに・・・
 バルヴェニー蒸留所の15年物が、
その価値を知らされずにひっそりと
陳列台の片隅に、まるで筆者の出番を
待っているかのように。

 しかも価格がサントリーの
Webサイトにあるのの約2/3くらい。

 まぁなんていうか、酒屋が勝手に
プレミア付けてさ、それでいかに
儲けているのか分かるってものです。
 特に焼酎なんかが最近は標的に
されてるのが目に付きますね。
 こんちくしょう てやんでぇ。

 焼酎はそんなストーリーのおかげで
嫌いになりました。
 焼酎はもう安いのでいいです。
 てか焼酎って居酒屋の延長みたいで
家で飲むのはちょっとなーと
思います。(個人的な偏見)
 やっぱりお酒飲むなら、
ハンフリー・ボガードみたいに
粋に行きたいものです。

 画像の一枚目にあるように、
カスクナンバーとボトルナンバーのほかに、
ボトリングの日と、樽詰めした日まで
書かれているのがシングルカスクウイスキーの
特徴です。ちなみに筆者のは149番でした。
 原酒なので、樽の香りがほのかに
漂ったりして気分がいいです。
 家でひとりで飲るのには、
ちょうど良いウイスキーだと思います。

 シングルモルトはなんやかや
言ってもブレンダーの癖が出てしまうので、
本来自然の産物たるモルトウイスキーの
良さを味わうならシングルカスクに
しておきなさいってことです。

 画像一枚目にあるのは、
六本木にあるCaskのOPEN記念か
なんかで貰ったのだと思います。
 これもウン万しちゃいそうな
勢いのお酒かも知れません。
 セコい趣味ですが、ミニチュアボトルを
集めていた親父さんの趣味を引き継いで
筆者も飲まないで取ってありますがなにか?

 これから近所のお肉屋さんの
地元名物焼豚とサラダで
一杯飲ります。
(ぜんぜんボギーじゃないじゃん)

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2007年11月 9日 (金)

あの頃みたいにハの字でさ

 Ski44


 普通の人よりだいぶあと。
 筆者がスキーを始めたのは
25歳の頃。

 むかしは道具もプアーで、
サッカーをやっていた頃は
冬休みになると多くのチームメイトが
山に行って、それで運動神経に
モノを言わせて無茶して、
骨折かなんかしてシーズンを
棒に振ったりしていた。
 プアーと言うより、不安全な用具と
不確かな要素で
楽しまざるを得なかったのが
昔のスキーだったんだと思う。

 それでなかなかスキーが
優先順位の高いところには無かったから、
ハタチの前半では始める気になれなかった。

 始めたばかりの頃は、
ふつうにプルークボーゲンから
教わって、内側のエッジで
山を削りまくっていた。
 今考えると無性に馬鹿馬鹿しいが、
昔の板の性能だと、やはり
谷足重視でスピードコントロールを
しながらターンを習得するしか
方法が無かったのだろうと思う。

 今は谷足加重を重視しつつも、
比較的早めに山側の足の
抜重動作を覚えることが安易に
なってきた。
 むしろ両足加重が当たり前なトレンドでもある。
 用具の進化は素晴らしい。

 分からなくなったとき、基本に返れるかどうか。

 これは結構難しい。
 
 今はスキーもそうだけど、
色々なシェルターに守られて
人は生活しているから、
そもそも失敗と言う概念から
遠くなってしまっている。

 それで失敗を失敗と感じなく
なってしまい、プライドの高さと
疑似体験だけは一丁前の
頭でっかちが出来上がってしまうのだろう。

 自分で見たものしか信用しない。
 
 戦争があった時代は、皆生活の
知恵として保持していたポリシー。

 戦争はアレだけれども、
失敗して立ち上がり直す術を
知っているかいないかは
動作に大きく影響する。

 失敗したことが無いということは、
(または自覚が無い)
失敗から立ち上がる術も
知らないということ。

 だから失敗を殊更に嫌い、
チャレンジできない。

 いまのハタチ台の若者は
理論や知識は素晴らしいけれども
物凄い保守的なように思う。

 彼らの思想では世代間抗争なんかも皆無で、
結構安易に上の世代を迎合しちゃったり
している。
 だから、
 オレはお前さんらのことは知らない。
 失敗したくないことが優先順位のTOPにある
お前さんらを面倒見る気は無い。

 あの頃のみたいにハの字でさ、って
振り返ることができるのは結構幸せ。

 今は時代が流れるのが早いから、
基本を飛ばしていきなり各論に入って行ったりする。

 そしてそれを何年も成長の実感が無いまま
繰り返すことになる不幸。
 
 俺たちより少し上の世代の
下への教育の功罪は計り知れないな、と。

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2007年11月 6日 (火)

彼女の隣人 Revision1

夜にまぎれて
街を歩いてゆく
風のぬくもりに逆らって

Don't Cry 憂鬱なときは
Don't Cry 夜を越えて
Don't Cry 連れて行くよ
Sea of love

ありったけのRain
ありったけのPain
ありったけのLove
君と抱きしめてゆく

昨日は横浜刑務所矯正展へ

家具をみたりいろいろ

そのところどころの
受刑者が作ったという
作業品を見てまわりました。

 その後、実家の両親が
遊びに来ていたので
またもやベイサイドマリーナへ。

 SCHIATTIのシャツと
REGALの靴 併せて2100円
げげげ 安いでしょ。
 時々こんな掘り出し物が
出てくるので気をつけてみて回らないと。

  幸さんは京都で活躍なさったそうです。

  自分が毎日していることと、
一日隊長では比べようも無いので
なんですが、前にも書いたけど
墓場まで連れて行けってことです。

 風のぬくもりに逆らって

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2007年11月 1日 (木)

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関

 11月になり、めっきり朝夕の涼しさが増しました。

 女王陛下のお勤めをする身分には、
辛い季節がやってきたということです。
(少し意味不明 イギリスから来た男 参照)

 ところでと言おうか。
 またもやとでものたまおうか・・・

 われらが幸さんが、
出身地である京の都、美化活動に
参加されるということです。
 幸さんのエントリー

 日時は11月4日の朝10時から。
 首都圏の人は、新幹線に乗って、日帰りOKです。
 京阪、阪神の方は振るって参加すべきでしょう。
 (筆者は不参加なのですが)
 晩秋の京の都を背景に、
すこしストーカーチックに幸さんに
つきまとうなんて、最高のシチュエーション
なんじゃないでしょうか?

 って本当に実行しないでくださいよ・・・


 京都市と言うと、寺園さんが
追求していた、同和奨学金返済肩代わり訴訟で、
不名誉にも有名になってしまいました。
 まさに期待はずれのニュースってとこですね。

 こんな幸さんの、京都を思う気持ちを
大切にして、京都市自体も自浄の路を
歩んでいって欲しいものです。
 
 愛すべきものの住む街は、
いつまでも大切にしたいものです。

 愛すべきもの
 愛すべき街
 君住む街
 
 どこにも行かないで

 どこにも行かない

 でも今は東京に住む

 この風景

 少しだけあの街に似ている

 すこしだけ

 ほんの少しだけ

 君住む街を

 思い出していた


 作詞:lullaby なんちて

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2007年10月30日 (火)

クロケンのMellowな歌声を聴きたい夜

 022


 楽曲 This Song

 いつも世界中で 期待外れの
出来すぎたNewsが届くけど

もしもすべて手放したら
楽になれるというの?

同じ気持ちのまま 夢を見ながら
それで何とかなる気がしてた
つまらない 思いなのは
僕だけじゃないさ

今すぐに 消えてゆく
言葉より 君の声を
僕達は 待ち続けてる
いつでも そして 今でも

今日も君と同じ 街のどこかで
自分の足跡を見つめてる
やるせない 悲しみには
耳をふさいで

いつまでも もどかしい
言葉より 君の声を
僕達は 待ち続けてる
いつでも そして 今でも

つかみかかる度に
何かがすり抜けて

僕等は透明な脱け殻の様に
なってしまった

今すぐに 消えてゆく
言葉より 君の声を
僕達は 待ち続けてる
いつでも そして 今でも

今すぐに 消えてゆく
言葉より 君の声を
僕達は 待ち続けてる
いつでも そして 今でも

作詞:黒沢健一 作曲:黒沢健一

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2007年10月26日 (金)

挨拶代わりのハットトリック

 006


 この一週間は、群馬の地方都市へ
行った以外は平穏に過ごしていました。

 時々通勤でグリーン車に乗ったりしながら。

 ところで我らが幸さんのブログ、
「神農幸 切りすぎた前髪」の中で
帽子に関するエントリーがありました。
 
 稀代の帽子好きである筆者には
見過ごせない内容です。
 合点承知の助ってなもんで
筆者もエントリーします。

 まぁアレです。
(なにがアレなんだか・・・)
 帽子を被ったりするのは、
変身願望が強いってことらしいです。
 
 幸さんは女優さんなので
日常でも帽子を被る心理は少し理解できます。

 筆者の場合は、照れ隠しだったり
する訳なんですが、どうしたことか、
帽子を被ると余計目立っちゃうのが
現代なので、幸さんの帽子もきっと
目立つ訳ですよ ええ。
だいたい今時帽子を被っているなんて
次元大介か銭形警部くらいですからね。

 それで帽子好きな人間は、
そんなことは気づいているのだけど、
でも帽子を被らずにはいられないんです。

 

 なぜかと言うと、もうとにかく
自分じゃない自分でいたい とか、
そんな事って誰にでもあると思うのです。

 現代に帽子を嗜好するのは、
 ちょっと形を変えた、コスプレです。

 筆者は高校生くらいから、
中折れのストローハットを、夏は
好んで着用してました。
 マドラスチェックのジャケットを
羽織って、サングラスをTシャツの
襟口からたらせば、まんま遊び人(プ)

 で少ししたら、映画「アンタッチャブル」で
アンディ・ガルシア
イカした(表現古いっつーの)中折れのソフトを
被っていたので、筆者も真似てみて
成人式はまんまエリオット・ネス配下の捜査官。
 コートはレザー、靴は編み上げ(笑)

 そんな具合で帽子では
色々と遊んでいましたね。
(悪い?)

 ハタチ代はプライベートなら日常的に
帽子を被っていました。
 
 それだけ自意識過剰だったってことと、
あとは悟られたくない と思っていたんだと思う。

 そう、なんでか悟られたくない。

 自分が何ものでもないものとの認識と、
周囲との壁を常に意識していたかな。

 すごい矛盾なんですが。

 幸さんは、また帽子を買うのかな。
 
 競馬よりも、「さて私は帽子を買うでしょうか???」
とかなんとかやって胴元になったほうが
儲かるんじゃないかとか。

 もう無くさないでくださいね。
 
 
 

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2007年10月22日 (月)

冒険者たち

002

 今日は早起きして、
兄、弟と箱根・伊豆方面へ
ツーリングに出かけました。

 幸い天候に恵まれ、
寒くも無く、暑くも無く、
珍しいほどのツーリング
日和で大勢のバイカーと
すれ違いました。

 うちの兄弟は、男三人で、
筆者は真ん中です。
 筆者だけ、小さなバイクです。

 兄、弟とも地元エリアに住んでいて、
筆者のみトチ狂い気味で
横浜に居を構えました。
(ってそんな偉そうな・・・)

 いまだに喧嘩なんかを
しますが、まぁ結束は固いなと。
 最近はあれですが、
よく一緒にスキーにも行きます。

 今年は寒くなるのが早そうなので、
ツーリングの季節も終わりですね。

 帰ってきて、一通りお勤めを
済ました後は、
題名の映画をNHK-hiで観ました。

 ジョゼ・ジョバンニ原作なので、
評してフィルム・ノワールと言う
方も居られるようです。

 筆者は18歳ころから
熱心にリノ・ヴァンチュラや
アラン・ドロンが出ている、
フレンチ・フィルム・ノワール
(フランスの暗黒映画)を観ていました。
 シトローエンを20代の頃に3台乗り継いだのも
実は映画の影響だったりします。
 ジャン・ジャック・ベネックスの
ディーバなんかは、
ロードショーでバウスシアターに
行きました。(たぶん・・・)

 昔のシトローエンはよく壊れるクルマで、
東京のシトローエンショップとは
たいがい喧嘩しましたよ。

 シトローエンの話はまた次の機会に。

 冒険者たち、は
瑞々しい、良い映画です。
 音楽も素晴らしい。

 まだご覧になったことの
無い方は、DVDを借りてでも
観てください。

 

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2007年10月19日 (金)

耳の痛い話。

 
 広島から戻ってきました。

 帰りはANAのボーイング777-200と言う
機体で羽田に到着しました。

 広島を離陸してから、
何事も無かったかのように
めずらしく機内で夢うつつの
状態でいたのです。
 機内サービスもスルーです。

 ところが起きてからが
悪かった。
 航空性中耳炎にかかって
しまったようで、何度耳抜きしても
耳の奥がぷちぷち言って
痛くて仕方がありませんでした。
 到着ロビーを歩いても、
音が具合良く聴こえずに・・・

 羽田まで親父さんに
迎いに来てもらい、
いまエントリーを書いている
くらいだから、まぁ大したことは
ないと思います。

 雨雲の影響か、
機体が何度か上がったり
下がったりしたのかも知れません。

 航空機での移動は、
その場所から突然いなくなるので、
おセンチな筆者には苦手です。

 いろいろ。離れるときも、修羅でもない限り
ゆっくり離れたいものですね。

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2007年10月18日 (木)

何はさておき マイケル中村

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 すこし時間がありましたので、
広島の原爆ドームへ行きました。

 外国人が多く観光に来ておりました。
 アングロサクソン系の人、
いわゆる特定アジアの国々の人。

 たぶん日本人より、
多かったような気がします。

 アメリカ人なら、
原爆の惨いありさまを
目の当たりにして、
どう思うのか?
訊ねてみたい衝動にかられました。

 自分は日本人なんだな と。

ところで、
日本ハムが二年連続の
日本選手権出場を決めました。
 札幌に本拠を移し、
成功しているのは素晴らしい
事だと思います。

 特になにが良いかと言うと、
OZと日本の二重国籍をもつ
マイケル中村の力投に尽きる。

 その次は、渋い打撃で
鳴らした淡口コーチか。

 東京出身者の多くも
日ハムの隆盛を祝福しています。

 日本選手権でもがんばって欲しいな。

 信ーじてましたー
 ヒルマン

 

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2007年10月17日 (水)

酒とタバコとスイングの日

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 まぁ久しぶりに飛行機に乗って、
広島に出張です。
 携帯2台、パソコン1台、
でも携帯はブリーフケースに
1台は入れたままなのに
問題は無かったようです。
 色々あるのでしょうが、
日本のセキュリティー対策は、
性善説に立脚しているので、
はっきり言って悪意満々の
テロリストには役に立たないものばかりです。
 なにか、「やってまっせー」と
デモをしているだけなんだよなぁ・・・

 うちのララ(柴犬♂4歳)は、
実家の親父さんに頼んで、
金曜の晩か土曜の朝に
横浜に帰るようにしていますが。

 ララは家の中じゃおしっこや
うんちなどをしない奴なのです。

 この月火も福島県いわき市にある
自社の施設へ出張で出ていたのですが、
二日間放置で、たぶん風呂場で
用を足していたのだと思いますが、
部屋の中には形跡はありませんでした。
 そんな、基本的には世話の
かからない良い奴なんです。

 しかし、用足しとかそんなものは
どうでも良いとして、そんな放置プレーが
彼自身気の毒でなりません。

 最近は寒くなったので、
筆者の部屋に招きいれると、
ベッドに飛び乗ってそのまま
寝込みます。

 帰ってきたとき、ベッドの上が
毛だらけになっていたので、
筆者不在の折には
ベッドを守っていてくれたのでしょう。

 話は突然変わり、我らが神農幸さんも、
かつて犬を飼われていたことが判明しました。

 あと、昔住んでた自宅に
ネズミが出ていたとかなんとか・・・

 ネズミは東京特別区の
西はずれで少年時代を過ごしたり、
混沌とした蒲田にハタチのころ
住んでいたときも見たことがありませんでしたので、
ちょっと神農さんのエントリーにびっくりしました。

 びっくりしていろいろ想像しただけで、
べつに嫌な感じはしないから
それはそれでいいのです。

 最近の行動原則は、
・くよくよするな
・迷ったらシンプルに考える
・オレは間違っていない
・謝らない

 疲れて血迷いそうな人も
真似て見てください。

 
 

 

 

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2007年10月15日 (月)

唐のかしらに本多平八

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 三重県の中央部を基点に、出張してまいりました。

 帰ってきて、ゆっくりしたところで
内藤-亀田戦の録画を観たのですが、
まぁいろいろブログでも論戦になっているので
通り一遍等なところは
やめておいて個人的感想を。

 挑戦者は、18歳にしてはよくやったんだと思う。
 ただ、口だけだったのはとにかく格好が悪い。
 本人もそこのところが一番堪えたのだろう、と
想像に難くない。
 協栄陣営はむかしからそうだが、
割合伝統的に汚い。
 
 ただ、ボクシングの興行は総じて汚い。
 今までになく大きなお金が動いていたから、
亀田一家全般にこの上なく汚い雰囲気が
漂っても、いわばボクシングの伝統のような
気がしないでもない。

 角海老なんかのむかしは、
ソープのお姉さん方の控え室
付近で雑魚寝しているボクサーの
兄ちゃんなんかがいて、
いたたまれないんだか、
役得なんだか、とにかくそれが原因で
戦績はパッとしなかった、って
逸話が残っているほど。

 竹原なんかは、サンオキ(沖ジム)と言う
会社で自分が内装工事したアリーナで
世界戦を闘った経験があるくらい。

 それだけボクシング界は、
いまだに貧しいし、興行の類も
人を犬畜生のように戦わせるのだから、
奇麗事だけじゃ当然すまない訳だ。

 
 筆者も、流れそうなチケットを新宿の
やくざ屋さんからもらって、
何回か後楽園に行ったことがある。
 かれこれ20年ほど前の話だが、
日本Jフライ級の王座決定戦で、
その時にチャンピオンを奪取したのは、
釣り船屋の倅だったらしい。
 のちに「はじめの一歩」の
モデルだとかなんとか聞いて
ほーと思った記憶がある。
 ただ、軽量級はなんだか見ていて
迫力が無く、ライト級の8回戦で
闘った元ランカー九条実さんなどのほうが、
今でも時々思い出す。
 価格は、リングサイドで2万円以上した
のではないでしょうか。
 なんて言うか、人様の殴り合いだから、
当時からその値段は納得できた。
(流れそうなものなのでタダで観てましたが)

 なにが言いたいかってーと、
大して普段はボクシングなど
気にもしないくせに、小僧を叩くなってこと。
 マスコミからして、末梢的な批判はもう
よせば良いのになと。
 日本の、日本人の美学がどんどん
失われていく。
 村八分じゃなくて、いまは村全部だ。
 徹底的にいたぶるのは、それこそ
日本が欧米化している証左かも知れない。 

 見ている人には分かりきっているからこそ、
TBSは興行を失敗したし、
亀田一家が通常のルートで
興行にあがってくることも
もう無いのだから。

 あとは日本ボクシングコミッションの
裁定など、手続き上の問題次第でしょと。

 親父はちょっとでしゃばりすぎ。
 三谷大和さんの早稲田講堂での試合でも
親父が出てきて随分と興醒めしたな。
 ボクシングって、親父がどうとか
家族がどうとか、あまり関係ない土壌の
スポーツだと思っていたから。
 いやこれは、筆者が矢吹丈を好きだからか。

 だから亀田親父の出方も、
三谷大和さんの前例もまぁある訳だから、
追いかける側のTBSくんだりも
問題があるってことだよね。

 あと反則云々も顕在化した
投げ飛ばしは問題外だが、
サミングや頭突きなどは
よくある話。

 ちゃんと打ち合わせすれば、
回避できた裏の指示は、
亀田一家-TBSとも計算外かな。

 いちばん惨かったのは、
当日アナウンスしていた
東京放送の会社員の人。

 日常生活に支障があるような
仕事を選んだつもりでは
なかったろうに。
  
 

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2007年10月 8日 (月)

That's flat Flat out 

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 今日は、横浜ベイサイドマリーナのアウトレットに、
カッターシャツを買いに行きました。

 カッターシャツだけのつもりが、
結局スーツの採寸も、してしまいました。
 筆者の着倒れ人生はまだまだ
終わりを知らないようです・・・

 襟と袖口が違う生地を使用している
シャツが、そのシャツ屋さんには割合多かったのですが、
それが表にくるやつではなくて、
袖をひっくり返したり、
ネクタイを外したりするとわかる(襟の裏生地)
タイプの「さり気あり」のものをチョイス。

 混雑が予測できたので、
今回はバイクで行きました。
 あとはエコ気分もありますが。 

 天の配剤、三連休と言うことで、
とてもとても混んでいました。
 クルマで行っていたら、
ストレスの溜まる
いやな買い物になっていたのでしょう。

 バイクは、今日は珍しく
乗れていました。
 気持ちよく走ることが出来ましたね。

 自然と伏せの体勢をとって、
それでも少し抑え目ですが、
8分目くらいはスロットルを開けて
にやけていましたよ。

 ところで、ようやくと言うか、
今更というか、返還後の沖縄に核兵器を持ち込む、と言う
密約文書が見つかったそうです。

 10月7日3時0分配信 時事通信


 【ワシントン6日時事】1972年の沖縄返還後に米軍が核兵器を再び持ち込むことを認めた日米間の密約締結を示す公文書が6日までに発見された。この問題を担当した当時のキッシンジャー大統領補佐官がニクソン大統領あてに書いたメモなどで、核密約を明示した交渉当事者の公文書が発見されたのは初めて。密約の存在について否定を続ける日本政府に対して決定的な証拠が突き付けられた格好だ。
 見つかったのは、最近機密指定を解除された69年11月12、13日付のメモなど。日本大学の信夫隆司教授(日米外交史)が今年8月に米国立公文書館で発見した。
 佐藤栄作首相の密使として派遣された若泉敬氏(当時京都産業大学教授、故人)が94年に出版した「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文芸春秋刊)によると、69年11月19日からの日米首脳会談を前に、若泉氏と同補佐官は沖縄から撤去される米国の核兵器を再び持ち込むための方策と摩擦になっていた繊維問題について交渉を続けていた。両日のメモは若泉氏との話し合いを踏まえた大統領への報告になっている。
 メモの表題は「沖縄返還後の米国の核持ち込みと繊維問題に関する日本との秘密交渉」。この中で、キッシンジャー補佐官は首脳会談の進め方を記した日米間の「申し合わせ」について、「沖縄への核兵器持ち込みに関する秘密の日米合意に伴う佐藤首相とあなた(大統領)の台本となるべきゲームプランだ」と説明している。密約を意味する「共同声明の秘密議事録」という表現も使用された。

 なにがゲームプランなんだよ、と。
 件のキッシンジャーはとんでもなく
ふざけた野郎です。

 先般の教科書問題やなにかに
大きく影響するものではありませんが、
沖縄の方々は普通に怒っていいのでは
ないでしょうか。

 沖縄民衆がどうこうと言うより、
沖縄の行政や首長側が国の懐柔にまんまと
乗せられて駆け引きに応じたりするのが
問題だ。
 そんなものを民衆の側も応援や支持などせず、
いちど、きちっとカタをつけてしまったほうが
良いのではないかと思ってしまう。

 話は変わって、
来週は三重のほうへ、
再来週は広島、
明けてjobの準備が済んだら、
群馬のとある都市へ長期ロード。

 群馬のほうは、むかし
遊井亮子と橋爪功で、NHK「冬の蛍」
と言うドラマを観てから、
どんなもんなんだろうかと
興味を持っていました。
(遊びに行くんじゃないのですが)

 望むところですが、
場所も人もいろいろ入れ替わりで
なんだかスパルタンです。

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2007年10月 7日 (日)

戦争 ギャンブル 金持ちの女 普通の女

 おけいはんこと
神農 幸さんが京都レースコースに
ゲストとして招かれ、施設内で
レース予想なんかをするそうです。
 詳細は神農さんのブログで。
(そんなに詳細でもないけど)
 それにしても、神農さんと
競馬、或いはJRAとの
マッチングなんだが・・・
 ミスマッチだと思う。

 でも神農さんには、
神農さんらしさを出して欲しい。

 開催が出身地の京都で、季節が秋、
なんとなく、なんとなくな感じではある。

 筆者とギャンブルの関係は、
はっきりいって希薄だ。
 希薄になるように振舞ってきた。
 怖いからだ。

 たまーーにお付き合いで、
馬券を買ったりして、
たまーーーに勝ったりして
軽く喜んだりした程度。

 自分で足を運んだのは、
伊集院静に感化されていた時期に
競輪場に行ったくらい。

 馬のように人間の為に
これでもかと尽くし続けてきた動物に、
鞭をくれてやり、
ただ人間の哀楽のために疾走させるなんざ、
はっきり言ってドSの英国人が始めた
人類の必要悪なんじゃないかと
思う節これあり。
 そもそも競馬は、
英国が蹂躙し続けてきた
アラブから馬を盗み尽くして
始めた娯楽だ。
 それを紳士淑女の○○とか、
後からとってつけたように
言うのはちゃんちゃらおかしい。

 こんなことからして、
大英帝国の紳士淑女は
眉唾もので信用置けない。

 同じような公営ギャンブルならば、
人間が自らの意思で鍛え上げた
肉体を駆使して行う競輪のほうが、
そこに生き物の意思が介在している分、分かりやすい。
 分かりやすいし、金持ちじゃなくても
自転車だけがあれば始められるのが、
筆者の心情にもマッチしていて良い。 
 まぁ競輪場は汚いけど。
 一番人間の情念が色濃く出るから、
施設も汚れやすいのかも。

 よく、駿馬は走るために生まれてきた、とか
コピーなんかではありますが、
馬だって出走不可ほどではなくても
具合の悪い時だってあるに違いない。
 しかも、成績の芳しくなかった馬が
故障なんかで使えなくなったりすると、
華やかな舞台から一転、薬殺なんかで
葬ってしまうのだから、
競馬なんて考えた人間の業の深さには
呆れて言葉が無い。
 牧畜なんかで使われる馬だったら、
故障と言うか、怪我なんかしてしまっても
それなりにゆっくり治療して治癒させるんだろう。
 トム・ホーンや西中佐なんかはとても馬を
大切にしていた。
 何故かと言うと自分の馬だから、
思い入れがJRAのジョッキーなんかとは
比較にならないのは当たり前。
 
 
 これも競馬ファンなんかがよく言うことだが、
いわく「駿馬」は故障して走れなくなると
体中に毒がまわって苦しむから薬殺で
葬り去るんだとかなんとか。
 え、ホントかよ?と。
 自分達の正当化の為に、てきとうな
こと言ってんじゃねーのかい。
 もし本当ならば、そんな状態になるほど
馬に負担をかけてきた事実はどうなるのかと、
よくテレビにしたり顔で出てくる、
なんとかファームの人に問い詰めたい。
 どっちが畜生なんだか分からないっての。 

 最近はJRAもあまり儲かっていないから、
かつてのようにストーリー仕立ての広告を広告屋に
頼むようなことは無くなったけれど、
「優駿」ていう映画を作ってた頃は
それはそれはごたいそうなものだった。
 もうなんて言うか、そりゃ金を出すのは
ギャンブラーの勝手だから別に勝とうが
負けようが、どうでもいいんだろうけど。
 あの頃は、動機が弱い人達にも
訴えかけるようなCFを作って、
それで必要悪のくせしやがって
儲けを企んでいたんだから、
筆者のような市井に生きる
男には許せない出来事だった。

 今は、自己破産が社会現象になった後、
ごたいそうなCFにお目にかかれる機会は
減ったけれど。
 
 むかし、ダウラギリ・サウスピラーを
登頂した時の隊長だった雨宮節(あめみやたかし)さんに、
「どうして人は山で死んでしまうのか」と、
聞いたことがある。
 
 雨宮さんが言うには、
「人間は弱い生き物だから、ピークハントの欲望を
抑えることが出来ないんだよね。それで遠征の日程とか
費用とか、二次的・三次的な要素も絡んでくるから、
ピークが見えてしまうと、
冷静に考えれば状況的に無理なんだけど、
頂上を目指してしまう。無理してしまう。
それで滑落したり、雪崩に巻き込まれて死ぬ」。
 と、そんな具合で話されていた。

 そりゃ筆者だってお金、欲しいですよ。
 
 どちらかと言えば勝つために、とことん
研究して、準備して、それで
勝ちを狙いにギャンブル場に通うのが
筆者の生き様から言ったら正道なのかも
知れない。
 でもそれじゃ、先行き不安すぎる。
 他力本願でってのも、ちょっと
違うような気もする。
 
 「そんな根つめなくても、楽しめば」と
誰かは言うかもしれないけど。
 前述の鬼畜の所業を考えると、
楽しめるようなシチュエーションかと
考えてしまう。

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金色のAnt Lion 

おそるおそるバクギャモン
駒を進めるように
誰かを傷つけても
たどりついた場所に
何か見つけられたかい?

アルコールの霧の夜
密かに生まれかわる
色褪せたフォトグラフ
破りすてたら
もう誰もお前に気づかない

未来さえたやすく
手に入るベッドは
逃げ出せぬ金色のAnt Lion

ぼくさえわからぬほど
心まで着かざって
鏡の中の夢に
手をさしのばせばつかめる
偽りのHappiness

痛いほど輝く
グラビアの笑顔が
地下鉄の隅に忘れられても

もう誰もお前に気づかない
お前さえ知らない
鏡の中の誰か
逃げ出せぬ金色のAnt Lion 

痛いほど輝く
グラビアの笑顔が
また今日も聞き返す
Who are you?

詞  :田口 俊

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2007年10月 1日 (月)

車内の距離感

 302
転勤生活の4年間ほど、堅気のサラリーマンの割りに
毎日の電車通勤生活を免れてきた筆者。

 不便さに仕方がなく、ってのが理由の一番だが、
毎日のマイカー通勤は、自己所有の車両の走行距離が
あれよあれよと伸びまくるし、電車通勤のほうが
あらゆる人々との距離が縮まるので
自分としてはなんだか電車通勤にホッとしていた。

 ただ今朝は地震で止まった?らしい東海道線の影響で、
神奈川から東京へ向かう列車はいつもより混んでいたみたい。

 一番あせったのがメトロの駅が古いつくりだからか、
前の電車を下りた乗客が、階段と改札の渋滞で
まだホームにあぶれていて、筆者の乗る次の列車の
乗客とホーム上でつば競り合いが始まってしまったこと。
 今まで通勤でメトロを使ったことが無かったので、
この現象は少し驚きました。
 だいぶん涼しくなったから、まぁ良かったような
ものの、真夏の朝だったら気狂い沙汰なんだろうな・・・と。

 そんな初出勤でした。
 
 ただ、筆者の職制上、毎日本社へ通う生活とは
すぐにもおさらばで、各地をロードすることが
早々に決まって、と言うより、受け入れ先は手薬煉ひいて
待っていたようです。

 東証1部上場の、時々朝日や読売新聞の
1面の右上に広告を出している会社です。

 色々在るでしょうが、日本、そして世界とアジアの発展のため、
Ecological cleanを合言葉に頑張ります。
 

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2007年9月30日 (日)

集団「自決」沖縄の歴史 苦しみ

 9月29日19時1分配信 時事通信

 沖縄戦での集団自決をめぐる教科書検定意見の撤回を求めた県民大会。会場となった宜野湾市海浜公園は29日、約10万人が炎天下の中、会場をびっしりと埋めた。約1万人は広場に入れないほど。「一行変われば歴史が変わる」「軍命あったのは確か」。参加者からは検定意見に対する批判の声が上がった。  那覇市の女子高校生(18)は友人と一緒に、同級生の母親の車で会場に来た。「一行変わるだけでも大きく歴史は変わる。真実を伝えていかないといけない」と話した。  会場近くに住む高校3年の女子生徒(18)は「本土の人は、沖縄は海がきれいで空が青いとしか思っていないかもしれない。沖縄戦があり戦後も問題がある。戦争は二度としてほしくない」と真剣なまなざしで訴えた。 
 上のデモについては、筆者は中立の立場を貫くものでもなし、関係当事者でもないから、沖縄の方々に同情的な眼差しを送らざるを得ない。  デモの発端になった出来事はかなり以前、平成17年5月、とある陣営(つくる会会長の拓殖大教授藤岡信勝の主宰)による聞き取り調査、平成17年の8月頃から裁判などで公になりつつあり、(集団「自決」を命令したとされる赤松大尉の実弟や梅沢裕元少佐が作家の大江健三郎などを相手に名誉毀損で提訴)元琉球政府職員で沖縄擁護局に勤務していた照屋昇雄氏などが、実名入りで「チャンネル桜」と言う映画プロデューサー水島聡陣営のインタビューに応じたりなど、話は急激に加速し始めた。その後、一定の通説を両面から見る形で、文部科学省の高校教育教科書検定が行われ、沖縄における集団「自決」に関して初めて検定に意見がついたことが今回のデモへと繋がった訳である。

 言葉の使い方だが、沖縄大学学長の新崎盛暉先生の著述「現代日本と沖縄」からによると、
集団「自決」とわざわざ括弧づけで表記するようになったのは、
 ・集団自決とは戦場に放置された非戦闘員による集団的自決に他ならない。
 ・しかし、乳幼児が自らの意思で自殺することなどありえないから、絶望的状況における殺し合いと言う本質を表現するために「自決」と言う言葉をカギ括弧で括ることが多くなったのだと言う。

 以下、雑誌正論から引用

 

照屋昇雄氏の証言

渡嘉敷島から戻った翌日、那覇市のホテルで、私達は、照屋昇雄氏の
インタビューを行った。三欣会という沖縄保守系の人々の勉強会に参加
する形で、照屋氏は仲間と共に私達を待っていた。だいぶ緊張した様子
で、ご自身もそう話されていた。以下のインタビューは、五月と七月、九月に
照屋氏からお聞きした話の核心部分である。

「ずっと沖縄本島にいらっしゃったのですか?那覇市に?」
那覇市にいるんですよ。小さい時はクニガミのモトグというところ。
「沖縄戦は体験されてるのですか?」
体験しておりますよ。僕は重砲七連隊。僕はその時少年兵だから。捕虜
になりましたかね、一年八ヶ月だったかな。ハワイ(の収容所)で二十一歳
の誕生日、戦後戻って、あれやこれやして新聞社に入ったりしてね、食う
ためにいろんな思いして。

「その中で援護局の職員として採用されたということですね」

そうですね。琉球政府社会局援護課調査係、調査係の旧軍人軍属資格
審査委員です。政府関係者から『援護法ができて、軍人関係の調査を行う
からこないか』と言われ審査委員になりました。私は、島民にアンケートを
出したり、直接聞き取り調査を行うことで、援護法の適用を受ける資格が
あるかどうかを調べたりしました。各市町村をかけずりまわって調査をする
のは、南西諸島に対する旧軍人軍属に対する日本政府からの恩給、沖縄
戦で亡くなった人にはお金をあげましょうということで、沖縄戦について、
戦闘状況を調べてくれと。いつどこで戦死したかなど調査して、記録簿を
作って、厚生省に援護金をもらうために、私が審査員になったんです。

「なぜ今六十一年経って、当時のことを話すことを決心されたのですか」

私はね、本当、今までね、口をね、何十年間 全部封鎖しておりました
よ。で、渡嘉敷村のこと、座間味村のことが嘘で報道されて、嘘、言って
るんですよね。赤松隊長や座間味にいた梅澤隊長、少佐ですね、あの人
は。この方なんかにすまない、すまないと思いながら、今まで、もう歯くい
しばって、あっちの村の人も、全部心ひとつにしてね、誰が来ても、誰にも
そのこと、言わないといってね。何故、今ごろ私がね、その話をするかとい
いますと、大きな理由があるんですよ。

赤松隊長が、自決命令を出して、住民をね、谷底のところ、全部で三百
十五名、自決させたんだと、大きく報道しているのは、(沖縄)タイムスで
すよ、真実性が欠けてるんです。それはもう惨たらしい自決のやり方だっ
たんです。もう本当にね、一緒に調査した南方連絡事務所から来られた
マブチさんていう方がおりましたが、なんとか助けられんかというわけで、
援護法上、自分で死んだものは、自決は援護法に該当しないんです。
この戦争で、満州や南方全部、たくさんの人が自決してるんですね。

それを沖縄だけね、格別にできないということでね、絶対にそれはでき
ないということだったんですよ。村長さんの玉井喜八さんと二人でね、五十
五年だったかなあ、自決は軍の命令だったと嘘言って、文章書いて、書類
作って、援護金もらったなんて言えなかったし、それは責任問われたら
大変だし、今まで全部口を封じておりました。渡嘉敷島の人も、援護局の
書類を書いた人の小峰さん、誰も言わない、言ってはいけない、ということ

で隠し通していた。

玉井村長さんが死んで、あの人の慰霊をするために真実を明かすときが
来たんじゃないかという事で、奥茂治さんたちからもお話があって、正しい
ものを、後世に伝えなければいけないと思って、もう新聞に叩かれようが
何しようが、もう真実を述べてね、いいんじゃないかと思ったんですよ。
今まで、隠し通して、僕らももう年だし、いつ死ぬかわからんから、真実を
ね、もうハッキリしようじゃないかと、僕自身で決めたんですよ。

「渡嘉敷島ではどれぐらい聞き取り調査をしましたか」

 渡嘉敷村の場合は、あっちに約一週間くらいいましたね。いちいち、何か
調査するには、そんなくらいに長くかかるんですよ。要するに援護金の該当
するのは全部なんです。だからだいたいの嘘はわかりますってね。

「その時は、関係者の方、何人くらいから話しを聞いたのですか?」

そうだなあ、女の方から大方聞いてるからね、百から二百名…一日書い
て、夜はまた整理せんといかんですね、たくさんの人の証言をまとめること
は難しいんですね 

「その百名以上の方の中に、集団自決が軍の命令だと証言した住民は
いましたか」

一人もいないですよ。一人もいない。これは断言します。女も男も全部集
めて調査しましたよ。だって無いのに。軍の命令があったっていうのは、
僕は、沖縄タイムスの記者が自決のあったサイパンかどこかの記事を引用
してね、書いたんじゃないかと思いますよ。自決命令したとかなんとか言う
のは、サイパン帰りがおりましてね、サイパンでは隊長命令で自決したって
ね、それを沖縄に適用して真似てね、隊長命令と書いたんじゃないかと。

 

「蘇鉄(そてつ)地獄」を何とかしたい それに応えてくれた赤松隊長


「なぜ集団自決をしたのでしょうか」

沖縄での自決の実態を僕ら掌握してみたらね、沖縄のね、文化、風習って
いうかな、沖縄の墓は、外国で死のうと、どこで死のうと、全部こちらに、
大きな墓に祀るという昔からの文化があります。家族が全部集まる。その
文化があるので、あちこち死ぬよりも、家族一緒に死のう。そしたら誰か墓
に祀るだろう。

それと、当時の教育思想関係からして、国に減私奉公しようという気持ちで
死んだんです。撃ちてしやまん、アメリカにあれするより、一人でも殺して
死のうといって。

それと集団自決は、座間味が先なんですよ、二十六日。二十八日が渡嘉
敷。あっちの村長さん、農業組合長、校長先生ね、非常に熱血で誇り高い
人でね、最初、校長先生が切腹してね、自決し始めたらしいよ。もうぼん
ぼんアメリカ軍が上陸してるもんだから、じゃあ死んでいこう。その村長さん
と校長先生が死にはりまして、そしたら座間味の人は、こっちからこちらへ
伝えられましてね、僕らも死のうかといってね、三十二名ぐらいかな、自決
して死んだ、もう米軍に上陸されて混乱しているですよ。僕は死なないと
言ってこっちの島に逃げてた者が、もう大変だ、もう住民全部死んだ、全部
自決したって。それを聞いて、こっちからこっちに大きな噂が流れてね。

どうしようかこうしようか言う時にね、古波蔵っていう村長さんが、あの人、
村からね、信用無いんですよ。だって住民集めて、演説もしてるんです。
全部死ぬと言ってね、アメリカの捕虜になって女はアメリカのおもちゃに
なってとか、何とかかんとか言ってからね、もう自決やりましょうって手榴弾
持ってね、あの、赤松隊長が渡したってあれも嘘ですよ。防衛隊って言っ
てね、一般の人がすぐ召集されて、何でもない兵隊も軍だかわからない
ものを、鉄砲もつけたし、全部、手榴弾渡してあったのよ。一人くらい撃ち
殺せって、戦車をね、ぶっ壊せって。防衛隊の人たちがね、逃げてきてね、
村の人たちの中に入って、これを爆発させてるんですよ。もう全員死ぬと
いう噂が、流れ流れて渡嘉敷村の愛着を持っている人は、集まって自決
した。これが理由です。聞いた範囲は、これであります。

「集団自決を軍命令とした経緯はどうなんですか」

援護金の調査しているとき、1ヶ月間、アメリカから食糧の配給がストップさ
れ、その時に蘇鉄を食って死んだ人がいる。「蘇鉄地獄」と言ってね、その
時にね、援護法ができてるからなんとかしてみようと、あまりに惨たらしい
死に方だから、かわいそうだというふうで、東京の(南方同胞)援護会なん
かも掛け合って、援護法の適用って出来ないかってことになって、南方連
絡所のマブチさんという人が、もう泣くぐらいに懇願した。なんとか助ける
方法がないかって言ってね。審査委員会というのがありましてね、東京で。
その時にはね、何回言っても、ノー!駄目って。日本国中ではそういう人
たくさんいるからね、駄目だって言って、ああやこうやしてるうちにね、その
規定の中に、隊長の命令、もしくは、隊長の命令による銃殺、もしくはスパ
イ行為とかで、援護法の適用法律がある。

その中に「隊長の命令によって死んだ場合は、お金をあげましょう」という条
文があるんだが、実際に隊長の命令で自決したという人はいなかった。
そしたらね、誰なのかわからんが、誰かがその当時の隊長さんたちに
ね、お願いして、とにかく、自決命令を出したと言ってくれ、そうすれば(政府
から)お金が出るからと言ってね、しかし、誰もならない、馬鹿じゃない
限り、あんた、自分で自分を、縄で首しめる隊長はいないですよ、そして
十二月頃かな、最後の東京の会議がありましてね、私は参加しておりま
せんが、渡嘉敷の玉井喜八村長さんが、参加したらしい。

その時に、厚生省の課長さんかな、なんか、赤松さんがね、村を助けるため
に十字架を背負いますと、言いよったよということなんです。
村長さんは早速、赤松隊長に、自宅に会いに行ったの。兵庫県かどこか
関西の方…そこへ行ってですね、隊長命令だったという命令書を書くとい
うことになっているそうですが、ということを話したらね、お前ら書いて
こい、お前らが書ければサインして判子を押しましょうということになった
んです。

村長さん大喜びしてね、二十五日頃帰ってきましたよ。書類と資料提出が、
翌月の十五日か十六日までに間に合わして、その隊長さんの命令って
書くんだから、二人で、大晦日だったなあ、二人夜通しで作って、大晦日と
いう、書き終わってね、二人で一杯飲みながら、もう夜明けで…。

「それは命令書なんですか?」

あれはね、命令じゃなかったな。渡嘉敷住民へ告ぐと書いてある。玉井村長
と二人でね、赤松隊長の身になって書いたからね、何年何月何日、渡嘉
志久から米軍が上陸して、もはや村の役所の前にきてる、国のために
降伏せず、一人でもアメリカ人をやっつけて、というよう内容だったはず、
住民もね、死して国のためにご奉公せよとか沢山書いて、自決せよとか
そんな命令じゃないんですよ、教育じみてるのが命令書となってるんです。
 
「それは、赤松隊長には見せたんですか?」

サインして(判子を)押して、(翌年)一月十五日だったかな、閣議に出さな
ければ間に合わないということで、十五日までに、間に合わすよう、村長
さん持っていったの。サインと判子を宜しく貰って、喜んでね、間にあった
と言って、二人でまた飲み屋で一杯飲んで。私はあとから、南方事務所の
マブチさんという人に「赤松隊長、どうして、お願い聞いてくれたのかね?」
と聞いたら、「照屋君、あの人は、沖縄病といわれるくらい沖縄にかかって
いる偉いい方から、何とか沖縄を救えないかと耳打されたという話がある
んだが、だからあんなに一生懸命になっているんだよ」と。

本当か、真実はわかりませんよ。赤松隊長が、私が命令したということに
しようと十字架を背負ってくれた。赤松隊長さんは、村民からは、神様みた
いな方だった。非常にいい人、私も、会ってみてそう思います。

「住民は、赤松さんがそうやってくれらから援護金が出たことを知っているの
ですか?」

わかってる。だから、いかにどんな人が来てもね、口をつぐんでいる。唇寒し
でね、絶対言いませんよ。向こうの住民は、絶対に、

「援護担当だったコミネさんは喋ってくれないのですか?」

言わない。あの 村のね、援護係してたのは小峯幸信。まず言わないでしょ
う。五十年くらい前よ、絶対言ってならん、死んでも言ってならん、これ言っ
たら、大変になるよつって、玉井村長と小峯さん、この僕と三人で誓いを立
てたんです。村民はね、これを聞いてね 全部わかるわけです。絶対言わ
ない、座間味も同じ。

「あらためて、お聞きしますが、なぜ、今証言すると決めたんですか」

深い理由があるんですよ。赤松隊長はね、余命三ヶ月、ガンで亡くなった
らしいんですがね、電話でね、私は命が三ヶ月しかありません、だから、
玉井村長、村史から私が自決命令をしたと、あれをね、削除して、その訂正
文をはさんでくれんかと何回もきた。何回もね。そうしたら村長さんはね、
赤松隊長はもう病気だし、照屋くん、どうしたらいいか、恩はあるし、村史
からこれ消したらいけないし、僕はもう寝ても起きてもできないよってね、
どうしたらいいのって言ってね、いろいろ弁護士とかね、いろいろ調べたら
ね、ああもいかない、こうもいかない、もう、心配して眠ることもできないん
ですよ。

そしてどうしようかって二人とも夜通し酒飲んで、帰ってきても、また電話き
てね 照屋くん、僕、ウィスキー飲んでも、睡眠薬飲んでも眠れんつって。
僕は慰めてね、宥めながら何回も呼ばれ、やけ酒飲みました。そして赤松
隊長が亡くなったら、玉井村長、あの人は、ああも出来ない、こうも出来な
いと毎日心労してね 病気して、間もなくして死にましたよ。あの人はこれで
死んだんですよ。

考えてみんさいよ、どこの隊長がね、学識ある人がよ、例え命令したと
言ってもね、命令しなかったと突っぱねるのが普通ですよ。悪いことを僕が
引き受けましょうって、いかに善い人であるかね、本当に十字架を背負って
ね、僕らは毎日手を合わせておりましたよ。だってこの人に責任負わせて
苦しめているでしょ、新聞に赤松隊長の悪口見たりするとね、心が張り裂け
る思い。胸に短刀裂かれる思いしよった。あんないい人をね、だから私も
ね、真実を言ってね、もう隠すもんじゃない、言うべきとこは言っておこう
と、もう寿命しれてるからって言ってね、生きてるうちにはっきりしたことを
申し上げようと思って今、申し上げてるんですよ。あの人のね、御霊をね、
安らかにするために、私は真実を言わなければいけないんです。

インタビューを終えた照屋氏は、長く苦しかった「沈黙」から解き放たれたせ
いか、疲れてはいたが、ほっとした様子とすべきことをした誇りに満ちた
表情を浮かべていた。インタビューの途中では、何度も声を詰まらせ、
涙を流した。その涙が、凍結されたままだった「沈黙」を一筋づつ溶かして
いくように思われた。男の涙はいいものだと思った。

電話が鳴ると心臓が縮む 真実語った照屋さんの今

さて、二人のインタビューでも指摘されていない一つの「沈黙」について、私
はあえて述べておきたいと思う。慶良間諸島の皆さんの「沈黙」は、ただ、援
護金をもらうために自決を軍命令にしたという理由だけではないということで
ある。

それは、もし、軍の自決命令が無く、戦前の日本の「軍人勅諭」的な価値観
を採らず、戦後の価値観で考えてみると、集団自決は大規模な無理心中
殺人事件であり、当時残っていた法律の「尊属殺人罪」の適用も考えられ
なくはなかったのである。情状酌量の余地は勿論あるが、少なくとも戦後
的価値観で見れば、特殊な状況下における殺人事件と見られても仕方
ない。

だからこそ、どんなことがあっても、軍命令としたかった要素もあったのでは
ないか。戦前までの日本において、自決は自らの誇りと武勇、栄光を体現
するものだった。慶良間の集団自決もそんな流れの中に起きた。集団自決
で散華なさった皆さんを軍国主義に騙された戦争被害者として片付ける
戦後日本と沖縄に、私は怒りすら覚えるのである。

私達は、この照屋昇雄氏と金城武徳氏に対して五月に行ったインタビュー
内容を文字メディアで取り上げてもらおうと、テープと企画書を産経新聞社
に持ち込んだ。産経はこれまでも集団自決問題について積極的に報道、
論評してきたが、今回も記者が沖縄まで取材に飛んでくれた。それが八月
二十八日付けで、同紙一面(東京版)に掲載された記事である。  
私達も衛星放送「日本文化チャンネル桜」(CH767)として、八月十五日、
「沖縄集団自決の真実」として特別番組で放送した。この反響は大きか
った。インターネットの2ちゃんねるでは、投稿数が一万を超える大きな反応
を呼んだ。照屋さんの勇気を称える投稿がほとんどだった。

これに対して、沖縄ではどうだったのか。集団自決は軍命令だったとする
主張の大本となった「鉄の暴風」の出版元で現地の新聞社「沖縄タイムス」
は、冷たい黙殺を続け、沖縄タイムスと並ぶもう一つの現地新聞社琉球
新報は、早速文化欄で、「集団自決訴訟 問われる沖縄戦観」と題して
訴訟被告側の岩波書店編集局副部長のインタビュー記事を掲載した。
その見出しは「軍の残虐性否定が目的 沖縄の人々への挑戦」という刺激
的なものだった。

九月初め、私たちは再び座間味島取材のため、沖縄を訪れ、照屋さんに
話をうかがった。新報の記事が出ても、その決意は全く揺ぎ無いものだっ
たが、電話が鳴ると心臓が縮むような思いがすると話していた。琉球新報
も、その後はインターネット上の反応に恐れをなしたか、沖縄タイムス同様、
沈黙を続けている。この両新聞を読んでいると、朝日新聞が保守新聞に
思えてくると言っていた沖縄の知人が、曽野綾子氏さんの『沖縄戦・渡嘉敷 
島集団自決真実』(絶版になっていた『ある神話の背景』をWAC出版が今年
五月に文庫として復刻)那覇市内の書店の店頭には並らんでいないと連絡
して来た。これが戦後沖縄の現実なのだろう。

 そういえば、大江健三郎氏が、九月になって五回目の中国訪問をしたと
いう報道があった。大江氏は、南京市内にある「南京大虐殺記念館」を初
めて訪れ、「館内には展示品がたくさんあるが、大江氏は一つひとつに丁重
に頭を下げていた」「頭を下げた回数は全部で100回を超えているだろう」
(九月十三日付、中国紙「現代快報」)「大江氏は日本人の鑑だ」(同紙十四
日付)などと現地メディアに報じられた。このノーベル賞作家の中国での
神妙な平和の使徒のごとき表情を想像すると、私は笑うに笑えず、得体の
知れない私達人間への「沈黙」を余儀なくされるのである。

取材スタッフ 井上和彦・仙頭直子
取材協力 奥茂治(南西諸島安全保障研究所) 
                  産経新聞記者 豊吉広英

 

 照屋さんの論旨は、余命いくばくも無い赤松大尉の名誉回復がトリガーになって、渡嘉敷村史からの、集団「自決」命令のくだりの削除を村長とも相談したが、挙句純真な村長は、心労に倒れ不帰の人となったということ。

 赤松大尉には感謝の念が絶えないということ、照屋さん自身も解放されたかのような気分を少しだけ味わったようだが、意見の違う対立陣営からの心理的攻撃も絶えないということが伺える。

 チャンネル桜陣営の論旨は、「尊属殺人」の適用も法改正前ならありえた話。
 更に、
 

自決は自らの誇りと武勇、栄光を体現
するものだった。慶良間の集団自決もそんな流れの中に起きた。
集団自決
で散華なさった皆さんを軍国主義に騙された戦争被害者として片付ける
戦後日本と沖縄に、私は怒りすら覚えるのである。

 と、結論付け、憤ってしまっている。
 
 筆者は流行の愛国少年やネットウヨでもなければ、
ネットサヨでも無い訳だから、根拠が希薄で乱暴な、
上の論調には少々うんざりもしたくなる。
 確かに、尊い命を国に捧げた(結果的にでも)とする考え方には、
納得は出来ないが否定も出来ない。
 その時の気持ちは、その死んで行った人にしかわからないのだから。

 だが、誰が好き好んで、沖縄戦や末期の旧軍幹部がしでかした
惨たらしい作戦下での多くの悲惨な戦況下での死を、喜んで受け入れたと言うのだろうか。

 それは「栄光ある死」だったのだろうか。
 違うであろう。
 きっと惨めで、とてもじゃないが正視しうるようなものなど
いないほどの、一人の人間にとって悲くも情け無い出来事であったに違いない。

 振り返れば、琉球-沖縄とつづく島の歴史は悲惨さの連続だった。
 いちばん悲惨だなと、筆者が感じることは、
時の為政者に裏切られ続けてきたこと。

 1840年頃は、欧米列強の盾代わりに使われた琉球処分のはじまり。
 国の懐柔政策とはいえ、国王一族は随分と優遇される中で
ソテツ地獄が起こったりなど、沖縄民衆の苦しみは沖縄県の配置から
すぐの頃からあった。

 悲惨な状況の頂点は、国の盾に文字通り差し出された、
究極の持久戦と言える「沖縄戦」なのだろうが、
いま多くの日本人が忘れてしまったか、歴史でも大して
教わっていないからか薄れ行く現実、沖縄の本土復帰。

 筆者がいちばんに納得がいかず、許せないと思うことは、
1947年9月に出された天皇メッセージであることは間違いない。
 
 沖縄を空軍基地とし要塞化すれば、
「日本の本土に軍隊を維持することなく、外部の侵略に対し日本の安全性を確保することが出来る。」
と言う、現在の安保の骨子にもなったマッカーサー発言が1947年の6月に為された。

 これに対し、昭和天皇は、側近の寺崎英成を通じて、
「アメリカが、日本に主権を残し租借する形式で、25年ないし50年、或いはそれ以上、
沖縄を軍事支配することは、アメリカのみならず日本の利益にもなる」と
GHQへ伝えた。

 このメッセージがどれほどの効力をもっているかどうかなんて、
現在の常識からすれば失笑ものなのかも知れない。

 ただ当時の天皇の力はいかばかりかと、考えずにはいられない。
 現人神ではなく、すでに象徴天皇に在らせられたことは百も承知。
 しかし、時の内閣や、天皇の力を殊更に有効活用しようとした
GHQの動きを見れば、明々白々なほど効果的であったに違いない。

 戦争が終わってもなお、天皇が国事に口出しすると言う憲法上の
問題を犯してでさえ、アメリカとの橋頭堡に利用されたという現実。

 もしこのことが真であり、現代の沖縄の若者たちが知っていることであるならば、
絶望的な気持ちになってしまう。
 「天皇にでさえ裏切られた」「捨てられた」人々の絶望と悲しみ。

 「正論」なんかでよく言う『fact』は重要なのかもしれない。
 
 ただ、相手は同じ日本人なんだぜ、と筆者は思う。
 
 別段、これらのことをタブー視する必要性などないが、
同じ日本人として、その心情を慮る必要はあるんじゃないかとか。

 追記

 「正論」9月号、前出の拓大藤岡教授の記事などを読むと、
そうとは書いていないが、どうも教科書検定における橋頭堡に
なりつつあるのが今回の問題であるように思う。
 つまり、中韓両国はもとより、米国なども加担している、
とある歴史認識の事実性についての議論の、
「入り口」か「いけにえ」にされてしまっているようなのだ。

 ここで「事実」をないがしろにされて、沖縄県議会による
教科書検定意見撤回要求などを自民党政府が受け入れて
しまったならば、本論である部分の検定さえ覚束ない状態に
なるとの危惧心があるのだろうか。
 (国内の問題なのだから、ここは本来、左側の陣営も考慮する必要がある)

 やりかたはどうなのだろうか と。
 相手の気持ちを考えるゆとりが、
必要なのでは。

 せめて日本人相手なのだから と、
考える筆者は論理立てが適当な甘ちゃんなのかも知れないが。

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2007年9月29日 (土)

UNFORGIVEN 許されざるもの

 Image010
しかしよ、なんだってはっつぁんはそこまで銀の字を追い詰めたんだい?

 いやいや寅造よ、はちの野郎はそこまで銀の腕を見込んでたってことじゃないのかい。

 だけどよ、そこまで見込んだ挙句、結局破門にしてだよ、
それでもって片腕叩っ切るたぁどういう了見だい?
ちゃんと説明するなりしてもらわねーと、おいらのような
門外漢には合点がいかねーってもんよ。

 寅、この野郎黙って聞いてりゃ好き勝手なこと言いやがって。
 銀の野郎が啖呵きってはちんところを離れようとしたんだぜ。
 しかもはちが仕込んだ盗人の技量をそのまま上州に持ち込もうってんだ、
うぶな上州の商人はたまったものじゃねーってのよ。

 じゃなにかい?ここ大江戸八百八町じゃ義賊だって褒められてもだよ、
上州の空っ風んなかじゃ、義理も人情もねぇ極悪人ってことかい?
 冗談じゃないよまったくえーおい!


 いいか聞け 寅
 上州と江戸の、大棚の位を考えて見ろってんだい、このうすらとんかち。

 はちの野郎はな、せいぜいにたような身の上の上州商人からだよ、
たとえ一時の不埒な考えでも、そんあ世知辛い押し込みを許せなかったんだよ、
銀の心が許せなかったのよ。わかるかい?
このおたんこなすびのすっとこどっこいがってんだ! 


 ああそう言われてみりゃそうかもしれねぇ。
 上州っていえゃ、米俸禄なんざ望めない、やせこけた地べたに、
かかぁ殿下が名の知れた国じゃねーかい。
 しかしよ、銀の野郎はどうして江戸から上州に渡ろうなんて
そんな風に考えたんだろうね。

 おう、そりゃよ寅、ものごと簡単に考えすぎなんでぇ。
 とっとと上州の場を荒らしてだよ、越後あたりの
百姓家に小金もってとんずらすりゃ一生安泰ってモンよ。
 銀の野郎はそう考えたにちげーねーってことよ。

  実はよ、そう仕向けるようにけしかけたのは、
他でもねぇ、俺なんだがよ。

 誰だって後先考えずに好き勝手な事言えちまうってのは、
なんだか便利なようで罪深いものなんじゃねーかって、
少なくともだよ、そう言う風に仕向けるか、仕向けるような
素振りの奴はだよ、墓場まで持ってきやがれって、
そう言うことなんじゃねーのかい。

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2007年9月26日 (水)

海の公園に行きました

 Image009
今日はララを連れて、近くの海の公園に行きました。

 この公園(海公)は、ウインドが快適に出来るように
色々と着々と整備されてきていて、
横浜に住む筆者には心休まる場所です。

 筆者がウインドを始めたのは、今から
かれこれ15年前の頃で、はっきりいって
その頃、ウインドはマイナー過ぎました。
 近くに住む、ウェイブをしている
お姉さんがいたのですが、
完全に体育会系の乗りで、
ちょっと怖いくらいにのめり込んで
いたのが印象的でした。

 最初、友人氏と二人で、
高円寺にあるホキパと言う店に
行って色々教わったりしながら
本栖湖や海公で遊んでいました。

 三浦海岸などにも行って遊びましたかね。

 そうこうしてるうちに、友人氏が
大阪に転勤になったり、
筆者がスキー競技を始めたりして、
ウインドは縁遠くなっちゃいました。

 筆者が横浜に移り住んだ後、
最初に頭に浮かんだのは、
海公の存在でした。

 その後、大阪-名古屋と
転勤生活を終えて東京に
戻ってきた友人氏と海公や
彩湖(荒川)で遊んだのが4年くらい
前だから、またリグの類も腐っているのが
あって、今日はウオッチオンリーでした。

 ウインドは、最近「Life 天国で君に逢えたら 」
おかげか、にわかにブームになっているようですが、
いかんせん道具は高いし、クルマはだいたい
大きなものが必要だし、身の回りの制約が
非常に大きいから、
そうは言っても静かなブームのような
気がします。
 
 艇庫なんかもありますが、そんなに
安いものでもないし、
始めるにはそれなりの覚悟が必要かなと・・・

 かと言って、いまさらスクール生と言うのも
なんだかガラじゃないようだし。

 そんなこんなですが、また
道具を揃えたり、整備したりしながら
細々と楽しもうかと。

 肩と頬の間を抜ける風が、
なんとも言えないんだなぁ、

これが。

 バイクともスキーとも違う風なんだよね。
 
 今日は風がほとんど吹いていなくて、
ほんとうにのんびりウインドするなら
いい日でした。

 でも、なんで今になっても
ウインドにこだわるかって、
よく考えると、
友人氏と一緒に高円寺のホキパ
行った時のことを
覚えているからなんだろうな。
 
 店の隣の駐車場で、
セールの張りかたなんかを
田辺氏に教わったりとか。

 

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2007年9月25日 (火)

New Kid In Town.

007
 
この三連休は、玄関や玄関前のスロープに
タイルを貼ったり、ペンキを塗ったりしていた。

 道具とネタは、近所のDIYで。
 仕上がりは良好。
 ご近所さんが通るたんびに、
「!??!」感嘆と質問の声をあげて過ぎていく。

 いわく「綺麗ね」とか「どこで覚えたの?プロみたいだよ」と・・・

 なんていうか、あまり同調してると
「家にもやって」とか、疲れる話になりそうなので、
そこそこ話につきあうだけなんですが。

 ところで、こんなことをやっている間に、
柴犬♂4歳の体に異変が。

 なんかアレルギーにかかったみたいで、
体のあちこちに舐め倒したあとの傷が出来ていた。

 考えてみれば、彼は福島県の会津若松で生まれ、
マタギ犬だった親元を生後4ヶ月チョイで離れ、
筆者のいる横浜へ。
 彼の到着を、今か今かと日通のデポで
待ちわびたのが、つい昨日のようだ。
 トラックに揺られ、小さなケージに入れられた彼は、
うんちとおしっこを、しっかりその中でしていた。
 「甘えん坊だから」と言うマタギのおじさんは、
殊更に夜啼きを心配していたが、
初日の夜だけは思う存分啼きはらし、
次の夜からは、
まるで雪が降ったかのごとく、
ペットシーツを噛み千切って暴れまわった。

 その後、筆者転勤の関係で、半年余り後、
1歳にもならず上越は高田へ。
 瞽女(ごぜ)衆とじゃれ合うような環境に。

 高田は本州でも1番勢いよく雪が降るところで、
毎日の散歩では、冬は降雪量と言うより道路に撒く
消雪の水に参ってしまった。
 ただ、1年中通してそれほど暑い日が続くわけではないので、
彼にとってはなかなか良い環境ではなかったかと思う。
 また怪しいアレルギー性物質なんかも、都会のそれとは
桁外れに少ないようにも思った。
 ここで彼は三年間、青春時代を過ごす。
 (気の毒に童貞のままですが)

 その後、プラズマと怪しいネオンの工都、尼崎へ。
 ここはまぁ近所で火薬も作ってるし、
住金なんかもあるし、ヘンな匂いもするし、
人種も民族も多様だった。
 
 彼には少しずつ異変を感じていたのだが、
軟膏とステロイドを時々、それくらいで
収まっていた。

 そんな関西は阪神工業地帯の最中にあった
暮らしを早めに切り上げるべく、
地元東京で職を得た筆者。
 思い起こせば東京で面接のたびに、
日帰りに近いペースで、
名神-東名-面接-東名-名神と、
彼をクルマの後部の
スペースに置いて走り回った。
 
 それで筆者の地元に帰ってきたら、
まぁ今年はラニーニャだから
いつまでたっても暑いし、
それに我が家は長いこと空家同然になっていたから、
家の中に怪しい物質がいつにまにやら
はびこってしまっていたのか。
 結果、デリケートな彼は皮膚をおかしく
してしまったようだ。
 
 幸いうちの近所には、大して金持ちが
住んでいる様な場所でもないのに獣医があちら
こちらで開業しており、歩いていける場所に
三、四件の病院がある。
 
 彼らへの報酬は高額極まりないのだが、
今度からは保険にでも入ることとして、
明日連れて行ってあげようと思う。
 すまない。
 長い休みも今週でおしまい。
 早寝早起きの習慣を。


町中で囁かれている噂話はどれもこれもフレンドリー
誰もがみんな、お前さんに期待しているよ
町中のどんな奴も、お前さんのことを知っているように見える
古い友人達でさえお前さんを新参者として扱っているんだ

町に新参者がやってくる
どんな奴でもおまえを温かく迎えてくれているんだぜ
彼らをがっかりさせるんじゃねーよ!


町中の噂話は、まだお前のことだけだよ
お前が何をしてようと、そんなことはおかまいなしさ

お前が通り過ぎた後は、みんなでお前の噂話をしてる

新しい誰かがこの町にやって来るまで
誰もお前のことを忘れたりしないよん


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2007年9月21日 (金)

秋の詩

  秋の日の
  ヴィオロンの
  ため息は
  余が胸を
  けだるくも
  悩ましぬ

  息も絶へ
  青ざめて
  鐘の音に
  余は思ふ
  去りし日を
  涙して

  去らんかな
  風とともに
  あちこちと
  さまよひて
  一片の
  枯葉の如く


 ヴェルレーヌの秋の歌なんですが。

 これはノルマンディー上陸作戦で、
連合軍が暗号として用いたことは、
映画「史上最大の作戦」の中でも
描かれていたりします。

 にしても暑いっすね・・・
 関西在の友人から連絡があり、
「こっちは35℃なんですが」と泣きそうな声でした。

 この間、先週の日曜、
弟とタクトスキーラボと言う店に、
板をチューンナップに出しに行きました。
 その弟が運転するA6 Avant 4.2 quattro
(すげぇ分不相応なクルマなんですが・・・)の中で
しみじみと話していたのが、
「いやぁホントに子どもの頃に比べると暑くなったよね」
「昔だったら今の時期サッカーの
選手権予選なんかでふつうにサッカーーしてたもんね」
「今だったら死ぬね」と言う具合に、
兄弟で環境の激変をいまさらながら感じていました。
 
 この手の話を家族間ですると、
本当に実感してしまうよな と。
 冬先取りでスキーのチューンナップを出しながら、
熱い暑い山手通のアスファルトの上を、
実家まで彼のクルマは疾走しました。
 
 
 さてさて、我らがおけいはんですが、
リンク先の撮影の舞台裏で見る素顔がなんとも言えないなぁ。

 ブログの本文にも書かれているのですが、真夏の暑い時期に、
よくまぁ涼しげな顔とご機嫌な素振りが出来るものかと。

 少々口悪く言えば、大概の男はコロッといってしまう と言いますか。

 きっと家族に大切にされて育ってきたのでしょうね。
 (筆者もですが)

 遅咲きと言おうか、なんと言おうか、
これからどんどん表現者として活躍していって欲しい人材です。了

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ネットは信頼できない、と言われる訳

 スポナビで久しぶりに痛い自演の人を発見しました。
 くわしくないひとのブログ

 最近は以前のようにブログ議論なんかには
あえて口を挟まないようにしていたのですが、
そこのブログはちょっと許せないなぁと
感じたのでわざわざエントリーを立てました。

 筆者は長い休みに入っているのを良いことに、
わりあい真摯なレスを付けてきましたが、
のらりくらりと対応するブロガー、
さらに自演してまでブログを盛り上げようとする
姿勢に無性に腹が立ってしまいました。

 筆者が自演を追及し始めたら、
別キャラの「いらつく」と称すものが
キレキャラ、更に「おいら」と言う本キャラで
必死の応戦する有様。

 
 更に、その明け方までのドキュメントを
自分の都合の良い様に改ざんしてしまう
決死の姿勢が泣けてくる。
(現在コメントは閉じられて居るか、フィルターがかかっている模様)
 なんとはなしに覗いたら、
「いらつく」って2ちゃん名無しみたいな
下品な書込みが全て無くなっているのです。
 だからコメント欄が不自然な流れなのです。
 まるで「いらつく」と「おいら」が通じて
コメントを選別したかのような流れなんですよ
(苦笑)

 そもそも何が悲しくて、赤の他人が
「義憤」とやらにかられて夜中の2時3時に
沈んだブログにコメントすると言うのだろう。
 
 スポナビはIDもトリップもないから、
言ってみれば自演し放題、
そこの管理者がフィルターフィルター
うるさいのも、よく読めばアリバイつくりの
一つに過ぎないことがよく分かる。

 そこの管理人が痛い所は、
それが読むものに不快感を与えている
ことに気づかないネット不感症であること。

 だいたいそこの管理人のコメントを
見れば分かるのですが、
筆者が忌み嫌う2ちゃんの常連のような
別キャラ仕立て。
 ただ、冷静キャラの組み立ては、
見ていて微笑ましいほどの類似キャラ。
 やっぱり癖って出るものですから。
 
 まぁなんて言うか・・・
 楽しんでやっているのは
理解できるのですが、
そう言うものに巻き込まれてしまう
筆者もまだまだリテラシーが不足している
ってことかなと。

 あんまり頭来たので、
トラバ送ってやりました。

 こちらココログ+にはログが残るので、
むやみに向こうも見には来れないけど。

最後に、

Re:試合をぶちこわす男、主審 柏原丈二この物語はノンフィクションです。

(´・ω・`)


posted by おいら | 2007-09-20 05:27

Re:試合をぶちこわす男、主審 柏原丈二面白い物語だったなw

posted by いらつく | 2007-09-21 01:14


と、こんな具合で締めくくってるのも
本人もそうとう頭にきたか、
自演の方法を考えざるを得ないと、
追い込んでしまったようです。

 ところで、「おいら」のブログの
コメントが復旧されていました。
 
ありえない言い訳をしていますが、
計算高い人間が溺れることは、
よくあることです。
削除→指摘→仕方なく復旧

 
 
 

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2007年9月14日 (金)

雨一滴で

 少しの間、紛れも無い秋雨が続いて、
横浜もだいぶ涼しくなりました。

 クルマがあって、中くらいのバイクがあって、
それでも駅までの通勤と近所の買い物用に、
原チャが必要と前から感じていました。
(ガレージを工夫する必要が・・・)

 なんせ横浜は坂が多い。
 それでも筆者なんかは、
町内会で一番ってくらい
歩き回っているほうだと思う。

 で、近所の自転車屋さんチックな
店でJOGカゴつきを購入しました。
 なんと言っても原チャはJOGです。
 むかしホンダが「打倒JOG№1」って
ことで、DJ-1(いまDio)って原チャを
作ったのですが、
とうとうヤマハJOGの牙城は崩せず
じまいでした・・・

 他、郵便物も筆者の家へ届くようになり、
ようやく戻ってきたんだなぁと実感しています。

 一人身で家を買ったのは少々無謀かとも
思いましたが、こうして日がな自宅で
のんびりしていると、なにか新しい発想も
生まれてくるってモノです。

 あと安倍ちんが辞めちゃいましたね。
 色々山本一太が朝生で言っていたけど、
ぜんぶ、うそぴょんでした。
 筆者が端的に思うのは、
あれだけ閣僚だの、省庁、官僚機構の
狼藉が発覚すれば、誰が政権を握っていても、
その度に挽回するのは不可能ってことだよね。

 まぁそれだけ自民党の力が落ちたってことなんだよね。

 むかし田中角栄以降、海軍出の金丸のおっちゃんが捕縛されて
以来、自民党は同じようなことを繰り返しているよ。

 福田の倅なんかではなくて、政界の爆弾男中川元政調会長あたりに
頑張ってもらいたいよね。どうせ自民はもうだめなんだからさ。

 しかしまぁ、お金って惨いよなと。

 そりゃ誰だって金はあったほうがいい。
 筆者だってお金が無いときはイライラするし、
不安にもなる。

 じゃ、あったから全て解決するかって言うと
そんなことは無いんだよね。

 どうしてかって言うと、
お金の使い方にも、その人の
価値が出てしまうものだから。

 一番大切なのは、
充足できる術を知っているかどうか。

 なんて言うか、
見た目良さそうな女の子がいたとしても、
「お金=楽しい」ってしか感じられないのが、
なんか多いよね。

 まぁ男がダメなんだけど。
 甘やかせているから、
そう言うのが育っちゃう。

 さておき。

 週末は母校の学祭にでも
顔を出そうかなと。画策中。

 

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2007年9月11日 (火)

神農 幸(じんの さち)を「要チェックやー!」

 関西に居たからか、筆者の心にも残像として残っている、よく茶の間のテレビで、いわゆる関西限定のキャラで活躍する、(ホントは東京在住みたい)

 以下  引用
神農 幸(じんの さち)さん 職業女優

1981年4月13日、京都府出身。血液型A型。趣味・特技はバスケット、
スキー、料理、生け花、声楽など。

 引用終わり

 そう、神農 幸(じんの さち 女優)さんなんですが、筆者の地元を走る京急なんかの駅にも、なぜか京阪電車の広告があったりして、ちょっとびっくりしました。

 本人は女優さんなので、おけいはんだけが活躍の場ではなく、近く公開される下記の映画に出演されているようです。

 廣木隆一監督作品 「M」

 以下、神農 幸さんご本人のブログから引用

私は大口広司さん演じる新聞販売所の所長さんの奥さん役。 登場は2シーンだったけど、大好きだった廣木監督の作品に関われたことがとても嬉しかったデス。

馳星周さん原作、廣木隆一監督で作られたこの映画。
人間の「欲望」や「愛」を衝撃的に描いています。腹くくってみてくださいねっ。


 
 引用終わり

 
 うーーーん原作、 馳ですか・・・ 
彼はサッカーのことをろくすっぽよく知らんで語るようになってとっても嫌いになった男の一人です。内藤陳さんなんかとゴールデン街でよくやりあっていたそうですが、映画とか小説とか、そっちのほうでまず極めてからサッカーなんかも語って欲しいぞ と。

 ただ大森南朋なんかが出てるのが良いね。彼はNHKの「ハゲタカ」などでも好演してたし。
 いやホントはその役は岡本綾とのよからぬ噂で混迷を極めた梨園のはぐれ狼、二代目中村獅童が演ずる役だったらしいのだが、彼は降板し、大森でOKってな具合で最高にハマり役だったのではないでしょうか。

 ストーリーは、筆者も、借りてきた他のDVDで予告編を見たのですが、MIWONと言う女優が良さそうです。
 主婦売春とか絡んでいるようで、感じでは石井隆さんの映画に類するのかな と。

 また主演映画もあるようです。
 30分の短編ですが、主演ですから。
 
 おけいはんがスクリーン狭しと暴れまわるのです。すごいです!!(暴れない暴れない)
 完全なロードショーではないようですが、東京池袋のシネマロサ(むかしロサ会館)と言う名門の小屋でかかるっていうのは、なんだか感じが良いですね。
 ロサ会館って言ったら、東京の映画好きの必須アミノ酸か、メニエル患者ならイソバイドかってくらい外せないアイテムですから。
 
 まだの方はぜひご覧になってください。(筆者は観ましたよ!!)
 
 以下引用

そして同日15日は池袋のシネマロサでも「屋根の上の赤い女」。が公開。HPでは予告編も見れますよ。

初日は共演させてもらった山中崇さん、高城ツヨシさんと岡太地監督と一緒に舞台挨拶をさせてもらいます。


この3つ、ぜひチェックしてくださいね!

 引用終わり


 そう言うことですから、おけいはん こと神農 幸〔(じんの さち) 女優さん〕を要チェックってことでお願いしますよ。

 以前筆者がなにも考えずに先方のブログにトラバしたら、見事に削除されていました・・・(苦笑)(泣)

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台風とともに

 4日の日に引越しが済んで、少ししたらなんと・・・
 台風が直撃と言う横浜気象台。
 やっと光も開通し、ネットが出来る環境になりました。
 NTT西ではVDSLなどの通信装置が都合3つ必要だったのに、
東では本体1台のみ。いったいぜんたいどうなってるんだろうね西は。
(よくシステムダウンして、ルーターの再起動も必要だったし)カンカン。

 ところで尼崎からの帰り道は、もう飽きた名神-東名ルートを
やめて、阪神高速-西名阪-名阪国道-東名阪で、
東名を名古屋の先辺りで入ると言うクチャクチャしたルート。

 道すがら、伊賀上野やら、伊勢(ちょっと寄り道)、松坂などを
廻ったり、岡崎などでも史跡めぐりをしてきました。

 件のルートに飽きたら、蛤のひつまぶしを食べるつもりで
三重ルートも良いのかなと思いましたよ私は。ええ。
 あと、静岡県内の1号バイパスもすべて無料化されていたので、
先回帰ったときは清水ICからやっと東名に入ったり等、
時間に余裕があれば名神-東名の味気ないルートより、
途中で御前崎あたりの飛沫を感じながら帰ったほうが
気持ち良いですぜ、旦那さま。うひゃ。

 帰ってきてから少し経ちましたが、大型の薄型テレビを
買ったり、尼崎でポシャッた冷蔵庫を新たに買ったりして、
それなりにまた住み心地をよくしていこうと。
 
 日曜日は環二家と言う、吉村家から正統後継の
のれんを受けたと言う家系ラーメンを食べて
ようやく横浜に帰ってきた気がしました。
 家系ラーメンは、油が割合しつこく、味も濃いので
好みの分かれるところです。
 しかもそれほど美味しいかと言うと、ラーメンほど
好みの分かれる食べ物はないのでどうなんだろう?かと。

 ただ、尼崎の道意というところにケンちゃんラーメンと言う
店があるのだけど、そこを食べて以来だったので
なんだかメチャクチャ美味く感じました。
 そこは深夜(1:00)に行くと店がはねたねいちゃんや、
面倒見いのおっちゃんとかがたむろしていて、
客層が大概が酔っぱだからか、麺の湯で加減も
とてもじゃないが食えた代物ではなく、なにかネチョネチョする
なと思ったのでピンきたのですが、おそらく茹で釜に足し水を
していないからカンスイがこれでもか溶け込んでしまって
ロクなもんじゃねー状態になっているんだと思う。
 それで一杯800円も取るんだから、やってられねーよ。
 と。

 もうなんて言うか、ラーメンの地位が関西は低いようなので、
ラーメン好きの人に関西勤めはお奨めできない。
 博多ラーメンの出来損ないみたいなチェーン店が多く、
関西では30軒ばかり本に乗ってるような店に行ったが
ロクなものではなかった。これだけは最後に付け加えたい。

 まだ次の会社での初出社まで時間がだいぶ有りますので、
いろいろ何やろうか考え中です。
 
 今のところはスカパーの16日間無料視聴を申し込んだので、
毎日テレビっ子状態な日々です。(すげー小市民)

 明日以降天気が良かったら、また少しタイルを貼ったり、
砂が入った塗装壁材でコテ使ったりして遊んでるかも知れないな。

 で、スーツ着て会社通ってる筆者が、時々大掛かりな工事を
ガチャガチャ始めるものだから、ご近所さんが好奇の目でのぞいて
いくんですよね。それがまた面白かったり。

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2007年9月 2日 (日)

さらば哀愁の尼崎、横浜へ帰る

 格安で引越しを請け負って頂いた割りに、
手際よく、さっさと片付いてしまった。

 最近になく、珍しいミスをしてしまったのだけれど、
帰りに着ていく服の類も、誤って引っ越しの荷物と
一緒に送ってしまった。
 

 荷物の無い、がらんとした部屋で、
パソコンだけをつないでブログを書いている。

 これから愛犬のララを乗せてクルマで横浜まで
帰るのだが。(彼は昼寝中)
 半年余りの滞在でしたが、最後に尼崎の暗部を見たかのような
出来事が。

 筆者の周囲500mにはルンペンの棲家がある。
 この引っ越しのタイミングで着倒れ気味の筆者の
洋服を、たいそうな量ごみにして捨てたのだけど、
夜中に出して、朝散歩に出かけようとして
ごみ置き場を覗いたら・・・

 なんと夜中のうちにルンペンが持って行っちゃったみたい。

 究極のリユースというかエコというべきか。


 神戸には何回か行ったけど、結局、京都などは
川床遊びにちょろっとでかけたくらい。
(遊び賃はちょろっとじゃ済まなかったけど)
 大の字が点々に見えてしまう場所にお住まいの
京都の人に案内してもらたったのだけど、
京都の遊びは高くつくなぁと思った。

 まぁ身の丈に合ってないってことなんだろうけど。

 あと、むかし新撰組が血の雨を降らし暴れまわったからか、
東京の人間は余りよく思われていないみたいだ。
(筆者の風体さておき、すげー思い込み)

 大阪はどうにも性に合わなかった。
 大阪の人に言わせると、
「神戸は気取ってて、京都ははんなりでテンポが合わない」らしい。
 筆者は大阪だけはダメだった。

 食い倒れって言うのは嘘だと思う。

 鉄板だとか、粉ものみたいに即興でできてしまう
料理ばかりで、ラーメンだとか、カレーのように
長いことダシ取ったり煮込んだりするのは不味い。
 と言うより店舗の数が少ない。

 そんな原価がかからないモノばかりを
客に出して、挙句「食い倒れ」と称しボッタくる。
 商人としての手法はそれで正解だけど。

 効率重視でそこいらじゅうの木を切ったのか、
或いは焼け野原の戦後に植樹をしなかったのか、
その理由は分からないが。
 大阪にはまともな並木道が見当たらない。
 あっても官の施設の周りとかそんなくらい。

 大阪はちょっとさびしい。


 緑多き横浜へ帰って、海の公園やなんかで
久々にウインドしたりして遊ぼうと思います。

 その前に荷解きだとか、家のレイアウトを
考えたり、やることは沢山ありますが。

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2007年8月31日 (金)

最近の筆者

 最近、スポーツナビ+と言うサイトでブログを書いています。

 主にサッカーのことについて書いていますが、ときどきトンチンカンなコメントを残していく人が居り疲れます。

 しかし、1日に10,000ほどの人が覗いていく日もあり、
 (記事の善し悪しによるんでしょうが)

 ネットでのサッカー談義は成熟しているんだと、
改めて感じました。

 ただ、サッカーをやった事の無い人ほど、人の記事から案を引用しているようで、
「おいおいそれはマナー違反だろう」と感じることもしばしば。

 10月1日から、次へ行くことになりました。

 引越しは9月2日で、短い関西でしたがそれなりに楽しめました。

 引っ越し屋さんの都合で引越しの予定を進めていったら、
ものすごく低価格な金額での依頼が可能になりました。
 大変ありがたいことです。

 

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2007年8月16日 (木)

at last

 突然ですが、いま勤めてる会社を退職します。

 大台の一歩手前は、一つの大きな節目だな。

 毎年毎年、なにかいろいろ、

 新しく始めたり、なにか起こったりして。

 一年、過ぎるのが早い。 そんな感覚とは
全くの無縁でいる。
 今年もまた、長い長い一年。年度と言うべきか。


 明日、道草しながら、横浜にゆっくり帰ります。

 転進は少し先の話なので、退職の日まで含め、
ゆっくりゆっくり考え方を固めていこうと考えています。

 何故か最近、時々、自分が死ぬときの事を考えます。
 目を閉じて、その先が無いって言うのは怖いなぁ と。

 ほんの少し前のむかし、自分の死なんて全くリアルに
感じたことなんてありませんでした。

 人は、誰かの死に関して、その死に行く人の
瞬間の気持ちは知る術が無い。
 誰も、死に関する本当の知識は無いのかも知れないなと。

 それで、宗教と言う概念が発生したのかも知れないが。

 別にカルトなんかに入信しなくても、
うえのような話を、説いてくれる人は居ないだろうか。

 涼しい、横浜市立図書館で、これらの文献漁りで過ごすのも
良いのかも知れませんね。

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2007年7月22日 (日)

四国に行って来ました

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 先週、台風の過ぎた四国を廻ってきました。
 東京から両親を呼び寄せて。

 通行止めの解けた明石大橋を渡り

 松山城を登城。

 泊まりは道後温泉でした。

 帰りの道すがら、
 森の石松代参で有名な
 金毘羅山へ

 やめておけばいいものを

 汗だくに なりながら奥社へ。

 ここではせっかくだからと
帳面を買って記帳してもらいました。

 瀬戸大橋を渡って、本州岡山側へ。

 姫路城の大きさに驚きました。

 帰りは名物ともいえる渋滞にハマって

 現在の居住地尼崎へ
帰って参りました。

 どこもかしこも
観光地然としておりましたが、
久しぶりに両親と旅が出来て
なかなか良かったです。

 皆さんも、両親が健在のうちに
親孝行してください。

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2007年7月 3日 (火)

科学と独創の敵

 最近「権威主義」と言う4文字熟語が
心から離れていかない。
 
 「長いものには巻かれろ」と言う、
簡単に要約した言葉もある。

 

 大阪市や大阪府のお上がやった、無駄な箱物行政のことを放置・黙認しているのを見ると、ある部分の大阪の人の気質は権威主義的パーソナリティーとは言い過ぎだが、「長いものには巻かれろ」と言う性根は有るのかも知れない。

 これは、歴史的に商人が多い土地柄では、損得勘定が発達しているからか。
 
 お上と言う役人には楯突いてもかなわないとか、そもそもがそんな事をするのが時間の無駄、
お金の無駄、考えることも「アホらしい」と言う、「曖昧なことへの低耐性」の証左なのだろう。
 
 「ややこしい」と言う、数種のシチュエーションを表現する独特の言葉は、この主義・思想が起源だと、はっきりした。

 なんだか色々考えて、
すこし、
モヤモヤが晴れてきて気分がよい。

 勝海舟の親父だった勝小吉を筆頭に、江戸には反骨心旺盛な人物が、数え上げればキリが無い。

榊原鍵吉と言う剣豪も、反権威を生来貫いて不遇のときを過ごしていた。
 
 大阪は?と言うと思い出せない。
 
 新潟にも長岡藩の河井継之助なんて言う反骨の侍がいた。

 そもそも大阪に侍は居なかった。
 
 幕末、江戸から多くの侍が
渡ったのはその為だ。
 
 だから、庶民と呼ばれた人たちは反権威なのかな?と

 思ったけど違った。  

 
 筆者は、職場も住まいも兵庫県で「良かった」と思った。
 

 少なくとも、そんなおぞましい思想の伝播から免れたい。

 意思決定の場において、論理的説明を省略し、権威に対する盲従を要求する態度、及び意思決定や判断において自分の頭で考えたり情報を集めずに権威に盲従する態度を指す。

 上の三行が、wikipediaからの抜粋である。

 
自分の頭で考えなくなったら「おしまい」だよと、筆者は考える。
 
 ただでさえ、こんな世の中だから、昔気質の化石のような手法を用いて、

 服従を約したり、服従を求めたり、
 

 まっぴら御免の助(すけ)!!!
 (ちょみっと江戸っ子風)

 これら権威主義的思想は、すべて科学と独創の敵なんである。

 どちらか一方の権威付けされた陣営に与して、

 それでねんごろになった後は、数で凌駕しようと言うやりかた。

 そこに独創はない。
 お金は残るかもしれない。

 でも、一瞬
 人は振り向けど、なにも残さず。

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2007年6月24日 (日)

南紀 串本町にいってきました

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 和歌山県は南紀串本町へ、筏釣りに行ってきました。

 写真は46cmと48cmの真鯛です。
 ロッドは30号負荷程度、リールも小物用と、
大物狙いには似つかわしくないライトタックルでした。
 しかし、ライトタックルで大物を狙うのは自分のセオリー。

 餌は頭を取ったオキアミ。

 最後の最後に置き竿して、ボーっとしてたら
大きな当たりとともに海に持ってかれてしまいました。

 天気は良かったのですが、前日ほとんど寝ないで
車中泊でしたので、とても疲れました。

 30mたちで真鯛が釣れるなんて、
南紀はやはり魚影が濃いのですね。

 久々に沖合いに出ましたが、
やはり釣りは釣りで面白いものだと
再認識した次第です。

 愛犬のララは暑くて暑くて
少々気の毒でした。

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2007年6月 4日 (月)

人の死に行く道

 坂井泉水さんが亡くなって、ずいぶんと
落ち込んでしまった人も多いと思う。
 
 考えてみると、彼女は筆者とほぼ同年代で、
或る時代の象徴として駆け抜けていった。

 期待に応えられなくなったとき、
命は終わる。
 そんな風に
 彼女は考えていたのかな。

 考えてみると悲しい。

 期待に応える使命。

 末梢的でもなく、

 矮小でもなく、

 本質に迫った生き方。

 語られることの無かった
プライベートが、
最後に語られるなんて皮肉だ。

 その清冽で潔癖な様は、
彼女が唄う歌そのままで余計に悲しい。

 

 人の死に行く道

 ロス・マクドナルドが描く
私立探偵が、やっとの思いで探し当てた
看護士だった娘。
 
 なんの後ろ盾も無い娘が行く道。
 
 坂井泉水さんが亡くなって、
「人の死に行く道」を再び読んだ。

 
 「失われた10年の遺構」

 そんなん放っておいたらええやん

 好きにさせとったらええねん

 そんな言葉を聞く代わりに、
世相はなんだか皮相的で、
チマチマと他人の粗探しを
まるで趣味にしているかのようにし、
狙いを定め、
全体主義的皮相攻撃を繰り返す。

 彼はなぜそうなったのか分からないと、
そういった。

 わたしは彼に、
「君がその代表なんだから、分かる訳がないんだよ」
と言い掛けた。

 同じ水の中に住む魚は、
他ではもう生きていけない


とか、

そんな程度の低い話、
するつもりは無い。

 「三菱見てから」って
最近やたらと流れるCF。

 気配がする。

 「みそぎは済んだ」

 軽々しく、しかも自分から言う阿呆が多くなった。

 いつからそんな流れになったのか、
思い出せないでいて、

 最近、そのことをずっと考えている。

 最近は、ややこしい、かしこい、

この二つの言葉しか耳にしない。

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2007年5月29日 (火)

或る日、突然Racing

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 週末、所用にて横浜に帰っていました。
 実家の親が整理してくれて、もう15年近く放ってあった写真入りの
袋の中に、Racingの写真を見つけたのだった。

 センチメンタルな心情に
 ついかられて

 オレはデジカメで
 その写真を記録した

 今、職場や、むかしの自分を知らない人に、
「ロードレースをかじってました」と言っても
誰も信用してくれないのが悲しい。

 どんな奴でも一度くらいは
 cheap thrillに命を賭けてしまうのさ♪

 どんなにつまらなそうな顔をしていても
 「熱狂」が何かは充分理解しているつもり

 学校に通う友人たちを尻目に
 オレはサーキットに通って

 そこで何ものかを学んだ

 難しいこと
 簡単なこと

 あきらめられるもの
 あきらめてはいけないもの

 愛するもの
 愛さずにはいられないもの

 夢
 煙草

 寒い日に焼けた
 オイルのにおい

 息づかい

 体躯は自分の子どものように
華奢な若者

 でも それが20年前のオレ

 どうしたら速く走れるか

 軽量化で、減量に励んでいたオレ

 マドンナの宝石にあらず

 俺様の宝石さ 
 

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2007年5月19日 (土)

日本の、これから  止められますか 「地方の衰退」

 022
「日本の、これから」を観ている。

 インフルエンザに罹り、先週は会社を休んでしまいました。

 地方生活が性に合わないのか、尼崎の煙突ガス爆弾を食らったからか、
単にいろいろあって消耗しているか分からないが。
 うえの事を踏まえて、怪しい雑菌が居そうな場所への出入りも控えていたのだが・・・
 生まれて初めて、「インフルエンザ」なるものに感染してしまいました。

 さて「日本の、これから」を観ている話。

 いろいろ地方の人が言っている。
 地方の人、ではなく、地方に就職し、若しくは
そこで経済活動を送っている人々。

 地方の人と端的に表現すれば、両親とも
その来歴のひとつは東北の名もない街にある。

 母親は、東京の企業務めだった父親の関係で
東京生まれ、戦中の疎開で父親の遠縁がある
東北の或る地で幼少から高校時代までを過ごした。

 父親の場合もだいたい似たようなもの。

 すでに東京に出て50年を経過しようとしいる。

 その間、いわゆるイナカへ「帰ろうと思わなかった?」と
問い質したことはないが。
 たぶん無かったろうと思う。

 一人の人間が一生を終えるには、余りにも「魅力も何も無い」。
 両親はそんなことを思っていたのかも知れない。

 極力実家に頼らず、独立独歩生きてきた両親は誇りだ。

 翻って「地方の人」、地方に残留した人はどうだろう?

 全てとは言わないが、筆者が新潟で見てきた印象を表出すると、
地方色の色濃いエリアに行けば行くほど、依存心が強い。

 何に対してかと言えば、親・国・地域・会社すべてのものに対してだ。
 どうしてか言うと、そのようなモデルが過去あって、
その成功体験にいまだに酔いしれているから。

 止められますか 「地方の衰退」??

 無理だと思う。止まらないと思う。

 どこのエリアに行ったって、東京という都会から来た人間への
風は時々おかしな具合の方向から吹く時がある。
 「余所者」「旅の人」etc・・

 でも筆者はその度こう思ってきた。
 余所者の会社に勤めてなにを言うかと。
 あなた達が勤めている会社は、企業立地でやって来た
都会者が興した会社が殆どだろうと。
 そして、余所者の力を借りずに運営すれば良いのではないか と。

 時々おかしな風を吹かす、そんな心無い人々にいちいち反応するもの
どうかと思って来たが、偽装された優しさは罪だ。

 「東京に居る、東京での納税者の殆どは地方出身者だ!」
 地方に残留している人は言う。
 そうした人間を生産した地方に、感謝の念を持てと言いたいのだろうか。

 筆者が考えるに、それはひとつのヒントたりうる。

 シンガポールのように、優れた人材輩出が特筆すべき県や地方も
あって良いのである。
 シンガポールでは、日本で言う小学校5年の頃にはその子どもの
その時の能力如何ですでに将来の進むべき道が決まってしまうらしい。
 物凄く厳しい競争社会。

 大切なのは人材教育だろう。資質を磨きこむ教育なのだ。
 日本はシンガポールの中身を真似る必要は無い。
 
 そうした優れた人材を輩出し続ける或る地方へは、
再び企業がやってくる。

 インフラ整備やハコ物行政などのハード重視路線は、
そうした人材育成たるソフトを軽視してきた大人のおもちゃだ。
 隠れ蓑だ。
 ハコがあれば人が来ると、タカをくくっている。
 もうそんな時代は終わった。
 プロパティマネジメントとともに、そこに居る、住む人々に
魅力があって素敵でなければ誰も寄り付こうとなどしないのだ。

 現在の地方は、教育の現場からして荒れている。
 母子家庭率や早期離婚率は、人口からして東京の比ではない。

 大人がしっかりしなければいけない。

 もう欲望のままに生きる動物のようなことは止めよう。

 大阪も相変わらず、動物が引き起こしたかのような、
欲望におもむくままの犯罪が多い。

 最近では深夜営業の、ステーキハウスでの事件があった。
 大阪を面白おかしく揶揄するサイトすらある。
 あまり東京では見られない傾向かと思う。
 
 大阪も、近畿も本当にすごい。
 物凄い数の不良債権ハコ物を、切り売りしたり放棄したりしている。

 別に、学校でやっていた従来の教育なんてそこそこでいいから、
知育・体育そして忘れ去られた「徳育」を重視していかなければ、
地方は死んでいく。
 

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2007年5月 8日 (火)

メニエルさんとフラッシュバック登場

 今朝方、実に一ヶ月ぶりのひどいひどい発作が起き、仕事を休んでしまいました。
 
 ちょうど家に飾ってある、榎木孝明さんのベイブリッジを描いたリトグラフの中心に釘を打ち付けて、それがグルグルと廻るような感覚の症状でした。
 目を閉じていようがあけていようが、そのような状態が続くので、なにも出やしない嘔吐感が絶え間なく
襲ってきます。

 発作がひとたび起こったときのめまいの具合は、段々と酷くなってきているように思います。

 発症初期の頃は、メリスロンなどを服用しておとなしくしていると二時間ほどで収まったのですが、
今回のは発作が起きて、まずいイソバイドを生で飲んでも一日朦朧とした状態のひどい有様でした。

 体が資本だと誰からも言われますが、突然の不幸はなんの前触れもなくやってきます。

 頭はどうにもこうにも劣等でおりますから、体だけはなんとか健康を保全して行きたいものです。

 このあいだ、「五年間まったく良いことがないよ」と、うそぶく人と話をしていたのですが、
えー、それって贅沢な感覚だよなと思いました。
 なにをもって良しとするかは、その人個人の来歴に多く関わってきている問題だから、
他人の目をして幸せかどうかなんて、一概に測れるものではないなと、
あらためて感じた次第です。

 こちら関西地方では、クボタ・アスベスト問題の一件で訴訟沙汰になっていることが大きく報道されていますが、首都圏エリアでの扱いはどうなのでしょうか?

 「尼崎」は、その昔からぜんそく公害などの事件があった場所ですが、筆者も扁桃炎に二回ほどなり、
また今回のようなアスベスト問題が大きく報じられ、街としてはこれから再生に向かう途上にあるのに
出端をくじかれた格好になってしまいました。

 

 

 

 

 

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浦賀の彼女

 連休中は横浜に帰っていました。
 
 ほとんど自宅の中でヒッキーしてたりしながら
過ごし、本を読んだり、本を読んだり本を読んだり・・・

 2日の日に、横浜で友人と会いました。

 最初はダイヤモンド地下街のサントリーコーナーで、
物凄いロープライスな飲み会をしていましたが、
その後はベイシェラトン2階のBar bay Westへ。

 ここは本当に4年ぶりと久々の場所で、
最初はシンガポールスリングなどのカクテルをたしなんでいたのですが、
ボトルを入れることにして瀟洒な雰囲気を楽しんで来ました。

 東京の友人をわざわざ横浜に呼んで、
それでゆっくりと色々な話をしながら
時は過ぎていきました。

 帰りは京急に乗って帰りました。
 電車に乗って、地元に帰ってきた気持ちに
少しだけなれましたが、近所の人はなんだか
大概よそよそしいし、まぁ仕方ないのかな。

 あと、実家から親が遊びに来た折、
横浜倶楽部で中華料理を食してきました。

 へんな訳の分からない中華街の店より断然美味しいお店です。

 中華街に行っても、筆者が入る店はだいたい重慶飯店と決まっているから、
基本的に四川料理というジャンルが好きなのだろう。

 今回の帰省では、古くからのなじみの山下とか元町のほうには
行かないでいました。
 
 そんな連休の過ごし方でした。051

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2007年4月23日 (月)

生の「原点が存在する」ものへ

 "うみともつかぬ汁ともつかぬ霧弾をふらす

 空想的社会主義の地獄版め"


 と、詩人谷川雁は「おれは砲兵」の中で
連続的にメタフォアーを用いたのだ。

 まるで現代に巣食う病魔をあざ笑うかのように。


 "杙をぬけ  竜胆色の露ふりはらい

 まぼろしから覚めたきのこよ  馬を呼べ

 匂を嘔く物語をかかとにこすりつけながら

 すべての汚辱といっしょに移動しよう


 とどまる砲兵には死があるだけなのだ

 蚊ばしら立つ炭焼党の都の方へゆっくりと

 左へ  さあ輓馬の鞭をふりかざせ"

 
 谷川さんは「同志毛」と言って
憚らない人だった。

 多くの殺戮を繰り返して、狂人と化した
毛沢東を、
 晩年の谷川さんはどう思っていたのだろうか。


 コンミューンと呼ばれるものの構築を
工作してきた谷川さんだったが、
人間とは、矛盾の塊であると体現して
くれた、まさに「瞬間の王」だった。

 おれは村を知り 道を知り
 
 灰色の時を知った
 
 明るくもなく 暗くもない

 ふりつむ雪の宵のような光のなかで

 おのれを断罪し 処刑することを知った

 焔のなかに炎を構成する

 もえない一本の糸があるように

 おれはさまざまな心をあつめて

 自ら終わろうとする本能のまわりで焚いた

 世のありとある色彩と

 みおぼえのある瞳がみんな

 苦悩の色に燃え上がったとき

 おれは長い腕を垂れた

 無明の時のしるしを

 額に流しながら おれはあるきだす

 歩いてゆくおれに

 なにか奇妙な光栄が

 つきまといでもするというのか  ...

 或る光栄

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2007年4月15日 (日)

THE RAPE MACHINE

 わたしは彼に、「あたらしいものが痛がっている」「もう少し優しくできないか?」と言った。

 彼は無視した。

 次の機会、「痛がっているのに優しく出来ないのは、もはやそれは陵辱ではないか?」と問い質した。

 すると彼は、「陵辱でもなんでもいい。要は上手く行けばいい。上手く行かなかった場合、あんたは責任取れるのか?」と、のたまった。

 見れば、彼の周囲にある、形あるものが、すべて壊れていく。死んでいく。

 彼は続けて言った。Once Upon a Time in Americaのジェームス・ウッズのように誇らしげに。
 「それがインクルージングだ」と。

 「あんたの言っていることはFUCKだ」と、わたしは断言した。

 すると、本当は英語に明るくない彼は、「それはなんと言う略語だ?」と聞き直してきた。

 わたしは"オレ"になり、「Fundamental underconstruction critical  kickbackと言う意味の略語だ」と、訳の分からない単語の羅列を繰り出した。

 その言葉に、彼はさも理解したかのように、ズレ落ちそうな眼鏡を調え、またRAPE MACHINEの顔に戻って、何食わぬ様子で工作の算段を考えているかのようだった。

 オレはそいつを眺めながら、「お前は史上最低の、母ちゃんともやっちまうような糞ったれ野郎だよ、ヴォケが」と、昔馴染みのスラングを繰り返し呪文のように唱えていた。

 

 
 

 

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2007年4月 8日 (日)

時の過ぎ行くままに

 7日の土曜日は、またもや三宮、元町あたりをぶらつく。
 
 こちらで知り合った人に、その人のお気に入りルートを
一通り案内していただいた。

 帝で焼肉を食べ、二軒目に選んでくれた店が、
称して「木馬MOKUBA'S TAVERN」

 ジャズ喫茶らしいが、ヘンな意味での嫌らしさがなく、
居心地の良い店だった。
 映画好きにもたまらない雰囲気。

 筆者の趣味に合致しただけなのだが、
この知り合い氏、瞬時に筆者の好みを見抜く辺りが
只者ではない雰囲気なのだ。
 "insensitive"な中に、ただ一つ奇跡的に存在する
sensitiveなもの。

 世の中は、何故だか分からないが、
"insensitive"なものに支配されつつあるようだ。

 土曜の夕刻の三宮は人通りが丁度よい感じ。
 大阪の盛り場とは違って、深く落ち着いている。
 神戸っ子の娘も、大阪の娘とは全く違っている。

 港町は、鈍感で無頓着なものに厳しい。
 
 

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2007年4月 1日 (日)

ひと月が経ちました

 故あって、兵庫県尼崎に住むようになりおよそひと月。前任地の上越は、三日も廻れば大概の地域にあるものを確認できました。

 阪神エリアはそれなりに広い。首都圏に比べれば全くの地方で、人口も比較的まばらではあるけど。

 なんば、梅田とのぞいて来たけれど、どうにもピンと来なかった。
 ピンと来なかったなんて極めて感覚的な言葉だから、要は「どうでもいい」とか「いい加減」さが街全体から漂ってきていて、残念ながら大阪が抱える苦悩が代表する都市には充満していたということかも知れない。

 ハタチの頃に、関西大に通う友人を訪ねて大阪にはちょくちょく来ていたが、その頃はいかがわしさがそこかしこに漂う反面、関西全体が持つエネルギーを感じることが出来た。だが今のところそれはもう無い。

 「いい加減」に首長を選んできたツケが、物真似で箱物を作ってきた債務が、街全体に重くのしかかっている。

 神戸は違った。感じが全然違う。同じ関西圏とは思えないほど、あか抜けている。
 神戸と言っても、三宮、元町、北野くらいしかまだ覗いてはいないけど。

 横浜もそうなのですが、西宮から神戸は、山があって港があるのは良い。
 丘や山の上が成功者の住むところで、ごくごく当然に単純明快。

 外国人居留地と言う租界を大切に保存していて、そこに三井郵船や大丸系のお店が入っていたりする。
 道路も、ところどころに中央ではないところに分離帯があって、車道本線と建物沿いの側道に分かれていたりしていて欧州風なところがある。これも横浜の旧い1号線に似ている。

 古くから、異国の地のものを受け入れてきた歴史があるから、東京生まれ育ちの筆者が赴いても全く違和感が無い。神戸なら、長く住んでも良いなと思いました。

 ただ、20年ぶりに北野の異人館辺りを散策したのですが、余りにも店舗やレストランが進出してきて驚きました。そこへ大型の観光バスが乗りつける光景。これも横浜の山手辺りに似ていますが、少々期待とは裏腹な感じがしました。

 さりげなく、さりげありってところが、センスなんだろうなと、遠いところに住むようになって改めて感じた次第です。
 でも尼崎も良いですよ。三和市場とか、とても良い感じの商店街があって。

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大切なことに、なかなか気づかない仕組み

 「おはようございます」から始まり、「お疲れ様でした」「お先に失礼します」で終わる日本の会社の日常的な光景。これが日常的な感覚ではなくなり、各企業がこぞって『マナーアップ運動』と称して社内外での社員の立ち居振る舞いに注視し、時に監視するかのような組織が出来上がってしまう、心とお金の無駄。
 そのようなプロジェクトには、それなりの、会社からのオーソライズが必要だ。でなければ、誰も言うことなんか聞きはしまい。だから大層な組織が新たに必要になってしまう。そこまで日本の良き企業文化は失墜してしまった。
 Japan coolは瀕死の状態なのである。

 そんな疑問に一石を投じたのがまたもやソフトブレーン元会長、現職マネージメント・アドバイザー宋 文洲 氏。
 嫌な顧客と嫌な人間

 今の世の中、いや日本の企業では、宋さんのような言説を持つものが「嫌な人間」とされてしまう側面もある。

 社会には「人をつくる会社」と呼ばれる企業がある。

 そこへ「人をつくる会社」っていったいどんなものだろうとの期待から集うものだって少なくなく存在する。
 新卒も、キャリア採用者も。

 もともと中にいる人たちは、そう言うことで集う人たちの期待に応えるべきだろうと筆者は考えている。
 
 そこで「がっかり」して、辞めていった人が他所で内情を喧伝してしまうリスク。
 能力のある人間は、見切りをつけるのも迅速だ。

 大切なものを守ると言う基本、この事の本当の意味。
 宋さんの記事を読みながら、深く考えてみたい。

 

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2007年3月 5日 (月)

尼崎にて(近松)

 こちらに来てから、ようやく光の恩恵にあずかることが出来ました。

 今のところ何が良いのか、あまり体感できていませんが。


 最近、香椎由宇にハマっています。

 ちょっと調べたら、神奈川は綾瀬出身だったので、なんだか親近感が沸きました。
 ひょっとしたら、米軍の基地関係なのかな?とか・・・

 このあいだは、モザンビークと南アフリカの動物を見て回るドキュメンタリー『伝説の白ライオン・・・』がなんたらかんたらに出ていて、その時にニコンの銀塩を渋く持ち歩いていたのが印象的だった。

 そして今夜は低視聴率の憂き目に泣いているTVドラマ「東京タワー」で見かけた。
 なんでも19歳らしい。『オトナ』とか、そんな表現は無意味だ。
 30過ぎて『ガキ』っぽいのは男も女も分け隔てなく存在する。

 要は一年一年の積み重ね。感じるか、感じないか。
 幾つになっても、筆者の一年はとてつもなく長く感じる。

 新しいことをInnovationしようとする。摩擦があって、失敗もあります。
 そんなことの繰り返しです。

 尼崎に引っ越してきたことだし、筆者も愛機F5を持ってそろっと出かけようかとか、その番組を見ながら思いました。

 尼崎、いえ大阪もやはり地方です。しかし余所者を受け入れる懐の深さがある。おばちゃんなんかはひつこいくらいに親切にしてくれる。とてもありがたい。新潟は上越の排他性に慣れた身には、その優しさが心に沁みる。

 尼崎はいい街です。とても気に入りました。大阪は地方だけれども、土着の人の絶対数は少なく、東京と同じように、住む人のルーツを辿れば大阪より西、もっと言えば南国だったりします。
 ちょうど東京の人のルーツが北国にあるかのように。その対極の折り返し点。

 神戸の人も違うのですが、こちら尼崎はお笑いの奴がやるような下品な関西弁もどきがなくてすっきりしています。あの下品な関西弁はTV向きで誇張が入っていることがよく分かりました。
 まっちゃんとか浜ちゃんとか、あの言葉は尼崎でも特殊な部類ではないでしょうか。
 

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2007年2月26日 (月)

雪の降る町を-今年の小雪に思う

 宋さんは、地球温暖化の象徴として、北京の小雪ぶりとモータリゼイションについて記されていた。

 日本は本当に「環境先進国」なのでしょうか

 
 雪が降らないで困る人も、大勢いるにはいると思うが、マスコミも知識人もここぞとばかりに騒ぎすぎではないだろうか。

 新潟地方、昨年は31年ぶりの記録的な大雪、一昨年はおよそ15年ぶりの大雪。筆者が暮らしていた上越は『一斉雪下ろし』が20年ぶりに行われたが、マイナーな土地ゆえ、県外の誰からも注目されずにそれは終わった。

 長い長い人と地方の歴史から見れば、小雪だった年なんて幾らだってあったはず。

 事実昨年の上越・東頸城地方の大雪のように初雪が即根雪になったこと自体が10年ぶりの珍事だったらしい。

 地球温暖化はこの数十年で始まった事などではない。

 地球温暖化が注視されるようになったのは、
 人間が豊かさと平和に幸福を覚え始めたこの数十年の間に概念として芽生えがあったからにすぎぬ。

 
 ところで、新潟、特に上越・東頸城や中越地方の人々は、雪が順調に降らないと不安な心持になるようだ。

 「冬に当然あるもの(大雪)が無いと落ち着かない」「後々大雪になって混乱しないだろうか?」
 「除雪業者やスキー場が可愛そう」・・・

 雪を、何故、大量に除かさなくてはならないのか?河川敷の処理場にダンプの行列が出来るほど。
 もうこれはクルマ社会の為に他ならない。

 雪はいつかは消える。GWの頃になれば、峰峯の雪渓を除けば大概は解けて無くなる。

 でも、クルマ社会の秩序を保持することがいつの頃からか命題になった地方では、数億から数百億の税金を使って、その「いつか放っておけば消えて無くなるもの」に、まさしく命を懸けてしまう。

 冬になれば閉ざされることが必至の元々企業立地に適さない場所へ、国や地方が必死になって働きかけた。
 結果多くの誘致が成功し企業が進出してきた。通勤者の足を確保する為の、その為の道路行政が除雪対策なのだ。

 宋さん流の思考なら、その時の住宅事情にも配慮すべきだった。企業が不動産部を開設し、事業場の側へ団地群を造成するなどした後は、通勤用のバスを運行させるべく地方や民間の路線バス運行会社へ働きかけるべきだった。当然に根付いた一人一台マイカー通勤や、その為の大量の道路除雪=税金の霧消霧散も起こらずに済んだかも知れない。
 ただ、元来、地方の雇用確保に基づいた企業誘致であったから、土着の者どもを移住させてまで団地群を建設することに強い説得性が在ったかどうかは疑問が残る。

 筆者は思う。この世界に10年先のことを予測し、計画性を持って事業を行う経営者や政治家など存在しないことを。その無計画さゆえ「問題」が顕在化する前に事業に着手したものは先行者として成功を収めることができるだろうし、そこに続くなにものかがあるからこそビジネスが生まれてきた。
 その様な不幸の連鎖を、無限のスパイラルを、人々は上からしか見ることができない。
 真横から見えるものは過去の出来事だけなのだ。

 上段にある、筆者が暮らしていた地方の問題を、筆者自身嫌気がさして指摘をすることはあるにはある。

 だけれども、誰がその無策や無計画性を咎めることが出来るのだろう。

 今年は除雪費用の残高がかなりのものになっているはず。何故って昨年の国からの除雪支援金分を乗せて予算を組んでいるに違いないから。

 それらを公共の福祉に使えばいい。直接的な施策に用いたり、他の予算へ組み換えするのもいい。

 でも、元々霧消霧散になるはずだったお金。これからどうしていくかを考える、「考え方を考える機関」などを新設してみたらどうだろうかと筆者は提案したい。

 何故か、いつの頃か、何事も直接的になってきてしまった。直接的に利益にならないものを拒む風潮がそこかしこを闊歩している。人事評価がそうなっているから、とか、世の中全体色々あるにはあると思うが。

 分けて考えることが出来ないほど、皆が多忙で欲望ばかりが先行しているのならばだ。
 「考え方を考える機関」と言うような、昔のエリート(官僚)が無償でやっていたような行為が必要なのではと考える。

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親不知の石碑にあった詩

「しらなみ」   中野重治

ここにあるのは荒れはてた細ながい磯だ

うねりは遥かな沖なかにわいて

よりあいながら寄せて来る

そしてここの渚に

さびしい声をあげ

秋の姿でたおれかかる

そのひびきは奥ぶかく

せまった山の根にかなしく反響する

がんじょうな汽車さえもためらいがちに

しぶきは窓がらすに霧のようにもまつわって来る

ああ 越後のくに 親しらず市振の海岸

ひるがえる白浪のひまに

旅の心はひえびえとしめりをおびてくるのだ


 国道8号線、新潟県は糸魚川市旧青海町(おうみ)の街路を抜けると親不知は姿をあらわす。

 ほんとうの親不知は国道や旧国道のずっと下だから、本当は姿など垣間見ることなどない。

 ただ駅名と道路案内が教えてくれるだけだ。

 昨年の11月、筆者は富山方面のクライアントとの面談に向かう最中の昼休みを利用し親不知を散策した。
 
 新潟県側から、富山県側の市振の関まで歩いた。

 さびしい さびしい 連峰の最果て、断崖の道

 旧跡の石碑には、中野や水上の詩が記されていた。

 『旅の心はひえびえとしめりをおびてくるのだ』

 最後の中野の一行。

 筆者の印象に残った。

 冬の新潟を取り巻く大気は、除湿機が売れるほどの異常な湿り気を帯びている。

 気温は低いが、その湿り気は多少体感温度に安寧さをもたらす。

 
 くらくさびしいものしか残さない新潟から、

 空元気の似合う尼崎へ辿り着いた。

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2007年2月18日 (日)

さらば上越  こんにちは尼崎

 プラズマテレビで世界首位の松下電器産業は10日、年間生産能力約1000万台の世界最大のプラズマテレビ用パネル工場を兵庫県尼崎市に建設することを明らかにした。投資額は約2800億円で、来年夏の稼働を目指す。(松下にとって5番目のプラズマディスプレイ工場)
 新工場は今年夏に稼働予定の尼崎第2工場(尼崎市)の近くに建設する見通しだ。
 [2007年1月10日12時25分]

 報道の少し後、筆者のところに内々内示があった。1月中旬過ぎのことだった。
 メニエルのこととか、色々あるにはあるが、電話があった時断る状況にないことは重々承知していた。

 1月の下旬からは、週末にかけて毎週のように異動対応で尼崎の新しい職場を訪ね、あまり落ち着かない日々を過ごす。その間隙を縫って、上越国際に行ってアルペンの大会に出場するなどしていた。

 来年度初頭の異動を考えていたのだが、オファーは二月中に異動を済ませ、三月からは通常勤務に移行して欲しいとのこと。明日、荷物を横浜の自宅と尼崎へ出すことにした。異動後は第五工場の建設プロジェクトに入る。

 実質、上越最後の夜になるが、感慨は特にない。最後まで馴染めない土地だったな、と思う。

 生活してみないと体感できないと思うが、太平洋側で育った人間がこちらで冬の生活を過ごすと下手をすると本当に鬱になる。三年の月日が過ぎようとしている。
 尼崎に行って、『大阪の夏は暑いよ』と土地育ちに言われたが、この日本に暑くて仕方がない場所なんて本当にあるだろうか?他の場所を知らない人は、その基準値も経験の乏しさから曖昧だ。事務所も電車も冷房が効いて快適なことこの上ない。だいいち夏は短い。半年近く続く、上越の曇天、悪天、降雪から比べれば全く気にならないだろう。その大阪の人は、東京の暑さも知らない。オレのハートがノーと言う。

 14日は久々に東京医療センター耳鼻咽喉科へ。検査結果は悪くは無かったが、尼崎へ出張で出ている最中も、めまいの発作は起きた。先生は、なるべく筆者の不安を取り除くよう助言してくださり、横浜に帰ってきた時はまた診察をお願いしたい旨を先生に告げた。予約の仕方教えてもらったり、薬を処方してもらった。
 あまり強度なストレスを感じないよう、平静に過ごして行きたい。平静に過ごせるかどうかは実力次第だろう。

 阪神尼崎の側に部屋は決まった。尼崎藩の城下内でもある。

 色々な事を流さないで、前向きに行きたい。なにがあっても閉口など絶対にしない。発信していきたい。
 うけてたつ。イノベーションしていく。

 

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2007年1月25日 (木)

「ありがとう」と言えず施しを受ける心 『格差社会の素』

 最近の筆者は手を変え品を変え、現住地である上越を批判し続けている。

 『捨て子の少女の死と、脱・格差社会のもと』と言う宋文洲氏の傍目八目 のコラムにインスパイアされて、今度は違った側面から「地方 上越」に斬り込みをかけたい。

 『格差社会』と言う言葉は、以前にも書いたが何も真新しい言葉ではない。意味合いが同じだとすれば以前から「下層社会」「中流」「上流」と言う区別や、あるいは無産者と有産者の階級闘争などがあったのだから。

 先の敗戦以降、近代日本における中央集権化は、施す側である中央=東京と、施しを受ける側である地方との格差を、無残にも浮き彫りにした。かつてあった、人が人に施す階級社会から、国から地方へ、という構図に塗り替えられたのである。

 筆者の住む地方はかくも有名な田中角栄氏の出身地であり選挙区であるから、施しの数は他県の比ではなく、より顕著な『土建王国新潟』と言う形で今もそこかしこにその爪あとは残る。新潟のどこの地域を歩いても分かることだが、とにかく道路は立派なものが出来ている。雪国ゆえの生活効率と言う考えから、雪との戦いは「クルマ社会」の利便性=道路やその道路に付随した融雪などの設備に費やされてきた。雪と戦ってきたのはその地方の「人」ではなく「クルマ社会」で、主戦は道路公団や道路建設事務所の名も無き人々だった。
 
 しかも何故なのか分からないが、建物群でこれと言って雪との戦いを考慮して新しく開発されたものが見当たらない。「雁木」や「高基礎住宅」は昔からの手法であるが、それ以外のものは見当たらないのだ。
 まるでそこへ訪れるものへの配慮が感じられない。自分たちさえ、普段そこで生活しているものさえ良ければ良いと言う自己満足がそこかしこで闊歩している。
 しかも、冬場になると「建設系労働者」の多くは積雪を理由に一時失業の手当て給付を見込む有様。手当ては新潟でもっとも隆盛な産業と言えるパチンコ業界に流れるのが大半との印象すら受ける。
 毎日毎日、あれほど大量の、2分おきにパチンコCMを流せば、度を過ぎたパチンコ通いにも罪悪感など覚えないのであろう。子どもの頃からそうやってテレビと言う媒体から刷り込まれてきた。

 こちらへ来て筆者が残念に思ったのは、選挙におけるその投票率の低さだった。筆者が住んでいた東京特別区の西側や横浜中心部の少し西南エリアの住民の方がまだまだ全然マシなほうだから驚いた。
 なんて言ったら良いか、選挙や議員、ひいては国に依存している姿がまざまざと感じられた。
 「今までもこれからも、国から大量に施しを受け続けます。なにか問題あります?」と言った地方の考えを目の当たりにしたのだった。
 
 そしてそれら、新潟県民の特徴を筆者は捉えた。 時の権勢者や国から無条件に施しを受けてきたから、「施し不感症」に陥っているということを。別に何がどうと言うことはないが、こちらで「ありがとう」と言う言葉を聞く機会は非常に少ない。なんでか分からない。別に期待しているわけではないけど、「施されて当たり前」とでもいった風情すら感じさせる。「ありがとう」と言う言葉の代わりに「また来ないや」とは言われる。でももう行きたくない。
 
 礼儀正しいかどうかと言えば、全然礼儀などなっていない。「田舎の人はシャイだから」などと言い訳する人も中にはいるが、言い訳にもなっていない屁理屈だ。
 「施し不感症」不感症だから痛みは伴わない。むしろ多少の感謝を期待する側が馬鹿を見てしまう。
 彼らが中央へ施してきた「稲作」の誇りはとうの昔になくなってしまったから、感謝もせず、感謝もされず、一方的に国や地方行政にぶら下がり施しを受けるにとどまる。

 なにが問題か、端的に言えば「新潟に杉と男と女も育たない」と言う言葉に集約される。
 新しい家族、核家族化を志すものが少なすぎる。
 
 基本的には、親の家の土地に家を建てればそれで済むと考えている。
 だから一向に街の広がりが見えてこない。いつまで経っても「ムラ」のままなのだ。

 泉田さんも最近やる気をなくしているように見えて心配。
 
 
 
 
 

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2007年1月23日 (火)

新潟の汚い金と地方再生

 新潟、とりわけ上越で暮らしていて、どうにも我慢ならないことがある。

 それは、商店や飲食店・ショッピングモールなどで買い物や飲食をした場合にお釣りとして手渡される紙幣のことだ。
 
 大概がしわくちゃで使い古され、汚いことこの上ない。
 財布を持たないものが何重にも折り重ねて所持したり、
元来紙幣などを大切に扱わない百姓のしわざか定かではないが、渡される紙幣はどれも絶望的なほど、文字通り『汚い金』なのだ。

 少し高額な商品を購入したり、土地柄高望みは出来はしないが、高級と呼ばれる店での飲食後の行為も全く同様なのだから本当にがっかりしてしまう。
 
 最近は黙ってそれら汚い金を受け取るようになったが、来て間もない当初は折損気味のその紙幣を交換願ったりもしてみた。

  上と同じような心持で同じ行為に及んだ時、東京の殆どの名前のある店では顧客用にいわゆる『ピン札』の用意をしてお釣りを手渡す。なんだか心地よい。
このお店にまた来てみようかと単純に思考してしまう。ミキモトで現金支払をして、そのお釣りがピン札だったら、またプレゼントを渡す相手を探さなくてはならない。

 そんなこと、本当に些細な心遣いなのかも知れない。
 
 言ってみれば、そんな些細な事にこだわる筆者が異常なのであって、「異邦の人」とこちらの人々は奇異なものを見たかのような感情を抱くかも知れない。

 しかし、筆者は思う。都会にある『店と客』の触れ合い。些細な心遣い。
 
 その一例がお釣りのピン札なのだ。
 それら、『人に心地よさをもたらす行為』が新潟を代表する都市には微塵も感じることが出来ないのだ。

 そのことについて問い質したりするとこちらの人々は、自己正当化が日常にある分、言い訳をはじめる始末だ。
 
 『商売っ気』があると逆に客足が遠のく、とか、うんぬんかんぬんうんぬんかんぬん・・・

 ただ汚い紙幣の釣りを渡されて、『心地よいと思う』と言う話をしているだけなのに。

 選択肢、肢の数が少ないことを良いことに怠惰に陥っているだけなのに。

 
 「地方再生」だ、などと、「お金」それも多くは血税が元の「お金」をかける前に、そこへ棲む人々の意識が変わらなければいけない。

 
 自己正当化における言い訳と、諦めばかりじゃ地方再生なんてありえない話だ。


 
 

 

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2007年1月 8日 (月)

Hazard breaker

 5日の晩、とうとう東京を経った。ああ谷原の高架を抜け新座のランプへ。

 0:00丁度、例によってETC深夜割引適用にあわせて、暗い上越高田ICを降りた。

 帰ってきて早いとこ初滑りを済ませたかったのだが、毎日相変わらず天気が悪い。

 その割りに小雪なのだ。筆者の灼熱の魂が雪を焦がすかのように、今年雪にはなかなかならない。
 ざまあ見さらせ。

 そんなこんなでスキーにはまだ行っていない。およそ選手らしくない。

 今シーズンは回転性めまいもあるし、ガーラ湯沢ゴンドラのニュースを見ても、なんだかな?って感じです。

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2007年1月 5日 (金)

愛すれど心悲しく

 昨日、今日と国立病院機構東京医療センター耳鼻咽喉科へ受診と検査へ。糸魚川総合病院のめまい外来医である富山大教授には気が引けたのだが、メニエルらしい?発作の苦しさ回避には変えられず、紹介状を書いてもらい東京医療センターへ転院する決意を固めたのだった。

 なんでもこの病院、戦前は海軍病院だったとか、現在は慶応医局の派遣医が多いとか色んな話がある。場所は駒大や日体大の側にあり、広大な敷地面積の施設が地図上では目に付くエリアでもある。

 上越に来てからも、好んで労災病院や県立総合病院を利用してきた筆者であったが、ここの規模はやはり東京ならではなのである。めまい担当の医師も、腕自慢の女医先生。いまや女医と言う表現もジェンダーなんたらに反するのかな?めまい、平衡機能の分野では確かな実績と経験に裏打ちされた、はっきりとした表現がなんとも言えず筆者の胸を打ったのだった。

 全然関係ないが、都会はこうして働く女性たちによって守られている。しかも一生懸命に働いている。多くのぐうたらな上越の女性陣にも感じてもらいたい。『新潟に杉と男は育たない』とは言うが、新潟、特に上越の女性陣のだらしなさもたいがいだよねと、筆者は都会の働く女性陣を見てその思いを強くせざるを得ない。
 上の言葉の意趣返しで『新潟に米と女がなぜ育つ』と言う言葉があるらしいが、それはまったく全然違うよ、女も男も大して育っていないぜ、と憎まれ口でも叩いていようぜ。

 2月14日駒沢に今一度MRIの検査を受けに行きます。 

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2007年1月 3日 (水)

星の下 路の上

 大晦日、元旦と実家でのんべんだらりと過ごしていた。タイトルにある佐野もっちゃんのツアーDVDを空港のコーヒースタンドで見ながらね。二日は最近毎年行っている、別格本山塩船観音寺に初詣。青梅付近にある。

 ここで筆者は変わり行く多摩を体験した。モノレールが走っているなんて全く知らなかったのだからまさに田舎モン丸出し。なんでも鉄道不毛の地に念願だった、しかも洒落た感じのモノレールなもんだから好評らしい。

 詣でを終え、帰りは小五で社会科見学のお世話になった日産自動車武蔵村山工場跡地群へ出没した、巨大なショッピングモールへ顔を出していく予定であったが、少し離れた新青梅街道からもその異常なまでの盛況振りが見て取れ遠慮しておいた。おおめ  と打ち込んで、何故か青梅と変換できない。何故なのだろう?

 その夜は石神井の名店、龍(ロン)で友人と新年会だった。帰り、石神井公園の中を歩いたが、どこもかしこも上越高田の街中よりも明るくてびっくりした。昔は公園内も随分暗く感じたものだが、上越の街中はそれよりも暗い。何でも昔から住む人々が、『照明公害』などと手前勝手にネーミングして街の照度を低く抑えるのに躍起だとかなんとか。こんな無神経さでは、新しい何ものかが生まれる余地などある訳が無いのさ

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2006年12月31日 (日)

Bright lights big city.

 今日はメニエルで苦しみもがく筆者を慮ってか、職場の上司との面談がかつての勤務地品川であった。

 屠場職員の手により掘られたと言う、港南口への狭い地下通路も今は昔。駅ビルやそれに続くインターシティなどのビル群にとって変わられた。むかし芝浦屠場と呼ばれていた東京食肉市場センターは健在だが何か?

 年末の空いた電車に乗るのもなんだかなと考え、東京出身者のみが経験することを許された、渋滞の無い首都圏の道路を堪能することにし。クルマで品川に向かう。

 筆者の住む石神井から、環状線を使わずに三茶の手前辺りまで出る。今川から富士見が丘、芦花公園、むかし青学の工学部があった前を通り千歳船橋あたりまで。農大の脇を抜け路面電車が走っていた旧道あたりを抜け上馬の交差点を右折。あとはガラ空きの環七を馬込まで。山王口を左にずれて池上通りへ。

 筆者が品川や大森へ行くルートはいつもこんな感じだった。

 クルマをラーメン二郎品川の裏辺りにとめて、東京の女の子がウヨウヨしている品川駅へ向かった。

 果たして目映い品川のコンコース。女の子が履いている今年流行のブーツは上越では見ないパターンだ。
 
 やっぱり上越に多くを望んではいけないと、筆者は今更ながらに感じたのだった。

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2006年12月30日 (土)

望郷

 年内の仕事が終わり、慌しく帰省の準備をする。

 今年は例年より少し早め、銀行員の宿命か、転勤続きの友人を無理やり直江津で途中下車させ
一緒に帰るよう仕向けた。

 これまで大阪、名古屋と大都市への転勤経験はある友人だったが、富山と言う地方都市への転勤は今までと少しく勝手が違ったようだった。

 年末の29日、筆者の呪いも通じず例年とおり降雪の帰郷となった。しかしながら呪いの効果か、昨年、一昨年と続いた大雪の心配は今年は無いかのようにスキー場は小雪に憂き目を見ている。生活がかかっているとは言えざまあみやがれ。悔しかったら苗場や丸沼のように無理やりにでも機械で雪を降らせて見やがれ。ってんだ。

 メニエルの残像か、少々頭がふらつきながらも積雪の上信越道を100km/hのペースでひた走る。

 途中ゆっくり、三時間半後懐かしい谷原だ。教師の娘、好きだった彼女が住む町、谷原だ。

 もうなんて言うか、そう言う響き。谷原。これだけで筆者は幸せな気分に浸る。

 くそ憎たらしい融雪剤のおかげで真っ白に変色したクルマを洗いに、深夜のコイン洗車機探し。

 さて友人が指定したその場所は、かつてウインドサーフィンのセイルを遊び帰り洗いに行った場所。

 しかし騒音の問題で21:00にはクローズされていた。

 深夜と言っても東京の端くれ、そのコイン洗車場では愛車をクリーンにするためアルバイトに励む
若者達で賑わっていた。

 筆者は、シトローエンBX19TRIで毎週末のように訪ねていたその場所を離れ、善福寺方面のとあるGSにあるコイン洗車機にクルマをブッ込み、そして友人を石神井公園の瀟洒な住宅が立ち並ぶ友人宅へ送り、帰郷を果たしたのだった。

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2006年12月11日 (月)

ほんとうに「太陽のない街」

 ここ上越は高田に転勤をその由として移り住んで、すでに3年近くの月日が経とうとしている。

 こちらにきて率直に思うことは、「自然豊かで四季の彩が美しい」なんて言葉はまやかしかおためごかしだったと言うこと。

 そうでも言わなければ、都会からわざわざ辺鄙な地方へ遊びに来るようなことを人々はしないだろうし、観光資源を糧にして待ちわびているものに残されていることは野垂れ死ぬことだけだ。

 こんなことは言わずにいたい、書かずにいられたらな、としばらく思っていた。

 回転性めまいが発症してからの自分は、なにやら堰を切ったように鬱積したなにものかを吐き出すような下種野郎に成り下がってしまった。

 ここしばらくずっと観測所の記録を見るようにしている。

 神奈川県横浜測候所12月の観測記録には6日間の晴れマークがある。
 その大概は6時間ほどだが、最長では9時間と言う快晴の日があった。
 しかし高田測候所の記録にある晴れ間は2日間ほどで、しかも1日の日照が2~3時間という短さだ。呼び方として適切ではないが、こちらに住むものとして敢えて言えば「裏日本」と言う表現がまことにしっくりくる。

 共同印刷争議に敗北した労働者出身のプロレタリア作家徳永直は、小石川にある千川どぶ沿いに住む印刷職工の棲家を美しい比喩として「太陽のない街」と表現したが、ここ裏日本高田はほんとうに「太陽がない街」なのだ。

 「自然豊かで四季の彩が美しい」のではなく、未開発な山々が無残に放置され、冬は閉ざされ働くところや逃げ場も失ってしまい、これからの「夢や希望」も無残に摘み取られてしまう。

 何人かの若者と接しても、ここへ残存する、残存しなければならないと育てられてきたものどものから出てくる言葉はあきらめと呪いの悔恨譜のみだ。

 誰が悪いのか?余りにも無策で自己完結消費社会を築いた先人たちに決まっている。

 彼らは残すことを知らなかった。

 筆者も留まる気持ちがあった。しかし体が言うことを聞かない。
 先週の4日月曜、数ヶ月ぶりに激しい回転性めまい発作に襲われた。

 全てがこの天候のせいだとは思わないが、冬の期間高気圧に覆われ晴れ間オンリーの太平洋側で過ごしてきたやつがれポンコツの身にはあまりにも過酷な二回の冬、そして三回目の積雪期を迎える。

 文化レベルもほんとうに残酷なほど低い。特に若年層のレベルは目を覆うばかりの深刻さだ。

 教育を施す側も諦めてしまっている。なぜって留まる優秀なものへの受け皿が些少に過ぎるから。

 余所者に、来ては去っていくものに具申されることを拒んできた街。
 そんなものに「街を荒らされたくはない」と彼らは言う。
 違うんだ。ただ考えることを、進化することを放棄してきただけだ。

 自ら欲しないものに太陽など、陽の光など照らされるものか。

 

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2006年12月 7日 (木)

宋さんが語る華僑と、ある客家人のフィクション

 Singapore
件の日経ビジネスオンラインで宋 文洲氏が連載している「傍目八目」を毎回楽しみに、心待ちするようになり久しい。 以前筆者が宋さんの記事に噛み付いていたのは、なにも宋さんが気に入らなかった訳ではなく、どうやらコメント欄に巣食うアカの手先どもの放言が許せなかったのだと最近になりようやく気づいた。

 当たり前なのだが、宋さんの記事は至言に近い。優れた経営者がもつ独自の発想と、幼き頃の感情の発露に忠実な姿勢を読み取ることが出来る。
 

 今回の記事は「華僑」について語ってくれました。内容については簡潔で入門編のようなものですが、誤解されがちな華僑の有り様について、宋さんが紐を解いてくれています。

 そして最後に「我のマインドは華僑にあらず」と宣言しているのですが、これは深いところで宋さんのマインドが感じ取れなければ理解することはできないのでしょう。筆者にも宣言の真意は分かりません。

 

 華僑の話で思い出した著作があります。佐々木 譲さんの「昭南島に蘭ありや」です。

 この作品は、台湾出身の客家人である青年、梁光前(リォン・コーチン)が大東亜戦争(作中の表現)の最中に体験したことを回想する物語です。チャンドラー・ボースの演説や東条英機暗殺計画、シンガポール攻略戦(旧軍から見て)におけるマラヤ共産党義勇軍の激闘、占領後のシンガポールなどが主人公の目を通し詳細な描写で表現され読むものを飽きさせません。

 特に筆者の目を引いたのが、客家人である主人公の客家マインドでした。もちろんフィクションですから読むものの共感を呼ぶように描かれています。主人公の客家青年は、製糖業を営む一族の係累に属する自分を最低の下位集団にあるものと位置づけていますが、このマインドが青年の行動に色濃く反映されているのです。
 託宣売りの坊さんに有り金全てを支払い、「人は死した後、魂の存在を知ることは出来ない。お前はその程度の人間なのだ。なにを恐れる」と託宣を唱え、マラヤ共産党過激派による東条英機暗殺計画に加担していく様は神々しささえ感じるほどの清冽さでした。

 青年は帝国臣民である準日本人としての身分と、一華人、客家人としてのアイデンティティと義の狭間で揺れ動きます。場所は名を変えた昭南島と、舞台は整い、島生まれの賎業の娘との恋も描かれます。暗殺計画は揺れる心から失敗に終わり、終戦。
 青年はマラヤ共産党の幹部から追われ、華人としての裏切りを問い質され私刑にさらされます・・・とネタばれ直前なのでこれくらいにしておきますが、筆者がこの10年以上前の著書をよく覚えている背景は、ある人が涙ながらにこの作品を読んだと言う事実があるからです。
 その方は戦前の古河工業の技術者で、いわきの炭鉱において多くの朝鮮人徴用者の姿を見てきました。技術者ですから通常の接点は全く無かったらしいのですが、ひとたび戦争が終結をみた日から、朝鮮人徴用者の手のひら返しは見るに耐えないものだったということです。当人は技術者でしたから、彼らからの咎めは特に無かったのですが、飯場を仕切る親方衆への報復は凄惨を極めたとのこと。そんな当時の自分のありようを、マラヤ共産党に追われる客家青年の境遇に重ねると「涙が止まらなかったよ」という事でした。
 その方は富士通を定年退職後のんびりと余生を送っておられ、何の気なしに知り合い、本まで貸し借りしあう仲になった人でした。今はどうしているのかな と。

 
 筆者が客家の主人公にシンパシーを覚えたのは、もう随分と昔から「なにものも持たない自分」を意識していたからだと思う。

 宋さんは押しも押されもしない成功者なのだが、その思想に幼年期の葛藤が見て取れて非常に興味深い人だ。
 なぜ、そこまで色濃く出てしまうのか、本当に不思議な人だ。
 フリードリヒ・フォン・シラーの「青春の夢に忠実であれ」を地で行く人だと思う。

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2006年11月13日 (月)

吉田靖監督「悔しさがないと選手は成長しない」

 【コルカタ(インド)12日共同】サッカーのアジア・ユース選手権(19歳以下)最終日は12日、当地で行われ、日本は決勝で北朝鮮に延長を終えて1-1からのPK戦で3-5で敗れ、初優勝を逃した。6度目の決勝進出も頂点には届かなかった。
 日本は前半4分に先制を許したが、同34分に柏木(広島)が同点ゴール。後半、延長は両チームとも得点がなかった。PK戦では日本の1番手、梅崎(大分)が失敗。北朝鮮は5人全員が成功した。
 3位決定戦は韓国が2-0でヨルダンを下した。日本など今大会の4位までは来年6月30日にカナダで開幕するU-20(20歳以下)ワールドカップ(W杯)に出場する。
(了)

[ 共同通信社 2006年11月13日 1:23 ]

 吉田靖監督率いる日本ユース代表は、2007カナダでのU-20W杯の出場を手にしたのち、アジアユースチャンピオンの座を目指したが惜しくも準優勝に終わった。吉田靖氏のことは筆者の以前のエントリーを参照してください。

 筆者もテレビ放映などでその姿を確認したが、24年前と殆ど変わらない。試合後のインタビューで声を聞いたが、試合後であるから声はかすれているし多少うわずった話し方だが、24年前は「シャイなお兄ちゃん」のような感じで淡々と話していたように思う。
 
 今大会でのユース代表については他のブロガーに任せることにして、もう少し吉田靖氏の現役時代について語ってみたい。

 筆者が氏をよく観ていたのは氏が学生時代、終盤でのキャリアの頃である。
 
 早稲田で主将を張り、学生選抜でも主将に選ばれていたりもした。思うに生まれながらのリーダー資質であったように筆者の目には映っていた。
 当時は日韓定期戦の前座で学生代表同士のマッチも見られたのだが、韓国学生選抜代表はなにぶん強かった。恐らく当時の森JAPANが10回戦って3回勝てればマシだと言うくらい強かった。もちろん当時「花郎(ファラン)」と呼ばれていた韓国国家代表はもっと圧倒的に強かった。高麗大学対早稲田の定期戦も西が丘に観に行ったが、この時の高麗大も強かった。当時の早稲田には服部さんと言う屈強なセンターフォワードがいたが、この時は子ども扱いされていたのを筆者は記憶している。さて吉田靖氏のプレースタイルに話を戻そう。

 身長が174cm程度の氏であったが、関東のリーグでは「ヘディンガー」と呼ばれ敵DFから恐れられていた。実際見事なヘディングで春季対抗戦では得点を重ねていたと思う。日頃の鍛錬から得た抜群の身体能力で、リーグの屈強DF陣を出し抜く様は見ていて痛快であった。得点にこそならなかったが、秋のリーグ戦日体大戦でゴールネットを揺らしたヘディングは迫力満点だった。がらがらの西が丘が更に一瞬静寂に包まれるほどサッカー通を唸らせるヘディングなのだった。
 こう書くとゴリゴリタイプのプレーヤーのように感じられるが、氏の真骨頂は右サイドを駆け上がっていく様である。11秒前半の俊足を生かし、ああまでセオリー通りに突破しセンタリングを重ねるウイングは当時の日本リーグを探しても希少な存在であった。足技にも優れ、当時完全なるマンツーマンディフェンスである中を、小刻みなステッピングワークでボールキープして見せたりもした。ドリブルはアウトサイドで押し出し、インサイドで切り返す吸い付くドリブルが印象的だった。また研究熱心さでは他の学生プレーヤーの追随を許さない存在であったと言えよう。

 氏が、当時アマチュアリズムを提唱して懲りない岡野俊一郎氏を批判していたのを思い出す。
 その議論は確かこんな話から始まったのだと記憶している。

 当時の代表選手が名誉こそ得られてもギャランティーは小遣い銭程度であり、経済的な意味で言えば「持ち出し」レベルの手弁当で戦っていた。それがゆえ代表を辞退する選手も数多く存在し、代表は決して日本で最良のメンバーで組まれていたものではない。その原因を作っていたのがアマチュアリズムの権化岡野俊一郎氏であり、岡野氏が協会の要職にあるうちは日本は強くなれないだろう と氏はこぼすように語っていたのである。

 吉田靖氏が監督を務める現ユース代表選手の多くはProfessionalである。氏も同じようにアジアユースで戦ったが、ステートアマや年齢を少なめに鯖読みして出場してくるアジア勢にすら歯が立たなかった。
 
 いま吉田靖氏の周辺からサッカー界を見てみると、色々なことが着々と実現されてきたと感じられる。
 人の考え方が変化するのは当然であるが、骨子・中身を支えて来たのは当時辛酸を舐めていた氏の世代であるかも知れない。氏とチームメイトであった関塚隆氏含め、現在爆発中だ。

 来年カナダに行こうか。きっと気候は爽やかでいい具合だろう。
 

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横浜ベイサイドストーリー 「たったひとつの恋」

Hng
Futou2
 
「たったひとつの恋」という放映中のドラマのことを書いたのですが、王道ラブストーリー+クラシック&モダン横浜が舞台と言うこともあり、話題の最中アクセス数が少し増えました(笑)

 ドラマ自体の視聴率は?それほど高い訳ではないようですが、ロケ地などはいつもの天王洲・品川辺りから脱却しているせいもあって話題になっているようです。
 

 エンディングでは大さん橋(おおさんばし)の屋上テラスがきれいに映し出されており、引きのカメラワークも絶妙だなと思ったのですが皆さんはどう思いましたか。また登場人物に問題が起きると、必ずって言って良いほどこの場所へ集合するみたいです。
 

 筆者はかつて交際していた女性と、まだ竣工前で仮運用中の大さん橋に行ったことがあるのですが、
屋上がまさかウッドデッキ、いやボードウォークになっているとは思わなかった。
  港 まで の Boardwalk 潮風に吹かれりゃ少しせつない Memory 蘇ってくる ♪柳ジョージだなこりゃ。
 プランナーからしてなんて言うか、こういう古い、いや古臭いアイテムを引っ張り出すところに全ての横浜好きの懐古趣味が見え隠れしていて興味深い。

 
 「日下公人さんの横浜いい話」


 横浜にグランドホテルという古いホテルがある。あるとき、そこに昔からいる人と雑談をしていると、戦時中の思い出を話してくれた。 (ニューグランドのこと)

 昭和20年4月になると、神風特攻隊がぞくぞくと出陣してゆく。横浜のグランドホテルに1泊してから、九州へと飛んで行く。

 九州から飛び立つともう死ぬんだという19歳前後の少年たちが泊まったとき、グランドホテルの人たちは心を込めて晩御飯を作った。当時、あまり食べ物がないときにも、これから死に行く若者のために、一生懸命ごちそうを作った。

 「まだほかに何か望みがありますか、できることならいたしますよ」とグランドホテルの人が隊員に聞くと、18、19歳の少年たちは、「白い絹のマフラーを首に巻いて死にたい」と言ったそうだ。

 戦争末期のそのころには、日本海軍はそういうものを兵士に配る余力がなかった。でも彼らは、白いマフラーを首に巻いて死にたい。

 横浜には、明治以来の生糸商人がいる。そこでグランドホテルの人たちが手分けして聞いて歩くと、「そういうことでしたら、うちのとっておきの絹布を出します」と言ってくれた人がいて、10人か20人かの少年たちみんなにマフラーを配ることができたそうだ。

 それを巻いて、少年たちは喜んで九州へと飛び立って行った。覚悟した死をなるべく飾りたいのは、自然な気持ちである。だから、軍人の服装はきらびやかなのだ・・・・・(終わり)

 なぜ東京のホテルじゃないのか?と言うと帝都は3月の大空襲で壊滅状態であったからだろう。

 しかし横浜で良かったのではないか?馬車道の老舗か京急高架下の商店かは定かではないが、死にゆく少年に絹のマフラーを送ったホテルマンの話など、ニューグランド以外には聞いた事が無い。

 昨日筆者が現住の新潟上越地方では「雪起こし」と言う雷鳴とともに雪が降った。朝からの出来事。

 こんな過酷な自然環境に住む人々に、同じような他人への慮り(おもんぱかり)を望んでもせんがない話だ。

 早く横浜に帰りたい。
 

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2006年11月11日 (土)

横浜への想い 「たったひとつの恋」

 Yamate
日本テレビ系列で、土曜21時に放映されている「たったひとつの恋」

 毎週、横浜の景観が楽しみで観ている。

 筆者が、実家のある東京から横浜郊外に家を買い求め暮らそうと思ったきっかけは、1983年までさかのぼる。

 この年、「男ルネッサンスマガジン」とサブタイトルが付けられたその名もボガード出版から「ボガード」と言う雑誌が創刊された。
 記憶が定かではないが、一年少々で廃刊になったからほとんどの衆目に記憶されないままその短い役目を終えた。

 当時の筆者は、中学生でありながら、日本なら生島治郎氏、海外のものではレイモンド・チャンドラーに心酔しその著作を読み漁っていた。

チャンドラーのものでは、「真珠は困りもの」に特にインスパイアされた早熟な中学生だった。

 そんな筆者が件の「ボガード」誌を読んだのも、自然な流れのような気がしたし、今でも そうだな と思っている。

 その雑誌には、横浜の街に愛着を持つ方のコラムが掲載されており、そのコラムにあった「アンバーに輝く街」と言うフレーズは今でも忘れられないものとして筆者の記憶にとどまる。

 その後も中学三年の卒業遠足が、竹芝から東海汽船の客船をチャーターし横浜港へ向かい、新港埠頭から中華街、山下や山手界隈を散策するものだったりし、その頃から横浜の街には、ある種の畏敬の念を抱いていたと言って過言ではない。
 
 テーブルマナーの実習は「氷川丸」の船内レストランだった。
 どの先生が計画した卒業遠足なのか分からないが、センス抜群だったと言えるだろう。

 それからも、自動二輪車の免許を取った後は、好んで本牧や本来通行止めの新港埠頭から分け入って赤レンガの三菱倉庫群のあたりを走ったりしていた。
 
 お腹が空いたら中華街の南門辺りにバイクを止めて、小龍包子などを買い求めて空腹を満たしたりして多感な少年時代を過ごしていたのである。

 「たったひとつの恋」では、フライトジャケットを好んで着用するダウンタウンボーイと、元町のジュエリーショップのお嬢様と言う、アップタウンガールとの「Boy meets girl」が描かれている。

 お嬢様の住まいは山手の洋館ではなく、MM21の高層マンションと言う設定が世相を反映しており自然と泣けてくる。(/_;)

 
 このドラマはその筋で高名な脚本家の手によるものだが、割合横浜の街の持つ落ち着きに相応なテンポと、疾走感や青春の焦燥がよく描かれていて好感が持てる出来栄えだ。

 地方の人々には、MM21周辺こそ現代の横浜の象徴であるようだが、どっこい主人公の実家がある付近の人々だって懸命に生きているんだぜ!と、オールド横浜のファンである筆者には胸のすくような古典的「Boy meets girl」モノがこのドラマだ。

 実際行って見れば分かるが、元町や山手、もう少し足を伸ばして本牧や根岸となると桜木町や横浜の駅からも遠く不便な街に、ここに愛着ある人以外は近づけない。

 ヒロインの実家が元町にある老舗ジュエリーショップであるところが「ブランド」として描かれており、そのフレーズが繰り返し地元民である登場人物達から発せられる。
 デパートやロードサイドに出しているようなショップじゃダメなんだ。

 不便だけれども、高速の高架下パーキングにクルマを預け歩いていく。
 
 元町と協賛している駐車場は1時間待ちだから。

 ゆっくりとぶらつき、目に付いたお店には高そうでもなんでも臆せず入ってウオッチする。
 
 段々夕刻が近づいてくると、ガス灯を模した明かりが燈りだす。
 
 「中華街に行こうか?それともピア(昔からの)のほうでちょっと引っかける?」

 それとなくこんな会話が聞こえてくる横浜の街が好きだ。

 

 

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2006年10月24日 (火)

奈良の問題 暗く深い闇

 奈良市環境清美部の男性職員が病気休暇・休職を繰り返し、
5年間で8日しか出勤していなかった問題に絡み、ほかに4人の職員が
同様に不自然な病気休暇を繰り返し取っていたことが22日、市の調査で分かった。

 いずれも環境清美部の男性職員で、
市人事課は「公務員としてふさわしくない行為。
さらに調査を進めるとともに処分も検討する」としている。

 市は、記録の残っている2001年1月から今年8月まで調査。
新たに過剰な病気休暇取得が判明した4人の中には、
この間に計182日しか出勤していない職員や、186回も病気休暇を
取った職員もいた。3日出勤しては3日病欠するなど不自然な形だったという。

 規定では、同一の病気で認められる休暇は90日間で
給与は満額支払われるが、それ以降は休職扱いとなり給与も2割減額。
4人のうち3人が1回ずつ休職扱いになっていたが、
いずれも互助会から補てんを受けたとみられるという。 

            〔共同〕 (14:23)

 前段の職員のことがニュースになった時、筆者はすぐに感じていた。やはりと言おうか、またかと感じるか。
 職員は部落解放同盟奈良市支部協議会(以下 同盟)の副議長の任にあるものだった。

 誤解を承知で書けば、関西でのゴミ収集、くみ取りなどの事業は民間なら同和利権の温床であり、公務であるならば特殊部落からの「同和枠採用者」が多数派を占めていると言って差し支えない。
 

 ゆえに筆者は「すぐに感じた」のだった。同盟の要職に就くものが、公序良俗に照らし合わせ"この程度"の人間でしかないことを世間に喧伝せしめた自爆行為を、多くの真っ当な経済活動者はどう見るだろうか。
 このような行為を見るにつけ、起き得るであろうある種の差別感情は後天的悪態によって増殖して来たと筆者は書かずにいられない。また、役人も役人側で、恫喝まがいの利益誘導の数々にも自身の資産が目減りするような事はないから、公金をつかって事なかれ主義に陥っていた。

 平たく書こう。つまりはこういう事ではないか。元来の怠け者で、地区外を知らずに育った特殊部落出身者が、運良く特別な身分を用い、同和枠で地方公務員の職を得た。休職に入った5年間以前の勤務態度を知る由も無いが、他の地方公務員同様以上に勤勉にしていたとは考えにくい。その間、熱心に活動していた同盟の支部では顔になっていった。地方公務員でかつ、同盟の支部では要職にあるなんて寺園敦史さんが追及する京都市での公金横領問題の時と全く同じ背景だ。そしていつしか同和で「楽に金儲けできる」構造を熟知し、本職であるごみ収集には嫌気がさしたのだろう。ゴミ収集車を乗り捨て、愛車は白いポルシェなんだから苦笑いしか出てこない。京都の時と二つ目の同様、同盟側のスタンスはマスコミに取り上げられるまで原則放置なのだ。彼らは生まれ付いての(先天的)身分と、それから先の生育で得た知識や悪態(後天的)で自身らが「Untouchable」な存在であると過信し「挙げられる」ことなどないとタカを括っている。または"いた"。
 彼ら自身に社会の風潮や流れを読み取る力などないものだから、社会正義の潮流にも乗り遅れてリビルトの機会を失ってしまう。一見すると、彼らの周囲にも問題があるように見て取れるがそれは違う。欲望が分を遥かに超えていたという点と、そこに努力や執念の影が希薄なところなど、彼らが忌み嫌う「一般」とは大きく異なるほうが問題なのだ。

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2006年10月21日 (土)

またいつかの巡礼

 10月12日から会社を休んでいる。右前庭障害によるものだが、会社からもしばらく休むように申し付けられ甘えさせてもらったのだ。休みは22日まで頂戴した。またリセットしてやり直すだけだと感じている。メニエール独特の発作は、それまで健康に過ごして来た者の鋭意を削ぐに充分な破壊力を持っていた。

 部屋でのんびり過ごしていると思えばいきなり起き出して志賀高原までバイクを走らせたり、お気に入りの宿泊施設がある蔵王などに車を走らせた。それなりに空間を移動させて、絶対に自身を認識してくれはしないであろう現住所付近の地方を離れ、自身に降りかかった少々の恥辱と、諦めに満ち溢れた街を振り返ったりしていた。

 志賀高原にある渋峠では、久々に長兄と三男の兄弟と落ち合った。白銀に染まる季節には数回訪れていた同地だが、秋が深まる志賀高原に訪れるのは初めてのことだった。峠山頂付近には、ドライブのクルマとツーリングのバイクで渋滞気味であった。意外なほど喧騒の山を下り、木島平にある馬曲温泉へ行くことにした。この辺りに土地勘のある恩師から奨められていた温泉場なのだった。日曜日のその日、果たして温泉場では村をあげてのお祭りの日だった。閑散とした地方にありがちな寂れた公共浴場を想像していたが、この日は勝手が違っていた。無料開放しており、出店や、野豚の丸焼きを振舞ってくれたり、ほのぼのとした賑やかさがそこにはあった。
 古くからの、どうってことない営みの中にある晴れの日。地元の方たちが、甲斐甲斐しく、訪れる者たちをもてなしていた。筆者の住む上越地方に、こうした訪れるものを厚くもてなす風潮の希薄なことが、返す返すも残念でならなかった。
 温泉につかり、馳走をいただき、東京へ日帰りで帰る兄弟に合わせて15:00頃現地解散した。

 そしてそこから1時間半ほどの、いまいましく懐の浅い現住地へ筆者も舞い戻ったのだった。この諦めに満ち満ちている街で寛容な人々は、大変に苦労している。大概が諦め深く過ごしている中で、孤軍奮闘を強いられるからだ。
 上述した風潮などからこの街では飲食店に限らず、商店などに行くと少なくなく不快な気持ちにさせられることが多い。そしてその対応を巡っての問題点に、当事者サイドは少なからず自覚があり、だが改善をしようとはしない心持に決して未来を感じることは出来ない。

 二日間の宿泊で蔵王に行って来た。これはまた別の機会に書こうと思う。
 休みの間、志水辰夫さんの小説を読んでいた。シミタツ節と呼ばれる言葉の数々が胸に突き刺さる。

 「行きずりの街」を読んでいた。と言っても一回目は3、4時間ほどで読みきってしまった。解説の北上さんも書いているように、クライムノベルでありながら恋愛小説でもある。
 

 

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2006年10月 3日 (火)

Damage

 Cranebell
今日は糸魚川の病院で「めまい外来」があったので、仕事を休み、行って来た。

 富山の、めまい分野では高名な先生が様々な検査結果をもとに診察をしてくれて、
あっけないほどの時間で終了した。

 メニエルかどうかまだはっきりしないというか、そう易々と診断できないのか分からないが、
「右前庭障害」と言うことだった。

 先生が「そのうち安定してくるでしょう」と、当たり前だが他人事のように言ってくれて、
少し不安な気持ちが和らいだかな。
 あとこの間検査をしてくれたチャーミングな先生は今日は逢えなかった。

 自分でこうなってしまった事をいろいろ整理して誘因を探すと、いや探さなくても出てくることが沢山ある。
 多分もうずっとDamageを背負ってきているよね と。

 こう言ってしまうとすべてが終わりでみもふたも無い様だが、こちらの生活は潤いが少なくてとってもとっても辛い。家庭でもあって、それで流れが変えられるような事象があれば多少は話が違ってくるとは思うけど、一人でいて、特に冬の天候の過酷さは救済の余地が無いことは明白だ。冬の間、太平洋側がほぼ毎日のように晴天が続いているとき、こちらは決まって大雪が降ったり曇り空がずっと続いたりする。それで地元の人は当然だとするDNAがあるから「我慢」をすることが出来るのかもしれない。でも筆者のように、言ってみれば30数年人生の全てを太平洋側で過ごしてきた身には「我慢」をすることも、「あきらめる」ことも出来やしない。それで、いわく無駄なパワーを使ってしまう。

 いろいろこちらでHappyになれるように、文化や風習を学んできた。それでも核心に触れようとすると拒絶される。核心がどうなのかわからなくても、その周囲が遠ざける。このあいだとどめを刺された。

 ずうっと考えて、悩んで、でも人の気持ちはその文化や風習の前では無力だ。
 それで病気になって、まるで自爆みたいで馬鹿だなと。

 そういう救いようの無い病気と、最低な気持ちのまま過ごしている。

 それで先生が察したのか、「メニエル」で検索してこのブログを読んでいたのか知る由も無いが、
ワイパックスと言う、なんだか不安感を軽減する薬を処方してくれました。
 いやこれって「抑うつ」の薬なんじゃないですか?

 今のところ軽い発作が時々起きるだけなのでまぁ安静気味に過ごしてれば直りそうな感じはしている。
 でもひどい発作は本当につらい。

 また冬が来る。ブログの記事も今年の冬はずっと書けないでいた。
 今から少しずつ流れを変えていきたい。

 第一弾としてストレス解消、画像のペンダントを買いました。ほんとうにきれいな音色で鳴く鈴です。
 レナード・カムホートのcranebellです。
 
 

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2006年9月24日 (日)

メニエル病になっちゃった?

 9月12日に客先のプロセスで働いていました。そこはクリーンルームと言う場所で、筆者はその環境を構築することを生業にしている。気圧の影響なのか、プロセスに配置されているマシンの影響なのかは分からないが、今までに全く体験したことのない激しいめまいに襲われた。一連の仕事は短納期で、激務と呼んでいいであろう内容の業務をそれまでに行ってきて現場にいる。それまでの疲れなのか、上述した環境の問題なのか、1時間ほどめまいは続いた。発作と呼ばれるものが収まったので、筆者は客先のプロセスを離れて本来の職場である妙高市のある場所へと車を走らせた。何かの突発的な体調変異であろうが如くめまいは治まっていた。しかし、そこからがいけなかった。車で客先のプロセスのある糸魚川市まで北陸道で向かう途中、先ほどのめまいを軽くしのぐほどの症状を感じたのだった。車の運転も危険極まりなかったが、なんとか糸魚川市に着いた。客先とパートナーへ連絡し、病院へ向かわせてもらうことにした。

 病院に着きしばらくすると発作は治まっていた。

 責任者としてその現場にいた立場上、どうしても休むことはできないな・・・そんな気持ちと、またいつあの恐怖の発作が起こるのか少しの不安を抱えていながらも数日をやり過ごした。パートナーのおかげもあり、納期も品質もまずまず納得できるものが現場では着々と構築されていった。

 9月15日 朝4時に目が覚めた。激しいめまいを寝ながらに感じた。目を閉じてもぐるぐる。左右の動揺が激しい。その日はダメだった。6時頃なんとか寝台から這い出て、着替えて出かける準備をしても発作は治まらなかった。方々へ連絡した。先日処方されたメリスロンとトラベルミンをがぶ飲みし、意識を失うかのように床に伏せた。

 夕方近くにどうしても戻らなければならなかったので、職場の人に自宅まで迎えに来てもらい、車で糸魚川まで連れてってもらう。20時頃まで現場で過ごし、その日は糸魚川泊。考えてみれば最初からそうしておけばよかった。北陸道のトンネルが連続する区間に暮らす筆者に、毎日の出張通勤で通るトンネルの気圧変化がもたらす耳への負担などその時は回避する術も知識も自覚もなかった。

 また数日。数回の軽いめまいを感じながらも、やれることはやり、出来る物は出来た。あとは図書関係をまとめれば一段落である。客先も評価をしてくれた。

 9月22日  糸魚川総合病院で平行機能検査。この日も朝からダメだった。午前中は会社に行って、旅費関係の清算などをしようと考えていたが無理だった。午後からの検査に電車で向かおうかとも一瞬考えたが、こちらのダイヤは都会の暮らしに慣れた身には余計に体に悪い。苦悶の表情を浮かべつつ運転して行くことにした。少しでも頭が揺れると激しいめまいが加速するので、なるべく頭を動かさない様に車線変更も行わず、生まれて初めて制限速度を維持したまま高速道路を走っていった。

 病院に着き、車を降りて歩き出したがまっすぐ歩くことが出来ない。ふらふらしていた。時々同様な患者の人が東海道線のホームから落っこちるのかな・・・そんなことを考えながら2階の耳鼻科へ。
 先生は「これからする検査はめまいのある時にすると物凄く苦しいけど、遠くから来たのでやりましょう」と仰り、軽めの検査から始まった。検査を担当した先生は物凄いチャーミングな人で、具合が悪くなければもっと積極的に口説いていたと思う。検査中嘔吐がおさまらず、一回吐いた。こんな人の前で吐いちゃったよ・・・違う意味で涙が出てきた。電気眼振図検査と言うやつだったのだけど、左耳の鼓膜に温風を封入したときが一番凄く動揺した。検査担当の先生がチャーミングだったのが唯一の救い。帰るのも大変ですよね?とかなんとか聞いてきたので、「その時は先生のうちに泊めてもらうよ」と返したが、「高いですよ・・保険きかないですから(はーと)」と微笑みながら返す先生に返す余力はもう残されていなかった。たぶん具合がよく頭がスッキリしていれば「いいんだよ。そん時は一生かけて償うから」とかなんとか言っていたかも知れない。

 帰るに帰れないめまいが続いている中、MRIを撮ってその日は終了。またトラベルミンを飲んで、車の中で二時間ほど寝て帰宅した。車の運転はやっぱりダメだった。

 昨日、今日と休んでゆっくりしているけれど、まだ軽い発作が時々出る。10月3日はめまい外来がある。

 あの先生に菓心亭かまだの生シューでも買っていこうかと考えているが、明日から職場に戻って仕事が出来るのか凄い不安感がある。風邪でもなんでもそうだけど、基本的に他人は人の痛みに無関心で冷たい。
 メニエルなどの疾患は外傷がない分、痛々しさがない。なんか物凄い弱気になっている。

 弱っていて自分語りをしてしまった。

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2006年9月 7日 (木)

「8月15日に北京にいました」のコメントへのお返事のコメント欄への返事


 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::引用以下

2006年9月5日
靖国参拝の問題を賠償問題にすり替え、もう充分に償いをしたと主張したい気持ちは分からないでもないが、ここは靖国参拝に関するコラムについてのコメント欄なのであまりしつこく論点外しをやるとみっともないのでやめた方がよい。このような人物は先の大戦は日本の侵略戦争などではないので、そもそも戦争責任を認めるなどという発想が無い方だと思う。仰るとおり日本は言論の自由、思想の自由を認められている国であるからそれは一向に構わない話しだが、ならばもう少しはっきりと自己主張された方が良いのではないか。どうも参拝賛成論者は主張や思想の本質がハッキリしない。このような方々は、意に反して分祀が実現してしまった時に、どこに参拝に行くのかということをハッキリと述べられたら良い。分祀後も戦没者だけではなく戦争指導者も等しく参拝するのかどうか、ここではっきりと表明されたらどうか。これは仮定の話などではなく、あくまで思想の問題であるから、前述したように日本は思想の自由を保証されているので、臆することなく明示されたらよい。それをやらないといつまで経っても論点のすり替えに終始することになり、説得力が無いのである。

::::::::::::::::::::::::::::::::::引用終わり

「根拠なき矜持殿」

 いやあのですね、下の方でさるお方が「ドイツの戦後補償を日本のガイドラインに!」のような、もう滅亡した「韓国大統領・朝日新聞の論調」と似たようなコメントが有ったので事実を述べただけですよ。どちらが論点のすり替えを行っているのか、コメントを時間軸ごとに追っていけば明白なんですが?一度下の方から全てのコメントに目を通されてみてはいかがでしょうか?主義主張の話ですが、多くの日本人にとって、東京裁判でA級戦犯とされた方々が合祀だろうが概念としての分祀(本来分祀などと言う形容は神道にはない。マスコミの造語流布)であろうが興味などないのですよ。生きていく中で無関係な話ですからね。それをことさらに煽っているのが目ぼしい記事のないまたは書けない新聞社を筆頭とするマスコミ、そして政治の道具にこれから2,000年先もして行きたい中国共産党でしょう。生きて行けなくなるかも知れませんから。(苦笑)ここでの靖國コラムの発端となった部分のコメントを読めば、多くの多くのコメントが靖國神社や遊就館を「知りませんでした。」「行ったことがない」「今度行ってみようと思う」でした。元来生存欲求に合致しないものに興味を示さない、一般的日本人に符合します。そこが狙いと無知でイノセントな日本人に悪意の刷り込みを行う、中共・一部マスコミ。でも、そんな事は秋が深まるにつれ忘れ去られていく、消費されて行くんです・・・。日本人にとって神社そのものを「ネタ」にする中共・マスコミの姿勢は許容できるものではないと感じるだろうし、その間の歴史認識での差異や教育の違いで誤認された列記があるなら正すべきと感じるのが善良かつ恥を知る日本人のやりかたです。歴史認識の本質に比較したら「靖國問題」など本来はどうでもいいんです。刺身のつま程度の話です。靖國を本質的に語るなら「マッカーサーの戦後処理と天皇の戦争責任」を総括すべきですね。あなたが人のコメントに反応するのはいっこうに構わないが、時間軸を無視する姿勢や流れを読めないところは恥ずかしいのでコメントはやめた方がよい。また、靖國などマイナーでカルトな「ネタ扱いの記事」を軽薄のそしりから逃れる為、身勝手に靖國「問題」とした一部マスコミの姿勢は中共共々批判に晒されるべきだろう。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::もう一編、秀逸な釣りコメントを紹介 引用以下

2006年9月4日
靖国問題で中国側がとる一番良い対応は「無視」することだと思います。現在の日本人(特に若者)は、頭が劣化していて物事を単純にしか議論できません。 "中国の反対を押し切って参拝するから偉い!" ということしか頭になく、そもそものあの戦争の問題点や小泉首相の詭弁についての議論は全くできないようです。 "靖国参拝を政治問題化しない"と言うが、そもそも政治問題化したのは小泉候補だったはずなのに全く批判がないのは不思議です。 中国側としてはこの問題は無視して、「日中友好」を唱えて日本から技術や資本を導入して、発展させて圧倒的な力の差ができてから、抗議して、日本が文句を言ってきたら戦争して東京を陥落させるのが一番良い方法と思います。今の日本人ならこの程度の単純な策略にも引っかかると思います。日本人としてはとても残念ですが。 第二次世界大戦での日本とドイツの差は首都を開城したのと陥落した点が大きいと思います。日本人はまだ懲りていないということです。反中国派の人たちは中国と戦争になった場合でも勝てると思っているのでしょうか?


::::::::::::引用終わり


なんて言おうか、下線が入ったところは釣りなんだろうけど・・・・・展開も無茶苦茶だし。
苦労しているのでしょうね きっと。

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2006年9月 6日 (水)

香港映画 インファナル・アフェア

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 ここ最近宋さんのところのコメント欄にいちいち反応していた筆者でしたが、もうキリがないので、やめて、中華人民共和国香港特別行政区の映画についてでもと。
 

タイトルにある「インファナル・アフェア」は、特命での潜入捜査官(トニー・レオン)と、マフィアから警察への逆潜入を使命に組織で生きる男(アンディ・ラウ)の死闘と無常観を描くフィルム・ノワールです。三部作のこの映画、第二部での回想シーン中心の構成はゴッド・ファーザーを思わせるものもあります。筆者はトニー・レオンの笑顔が男惚れするほど好きなので、個人的に第三部がお奨めかと思います。ストーリーは各作品とも独立していると考えられますが、やはり1作目から観たい映画です。
 この映画に対しての評価は賛否両論様々ですが、筆者は香港映画独特とも言っていい疾走感と静寂がよく表現されている佳作だと評価します。また香港映画俳優陣の層の薄さから、配役に何度も観たことのある顔が並んでいるのですが、どれをとってもその演技は秀逸ではまり役と言って差し支えないでしょう。

 トニー・レオンは「恋する惑星」の演技が印象的であるが故、軽い二枚目といった感が強いと思われる方も居られる様ですが、「シクロ」や「ブエノスアイレス」などの小作品では屈折した背景を持つ男を重厚に演じておりますし、「2046」ではキムラタクヤを端役へ追い込むほど(演技下手だから仕方ないが)の圧倒的存在感でチャン・ツィイーと競演しておりました。

 香港映画界は古くより観光資源としての映画制作に力を入れ、数々の名作をリリースしております。
 筆者が香港映画の好きなところを上げますと、「湿度とチープさ、監督の映画愛が画面に映える」と言ったところでしょうか。しかし、残念ながら昨今は本国から表現の規制などをあからさまに強化されているとも伝えられ、映画界のみならず返還が香港在住の華人に幸福をもたらしているのか疑問に思うところがあります。
 97年以前にも様々な議論があったのですが、いわゆる中共は本国人と、台湾や香港の華人を差別するよう本国人側に悪意の刷り込みを行っているようですね。とまぁ話はずれましたが。

 映画の良し悪しはやはり女優にかかっていると言って間違いないでしょう。今作品でもケリー・チャンが感情を抑えた演技でヒロインを演じ好評を博しております。

 TBSのドラマで「輪舞曲」と言うのがあったのですが、このドラマは少しと言うかかなりの構成部分がインファナル・アフェアと重複していると見たのですがいかがだったでしょうか。

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2006年9月 1日 (金)

宋さんのところに濃い人発見!根拠のない矜持(きょうじ(笑))

 宋さんのところに濃い人がいて困っている。
 しかもこの人は前後のコメントの時間軸を見ないで自分の都合のいいように解釈しているのが痛ましい。
 松井やよりと言うカルトな人も似たような論理展開だったなぁ・・・・
 

 この人は「根拠のない矜持」と言うことばが痛く気に入ったのか、
若しくは生まれながらの身体的?人種的?劣等感にさいなまれているのか知らないがよく使うんだ。
 覚えたての言葉みたくね。

 日経ビジネスオンライン 「8月15日北京にいました」のコメントへのお返事 のコメントから引用

 :::::::::::::::::::::::引用以下
2006年8月29日
未だに靖国参拝を外圧でやめるのはけしからんという偏狭な視点でしかものを言えない御仁がおられるが、このような根拠不明の矜持を振りかざすことで論理のすり替えが成功すると思ったら大間違いだ。靖国参拝に反対するのはすでに外圧などではなく、内圧化している。実際に靖国神社を自分の目で見てくる日本人が増えれば、そうした傾向は更に強まるだろう。日本は中国や韓国の民度を云々言えるような国か、良く足下を見つめ直した方が良い。


 2006年8月30日
首相の靖国参拝に抗議している周辺国に対して内政干渉だと喚いている連中に、ドイツの戦後補償を論じても効果はない。吸血鬼に十字架やニンニクを見せるようなものだが、黙殺し逃げ回るのが落ちだ。耳をふさぎ壊れたレコードのように外圧反対と繰り返し始めるだろう。安部は自分の爺さんが戦犯であるから戦犯という概念自体認めていない。そういう人間が首相になるのである。日本の過去の過ちを帳消しにしようとする連中にとってはさぞかし心強い事だろう。

2006年9月1日
靖国参拝と戦後賠償の問題をすり替える議論に乗るつもりはないが、小泉は靖国問題を心の問題だと言っている。心の問題であれば自己の心の自由をひたすらに餓鬼のように求めるのではなく、日本の侵略によって被害を受けた国の人々の心を思いやるのが大人の思考ではないか。賠償と謝罪は充分に実行したと言いながら、一方で侵略戦争の指導者を参拝するという言動の矛盾、責任逃れの心理が垣間見えることに韓国や中国は憤っている。しかも一部の国民しか訪れておらず、靖国の実態を知らない日本人に対して日本の首相が「心の自由」というクリシェイな表現によってナショナリズムを煽るのは、まさに“無学層の人民向けに行うプロパガンダ”と同じではないか。また小泉の靖国参拝を評価するという世論調査もあくまで現政府が行った調査であり、大本営発表そのものである。現に参拝を評価しない、反対が多数を占める民間の世論調査はいくらでもある。しかしながら根拠のない矜持を振りかざすことでしか靖国参拝を肯定できない連中に、大本営発表を盾に横行闊歩されたのではたまったものではない。


2006年9月5日
靖国参拝の問題を賠償問題にすり替え、もう充分に償いをしたと主張したい気持ちは分からないでもないが、ここは靖国参拝に関するコラムについてのコメント欄なのであまりしつこく論点外しをやるとみっともないのでやめた方がよい。このような人物は先の大戦は日本の侵略戦争などではないので、そもそも戦争責任を認めるなどという発想が無い方だと思う。仰るとおり日本は言論の自由、思想の自由を認められている国であるからそれは一向に構わない話しだが、ならばもう少しはっきりと自己主張された方が良いのではないか。どうも参拝賛成論者は主張や思想の本質がハッキリしない。このような方々は、意に反して分祀が実現してしまった時に、どこに参拝に行くのかということをハッキリと述べられたら良い。分祀後も戦没者だけではなく戦争指導者も等しく参拝するのかどうか、ここではっきりと表明されたらどうか。これは仮定の話などではなく、あくまで思想の問題であるから、前述したように日本は思想の自由を保証されているので、臆することなく明示されたらよい。それをやらないといつまで経っても論点のすり替えに終始することになり、説得力が無いのである。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::引用終わり


 いやあのですね、下の方でブサヨの人が「ドイツの戦後補償を日本のガイドラインに」のような、韓国大統領・朝日新聞の論調と似たようなコメントが有ったので事実を述べただけですよ。どちらが論点のすり替えを行っているのか、コメントを時間軸ごとに追っていけば明白なんですが?

 根拠の無い矜持ってなんだろね。あまりよい言葉じゃないけど。なんかこうこの人の言葉には普段まっとうに働いて日本で社会貢献している人を貶める意図もあるようです。察するにアカ崩れか、新左翼もどきかはたまた社会化教諭の成れの果てのブサヨかって感じです。中国との話をしているのにいきなり韓国の国名が出てくるところから、ひょっとしたら在日韓国人3世とか、そんな特別な身分を保持している人かも知れない。いずれにしても筆者のような吹けば飛ぶよなサラリー風来人とは身分が違うようで、高みから発せられる矜持に富んだ言動がカコイイ。(笑)

 日本人を昔の通りの自信の無い無気力風に戻すのが意図でしょうか?あえて書かないけど、根拠などいくらでもある。根拠が無いとはいくらなんでも酷い話だ。

 どうしようもない要求や無理難題を押し付けてきたりする人に対し、よく「心は自由だから」と、うそぶく人がいる。
 実際問題、小泉首相はしてやったりなんじゃないか?それぐらいのゆとりは生きていく中で必要だろう。
 国民の殆どが無関心だった靖國への慰霊を盛んに煽ったのは古の影響力を失った、左側キャスターを擁したマスコミ陣営と、アジアと言えば中国と韓国しかないかのような錯誤で追求する中・韓両国。

 でも以後放置でって感じの議論の終わり方が、すでに前歯が無くてヨボヨボの爺さんである筑紫さんにお似合いだったなぁ。日本の新左翼もつくづく終わったなーーーと言う感想だけが残った2006年8月だった。秋ですね

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2006年8月29日 (火)

あえて儒教で言う性善説を持ち出さなければ理性を維持できない人々

 中国での故事を読むと、豪族同士の争いが起きたとき、首領同士の争い事では必ずどちらかの一族郎党が根絶やしにされるまで争いが続いたと言います。日本の歴史に有るような、「淀のお方」が後日の因果に繋がるかのような事態は中国での歴史には無かったと推察されるに易い。

 なるほど毛が行った文革時インテリ層の徹底的な根絶やし然り、チベットでの民族浄化根絶やし政策然りで、現在もその思想は脈々と受け継がれ好まれているように感ぜられます。

 近代国家の体制に有りながらも時々そうして自国民にすらクリアラスンスを取ることによって人口増加抑制を図ってきたといえば聞こえは良いのですが、多くの日本人にとって中華の「根絶やし」理論は気味が悪く到底理解できるものではありません。

 中国人である宋氏靖國へ慰霊へ向かう人々の心情を慮る理性や知識があるはずなどないと考えるのが小生のスタンスですがいかがでしょうか?

 すなわち古よりの中華の考え方に習えば、戦争で過ちを犯したとされる先祖の子弟である我々は同じように犯罪者見做しとするのが「根絶やし」を好む中国人のやり方であり考え方なのです。

 犯罪者の子弟は犯罪者に育つのであり、犯罪者の霊魂は未来永劫犯罪者のまま祀られることも無く蔑みを受けなくてはなりません。それが中華のやり方であり考え方です。現代は国家間各々の力が強大になり、さすがの中華様も春秋戦国時代のようには外国に向けて「根絶やし」推進政策をすることは出来なくなりました。しかし国家の代表者である小泉首相を攻撃することによって屈服感を得られるものならば、ターゲットは日本国民も含まれており、それすなわち「根絶やし類似の関係」と呼べそうなものでそれなりに中共幹部は溜飲をさげていたのだと考えられます。

 8月15日に北京にいましたから引用しますが、
引用始まり・・・・・
 
 「『死後平等』なら、凶悪犯罪を犯した死刑囚の霊を祀ることは許すのか」。


・・・・・・・・引用終わり

 と言う 宋氏の中華的友人からの質問があり、宋氏はその質問を答えるには窮したとあります。

 宋氏の日本での活躍を知るものにとって、その知識の無さには唖然といたしました。
 ITと言うか、インターネットに国境はないのでしょうが、少なくともその国がもつ固有の文化や伝統は真摯に学ぶべき姿勢が必要だと思います。そんなものを学ばなくても起業し上場も出来てしまうのだからよいのではないかと感じたか知らんが、宋氏の一連の「靖國」を冒涜した上で蔑み、軽々しく取り上げ論じる中学生並みの文章が許されるわけではない。一体全体この人は大東亜戦争で無くなった多くの人々を真剣に慰霊する気持ちがあるのだろうか疑問に感じてしまった。最近とても宋氏のおかげで憤りを感じている。
 

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2006年8月28日 (月)

可哀想な中国人、宋 文洲氏の記事

宋氏の記事はここしばらくずっと論点ずらしだろう。耳障りの良い、日本人が好みそうな一般的美談をアンチテーゼとして披露しているだけだ。宋氏がこの問題を論ずるにはいささか日本に対しての理解が不足し、靖國神社に関する知識も稚拙に過ぎる。この人は国費留学で北大にて学び、意気揚々と帰国の途につくはずが天安門事件で叶わず残留、そのまま起業したと言うインテリ層難民だ。
 そのようないわくありあり、日本に対してのある一定の感謝の念を感じずにはいられない経歴を持つ身でありながら、是非はとまれ日本固有の文化や伝統を冒涜して何が楽しいのだろう?小泉首相の8.15参拝と件の美談が結びつく思考背景が理解できない。また精神やまごころの問題とビジネスを直結させてしまうところなど、常人の理解範疇を超えている。拙輩は一国の首相が外圧によって出入り禁止となる場所が自国内に存在するのなら、そのような国はもはや独立国家の体を為さないと考えていた。ゆえ、この騒ぎで靖國への出入不自由が普遍的にならずに済み胸を撫で下ろしているところだった。中共は小泉首相が志を曲げればまんまと「首相が出入り出来ない場所へ国民が往来するのはいかがなものか」とのコメントを後日出す予定であったに違いない。今回の靖國参拝はそれが回避できただけでも評価できる。また宋氏が言うように日中間でのビジネスが今後膨らむようなことも無いであろう。中国はすでに「終わった」。投資した分を回収できたら、モノづくり企業はアジア西南進をはじめるに相違ない。多くのマスコミは広告料を差し出す企業のために時間稼ぎの為の世論操作をしているに過ぎないのだ。宋さん、世界中への恥晒しにならぬよう北京五輪までに民度が向上すればよいですね。むしろ日本で暮らす中国人の役目はそこにあるように思う。ところで宋氏の記事に付くコメントの類が物すごい偏執狂どもの巣窟になっていて興味深い。すこし穿って読めば、その大部分が日本共産党や赤旗の論評そのものではないか。驚くことに190件ものコメントが付されている。
 中国人が靖国神社に行きました
 「遊就館」の見聞などは小学生の社会見学にも劣るレベルで見るに耐えないものだ。自身の影響力を自覚されているのならば、もう少し冷静なスタンスで学んでから記事にして欲しいものだ。
 筆者は靖國に関して、「今のままでなにが問題なのだろう?」と考えている。結局は黒船なのではないだろうか?外圧に屈した時にのみ、国の在りようが大きく変化してきた日本ではあるが、「靖國問題」など取るに足らない、問題以下の時事ネタだろう。一般的大手マスコミや首相攻撃の先鋒であった経済同友会が、ビジネスでの利益が全てに優先すると言うのは物凄く下種なことであって、これでは売春婦を使って情報職能の自衛隊員や大使館員を延々抱き込もうとした中共の屑どもとなんら変わりはない。
 日本人らしさはむしろ、その後恥を悟り自ら命を絶ち、露見せしめた行為であり、そのことこそが国を大事に思う心そのものなのではないだろうか。宋氏は上の事件については不思議とスルーのスタンスなのだ。納得がいかない。
 

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2006年7月17日 (月)

中田の引退特番を見て

中田のことを叩く典型的日本人とか、礼賛する欧米型日本人とか・・・不毛だよね。日本の代表なんだから。サッカーって何気ない仕草や試合展開の中でのメンタリティーはその民族性が際立って色濃く出るもの。連続的即興性のスポーツだから。考えて立ち止まるゆとりはないから「日本人らしさ」は消せないし否定できるものでもない。「メンバーの日本人らしさ」でチームが成功する方向性を中田も模索すべきだった。
 番組見ての感想は、ああ言う演出だから仕方ないがちょっと多弁に過ぎる。「敗軍の将、多くを語らず」は欧米の騎士道にも日本の武士道にも共通するものだと思う。中田がチームの中心、将であったと言う自負があるのならあんな番組出るべきではなかった。最後までプレゼン上手、ビジネス上手だったな。日本の中だけでは。
 クライフを悪く言うチームメイトっているのか?ってことだよね。クライフは新しい価値観をサッカーに持ち込んで、それは消え去ることない功績となっている。チームメイト達は同じ時期に、幸運にも同じフィールドで過ごす事ができて、自分にとって申し分ない実績を残すことができた。そんなクライフを悪く言うわけがない。だって幸せなんだから。扱いはクライフには及ばないが、その頃一緒だった選手は今でもクライフとともに語られる。
 中田は少なくとも日本代表に幸せをもたらさなかった。それだけは確かだろう。

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2006年7月14日 (金)

ものを欲しがらない生活なんて

 件のnikkeibpに「ものを欲しがらない生活」が前後編ともエントリーされました。

 記事を読んだ感想ですが、「精神論者イラネ」

 なぜこのような記事を書く人間を、あたかも信憑性あるかのように紹介するのか不思議です。

 世の中にはあなたの知らないことが沢山あって、あなたの知らない間に企業努力も相当なところにある。

 このようなお気楽ボケのエディターだか環境利権のおこぼれ拾いだかの人を、
筆者の職場で引きずりまわしたいと思います。

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2006年7月13日 (木)

サッカーと人種差別  世界を知らず 人間を知らず サッカーを知らず

 7月10日のエントリー ジダンの最後 あまりにも悲しいを書いた後、少しずつ真相が明らかになって来た。多くの、世の中を知る、サッカーを知る人々からは早くから人種差別の問題と語られていたようだ。

 筆者が6月28日のエントリー 自由の国 フランスの勝利で書いた、かつてのフランスチームでの出来事が、解決済みの出来事が、他国では根強くあったと言うことだ。

 そのような思想の選手が優勝国にいる事はFIFAの後退を物語っていた。
 ブラッターの狼狽振りが情けない。


 筆者はサッカーが好きで、今まで様々なことを熱心に見聞してきた。
 
 数日間、日本のネット上で様々な取るに足らない「ジダン退場」に関する議論がされていた。

 大概が本当にレベルが低い、議論だった。

 筆者は思う。

 なぜジダンのプレーを見て、彼の正当性に即刻気づくことができないのだろうかと。
  

 そう言うサッカーを取り巻く色々の事情をもっと知るべきだろう。

 大会のはじめにジダンが行った行為、代表に復帰して最後に伝えたかったことの数々。
 そしてジダンほどの選手が行為に及んだことの意味を。

 
 ルールを犯したほうが悪いと、心から思う日本人が多いのなら悲しい。
 
 堀江も村上も同じような思想信条で喝采を浴び、退場させられたんだ。


 ルールを破り、ジダンは退場になったが、
空前の世界スポーツであるサッカーの中で、

 自由・平等・博愛はその上にあるものだ。

 日本人の狭量な了見で語られるべきものではない。
 

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2006年7月10日 (月)

ジダンの最後 あまりにも悲しい

 現行のルールでペナルティーキック戦があるのから
なんともコメントしようがないが、やはり決勝戦くらいは
引き分け再試合でやって欲しいなと思う。

 ジダンはなにか人種差別的な発言でも受けたのだろうか?
 試合展開でイラついたとか、そう言うのではないと思う。

 イタリアもいい試合をしたけど。

 これでジダンが最後なのは本当に悲しい

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リベリーは、闘将ジレスの化身なのか

 いよいよ決勝なのだが、ココログは相変わらず管理画面へのアクセスすら適わぬほど重い。

 死ぬほど重い。

 流血でお騒がせ、北フランス随一の貧民街出身、レジスタンス映画の渋い脇役みたいな面相。

 今大会は最もフランス人プレーヤーらしいリベリーに尽きる。

 リベリー レアル・マドリーからの誘いを蹴って、

 フランスで輝き続けて欲しいな。

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2006年7月 5日 (水)

PK戦狙いのドイツを、イタリアが撃破

 ドイツの試合運びはいつも通りで変化がなく、最後までペナルティキック戦以外での勝利を望むイタリアに、
正確無比なシュートを最後は決められ惨めな敗戦だった。決勝点となる一点目のゴールでのペナルティエリア、あれだけの密集でドイツ選手はペナルティキック戦の夢を見ていたのか全くの棒立ち状態だった。
 

 筆者はドイツのようなチームが勝ち抜くなら、もう一度48時間後に再試合のルールを再適用するべきだと考えていた。

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2006年7月 4日 (火)

オランダサッカーに出会った日(2)

 クーバーさんは「パーソナリティー」という、当時のサッカー界では極めて斬新な表現を使ってテクニックを表現していた。

 配布された冊子の中にも「世界のパーソナリティー」と言う文言が有り、サッカーでいかにパーソナリティーが重要なことなのか解説していたのである。以下

 『個性的なテクニックをもち、創造性に富んだサッカーをする選手が姿を消した結果、「トップレベルのプロの試合を 見ても、ボールキープしていて、敵に囲まれると、どうしようもなくなる選手がほとんどである。攻撃的なテクニックを 身につけないでいるので、相手をかわして、プレーのできるスペースを作り出すすべが、ないからである。」ことを嘆く 著者は、現在のコーチが体力トレーニングと体力にまかせての守備的戦術をとっていることを批判している。そして、 「いまのサッカー選手たちの技術(スキル)は限られている。その一方で、体力と体格はどんどん良くなっている。 大部分の選手たちは、90分間動き続けて、直接マークしている相手に仕事をさせない、というだけの能力で 評価されている。 こういう選手たちにとって、本当に必要なのは、技術トレーニングである。つまり、 自分がボールを得たとき、相手にきびしくマークされても、お手上げにならないように、そして仕方なく 近くにいる味方にパスしてしまうことのないように(パスをもらった選手も同じように、どうしようもないのだ) 、自分自身で何かができる能力を身につけさせることである。」と述べている。』

 どうにもドイツサッカー流が蔓延して垂れ流されていた状況の日本で、「パーソナリティー」と言う響きは多感な筆者の胸にも響いたものだった。当時何かと言えばやれ「組織プレー」だの「フォーメーションプレー」だなどと称して酷く緩慢な練習が流行っており、何の疑いも無くどの選手も取り組んでいた。
 何かと言えば「ゲルマン魂」という曖昧な表現を使っていたけれど、当時のドイツチーム(西)の主流はいかに屈強なメンバーを揃えて押し込みサッカーをするかに尽きており、シュワイゼンベックだとかブリーゲルなど訳の分からない選手がそこいらじゅう闊歩していた。シュスターと言う素晴らしい才能は花開かず、その悪循環は今も続いていると言って過言ではない。

 二宮寛や岡野俊一郎などという人々は、純血日本人が50年経っても手に入れることが出来ないフィジカルを無視して奥寺をドイツへ送り込んだ。たまたま日本人離れした屈強さを奥寺が保持していて、まずまずの成功を収めたのを良いことに増々ドイツ流を推し進めるのだった。

 なんと言うか、松浦や前田秀樹などと言うボール扱いも不自由な選手が主力を張っていて、読売の中では肉体派の松木のとっつぁんが代表に入るとテクニシャンに見えたから不思議だった。

 オフトが監督に就任するまで、ドイツサッカーの真似事にピリオドを打つまで日本サッカーに明るい未来は見えなかったのである。

                                               つづく

 有名なサッカー選手が引退しても、日本のサッカーは続いて行く。
 中田は高卒直後からプロ生活を全うできて幸せなサッカー人生だったでしょう。
 

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2006年7月 3日 (月)

オランダサッカーに出会った日(1)

 タイトルからしてオールドな話題が始まりそうですがその通りで。

 デッドマール・クラマーが東京五輪の特別コーチとして招聘された後メキシコまで、そしてメキシコ以降さしたる実績も無いまま日本サッカーは妄信的にクラマーを神として崇め奉った。

 特に岡野俊一郎と長沼専務理事の入れ込みようは半端じゃなく、教育読本には必ずクラマーの短パン姿が躍っていた。つまり協会サッカーは三菱ダイヤモンドサッカーからしてブンデスリーガを頻繁に流すように差し向け、80年代まで多くのコーチや選手を送ったことからも明白なように「ドイツサッカー」に毒されていたのだった。

 そんな状況に当時XEROXスーパーサッカーと共に貴重な国際経験の場を代表に提供していたKIRINが一石を投じた。一説には古河閥の川淵が絡んでいたとの情報もあった。今でこそあんなだが、当時信用薄かったテクニシャンタイプの選手を82年スペインの予選で香港ガバメントスタジアムに登場させたのは川淵だった。
 金田・横山・木村・戸塚などなどの選手に脚光を浴びせた。

 実は新興派や実力派チームはドイツ妄信から解き放たれて、新たにオランダ流サッカーをいち早く取り入れようとしていた。ヤマハはヨハン・マリウス・オフトをコーチとして81年から招き低迷から脱出。自由奔放なサッカーのさきがけ、読売クラブはフラン・ファン・バルコムヘッドコーチを70年代から早くも起用していたのである。

 そのバルコム氏の協力の下、晴れてキリンサッカークリニックは84年の三月東京国立西が丘サッカー場で開催されたのだ。

 講師は後に、日本のサッカー教育者に多くの影響をもたらすクーバーメソッドのウィル・クーバー。

 筆者は当時東京の高校生で春休み中だった。

 指導者対象のクリニックだったが幸運にも何故かそこに筆者は居た。ずうずうしく潜り込んだのだが、今となっては貴重な体験だったと述懐する。
 

 当時の筆者はカテゴライズされたサッカーに興味は無かったが、クーバー氏がいかに凄い指導者であることは新聞の記事で後日知ったのだった。西が丘でのクリニック後、池袋の西武スポーツ館野外広場での帝京サッカー部向きの指導も見に行ったりした。今考えると、当時は本当に世界のサッカー情報が貧弱でそれだけ貪欲だった。

 83年にケビン・キーガンがニューキャッスル・Uに移籍し(当時チャンピオンシップ・二部リーグ)、KIRINがジャパンカップと称して開催していた大会に招いた関係で、クリニックの冊子表紙は黄色いユニフォームを着たキーガンだった。

 だから筆者はクーバー氏をイギリス人だと思い込んでいた。

 クリニックに現れたクーバー氏は、しかし、おじいちゃんであった。

 こんなおじいちゃんにボール蹴れるのか?と馬鹿にしていた。

 出たちは紺色か黒か記憶は定かでないが、オールド風のジャージ上下。
 足元はパトリックの非常に良質なカーフ皮革を用いたアップシューズ&素足。
 はっきり言ってお洒落だった。しかし見掛け倒しだろうと単純に思っていた・・・・

 最初適当に高校のサッカー部で監督をしているおっちゃんと組まされ、対面で蹴りあった。
 当時の筆者は現役だったから、知らない高校のサッカー部の先生の足前は物足りなく、先生がミスをしたりすると、わざとボールを後逸したりしてふて腐れていたりしていた。

 少しの時間の後、クーバーさんの実演?実技が始まった。
 いわゆるクーバー流ボールコントロールと言う奴だ。

 始まってすぐに筆者は驚いた。

 年齢からしても信じられないほど俊敏に動いていたからだ。いやそれよりむしろ驚いたのは、その
緩急をつけたドリブルのステッピングワークが絶妙だった。

 いろいろクーバーメソッドについて後から他の人の解説を読むと、足技重視みたいな書き方をされているが、実は違う。クーバーさんの真髄は、緩急とボールコントール時における上半身の使い方だと思う。
 またヘディングの教え方も独特だった。いきなりDF役を付けて、競らせながらヘディングをさせる。
 
 クーバーさんも疲れたのか、当時早稲田の宮本征勝監督が派遣したコーチが実演をしてくれた。
 少し頭が禿げ上がって(失礼)年齢不詳だったが、クーバーさんの指示を忠実に再現する様は
アマチュアでトップレベルにあった選手のそれだった。

 帝京の古沼先生も自転車で来ていたが、遠くから見ていてOBのコーチにやらせていた。
 あと他の先生たちはお世辞にも満足なボールコントロールが出来ないようなレベルだった。
 それを考えれば当時の筆者の先生は国体プレーヤー上がりだったのでなんぼかマシだったのだろう。

 クーバーさんの主張は、

 オランダではプレッシングを早くにエッセンスとして取り入れたが、プレッシングを受けるのは、その選手にテクニックが不足しているからだ 

 ということだった。


 状況に応じたワンタッチプレーなどを指導者陣がミスすると、厳しく叱っていた。

                                                  準決勝まで 2へつづく

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2006年7月 2日 (日)

準々決勝ルーニー退場イングランド 甘やかされた子どもの辿る道

Fight

7月1日(土)
17時00分ワールドカップ・スタジアム・ゲルゼンキルヘン
ポルトガル0-0イングランド45分ハーフ 延長前後半15分通してのスコアレス
3(PK戦)1でポルトガルの勝利

 決勝トーナメントに入ってからのイングランドは暗黒時代に戻ったかのように
停滞気味の試合運び。スウェーデン人監督エリクソンの手堅い戦術が
選手の自由を奪っているかのようだった。ジェラードやランパードと言う脂の乗り切った
選手の良さが影を潜め、唯一の特徴であるアタッキングサッカーは不発のままだった。
 対するポルトガルは良くも悪くもポルトガル。頑固に自分たちのスタイルを120分貫き、
テクニシャンに不利と言われるペナルティキック戦はイングランドの自滅で
苦もなく勝利を収めた。
 98年フランス大会を思い起こさせる、ルーニーの退場。
 イングランドは世界の中心。女王陛下の息子たち。世界の評点はいつでもイングランド人には
甘め。
 賭博行為で問題視され、一時プレーの質が落ちたとされるルーニーだが、咎めの声は
聞こえてこない。ルーニーは「自分は何を犯しても許される」と勘違いしたクソ餓鬼そのもの。

 サッカーの母国 などと言う呼称はフーリガンともに返上せよ。
 
 サッカーの神様が見守っていたゲルゼンキルヘンのフィールド。


6月30日(金)
17時00分オリンピアシュタディオン・ベルリン
ドイツ1-1アルゼンチン45分ハーフ 延長前後半15分 0-0
4(PK戦)2でドイツの勝利

 メッシの出場を懇願する向きもあっただろうが、ペケルマンが愛弟子リケルメを諦めたことに
この試合の中身は集約されている。恐ろしいほどにミスの少ない彼にいったんボールを預けて、
テクニシャンのるつぼと化した前線でのボールキープでDF陣はしばしお休み。しかし、
ドイツは嫌らしいほどのボンドマークでリケルメを潰しにかかる。フォクツの頃と何も変わらない試合運びさながら、古典的戦術の挑戦を退け続けた。敵味方構わず個を潰す戦術がドイツらしいと言えばその通りだが、
メラーといい、バラックといい、世界に誇り得る才能が浪費されているようでドイツの試合はいらいらしてくる。
 次のイタリア戦でドイツは自分たちのサッカーへの答えを見つけ出すことが出来るだろうか?ドイツはまだベッケンバウアーの事を賛美し続けることになるのか。
 しかしドイツと言う国は相変わらず人種差別が激しいようですね。EU各国でドイツの移民受け入れ率って
どうなんでしょうか?乱闘の原因は、ドイツ人スタッフの人種差別的思想に基づく侮蔑発言が発端だったとか。


 イタリア 3 - 0ウクライナ

 見るべきもの無い試合。チームとしての差がありながら、ウクライナはイタリアに合わせるゲーム運びしか出来なかった。シェフチェンコにTOPをまかせ、後は全員守備でも良かったと思う。

 7月1日(土)
21時00分ワールドカップ・スタジアム・フランクフルト

ブラジル 0-1 フランス

 FWの破壊力の差がここまで顕著に出たゲームは今大会初。
 スタイルを取り戻しつつあるアンリが完全に復調したゲームだった。
 あれだけの走力を維持できるFWがターゲットにいるならジダンはじめ球出し側は楽だ。
 コース選択だけで配給できる。下を向いての、生来勘所を押さえてのパス出しが強い時の
フランス人MFの特徴だから、こうなった時のシャンパンサッカーに敵はいない。
 下を向いて蹴り出されたフランス人からのパスの質は世界一だから、ブラジル人の腰高DFには
付いていけないのだ。筆者は今までブラジルチームにあれこれ言及していなかった。
 何故って嫌いだから。カフーのようなキャリアで、苦しい試合を勝ち抜いた経験の無い男が
ゴロゴロいるチームに魅力は感じない。ロベカルも大差ない。彼奴らは単なるサッカーゴロだろう。
 支柱のいないブラジルはあっけない程にもろかった。
 
 
 
 


 
 

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2006年6月29日 (木)

オシムの代表選出構想、中心はルマン松井

 Daisuke


 【グラーツ(オーストリア)28日=須田雅弘、円賀貴子通信員】次期日本代表監督への就任が決定的なイビチャ・オシム氏(65)が、サンケイスポーツに新生ジャパン構想を激白。中盤の軸としてドイツW杯メンバーから落選したMF松井大輔(25)に期待をかけていることを明かした。フランスリーグ・ルマンで活躍する世界基準の逸材は4年後の南アフリカW杯では絶頂期の29歳で、MF中田英寿や中村俊輔に代わりキングに君臨する可能性も十分。オシム魔術の切り札は『世界のMATSUI』だ。

 筆者もドイツ大会での活躍を期待していたが、選出かなわず涙を呑んだ松井。
 オシムから相応な評価を得ていることを知り溜飲をさげたファンも多いことだろう。

 彼のような選手を選ばないコーチは本当にどうかしている。
 彼を中心選手に据えて戦って試す価値をジッコは放棄して敗戦した。

 何度も言うがオシムはサッカーを知っている男だ。
 

 サッカーの持つ魔力と松井が織り成すファンタジーに魅せられない男は
サッカーが本当に好きな奴とは到底思えない。


 ■松井大輔(まつい・だいすけ)
1981(昭和56)年5月11日、京都府生まれ、25歳。鹿児島実高3年時に高校選手権準優勝。00年京都に入団し優秀新人賞獲得。04年8月にルマン(当時2部)に移籍し1部昇格に貢献。A代表デビューは03年6月のコンフェデ杯・コロンビア戦。J1通算72試合7得点。フランス1部通算33試合3得点。A代表通算4試合1得点。1メートル75、64キロ。


  今シーズン、フランスリーグ1(アン)38試合中33試合に出場。

 この辺りの今シーズン実績が中田や半病人の高原・稲本とは違う。

 20代半ばで大会を経験できなかったのは本当に残念だった。

 

 
 昔から、岡野俊一郎、長沼専務理事の時代からそうだが協会は選手の芽をつぶしてしまう。

 筆者もそう思うが、現在ユース代表監督の吉田靖氏が早大生の頃同じように
嘆いていたのを忘れることが出来ない。

 松井大輔 待望だった日本の宝石を応援していこう。

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2006年6月28日 (水)

フィジカル強化はジーコも通ってきた道

 Zico

 ジッコが退任会見で言及していたことは、選手個々の「体力不足」と言うこと。前出のエントリー通りだ。

 筆者が今よりサッカー好きだった25年ほど前の「サッカーダイジェスト」誌にあった記事を思い出していた。
 
 ジッコは、ジュベニールかジュニオールの時代からか忘れてしまったが、10代の早い時期から
フラメンゴ一筋で過ごし、キャリアの後期でセリエAの中堅ウディネーゼに請われて移籍した。

 フラメンゴ時代の少年期は、ジッコの愛称からも分かるように、彼自身才能の塊ではあったが
いかんせん「痩せっぽちのへなちょこ野郎」。

 そうした磨かれざる宝石の時代、
フラメンゴでプロフェッショナルのキャリアをスタートをするまでジッコはスポーツ医学の粋を集めた
人造人間工場に入れられた。

 来る日も来る日もフィジカルトレーニングに明け暮れたのだと言う。
 彼の生活は全てがフラメンゴ負担だったから、当然に強制的労苦の側面もあったと推察できる。
 
 
 ブラジルは中盤より前目のプレーヤーの華麗なテクニックばかりが語られるが、実はそれほどの攻撃陣を防御する技術と屈強な体力を保持したブラジル人DFも素晴らしいプレーヤーが数多いのは自然の摂理だ。
 

 実は華麗な攻撃陣と裏腹に、南米のディフェンダーはゴリゴリのヘディンガーやボディアタッカーが多い。

 日産に在籍したオスカールは、彼たった一人の頭脳とフィジカルで日産ディフェンスを完璧にしていた。印象すら抱かせる。

 
 その彼らを吹き飛ばすほどの「フィジカル」をジッコは少年期に着々身に着けていた。
 と同時に、柔らかさやしなやかさと言うブラジル人特有のテクニックを喪失しなかった点が、このトレーニングの日々の過酷さを物語っているように思う。

 カズは「痩せっぽち」の時代はステップも軽やかに左サイドを駆け抜けたが、セリエAジェノバでの体験が響いたのか、トレーニングに励む余り軽さが徐々に失われていった。彼自身の向上心が結果的に特徴を損なうなんて皮肉で切ない話だ。

  会見で、直接の体験者であるジッコが言う「フィジカルの大切さ」は胸にしみる。
  
 
 ブラジルから、ジェンティーレやタルデリに代表されるハードマーカー揃いのセリエに渡った時も少年期の日々が糧になり、かのリーグで慣れるのにも大した時間を要さなかった現実もある。

 ジッコが個々の事例に言及しなかったのは、「可能性の喪失」を語りたく無かったのだと思う。

 プロフェッショナルフットボーラーとはなんなのか?
 
 少年がどの時点でプロと遊びとの区別をつける必要性があるのか?


 解任会見はJFAトレセンに集う指導者への重要な問いかけだった。

 15年も日本に貢献したジッコだから、本当は「可能性の喪失」にも少しは触れて良かったと思うが。

 

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自由の国 フランスの勝利

  Jidane


 バルテズと頭をなであうジダン 

 2006年6月27日21:00キックオフ

 ○フランス3―1スペイン●

 試合の終盤には、デストロイヤープジョルを子ども扱いでなんなくかわしたジダンのゴールでダメ押し。

 老獪と言う表現が適切かどうか意見の割れるところだが、今ドイツ大会でのフランスは経験豊富なメンバーを中心に安定した戦いを見せている。若手との世代交代云々、とやかく言うマスコミや周囲の雑音を振り払うかのように現在世界最高のDFと筆者が目すリリアン・テュラムの活躍もめざましい。

 移民と移民二世のフランスチーム万歳。自由・平等・博愛はすばらしい。

 もともとフランスチームはベテランが元気に活躍するチーム。スペインでもメキシコでもフランス大会でもチームに渇を入れていたのは30オーバーのベテラン選手。

 ロシュトー、シス、ジャンジニ、プラティニ、ジレスなどなどがいたスペインの頃に比べると「ラテンの情熱」は薄れたようだが、今は地の果てアフリカやカリブから自由の国フランスへ渡ってきた移民の子孫が自由への渇望をfieldで表現していて頼もしい。

 スペイン大会でのトレゾール。フランス大会でのテュラム。黒人であるがゆえ監督から正当な評価を受けられなかった。西ドイツ戦でトレゾールはPKキッカーに選ばれず、白人ボッシが外して敗戦。
 テュラムはクロアチア戦の2ゴール後に当時のジャケ監督から詫びられた。「不当な差別をしてすまなかった。今は君を最高のプレーヤーとして尊敬している」と。

 日本チームはきっと、傷の舐め合いをしてしまう。同年代の男が集まると日本のコミュニティーでは必ずそうなる。

 日本チームにもいつの時代にもベテラン選手はいたほうが良いと考える。基本的に単一民族国家だから戦いを経験していない。そう言うところなのだから尚のことベテラン選手の経験は必要だと思う。

 

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